はてなキーワード: 台車とは
そこで歳の近いメンバー男女4人と仲良くなった。全員、20代半ばだ。最近ちょくちょく遊びに行っているが、私以外、みんな育ちが良くてアタマが良い。
会社もすごい。有名乗り物メーカー、大手の通信会社、インフラ、製薬……私でも聞いたことのある会社で働いている。
実家は都市部の住宅街に、一戸建てが当たり前。仕事とレジャー用で、最低2台車がある。冷蔵庫にはビールやウイスキーがある。
家族で海外旅行に行ったことがあるし、歌舞伎や文楽、オーケストラ、宝塚に連れて行って貰っている。塾代も大学費もみんな出して貰ったようだ。
絵を見たり音楽を聞くと、自分の言葉で感想が言える。知識もスラスラ出てくる。(この時代はこういう絵が流行った、とか)古い本や映画もよく知っている。ご飯もお酒も詳しい。特産品とか知らなかったし、磨きとか、シングルモルトといった言葉も、彼らから教えて貰った。
買い物に行くと、お洒落で質の良い物を選んでいるようだ。私は分からないけど、周りが言うには良い物らしい。
それに、誰も「クソめんどい」とか「はぁ?」とか、言わない。悪口を言わない。
私は、名前を書けば誰でも入れる短大を出て、従業員数10名にも満たない運送屋で事務員をしている。手取りは13万弱。これでも昇給した方だが、奨学金の返還がある。
郊外の古い公団住宅に、ビッグダディみたいな見た目の父(土木作業員・パチンカス)、ヨレヨレに老けたギャルみたいな母と同居している。
親戚も地元の友達も皆3K仕事をしてて、はっきり言ってDQN臭がすごい。短大卒業して事務やってるだけでスゲーと言われるレベル。
親戚と歩いていると恥ずかしい気持ちになる。私もDQNに見えてるのかもしれない。
うちに車はない。会社の白ワゴンか、ユニックしか乗ったことがない。お酒は発泡酒かチューハイ。たまの旅行は海水浴かディズニー。日本から出たこともない。絵も音楽もよく知らない。文学小説も読んだことない。文楽なんて話題にすらなったことがない。
集合写真を見ると、私だけ異様に子どもっぽい。若いんじゃなくて、幼い。
殆ど歳は違わないのに、どうしてこんなに差があるんだろう。
生まれ育った家庭のせいにしたい。でもどんな家に生まれ育っても、頑張る人は良い大学へ行くし、良い会社に入る。教養だって自分で身につけられる。
私が遊んでる間に彼らは頑張っていただけの話。
そう思い知る度に、自分の程度の低さが沁みてきて暗澹とした気持ちになる。
誰も私を馬鹿にしない。私だけが知らなかったり追いつけない話題になると、さりげなくどういう話をしてるか教えてくれる。
私のことを「面白い人」と言ってくれる。
みんな優しい。それが余計に、辛い。
近くのかっぱ寿司が回転してないフルオーダー制かっぱ寿司になってた。
地下でベルトコンベアの動力をやらされてたはずの子カッパたちの行方はいずこ。
タブレット端末から注文すると上中下3レーンの台車に載せられた寿司が届く仕組みだったけど、
もう回してる分がほぼ丸々ロスになるぐらいみんなオーダーばっかり使ってたってことなのだろうか。
注文分が来るまで、回ってる寿司を(乾いてるとか思いつつも)適当に取って間をつないだりすることができないのと、
ひっきりなしに台車が横を通過していくのでなんか落ち着かないのと、上の方のレーンで届くと頻繁に立たないといけないのが若干面倒だった。
届いた寿司を取ってからタブレットの画面に出てくるボタンを押して台車を返す仕組みだったけど、
メニューを見てる時に割り込みで急に出てくるので、反射的に光っているボタンを押してしまって寿司をとれずに誤返送してしまったり。
別に108円均一でもないし回転もしなくなったあの業態は何寿司と呼ばれるんだろうか。
なんとなく一定数の家庭では「回転寿司」と呼び続けられて、子供から
「回転寿司って言うけど何も回ってないよね?」と聞かれて、
「昔はお寿司が回ってたんだよ」って教えるみたいな、
電話でいう「ダイヤルを回す」のようなやり取りがされるようになったりするんだろうか。
うーん、でも、あの使い勝手でいくと、
「辞めさせる」というのは、ちょっと大袈裟かもしれません。ただ、本当に、仕事をしない後輩に苦労しているので、この扱いをご存知の方にアドバイスして欲しいという気持ちです。法的なことも含め、現実的なことを。そして私の愚痴が少し混ざることにも、お許し頂きたい…
後輩というのは、今年30歳になった入社8年目の女性です。東京の有名私大卒です。会社はIT系制作がメインの業務ですが、Webキャンペーンを受注すると、キャンペーン事務局の代行もします。
彼女は最初、HTMLで画面制作する部署に配属されました。しかし7月から3ヶ月、病欠しました。病名は「うつ」。一旦復帰しましたが、2年目と3年目の二年間を、やはりうつ病で休職しています。
休職を明けて4年目からは、彼女の希望で品質管理セクションに異動となりました。現在も品質管理に在籍しています。
病気を抱えて働く人を「辞めさせたい」というのは、人道的にも法的にも、あり得ないとは思います。だから会社も、彼女の上司たちも、彼女に「仕事して欲しい」と言えずにいます。もちろん、私も。
彼女が私に話したところによると、うつ病を発症したのは中学生のとき。医学部を目指した中三の夏、伸びない成績に悩んで「壊れた」のだそうです。受験に失敗し、隣の県の私立に通ったそうです。県下一の公立進学校に進んだ兄に劣等感を抱いたそうです。
大学受験にも失敗しました。行きたい有名女子大への学校推薦が取れませんでした。あまり行きたくなかった大学へ、推薦入学しました。ただ私からすれば、その大学も充分に有名で歴史も深く、卑下するようなことではありません。有名女子大とのブランド力に、大差があるとは思えません。
大学3年のとき、薬を大量服用しました。いわゆる自殺未遂です。薄れていく意識で、自分で救急車を呼んだそうです。このときに飲んだ薬が、どんなものかまでは話しませんでした。処置と入院費用で30万円したとのことですが、このとき本当に命の危機にあったのかどうかは、彼女の話からはわかりません。
田舎から母親が上京し、自殺未遂するまで放置した大学教授に抗議したそうです。関連があるかはわかりませんが、彼女はスレスレの成績で、どうにか大学を卒業したそうです。大学4年のときは精神科に通院しながら、就職活動もしていたわけです。
私がこの品質管理セクションに異動してきたのは一年弱前です。当初は彼女のことを「愚痴っぽいし話が長い人だなあ」としか思っていませんでした。彼女の愚痴に付き合わされてる私に、同僚たちは冷ややかでした。あとでわかったのですが、彼女は既に、みんなに自殺未遂した過去を話し、病気を口実に仕事をせず、同僚たちを困らせていました。同僚たちは彼女と関わることを避けていました。「めんどくさい」という理由ではありません。彼女に仕事を任せると、納期まで手を付けず、納期が近付くと病気を理由に休みがちになり、納期当日には出社したためしがなく、同僚が慌てて代行しようとしても間に合わないのだそうです。みんな何かしら、彼女に「痛い目」に遭わされていました。それくらいなら自分で仕事した方が良い、そういうことです。別に全員で無視などの、イジメのようなことはしていません。出勤すれば挨拶もするし。挨拶を返さないのは彼女の方です。
休職明け当時の上長だった人によると、彼女は通院中であることを会社に申告していませんでした。仮に申告していたとしても、それを理由に採用しないというのは法律違反ですよね?
復帰したあとも、彼女は会社で薬を大量服用し倒れたことがあるそうです。命に別状なかったようで、フロアの隅で休ませたそうです。会社に医務室はありますが、運ぶには人目の多いところを台車に載せて通らなければなりません。それは忍びない、という判断でした。彼女が立てるようになると、上司が付いて、通院している病院までタクシーで連れて行ったそうです。彼女はそのときのことを、「タクシーで行くくらいなら最初から救急車を呼んで欲しかった」と言っています。しかし、同僚として言いたいのは、初めから会社で自殺を試みる彼女に問題はなかったのでしょうか?
