はてなキーワード: 上半身とは
ワイ、60歳。妻子持ちやけどED。
そやけど、若い娘大好きやねん。
契約内容は、彼女が学校帰りにワイの泊まるホテルに来て2〜3時間一緒に過ごすんネン。そこでディープキスや上半身を自由にするのが1000円/10分、クンニや指入れは1000円/5分ヤ。会話だけならタダヤ。
彼女、大学1年の時は本番O.K.のデリヘル嬢やったんや。その時の彼女の手取りは80分コースで11000円(本指名なら14000円)。女子大生の相場は随分安くなったもんやと思う。
彼女が何でワイに会ってくれるのかナゾ。多分ファザコンやと思うている。
俺が行くとこはなぜか若い女医さんが多くて(そういうキャリアパスなのかな?)、薄暗い部屋で二人きり、相手は白衣の女医、こちとら半裸、ヌルヌルのローションまで塗られ。
しかも俺は内臓のひとつにポリープ飼ってるせいかこの超音波検査に人よりだいぶ時間がかかる。じっくり診られる。
けっこうきわどいところまでズボン降ろされたり四つん這いにされたり、人によってはかなり上半身密着させてくるドクターもいたりして。
なのだが。
しかし実は俺脇腹が急所で、器具を当てられると全身痙攣するくらいくすぐったいのよね。興奮に結びつかない、刺激されたらムカつく系の急所なので、この検査中はずっと体が防衛的になっていて、悲しいかな100%そのシチュエーションを楽しむことができない。
残念である。
独身時代、上半身裸でサウナに入るドカタのおっさん風の格好をして、普通に乳放り出して爆笑をかっさらった大島と違って
かなり下品で男芸人が下半身露出するの当たり前なドキュメンタル、いけるのか?と思ってたら
生理でメンタルやられて泣き出したシーンはうわこれやばいんじゃないか、って確かにぎょっとした
しかし次回予告で元気にサンバのカーニバルみたいな衣装を着てる姿を見て何だよ立ち直りはえーなwwwって安心して
次の回では、まだ涙が引かないところから始まって、次回予告で元気な姿を見たとはいえちょっと心配してたら
黒沢を慰めてたフジモンを巻き込んで、まだ目が潤んでるのに気がついたら「黒沢ワールド」を展開して全員を引き込んだあの瞬間はすげえ!!って感動した
気がついた時にはもう遅い、なんてバトル漫画のワンシーンみたいだった。あの瞬間は黒沢が男たちを掌握して頂点に立っていた
シーズン1だっけ、松本が「うるさいクソジジイはアマゾンプライムの契約なんてできないから好き放題やってやる」みたいなこと言ってたの
元増田はたぶん女だろうけど松本の言う「うるさいクソジジイ」なんだと思う。ゾーニングってやつ
分かってると思うけど間違えて見ちゃった増田が悪い。ちゃんとお前みたいなのはこの線から入ってくるなって言ってる以上入って来る方が悪い
こういうの好きな奴らだけで楽しむ場をせっかくアマゾンと吉本が作ってくれてるのに、いくらゾーニングがされていても駄目!この世からなくすべき!みたいに言われるのは迷惑だ
数日前の話。出張で東京のビジネスホテルに泊まったのだけど、エレベーターで部屋に上がって、宿泊階でドアが開いた瞬間の光景が意味不明だった。
狭い廊下に上半身裸の外国人がいっぱいいた。みんな白人系の男性で身の丈2mはありそう。1人はベッドの上で寝ていて、胸のあたりにコードを貼り付けている。それを3,4人が取り囲んでいて、英語でぼそぼそとしゃべりあっていた。
一体どういう状況なのか。
まずベッド。折りたたみベッドみたいなものがエレベーター出入口の真ん前に置かれていた。どこからもってきたんだろう。
コードは医療用っぽくて一瞬救急救命中かとびびったが、寝てる人も取り囲んでいる人もみんなニヤニヤしててなんかよくわからない。たぶん私のびびってる顔を見てさらにニヤニヤしている。怖い。みんなでかくて威圧感すごい。
しかも私の部屋はエレベーター出てすぐ真ん前、ベッドで塞がれていたのだった。ドアの真ん前にいるお兄さんは裸じゃなくてホテルのガウンを着ていて、洋画のワンシーンみたいだ。でも胸元のホテルチェーンのロゴが金色に光ってるのがちょっと無念。
とりあえず状況が意味不明すぎて固まった私は、そのままエレベーターのドアを閉じてフロントに戻った。フロントマンのお兄さんに話したらめっちゃ怪訝そうな顔しながらついて来てくれて、多分びびりながら得意じゃなさそうな英語で頑張って部屋に帰るよう伝えてくれた。外国人のお兄さんたちは「あと2minutesしたらどくよ」みたいなことを言ってhahaって笑った。
で、お兄さんたちの間をすり抜けて部屋に入った私。ドアの覗き穴から見ていたら、お兄さんたちはやっぱりぼそぼそ話しながら、2分も経たないうちに私の両隣の部屋に分かれて帰っていった。寝ていたお兄さんも普通に歩いていて、ベッドは畳んで部屋に転がしていった。私物だったのか。
あれから時間をおいてみたけど、やっぱり事情が飲み込めなくて筆をとっている。すごく異文化圏にやってきた気分。ちなみに夜間に両隣がうるさいとかいうことはなかった。
東京くらい人が集まる街だと、こういう事もあるのかしら?
