はてなキーワード: 台車とは
彼が亡くなったことを知らされたのは高校二年生ぐらいの10月。母親からだった。彼は私の中学校の頃の同級生で、中学校在学中もその後も、そう親しくはしていなかったけれど、私に身近な同学年が死んだのは初めてのことだったので、母も私も少し動揺していたように思う。
亡くなった彼は中学校の後半を登校拒否で過ごしていて、だから訃報を聞いた時、私は一瞬自殺なんかを想像した。だが違ったらしい。ついでに、彼は高校には普通に通っていたということを聞いた。
妹はまだ中学生で、その学年には私の同級生の弟妹も何人かいたので、母はその時でも他の同級生の親と話す機会があったらしく、亡くなった事情について色々聞いていたらしい。でも私は、自殺じゃないということ以上は知ろうとしなかった。
通夜、葬式の日取りなどもそれとなく知らされたけれど、結局私はいずれにも行かなかった。前述の通り故人とあまり親しくなかったというのもあるし、正直言えば地元の同級生とはあまり顔を合わせたくなかったからというのもある。私は県外の(といってもほぼ隣町だけれど)高校に通っていて、その頃には小中学校の友達とはほとんど連絡を取っていなかった。過去の人間関係が煩わしく思えた。
ただ、彼が亡くなったことを知ってから一ヶ月くらい経ったある日、私は思い立って、押し入れに詰め込んで放っておいた中学校の頃の教科書やノートを全て、近くの河原へ持っていった。段ボール箱に詰めて。重かったので、物置に置いてあった台車を使った。
そして、河原で全て焼いた。
焼く前に一通り確かめたら、なんと、亡くなった同級生の名前の入った教科書が一冊紛れ込んでいたことに気付いた。ほとんど開かれることのなかったと思われるその教科書は、私の教科書に比べて、とてもきれいだった。そんなことをやたら鮮明に覚えている。
コミケ3日目が終了した後の空港のレストランで、モデルか芸能人かというぐらい美人の女性2人連れの隣に座った。エビちゃんスタイルとでも言ったらいいんだろうか。お世辞にも僕らが大好きな黒髪ストレートの清楚ロリ系ではないが、世間一般に見て、かなり勝ち組であろうと想像出来るお姉さんだった。あまりにハイクオリティすぎて、どうせ実家は金持ちで彼氏はIT青年実業家か医者なんだろ?ハイハイビッチ乙とかそういうことを考えていた。こっちはTシャツに潮吹いてるキモオタ童貞3人組。俺らのようなアニメ・エロゲフヒヒとかやってる人間は一生、こういう女性とは縁がないのだろうと。
ところがだ。ところが、そのお姉さんたちの会話を盗み聞いて、耳を疑ったね。いや、一瞬脳が拒否した。
「地球へ…今すごいいいところなんだよ!」
「子安さんが受の役してるの珍しいよね」
「それは○ちゃんがそう思ってるだけでしょw」
腐女子かよ。
「△ちゃんの台車って何箱くらい載る?」
「今度の表紙、全面に箔かけたいんだよね」
しかも描く方かよ。
そしてしばらく濃い話を続けた後、なんか石いっぱいついてるアクセサリーを煌かせながら、お姉さんたちの会話は外見通りのハイソな恋愛話に移行した。
これにはシャレじゃなく絶望した。鬱になった。何故かと言うとこのお姉さんたちもアニメ・ホモフヒヒとかやってる人間なんである。話の内容を聞くかぎり、しゃべってることは俺らとたいして変わらないのである。なのにこの勝ち組オーラ。
気付いてしまった。俺はオタクだからモテないんだと思っていた。アニメ・エロゲが好きだから、世の中の女には理解されないんだと。俺らのようなオタクが女と付き合うことがあるとすれば、きっと相手は重度の腐女子でキモ外見の女子と同病相哀れんでなんとかなるぐらいがせいぜいだろうと。でもそうじゃない、俺が童貞なのはオタクだからではなく俺がキモイからだ。例え重度のオタクであってもちゃんと一般人と恋愛を成立させている人が存在するというこの事実。考えてみれば氏賀Y太にだって嫁がいるのだ。
そんな感じで絶望したまま家に帰って、戦利品で気持ちを盛り上げようと開いた本の後書きで、そのブログの変態くささから、最高級にモテないオタだろうと思っていた作者がオタじゃない一般女性と結婚したという文面を見た時の俺の気持ちを誰か察してくれ。
