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2022-02-23

たぬかなって盛大に炎上したけど、差別はしてなかったよねという話

たぬかな炎上の件でCAG(CYCLOPS athlete gaming)がだんまりを続けてるから一言書くよ。

個人的には、これってここまで大きく炎上する案件じゃなかったと思うんだよね。

だって考えて欲しいんだけど、今回の炎上って「差別は許されない」という文脈なわけじゃん?

それなら、論点本来「たぬかなは差別をしたのか、差別発言をしたのか」のはずなんだよね。

これははっきりしておいた方がいいと思うんだけど、ぶっちゃけ差別はしてない。

言い方が悪かっただけなんだよ。

その言い方は最悪だったけどね。

大事なのは言葉じゃなくて差別感情でしょ?

この問題ウォッチしている人は知ってると思うけど、ゲーマー界隈で使われている「人権」というワードは、いわゆるヒューマンライツ的な「人権」ではない。

ゲームにおいて「極めて重要キャラアイテム」程度の話でしかない。

たぬかなはこれを容姿の好みの話に援用して、「身長170cm以下は…」の発言をした。

そもそもこの話、やってきたウーバーイーツの配達員ヤバい人で、その場でたぬかなをナンパしようとしたらしいんだよね。

それを受けて「いやー、身長170cm以下は恋愛対象にならないから論外っすわ」というニュアンスで言ったのが件の発言

まあ実際はゲーム界隈のワードとしてではなく、もっとシンプル身長が低いことを最大級貶める方法としてあの言い方をしたのかもしれない。

それは分からない。

ただ、その後に「ハゲデブとは付き合ったこともある、でもチビは無理」みたいな事を言っていて、話の内容が好みの異性についてだったことは間違いない。

かにリスナーとのやり取りの中でそこだけ切り取れば差別しか聞こえない発言もしてたけど、全体を見れば趣旨は好みの話に集約されるわけで、低身長男性差別する話題ではなかったんだよ。

実際チームメンバースタッフ、付き合いのある人の中にも身長150cm台や160cm台の人なんていくらでもいると思うんだけど、そういう人達に対して無意味嫌がらせをしてたとかそういう過去はないわけでしょ。

から、たぬかなは差別はしてない。

じゃあなんでこんなに炎上してるの?って言うと、CAGの対応がクソだったからだと俺は思う。

いやさ、差別じゃないんだよ。

なのに差別として処理しちゃった。

その結果、差別したという事実ができあがっちゃった。

たぬかなはこの先ずっと「差別した人」という烙印が残るよね。

でも、差別はしてないんだわ。

これおかしくない?

差別と受け取られる言葉を使ったのならアウトだ」って言う人もいるかもしれないけど、ちょっと考えてほしい。

野球選手新庄が、海外で「苦っ」て言ったら「ニガー」と勘違いして黒人チームメイトが怒ったというエピソードがあるよね。

今回の件は、あれと似たようなものだと思うんだよね。

大事なのは使った言葉なんて表面的なものじゃなくて、当人差別感情でしょ?

少なくとも、話の流れを見る限りたぬかなの発言差別的な意図は見えない。

「本人の意図関係ない、差別と受け取られたら駄目なんだ」とか言い出したら新庄もこのエピソード差別野郎ってことになっちゃうよ?

そのチームメイト差別を感じ取ったからこそ怒ったんだから

すぐに誤解が解けたのは、新庄差別感情がなかったからでしょ?

たぬかなの物言いは最悪で腹も立つけど、あれに差別見出しちゃだめだと思うんだよね。

好みのタイプ話題って差別なの?

CAG、なんかおかしくない?

もう一つCAGはおかしなところがある。

たぬかなのインタビュー記事とかを読んでると、CAGは(レッドブルもだけど)たぬかなの人柄や言動を知っていて、その上でチームに所属させ、やりたい放題させてたんだよね。

チームって所属プレーヤーサポートをするものでしょ?

5年も所属してたのに、なんで放言をやめさせてないの?

たぬかなの発言に罪があるなら、問題認識しながら放置してきたCAGも同罪としか思えない。

しかも、なぜか被害者みたいな態度で「当社として決して容認できるものではなく」みたいなリリースを出してる。

容認できないなら、なんでもっと早くクビにしなかったの?

