はてなキーワード: ウィスキーとは
割と勘違いしている人が多いから断言するけど、世界で一番旨い酒なんていうものは絶対に存在しません。
逆に聞くけど、誰かが「これが世界で一番旨い酒です」って決めたら、それを信じて世界で一番旨い酒だって認めますか?
何かしらのルールやら基準を作って世界一を決めることはできなくはないけど、そもそもそんなことをする意味があるのかという問題になる。
もちろん旨い不味いはある。
だけど、嫌いな人にしてみれば全部不味いし、馬鹿舌な人間にしてみれば全部旨い。
それをわざわざ他人が出てきて旨い不味い決めてどうするんだということ。
じゃぁお酒ってどうやって選べばいいの?という話になるので、鉄板を教える。
まず第一に、旨い不味いではなくて、好きか嫌いかで分けるべき。
むしろ、大して優れた味覚があるわけでもないのに、すぐに「おいしい!」とか言わないほうがいい。
実はそれ、めちゃくちゃ安い酒かもしれない。
お酒の味なんて、雰囲気や温度、一緒に食べてる料理、人、場所なんかで全然変わってくる。
旅先で飲んだお酒が美味しかったから買って帰って家で飲んだら全然美味しくないなんてことは本当によくある話。
原価厨はこの辺のことを全く理解しようとしないから嫌いなんだけど、プロは適切なものを適切な状態で適切なタイミングで出すからプロなんだよ。
そういうサービスコストを無視して、原価だけで価値判断しちゃうのは本当にもったいないよね。
話を戻す。
ビール、ワイン、サワー、ウイスキー、日本酒、焼酎、などなど。
アルコールの濃さや原材料、風味、のどごし、飲み方なんかを比べつつ、自分の好みを探すのがよい。
人がどれだけ旨いって評価しようが、嫌いなものは不味い。逆に人がどれだけ不味いって言おうが、好きなものは旨い。それが真理。
例えば揚げ物には口の中の油を洗い流してくれるようなビールが合うけど、糖分が口の中にべっとり残るようなフルーティーな日本酒は合わない。
獣臭の強いジビエとかにはスパイシーで重厚な赤ワインを一緒に飲むと、臭みと香りが相殺されて赤ワイン単体では味わうことのできなかった華やかで鮮やかな旨みが引き出されたりする。
さっぱりとした白身の刺し身には甘口の日本酒が合うけど、こってりとした赤みの刺し身には辛口の日本酒のほうが相性がいい。
のどが渇いた食前の一杯はビールが旨いけど、満腹で幸せな余韻に浸りたいときはスモーキーなウィスキーをなめるように楽しむのもいい。
どのお酒も、適切なタイミングで飲めば安酒だろうと旨いし、タイミングを間違えればどんな高い酒だって不味いときは不味い。
かといって別にそんなに難しい話をしているわけではない。
変に通ぶって自分の飲みたいものばかり主張するのではなく、和食なら日本酒、モツ鍋なら焼酎、イタリアンならワイン、中華なら老酒といった感じで、その料理とともに用意されているお酒を飲めばいい。
その上で、どうしてその料理とそのお酒が合うとされているのかが理解できるようになれば、自分なりに組み替えてみるのも楽しみ方の一つだ。
間違っても人に押し付けるものではないし、そこに正解なんてものはない。
そういうのをマナーだとか常識だとかって押し付ける人間がいるからお酒は不味くなるしつまらなくなる。
旨い不味いなんて、考えながら飲んでたらお酒は楽しくない。
好きか嫌いか、その場にふさわしいかふさわしくないか。それが一致すれば勝手に旨いし、一致しなければ不味い。それだけのこと。
旨い酒を探すのはその後。
苦手だからカクテルしか飲めませんでも構わない。でも、何を食べてもカルーアミルクしか飲まないのはもったいない。
お茶や炭酸、フルーツジュースなど、ソフトドリンクでいいから、料理の味を引き立ててくれる飲み物に変えてみてもいいかもしれない。
ラーメンだって好みだし、その時の気分で食べたいものなんていくらでも変わってくる。
それなのに一番旨いラーメンを決めるなんて、ナンセンスどころの騒ぎじゃないだろ。
専門家でもなければ味覚なんてものはものすごくいい加減で曖昧なもの。
旨い不味いにこだわって、楽しむことを忘れてしまうことが一番もったいない。
人と飲むのが苦手なら一人で飲めばいいし、店で飲むのが嫌なら取り寄せて飲めばいい。
迷ったらプロに聞く。
楽しみ方を教えてくれるのが本当のプロ。
旨いって言いながら高い酒を押し付けてくるやつはお酒のプロじゃなくて、お酒を使った商売のプロ。これだけは騙されちゃいけない。
・前々から肺を患っていて、別の臓器が悪くなったからそっちの治療をするために入院していたのだけど、呼吸器管理があまりうまくない(と言ったら失礼なんだけど)病院だったらしく、臓器より先に肺の方がやられてしまった。もう良くはならない、悪くなっていくだけというところまで来てしまった。それで、母が自宅に連れ帰ることを決めた。
・病院で人工呼吸器をつけてもらうなどすれば、もう少し長く生きられたのかもしれない。しかしコロナウィルスのことがあるから、この1年もお見舞いとか頻繁にはできなかったし、最期のときに看取ることも叶わなかっただろう。自分の家と家族が好きな父だったから、多分これでよかったんだろうと言い聞かせてる。ただ、コロナウィルスの感染拡大がなければ、もう少しできることがあったのかなあと思うけれど、そういう『たられば』の話を考えても仕方がない。
・10代や20代の頃に、友人が病気になったとか、事件に巻き込まれて亡くなった時などは、悲しみが何もかも埋め尽くして他のことに手が付かず、上を向いていなければ涙があふれるくらいだったけれど、30代ともなるとそんなことはない。仕事は進められるし、ゲームもできる。それくらいの感情の制御ができるくらいには大人になった。
・発売をずっとずっと楽しみにしていたソフトがあった(サガフロンティアリマスター)。
