はてなキーワード: 中高生とは
たぬかな炎上の件でCAG(CYCLOPS athlete gaming)がだんまりを続けてるから一言書くよ。
個人的には、これってここまで大きく炎上する案件じゃなかったと思うんだよね。
だって考えて欲しいんだけど、今回の炎上って「差別は許されない」という文脈なわけじゃん?
それなら、論点は本来「たぬかなは差別をしたのか、差別的発言をしたのか」のはずなんだよね。
これははっきりしておいた方がいいと思うんだけど、ぶっちゃけ差別はしてない。
言い方が悪かっただけなんだよ。
その言い方は最悪だったけどね。
この問題をウォッチしている人は知ってると思うけど、ゲーマー界隈で使われている「人権」というワードは、いわゆるヒューマンライツ的な「人権」ではない。
ゲームにおいて「極めて重要なキャラ、アイテム」程度の話でしかない。
たぬかなはこれを容姿の好みの話に援用して、「身長170cm以下は…」の発言をした。
そもそもこの話、やってきたウーバーイーツの配達員がヤバい人で、その場でたぬかなをナンパしようとしたらしいんだよね。
それを受けて「いやー、身長170cm以下は恋愛対象にならないから論外っすわ」というニュアンスで言ったのが件の発言。
まあ実際はゲーム界隈のワードとしてではなく、もっとシンプルに身長が低いことを最大級に貶める方法としてあの言い方をしたのかもしれない。
それは分からない。
ただ、その後に「ハゲとデブとは付き合ったこともある、でもチビは無理」みたいな事を言っていて、話の内容が好みの異性についてだったことは間違いない。
確かにリスナーとのやり取りの中でそこだけ切り取れば差別にしか聞こえない発言もしてたけど、全体を見れば趣旨は好みの話に集約されるわけで、低身長の男性を差別する話題ではなかったんだよ。
実際チームメンバーやスタッフ、付き合いのある人の中にも身長150cm台や160cm台の人なんていくらでもいると思うんだけど、そういう人達に対して無意味に嫌がらせをしてたとかそういう過去はないわけでしょ。
じゃあなんでこんなに炎上してるの?って言うと、CAGの対応がクソだったからだと俺は思う。
いやさ、差別じゃないんだよ。
なのに差別として処理しちゃった。
でも、差別はしてないんだわ。
これおかしくない?
「差別と受け取られる言葉を使ったのならアウトだ」って言う人もいるかもしれないけど、ちょっと考えてほしい。
野球選手の新庄が、海外で「苦っ」て言ったら「ニガー」と勘違いして黒人のチームメイトが怒ったというエピソードがあるよね。
今回の件は、あれと似たようなものだと思うんだよね。
大事なのは使った言葉なんて表面的なものじゃなくて、当人の差別感情でしょ?
少なくとも、話の流れを見る限りたぬかなの発言に差別的な意図は見えない。
「本人の意図は関係ない、差別と受け取られたら駄目なんだ」とか言い出したら新庄もこのエピソードで差別野郎ってことになっちゃうよ?
すぐに誤解が解けたのは、新庄に差別感情がなかったからでしょ?
たぬかなの物言いは最悪で腹も立つけど、あれに差別を見出しちゃだめだと思うんだよね。
もう一つCAGはおかしなところがある。
たぬかなのインタビュー記事とかを読んでると、CAGは(レッドブルもだけど)たぬかなの人柄や言動を知っていて、その上でチームに所属させ、やりたい放題させてたんだよね。
たぬかなの発言に罪があるなら、問題を認識しながら放置してきたCAGも同罪としか思えない。
しかも、なぜか被害者みたいな態度で「当社として決して容認できるものではなく」みたいなリリースを出してる。
なんでクビをチラつかせてでも矯正しなかったの?