なんでクビをチラつかせてでも矯正しなかったの?

どれだけ酷い発言してもクビになんかならねーよって思わせ続けた結果がこれだよ。

たぬかなを甘やかしたことは、結局たぬかなを成長させないばかりか、ゲームの才能の芽をも摘む結果になった。

CAGはたぬかなが初めて所属したプロチームなんだから、これはCAGが潰したも同然。

そんな風に思ってしまう。

本人に問題あり過ぎ問題

ただまあ、ね。

彼女発言は本当に酷くて、差別じゃないってだけで本当に酷い。

ナンパされて「好みじゃないかお断りです」ってだけの話を、あそこまで悪意に満ちた表現と態度で表明できるってのは別の才能を感じる。

本当に昔から性格が悪かったんだと思う。

どこかのインタビューでよくアンチとバトってるとか言ってたけど、アンチとの付き合い方も三十路前とは思えないほど幼い。

掘り返されてた「自○しろ発言も、「消えろブ○」的なコメントを見て「戦った」結果だった。

その時に語ってた理屈が「あいつが先にコメントしてきたんだからいいんだ」「あいつの方が悪いだろ」なんだけど、中高生かよって思ったよね。

何も背負ってない匿名リスナーと、チームとスポンサー看板背負ってるプロが同じレベルで罵り合っていいはずがないだろうに。

そんな基本的なことも教えてもらってないのかと思うと、ある意味かわいそうではある。

思考の幼さという点では、自分が正しい、自分OKという子供臭さもある。

女性ゲーマーたぬかなが嘆くeスポーツ界の女性蔑視」というタイトルインタビュー記事があったんだけど、まあ酷い。

「当時一番辛かったのは、やっぱり容姿に対する誹謗中傷ですね。」

容姿に対する誹謗中傷は辛かった、でも身長が低い男性に最大の侮蔑を送ることに躊躇はない、と。

子供だよね(29歳だけど)。

チームはちゃん選手を支えなさいよ

話を戻すんだけど、たぬかなは口が悪い、性格が悪いってだけで、差別はしてなかった。

だとするなら、CAGは、チームとして

「これは言い方の問題差別意図はなかった。しかしそれで済む問題ではないので、同じ事を繰り返さないようきちんと指導して参ります

みたいな形で幕引きを図るべきだったんじゃないのかと思う。

マジモンの差別だったのなら一発クビも致し方ないけど、違うじゃん。

なんとかならんかったのかな。

プロゲーマーゲームが上手ければ馬鹿でも口が悪くてもいいじゃん。

才能があるのなら、それを支えて表舞台に立てるようにするのがチームスタッフ仕事だろ。

本当、なんでこんなことになってしまったのか。

2022-02-22

ディズニー好き層

ディズニーって3種類の層がいて、それぞれおもろいなって思う。

まずはノーマル層。中高生が主で、イベントとしてディズニーに来ている感じ。アトラクション全制覇を目指して走り回り、ご飯は基本レッグ系。ショーやパレードは見ない。分割できるキーホルダー買いがち。休憩と称してシンドバッドスモールワールドに乗る。

次が美男美女層。若干中高生ともかぶるが、総じて顔面レベルが高いかファッションセンスが良い。自分を引き立てるための道具としてディズニーを利用する。アトラクションに乗ったりもするけど、基本は写真TikTok勢もいる。SSコロンビア号デッキにいがち。

最後ガチ勢層。この人たちはアトラクション自撮りよりも、ショーパレード、新作メニュー、新作グッズの制覇に向けて奔走する。マジでパレードのために何時間も前から場所取りしてるのはこの層。ただディズニーガチ勢にも2種類あって、その人の本質ディズニー寄りな人。身だしなみに気を使い、きれいにしている。ただ顔面普通レベル以下であることが多い。もう片方は、いわゆるオタ気質の人。なんで何かにはまった人間って同じ見た目によっていくんだろう。不思議。この人たちはディズニーが好きと公言してグッズなどは身に着けるものの、本人がディズニー雰囲気に追い付いていない。ちぐはぐな印象。ゴスロリに憧れたものの、髪の毛ぱさぱさでメイクが下手な人みたいな感じ。

