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はてなキーワード: 同性愛とは

2022-02-02

ミサンドリー百合オタは、百合作品に男が登場することを極端に嫌う

 

その嫌い方が「何が面白いのかわからない」とか

百合作品とは認めない」ぐらいなら、まだ感想自由範疇と言えるが

そういうレベルの抗議では、残念ながらおさまらない

 

現実同性愛者を引き合いに出して

現実同性愛者を傷つける」表現から

そうした創作物の「存在自体が許されない」と

トンデモ論を展開して抗議活動を展開する

ミサンドリー百合オタの主張は、ほぼフェミ表現規制活動のそれである

からこれは表現自由危機事案として扱われるべきだ

2022-01-28

暴力性の描写のためだけに殺されたり犯されたりする女」が出ない事をもって賞賛されるのってよく分からんな…

女性に対する暴力って毎日様々な形で沢山起こっているじゃん

そういう現実フィクションに反映させたら駄目なの?

強くて幸せで何の被害にも遭わない女性しか描いちゃだめなの?

同性愛を描いた作品では苦悩や差別やバッドエンドを書いちゃ駄目で

特に意味なく同性愛カップルが成立して特に意味なくハッピーエンドでなきゃ駄目っていう主張と同じような据わりの悪さを感じる

anond:20220128162932

ホモ風俗ガチ同性愛者が使ってる印象だが

レズ風俗はそういうのじゃなくて、友達でも家族でも恋人でもない『いい感じの距離感』がコンセプトで秘密相談相手として人気を獲得しているらしい

2022-01-27

ネタバレあり)今日読んだBLと、頑張って再読した非BL

しまちゃん家の番事情』(三日ミタ)

あらすじ

 しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気マイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。

 そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。

 「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃん自分家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。

 授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。

 二人のパパ達のちょっと物騒な青春物語

増田感想

 オメガバース作品オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛

 私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。

 オメガバース設定の作品性質悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。

 だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。

 このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネス配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。

 茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしちゃん小学校低学年ぽいので、彼らはガチ計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。

 とはいえエロシーンはエロい。別にエロエロいのは悪くないけど、個人的あんまりけが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。

 あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。

 オメガバース設定はその性質物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みから批判され一部から嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。


再読『その花の名を知らず』および『左近の桜』シリーズ長野まゆみ


左近の桜』シリーズとは。

 この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手成仏させるという特殊スキルを持った若者左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品刊行されている。


『その花の名を知らず』のあらすじ

 大学生の桜蔵は、父方の祖父墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故

 そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。

増田解説感想

 『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。

 そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。

 私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語ミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。

 ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから万葉集などの和歌謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた

 細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。

 「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。

 そもそもタイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。

 まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明

 まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。

 『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。



『猫道楽』(長野まゆみ

あらすじ

 「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。

増田感想

 『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちBL短編連作小説だったー。

 猫シッターアルバイトのつもりがセックスポジション的な意味で猫にされてしま大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。

 BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。

 

今回はこれまで。最近BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。

anond:20220126164451

俺も同性愛者かなあと思う。そうじゃないなら、その彼氏友達とか紹介してあげれば?

2022-01-25

男って「ホモ」が嫌いなやつ多くね?

こないだも「この漫画は出来損ないだ。ホモ気持ち悪くて読み進められないよ」みたいな事言ってたやつおったやん?

女はそういうのなくて同性愛描写が出てきても平気で読むよな。

ジョジョ7部で大統領夫人レズなのが気持ち悪くて読むのやめちゃった。6部までしかわかんない」と言ってる女みたことねーもん

anond:20220125141249

そうだね、まずはホモセクシャルという言葉から排除しよう

そっちの方が同性愛者についての文脈でよく使用されるから

2022-01-23

anond:20220122181211

シスヘテロ対人性愛者の男が自身の加害性を許してもらいたがってる様子には反吐が出るが、しかしフィクトセクシュアル当事者としては、「二次元」や「萌え」という文化内包するセクシュアリティの部分を漂白されることに対する危機感もある。

愛する人人生を共にするのに性別なんて関係ないけど、尻の穴に性器を突っ込むなんて不潔で気持ち悪いよね~」みたいな言説がカジュアル蔓延して喜ぶ同性愛はいない。LGBT運動の一部としても、そのような「オシャレに、カジュアルに消費される活動から落とされる「汚い」部分を、敢えて「まるでチキンレースのように」表現する人々もいるが、それを「ゾーニングを守れ」と安易断罪して良いとする倫理観は、マジョリティにとって都合の良い価値観だろうと思う。