どれだけ酷い発言してもクビになんかならねーよって思わせ続けた結果がこれだよ。
たぬかなを甘やかしたことは、結局たぬかなを成長させないばかりか、ゲームの才能の芽をも摘む結果になった。
CAGはたぬかなが初めて所属したプロチームなんだから、これはCAGが潰したも同然。
そんな風に思ってしまう。
ただまあ、ね。
彼女の発言は本当に酷くて、差別じゃないってだけで本当に酷い。
ナンパされて「好みじゃないからお断りです」ってだけの話を、あそこまで悪意に満ちた表現と態度で表明できるってのは別の才能を感じる。
どこかのインタビューでよくアンチとバトってるとか言ってたけど、アンチとの付き合い方も三十路前とは思えないほど幼い。
掘り返されてた「自○しろ」発言も、「消えろブ○」的なコメントを見て「戦った」結果だった。
その時に語ってた理屈が「あいつが先にコメントしてきたんだからいいんだ」「あいつの方が悪いだろ」なんだけど、中高生かよって思ったよね。
何も背負ってない匿名リスナーと、チームとスポンサーの看板背負ってるプロが同じレベルで罵り合っていいはずがないだろうに。
そんな基本的なことも教えてもらってないのかと思うと、ある意味かわいそうではある。
思考の幼さという点では、自分が正しい、自分はOKという子供臭さもある。
「女性ゲーマーたぬかなが嘆くeスポーツ界の女性蔑視」というタイトルのインタビュー記事があったんだけど、まあ酷い。
「当時一番辛かったのは、やっぱり容姿に対する誹謗中傷ですね。」
容姿に対する誹謗中傷は辛かった、でも身長が低い男性に最大の侮蔑を送ることに躊躇はない、と。
子供だよね(29歳だけど)。
話を戻すんだけど、たぬかなは口が悪い、性格が悪いってだけで、差別はしてなかった。
だとするなら、CAGは、チームとして
みたいな形で幕引きを図るべきだったんじゃないのかと思う。
マジモンの差別だったのなら一発クビも致し方ないけど、違うじゃん。
なんとかならんかったのかな。
プロゲーマーはゲームが上手ければ馬鹿でも口が悪くてもいいじゃん。
才能があるのなら、それを支えて表舞台に立てるようにするのがチームスタッフの仕事だろ。
本当、なんでこんなことになってしまったのか。
ディズニーって3種類の層がいて、それぞれおもろいなって思う。
まずはノーマル層。中高生が主で、イベントとしてディズニーに来ている感じ。アトラクション全制覇を目指して走り回り、ご飯は基本レッグ系。ショーやパレードは見ない。分割できるキーホルダー買いがち。休憩と称してシンドバッドかスモールワールドに乗る。
次が美男美女層。若干中高生ともかぶるが、総じて顔面レベルが高いかファッションセンスが良い。自分を引き立てるための道具としてディズニーを利用する。アトラクションに乗ったりもするけど、基本は写真。TikTok勢もいる。SSコロンビア号のデッキにいがち。
最後がガチ勢層。この人たちはアトラクションや自撮りよりも、ショーパレード、新作メニュー、新作グッズの制覇に向けて奔走する。マジでパレードのために何時間も前から場所取りしてるのはこの層。ただディズニーのガチ勢にも2種類あって、その人の本質もディズニー寄りな人。身だしなみに気を使い、きれいにしている。ただ顔面は普通レベル以下であることが多い。もう片方は、いわゆるオタク気質の人。なんで何かにはまった人間って同じ見た目によっていくんだろう。不思議。この人たちはディズニーが好きと公言してグッズなどは身に着けるものの、本人がディズニーの雰囲気に追い付いていない。ちぐはぐな印象。ゴスロリに憧れたものの、髪の毛ぱさぱさでメイクが下手な人みたいな感じ。