以上。

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-17

anond:20220217142357

さだまさし故郷長崎県で行われる「精霊流し」は、彼の歌の曲調のような静かでしめやかな感じの行事ではない。

カネやタイコで囃し立て大勢で練り歩く中、イヤというほど大量の爆竹を破裂させる大変騒々しいものだ。

さだは、この誤解を長崎以外の全国に広めた罪を謝罪し、撤回すべきだww

いやまぁ、オレもいいトシになって人生の酸いも甘いも経験してそこそこの分別もついてからこの歌を聴けば、亡くなった恋人(もしくは兄弟?)への想いで沈痛な心情と、にぎやかでハデな行事との対比によって、イイカンジにドラマチックさを醸し出してる...的な考察ができるけどさ〜。初めて聴いたときは、そんな思慮分別などまるでないバカ中高生時代だったからね〜w

anond:20220217003217

その病院もな、東京23区ならいざ知らず、首都圏でも婦人科って多くはないんで難しいんだよな… 

自分過去に市内に2つ産婦人科があって両方で相談したが、市販品で痛みが軽減して身動きできるなら医者にかかる必要ないでしょと。

ポリープも少しだしピル出す程じゃないと。

投薬なし検査費入れて一軒数千円。

交通費も考えたら初期投資の部分で既に中高生用立てするの辛いよね…

2022-02-16

anond:20220216070933

増田さんが偉いなと思う点が二つあって、

まず就活に臨むまで、人に対して人として接していたということ。

ゼミ研究室で同じような悩みに既にウンザリする人もたくさんいるし、

なんなら中高生の頃からその種の絶望を感じてる人も相当数いると思う。

から増田さんはむしろ人とのコミュニケーション能力あるんじゃないかと。

もう一つは、社会のそういう嫌な面を知りながら、

ちゃん社会に出て働こうとしているところ。

単純に偉いなと思います

老婆心ながら付け加えると、

就活面接で「人間性を見る」なんて言われたとしたら、それは嘘です。

人間が短い時間面接のやりとりなんかで人間性を測ることは

絶対

できません。便宜上できるふうに振る舞ってるだけです。

本気でできると思ってる人はただのバカです。

畢竟、就活は単なるガチャです。ほとんどが運(縁と言い換えてもいい)に左右されて、

その人の能力や、ましてや人間性など、まるで関与しません。

からもし思い通りにいかなくても、自分自身評価を下げる必要は全くありません。

就活成功した人間は、自身能力人間性が優れていると思いがちですが(長いストレス下に置かれたので仕方ない面はあります)、

そんなことはありません。

長くなってすみません

2022-02-13

anond:20220213120300

サイゼリアは金のない中高生ドリンク飲み放題しに行くところだろ。

ついでに腹が減ったかミラノ風ドリアンを食べるんだろ。ザーボンさん。

サイゼで喜ぶ彼女はい

サイゼ美味しいし、基本的に安いから好きなものを気兼ねなく頼めるのも嬉しい。

中高生カップルとかなら、お水片手にミラノ風ドリアお腹を満たすのも幸せだ。

社会人なら、たまに混じる高いメニュープロシュートとかアロスティチーニとか)も美味しい!

何気ない日常デートで、サイゼで喜ぶ彼女はいる。

デートならサイゼに限らず別に常に奢りを期待しないし。

ただ、初デートとか、特別記念日をお祝いするなら、普段より少し特別感のあるお店で特別な思い出を残せたら嬉しいなと思う。

お互いが特別存在だと確認しあうための場なんだから

サイゼ良し悪しではない。

仕事でも「特別な会食の場」にサイゼは選ばないでしょ、というだけのTPOの話。

コロナで会食自体廃れてるけどさ)