発売直前に危篤の報が入ったので、色んなことが落ち着いてからとプレイしようと思ったけれど、結局始めてしまった。結果的にはこれが良かった。心に隙間が少しでもできると、父のことを考えてしまう。どこかのタイミングでどうにかできたのではないかと考えて、でも結局どうにもできなかった現実を思い出し、思考が堂々巡りになって他に何も考えられなくなる。これがすごく苦しい。真綿で首を絞められるとはこういうことではないだろうか。
だから、大好きなゲームの世界に浸っていると、がんじがらめの思考から解放されて、一時ではあるけれど、楽になれる。
(無心になってキャラの育成してるけど本当に楽しい。とてもとても出来のいいリマスター版になったことが嬉しい。
コラボウィスキーが当選して手元にあったので、リマスター版発売を祝して発売日に封を開けようと楽しみにしていたけれど、こちらはまだ開けられないでいる)
でも、父が亡くなってからの家のことが思っていたより忙しいし、多分自分が自覚している以上に精神的なダメージが大きいようで、気力と体力に少しでも余裕があるときじゃないとプレイできない。まだ半分も進んでいない。連休が明けて、仕事も本格的に再開したので、クリアまでまだ時間がかかりそう。でも、父のことを思い出として割り切れる時が来るよりもずっと早くクリアできるとは思う。
20年以上前から大好きなゲームのリマスター版の発売と、父の逝去がほとんど同時だったことを、私は春が来るたび思い出すことになるんだろう。
・危篤の報を受けて、実家に戻ってきて、それから所用があるときとか、母と交代で仮眠をとるとき以外はずっと父の傍にいて、大体の時間は父の手を握っていた。
握り返す力はほとんどなく、じんわりと湿っていて、だけど温かだった父の手から日に日に体温が失われていった。指先がだんだんと冷たくなって、さすっても元に戻らなくなってくる。自分の両手で挟んでみて、まだ温かいから大丈夫だとごまかした。
・父はほとんど声を出せなくなっていて、意思疎通もままならない状態だったけれど、不思議と笑っているときとか、楽しんでいるときなどは、傍にいる母や私にもそれが分かった。嫁に行かなくてごめんねと冗談っぽく言ったり、額に頬擦りしてみたり、好きな歌を歌ったりすると、父は笑っていた。それは唯一の救いだったように思う。
・最期は家族全員で父を看取ったのだが、生と死の境目はよく分からなかった。どこで線が引かれたのだろうか?
・息を引き取る前の父、もう動かなくなった父、死装束をまとって棺に入れられた父、斎場に着いて焼かれて、骨だけになった父、頭蓋骨を砕かれて(すごく可哀想だった)、骨壺に入れられるところまで全部見ていたのに、未だに父が亡くなったという実感がわかないでいる。入院していた期間が長かったし、私も離れて暮らしていたから、まだどこか遠くの病院に入院していて、戻ってきていないだけじゃないかと思ってる。
・ふとした心の隙間に父のことに思いを巡らせ、はっと、もう父には会えないという現実に思い至ると、思考と事実が一致しないからか、頭がバグりそうになる。
・私は死後の世界は何となく信じているけれど、そこまで信心深い訳ではなく、父は立派な戒名をいただいたが、仏様になるとはとても思えない、骨になった父はもはやただの物体である。現在の科学技術では魂の存在を証明できない。だから、遺影の手前にあるものに意志とかそういうものはないし、よって、父はもうそこにはいないし、どこにもいない。でも、蝋燭に火をつけて線香を灯し、おりんを鳴らしてから手を合わせ、目を閉じて祈っている間は、心の淀みとか思考の澱とかが取り払われて、澄んだ心持になる。父のためと思えばこそ、線香もなるべくつけておこうと思うし、どんな香りがいいか色んなメーカーのものを見て回るようにもなった。そこにはもういないと分かっているけれど、人には縋るものが必要なのだということがよくわかった。
・今わの際の父には冗談めかして言ったが、三十路過ぎて嫁に行っていないことは本当に申し訳なく思ってる。
結婚願望がないわけじゃないし、思うところがあるから、今からでも嫁に行こうと思う(いけるか分からんけど)。
でも、父を生きている間に花嫁の父にしてやれなかったこと、それ以外にも、もう生きている父に親孝行ができないと思うと、すごくしんどい気持ちになる。
・父や母がその親(つまり私から見て祖父母)を見送ったのが50~60代の頃で、私も同じくらいに見送ることになるのだろうか、まだ先のことだと思っていたのだが、30代前半で看取ることになるとは思っていなかった。
・父は7人姉弟の末っ子だった。長子の伯母が存命で、この伯母と父はとても仲が良かった。一番下の弟を先に亡くした伯母のことを考えるとなぜだか申し訳ない気分でいっぱいになる。
・私自身も4人兄妹の末っ子で、それも父が40代の頃に生まれた子で、私が父の半分も生きていないうちに、父が逝ってしまったことが、切なくてたまらない。
・父は庭いじりが好きだったが、最後の数年間は体力が落ちていて、ろくに世話ができていなかった。なので、今の我が家の庭は少し荒れている。
だけど、それでも、父の庭は美しい。ドウダンの細かな若緑の葉と、鈴に似た真白の花が折り重なってまぶしい。何本かを一列に並べて植えているから、光の通り道のように見える。奥に植えた3本の松はいつでも常盤色をしていて渋く、その手前には幹の太く大きな春もみじが1本植わっている。赤紅の細長い葉を幾重にもまとわせていて、炎のようだ。今はツツジが見頃で、赤と白の花が鮮やかに目に飛び込んでくるのが楽しい。
緑が陽に濡れた今年の庭を見ることなく、父は逝ってしまった。そのことがとても悲しい。
この時期じゃなくっても、うちの庭はとても綺麗なのに、お父さんが見ることはもうない。
・大体1ヶ月程度実家に滞在していて、昨日一人暮らしの自室に戻ってきた。
隅に片していた寝具のセットに毛布が挟んであって、クローゼットには厚手の衣類が掛けられたままだった。
ノンアルコールビールにウィスキー入れて「これが人間に奪われたお前の本来の力だ…」ってやってる
スコッチウィスキーが好きで一時期結構飲んでいた。
通風をやらかしたことをきっかけに、
十年ほどお酒はたまにしか飲んでいなかったんだけど、
最近酒量に気をつけながらまたお酒を飲むようになった。