彼女は東京を引き払い、田舎の病院にかかっていました。どういう経緯かはわかりませんが、田舎の男性と結婚しました。結婚生活は幸せではなかったそうです。相手の男性からは、家事をしないことなど責められたと言います。
休職中は、組合から傷病手当金が出ます。当時は、基本給と同額が支給されていました。働いても働かなくても、収入があったのです。満了の2年終了間際に、医師から会社復帰しても良いと診断されました。そのとき、結婚相手の収入より、彼女の傷病手当金の方が多かったそうで、彼女は復帰を決意しました。この時のことを彼女は「結婚したら養ってもらえると思ったのに、旦那の収入より私の収入が多かった、見当違い。この人と居ても楽な生活はできないと思った。私は誰かに依存していきていきたいんです」と言っています。「愛がなくても結婚できます」とも。
会社復帰するまでの3ヶ月の試用期間、彼女はウィークリーマンションを借りました。結婚相手に、この住所は教えていませんでしたし、電話にも出なかったと言います。正式復帰してからは会社から徒歩3分のところにマンションを借りました。結婚相手にも、会社にも、この住所は教えていませんでした。会社は休職前の住所に住んでるものと思い、交通費を支給しました。
連絡がつけられない結婚相手は、上京して会社の前で彼女を待ち伏せました。最後の手段だったとも言えます。それを彼女は「ストーカーまでする人とは、結婚は続けられない」と言います。暴力を振るわれていたのかと聞いたら、それはなかったとのこと。
近くのファミレスで話し合い、離婚することになりました。田舎の住居を引き払いたい彼からは、荷物を取りに来るよう再三催促があったそうですが、彼女は応じず、ついに借家契約の最終日が彼から通達され、ようやく母親と行ったそうです。部屋には彼女の衣服などがダンボール2箱に詰められてたほかは、何もなかったそうです。この時のことを彼女はこう言います「勝手に人の服を触るなんて気持ち悪い。家電類はうちの親が費用を出したのに全部運び出されていた。持っていくなんてセコい男だと思う」。私は、彼こそが常識人で、彼女の方が気持ち悪いと感じます。
離婚が成立したのは、どうやら彼女が会社復帰してから3年後、2年前のことです。なぜそう言えるかというと、彼女はどうやら東京に戻ってすぐ、頼れる男性を見付けたようだからです。彼女曰く、現在の彼です。今の彼女の悩みは、自分が離婚したのに、彼からプロポーズが無いことです。自分から聞いてみないのかと聞いたら、「彼は私が結婚していることを知っているのに、3年も我慢してくれた。だから私も、彼に3年の猶予をあげたい」と答えました。「猶予をあげる」は、本当に彼女が使った言葉です。私は本当にその相手の男性が世間でいう「彼」なのかを疑いました。彼女は「浮気ができるタイプではない」と言いますが、会うのはいつも彼のマンションで、彼女の部屋には一度も来たことが無いそうです。友達と一緒に会うこともないし、彼女に食事を驕ることもないそうです。それと…会社をすぐに休む彼女は、給料で生活するのはギリギリで、生活費を彼に借りるのだそうです、月に2〜3万円。二人がどういう関係なのか、本当にわかりません。プロポーズを待っていて良い相手には思えないのは私だけでしょうか?
会社に復帰してから5年になる彼女ですが、タイトルの通り、仕事をしません。5月に有給休暇が年間20日間支給されましたが、彼女はこの11月現在、使い切っているようです。有給休暇だけでなく、朝は眩暈がすると遅刻してきたり、午後4時くらいには気分が優れないとか顎関節症が痛むとかで、早退してしまい、会社には半分ちょっとしか居ません。大切な仕事が任せられる状態ではないけれど、干すわけにもいかず、会議の議事録を取らせたり書類のファイリングを担当させたりしますが、議事録は録音したテープから会話をまるごと起こしてあり、意味不明です。会話というのは主語がなかったり、述語もどんどん展開していくものです。会議の決定事項は必ずしも言葉で発せられるとは限らず、「じゃあ、そういうことで」ですむこともあります。だからこそ議事録は必要なのに、彼女の議事録は会話のままですから決定事項が書いてありません。
上司は私たちにこっそり言います、「彼女に重要な会議は任せられないから、議事録の担当は残りのメンバーで回す」。
彼女が仕事をしないのを、そうやって他のメンバーが埋めます。それはそれで、リスク対処で、不満を言う社員がいるはずもありません。
困るのは、彼女が足を引っ張ることです。
最近の例です。ISOの継続審査を控え、文章類が最新状態になっているか確認しました。全て整っており、取得部門でも教育が終了していました。そこへ彼女が、とある本部が内部監査の結果を放置してあり、社長印の必要な重要文書を改定しなければならない、と言い始めました。うちの部署は慌てて、全部門に文書の変更があることを報せ、必要に応じて教育する時間を確保することを指示しました。しかし、審査の二週間前になっても、彼女から変更した旨の連絡がありません。確認すると、対象部門と話もしていませんし、スケジュールも立てていませんでした。仕方なく私が代わりに内容を聞きに行くと、なんと、その内容は一ヶ月前にもう改定が済んでいました。それは上司含め、全員がメーリングリストを使って確認済みです。全部門に改定お知らせしたのは無駄だったということです。しかもその段で発覚したのは、改定が必要なのは、彼女が言っていたのとは違う文書であったことです。彼女の勘違い、確認ミスでした。彼女に原文を出してもらおうとしたところ、例の如く、午前は休むとのこと。午前に休むと、午後になって午後休の連絡がくるのが彼女の常です。翌週は社長が海外出張に出てしまうこともあり、急を要しました。他のメンバーで文書を修正し、なんとか社長印をもらうことができ、それから全部門に改定お知らせと教育指示を出しました。審査直前の文書変更に、約300人の社員が翻弄されました。
自分が管理する文書が午前中に改定されたことを、昼休みすぎて出社して知った彼女は、夕方には「やはり具合が悪い」と早退しました。
顎関節症。発症は小学校のとき。来客の直前に痛みだし、会議室でうずくまるほどです。1時間ほどで治まるので会議室に留まります。周囲からは寝ているように見えます。通院はしておらず、一年以上前(彼女の話から判断すると、学生時代)に作ったマウスピースをはめています。マウスピースが痛くて頭痛がして欠勤することがあります。マウスピースを作り変えないのかと聞くと、6000円が惜しいので直さないとのこと。
腹痛。ストレスで空腹を感じ、一日に4食も摂ってしまうほど。そのため胃が荒れてしまった、医者には「食べ過ぎ」と言われたとのこと。この腹痛のせいで早退もするし、自席でもよく伏せています。
血尿。彼女曰く「トイレが真っ赤に染まる」。医者に行ったところ、場合によっては腎臓を傷めることもあり、背中が痛くなったら要注意と言われたとか。その医者からは30分で帰って来ました。その後、通院はしていません。
他にも、朝から大病院に行き、30分待ったので疲れてしまった、という理由で早退することがあります。わりと多い早退理由です。
彼女が普通より病弱であるのは確かであり、仮病だとは言いません。
しかし、それだけ病気で、仕事はほとんど出来ず、任せても欠勤するため周囲のサポートが必須という状況になっているのに、なぜ彼女は病気を治すことに専念しないのでしょうか? 会社は「また病欠して、ゆっくりしてみたら?」と言えません。パワハラとか、そういうことになるでしょう。
彼女の精神科の主治医に「会社では戦力外ですよ、それがストレスみたいですよ」と訴えることもできないでしょう。イジメか法律違反かでしょう。
彼女とは関わりたくないと思っても、挨拶はしなきゃいけないし、会議での発言を無視してもいけないでしょう。彼女が「出来ない」と言えば教えてあげなければならないでしょう。
今でも彼女は、薬を大量に飲んでは、みんなを困らせます。この自殺未遂もどきがやめられるくらいには、元気になってから会社に来るべきではないでしょうか?彼女のめんどうをみるのが私たちの業務の一つになっているのは、健全な企業活動と思えません。
道を歩いている時に、急に振り返る人がいて後ろの人とぶつかりそうになることがある人を見かける。
正しくは、急に振り返らず、柱や壁のそばなどに移動しながら後ろを確認して立ち止まる。
その他交差点や、十字路で左右からくる人を確認して、車いすだったり台車だったりが来ていた場合は道を譲る。
などなど、ただ歩くだけでも、実は周囲をよく観察して、周囲の人の移動先を予想して、その導線を切らないように自分が移動していく。
という細やかな気遣いが必要だが、実際にやっている人は少なく。
急に立ち止まって後ろの人とぶつかりそうになる人は結構いるし、台車や他の人の目の前を横切ってしまう人も沢山いる。
言い始めたらキリがない。そんなことを考えているより、公共の場所ではそういうこともあるよねと、忍耐力を身につけることが必要だと思う。
そういうことが気になるなら、高級ホテルの付属プールや高級フィットネスの付属プール、高級レストランに行けと。
ファミレスにファミリーが来るのは当たり前ぐらいな感じじゃねーかな。
俺のどうでもいい回顧録なので、特に読んで役に立つ文章でもないし、
何も得るものはない。予めご了承ください。
笑い飛ばすのがいいかと。
ポテトだとか唐揚げだとかカレーだとかそういう感じのものを運ぶものだ。
当時、俺は大好きな野球で、しかも小学生の時大ファンだった球団の本拠地の球場で、
更に、男子校出身で自分が最も期待していたのは……「女性」であった。ちなみに自分は童貞だった。(当時)
バイト先で出会った同い年ぐらいの女性と、付き合う…そういうことを期待していた。
いざ、バイト初日。社員のおばさんに連れられて持ち場に行くと……。
あれ、男しかいない。あれ?女の子は?俺の青春バイトライフは?