愛犬が死んだ。
もう5日前のことになる。貴重な体験だと思うので文字にしておきたいと思う。もう心の整理はついているので、慰めたりしてほしいわけではない。ペットを飼っている人の何かの参考になれば、同じ動物好きとして嬉しい。
親バカでしかないが愛犬は「いい子」だった。お手、お座り、待て、伏せなどの芸をすんなり覚えた。散歩の時は自然と人の歩に合わせることを覚えた。おかげで足の弱ったじいちゃんの散歩にも付き合うことができた。じいちゃんの散歩は1人と1匹になり時間も距離も伸びたようだ。散歩の時にはどんな犬と出会っても仲良くした。吠えられることはあっても、吠えるようなことはなかった。近所の飼い犬とはお友達になった。野良犬さえ、愛犬と何やらコミュニケーションをとっていた。当然、人当たりも良く、ご近所のみなさんに愛された。散歩中に、近所の小・中学生によく遊んでもらった。お前はいつも楽しそうだった。怖がる子も、お前がペロッと舐めると笑顔になった。番犬としてもしっかり働いた。家族やご近所さんの足音をしっかり覚え、聞きなれない足音にしっかり吠えた。本当にお前は理想的な飼い犬だった。
大きな病気もせず、スクスク育ち元気に生きた。年老いて体が弱ったが、それでも死の2日前まで日課の散歩を続けた。死の前日に、以前から弱っていた後脚が立たなくなって寝たきりになった。急激に食欲が落ち、水を飲むのもめんどくさがるようになった。それでも自由のきく上半身で、お前はいつもの愛嬌を振りまいていた。家族の一挙手一投足をお前は見ていた。半日だけ有給を使って、ぼくが実家へ帰ってこれたのはこのタイミングだった。
夜には呼吸が苦しくなってきたようだった。自分で体勢を変えられないので、時々体を動かしてあげた。ただ、どうしても楽な姿勢は見つからなかった。それでも、一瞬は楽になるらしく、その間だけ眠っていた。最後の夜をゆっくり眠らせてやれなくて申し訳ない。でも、最後の夜を一緒に過ごしたことをぼくは忘れないだろう。ただただ生きようとするお前の姿があった。
最後の日の朝。とうとう上半身も動かせなくなった。僕が朝食を食べていると「自分にも分けろ」と甘えた鳴き声を出し始めた。でも、口元に食べ物を持っていってもお前は食べられなかった。精一杯の愛嬌だったのだろう。もう眼も鼻もきいていないようだった。ほどなくして意識も失われた。お前はお気に入りの、部屋の日当たりのいい場所で眠るようだった。
母が仕事のために出かけた。その音が耳に入ったのか、お前は意識を取り戻した。最後の力を振り絞ってか、動かない身体を動かして窓から外を見た。いつも誰かが出かけると、窓から家族を見ていた。自分も連れて行って欲しかったのだろう。その気持ちが最後の最後で身体を動かしたようだった。ほどなくして意識がなくなったようだった。最後の力を使い果たしたのだろう。ほんの少しの痙攣のあと、お前は旅立ってしまった。ぼくが仕事に出るわずか10分前のことであった。帰省できたのはわずか12時間程度だった。最期を見届けられるとは思っていなかった。最後に会えれば十分だった。おまえはいつも、本当にタイミングがいい。
僕たち家族は十分にお前の死を受け入れる準備はできていた。お前はそれだけの時間をしっかりつくってくれた。それでも涙が出てきた。どんな本を読んでも、泣ける映画をみても、泣いたことの無い僕が泣いた。たぶん、痛みや苦しみ以外の理由で僕が泣いたのはこれが初めてだろう。溢れ出る感情というものを初めて知った。
仕事のために家を出た。電車の中でも少し泣いた。職場で仕事をした。いつも通り仕事をしたつもりだけど、今思えばそんなことはなかったのだろう。一人暮らしをする家に帰り、夕食を食べた。徹夜ということもあって少し疲れたので、近所のスーパー銭湯に行った。不思議なことに、いつもは混み合う銭湯が空いていた。露天風呂にのんびりとつかった。突然、涙が溢れてきた。30分ほど泣いていただろうか。色々な思い出が頭を巡った。
最後に、愛犬に思うことは「感謝」である。本当に「いい子」だった。もともとは他の家の子になるはずだったのに、不思議な縁で我が家にやってきた。いつも家族のみんなを笑顔にした。イタズラをすることもあったけど。家族が成長し、それぞれの暮らしが始まっても、愛犬が家族をつなぎとめた。愛犬は家族の楔だった。
エロいことの戦引きって考えるとめんどくさい
興味を持ってもらうためのチラリズムとか。
性的興奮を呼び起こすことの是非というか。
本来、誘惑するのはなんのためだろう、というか。
考えるほどドツボにはまりそうで怖いなぁ。
・肌を露出するなら手の届かないところ(映像とか)で。安全のため
「xxってことは誘ってるってことだろう」という自分ルールの人もいるし、それは性的興奮で理性的に判断しづらい状態ではしょうがない面もあると思う。だから自分としては「いやそれは違うぜよ」とより安全なルール(案)を周知していく。で、もうエロい領域に突っ込んだ会話なりアプローチをするなら、線引きをはっきり言葉にしておいたほうがいいんじゃないかと。