今度は結婚したと言うこともあり、若い頃のように
好き勝手なお金の使い方も出来なくなったので、
もっぱら千円前後の安いブレンデッドウィスキーを飲んでいる。
飲み方はだいたいストレート。
不思議なのは、昔はこの価格帯のウィスキーは
おいしく感じず、敬遠する銘柄が多かったのだが、
(具体的な銘柄は出さないけど)
今はたいていの銘柄はおいしく感じるし、悪くても
好みじゃないけどまぁ飲めるな程度に感じられる。
昔よりウィスキーがおいしくなったのか、歳をとって味に鈍感になったのか、
どっちなんだろう。
関係ないが最近引っ越した近くのスーパーには千円前後のウィスキーの種類が
やたら多く、リチャードソンとかマッカーサーとか未知の酒を飲むのが楽しみでもある。
お酒の量には気をつけます。
ちなみにおいしいと思ったウィスキーは
ベル、デュワーズ、クレイモア、
そこそこおいしいと思ったのは
ティーチャーズ、バランタィンファイネスト、グランツ
好みじゃないがまぁ飲めると感じたのは
カティーサーク
です。
あるとき、三十疋ぴきのあまがえるが、一緒いっしょに面白おもしろく仕事をやって居おりました。
これは主に虫仲間からたのまれて、紫蘇しその実やけしの実をひろって来て花ばたけをこしらえたり、かたちのいい石や苔こけを集めて来て立派なお庭をつくったりする職業しょうばいでした。
こんなようにして出来たきれいなお庭を、私どもはたびたび、あちこちで見ます。それは畑の豆まめの木の下や、林の楢ならの木の根もとや、又また雨垂あまだれの石のかげなどに、それはそれは上手に可愛かあいらしくつくってあるのです。
さて三十疋は、毎日大へん面白くやっていました。朝は、黄金色きんいろのお日さまの光が、とうもろこしの影法師かげぼうしを二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日さまの光が木や草の緑を飴色あめいろにうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫さけんだりして仕事をしました。殊ことにあらしの次の日などは、あっちからもこっちからもどうか早く来てお庭をかくしてしまった板を起して下さいとか、うちのすぎごけの木が倒たおれましたから大いそぎで五六人来てみて下さいとか、それはそれはいそがしいのでした。いそがしければいそがしいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大よろこびでした。さあ、それ、しっかりひっぱれ、いいか、よいとこしょ、おい、ブチュコ、縄なわがたるむよ、いいとも、そらひっぱれ、おい、おい、ビキコ、そこをはなせ、縄を結んで呉くれ、よういやさ、そらもう一いき、よおいやしゃ、なんてまあこんな工合ぐあいです。
ところがある日三十疋のあまがえるが、蟻ありの公園地をすっかり仕上げて、みんなよろこんで一まず本部へ引きあげる途中とちゅうで、一本の桃ももの木の下を通りますと、そこへ新らしい店が一軒けん出ていました。そして看板がかかって、
「舶来はくらいウェスキイ 一杯ぱい、二厘りん半。」と書いてありました。
あまがえるは珍めずらしいものですから、ぞろぞろ店の中へはいって行きました。すると店にはうすぐろいとのさまがえるが、のっそりとすわって退くつそうにひとりでべろべろ舌を出して遊んでいましたが、みんなの来たのを見て途方もないいい声で云いいました。
「へい、いらっしゃい。みなさん。一寸ちょっとおやすみなさい。」
「なんですか。舶来のウェクーというものがあるそうですね。どんなもんですか。ためしに一杯呑のませて下さいませんか。」
「へい、舶来のウェスキイですか。一杯二厘半ですよ。ようござんすか。」
「ええ、よござんす。」
とのさまがえるは粟あわつぶをくり抜ぬいたコップにその強いお酒を汲くんで出しました。
「ウーイ。これはどうもひどいもんだ。腹がやけるようだ。ウーイ。おい、みんな、これはきたいなもんだよ。咽喉のどへはいると急に熱くなるんだ。ああ、いい気分だ。もう一杯下さいませんか。」
「こっちへも早く下さい。」
「いやありがとう、ウーイ。ウフッ、ウウ、どうもうまいもんだ。」
「こっちへも早く下さい。」
「ウウイ。」
「おいもう一杯お呉れ。」
「こっちへ早くよ。」
「もう一杯早く。」
「へい、へい。どうぞお急せきにならないで下さい。折角せっかく、はかったのがこぼれますから。へいと、これはあなた。」
「いや、ありがとう、ウーイ、ケホン、ケホン、ウーイうまいね。どうも。」
さてこんな工合で、あまがえるはお代りお代りで、沢山たくさんお酒を呑みましたが、呑めば呑むほどもっと呑みたくなります。
もっとも、とのさまがえるのウィスキーは、石油缶かんに一ぱいありましたから、粟つぶをくりぬいたコップで一万べんはかっても、一分もへりはしませんでした。
「おいもう一杯おくれ。」
「も一杯お呉れったらよう。早くよう。」
「さあ、早くお呉れよう。」
「へいへい。あなたさまはもう三百二杯目でございますがよろしゅうございますか。」
「いいよう。お呉れったらお呉れよう。」
「へいへい。よければさし上げます。さあ、」
「ウーイ、うまい。」
「おい、早くこっちへもお呉れ。」
そのうちにあまがえるは、だんだん酔よいがまわって来て、あっちでもこっちでも、キーイキーイといびきをかいて寝ねてしまいました。
とのさまがえるはそこでにやりと笑って、いそいですっかり店をしめて、お酒の石油缶にはきちんと蓋ふたをしてしまいました。それから戸棚とだなからくさりかたびらを出して、頭から顔から足のさきまでちゃんと着込きこんでしまいました。
それからテーブルと椅子いすをもって来て、きちんとすわり込みました。あまがえるはみんな、キーイキーイといびきをかいています。とのさまがえるはそこで小さなこしかけを一つ持って来て、自分の椅子の向う側に置きました。
それから棚から鉄の棒をおろして来て椅子へどっかり座すわって一ばんはじのあまがえるの緑色のあたまをこつんとたたきました。