発達障害アスペ向けの「青い芝の会」が必要

年々、発達障害とされる人々は増えている。

以下、発達障害者を発達と略す。

あと、ここでは「発達障害障害ではない」とか「スペクトラム問題から」みたいなことは扱わない。そんなこと言われても現実にあってないし何の慰めにも奮起にもならない発達は多いだろ。昔は発達にも居場所があったみたいな話も同じく。ただの社会的隔離を美化してる場合がある。

なんで発達が増えてるのか、医者と、教師の知り合いに聞いてみたことがある。それぞれの考えは違っていた。

ある中年男性医師は、一般生活に求められる技術社会性のハードルが上がり過ぎたから、と言っていた。つまり殆どは外部の、要因だと。

教師は、ちょっと違ったことを言っていた。後天的な要素もあるけど、それに反応してしまトリガーについては常に先天的にあるだろうし、それには確かに遺伝があるのでは、みたいな事を言っていた。

これらはいわば一般的な意見として受け取ってる。

上の意見は参考意見として、俺が言いたいのは、発達は新人類じゃないかってこと。そしてそれをめちゃくちゃに、クソみたいに、バカみたいに誇って良いんじゃないかってこと。

クソとかバカとか書いたのは、図書館かにある上品福祉本みたいな生やさしい肯定ではなく、社会敵対したりキモがられたり腫れ物にされたりする存在なのを本格的に誇るために。

「発達」「アスペ」「コミュ障・・・言葉名前が付けられたと思ったら、すぐにそこいら中で蔑称となって蔑視が広まってる。

アスペルガーの時も、ほんの少しの間にアスペアスペアスペ。「アスペ採用しないようにはどうする?」「彼氏アスペかも!」「アスペ犯罪気質がある!」みたいな記事だらけになった。

今度ネット上で流行ってた「ケーキが切れない」とやらもそうなりつつある。そして社会発達障害と向き合うことなく、排除嘲笑と腫れ物扱いのやり方だけ上手になるんだよな。


これまで、発達はそれぞれ一人一人の苦しみのなかで閉じ込んでしまっていたり、自助グループみたいなのに繋がっても「定型の、現行の社会」に矯正されるための監視された自助みたいなことしか出来なかった。

CPの人たちは「青い芝の会」という戦闘的な障害活動をしてたし、なんなら同性愛者もラディフェミも色々やってる。発達もそろそろ似たやり方をとるべきなんじゃねえか。


発達は、よく「挨拶謝罪形式みたいな社会的マナー文化が備わってない」と言われる。いいじゃん。新しい文化作ろうよ。今まで現れてきた色々な文化マナーも、「新しく」作られた瞬間はあるんだろ。発達もそれなんだよ。それが見れて嬉しいだろ。学者心配してないで、これについて論文書けよ。

カサンドラがどうとか「発達は身近な人を傷つける」とか騒ぐやつもいる。いいじゃん。俺たちは新しい人間関係モデルを今作ってんだよ。なんでパートナーが発達だって分かった瞬間「答えが得られた」気になってんだよ。相手が発達じゃないなら「傷つき度25」で発達なら「傷つき度100」なのかよ。

でも、個人的人間関係ばかりやっても限界があるし根本的な問題解決しない。もっと根幹に切り込もう。

発達障害手帳効果が他の手帳よりかなり少ないよな。役所にみんなで乗り込んで訴えようぜ。

発達は税金関連の処理が苦手だよな。税務署占拠して「もっと簡単しろ、発達の税金軽くしろ」って示威しなきゃだめだ。

ケーキの切れない」とかなんとかで有名になって、発達がかなり牢屋に入れられてる事が分かったじゃん。それでそんな記事みて「なるほどな」って思ってるだけなの?刑務所を取り囲むべきだろ。発達を社会に返せって。社会が発達と直接向き合って新しい文化を作る機会を奪ってるって。

少数民族レベルでも自治権を得て、これから増えていく発達の数に見あった土地を得るべきでは?

強めに書いてきたけど。

発達が増えてるとかい情報に触れて、発達自身が何で卑下しなきゃいけないのか?それに腫れ物ともキモがりともつかない態度で接する社会ってなんなの?その社会必要社会なの?って事なんだよな。

そしてそれは、発達が、ホモ・サピエンスの新しい形みたいなこと、そういうレベルにしないと、説明がつかない。ホモ・ハッタツトゥス。

俺は定型社会こそぶっ壊れるべきだと思うから、どんどん発達障害社員面接をすり抜けて会社の「慣習やマナー」を滅茶苦茶にすればいいと思うし、どんどんキモコミュ障が「正しいコミュニケーション」を破壊してくれればいいと思ってるよ。発達と定型社会対立軸が揃いつつある今、根本から発達障害者とされた人々が社会を問うていく必要がある。

発達は新しい人間だ。発達も、アスペも、コミュ障も、「青い芝の会」をやろう。CPバス占拠した様に、発達も社会占拠しよう。「不自然」を「自然」にしよう、というかそんな言葉辞書から消そう。