タイムカードを確認すると、全員男だった。
ここで自分は少しやる気が落ちた。
だが、ここでバイトを続けていればそのうち女性も来るだろう。その時に、自分が教える立場になっていれば……。
男だらけでむさ苦しい持ち場と対称的に、ビールの売り子の女の子の背中のビールサーバを充填したり、
汗を拭いてあげたりしてキャッキャウフフしている人たちに理不尽な憎悪を向けながらそれを誓った。
ただ、当時の俺はコミュ障そのものであり、高校時代はかなり酷いいじめを受けてきて殆ど誰とも会話してこなかったため、
他人と接する方法……自分がそれを参考にしたのが「ARIA」だった。
ARIAとはなにか、知らない人に大雑把に説明すると、ヴェネツィアを模した未来の火星で、ゴンドリエーレになるために頑張る女の子の話である。
このARIAは口にだすのも恥ずかしいぐらいのファンタジーで、
主人公の女の子はもう誰かれ構わず話しかけてお友達になろうとするぐらいお花畑な人間であった。
でもとてもいいアニメだった。ARIAに影響されて大学卒業前に当時の彼女とイタリア旅行したぐらいである。
高校時代俺はそれにはまっていて、はまっていくうちに俺の頭のなかもお花畑になっていた。
これらが合わさって起こることは悪夢以外に何があろうか。
「こんにちは!お疲れ様です!元気ですか?」と挨拶するようになった。
正直言うと気持ち悪い。
「別にそんな頻繁に挨拶しないでいいよw」と言っていたが、ARIA脳の俺は
「いやーでも、いろんな人に挨拶したほうがいろんな人と仲良くなれるし、
そうしたら少しだけこの地球(ほし)の人たちがだんだん幸せになるじゃないですか」
この時、先輩の顔がひきつっていたが、当時俺はそんなことを知るよしもなかった。あらあら。
そういうことを繰り返してきたバイト3日目。
その先輩が裏で俺にこう言った。
「え」
「正直そういう馴れ馴れしい態度やめたほうがいいよ」
「……はい」
初めてのバイトは3日で終わった。
母親には
「バイト先にものすごい意地の悪い人がいたからやめることにした」と言った。
親切に案内してくれていた社員のおばさんには
「僕が『トイレとか聞かれたら適当に案内するよりこうしたほうがいいんじゃないですか』とか色々考えを話したら、
●●さんが、ものすごい酷いことを僕に言ってきた。耐えられない」と言って辞めた。
今思うと俺はものすごく頭おかしいと思う。なるほど、こういう奴が2chで晒されるのか。
その次のバイト。
しかしここでも俺はかなり色々やらかすことになる。
5月31日に鉄分の濃い有志11人で「大人の遠足」に出かけました。
写真ありきの記述になっているので、時折意味不明なのはご容赦を。
東京メトロの葛西駅集合ということで地下鉄東西線で行ったのですが、ほとんどの電車は水色のラインの電車なのに、偶然にも東葉高額、もとい高速鉄道の電車が。一般の人にはJR中央線に見えるのではないかと。
今日は5月31日。明日6月1日から都営地下鉄が消費税転嫁のため値上げとなります。4月に一斉に足並みを揃えられなかったので、東京メトロはじめ通しのきっぷ(連絡きっぷ)を販売する各社は二度手間を強いられました。
東京メトロの案内ポスター。下の方には各駅間の運賃が掲載されていますがポスターとは思えないフォントサイズ。視力5.0くらいなら読めるかも……
首尾よく集合して、まずは東京メトロが運営する地下鉄博物館へ。
入場券210円。少し前に来た時は自動販売機はPASMO非対応だったと思います。しかしこの自販機、使いづらかった。
スマホ(モバイルSuica)をタッチして、紙の切符を購入。その先には自動改札機が……やっていない。そしてさらに先には有人改札。なんだかよくわからないですが、切符を切ってもらうのはいいものです。
チョキン。
入るとまず出迎えてくれるのが、丸ノ内線の赤い電車です。側面には∞∞∞のような模様(正弦波:サインカーブ)がありますが、塗装ではなくステンレスなのです。ドアが開くところもちゃんと。
普通の電車は電気を天井上の架線から取りますが、丸ノ内線などはレールの横にあるもう一本のレール(第三軌条:サードレール)から電気を取ります。SがShoe(シュー:集電靴)、FはFuse(ヒューズ)だったかな?そして電線の部分以外は「木」!確かにここが金属だったら車内で感電しちゃいますね。こういうマニアックな部分が「大人の遠足」ならではです。
銀座線の集電靴。これは「木」とハッキリわかります。
銀座線の車内。電気が流れている第三軌条の切れ目では、昔車内が暗くなっていて、その時にこのランプが点いたそうです。
・ラインカラーがありません。
・溜池山王駅がありません。
丸ノ内線の車内。運転士側は箱に入っていますが、車掌側は開放的ですね。
日本で一番古い銀座線。開業時から「打子式ATS」という、赤信号を超えた時の緊急停止装置がありました。丸ノ内線では98年まで現役でした。
レールにくっついた白い打子が車体の弁のレバーに当たり、ブレーキ管の空気が吐き出されて非常ブレーキがかかります。
これはなんのためのものかよくわかりませんでした
副都心線開業時の記念PASMO。開業直後は毎日「!」でしたね。
メトロ3本目の日比谷線の開業パンフレット。丸ノ内線の新宿から先は「荻窪線」と言っていました。450億円というのは今のどれくらいにあたるのでしょうね。
東横線との直通は終わってしまいました。
お金を入れると通れる改札口です。実際に試せます(お金は戻ってきます)。
リコ式のつり革。RICO社なんですね。頭を打つと痛いです。
日本人が「たん」をはかなくなって随分たちます。「たばこ」ものめなくなりました。まどは開かないので「かほ」や「て」も出せません。
春場所の案内。当時は11日間だったのでしょうか。
マネキンに何か貼ってあります。固定資産使用シールです。そこに貼らなくても……同行者はべつの場所で、遺跡からの出土品に貼ってあるのを見たことがあると言っていました。
中央線の旧万世橋駅はリニューアルオープンしましたが、銀座線に「万世橋」があったのは知りませんでした。「時代の最尖端を行く雷門直営食堂」とはどのようなものだったのでしょう。
13号線(現副都心線)の工事中のポスター。新宿七丁目、新千駄ヶ谷という仮称でした。
輸送指令室のシミュレーションコーナー。駅でのトラブルにどう対応するか。正解は写真の後に。
正解は「ドアを開けたのち……」でした。お客様第一ではありますが、ダイヤも守らなければいけません。
こういうのを見ると、もともとなんと書いてあったのか「き」になります。
東京メトロでの車内冷房導入は極めて遅く、銀座線、丸ノ内線はスペース的な問題もあって、92年にようやく冷房車両が登場しました。長年、トンネル内の温度上昇を抑えるために、トンネルを冷房して、窓を開けるという形をとっていましたが、その点の展示は見つかりませんでした。
以前の案内表記。「国鉄線」というのが懐かしいです。
銀座線のルーツは、浅草~新橋の東京地下鉄道と、渋谷~新橋の東京高速鉄道です。こちらは東急の総帥、強盗、もとい五島慶太氏が率いる鉄道でした。地下鉄の父、早川徳次氏は経営権を奪われてしまいますが、営団、東京メトロはやはり早川氏や東京地下鉄道を誇りに感じているようです。しかし、百貨店と一体になった渋谷駅は、東京高速鉄道ならではのものではないでしょうか。電車は「三越前」まで直通してしまうのですが。
図書室に立ち寄ります。営団地下鉄の建設史は「東京地下鉄道○○線建設史」のような題名がついていました。年代が下るにつれて、東京の地下は複雑になり、半蔵門線大手町界隈の工事では各所と協定を結んだようです。
営団地下鉄は電車のスタイルや制服などでなかなかの洒落っ気があったのですが、一風変わった「マナーポスター」も有名です。図書室にはマナーポスターをまとめた本もあるので、是非ご一読を。先ほどの空調に関しては「窓を開けよう」というポスターが何度も作られているのがわかりました。
こちらで少し紹介されています。
http://jipangnet.blog.fc2.com/blog-entry-101.html
車体が動く本格的なシミュレーターもあります。写真撮影は自由だがビデオ撮影ご法度というのは、やはり警備対策なのでしょうか。
この「出口」は旧デザインですね。
さて、葛西駅から西葛西駅に移動します。またもや東葉車でした。通過待ちに一枚。
都バス「亀29」系統で亀戸までやってきました。駅は正面の白いのではなく右の茶色いビルでした(笑)。
東武亀戸線。東急世田谷線のようにメディアで取り上げられることも少ない、知る人ぞ知るローカル線です。駅番号は「TS44」東京、もといスカイツリーラインの支線扱いです。
次の目的地はここ。
8000系の電車が短い2両編成でやってきます。おでこに車体番号を書くのが東武流。
もちろん先頭に陣取ります(周囲の乗客の方、すみません)。
途中駅の「東あずま」。他の地名は無かったものか、と思うのは私だけでしょうか。まぁ、日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅よりはマシかもしれません。
「津覇車輌」東武にあまり馴染みがない私には、初めて見る銘版でした。
4駅目で終点の曳舟です。たった3.4キロしか走っていません。ここで乗り換えます。
福島県は会津田島駅まで向かう区間快速が通ります。このように、私鉄としては旅情を感じさせる列車が多いのも東武ならではです。
東向島(旧玉ノ井)駅です。この後昔の地図を見て、銘酒屋という言葉が出てくるのですが、そういう意味だったんですね。隣の駅の「鐘ヶ淵」は、For Beautiful Human Lifeのカネボウ、鐘淵紡績のルーツだそうです。
ドイツ有数の観光地、ローテンブルクの背後にそびえる東京スカイツリー(R)。
なんと、ここでは東武博物館名誉館長の花上嘉成氏から、説明を伺うことができました。写真はSL B1形です。
デハ1形5号電車。この斜めの支え棒?も見どころの一つだったそうなのですが、よく聞き取れず、すみません。
窓のブラインドは鎧戸。
上の小窓も開きます。
扉は手動。ゴロゴロと重々しく開閉します。
正面は五枚窓。側面には「草淺←→井新西」の案内がありました。
アルナ工機に保存されていた5700系5703号(前面部)です。搬出、搬入には相当苦労したようです。
戦後まもない1951年(昭和26年)の日光・鬼怒川向け特急、5700形5701号(ネコひげ)。後のデラックスロマンスカー(DRC)の先輩です。前頭部は搬入後に改めて当時の姿に戻したようです。
車内の様子。シートは前後に方向転換できます。あまりの人気に「補助席」も用意されました。デッキには売店も。昭和26年ですよ?