「キーイ、キーイ、クヮア、あ、痛い、誰たれだい。ひとの頭を撲なぐるやつは。」
「勘定を払いな。」
「お前のは三百四十二杯で、八十五銭五厘だ。どうだ。払えるか。」
あまがえるは財布さいふを出して見ましたが、三銭二厘しかありません。
「何だい。おまえは三銭二厘しかないのか。呆あきれたやつだ。さあどうするんだ。警察へ届けるよ。」
「許して下さい。許して下さい。」
「いいや、いかん。さあ払え。」
「ないんですよ。許して下さい。そのかわりあなたのけらいになりますから。」
「そうか。よかろう。それじゃお前はおれのけらいだぞ。」
「へい。仕方ありません。」
「よし、この中にはいれ。」
とのさまがえるは次の室へやの戸を開いてその閉口したあまがえるを押おし込んで、戸をぴたんとしめました。そしてにやりと笑って、又どっしりと椅子へ座りました。それから例の鉄の棒を持ち直して、二番目のあま蛙がえるの緑青ろくしょういろの頭をこつんとたたいて云いました。
「何をねぼけてんだよ。起きるんだよ。目をさますんだよ。勘定だよ。」
「ううい、あああっ。ううい。何だい。なぜひとの頭をたたくんだい。」
「お前のは六百杯で、一円五十銭だよ。どうだい、それ位あるかい。」
あまがえるはすきとおる位青くなって、財布をひっくりかえして見ましたが、たった一銭二厘しかありませんでした。
「うん、一円二十銭もあるかい。おや、これはたった一銭二厘じゃないか。あんまり人をばかにするんじゃないぞ。勘定の百分の一に負けろとはよくも云えたもんだ。外国のことばで云えば、一パーセントに負けて呉れと云うんだろう。人を馬鹿にするなよ。さあ払え。早く払え。」
「なきゃおれのけらいになれ。」
「仕方ない。そいじゃそうして下さい。」
「さあ、こっちへ来い。」とのさまがえるはあまがえるを又次の室へやに追い込みました。それから又どっかりと椅子へかけようとしましたが何か考えついたらしく、いきなりキーキーいびきをかいているあまがえるの方へ進んで行って、かたっぱしからみんなの財布を引っぱり出して中を改めました。どの財布もみんな三銭より下でした。ただ一つ、いかにも大きくふくれたのがありましたが、開いて見ると、お金が一つぶも入っていないで、椿つばきの葉が小さく折って入れてあるだけでした。とのさまがえるは、よろこんで、にこにこにこにこ笑って、棒を取り直し、片っぱしからあまがえるの緑色の頭をポンポンポンポンたたきつけました。さあ、大へん、みんな、
「あ痛っ、あ痛っ。誰だい。」なんて云いながら目をさまして、しばらくきょろきょろきょろきょろしていましたが、いよいよそれが酒屋のおやじのとのさまがえるの仕業しわざだとわかると、もうみな一ぺんに、
「何だい。おやじ。よくもひとをなぐったな。」と云いながら、四方八方から、飛びかかりましたが、何分とのさまがえるは三十がえる力りきあるのですし、くさりかたびらは着ていますし、それにあまがえるはみんな舶来ウェスキーでひょろひょろしてますから、片っぱしからストンストンと投げつけられました。おしまいにはとのさまがえるは、十一疋のあまがえるを、もじゃもじゃ堅かためて、ぺちゃんと投げつけました。あまがえるはすっかり恐おそれ入って、ふるえて、すきとおる位青くなって、その辺に平伏へいふくいたしました。そこでとのさまがえるがおごそかに云いいました。
「お前たちはわしの酒を呑のんだ。どの勘定も八十銭より下のはない。ところがお前らは五銭より多く持っているやつは一人もない。どうじゃ。誰かあるか。無かろう。うん。」
あまがえるは一同ふうふうと息をついて顔を見合せるばかりです。とのさまがえるは得意になって又はじめました。
「どうじゃ。無かろう。あるか。無かろう。そこでお前たちの仲間は、前に二人お金を払うかわりに、おれのけらいになるという約束やくそくをしたがお前たちはどうじゃ。」この時です、みなさんもご存じの通り向うの室の中の二疋ひきが戸のすきまから目だけ出してキーと低く鳴いたのは。
みんなは顔を見合せました。
「どうも仕方ない。そうしようか。」
「そうお願いしよう。」
「どうかそうお願いいたします。」
どうです。あまがえるなんというものは人のいいものですからすぐとのさまがえるのけらいになりました。そこでとのさまがえるは、うしろの戸をあけて、前の二人を引っぱり出しました。そして一同へおごそかに云いました。
「いいか。この団体はカイロ団ということにしよう。わしはカイロ団長じゃ。あしたからはみんな、おれの命令にしたがうんだぞ。いいか。」
「仕方ありません。」とみんなは答えました。すると、とのさまがえるは立ちあがって、家をぐるっと一まわしまわしました。すると酒屋はたちまちカイロ団長の本宅にかわりました。つまり前には四角だったのが今度は六角形の家になったのですな。
さて、その日は暮くれて、次の日になりました。お日さまの黄金色きんいろの光は、うしろの桃の木の影法師かげぼうしを三千寸も遠くまで投げ出し、空はまっ青にひかりましたが、誰もカイロ団に仕事を頼たのみに来ませんでした。そこでとのさまがえるはみんなを集めて云いました。
「さっぱり誰も仕事を頼みに来んな。どうもこう仕事がなくちゃ、お前たちを養っておいても仕方ない。俺おれもとうとう飛んだことになったよ。それにつけても仕事のない時に、いそがしい時の仕度したくをして置くことが、最必要だ。つまりその仕事の材料を、こんな時に集めて置かないといかんな。ついてはまず第一が木だがな。今日はみんな出て行って立派な木を十本だけ、十本じゃすくない、ええと、百本、百本でもすくないな、千本だけ集めて来い。もし千本集まらなかったらすぐ警察へ訴うったえるぞ。貴様らはみんな死刑しけいになるぞ。その太い首をスポンと切られるぞ。首が太いからスポンとはいかない、シュッポォンと切られるぞ。」