2022-01-20

インターネット貴族意識持つやつはマジでかなりヤバイ

5ch←いまどき5chかよ

はてな←偏った思想に☆が集まるシステムによっていつの間にか偏った思想を正しいと信じてしまっていく危険人物が多すぎ

ツイッター←TLは自分で構築するんだから個人差が有るということを理解できないやつのヤバさよ

ニコニコ←まだここに居座ってる連中は思考の硬直化がヤバいすぎる

YOUTUBER配信者に対して帰属意識を持ち出すとマジでアカンぞアイドルグループよりヤバイ

ふたば自分キチガイである自覚のない完全なキチガイになる特急券

アンチフェミ←ありし日の嫌韓文化でありその結果は歴史証明

同性愛いじり←集団イジメとか今どき流行らなくなってきてるって気づかないのかな

e-スポーツゲームがうまくなっても人間的に素晴らしくなることはないことに気づけなかった奴から狂う

RTAラーメン早食いのためにアイスクリーム頼んでぶちこむような遊びをしてるくせに自分たちこそが一番愛してると言い張ってる

フェイスブックインターネットでまでリアル馴れ合いを続けてたら逃げ場がなくて狂うしかなくなるぞ

LINE←終わりのないスカイプ人生の終わり

文系研究者だけど例のオープンレターには署名しなかった【追記あり

理由はいくつかある。

さらっと献血ポスターバッシングへの賛同させようとしてるのずるくない?

例のオープンレターにはこんな一節がある(以下、引用者による省略は[ ]でくくって示す)。

[……]たとえば性差別的な表現に対する女性たちから批判を「お気持ち」と揶揄するのはその典型です。[……]

これって、発端の先生が熱心に「高い倫理」について論じてらした宇崎ちゃん献血ポスターへのバッシングのことでしょ。もちろん他にもあるのかもしれないけど、メンツ見たら「あ、あの件」ってわかる人にはわかるよね。

これまで赤十字が(女性向けゲームも含む)色々なコンテンツコラボしてきて『宇崎ちゃんは遊びたい!』とのコラボはその一環だったという経緯、「売血」を問題視しておきながら10献血すればおしゃれな杯がもらえたりモーターショーで献血すると限定トミカがもらえたりすることには一切言及せずオタク向けコンテンツとのコラボだけをことさらにあげつらう偏り、ポスター擁護派へのバーレスクやらを持ち出した煽り、このあたりにめちゃめちゃ腹が立ったので今でも献血ポスターバッシングに加担した人たちのことは許せてないんだけど、こういうふうにさらっと書かれたらこういった経緯を全然知らない人はスルーしてそのまま署名ちゃうでしょ。

このオープンレター賛同したらあの献血ポスターバッシング賛同することになる以上、当たり前だがポスター擁護派の増田署名なんてできようはずがなかった。

男へのセクハラはいいんですか?

オープンレターの発起人の中には、「金田淳子 やおいボーイズラブ研究家」という方がいらっしゃる普通賛同署名ではなく発起人の欄に書かれているので、お名前勝手に使われたのではなく紛れもないご本人だろう。

そうすると、ご自分過去言動についてはどう思っていらっしゃるのかなというのは気になるところだ。では、ここで2019年金田氏が自著の出版に際してなした発言を見てみよう。

[……]板垣先生秋田書店さんは本当にアナルが広いですよね。

なるほど、「ケツの穴が小さい」という慣用句にかけた性的ジョーク披露なさっている。ところで、板垣恵介氏は金田氏の以前からの親しい友人というわけではなく、『刃牙』を元ネタにした書籍の発刊にあたって許諾を取ったという関係の、いわば仕事相手であろう。ということは、金田氏は仕事相手に対してオンラインメディアで多少性的ジョークを言うのくらいは別に構わない」という立場を採っていらっしゃるわけだ。それ自体ひとつの見識であろうと思う。人には表現自由というものがある。しかしそのような立場の方が、オンラインでの「遊び」に対してNOを突きつけるオープンレターの発起人に名を連ねていらっしゃるというのは、なかなかに興味深い事態ではないだろうか。

なお、マイノリティということで言うなら、男性同性愛者が苛烈差別さらされているマイノリティであることに異論はなかろうと思う。ところで、BLやおいという文化は、彼らを性的に客体化し、消費するものであり、もしも女性を「性的消費」することが女性差別的な文化であるなら、男性同性愛者のセクシュアリティを消費しているBLやおい文化もまた、男性同性愛者への差別にあたるはずだ。個人的には性的客体化も性的消費も好きにすればいいしそんなのは差別ではないと思うので、女性性的客体化した表象問題ないのと同様に、男性同性愛者を性的客体化することを楽しむジャンルであるBL問題ないと考える。しかし「性差別的な表現」を批判するオープンレターBL肯定的に捉える立場BL研究者が参加しているというのは、「もしかしてBLのことを性的客体化だと認識してないんですか?」という深刻な問題惹起するだろう。

