そんな時代もあったねといつか話そうと思いたって、筆をとっています。私はかつて露出狂でした。今はもうやめています。なった理由は仕事のストレスから。やめた理由は相手の反応が得られなかったから。
わかりやすい例ですが、仕事のストレスからある種の依存症みたいになってしまったわけです。当時の部署は激務かつ上司がパワハラというところでした。ピラミッド型でパワハラは降りてきます。上司、先輩、そして、自分。勤続年数は多少あったのですが、自分には部下がいないので、自動的に自分が、一番下です。降りてきたパワハラは自分で、なんとかしなければなりません。ここで
家族に当たったりする人もいるかもしれません。私には家族がいなかったので、そのようなことはありませんでした。ただ、子供とかがいた場合、虐待せずに過ごせたか、と聞かれたら自信はありません。とりあえず、自分よりも下の人間を、自分に何をされても逆らわないような、そんな人間を探すことが急務でした。
このような最低の理由で、見ず知らずの中高生相手に露出することが、私のストレスの捌け口となったのです。
会社をやめて、転職しろという声も聞こえてきそうです。ただし、やりたいこともないし、やれることもない人間に椅子は用意されていないのでした。コミュニケーション能力も低く、一度だけ転職イベントに行きましたが、絶望しました。
その絶望した帰りに思いつきました。
そうだ、露出しよう。
どう考えても、その思考はおかしいのですが、そうするしかできることはなかった。その日はまだ夕方だったので、おとなしく家に帰りました。次の日は仕事なので、仕事帰りに露出することに、しました。最寄駅の一駅手前で降りて、長めに歩いて帰ります。ちょうど冬だったのでコートを着ていました。駅のトイレで準備をします。コートを開けたら性器
が見えるように調整していきます。いざ、露出散歩です。対抗側から誰かが見えてきたら、コートのボタンを外していきます。ただし、相手は選ぶ。高校生くらいの二人組が見えてきました。コートのボタンは開いているので、性器が露わになっています。ところが、二人組はおしゃべりに夢中で、こちらのほうを全く気にしていない。残念なことに、終始そんな感じだった。一人でも、歩きスマホや音楽聴いてるのとか。誰にもきづかれない。性器出してるんだけど、見えてるんだけど。自意識過剰だからわかってなかったんだけど、他人は他人のことに興味がないんだったな。結局、誰からも相手にされず、さらに絶望した。
季節が春になり、コートを着る必要がなくなってからは、露出することができなくなった。季節は状況を変えたが、私を変えなかった。