あまがえるどもは緑色の手足をぶるぶるぶるっとけいれんさせました。そしてこそこそこそこそ、逃にげるようにおもてに出てひとりが三十三本三分三厘強ずつという見当で、一生けん命いい木をさがしましたが、大体もう前々からさがす位さがしてしまっていたのですから、いくらそこらをみんながひょいひょいかけまわっても、夕方までにたった九本しか見つかりませんでした。さあ、あまがえるはみんな泣き顔になって、うろうろうろうろやりましたがますますどうもいけません。そこへ丁度一ぴきの蟻ありが通りかかりました。そしてみんなが飴色あめいろの夕日にまっ青にすきとおって泣いているのを見て驚おどろいてたずねました。
「あまがえるさん。昨日はどうもありがとう。一体どうしたのですか。」
「今日は木を千本、とのさまがえるに持っていかないといけないのです。まだ九本しか見つかりません。」
蟻はこれを聞いて「ケッケッケッケ」と大笑いに笑いはじめました。それから申しました。
「千本持って来いというのなら、千本持って行ったらいいじゃありませんか。そら、そこにあるそのけむりのようなかびの木などは、一つかみ五百本にもなるじゃありませんか。」
なるほどとみんなはよろこんでそのけむりのようなかびの木を一人が三十三本三分三厘ずつ取って、蟻にお礼を云って、カイロ団長のところへ帰って来ました。すると団長は大機嫌だいきげんです。
「ふんふん。よし、よし。さあ、みんな舶来はくらいウィスキーを一杯いっぱいずつ飲んでやすむんだよ。」
そこでみんなは粟あわつぶのコップで舶来ウィスキーを一杯ずつ呑んで、くらくら、キーイキーイと、ねむってしまいました。
次の朝またお日さまがおのぼりになりますと、とのさまがえるは云いました。
「おい、みんな。集れ。今日もどこからも仕事をたのみに来ない。いいか、今日はな、あちこち花畑へ出て行って花の種をひろって来るんだ。一人が百つぶずつ、いや百つぶではすくない。千つぶずつ、いや、千つぶもこんな日の長い時にあんまり少い。万粒つぶずつがいいかな。万粒ずつひろって来い。いいか、もし、来なかったらすぐお前らを巡査じゅんさに渡わたすぞ。巡査は首をシュッポンと切るぞ。」
あまがえるどもはみんな、お日さまにまっさおにすきとおりながら、花畑の方へ参りました。ところが丁度幸さいわいに花のたねは雨のようにこぼれていましたし蜂はちもぶんぶん鳴いていましたのであまがえるはみんなしゃがんで一生けん命ひろいました。ひろいながらこんなことを云っていました。
「おい、ビチュコ。一万つぶひろえそうかい。」
「いそがないとだめそうだよ、まだ三百つぶにしかならないんだもの。」
「さっき団長が百粒ってはじめに云ったねい。百つぶならよかったねい。」
「うん。その次に千つぶって云ったねい。千つぶでもよかったねい。」
「ほんとうにねい。おいら、お酒をなぜあんなにのんだろうなあ。」
「おいらもそいつを考えているんだよ。どうも一ぱい目と二杯目、二杯目と三杯目、みんな順ぐりに糸か何かついていたよ。三百五十杯つながって居たとおいら今考えてるんだ。」
「全くだよ。おっと、急がないと大へんだ。」
「そうそう。」
さて、みんなはひろってひろってひろって、夕方までにやっと一万つぶずつあつめて、カイロ団長のところへ帰って来ました。
「うん。よし。さあ、みんな舶来ウェスキーを一杯ずつのんで寝ねるんだよ。」と云いました。
あまがえるどもも大よろこびでみんな粟あわのこっぷで舶来ウィスキイを一杯ずつ呑んで、キーイキーイと寝てしまいました。
次の朝あまがえるどもは眼めをさまして見ますと、もう一ぴきのとのさまがえるが来ていて、団長とこんなはなしをしていました。
「とにかく大いに盛さかんにやらないといかんね。そうでないと笑いものになってしまうだけだ。」
「全くだよ。どうだろう、一人前九十円ずつということにしたら。」
「うん。それ位ならまあよかろうかな。」
「よかろうよ。おや、みんな起きたね、今日は何の仕事をさせようかな。どうも毎日仕事がなくて困るんだよ。」
「うん。それは大いに同情するね。」
「今日は石を運ばせてやろうか。おい。みんな今日は石を一人で九十匁もんめずつ運んで来い。いや、九十匁じゃあまり少いかな。」
「うん。九百貫という方が口調がいいね。」
「そうだ、そうだ。どれだけいいか知れないね。おい、みんな。今日は石を一人につき九百貫ずつ運んで来い。もし来なかったら早速警察へ貴様らを引き渡すぞ。ここには裁判の方のお方もお出いでになるのだ。首をシュッポオンと切ってしまう位、実にわけないはなしだ。」
あまがえるはみなすきとおってまっ青になってしまいました。それはその筈はずです。一人九百貫の石なんて、人間でさえ出来るもんじゃありません。ところがあまがえるの目方が何匁あるかと云ったら、たかが八匁か九匁でしょう。それが一日に一人で九百貫の石を運ぶなどはもうみんな考えただけでめまいを起してクゥウ、クゥウと鳴ってばたりばたり倒たおれてしまったことは全く無理もありません。
とのさまがえるは早速例の鉄の棒を持ち出してあまがえるの頭をコツンコツンと叩たたいてまわりました。あまがえるはまわりが青くくるくるするように思いながら仕事に出て行きました。お日さまさえ、ずうっと遠くの天の隅すみのあたりで、三角になってくるりくるりとうごいているように見えたのです。
みんなは石のある所に来ました。そしててんでに百匁ばかりの石につなをつけて、エンヤラヤア、ホイ、エンヤラヤアホイ。とひっぱりはじめました。みんなあんまり一生けん命だったので、汗あせがからだ中チクチクチクチク出て、からだはまるでへたへた風のようになり、世界はほとんどまっくらに見えました。とにかくそれでも三十疋が首尾よくめいめいの石をカイロ団長の家まで運んだときはもうおひるになっていました。それにみんなはつかれてふらふらして、目をあいていることも立っていることもできませんでした。あーあ、ところが、これから晩までにもう八百九十九貫九百匁運ばないと首をシュッポオンと切られるのです。