となりの小学校では運動会。土曜日に開催するんですね。実は中庭展示の車両は、小学校の校庭から搬入されたそうです。車両は重く、校庭を傷めてしまうため、校庭の改良工事があるわずかな期間で搬入しなければならなかったそうです。保存への熱意に頭が下がりました。
ロープウェイのゴンドラは生憎見られませんでしたが、搬入の様子が。
東武博物館は動かない車両の展示(静態保存)だけではなく、東武鉄道から車両を買い取って、動く状態での保存(動態保存)も行っています。この列車は貸し切りもできるそうです。6両編成の堂々たる電車の貸し切り!
参考:http://tusrail.seesaa.net/article/394766310.html
東武といえばDRC(デラックスロマンスカー)。カットされていますが、車内に入ることもできます。シート間の間隔が広いことにビックリ。新幹線に初めて乗った時に車両間のドアが自動だったことに驚いた人もいたでしょうが、実はこの自動ドアはDRCが日本初で、この車には「自動扉 AUTOMATIC DOOR」と書いてありましたが、宣伝文句は「○○○○ドア」だったそうです。
その後、博物館の奥の「ウォッチングプロムナード」。観察の小道とは?と思いながら階段を登って行くと、天井の低い、殺風景な、廊下とも部屋ともつかない場所へ。しかし右をみるとそこには窓が!
軽症「あ、スペーシアが通ったヽ(^。^)ノワーイ」
「いやぁわれわれ脚フェチにとっては実にたまらない場所ですなぁ」
模型のパノラマもありましたが、やっぱり東京スカイツリー(R)が……
東向島駅に戻り、東武浅草駅へ。後ろ2両のドアはホームがあるのに開きません。ホーム先端まで行くのは狭すぎるためです。
鉄道グッズをかけたクイズ大会が開かれましたが、難問ぞろいで、13問のクイズの1位は8問正解の方。
■オーソドックスな難問
■ひっかけ問題
「大手民鉄16社中、関東で一番営業キロが長いのは……」「東武!」「……ですが、では2位はどこでしょう?」
「西武」
「京成」
「正解は、東京メトロでした!」
東京メトロが大手民鉄というのを皆、見落としていたのですが、よくよく考えると営団時代から民鉄協に加盟していたわけで、酒が入っていたとはいえまだまだですね……
■マニアック問題
「日本で初めて貫通路に自動ドアを装備した東武DRC。その自動ドアの名称は?」
「マジックドア」
■無茶ぶり問題
「(私が利用する)井の頭線渋谷駅のアベニュー口の営業開始時間は?」
「……アベニュー口ってどこ?」
他にも、参加者の方の最近の武勇伝や懐かしい話を肴に、楽しい時間を過ごしました。
おつかれさまでした。
携帯ショップが多すぎる。量販店の近くにもショップがあって、大きなスーパーとか地下鉄の駅の周辺にもある。田舎のロードサイドにも結構ある。
これほど沢山ショップが必要なほど客が入っているのだろうか? 疑問だ。一時期の車ディーラーと同じだ。ディーラーも減ってきたがまだ多いかもと思う時がある。2月~3月に一斉に車検を迎える車が多い(この時期が買い換え時期と重なり、結果的に1ユーザーが何台車を買い換えても人気車受注車を除き車検時期はさして変わらない為)のだが、車検時期を散らせばディーラーを減らすことも可能だと考える。コンビニも多い。同じ系列の店が写真1枚に収まる所にあるというのを見たが何故あんな事が起きるのだろうと思う。また、建ってはつぶれ、つぶれては建つのもコンビニの特徴の一つだ。
携帯だが、以前は年に2回のモデル投入が年4回になった。これも携帯ショップが増えた理由の一つだと思う。年に4回も必要だろうか? 年に1度でいいと思う。
そしてキャリアは携帯を買い求める消費者に「サービスの正当な対価とは何か」というのを上手に伝える努力をしなくてはならないだろう。ショップになすりつけてきた事を悔い改めねばならない。
問題は雇用だ。携帯ショップを減らせばそれだけ求職者が増える。人手を求めている企業は存在しているが、求職者と求人者のマッチングは難しい。人は万能ではない。できれば自分が経験してきた職種で食べていきたいというのが本音だろうし、転職に伴う転居も避けたいだろう。
これは先を見ることができなかったキャリアにツケを回せば良いのか。それとも、携帯ショップという泥船を選んでしまった労働者が負わねばならないことなのか、または、「他人よりも少しでも新しいものを、めずらしいものを持ちたい」と消費者が追い求めた結果なのか。社会全体が堕落してしまったせいなのか。資本主義を選んだ瞬間、その国家または共同体が抱え込まなくてはならない業なのか。
繁華街を歩く度思う。こんなに店が必要なのか。こんなに狭い場所に人がひしめき合って良いのだろうか。一億総中流という時代は終わった。格差は広まり、中流や平凡というものが憧れになってしまった。何故こうなってしまったのだろうと。
そして「努力しても認められない、正当な評価(賃金)をもらえない」と悲しむ人が多い。手持ちの金が無い事も含めた将来に対する不安も多い。それなのに消費し続ける。まるで、悲しみを消費活動で癒やすように。ネットに書き込むことも一つの消費だ。書き込む労力、電気、ハードetc使っている。消費やこういう書き込みをすることで悲しみを一時的に忘れることが出来るだろう。しかし根本的な解決に結びつくだろうか。ではどうすれば良いのだろう。一億総政治家だろうか。一億総経済評論家だろうか。一億総プロ市民だろうか。何だろう。自分にも分からぬ。分からぬが書かずにはおれなかったので書いてみた。
書かないと疲れたこととかも全部忘れてしまう気がしたので書いておく。
C82で西の方でスタッフやって体験した日本なんとかの搬入の件をつらつら。
わかる人にはむっちゃ身バレしちゃうけど、わかった人は苦笑してスルーして下さい。
>設営日のこと
いつものように色々設営。夕方になったのに某社の搬入が終わってない。
そして搬入終了時刻になっても搬入が終わらない。中途半端な状態でとりあえず作業終了、スタッフと会場関係者以外を館内から排除。
「大丈夫なのかこれ」
「スタッフと会場関係者以外って入り口が開いてからしか入れないよ」
「降ろしつつ仕分けつつ受付作業を…」
「無ww理wwwwww」
「まさか降ろしてある分がブロック別じゃなかったりして」
「いやいやまさかそんなハハハ」
「ハハハまさかハハ…ハ…………分けられてねえええええええ」
「なにいいいいいいいいいいいい」
「なんか他のホールも同じ状況らしい」
「やばい、積んでるし詰んでる」
というわけでどうするか責任者さんたちが話し合い。仕分け作業をスタッフがするという方向で話が進みだし、体力温存のため涼しいところで待機するように言われる。
どうすんのあれwwwwと半笑いしていたスタッフの元に「仕事と移動あるから設営行けないみんなよろしく!」と言っていたホールで一番上の責任者が到着。やばい状況だから呼び出されたらしい。仕事大丈夫か。
そして三十分後…
「西は仕分け作業するのが決定した!てめーらやるぞー!」
というわけで、十二時間後にはサークル入場始まって一時間半くらい経過してるような時刻に作業開始。普段なら警備さんに引き渡す時間なのに…。
箱を台車と人力総動員でブロック別に仕分ける。ブロック毎に並べるのを最優先にして黙々と作業。同じサークルさんの荷物を近くにやるとかそういうことは考えず、ひたすら運ぶ。
箱の物量に対し我々はあまりにも無力だった。設営日ってあまりスタッフいないし、夜ともなるとほとんど残ってないのよね…。
二時間程かかってなんとか西の二つのホールの作業終了。仕分け作業中はみんなテンションがおかしかった。すでに三日目の混雑対応してる時みたいなテンションだった。
>一日目のこと
朝、ホールにつくとそこには!…昨日がんばって仕分けたままの箱たちの姿が。寝てる間に妖精さんがきれいに並べてくれるとかそんなうまい話はなかった。
サークル入場開始。開始直後は混乱もなく、よかったよかったと胸を撫で下ろす。
入場開始から一時間半。サークルさんが最も多く到着する時間に宅配の受付が混み出す。会計で手間取っているようで、壁レベルの列が出来た。がんばってこれかい。
列は二十分ほどで解消。やり方変えたらすぐにハケた。よかったよかった。
一日目開会。いつものように混雑対応。正直昨日の疲れが残っていた自分は途中から安置所で死亡していた。皆さんその節はお世話になりました。
混雑や列が安定してきたお昼頃に東の朝の搬入の状況が伝わってくる。同時に今日はどうすんの、という話になる。
「今日もやる、かも」
「えっ」
そんなこんなで一日目閉会。いつもより早い夕礼で、
「仕分けやらないと大惨事になるから今日もやる!体力あるやつ大歓迎!」
などと言われる。ちなみに自分は体力あんまりない&設営日参加してたため、この日の仕分け作業は強制不参加でした。
他の作業をしつつ帰るタイミングを見計らっていると仕分け作業をやっている方から拍手が。人数がかなりおり、なおかつ効率の出るやり方をちゃんと考えてはじめたため、一時間で終了したらしい。数の力ってすごい。
>二日目のこと
朝礼で、東がどうなったのかの話が出る。東の仕分けは日付が変わるまでやってたと聞いて思わずうへぇとか漏れた。
サークル入場開始。この日は列もなく、滞りなく受付作業がなされる。
二日目開会。いつものように以下略。この日は死亡せずに働きました!