と思う。なぜなら女性の性的な最大の急所は下半身にあるからである。
上はいっぱい重ね着で下はショートパンツというのは、ちょっと気をつけたほうがいいんでないか。
とかだと興奮ものだね。……そんな知り合いいないけどね。
(この日記は、「副業で風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。
あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジのワンピースにスニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通の若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。
午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。
僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。
最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。
諸般の事情でサイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。
🌑
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
僕 「あ、はい...」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。
まとめようかと思ったが良作アニメが多すぎて見きれていない
宝石の国 ★★★★★
上半身は男だよとか言う人が居るんだけど
イチャイチャシーン無いんだけど、心理的に百合の波動を強く感じる
少女終末旅行 ★★★☆☆
戯れにレズれよ
このはな綺譚 ★★★★☆
あれ、少ないな
今度またちゃんと書こう
見逃してるの多そうだし、まだどっち方向か分からん
クレイジーサイコレズ枠が足りない
____
中途半端な視聴状況で伸びちゃってすまん
URAHARAか、わかった、見る
>宝石の国は中性
中性vs中性は一体何なのか、ホモであり、ノンケであり、レズである
フォスってシドニアのイザナっぽいよね、イザナとゆはた・・あ、何でもない。3期はよ
台湾に行って来た。
一人での海外旅行は初めてだ。
台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。
長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。
取り留めない旅行記だ。
もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。
出発前
そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い、自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である。
初めてなので、ツアーを予約して、飛行機とホテルの世話だけをして貰うつもりだった。
いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。
でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単な中国語を暗記していてた時にふと気付いた。
そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。
言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。
午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。
ツアーなので、自分の他にも出発する日本人がいるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。
ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人の男性はほぼメガネ。
なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。
後から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。
台湾人は飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?