95%くらいの女性はこれくらいの感覚だと思う。

もちろん数字は当てずっぽう、何のエビデンスもない。

何が言いたいかといえば、数%の常に特別扱いを求める女性基準に、大多数の女性をくさしても意味がないということ。

婚活は初回は男性奢りらしいのでその風習と混ざってるのかもしれんが。

多くの騒ぐ側はわかっててやってるんだろうけど、たまに本気で「女はこう思ってる」「いやいやそんな考えの女はどこにもいない」っていうのが混じってるようだから書いた。

サイゼリヤはいいぞ。

2022-02-12

anond:20220212203131

西田ひかる!懐かしー♪

(当時の月マガの端に載ってたような4コマで、中高生くらいの少年が眼の手術を受けて顔に包帯姿で病室に寝ていて、担当医のジジイが包帯をほどき、「さあ目を開けてみよう!」「ええっ?!怖い!」て逡巡するパターンで、ジジイ医者が「あっ!!西田ひかるパンツ見えた!!」て叫んで少年が思わずカッと見開いてしまい、症状が悪化してまた包帯姿…てなオチの話があったなぁ)

2022-02-11

検索センス中高生だった

縦置きしてるデュアルディスプレイがなんか寂しいので壁紙でもスライドショーさせようと思った。

どうせ私用のPCだし軽めのエロ画像垂れ流したら毎日楽しいかもと思い立ち「壁紙 二次元 エロ」で検索

してから気付く、いやこれ中高生がやりそうな検索だな?

案の定微妙まりないサイトばかり引っかかったので自分の浅はかさを自省しながらワードを調整。

そもそも縦配置用の画像から通常の壁紙じゃ駄目なわけだ。

そういえば今のスマホって解像度高いよな。

こういった思考から検索ワードを「壁紙 iPhone エロ」に変更。

してから再度気付く、いやさっきよりもよっぽど中高生がやりそうな検索だな!

案の定、というより先ほど以上に糞みたいな検索結果だったので挫折

結局手元にあるお気に入りエロ画像加工したりIllusionKISSエロゲーのスタジオ機能適当自作してスライドショーにしている。

まあ満足。

anond:20220210174019

おそらくなんだけど

都市伝説で聞く

田舎すぎて中高生デートする場所

イオンしかないみたいな地方出身の人なら

大人になってから

サイゼリヤデートクリアーするのだと思う。

anond:20220210115125

ラーメンハゲが言うように料理のものじゃなくてそこに付随する情報大事なんでしょ

サイゼといえば金のない中高生集団が行くところ、マトモな大人デートのようなハレの日にサイゼしか行けないのはカネがないか店を知らないかで情けない、みたいな

オタク創作における幼稚園レベルの女が嫌い

なんかサイゼの絵に対する嫌悪感がある層が一定層いるらしい?けど、個人的にはその気持ち理解できるなー

オタク創作したマンガとか絵は好んでよく見て楽しんでるけど、その中で描写される女に違和感を持つケースはままある。

たとえば、

幼稚園レベルの知能しかない(すぐ泣く、ふぇ…とか言っちゃう

一般的に見てキモい主人公(外見でなく行動様式キモい)に好意を寄せてる

中高生くらいが好む店、服、イベントデートしか描写されない…等々

描き手の社会的レベルに準じてるってだけとは思うし、not for meで随時ミュートしてるけど、文句の一つも言いたくなるほど身の毛のよだつやつは稀にある。。

でも昔からこういうオタク界隈の傾向はあるし、なんで今更??

なんでなんでしょうね。誰か知ってたら教えて下さい

2022-02-07

人との距離感が分からない

 職場研修生がやってきた。

 研修生というのは、一定期間、色々な部門に配属されて、実際の仕事場見学したり手伝ったりする人だ。

 とてもふわっとしてるけど、身バレを防ぐためなので、こういう書き方しかできない。要するに、小学生中学生職場体験のすごく本格的なバージョンだ。

 その研修生の一人に、とんでもないやつがいる。

 好意的な態度をとるや否や、「友達になりましょう」とすごい勢いで距離を詰めてきて、ラインを交換してくれと迫ってくる。うっかり交換してしまうと、朝から晩までラインを送りつけてくる。

 その研修生の噂はすぐに広がり、有名になった。距離感のおかしヤバい人間として警戒されている。ただ、研修自体はきちんと真面目に行なっているので、偉い人に苦情を言いつけて追放することもできない。ラインを交換しろといってきても、断ろうと思えばこちから断れる。何か話しかけてきても、ラインをたくさん送ってきても、こちらが塩対応すれば自然と寄り付かなくなる。ストーカー気質だがストーカー行為はしていない。