追記金田氏の過去発言について、『ユリイカ』での荒木飛呂彦氏への発言が取り沙汰されることがある。荒木氏本人に向けて「ディオは[……]何百人もの男たちに慰みものにされてきた」という発言を行った箇所だ。しかしこれはある作品解釈を論じているという文脈であり、作品解釈を著者に向けて披露することが直ちにハラスメントということにはならないはずである板垣氏へのアナル発言のように著者本人の身体部位をからかいの種にしたわけではない(なお、アナル云々について「謝罪はされている」という指摘はあるが、「『アナル』の多用」についての謝罪であったので、「仕事相手に向けて性的ジョークを言う」ことそのものへの謝罪ではないように思われる。もちろん氏には「仕事相手に向けて性的ジョークを言ってなにが悪い」と主張する自由がある)。漫画作品はいくつもの解釈があり得、その中には性的解釈も当然あるだろう。もしも金田氏が本気でそのような解釈も成り立つと考えているのなら、それを著者の前で論じたとしてもなんの問題もない。男性研究者がある少女漫画――そう、忘れられがちだが『ジョジョの奇妙な冒険』は少年漫画なのである――について「このキャラは男とヤりまくっていると思う」と女性の作者に向けて発言するようなものだろう。仮にそのような解釈が成り立つなら、そういった発言も許されてしかるべきである、と、ゴリゴリの人文系である増田は考える(文学作品解釈において「作者の気持ち」には何の意味もないことはもはや常識であろう。作者本人にとっていか不愉快解釈であってもそれが成り立つことはあり得るはずだ)。

そもそもそれはアカハラなのか

問題発生当初から、周囲の研究者があれはアカハラだと言っていたことに非常に大きな違和感があった。なるほど中傷した人もされた人もどちらも博士号を持っていて、大学に職を得ているアカデミアの住人ではある。しかしそれは「アカハラ」か? 中傷された人は、中傷した人と何らの面識もなく、大学学会等での関わりもなく、そもそも専門分野がまったく違っていた(日本中世史と英文学って、分野も対象地域も違うから出身大学院や勤務先が同じでもない限り基本的には接点がない)。さら中傷した人は、大学准教授以外にも作家弁護士といったアカデミアとは無縁の人に対しても中傷を行っていたことが明らかになっている。

そうすると、これは単に「リベラルフェミが嫌いなネット民が、リベラル派やフェミニストの言論人に対して中傷を行っていた」という案件ではないだろうか。たまたまネット民言論人の双方が博士号アカポスを持っていただけで、本質的にはアカデミアの問題とは思えない。だから問題がないと言っているわけではない。例のオープンレター増田には帰宅途中の銀行員が夜道で財布を奪われた事件を『銀行強盗』と呼んで行員の組合が抗議声明を出している」ように見える。いや、確かに銀行員強盗被害に遭ってはいるけど、それを銀行強盗とは呼ばんやろ……

同じ基準他者にも適用すべきだ

そう、発端の先生学者であると同時に言論人でもある。いくつかのオンラインメディア社会評論的な記事を書いておられる。そのこと自体にはなんの問題もない。学者自分の専門知識を活かして言論人として活躍するというのは表現自由であり、なんら制約を受けるべきではない(呉座勇一氏も似たような立ち位置だったといえる)。

しか言論人というものは、しばしば見ず知らずの人から口汚く罵られたりあてこすられたりするものだ。たとえば百田尚樹氏は、ご自分社会評論を発表したことで、非常に大きなバッシングに遭っている。当然それにはなんの問題もない。百田氏の思想や彼の著作を気に食わない人は、たとえ百田氏となんの面識がなくとも、彼のことを痛烈に批判したり、事あるごとに彼の名前を出してあてこすったりするだろうし、それは表現自由に属する(「百田尚樹クソッタレ極右だ」「ウィキペディアを参考にして本を書くとか、百田尚樹かよw」「コピペは許されないだって? 百田先生への悪口を言うのはやめてさしあげろ」etc...)。もちろん、性差別容姿差別はたとえ相手百田氏だろうと許されるべきではないが、出版された著作に基づくこの種の批判を浴びるのは仕方ない。

これらの罵倒や当てこすりになんの問題もないと思うなら、同じ判断基準を他の言論人にも適用すべきだろうと増田は考える。増田は、百田氏に対するその種の批判表現自由範疇に属するものだと思う。したがって、件のオープンレターには賛同できなかった。