お昼頃に今朝の東は努力が実って前の日よりはなんとかなった、という話が伝わってくる。今日はどうすんの、という話が出る。
「今日もやるよ?」
「ですよね」
二日目閉会。当然ながら三日目分の搬入をやらなきゃいけない。体力大丈夫そうだったためこの日は仕分けに参加。
なんと他の部署から応援が30名ほど駆けつけた上、前の日より更に効率よく出来たため、約三十分で終了。同じサークルの荷物を近くに置けるくらいの余裕があった。数の力ってすごい、改めてそう思った。
>三日目のこと
普段通りの忙しさでございました。
こんな感じでC82が終了しました。この件についてはスタッフも大変でしたが、一日目宅配搬入使ったサークルさんが一番大変だったろうと思います。本当におつかれさまでした。
次はない…といいな。
高地での仕事が終わって、温泉街の駅前で電車乗り継ぎの為にバスを降りる
既に夕暮れ深くなった駅前のケンタッキーとミスタードーナツの前の通路に果物や漬物をたくさん台車に乗せたおじいさんが
寒さに耐えながら売れるのを待っていた
バナナはかなり黒くなっていて、大きなみかんは皮が柔らかくなってるのが見て取れて、すぐに食べるなら食べごろだけど
「持ち帰るにはちょっとな・・・」という感じだった。案の定ぜんぜん売れてなさそう
おじいさんをスルーしてドーナツ屋のキャンペーン見てたけど冬だからみかんが食べたくなって振り返ったら
おじいさんは売るのを諦めて台車がやっと通れるような駅高架下の狭いアーケード街に向けて帰っていこうとしてた
「おじいさん、待って」と声をかけてみかんを一ネット200円で買った
他にもバナナとか漬物薦められたけど、給料日前だったのでみかんだけ
スーパーのみかんと違って、大きくて大雑把な形の甘味の蜜柑は甘味が凝縮されてなく甘味が適度にさっぱりしてる
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110628-OYT1T00623.htm
読売新聞に、中国が新幹線の特許をあちこちの国で出してるってニュースがでてて、それに対して「中国けしからん」「JRは何をやってるんだ」って憤ってる人をちらほら見かけます。でも、この出来事が日本の国益を大きく損ねるかというと、そんなこともないと思うんですよねー。
なぜそんなことになるのか。それはあなたの「消しゴムつきシャーペンの特許」の権利は、「シャーペンに消しゴムをつけたら便利になる」という発明にのみ関するものだから。あなたの発明のうち、「シャーペン」に係る部分は、あくまで先の特許申請していたA社のものなのです。
では、あなたは「消しゴムつきシャーペンの特許」を使って何ができるのでしょうか。
できません。あなたは、消しゴムつきシャーペンを作って売った時点でA社の「シャーペンの特許」を侵害していますので、権利侵害で訴えられます。
できます。ただ、儲けた分の何割かはライセンス料としてA社に渡さないといけなくなりますので大儲けにはならないかもしれません(契約内容にもよりますが)。
できます。消しゴムつきシャーペンがすごい発明であるとA社に認められれば。
できます。あくまで、消しゴムつきシャーペンに関してのみですが。
日本の特許って、ざっくりこんな感じです。パクりはダメです、でもどこかしらにオリジナルの部分があれば、そこは認めます、という。
ではここで、件の記事に戻ります。
申請だけなら、お金を出せばいくらでもできます。それが特許として認められるかどうかは別の話。
中国が特許申請の手続きをしているのは、日本、米国、ブラジル、ロシア、欧州。車両の台車や先端部分など計21件の手続きを進めており、このうち8件は予備段階の審査をすでに通過したという。
これだけだとよくわかんないんですが、この「予備審査」って、国際予備審査機関による国際予備審査報告のことなんじゃないでしょうか。この国際予備審査報告は、「キミのその発明が、国際的に見て特許するに値するかどうか、各国に実際に申請する前にある程度教えてあげるよ」って類のもので、実際に各国で特許されるかどうかはあんまり関係なかったように思います((Wikipediaの記事))。
中国政府は「(日本などから技術を)取り入れ、消化吸収し、革新させた」(鉄道省)として、高速鉄道に関する技術は完全に独自開発と主張している。
実際に中国がどんな発明を出願したかはわかりません。考えられるのは以下のパターンでしょうか。
自分は、今回の件は上記の中で、2と3に該当するんじゃないかなーと思っています。
2だったら、どうせ却下されるんで、国益は害されないでしょう。
3だったら、ひょっとしたら、今後中国にどっかでお株を奪われる可能性はあります。でも「消しゴムつきシャーペン」だって、れっきとした発明です。
海外の技術を持ち込んで中国版新幹線を作るとしても、多分、中国なりの苦労があると思うんですよね。国土とか電力事情とか、中国固有の障害が。で、それを乗り越えるためには、それなりの改良があったはずなんです。それは、れっきとした発明ですし、オリジナルなものであるならば世界中で特許される資格があります。それは中国の努力の勝利と言えるんではないでしょうか。
====
さてここから補足。
上記の話は、あくまで「日本の話」です。国が違えば、事情も違うと思います。中国の特許制度がどうなってるのかはぜんぜん知りませんが、ひょっとしたら、海外メーカーの権利を認めず、今回の特許がまかりとおってしまうかもしれません。わかりませんが。
あと、ひょっとしたら海外に申請した特許が「共同開発なのに中国のみを発明者として申請した」のかもしれません。それだと色々と悶着があるかもしれません。わかりませんが。
ありがとう。営業車のプロボックスにパートさんに配るジュース積んで事務所に帰って来ました。短絡的かもですがやるしかない><
うん、なんだか悪い雰囲気にのまれて私も悪い雰囲気を作る要素のひとつになってしまってました。
「出来ないことを明確にする」というのは、わかっちゃいるんですけどなかなか難しい。
でも、「それは監督に指示をもらってください」って言うんじゃなくて「ちょっと聞いてみますね」とか「お子さん大丈夫ですか?」って言うことも出来たかなと反省。
媚を売るのは苦手なんですよねぇ。。。「サトーさん、仕事速すぎですよぉ~もぉー台車追いつかれちゃったじゃないですかぁ☆キャピ」とかいえる人間になりたい。
コミュニケーション難しいぜ。
悪口をいったり、仲間はずれをつくるというのもコミュニティーを維持するための要素だったりするのかなー。
とにかく私がやらなきゃいけないのはエラーを下げることだ。
このままじゃ荷主に仕事をきられちまう。
って叫んで泣きながら逃げてきた話。
そこで、私が実際に現場に行って業務を改善してこいと、そんな感じですた。
_____
なぜ、現場に今日入ってきたばかりの私に許可をもらおうとするのか?