以上。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
さだまさしの故郷の長崎県で行われる「精霊流し」は、彼の歌の曲調のような静かでしめやかな感じの行事ではない。
カネやタイコで囃し立て大勢で練り歩く中、イヤというほど大量の爆竹を破裂させる大変騒々しいものだ。
さだは、この誤解を長崎以外の全国に広めた罪を謝罪し、撤回すべきだww
いやまぁ、オレもいいトシになって人生の酸いも甘いも経験してそこそこの分別もついてからこの歌を聴けば、亡くなった恋人(もしくは兄弟?)への想いで沈痛な心情と、にぎやかでハデな行事との対比によって、イイカンジにドラマチックさを醸し出してる...的な考察ができるけどさ〜。初めて聴いたときは、そんな思慮分別などまるでないバカ中高生の時代だったからね〜w
増田さんが偉いなと思う点が二つあって、
まず就活に臨むまで、人に対して人として接していたということ。
ゼミや研究室で同じような悩みに既にウンザリする人もたくさんいるし、
なんなら中高生の頃からその種の絶望を感じてる人も相当数いると思う。
だから増田さんはむしろ人とのコミュニケーション能力あるんじゃないかと。
もう一つは、社会のそういう嫌な面を知りながら、
単純に偉いなと思います。
老婆心ながら付け加えると、
就活の面接で「人間性を見る」なんて言われたとしたら、それは嘘です。
絶対に
できません。便宜上できるふうに振る舞ってるだけです。
本気でできると思ってる人はただのバカです。
畢竟、就活は単なるガチャです。ほとんどが運(縁と言い換えてもいい)に左右されて、
だからもし思い通りにいかなくても、自分自身の評価を下げる必要は全くありません。
就活に成功した人間は、自身の能力や人間性が優れていると思いがちですが(長いストレス下に置かれたので仕方ない面はあります)、
そんなことはありません。
長くなってすみません。
サイゼ美味しいし、基本的に安いから好きなものを気兼ねなく頼めるのも嬉しい。
中高生カップルとかなら、お水片手にミラノ風ドリアでお腹を満たすのも幸せだ。
社会人なら、たまに混じる高いメニュー(プロシュートとかアロスティチーニとか)も美味しい!
ただ、初デートとか、特別な記念日をお祝いするなら、普段より少し特別感のあるお店で特別な思い出を残せたら嬉しいなと思う。
サイゼ良し悪しではない。
仕事でも「特別な会食の場」にサイゼは選ばないでしょ、というだけのTPOの話。
何が言いたいかといえば、数%の常に特別扱いを求める女性を基準に、大多数の女性をくさしても意味がないということ。
婚活は初回は男性奢りらしいのでその風習と混ざってるのかもしれんが。
多くの騒ぐ側はわかっててやってるんだろうけど、たまに本気で「女はこう思ってる」「いやいやそんな考えの女はどこにもいない」っていうのが混じってるようだから書いた。
縦置きしてるデュアルディスプレイがなんか寂しいので壁紙でもスライドショーさせようと思った。
どうせ私用のPCだし軽めのエロ画像垂れ流したら毎日が楽しいかもと思い立ち「壁紙 二次元 エロ」で検索。
案の定微妙極まりないサイトばかり引っかかったので自分の浅はかさを自省しながらワードを調整。
こういった思考から検索ワードを「壁紙 iPhone エロ」に変更。
してから再度気付く、いやさっきよりもよっぽど中高生がやりそうな検索だな!