カイロ団長は丁度この時うちの中でいびきをかいて寝て居おりましたがやっと目をさまして、ゆっくりと外へ出て見ました。あまがえるどもは、はこんで来た石にこしかけてため息をついたり、土の上に大の字になって寝たりしています。その影法師は青く日がすきとおって地面に美しく落ちていました。団長は怒おこって急いで鉄の棒を取りに家の中にはいりますと、その間に、目をさましていたあまがえるは、寝ていたものをゆり起して、団長が又出て来たときは、もうみんなちゃんと立っていました。カイロ団長が申しました。
「何だ。のろまども。今までかかってたったこれだけしか運ばないのか。何という貴様らは意気地いくじなしだ。おれなどは石の九百貫やそこら、三十分で運んで見せるぞ。」
「とても私らにはできません。私らはもう死にそうなんです。」
「えい、意気地なしめ。早く運べ。晩までに出来なかったら、みんな警察へやってしまうぞ。警察ではシュッポンと首を切るぞ。ばかめ。」
「どうか早く警察へやって下さい。シュッポン、シュッポンと聞いていると何だか面白おもしろいような気がします。」
「えい、馬鹿者め意気地なしめ。
えい、ガーアアアアアアアアア。」カイロ団長は何だか変な顔をして口をパタンと閉じました。ところが「ガーアアアアアアア」と云う音はまだつづいています。それは全くカイロ団長の咽喉のどから出たのではありませんでした。かの青空高くひびきわたるかたつむりのメガホーンの声でした。王さまの新らしい命令のさきぶれでした。
「そら、あたらしいご命令だ。」と、あまがえるもとのさまがえるも、急いでしゃんと立ちました。かたつむりの吹くメガホーンの声はいともほがらかにひびきわたりました。
「王さまの新らしいご命令。王さまの新らしいご命令。一個条。ひとに物を云いつける方法。ひとに物を云いつける方法。第一、ひとにものを云いつけるときはそのいいつけられるものの目方で自分のからだの目方を割って答を見つける。第二、云いつける仕事にその答をかける。第三、その仕事を一ぺん自分で二日間やって見る。以上。その通りやらないものは鳥の国へ引き渡す。」
さああまがえるどもはよろこんだのなんのって、チェッコという算術のうまいかえるなどは、もうすぐ暗算をはじめました。云いつけられるわれわれの目方は拾じゅう匁、云いつける団長のめがたは百匁、百匁割る十匁、答十。仕事は九百貫目、九百貫目掛ける十、答九千貫目。
「九千貫だよ。おい。みんな。」
「団長さん。さあこれから晩までに四千五百貫目、石をひっぱって下さい。」
今度は、とのさまがえるは、だんだん色がさめて、飴色あめいろにすきとおって、そしてブルブルふるえて参りました。
あまがえるはみんなでとのさまがえるを囲んで、石のある処ところへ連れて行きました。そして一貫目ばかりある石へ、綱つなを結びつけて
「さあ、これを晩までに四千五百運べばいいのです。」と云いながらカイロ団長の肩に綱のさきを引っかけてやりました。団長もやっと覚悟かくごがきまったと見えて、持っていた鉄の棒を投げすてて、眼をちゃんときめて、石を運んで行く方角を見定めましたがまだどうも本当に引っぱる気にはなりませんでした。そこであまがえるは声をそろえてはやしてやりました。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトショ。」
カイロ団長は、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っ張りましたが、石はびくとも動きません。
とのさまがえるはチクチク汗を流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。全くあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトショ。」
とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲ってしまいました。あまがえるは思わずどっと笑い出しました。がどう云うわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時のさびしいことと云ったら私はとても口で云えません。みなさんはおわかりですか。ドッと一緒いっしょに人をあざけり笑ってそれから俄にわかにしいんとなった時のこのさびしいことです。
ところが丁度その時、又もや青ぞら高く、かたつむりのメガホーンの声がひびきわたりました。
「王様の新らしいご命令。王様の新らしいご命令。すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かあいそうなものである。けっして憎にくんではならん。以上。」それから声が又向うの方へ行って「王様の新らしいご命令。」とひびきわたって居ります。
そこであまがえるは、みんな走り寄って、とのさまがえるに水をやったり、曲った足をなおしてやったり、とんとんせなかをたたいたりいたしました。
「ああ、みなさん、私がわるかったのです。私はもうあなた方の団長でもなんでもありません。私はやっぱりただの蛙かえるです。あしたから仕立屋をやります。」
あまがえるは、みんなよろこんで、手をパチパチたたきました。
次の日から、あまがえるはもとのように愉快ゆかいにやりはじめました。
みなさん。あまあがりや、風の次の日、そうでなくてもお天気のいい日に、畑の中や花壇かだんのかげでこんなようなさらさらさらさら云う声を聞きませんか。
「おい。ベッコ。そこん処とこをも少しよくならして呉くれ。いいともさ。おいおい。ここへ植えるの
そのころ私は伊東温泉に住んでいた。伊東には川奈に日本一のゴルフ場がある。もっとも、当時は占領軍に接収されていて、日本人は立入ることができなかった。
私の住居から百メートルぐらいのところに尾崎士郎さんが住んでた。士郎さんのところへ出入りする人で、彼の小説の中でカチンスキーとよばれて登場する怪人物がいる。カチンスキーといっても先祖代々の日本人であるが、ゴルフ界で顔の売れた世話人である。私がゴルフ道具を手に入れたときいて、やってきて、
と誘う。
「あそこは日本人が行けないのでしょう」