そして、このパートさんは疲れると仕事をちょくちょく抜ける癖があったようだ。
後ろめたさという感情や嘘はめんどくさいなーもう。
現場監督は厳しい人だった。そして真面目な人だった。でも少し問題がありそうだ。
・作業が遅れると怒鳴って煽る。
・作業者が品物を落としたりミスをすると朝礼で10分くらいそのことについてミーティングする。
監督は改善しようとしてがんばってるんだろうけど、現場の空気が重くなるしフォローが足りてないと思った。
作業者のやる気をそいでいるし、作業者はミスを隠すようになる。
ピッキングミスだけではなく汚損や破損が次の工程に流れてしまうのはここに問題がありそうだ。
・法令順守。パートさんを絶対に残業させないが時間内に作業を終わらせるように仕事を詰め込む傾向がある。
作業が早く終わって時間が余った時はパートさんに時間まで掃除をするように指示していた。
でも、この掃除は必要以上の作業に思えた。
_____
パテーションの外には私がいるのを分かっていて言ってるんだろうなぁ。。。怖ぇ
学生以来の恐怖感に足がガクガク震えた。
_____
・「私たちより何倍も給料をもらっているくせに仕事が出来ないんじゃ困りますよねぇーあの人」
まぁ好きでやってるんだけどな!へへへ
作業が上手く出来ないのはスマンコッテスたい。。
・「好きな時間に休憩できていいわよね」
・「正社員のくせに、あんな簡単なことも事も知らないなんてねぇー」
具体的には4ビットのチェック表。
1ケタ目■シールを貼る
2ケタ目■パッキンをつける
3ケタ目■塗装されている
4ケタ目■号試品
一番多く出る製品は「シールが貼って合って」「パッキンがついてる」「無塗装」「号試じゃない」
なので□□■■ってダンボールに印字してある。
現場では「白黒」と呼ばれていた。
で、組み合わせによって16種類の製品が出来るわけで製品置き場も
□□□□00
□□□■01
□□■□02
□□■■03
□■□□04
□■□■05
□■■□06
□■■■07
■□□□08
■□□■09
■□■□10
■□■■11
■■□□12
■■□■13
■■■□14
■■■■15
て、並んでる。
これが4ビットならいいけど、8ビットの行程では暗記しきれずに製品の並び方もぐちゃぐちゃになってる。
現場の人は2進数を10進数に計算して変換してるのではなく暗記していた。
ここは改善しなきゃダメだよなぁー。実際に作業してみたら直感的でないのでやりにくい。
「ーーパシ」とか「試塗ーシ」にするだけじゃなくてなんか無いかなぁ。。。
_____
そんな事を考えていたらパートのババアが台車をわざとぶつけて来やがった!!
あーもぉ。。勘弁してくれよ。
そこにパートのAがまた「子供が熱を出したので帰りたいがいいか?」って、おいおいおいーーー!
「それは、現場監督に聞いてくださいって行ったでしょうが!!」
「だって社員さんでしょ?しっかりしてくださいよ、もう。使えないわねぇー」
久しぶりの現場で作業がきついのと、疲れとかストレスとか不安とか恐怖が破裂して
ブロックを台車の上に積んでデコボコ道の上をある地点からある地点に移動するとする。この積んであるブロックが一般的にいうところの情報だ。
△ ■ ←─ □ ■■■■■■■■ ○ ○ デコボコ道^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ブロックが経路上などでデコボコ(ノイズ)を受けると到着したときには崩れていたり途中で落ちてしまうかもしれない。それは情報が劣化したといってもいいだろう。
□ ■ ■■■■■■■■ ○ ○ △ デコボコ道^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
もちろん、伝えるべき情報が「台車がいつ来るかだけわかればいい」であるとか「台車が来たってことは送り手がいたってことだ。それがわかればいい」であれば情報の劣化・欠損はたいした問題ではない。
もしあなたがブロックの積んである順番「一番上が△、真ん中が■、下が□」や色「上から白、黒、白」を伝えたいのだとすれば、ノイズの影響を受けづらくする工夫は有用だろう。
△ ■■ ←─ □□□□ ■■■■■■■■ ○ ○ デコボコ道^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
あるいはデコボコ道には穴が開いていて台車そのものが着くかどうかも怪しいのであれば、
△ ■■ ←─ □□□□ ■■■■■■■■ ○ ○ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ △ ■■ ←─ □□□□ ■■■■■■■■ ○ ○ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
これらを「ブログを書くこと」に置き換えるとあなた自身の文章の書き方や、物理伝播経路(ネットワーク)ではなく論理伝播経路(RT、リファ、トラバ、リブログ)を考慮したエントリの配置の仕方/投入タイミング、ブックマークやブックマークコメントノイズに対するエントリの頑健性(ロバストネス)の確保方法などを考えて効果的にブログを書くことができるわけだ。
2ちゃんからのコピペ、一通り読んだが、スピリチュアルとかのレベル超えてて、もうただのDQNとしか思えない。
1人の文筆家が、インターネットに放流すべき文章じゃないだろ。鮭になって帰ってくるんじゃなくて、大変な怪物になって帰ってくるんじゃないか。人の悪意としてさ。
スーパー銭湯に刺青隠さずに入ろうとしたら止められた。潰れるように呪いをかけた。 2001.11.07
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=5&yy=2001&mm=11
後日談:友達なら止められた時に待ってくれるべきだろ、もうお前ら絶交な。2001.11.09
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=4&yy=2001&mm=11
新幹線で自分の子供が騒いでたら注意された。日本終わったな。 2006.07.07
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=5&yy=2006&mm=07
後日談:注意したのは榎木孝明のマネージャー、おめーだよ。覚えてるからな。2008.04.19
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2008/04/index_3.html
日本酒やキムチや韓国海苔の持ち込みとか、最悪の下ネタを 許してくれる下町のコネってすばらしい。2002.03.30
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=1&yy=2002&mm=03
コジマで洗濯機買ったら対応悪かった。もう買わない。 昔台車盗んだけど。2002.07.31
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?yy=2002&mm=07
↓
ステレオ買ったついでに、今日は記念日だから台車盗んじゃいました。 2001.09.24
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=2&yy=2001&mm=09
スーパーで子供が騒いでたら白い目で見られた。ちゃんと注意してたのに。2007.03.11
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=4&yy=2007&mm=03
家具の設置の手配はしていなかったけど、クレーム出したらなんとかしてくれた。 2007.06.20
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=3&yy=2007&mm=06
最愛のボーイフレンドだと思ってたら二人ともお金目当てだった。2007.06.22
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=2&yy=2007&mm=06
かなりの人脈を駆使して、実家の忘年会は「さくら水産」でやった。2007.12.29
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?yy=2007&mm=12
子どもが知り合いの創作物を壊したけど、それで作品が逆に良くなった。 人の親って大変。2008.08.31
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2008/08/index.html
Via Bus Stop開店5分前に店に入ろうとしたら怒られた。フランスみたいな店になったね。2009.02.23
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/02/