 というわけで研修期間が終わるまでそいつとは極力話しかけず、離れておこう──というのが現状である

 ところで、その研修生を見てると、私は心がざわめく。

 私も人と人との距離感が測れない人間からである

 中学生の頃、友達になりたいと思って一生懸命しかけていた相手が、別のところで、私を殴りたいほど嫌っていると話していたとか。

 同年代人間友達になれず、塾の講師学校先生とばかり喋っていた中高生時代とか。

 私をからかってくる人に対し、ペシッと足を踏んでやったら(暴力は良くない)、お前とは友達じゃないか距離感を守れとマジギレしてきた人とか。

 他人とどうしたら「適切な」距離感で、「友達」になれるのか、分からない。

 あの研修生は私も近寄りたくない。何を考えているかからないし、ただただ怖い。

 一方で、私は他の人にもこんな思いをさせてきたのだろうか、と思う。

 中学校のあの子や、塾や学校先生、あのマジギレしてきたあいつは、こんな思いをしてたのか?

 今日、私が話しかけた人達は、どう思っていただろう。不快に思っていないだろうか?

 そう考えるたび、苦しくなる。今まで関わった全ての人に謝りたくなる。

 もちろん考えたって謝ったって無意味だし、どうしようもない。

 できることと言ったら、できる限り縮こまって、できるだけ人と喋らないことだ。でも、私は寂しがりやだから、とてもとても難しい。

 誰とも顔を合わせず暮らせたらいいのに。しかし私の職場性質リモートワークはできない。

 できる限り他の人と同じ振る舞いをして、頑張って距離感を見極めていくしかない。

 そしてあの研修生……願わくは、いつか人との距離感を理解してくれますように。

2022-02-05

推し」とはより過剰に表現する若者言葉ひとつなのでは

anond:20220204132442

こちらの話

個人的には「推し」という言葉比較的新しい感覚に捉えていて

その人が「自分の気持の中だけで」好きだという感情を昂ぶらせたりするのを「推してる」と呼ぶような

元増田が感じてるイメージとはむしろ逆のイメージを持っている

言葉のものが元々持っていた意味としては確かにより能動的、実際になにか行動したり金を使ったりという意味合いが強まりそうだけど

あえてその元々ある言葉意味を当てはめることで強い思いを表すという形なのだと思う



その手の言葉として代表格が「神」だ

以前はなにか素晴らしいもの表現する時に「神」という言葉を持ち出すことは過剰すぎて

ちょっと使い方を間違うと聞いてるほうを引かせてしまうほど引き合いに出すには意味が大きすぎた

そこには場合によっては宗教観とかやや重意味さえ乗っかってしまいそうなので割と避けがちな表現だったと思う

しかしある時期から中高生などの若い子が「すごいじゃん」と同じくらい軽い感覚で「神ってる」と言い出した

これにより一気に一般的レベルにまで「神」が引き下げられたのだ

その後「神ってる」は言われなくなったがなんでもかんでも「神」とする表現は定着して

ちょっと美味しいスイーツがあれば「これマジで神」と言ったり「~のリップマジ神だから」など

以前はサッカー神様とか映画神様とかごく一部の選ばれし人にしか使われなかった「神」はついに命のないものにも気軽に使われるようになった

この現象自体は古より「八百万神」あらゆるものに神が宿るという日本的概念ととても親和性が高く

個人的にはとても好きな言葉の使われ方だなと思っている

しか言葉本来意味を考えれば神というのはいわば最上級褒め言葉なので、大人達はふと思うのだ

「それが神だとしたらもっといいものが出てきてしまったらもう言葉がなくなるのでは」

大丈夫なのだ若者は日々神が更新されていく

昨日の神と今日出会った神は仲良しでありまったく問題なく並列できるのだ



ちょっと話がズレた気がするが要はより過剰な言葉を当てはめることで表現の強度を強くする

というやり方が若者言葉には多いわけだ

推し」という言葉についても、そもそもは実際のヲタ活動における散財や行動と相性が良いから使われ始めたのかもしれない

ただ今となっては「ファンです」と同じ意味合いで「推しです」という言葉は使われるようになった