案の定、というより先ほど以上に糞みたいな検索結果だったので挫折。
結局手元にあるお気に入りのエロ画像加工したりIllusionやKISSのエロゲーのスタジオ機能で適当に自作してスライドショーにしている。
まあ満足。
ラーメンハゲが言うように料理そのものじゃなくてそこに付随する情報が大事なんでしょ
サイゼといえば金のない中高生の集団が行くところ、マトモな大人がデートのようなハレの日にサイゼしか行けないのはカネがないか店を知らないかで情けない、みたいな
なんかサイゼの絵に対する嫌悪感がある層が一定層いるらしい?けど、個人的にはその気持ちは理解できるなー
オタクが創作したマンガとか絵は好んでよく見て楽しんでるけど、その中で描写される女に違和感を持つケースはままある。
たとえば、
・幼稚園児レベルの知能しかない(すぐ泣く、ふぇ…とか言っちゃう)
・一般的に見てキモい主人公(外見でなく行動様式がキモい)に好意を寄せてる
・中高生くらいが好む店、服、イベント、デートしか描写されない…等々
描き手の社会的レベルに準じてるってだけとは思うし、not for meで随時ミュートしてるけど、文句の一つも言いたくなるほど身の毛のよだつやつは稀にある。。
なんでなんでしょうね。誰か知ってたら教えて下さい
研修生というのは、一定期間、色々な部門に配属されて、実際の仕事場を見学したり手伝ったりする人だ。
とてもふわっとしてるけど、身バレを防ぐためなので、こういう書き方しかできない。要するに、小学生や中学生の職場体験のすごく本格的なバージョンだ。
好意的な態度をとるや否や、「友達になりましょう」とすごい勢いで距離を詰めてきて、ラインを交換してくれと迫ってくる。うっかり交換してしまうと、朝から晩までラインを送りつけてくる。
その研修生の噂はすぐに広がり、有名になった。距離感のおかしいヤバい人間として警戒されている。ただ、研修自体はきちんと真面目に行なっているので、偉い人に苦情を言いつけて追放することもできない。ラインを交換しろといってきても、断ろうと思えばこちらから断れる。何か話しかけてきても、ラインをたくさん送ってきても、こちらが塩対応すれば自然と寄り付かなくなる。ストーカー気質だがストーカー行為はしていない。
というわけで研修期間が終わるまでそいつとは極力話しかけず、離れておこう──というのが現状である。
ところで、その研修生を見てると、私は心がざわめく。
中学生の頃、友達になりたいと思って一生懸命話しかけていた相手が、別のところで、私を殴りたいほど嫌っていると話していたとか。
同年代の人間と友達になれず、塾の講師や学校の先生とばかり喋っていた中高生時代とか。
私をからかってくる人に対し、ペシッと足を踏んでやったら(暴力は良くない)、お前とは友達じゃないから距離感を守れとマジギレしてきた人とか。
他人とどうしたら「適切な」距離感で、「友達」になれるのか、分からない。
あの研修生は私も近寄りたくない。何を考えているか分からないし、ただただ怖い。
一方で、私は他の人にもこんな思いをさせてきたのだろうか、と思う。
中学校のあの子や、塾や学校の先生、あのマジギレしてきたあいつは、こんな思いをしてたのか?
今日、私が話しかけた人達は、どう思っていただろう。不快に思っていないだろうか?
そう考えるたび、苦しくなる。今まで関わった全ての人に謝りたくなる。
もちろん考えたって謝ったって無意味だし、どうしようもない。
できることと言ったら、できる限り縮こまって、できるだけ人と喋らないことだ。でも、私は寂しがりやだから、とてもとても難しい。
誰とも顔を合わせず暮らせたらいいのに。しかし私の職場の性質上リモートワークはできない。
こちらの話
その人が「自分の気持の中だけで」好きだという感情を昂ぶらせたりするのを「推してる」と呼ぶような
言葉そのものが元々持っていた意味としては確かにより能動的、実際になにか行動したり金を使ったりという意味合いが強まりそうだけど
あえてその元々ある言葉の意味を当てはめることで強い思いを表すという形なのだと思う
以前はなにか素晴らしいものを表現する時に「神」という言葉を持ち出すことは過剰すぎて
ちょっと使い方を間違うと聞いてるほうを引かせてしまうほど引き合いに出すには意味が大きすぎた