39度の熱が出たので救急車呼んだら怒られた。クソババー。 2009.05.06
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/05/index_5.html
宇多田ヒカルと私は一緒。彼女の苦しみがわかるのは私だけ。2009.05.20
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/05/index_3.html
運送業は自分の頭で考えない。生きがいを感じることのできない仕事。 2009.08.04
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/08/
お椀やお箸はちゃんと持ちましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=PVseh-2e53s&feature=related
吐き気するわ。
入院中に恋した人3
5 :名無しさん@お大事に:2009/01/10(土) 00:58:39 ID:ayyXT8BN
文章ヘタクソですが、10年近く前の話です。
当時フリーターだった僕はバイト先の健康診断で肝機能を示す数値が
極端に悪くなっている事が解り、緊急入院する事になりました。
体はぴんぴんしてたので、何かの間違いと思っていましたが、検査の結果
B型肝炎だと解りました。そして3ヶ月にわたる入院生活が始まり、その新人看護婦さんと
出会います。
その子はパっと見、明るくて愛嬌のあるタイプですが、性格はシャイで
口数も少ない感じです。真面目で仕事は絶対に手を抜きません。他の新人看護婦は
要領良くポイントを押さえて仕事を消化していく中、患者さん一人一人に時間をかけ
時には悩み相談に乗り、優しい話し方で励まします。とにかく時間をかけ過ぎるので
先輩に注意されたりしていましたが、自分のやり方を変えようとしません。
そんな彼女に僕が好意を持つまで、たいした時間はかかりませでした。
続きます
6 :5:2009/01/10(土) 02:10:17 ID:ayyXT8BN
途中で別の病棟に移動するまでの一ヶ月半、いろんな事を話し、いろんな事があったのですが
全て書いたらキリが無いので重要な事だけ書きます。
最初の1〜2週間、彼女の優しさは仕事上の物であり、僕に対して特別な感情が
無かった事は理解していました。しかしある出来事を境に彼女に変化が現れます。
暇を持て余していた僕は、その子をちょっとからかってやろうと思い
「休みの日は何をしてるの?」と尋ねました。「趣味もないし、特に何もしていない」
と笑いながら答えたその子に対し「へ〜彼氏居ないんだ〜ニヤニヤ」と言いました。
すると、ちょっと怒って「彼氏いますよ!」と。
自分でからかっておきながら、僕は軽くショックを受けそれを明らかに表情に
出してしまいました。それを見た彼女は無言で立ち去ります。
翌日、彼女がやってきて「昨日、彼氏が居ると言ったけど最近は会ってないんです」
「なんか胸がズキズキする・・なんでだろう・・」こんな感じの事をため息をつきながら言ってきました。
この時点で、彼女は僕に特別な感情を持ち始めたのかな?と思ったのですが
いろんな理由があり、彼女に告白も何もせずに別の病棟に移動する事を決意をしていました。
続きます
7 :5:2009/01/10(土) 02:50:41 ID:ayyXT8BN
その理由とは
・B型肝炎は性感染する病気で、しかも慢性肝炎である事が濃厚になっていたので
長い闘病生活になる
・日々成長していく彼女に対して自分はフリーターなんかをやっていて
将来を悲観していた
仮に彼女と付き合っても、どう考えても上手くいくとは思えない。
10年経った今でもこれが正解だったと思っています。
荷物を台車に乗せその場を後にしました。それから何事もなく一ヶ月半が過ぎ
無事に退院しました。
これで話が終われば「入院中の良い思い出」で済んだのですが
約1年後、急病の母親をその病院の緊急外来に連れて行った深夜の病院で
彼女と再会してしまいます。
続きます
8 :5:2009/01/10(土) 06:06:32 ID:ayyXT8BN
そんな状況ではバイトもできません。しかし一人暮らしをしていたので
パチンコやスロットで生活費を稼ぎ、本当に生きるのが精一杯な感じでした。
実家は近いので、戻るのは簡単ですが、親に頼りたくなかったのです。
幸い母親はたいした病気じゃなく、とりあえず薬を処方してくれたので
それを受け取りに一人で夜間専用の窓口に向かいました。
そこで待っていました。そして彼女が近づいてきます。
痩せて綺麗になっていた彼女は長い廊下の途中で僕の存在に気づいたのでしょう。
明らかに緊張した様子で、しゃがんで窓口の下部に書類を入れていました。
僕が「もしかして○○さん??」と言うと彼女は体が固まったような状態になり
反応しません。もう一回「○○さんでしょ?」と言った瞬間、ゆっくりと立ち上がり
振り返って「あ、●●さん・・なんでこんな所に・・」とちょっと震えた声で言いました
少し歩いて距離をとりました。
彼女の緊張がこちらにも伝染して、ぎこちない会話が数分続き
「それじゃ仕事に戻ります・・お大事に」と言い、薄暗い廊下を歩いていきました。
そして親を家に送って自分の部屋に戻り、さっきの事を激しく後悔するのです
なんで何も言わなかったのか、と
もうちょっと続きます・・・
9 :5:2009/01/10(土) 08:24:07 ID:ayyXT8BN
もしかしたら、あの子は今でも僕の事を好きでいてくれて
あの瞬間を待ち続けていたのでは?
今思うと妄想に近いのですが、その時の僕はそう思いました。
このままでは一生後悔する事になる
しかし今の自分はそんな状況じゃない。迷い続けたあげく
『もしまた再会したら、運命だと思って玉砕しよう』という、消極的な作戦を立ててしまった
のです。病棟まで行って話せば済む話なのに・・
その再会がいつだったのか、正確に思い出せないのですが、
長い月日が流れ3年近く経っていたと思います
大きい病院ではそう簡単に再会できないものです。
月1の通院も日常生活の一部になり、諦めかけ油断していた時期に
その瞬間がやってきます。
受付からちょっと離れた位置の椅子に座り主治医に呼ばれるのを待っていました
その時、後方から彼女が歩いてきたのです。後姿を見てすぐ気づきました。
彼女が僕に気づくまで多少の時間がかかりましたが、その瞬間、前回と同じように
そのまま固まり、ずっとこちらを見つめています。
時間にして2〜3分見つめあう二人。異変に気づき周囲の人間もザワつきはじめる。
この展開・・・奇跡が起こるかも・・
もうすぐ終わります
10 :5:2009/01/10(土) 09:43:55 ID:ayyXT8BN
こちらに歩いてくる彼女に僕の方から話かけました
3年ぶりの会話です。もちろん僕の名前、前回の再会
全て覚えてくれてました。僕や母親の病状を尋ねる時の
優しい口調は昔と全く同じです。しかしのんびり話してる時間はありません。
いつ主治医に呼ばれるかわからない状況です。周囲の視線が凄かった事もあり
場所を変えてこう言いました
僕『えっと、話たい事がたくさんあるけど、時間が無いから連絡先教えてくれる?』
彼女『だめだめ。絶対にだめ』
僕『え?いや、友達として・・』
彼女『だめ。もういいですか?それじゃ』
頭が真っ白になった僕は彼女が立ち去ると同時に外来へと歩き始めていました。
そして角を曲がろうとした瞬間、彼女が大きな声で叫びます
『さようなら!』
僕が振り返るともう一度叫びました
『さようなら!』
僕は軽く手を振るのが精一杯でした。あっけなく全てが終わりました。
ぶざまなフラれ方をしたもんです。でも当然の結末だったのかもしれません。
出会ってから4年近くたって何かが始まるなんて事はそうそうあるもんじゃありません。
その夜は酷く落ち込んで禁止されてる酒を呑みながら、気持ちを整理しました。
そして再び長い月日が流れていきます。
次で終わります
11 :5:2009/01/10(土) 10:46:41 ID:ayyXT8BN
あれから恐らく5年以上経ち、今でもその病院に通っていますが
彼女と再会する事はありませんでした。もう自分の中で全てが思い出になりつつあります。
彼女も30代になってるはずです。もうその病院には居ないのか・・
主治医に聞いてみたら、やっぱり数年前に結婚して退職したとの事。
具体的に何年前かは解りませんでしたが、あの時すでに
彼女は運命の人と付き合っていたのでしょう。婚約してたかもしれません。
そう思うとあの時のあの対応は二人にとってベストだったのかも。
10年間のいろんな思いが込みあげてきて涙が出ました
そして僕は本当にあの看護婦さんの事が好きだったんだな
という事に気づきました
出会った時から最後まで立派な看護婦さんでした。
長い入院生活に耐えられたのも、10年の闘病に耐えたのも
これからも耐える自信があるのも、全てあの人のおかげです。
しれません。
Cさん、入院中は本当にお世話になりました。本当に救われました。
さようなら!