「~さんは私にとっての神です」という比較ガチトーから今日ご飯マジ神」という軽い神にまで神の存在が近くなったかのように

推している」という言葉意味も今では「好き・・・」くらいの意味合いになっているように感じます

なので元増田もあまり気にしないほうが良いとは思うけども

その「推し」とは言いたくないという言語感覚はとても素晴らしい感性であり

推しはいませんが好きな人はいます

という返しは最高にクールであるので今後とも是非それを貫いてほしいなと思いました

2022-02-04

anond:20220204180514

別に面倒ならいい。もっと他に同意してほしいことがある

法則だけ教えられてもすぐには使いこなせないのが凡人なので、私のような人間チャートとかで問題を解く。

おっしゃる通り法則は事例から抽象化されたもので、でもだからこそすぐには「理解」できない。往々にして理解したつもりになる。

(なのでネット法則準拠したつもりになって結局はとんちんかんしかないことを言ってこうやって突っ込みも食らう。理解が不十分故)

問題を解いて、間違ったらそれに向き合っていくというのを繰り返すうちに、自分自身理解抽象度が高まっていき、法則の真の理解、その法則さえ理解していれば原理上解ける全ての問題初見でも解けるような理解、へとたどり着くのだと思う。

チャートが無いならこうやって自分他人問題をぶつけることで同じような理解過程再現するしかないということ。

これには同意できるか?小中高学生とかの理数科目の勉強見てれば同意していただけるとは思うけども、

やはり他人折り紙付きを得ないと自信が持てない。俺だけが言葉のみから抽象的な理解というものができない(俺以外の小中高生言葉言葉通りに理解するだけで初見問題も解ける?)馬鹿なんじゃないかという気がしてくる。

anond:20220204074800

そう

元増田の話は不自然

喫茶店

PC仕事してるサラリーマンとか

行き場のない年金爺さんが朝から晩までいる場所ってイメージ

女性客がいてもそれはおばちゃん

若い女中高生子供連れの若い女客は見ない場所

anond:20220204102100

やってない!

ってあくまでも言われたらそれまでだけど、

普通に中高生の子供いるキレイな感じの奥さんでもモロ整形顔だったりして驚く。

家族了解得て実行するもんなんだろうか。

2022-02-02

今の中高生が羨ましい

バイト先の高校生の子たちと話してるとしょっちゅう休校とか一斉下校になってるらしい。まじで羨ましい。

自分中高生の頃なんか冗談抜きで毎日部活があって、周りの目もあって、休んで好きなことしたいと思ってもできなくて家に帰ってから勉強そっちのけで趣味(読書)してたか国語以外はめちゃくちゃ成績低くて親とか先生に怒られまくってた。

ここまで読んでそんなにしんどいならやめれば?って思った人もいるかもしれないけど中学生の頃は部活辞めるなんてもってのほかだったし一応文化部だったか運動部みたいに怪我して転部みたいなこともできなかった。

高校では強烈なスクールカーストみたいなのがあって、コミュ障オタクでブスでスクールカースト底辺だった私は友達が本当に少なくて部活以外に友達がいなかったか部活やめたら友達もやめられちゃうかもしれないと思ってそれがすごく怖かった。

1人でいるとクスクス笑われるような環境だった。

同じクラスにも一応お弁当を一緒に食べてくれる子はいたけど、誰が可愛い、誰がブスとかそういう話ばっかりで高校3年間彼氏がいない、可愛くない女は価値がないんだという歪んだ価値観を持ち続けてものすごく悲観的な性格になってしまった。

大学受験だけはちょっと頑張って、私の高校からはあまり進学する人がいないそれなりに有名な大学に入ることができた。

大学生になった今も彼氏はいないしそんなに欲しいとも思わなくなったけど、同性も異性もたくさん友達ができてとても楽しい。頭が良くて真面目な人が多いからか、異性の見た目をジャッジするような人は少なくとも私の周りにはいない。1人でいても後ろ指さされることもないし、そもそも広い大学内なんて単独行動してる人の方が多い。

大学友達と話してても恋愛の話もあまり出ないから、彼氏いない歴=年齢のカミングアウトもしなくていいしもうちょっと頑張りなよー!とも言われないしとても気楽に過ごしている。