こんにちは! 今日は記念すべき日だ。フルキャスト(FC)への業務停止命令が決定したんだ。FCといえば、グッドウィル(グッド)と並んで日雇い派遣の大手だからね。といっても、僕はFCやグッドを責めるつもりはない(嫌いなのは確かだけど)。責められるべきは、この“派遣漬け”の日本社会だ。「フルキャストなんて会社、知らないよ」という人は、ぜひ知ってほしいんだ。あなたの現代的な生活が派遣労働によって支えられているということを。
物流業界は、おそらくFC/グッド依存度が最も高い業種だ。現代の物流では、海外から輸入されたり、工場で生産された商品は全て倉庫に集約され、そこから全国へ配送される。この倉庫というのは、映画に出てくるような、赤煉瓦と三角屋根の古典的な倉庫とはだいぶ趣が違って、「物流センター」とも呼ばれる近代的なものだ。これらは大体、4-5階建てぐらいの、「箱」という形容が相応しい無味乾燥な建築物で、お台場あたりから浦安、市川あたりの東京湾沿いに集積している。
倉庫では、ピッキングと発送という2つの仕事をひたすら行う。ピッキングってのは針金で鍵を開けるアレじゃなくて、注文に従って棚から商品を選び出す仕事のことだ。たとえば、「うまい棒」を大袋で5袋、「とんがりコーン」を2箱、「プリングルス」を3箱、という指示が来たら、倉庫の中を歩き回って、それらが置いてある棚を見つけて、台車とかコンベアを使って発送係のところへ送る。ピッキング係の仕事はここまでだ。
発送係は、ピッキング係から送られてきた商品が注文通りかどうかチェック(これを検品という)して、発送用の段ボール箱に詰める。このとき、中で荷物が暴れないように緩衝材を詰めるのが一番大事な仕事だ。詰め終わったらテープで箱を閉じて、パレットの上に乗せる。パレットってのは、フォークリフトのツメを入れるための台だ。パレットの上に乗せ終わったら、サランラップのお化けみたいなやつで荷物をグルグル巻きにする。これで荷崩れを防ぐわけだ。ラップ巻きが終わったらここから先はフォークのおっちゃんがトラックのところまで運んでくれるから、発送係の仕事は終わり。また検品に戻るわけだ。
ピッキング係と発送係は分業になっていることが多い。つまり、ピッキング係は一日中ピッキングをして、発送係は一日中発送をする。これは恐ろしく退屈な仕事だ。だから正社員はこんな仕事はしない。小遣い稼ぎの学生が主戦力で、すこし年上の氷河期世代がチーフとなって指示を出す。もちろん、どっちも派遣だ。
考えてもみてほしい。あなたは今日、どこで何を買ったか? いや、ここでは「何を」はどうでもいい。「どこで」が重要だ。工場に直接買い付けに行ったりはしていない筈だ。あなたが買った物はすべて、時給700円のワープアによってあなたの元に届けられているんだ。皮肉なことに、ワープア達もこの消費社会の一員なんだけどね。それにしても、この事実からは目をそらしたくなる。我々の生活はワープアによって支えられているんだ。介護事業どころの話じゃない、老若男女みんながワープアありきの構造の中で暮らしているんだ。まったく、何回「絶望した!」と叫んでも足りないよ。
しがみついてて気がついたら、自分の台車だけ切り離されるのもアリ。
初めは場所取り気にしていたけど、
スピンのたびに頭ぶつけて、何が何だか分からなくなる。
一緒に乗った奴はもう誰もいなくて、自分の手もズルズル滑り始める。
このまま放してしまえばいい、怖くてそんなこと出来やしない。
知らない間に台車はピカピカ、外側だけは人もうらやむ。
好きで乗ってるコースターだから、もちろん文句あるはずがない。
しんどいしんどい言ってるけれど、よく考えりゃ言ってるだけで。
しがみついてるその手以外は、どうしようもなく弛緩したまま。
どうかこの手を放させないでください。
そんなことは絶対にないと、ただそう信じたいだけだったのです。
止まるな、止めるな、加速し続けろ、もう何も感じなくなるまで。