そこには場合によっては宗教観とかやや重い意味さえ乗っかってしまいそうなので割と避けがちな表現だったと思う
しかしある時期から中高生などの若い子が「すごいじゃん」と同じくらい軽い感覚で「神ってる」と言い出した
これにより一気に一般的なレベルにまで「神」が引き下げられたのだ
その後「神ってる」は言われなくなったがなんでもかんでも「神」とする表現は定着して
ちょっと美味しいスイーツがあれば「これマジで神」と言ったり「~のリップマジ神だから」など
以前はサッカーの神様とか映画の神様とかごく一部の選ばれし人にしか使われなかった「神」はついに命のないものにも気軽に使われるようになった
この現象自体は古より「八百万神」あらゆるものに神が宿るという日本的な概念ととても親和性が高く
しかし言葉本来の意味を考えれば神というのはいわば最上級の褒め言葉なので、大人達はふと思うのだ
「それが神だとしたらもっといいものが出てきてしまったらもう言葉がなくなるのでは」
昨日の神と今日出会った神は仲良しでありまったく問題なく並列できるのだ
ちょっと話がズレた気がするが要はより過剰な言葉を当てはめることで表現の強度を強くする
「推し」という言葉についても、そもそもは実際のヲタ活動における散財や行動と相性が良いから使われ始めたのかもしれない
ただ今となっては「ファンです」と同じ意味合いで「推しです」という言葉は使われるようになった
「~さんは私にとっての神です」という比較的ガチなトーンから「今日のご飯マジ神」という軽い神にまで神の存在が近くなったかのように
「推している」という言葉の意味も今では「好き・・・」くらいの意味合いになっているように感じます
法則だけ教えられてもすぐには使いこなせないのが凡人なので、私のような人間はチャートとかで問題を解く。
おっしゃる通り法則は事例から抽象化されたもので、でもだからこそすぐには「理解」できない。往々にして理解したつもりになる。
(なのでネットで法則に準拠したつもりになって結局はとんちんかんでしかないことを言ってこうやって突っ込みも食らう。理解が不十分故)
問題を解いて、間違ったらそれに向き合っていくというのを繰り返すうちに、自分自身の理解の抽象度が高まっていき、法則の真の理解、その法則さえ理解していれば原理上解ける全ての問題が初見でも解けるような理解、へとたどり着くのだと思う。
チャートが無いならこうやって自分や他人に問題をぶつけることで同じような理解の過程を再現するしかないということ。
これには同意できるか?小中高学生とかの理数科目の勉強見てれば同意していただけるとは思うけども、
やはり他人の折り紙付きを得ないと自信が持てない。俺だけが言葉のみから抽象的な理解というものができない(俺以外の小中高生は言葉を言葉通りに理解するだけで初見問題も解ける?)馬鹿なんじゃないかという気がしてくる。
バイト先の高校生の子たちと話してるとしょっちゅう休校とか一斉下校になってるらしい。まじで羨ましい。
自分が中高生の頃なんか冗談抜きで毎日部活があって、周りの目もあって、休んで好きなことしたいと思ってもできなくて家に帰ってから勉強そっちのけで趣味(読書)してたから国語以外はめちゃくちゃ成績低くて親とか先生に怒られまくってた。
ここまで読んでそんなにしんどいならやめれば?って思った人もいるかもしれないけど中学生の頃は部活辞めるなんてもってのほかだったし一応文化部だったから運動部みたいに怪我して転部みたいなこともできなかった。
高校では強烈なスクールカーストみたいなのがあって、コミュ障でオタクでブスでスクールカースト最底辺だった私は友達が本当に少なくて部活以外に友達がいなかったから部活やめたら友達もやめられちゃうかもしれないと思ってそれがすごく怖かった。
同じクラスにも一応お弁当を一緒に食べてくれる子はいたけど、誰が可愛い、誰がブスとかそういう話ばっかりで高校3年間彼氏がいない、可愛くない女は価値がないんだという歪んだ価値観を持ち続けてものすごく悲観的な性格になってしまった。
大学受験だけはちょっと頑張って、私の高校からはあまり進学する人がいないそれなりに有名な大学に入ることができた。