今、中高生でブスで友達がいなくて異性から相手にされなくて悩んでる子がいても、人生を悲観しないでほしい。中学高校人間関係けが人生の全てじゃないし、頑張って勉強すれば人間的にすごいと思う人と関わる機会が得られる可能性が高くなるし、ルッキズムはびこる人間関係からも飛び出すことができる。と思っている。運が良かっただけかもしれないけど。

それにお金があれば留学とかで外国に行くこともできる。人生選択肢が増える。中高生の頃は勉強する意味なんてわからなかったけど、今なら人生選択肢を増やすためだとわかる。

それにしても今の中高生はいいなあ。勉強はもちろんだけど、本読みまくってもいいし、アマプラとかネトフリで映画見まくってもいいし、高校生ならコロナに気をつければバイトして金を貯めたっていいし、学校以外のところで課外活動してもいいし。授業時間以外で勉強しないなら、本当に自分のやりたいこと、好きなこと、そのために必要なことを目一杯するべきだと思う。その方が将来やりたいことも見つかりやすいだろう。

学校とその中の人関係が大好きな人たちもいるだろうけど、これはその輪に入れなかった人に向けて書いている。

2022-01-30

露出狂時代

そんな時代もあったねといつか話そうと思いたって、筆をとっています。私はかつて露出狂でした。今はもうやめています。なった理由仕事ストレスから。やめた理由相手の反応が得られなかったから。

わかりやすい例ですが、仕事ストレスからある種の依存症みたいになってしまったわけです。当時の部署は激務かつ上司パワハラというところでした。ピラミッド型でパワハラは降りてきます上司、先輩、そして、自分。勤続年数は多少あったのですが、自分には部下がいないので、自動的自分が、一番下です。降りてきたパワハラ自分で、なんとかしなければなりません。ここで

家族に当たったりする人もいるかもしれません。私には家族がいなかったので、そのようなことはありませんでした。ただ、子供とかがいた場合虐待せずに過ごせたか、と聞かれたら自信はありません。とりあえず、自分よりも下の人間を、自分に何をされても逆らわないような、そんな人間を探すことが急務でした。

このような最低の理由で、見ず知らずの中高生相手露出することが、私のストレスの捌け口となったのです。

会社をやめて、転職しろという声も聞こえてきそうです。ただし、やりたいこともないし、やれることもない人間椅子は用意されていないのでした。コミュニケーション能力も低く、一度だけ転職イベントに行きましたが、絶望しました。

その絶望した帰りに思いつきました。

そうだ、露出しよう。

どう考えても、その思考おかしいのですが、そうするしかできることはなかった。その日はまだ夕方だったので、おとなしく家に帰りました。次の日は仕事なので、仕事帰りに露出することに、しました。最寄駅の一駅手前で降りて、長めに歩いて帰ります。ちょうど冬だったのでコートを着ていました。駅のトイレで準備をします。コートを開けたら性器

が見えるように調整していきます。いざ、露出散歩です。対抗側から誰かが見えてきたら、コートボタンを外していきます。ただし、相手は選ぶ。高校生くらいの二人組が見えてきました。コートボタンは開いているので、性器が露わになっています。ところが、二人組はおしゃべりに夢中で、こちらのほうを全く気にしていない。残念なことに、終始そんな感じだった。一人でも、歩きスマホ音楽聴いてるのとか。誰にもきづかれない。性器出してるんだけど、見えてるんだけど。自意識過剰からわかってなかったんだけど、他人他人のことに興味がないんだったな。結局、誰から相手にされず、さら絶望した。

季節が春になり、コートを着る必要がなくなってからは、露出することができなくなった。季節は状況を変えたが、私を変えなかった。

この前の水曜日のダウンタウンであった女子中高生に人気の芸人ランキングでは圏外だったのに男子中高生には人気だった芸人一覧


なんかいいよなーこの並び

霜降り明星に男女でこんなに人気差があるの意外

2022-01-29

今の中高生本当に可愛そうだな…

間違いなく10代が人生で一番楽しい時期なのにめちゃくちゃにされて…

今後、一般ジョーカー兄貴姉貴が増えるんだろうな…

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