2022-01-14

私の偶像は何処に

Vtuberリスナーはよくテンプレ批判に対してアイドルを引き合いに出して反論しているが、そもそもアイドルに金を貢ぐ行為からしてよく分からないのは自分だけだろうか。思うに、「バチャ豚」の蔑称を用いて批判を繰り返すような人間は私みたいにそういう人間心理理解できないのだろうと推測する。

まず、グッズをコレクションしたり、メンバーシップ恩恵を受けたりなど単なる体験ではなく「実物が手に残る」ということに対してお金を使う例。これは全く問題なく理解出来る。特にゲームなどでコレクター気質自分からするとグッズなんかを(実際に買い集めたことはないが)集めたくなる気持ちは実によく分かる。メンバーシップ限定動画配信なども繰り返し視聴可能という点で実物が手に残ると言って差し支えないだろう。問題は「実物が手に残らない体験」についてであるアーティストライブのように多額の費用を投じて行われる一大イベントならまだしも、基本的無料で視聴可能ゲーム雑談配信に対してであるのだから尚更である。もちろん全ての投げ銭煩悩支配されている訳ではなく、純粋に「応援したい」「感謝を伝えたい」といった心持ち投げ銭する人がいることは分かっている。その上で、本当に、理解が出来ない。

Vtuberというのは、デジタルのガワを被ったただの配信であるたかだか一人の異性との写真たかだか個人ゲームプレイ映像たかだか一人の異性との握手たかだか個人雑談たかだか一人の異性との二言程度の会話、たかだか個人から感謝言葉。これはただの個人の感想でしかないのだが、これらに金銭を使うぐらいならば美味い飯でも食った方が余程幸せなんじゃないのかと思ってしまう。金銭を虚空に消し去り手元に何も残らないことに虚無感は感じないのだろうか。私も出来心ソーシャルゲームに少額課金してみたことがある。最高レアキャラクターを入手し束の間の喜びを感じたものの、その快楽が過ぎ去った後に残るのは虚無感だけであった。恐らく私がスパチャを投げようもんなら恐ろしい程の虚無感に襲われ、たちまち泡を吹いて死に至る。

からないなりに考察すると、彼らは決して自分を裏切らないVtuberを、決して自分を裏切らないルックスを持つアイドルを、心の拠り所にしているのではないだろうか。これらに共通するのは強い信頼感である。身近な人間と比べても、自分の望まない行為や結果を起こす可能性はかなり小さい。

では、他人がそうしている間私は何を心の拠り所にしているかというと、何も無い。自分が何を欲しているのか、何をしたいのか、分からない。投げ銭を連投するリスナーカオナシとはよく言ったものだが、何を隠そう我々こそが真のカオナシだったという訳であるしかし、動いて喋る二次元キャラを見ても、優れたルックスであざとく振る舞う人間を見ても、何も心は動かない。それは心の拠り所にはならない。その結果が、「バチャ豚煽りなのだろう。理解できない人々の反対側に自らを置くことで、居場所を無理やりねじ込んでいる。彼らの出来上がる過程としては同性愛差別主義者などと同じで、理解できないことに対する根源的恐怖が彼らを狂わせているのである

今日も私は、心の置き場を失くしたまま、ふらふらと彷徨う。

  • スポーツ観戦とかも無駄に思うタイプ?

  • 投げ銭文化ってそもそもVtuber発端じゃなくて17ライバーとか実写系のが先だからな 投げ銭投げる動機ってのは「場」を盛り上げたいって気持ちよ ホストでシャンパンタワー建てたり、ク...

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