こことかhttp://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/200811230000/
こことかhttp://d.hatena.ne.jp/okome_chan/20081126/1227627555
で同人誌にトータルでかかる費用を出しているので便乗してみる。
あとここhttp://anond.hatelabo.jp/20080524182732
で超大手の費用が出てるんだけど1種1万冊も売れるサークルは相当絞られるんじゃないかと思う。
んで自分のいるジャンルは、マイナー→アニメ化により一気にメジャー→沈静化ってなってるから良く言う「ジャンルによる」って奴なんじゃないかと思うので、今回は時系列に沿って簡単に自分のサークルの出入を書いてみた。面倒なのでとりあえず1冊分計算。ごめん。ちなみに活動期間は4年くらい。
毎回イベント時に最低限かかる金額は
----------------------------------------
・サークル参加費 3,000―6,500円
・交通費 片道500円として1,000円
・打ち上げ代 4,000円
----------------------------------------
程度。他は↑のエントリー見てもらって補完してください。以下の利益は諸費用を含まない計算で。
(突っ込み入ったから補足すると、打ち上げ代は他エントリーのブクマで結構かかる…と経費のように書かれてたから入れてみた。イベント1日にかかる費用という大雑把な意味でとらえて下さいな。それから後に出てくる売り子ちゃんのお礼代(大体は飲み会代負担)もある意味経費に近いものだと思ったので入れました。まあ違うと思ったら脳内削除してくだせー)
1種28P×30部コピー代計5,100円
(1冊費用表紙50円+コピー代120円=170円)/200円で販売
売上6,000円→利益900円
1種28P×100部コピー代計17,000円
売上28,000円→利益11,000円
印刷費72,000円/300円で販売
売上180,000円→利益108,000円
印刷費50,000円/300円で販売
売上90,000→利益40,000円
※この頃から半年に1回程度、大阪やオンリーの遠征もしているので
55,000円(交通費30,000円+宿泊費5,000円+諸経費約20,000円)
※あと売り子1人分
※イベント費用に加算
1種28P×300部オフ
印刷費50,000円/300円で販売
売上90,000→利益40,000円
※遠征継続&売り子継続(ただし売り子は大型イベント時のみ)。搬入・搬出代は平均4,000円程度
1冊の単純計算でこの位で、3冊―5冊は常に机の上に置いていたので3倍5倍してもらえれば。
今思ったんだけど28Pなら400円だったかも…。単色とかカラーとかで変えてるのでちょっとあやふや。
あと印刷代は最低限のカラー表紙のセットだからこれにオプションつけたりページ数増えたりするとかなり変わってくる。自分は良くギリギリ入稿で割り増し料金払うハメになってるから20%30%UPがデフォ…。よゆう入稿したい。
イベントに出るのは2・3ヶ月に1度で1種3回位のイベントで完売するように設定。
書店委託はしていない。
イベント時は大体誕生日席がほとんど。壁憧れるなー。たぶん書店委託すればもう少しいったんだろうけどあまり行き過ぎるのも好きじゃないし万が一売れなかったりしたらどうしようと考えて止めてしまった。
中期で一気に売上げが伸びたときはボーナス+カードローンまでした事がある…今は恐ろしくてできないけど、この時は売り上げたいっていうんじゃなくてイベント開始直後に完売や次回売る物がなくないのが怖くて刷ってた感じ。再販はお金かかるし…
ちなみにこの間再録本出したら
148P×500冊刷って23万円ちょいかかった。
印刷所に段ボールの箱数見積もってもらったら5箱程度って言われたんだけど、イベント当日数えたら7箱だった。んでその日200部位はけたんだけど4箱は家に搬出。他在庫もあるので段ボールとともに暮らしています。西翼かなー迷う…
※追記。
本当だったらあとポスター出力代(5,000円位?)+スタンド搬出代(1,500円位?)かかると思うんだけど、うちはカットしてる。1回のイベントのために出力代って悩むんだよなあ。スーパーファインA4に拡大コピーして手作りA2ポスター作成+B4段ボールにちょうど入る机上スタンド使用だけど結構いけるよ。でも売る時かなり邪魔なんで机の上にそんなに種類置けないのは痛いけどね。一長一短かな
※
あと当サークルは女性向けです。エロなしのなんともぬるーい感じの本しか出せてないので女性向けと胸張って言えるかどうか怪しいが。男性読者は10%未満かなー?コミケだと多くなるね
小さい頃から知り合い知り合いにそう言われて育ってきた。
意味が解らなかった。
だってそうだろ?
金持ちっていうのはさ、豪邸に住んでるもんなんだよ。
噴水が真ん中に設置してあるよーなひろーい庭があるお屋敷にさ。
うちみたいな木を数本植えていっぱいいっぱいな猫の額じゃなく。
犬だって、放置主義で勝手に育った雑種じゃなくて、躾のなった血統書付のドーベルマンを五、六匹飼ってるもんだろ?
でさ、ブランドもの着てさ、宝石キラキラさせてさ、こんにゃくとか、くわねーだろ?
ジジくさいベンツなんてただの見栄だよ。モノホンはポルシェ数台車庫に入れてんだぜ?
金持ちは。ブルジョワは。だから違うんだよ。俺は。なのになんでだ。何で俺はどこいっても「○○さんトコの息子さん」なんだ? 俺だって、三男だぜ? 家、継がないぜ?
みんな食費を一万や二万に切り詰めてるらしい。俺もそうすべきだと思った。
へぇ、米ってこんなにするんだ。自炊なら、と思ったけど、意外に金かかるのな。
まぁ、いいや、他のところで節約すれば。俺、服とかあんまかわねーし。
話によると、とある先輩は一ヶ月八千円で食ってるらしい。
すげぇ。一日260円ちょっとじゃん。ホカ弁一食分じゃん。なのになんでンナ、ハイテンションなんスか?
初めてバイトして、給料を貰った。親に内緒で。別に何がほしかったわけでもない。楽しそうだったから。ただそれだけ。
最初はその額に別になんの感慨も抱かなかった。
「まぁ、こんなもんだろ」少ないとも、多いとも感じない。ただ、自分の働きの見返りであるということの方が重要だったのだから。
それで、しばらくして、ふと、疑問に思った。
「バイト代だけで生活してみたら、どうなるんだろうか」
考えてみて、愕然とした。
例えば、週末に書店にぶらっとよって、小説やら漫画やらネタ本やら一生つかえねぇ知識満載の新書やら、そういうのを気まぐれに五??十冊。
例えば、デパ地下で気と食欲の赴くまま、カスピ海ヨーグルトやら惣菜やらタイカレーペーストやら。
例えば、なんとなく惰性で買っている昔ファンだったバンドのCD。ゲームのシリーズ物。
どれも、買えなくなる。
というか、食費だけでも今現在の質を保てるか。マンションも移らなきゃかも。
震えがきた。俺は何も知らなかったんだ。いつも何かが欲しいときには、親に渡して、親が金を払ってきた。その光景に何の疑問をもたなかった。それが普通だと思ってた。親父なんて昼行灯だと半分バカにしてたところもあった。
俺は家の跡継ぎじゃない。それに必要な資格すら持って無い。
俺は大学でたら、「フツーに」就職して、「フツーに」生きなきゃいけない。一個人として。「○○さんちのぼっちゃん」ではなく。
それこそ、まさに昔から俺が望んでいたことだ。親にもそう宣言した。そうだった。ハズなのに。
なんで、今、それがこんなにも怖いんだろう?
同人誌即売会に行く朝、私は直前までコピー本原稿を描いていて、売り子をしてくれる友人Aとの待ち合わせに完全に遅れそうになっていた。もちろんチケットは私が持っていた。
そんな時に自宅を出たらしいAから「ごめん、乗換案内で調べたら5分遅れるっぽい」というメールが入ってきて、さらに焦った。私はまだ家にいたからだ。
私は5分どころじゃない。○○町のキンコに寄るから、どう考えてもさらに30分は遅れそうだと謝罪すると、「○○町のキンコって○○駅?じゃあそっちに向かうよ。コピー手伝う」と返信がきた。Aは○○駅周辺の地理に詳しくなかったので、場所分かるの?と聞くと、「携帯で調べる」と返ってきた。最近の携帯は便利になったものだなと思いつつ、○○町のキンコに行って愕然とした。日曜で閉まっていたのだ。
半泣きでAにメールすると、○○駅に向かっていたらしいAからさらにメールがきた。「おk携帯で調べてみたけど、そっからなら××町のキンコが一番近いっぽい。電話したら開いてた。今、5人待ちだって。キミの携帯に住所と地図URL送るからそれ見せてタクシー乗れ」。
あまりにも鮮やかなAの対処に惚れ惚れしながら××町のキンコに行くと、同じ目的らしい人で埋まり、既に10人待ちになっていた。開場に間に合わないかもしれないと思い、もう一度Aにメールすると、「他のコピー屋さん何件か電話してみたけど、どこも似たようなもんだったよ。諦めて並べ、もうすぐ着く」。
ようやく合流した後、Aは私の前にまだ何人も並んでいることを確認して、「表面だけ向かいのコンビニで刷ってくるよ」と言って、私を残してコピーに行ってしまった。確かに、両面コピーをするならキンコで刷らなきゃと思い込んでいたけれど、表面だけを刷る分にはコンビニのコピーで充分だったのだ。
Aが戻ってきてからも散々並び、裏面コピーを始めたころには既に開場間際だった。Aは、コピーするそばから袋に入れていく私を制止して、「コピー中に折れる分だけ折っちゃうよ」と言って、折り始めた。コピーを終えたころには半分以上が折れていた。
キンコを出て、遅刻だなぁ荷物どうしようかなぁと思っていたら、「会場にいる(共通の友達)ちゃんに連絡して、荷物引き取ってもらって遅刻表示出してもらおうか?あの子のところ台車あるし売り子3人いるから頼めるかも」。
タクシーを拾おうとしても1台も通らず途方にくれていたら「そこのコンビニで呼んでもらうね」。
会場製本って嫌がられるかなぁと言うと「タクシーの中でやればいいんじゃない?」。
一つ一つはなんでもないことかもしれないけれど、私はこのAの全ての行いが神様のすることのように思えた。目の前に山積している懸案を一つずつクリアしていく要領のよさ、応用力に感動すら覚えていたのだ。仕事のできる人間とは、Aのような子のことを言うのだなぁと、自らを恥じるとともに、3つも年下の友人をさらに尊敬した。ちなみに、会場でも散々お世話になりました。
そーだよなー
腕一本で何キロもある物体(ごめん)を持ち歩くって
冷静に考えれば「台車使えよ」「何か別の道具使えよ」って話だもんな。
万が一にも落としたら、怪我するの二人なんだし。