署名の偽造が起きてしまうのはまあ仕方ない

昨今騒がれている署名の偽造については、もちろんオープンレター発起人に悪意があったわけではなく、悪意を持った何者かによる悪戯であろう。そこは同意するし、悪戯被害に遭って気の毒に思う。

しかし、研究者同士のメーリス回覧するとかではなくグーグルフォームで広く署名を募った以上は、そういう愉快犯が紛れ込んでくることはどうしたって避けられない。これはネットでの署名活動にまつわる常識であろう。したがって普通は、ネット署名は「○○筆の署名が集まりました!」とだけ広報し、第三者はそれを1割から2割ほど差っ引いた数字で捉えるものだろう(たとえば、7万筆ほど集まった署名なら、まあ6万人くらいが署名したのかな、と捉える)。

アカデミアに関する抗議声明がしばしば組織大学学会)の名の下で行われる理由ひとつは、その声明信憑性を持たせるためだ。信憑性を持たせるためにはある程度の権威主義必要になってくる。今回の場合、たとえば大学などの組織が発行したメールアドレスから送信された署名のみ受け付けて、フリーメールアドレスから署名は弾く、というような手法も考えられた。ところが「マイノリティの声を拾い上げる」というのを信条にしている研究者諸氏は権威主義が嫌いなので、アカポスを得られていない研究者はどうするんだ、とか、在野で活動している人はどうするんだ、といった配慮をしてしまったのだろう。その優しい配慮学会運営などでは必要ものだが、今回はそれが裏目に出てしまった。不幸な出来事だったと思うが、しか信憑性を確保できない以上、ここは個々人の名前を出すべきではなかったのではないか。「○○筆の署名が集まりました」で十分だろう。次からの教訓にしてほしい。

追記】Q. なんで増田に書いたの?

A. 論文の締め切りが守れてないのにまったく関係ない内容の長文を実名で書くのめっちゃ気まずくね?

2022-01-19

https://mainichi.jp/articles/20220119/k00/00m/040/140000c

荒川区議同性カップルには子供可能性有りません」って、

同性カップルには子供の子供の可能性がないのって単なる事実では?

叩かれる意味が分からないんだが…。

子供可能性がないって、環境にも負担をかけないし周りに迷惑もかけない、素晴らしい事じゃん。

からこそ同性カップル積極的に認めていくべきだと思うんだが

全く逆の結論になるんだね、不思議

「知人男性から精子提供を受けて昨年子供を出産した。」

「私ゲイですが子供がおります

これらは単にバイセクシャルなだけであって同性愛者っていうより両性愛者なだけだと思うし。

寧ろ子供が出来る可能性のある異性カップルの方が危険から規制すべきだと思うんだけどなあ。

anond:20220119160850

一般的には男性同性愛者をホモというが、男性に限らず女性同性愛者も含めてホモセクシャルというんやで

よって女のホモ(=レズビアン)は存在するやで

2022-01-18

当方30代男、一人暮らし

結婚願望も子供を持つ願望も無い(同性愛者でもない)のだが、

親は結婚を望んでいて、子供(親から見れば孫)を作ることも望んでいるみたい。

結婚する気は無いということはやんわり伝えてあるけど、いつかは結婚するものと、まだ思っているらしい。

どうしたものかね。

仕事先のおばちゃんがいつもすんげえ虹色マスクつけてて

目立ちだがりだなと思ってたんだけど

なんかちらっと子供同性愛者っぽいと聞き

もしかしてそれで虹色(LGBTQカラー)にして味方だとアピールしてるのかとか

色々考えた

どっちにしろ目がチカチカする

2022-01-17

LGBTはんこ」がデザイン賞をとってしまLGBT後進国日本

★この記事はいわゆる「"LGBT"教育」についてそのへんの素人が管を巻いている話です★

前段は省くが、高校生対象としたデザインコンテスト毎日・DAS学生デザイン賞 第36回高校生デザイン賞)の結果一覧を見た。

その中の「プロダクト部門」で部門賞を受賞している作品が(より正確に言うなら、この作品部門賞を受賞していることが)むちゃくちゃショックだったのでここに書いておく。

最初に言っておくと、私は受賞者を非難したいわけではない。

審査員非難したい気持ちはなくはないが、問題日本全体のLGBT理解の鈍さだと思うので、運営毎日新聞社と(一社総合デザイナー協会)だけを責めるのも違うと思う。

「これが日本の現状なんだよなあ」みたいな諦め感と「それにしてもひどいな!?」という憤りを書き散らしているだけなので、関係者の方々はどうか適当に読み飛ばしてほしい。

早速本題に入るが、本大会プロダクト部門賞受賞作は、『Say hancall』という作品であるこちら作品紹介のスライドを見れば分かる通り、「性別」を表す記号を組み合わせた図柄の「はんこ」が4つ並んでいる。