「普通はそうですが、ボクと一しょなら行けるんです。進駐軍が川奈を接収したとき、司令官に頼まれて、いわれた数だけのゴルフ用具をそろえてやったんです。お礼に何をやろうかといわれたときに、ボクとボクの友だちにゴルフをさせろといってみたんです。よろしい、ではお前とその他七人のお前の友だちはゴルフをしてよろしいということになったんです。七人の名前を書きだしてきましたが、要するに一度に七人以内ならだれでもいいんですよ」
「それは、ありがたいね。じゃア、あなたにゴルフを教えてもらおう」
「ぼくはゴルフをやらないんです。ぼくはゴルフの道具を銀行、会社へ売りこんだり、ゴルフ場の工事を請負ったりしてたでしょう。ボクがヘタでなってないフォームでバカな振り方をやるとお客がよろこんで、つまり、商売のコツだから、ボクは昔からゴルフやらんです。ハハ」
怪人物の言辞はモーローとして心もとないから、私は士郎さんをたずねて、きいた。
「カチンスキー氏が川奈のゴルフ場へ出入できるというのは本当ですかね」
「それは本当だ。とても顔がきくんだ。司令官がでてきて、食堂へ案内してコーヒーをのませるぐらい顔がきくよ」
「イヤ、キミはこまらんよ。司令官が食堂へつれて行くのはカチンスキーだけだ。先日カチンスキーの会社の社長が彼の案内で川奈へ行ったが司令官はカチンスキーだけ食堂へつれて行ってコーヒーをのませてくれて、カチンスキーは二時間ぐらいコーヒーをのんでたそうだ。社長はその間、吹きさらしのゴルフ場へ放ッぽりだされていたそうだよ。キミも食堂へ案内される心配はない」
妙な人物がいるものだ。カチンスキー氏の社長はゴルフを知ってるだろうから、吹きさらしの中で二時間放ッぽりだされても持つかも知れんが全然ゴルフを知らない私はカゼをひくだけの話である。
こういう次第で、日本一のゴルフ場で人のできない練習の機会には恵まれていたが、私は怖れをなして行かなかったのである。
4
一九五二年二月二十九日というハンパな日に、私は群馬県桐生市という赤城山麓の織物都市へ引っ越した。
私は引っ越してくるまで知らなかったが、そこは書上文左衛門という桐生一の旧家で桐生一の富豪の母屋であった。せまい部屋が一ツもない。どの部屋からも一陣の突風が吹き起りそうな広さがあった。
ここを探してくれたのは作家の南川潤である。潤さんはこの母屋に人が住んでいないことを知っていたが、まさか人に貸すとは思わずに、念のため訊いてもらったのだそうだ。すると意外にも実にアッサリ貸してくれたのだそうで、私も引っ越してみて、貸すのが当り前だと思った。
誰かが住んでいなければ、夜な夜な怪風吹き起り、日中といえども台所や座敷などにツムジ風などが起り、ネズミその他のジャングルとなるであろう。かと云って、タダモノの住みこなせる家ではない。第一、当家の人々が奥の方に然るべき住み心持よき家をつくって移住しているほどだ。トラック一台の荷物なぞは、片隅のゴミのようでしかない。
どうしたら人間が住めるであろうかと皆々が思案投首というところへ、文左衛門さんがやってきて、
「山寺のようでしょう」
「まったく、そうです」
「やりません」
「道具があるじゃありませんか」
私は返事をしなかった。ゴルフの道具はある。たしかである。しかし、ゴルフは知らない。たしかである。そのナゼであるかは、何年前かに文六さんのウィスキーの肴にされたテンマツから話をしないと、誰にもわかってもらえない。そして、そのテンマツを語るにはハナシ家が高座で一席うかがうぐらいのイキサツがあって、途中できりあげることも、途中から切りだすこともできない。要するに、返答しない方が無難なのである。
しかし、文左衛門さんはイサイかまわず「私のウチの裏庭にゴルフの練習場があります。戦前に造ったもので、いたんでいますが、練習に差支えはありませんから、御自由にお使いなさい」
言いのこしてさッさと行ってしまった。文左衛門さんはその後私の顔を見るたびに裏庭の練習場を使いなさいとすすめるが、私はかりそめにもゴルフクラブを手にとらなかった。それは文六教祖の訓戒をケンケンフクヨウしているからで、はじめにはプロについて正しいフォームを習いなさい、この一ヶ条だけは守りなさいという。だいたい教祖の言辞が学校の先生や大臣、長官の訓辞よりもなぜ信仰されるかというに、たいがい教祖の訓戒は一ヶ条ぐらいしかない。ここが教祖の自信マンマンたるところで、また実力あるところである。大臣や先生どもの訓辞はとてもこうはいかない。
私は二ヶ月前からゴルフをはじめた。しかしゴルフ道具一式は何年も前から持っていた。ゴルフ靴もボールも何ダースも買いこんで持っていたが、二ヶ月前までゴルフをやらなかったのである。
なぜやらなかったかというとむろん然るべき理由はある。そしてそれは一つの訓戒を守ったためであるけれども、訓戒を守ることは大切だということを、その結果として近ごろ痛感しているのである。
私は子供の時から胃弱で、それが唯一の持病である。そのため適度の運動が必要で、終戦後キャッチボールをやった。手軽にできる運動はそれだけだからだ。
ところが私の年齢ではキャッチボールは無理だ。十ぐらい投げただけで肩の痛さが堪えがたくなり、運動の役にたたない。
そのとき、さる人がゴルフをすすめて、胃弱にこれぐらい適当なスポーツはないから是非これにしなさい、道具を格安でゆずろうという。その人は大金満家でゴルフ狂であったから、最高級のゴルフセットを四つも五つも持っていた。その一つを私にゆずってくれることになった。
五十本ぐらいもある大きなセットでウィルソンの最高級品とかいう話であったが、十万円か十五万円ぐらいか、売る方も値のつけようがないらしい。買う方に至っては、そんな大金が有りっこない。そのうちに金ができたら買いましょうなぞとお茶を濁していた。
そのころ獅子文六さんと会ったら、ゴルフをしなさい安吾さんや、とすすめるから、実は拙者もそのつもりで、十万円だか十五万円だかの金策に頭をなやましている旨を有りのまま伝えた。
すると文六さんは話半ばにカンラカラカラと笑いとばして、おもむろに眉をしかめて、
「昔の金に換算すると、十五万円でも格安らしいですがね」