1
1日目 午前
LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間のフライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。
空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。
バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。
一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジのベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。
あ、言わなきゃ。
「謝謝」
実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。
しかし、誰も集まる気配がない。
機内に日本人が少ない筈だよ。
「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。
より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。
ホテルに向かうミニバンでエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」
「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。
エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日で台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。
さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・と説明が止まらない。
「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。
「それだけじゃ量が少ないよ!」
さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理の名前を何度も聞き返している。
曰く、「発音がメチャクチャだから何言ってるのかわかんないよ!」
日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。
夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理は行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないからであるとの事だった。
台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。
エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市は建物が密集しているのに気付く。
その中にセブンイレブン。
漢字もコンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。
それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。
ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光。
エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。
「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」
どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。
台湾人は親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズムの問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。
エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。
そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。
すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。
細かい注文が出来ないので、かき氷とピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。
大通りで信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。
この台湾的光景を収めようと交差点の歩道でカメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。
「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。
台湾人は親切だけど直接的でもある。
1日目 午後
ホテルのチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。
本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。
エリーさん曰く、祝日の台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。
通りに面した倉庫の様な店。
林華泰茶行。
上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。
実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。
ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来は問屋なので、店員もぶっきら棒。
タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。
そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。
金萱
蜜香紅茶
20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。
台湾の店員さんは人がよく、自分の言葉が変でも何とか必死にコミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。
一杯の茶のイラストと
「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」
「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。
初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。
昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルのチェックインにはそれでもまだ時間がある。
台北101に向かう事にした。
地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。
台湾人はほんとうに人が良い。
うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄のホームでロードバイクを押す人がいた。
曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。
でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分がイメージするアジアのエネルギーとノスタルジーに溢れている。
そうかと思えば、台北101は東京で言うところの押上のソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。
その地にはその地の食い物が有る。
乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。
大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートでガソリン補給をする事にした。
加油、俺。
頼んだのは排骨と魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。
これが中華な味だ。
魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。
そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。
デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。
1日目 夕方〜夜
やっとホテルにチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。
どこで何を食うかは決まっている。
寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。
実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。
「私たち台湾の人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。
一理あるんだろう。
でもこの旅行の重要な目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ。
日が落ちて、明かりが灯った台北の街。
道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。
少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景が日常なんだなぁと驚いたりもした。
日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本の縁日以上の人、人、人。
食習慣が全然違うのを肌で感じる。
夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。
ここに決めた。
朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。
蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。
やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。
おお、これが蚵仔煎か。
まず写真を一枚。
そして口に運ぶ。
プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。
牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。
かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。
エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。
「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。
10月になっていきなりうまくなった実感がある。
こんなの初めてだったから最初はクソテンション上がったけど、徐々にまだまだ勉強が足りない事に愕然とした。
9月意識したことは好きだった同人作家のピクシブや好きなイラストレーターのBehanceを片っ端からチェックしなおして、
自分が好きな線、色、世界観、雰囲気を再確認して特にお気に入りや参考になりそうなものをスマホに参考資料フォルダを作ってストックした。
そして目指す線を何度も意識して引くようにしたら、8月にペン入れ下書きレイヤーを5枚は作ってたのが
なんとか3枚くらいにだいたい収まるようになった。
でも気持ち的にこれは落書きだ、を意識して描いてるからかもしれない。
色の使い方はペールトーンが好きなことと、雰囲気はエキゾチックな感じが好きなのが分かった。
問題は描きたいものがあっても何度もデッサンの狂いに気付いてその修正に時間が掛かること。
特に上半身の腕と肩まわりが全然わからない、背中と胸板の厚み、女性なら胸の付き方とか
これは確実に勉強が足りないんだけどデッサンやポーズ集を真面目にやる気が全然起きない。
つい最近1巻読んでハマって漫画全巻新品で揃えた、感想書くついで宣伝
宝石の擬人化という時点ですでにかなりキャッチーなのに、登場人物の宝石たちは上半身は少年・下半身は少女をイメージして描かれており性別もないので見方によってはBL・百合っぽい部分もあり、上品な色っぽさも兼ね合わせていて少女漫画寄りの絵柄でありながらもストーリーは主人公が努力して強くなる少年漫画的要素があり、さらにポストアポカリプスな要素もあり、みんなが好きなもの全部詰め込んだ感じ。
だけどすごくバランスがいいし、強欲な感じ?がタイトルの宝石らしくて良いと思う。
作中初期で主人公に与えられた「博物誌を編む」仕事もなんちゃって理系としてはグッとくる(あまり本筋ではないけど)。すごくメジャーな宝石は設定上?少なめなのもまた良い(鉱物詳しくないけど割とマイナー寄りがメイン張ってると思う)。ストーリーもダイナミックに話が変化するけど設定のおかげでスッと入ってくるし、細かい部分も練られている感じがする。
独特なタッチで万人受けする絵じゃないと思うけど、ハマる人は結構いそう。
映像だと綺麗な色が映えるだろうし10月からのアニメが楽しみだ。放送局少なくて見れるか心配したけどネット配信充実してそうで一安心。
発想はおもしろいしダンスのレベルも相当高いのはわかるが、どうしても気になることがある。
足を大きく広げて立ち、上半身を激しく動かすような振り付けのとき、タイトスカートだとすごくみっともないのだ。
膝を外股に曲げるような動きなんかも同時に入るともう最悪。
そこも含めて楽しむ動画なのかもしれないけど、ダンスと衣装のジャンルの、この乖離の仕方はだめだと思う。
足を大きく広げて曲げる動きが最高に映えるのはやはりパンツスタイルだし、ボディコンのスーツが最高に映えるのは内股に閉じた足だと思う。
ダンスか衣装か、どっちか片方を他方に寄せてやればいいのに、衣装は昔の衣装でダンスは今のダンスをやっても、全然かっこいいと思わない。合ってない。これをドヤ顔でアップする顧問にもちょっと引く。