以下、スライドに書かれた文章引用する。

みなさんは「LGBT」について考えたことはありますか?
日本異性愛者が一般的だという考えが多いと思いますが、少なから同性愛者・両性愛者・心と体の性が一致していない人がいます。今もなお、そのような人たちへの差別意識がある人は多いのではないかと思います。ですが、人生は一度きりだし自分らしく生きるのが一番だと思いませんか?
そこで私はSay hancallを提案します。男女の記入欄にぽんっと押すだけで自分の性を理解してもらえます。世の中のイメージ無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。


デザイン意図としては、いわゆるシスヘテロ(「心身の性」が一致する異性愛者)が「一般的」な日本社会で、LGBT当事者差別に負けずに「自分の性を理解してもら」い「自分の性をオープンに楽し」むことを応援する、「LGBT理解」を目的にしているのだろう。

しかし、私はこの作品がその目的を達成できているとは到底思わない。むしろ逆効果なのでは?とすら感じてしまう。

以下にその理由を思いつくまま列挙する。

・「男女の記入欄」に何で性指向を記入しなければいけないのだろう? 性指向に関わるLGBと性自認に関わるTを同列に扱うこと自体に無理があるというのはもう散々言われていることだが、現在日常的な質問で「性別は?」と聞かれて「異性愛者です」と答える機会はまずないだろう。にもかかわらず作品企画としてそれが通ってしまうのは、日本LGBT教育いかに「性的マイノリティー」の解像度を上げないままお題目だけ唱えているか証左ではないか

・「自分の性を理解してもら」うことをカジュアルに考えすぎではないか。性指向性自認に限らず、人種家族構成など自分が持つ「マイノリティとしての属性」を誰かに打ち明ける、理解してもらうということは、本来すごく負荷がかかる行為だ。嫌われるかもしれない、わかってもらえないかもしれない(そして現実としてそれが杞憂で終わらないことは少なくない)……当事者たちは、そんな不安を抱えながら、カミングアウトする/しないを決めている。間違っても、マジョリティ側が「自分らしく生きるのが一番! 言っちゃおうよ!」と強引に背中を押すことがあってはならないはずだ。

徹頭徹尾「"LGBT"問題」を他人事として扱っている雰囲気がある。LGBT当事者が「自分らしく生きるのが一番」だと思っていないとでも言うのだろうか。そうしたくても社会や周囲の人々、内面化された自分自身の偏見から、「自分らしく生きる」ことを抑圧されているケースが多数ではないのか。「世の中のイメージ無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。」などというのは、本来マジョリティ側が負うべき、現在差別的な社会是正する努力放棄した上で、マイノリティが「自分の性をオープンに楽しむ」ことを強要し、それをもって「LGBT差別の根絶」を図る、極めて傲慢とも捉えうる発言だ。

以上のような理由から、私個人はこの作品を受け入れ難かったし、もしこれが「LGBT理解を促進する素晴らしいデザイン」だと称賛されるのなら、それはとんでもない話だな、と思わざるを得ない。

2022-01-16

異性愛者の組み合わせ方によってセフレを共有するカップル可能性に気付いてしまった

AとBのカップルがCという一人のセフレとそれぞれあるいは同時につながる可能

A,B,Cが同性愛者またはA,Cが両性愛者、Bは異性愛

だったら何って感じだけど

2022-01-15

anond:20220114200454

俺も大奥無料分の70Pだけ読んでみたがこの増田と同じ感想になってしまった。

男だけが沢山死ぬ病気流行という雑にも程がある舞台装置の登場でまず唖然となった。

なるほど、元増田終末のハーレムという名前を上げたのも納得だ。

続いて主人公の配属される場所スーパーイケメンパラダイスであることのアピールやそれに相応しいレベルイケメンであることが続くわけだが、この構図はまさに「如何にこのトロフィーが素晴らしいかアピールタイム」と言われても仕方なかろう。

男性向け漫画においても主人公が手にするトロフィーがどれほど素晴らしいかアピールタイムは腐るほどあるのだから、ここをして少女漫画は駄目だなんて言う気はないが、「こういうのに興味が持てない」と思ってしまうのならここは退屈なパートとして読み飛ばしてくなるだろうなと。