大学生になった今も彼氏はいないしそんなに欲しいとも思わなくなったけど、同性も異性もたくさん友達ができてとても楽しい。頭が良くて真面目な人が多いからか、異性の見た目をジャッジするような人は少なくとも私の周りにはいない。1人でいても後ろ指さされることもないし、そもそも広い大学内なんて単独行動してる人の方が多い。
大学の友達と話してても恋愛の話もあまり出ないから、彼氏いない歴=年齢のカミングアウトもしなくていいしもうちょっと頑張りなよー!とも言われないしとても気楽に過ごしている。
今、中高生でブスで友達がいなくて異性からも相手にされなくて悩んでる子がいても、人生を悲観しないでほしい。中学高校の人間関係だけが人生の全てじゃないし、頑張って勉強すれば人間的にすごいと思う人と関わる機会が得られる可能性が高くなるし、ルッキズムはびこる人間関係からも飛び出すことができる。と思っている。運が良かっただけかもしれないけど。
それにお金があれば留学とかで外国に行くこともできる。人生の選択肢が増える。中高生の頃は勉強する意味なんてわからなかったけど、今なら人生の選択肢を増やすためだとわかる。
それにしても今の中高生はいいなあ。勉強はもちろんだけど、本読みまくってもいいし、アマプラとかネトフリで映画見まくってもいいし、高校生ならコロナに気をつければバイトして金を貯めたっていいし、学校以外のところで課外活動してもいいし。授業時間以外で勉強しないなら、本当に自分のやりたいこと、好きなこと、そのために必要なことを目一杯するべきだと思う。その方が将来やりたいことも見つかりやすいだろう。
そんな時代もあったねといつか話そうと思いたって、筆をとっています。私はかつて露出狂でした。今はもうやめています。なった理由は仕事のストレスから。やめた理由は相手の反応が得られなかったから。
わかりやすい例ですが、仕事のストレスからある種の依存症みたいになってしまったわけです。当時の部署は激務かつ上司がパワハラというところでした。ピラミッド型でパワハラは降りてきます。上司、先輩、そして、自分。勤続年数は多少あったのですが、自分には部下がいないので、自動的に自分が、一番下です。降りてきたパワハラは自分で、なんとかしなければなりません。ここで
家族に当たったりする人もいるかもしれません。私には家族がいなかったので、そのようなことはありませんでした。ただ、子供とかがいた場合、虐待せずに過ごせたか、と聞かれたら自信はありません。とりあえず、自分よりも下の人間を、自分に何をされても逆らわないような、そんな人間を探すことが急務でした。
このような最低の理由で、見ず知らずの中高生相手に露出することが、私のストレスの捌け口となったのです。
会社をやめて、転職しろという声も聞こえてきそうです。ただし、やりたいこともないし、やれることもない人間に椅子は用意されていないのでした。コミュニケーション能力も低く、一度だけ転職イベントに行きましたが、絶望しました。
その絶望した帰りに思いつきました。
そうだ、露出しよう。
どう考えても、その思考はおかしいのですが、そうするしかできることはなかった。その日はまだ夕方だったので、おとなしく家に帰りました。次の日は仕事なので、仕事帰りに露出することに、しました。最寄駅の一駅手前で降りて、長めに歩いて帰ります。ちょうど冬だったのでコートを着ていました。駅のトイレで準備をします。コートを開けたら性器
が見えるように調整していきます。いざ、露出散歩です。対抗側から誰かが見えてきたら、コートのボタンを外していきます。ただし、相手は選ぶ。高校生くらいの二人組が見えてきました。コートのボタンは開いているので、性器が露わになっています。ところが、二人組はおしゃべりに夢中で、こちらのほうを全く気にしていない。残念なことに、終始そんな感じだった。一人でも、歩きスマホや音楽聴いてるのとか。誰にもきづかれない。性器出してるんだけど、見えてるんだけど。自意識過剰だからわかってなかったんだけど、他人は他人のことに興味がないんだったな。結局、誰からも相手にされず、さらに絶望した。
季節が春になり、コートを着る必要がなくなってからは、露出することができなくなった。季節は状況を変えたが、私を変えなかった。