そしてなにより突然のBLタイムである

美少女モノにおいてもこういった「いきなり同性愛者が出てくる」という展開はあるのだから慣れろいうほかない。

だが青年漫画ではそういったシーンは雑なサービスタイムとして扱われるが、どうも少女漫画ではネットリと大事な場面であるかのごとく扱われがちなようにも思う。

そうしてまた主人公たちが如何に素晴らしいイケメンであるかの説明が始まり、気づけば無料分は終了した。

うん。

これはつまらないな。

70Pしか読んでないわけだが、説明ゼリフがやたらと多くて疲れるので感覚的には200Pぐらい読んだような気分だ。

流石にこれぐらい読めばキン肉マンだって巨大化してウンコを漏らすだけの漫画からプロレスの一つぐらいは始まっていたのではないか

それで感じるのは「舞台装置由来で産まれた激動の時代ハーレムで暮らすことになった日本最上級クラスイケメン物語であるということぐらいなわけだが……それをさも万人が楽しめる重厚ストーリーであるかのように言われると疑問しか無い。

もしこれを男性向けに変換するなら、「突然の最終戦争後の世紀末世界で、希少な生き残りの美少女世界から集めて作られた人類最強のハーレムで繰り広げられる、超絶スーパー美少女同士の子種奪い合いキャットファイト」みたいなものじゃないのだろうか?

その中で「美少女たちが協力して世紀末世界を乗り越えるための道筋を建てる姿が非常に熱いですよ。ただ可愛い女の子が沢山出るだけだと思っちゃう人が信じられません」なんて言われても、パっと見の第一印象は紛れもなく単なるキャットファイトなのにどうしろというのだと。

実際これは色んな作品で置きていることだ。

からくりサーカスを「絵が気持ち悪いし設定もなんか無理があったしで1話で読むのやめたよ」と語る人に「は?お前あの美しい伏線回収を、ただ絵が汚くて滅茶苦茶な設定としか思わなかったの?センス皆無じゃん」と言うのならそれはどうなんだろうか。

作品には合う合わないがあるのだから、「俺と同じ感想を持たない奴はセンスが悪い」は「僕は頭が悪い」と自白してるようなものなのではとさえ思えてしまう。

「違うんだよね」と口にして「どう違うのか」が言えないのならそれは反論になっていない用に思う。

誰か俺に大奥面白さを教えてくれ。

いろんなレビューを見ると点数がいいので先が気になるが、今の気持ちのままだとこのやたらと説明ゼリフの多い話を読みすすめるガッツが湧いてこない。

「70P読んでも理解できなかったの?じゃあ無理だよ」というのなら、俺の中での大奥は「単なるちゃちなハーレムモノを、舞台が昔ならご立派な時代劇になると勘違いした可愛そうな人たちが持ち上げている」で終わってしまう。

2022-01-14

anond:20220114172324

先進的な映画に登場する魔法系の能力者の黒人男性キャラは、なぜか同性愛者のイメージ形成されてきているって。

人種系とLGBT系のポリコレ同担させられがち。

そこに顔面系も加わったと。

anond:20220114134826

たとえば同性愛板みたいな当時から板内で独特のスラングを持っていたようなところで逝ってヨシとか書いたところで通じたのかって話だな

私の偶像は何処に

Vtuberリスナーはよくテンプレ批判に対してアイドルを引き合いに出して反論しているが、そもそもアイドルに金を貢ぐ行為からしてよく分からないのは自分だけだろうか。思うに、「バチャ豚」の蔑称を用いて批判を繰り返すような人間は私みたいにそういう人間心理理解できないのだろうと推測する。

まず、グッズをコレクションしたり、メンバーシップ恩恵を受けたりなど単なる体験ではなく「実物が手に残る」ということに対してお金を使う例。これは全く問題なく理解出来る。特にゲームなどでコレクター気質自分からするとグッズなんかを(実際に買い集めたことはないが)集めたくなる気持ちは実によく分かる。メンバーシップ限定動画配信なども繰り返し視聴可能という点で実物が手に残ると言って差し支えないだろう。問題は「実物が手に残らない体験」についてであるアーティストライブのように多額の費用を投じて行われる一大イベントならまだしも、基本的無料で視聴可能ゲーム雑談配信に対してであるのだから尚更である。もちろん全ての投げ銭煩悩支配されている訳ではなく、純粋に「応援したい」「感謝を伝えたい」といった心持ち投げ銭する人がいることは分かっている。その上で、本当に、理解が出来ない。

Vtuberというのは、デジタルのガワを被ったただの配信であるたかだか一人の異性との写真たかだか個人ゲームプレイ映像たかだか一人の異性との握手たかだか個人雑談たかだか一人の異性との二言程度の会話、たかだか個人から感謝言葉。これはただの個人の感想でしかないのだが、これらに金銭を使うぐらいならば美味い飯でも食った方が余程幸せなんじゃないのかと思ってしまう。金銭を虚空に消し去り手元に何も残らないことに虚無感は感じないのだろうか。私も出来心ソーシャルゲームに少額課金してみたことがある。最高レアキャラクターを入手し束の間の喜びを感じたものの、その快楽が過ぎ去った後に残るのは虚無感だけであった。恐らく私がスパチャを投げようもんなら恐ろしい程の虚無感に襲われ、たちまち泡を吹いて死に至る。

からないなりに考察すると、彼らは決して自分を裏切らないVtuberを、決して自分を裏切らないルックスを持つアイドルを、心の拠り所にしているのではないだろうか。これらに共通するのは強い信頼感である。身近な人間と比べても、自分の望まない行為や結果を起こす可能性はかなり小さい。

では、他人がそうしている間私は何を心の拠り所にしているかというと、何も無い。自分が何を欲しているのか、何をしたいのか、分からない。投げ銭を連投するリスナーカオナシとはよく言ったものだが、何を隠そう我々こそが真のカオナシだったという訳であるしかし、動いて喋る二次元キャラを見ても、優れたルックスであざとく振る舞う人間を見ても、何も心は動かない。それは心の拠り所にはならない。その結果が、「バチャ豚煽りなのだろう。理解できない人々の反対側に自らを置くことで、居場所を無理やりねじ込んでいる。彼らの出来上がる過程としては同性愛差別主義者などと同じで、理解できないことに対する根源的恐怖が彼らを狂わせているのである

今日も私は、心の置き場を失くしたまま、ふらふらと彷徨う。

私の偶像は何処に

Vtuberリスナーはよくテンプレ批判に対してアイドルを引き合いに出して反論しているが、そもそもアイドルに金を貢ぐ行為からしてよく分からないのは自分だけだろうか。思うに、「バチャ豚」の蔑称を用いて批判を繰り返すような人間は私みたいにそういう人間心理理解できないのだろうと推測する。

まず、グッズをコレクションしたり、メンバーシップ恩恵を受けたりなど単なる体験ではなく「実物が手に残る」ということに対してお金を使う例。これは全く問題なく理解出来る。特にゲームなどでコレクター気質自分からするとグッズなんかを(実際に買い集めたことはないが)集めたくなる気持ちは実によく分かる。メンバーシップ限定動画配信なども繰り返し視聴可能という点で実物が手に残ると言って差し支えないだろう。問題は「実物が手に残らない体験」についてであるアーティストライブのように多額の費用を投じて行われる一大イベントならまだしも、基本的無料で視聴可能ゲーム雑談配信に対してであるのだから尚更である。もちろん全ての投げ銭煩悩支配されている訳ではなく、純粋に「応援したい」「感謝を伝えたい」といった心持ち投げ銭する人がいることは分かっている。その上で、本当に、理解が出来ない。

Vtuberというのは、デジタルのガワを被ったただの配信であるたかだか一人の異性との写真たかだか個人ゲームプレイ映像たかだか一人の異性との握手たかだか個人雑談たかだか一人の異性との二言程度の会話、たかだか個人から感謝言葉。これはただの個人の感想でしかないのだが、これらに金銭を使うぐらいならば美味い飯でも食った方が余程幸せなんじゃないのかと思ってしまう。金銭を虚空に消し去り手元に何も残らないことに虚無感は感じないのだろうか。私も出来心ソーシャルゲームに少額課金してみたことがある。最高レアキャラクターを入手し束の間の喜びを感じたものの、その快楽が過ぎ去った後に残るのは虚無感だけであった。恐らく私がスパチャを投げようもんなら恐ろしい程の虚無感に襲われ、たちまち泡を吹いて死に至る。

からないなりに考察すると、彼らは決して自分を裏切らないVtuberを、決して自分を裏切らないルックスを持つアイドルを、心の拠り所にしているのではないだろうか。これらに共通するのは強い信頼感である。身近な人間と比べても、自分の望まない行為や結果を起こす可能性はかなり小さい。

では、他人がそうしている間私は何を心の拠り所にしているかというと、何も無い。自分が何を欲しているのか、何をしたいのか、分からない。投げ銭を連投するリスナーカオナシとはよく言ったものだが、何を隠そう我々こそが真のカオナシだったという訳であるしかし、動いて喋る二次元キャラを見ても、優れたルックスであざとく振る舞う人間を見ても、何も心は動かない。それは心の拠り所にはならない。その結果が、「バチャ豚煽りなのだろう。理解できない人々の反対側に自らを置くことで、居場所を無理やりねじ込んでいる。彼らの出来上がる過程としては同性愛差別主義者などと同じで、理解できないことに対する根源的恐怖が彼らを狂わせているのである

今日も私は、心の置き場を失くしたまま、ふらふらと彷徨う。

2022-01-13

anond:20220113085616

アイツもデヴだから男性同性愛者向け雑誌さぶ」の読者に訴えるおっぱいはあるだろうな

さぶ」は必ず、締め込み一丁の男の人のグラビアが巻頭にあったように記憶していますので、

そういう系統でしょう。

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