「いけませんよ。十万円は天下の大金です。初心者がそんなゴルフセットを持つ必要はない。お前さんは四万五千円で犬を買ったろう。犬に四万五千円の大金を投じるとは、なさけない人だね」
その席に坂西志保さんがいた。坂西さんは犬猫の大経験者であるから、
「コリーは高価な犬ですよ」
と取りなしたが、微醺びくんをおびている文六さんは受けつけない。
「安吾さんの買い物には乱世の兆があるね。私が格安で手頃のゴルフセットを世話するから、乱世の商談はやめにしなさい」
その晩は文六さんのウィスキーの肴にされたが、もともとゴルフ道具は高価なもので、特に私が買う筈だったのは最高級品だったから、乱世の兆があるほどのソロバンとも思われない。要するに私は文六さんのウィスキーの肴にされただけだろうと考えて、当夜のことは忘れてしまった。すると、そうでないことが起ったのである。
2
みんな忘れたころに、運送屋が大きな荷物をドサリと持ちこんだ。同時に文六さんからのハガキがとどいた。
弟が新しいセットを手に入れて古いのが要らなくなったから君にゆずらせる。高級品ではないが、初心者には十分と思う。代金は二万円だが、ついでの時でよろしいという文面であった。
ちょうど東京でゴルフ道具のブローカーをやってる人が来合わせていた。アチラ物なら五万円ぐらいでお世話しますというような話の最中であった。
文六さんが送ってくれたセットは、アイアンは全部マクレガーであった。ちょうど五万円という話の最中の品物であるから、相場にしては安すぎるが、と訊くと、
彼はいきなりシャッポをつかみとって、さっさと帰ってしまった。文六さんはブローカーを走らせたのである。
ところが文六さんが私にゴルフをすすめるについて、特に一ヶ条だけ訓戒を垂れたことがあったのである。
「ゴルフというものはヘタがたのしむ遊びであるが、ヘタにも限度があって、我流でやると進歩がない。習いはじめに悪いフォームが身につくとそれまでだから、最初の何ヶ月はプロについて正しいフォームを身につけなければならない。この一ヶ条は堅く守らなければいけませんぜ」
ということをまア五六ぺんはコンコンと訓戒をうけた。よほど我流の悪癖を身につけ易い人物と見立てたらしい。
一しょにゴルフ場へでかけようと計画をたててるうちに、張本人の文六さんが胃カイヨーで入院手術した。退院して湯河原で静養中に、ゴルフボールを一ダース退院祝いにぶらさげて遊びに行くと、さっそく箱をあけボールをとりだして眺めたり撫でたり、まるで舐めやしないかと思うような喜びようであった。しかし、そのあとが、よくなかった。
「ニューボールというものは仲間同士がトーナメントでもやる時に三つほどずつおろすようにしなければならない。初心者がニューボールで練習するなどとは言語道断の話で、ゴルフ場へ行くとキャデーが中ブルのボールを安い値で売っているから、練習はそれで間に合う。ニューボールを何十ダース何百ダース所蔵するのは心あたたまるものではあるが、それは使わずに、時に眺めつつ所蔵せることを楽しむ境地がよろしいな。安吾さんもゴルフとともに、この心あたたまる境地を会得して欲しいな」
また乱世の兆しについて一本クギを打たれたのである。文六さんが乱世の兆しを排撃するについては、口頭だけでなく実質的に力行の士であることを体得していたから、論争の余地がないのである。
「半年後にはゴルフができると思うから、それまでにプロについて正しいフォームを身につけておいてくれたまえ」
約束して別れた。
→「配ってて」と土産を手渡しされたり、無言で机に置かれてたり
・ケーキなどの差し入れがあると、切り分けて配るよう要求された
・10時、昼休み、15時頃にお茶を淹れて社員に配る謎イベントがあった
→なぜか女性社員のみでやらされる
→客先常駐してたら言われた
・結婚してからも毎日残業していたら、上司に「早く帰って旦那さんのごはん作らないと」と諭された
・生理休暇が取れなかった
パターンいろいろ
→上司(女性)が「たかが生理で休むほどではない」と受け付けてくれなかった
仕事以外の雑務は、女性だから、男性だから、若手だからやらされるのではなく、
皆で分担できるようになればいいなと思います。
(自分で変えられるところは変えていきたい)
ネットで知り合って十年以上になる友人がいる。
非電源ゲーム方面から入って他の友人と一緒にオフで会ったりもしてた。
こっちが遠方に引っ越してからはTwitter上での付き合いだけになってたけど自分とは全然趣味の方向性が違って楽しかった。
趣味は人文系の読書で詳しくない自分でもツイート見てて楽しかったしたまに猫ちゃんの写真上げてくれたし。
数年前からウィスキーをたしなむようになった。その頃は数日おきに上がるボトル写真とかうんちくも楽しく見てた。
最近はすっかり政治ネタRT(それも何かを罵倒してる系の)とネトゲの課金報告ばかりするようになってしまった。猫ちゃんの写真も見れなくなった。
酒は怖い。
うちの大学は宅通率が低い。大学から半径2km圏内にみんな住んでた。
当時僕の住んでいたアパートは、1K、6畳3万円/月。コタツとソファーマットレスがあるほか家具がなく、ガランとして集まりやすい部屋だった。僕は酒と料理が第二の趣味みたいなもんだったし、飲み会のたびに酒の備蓄が増え、それが更なる呼び水になり、しょっちゅう飲み会会場になってた。
ある年の冬も、冬休み開始から帰省までの数日で、サークルのメンバーで鍋を作り、終電なんて概念もないから夜遅くまで酒を飲んだ。
夕方から集まり始めて、深夜にはグダグダになり、日付が変わったタイミングで片付けをした。いつもだいたいそれでみんな帰るのだけれど、一番近所に住んでいる女の後輩だけうちに残った。
その子のアパートは、50メートルくらいの超近所。隣の棟に住む友人の次に近所。方面的にも帰る奴なら誰でも送れたはずだけど酔うと言動が若干(?)面倒臭くなる子で、「もう少し飲みたい」と渋って帰ろうとしなかった。
その子は普段そこまで仲良くないし、何より異性だし、帰って欲しい気もしていたけれど、その日僕は料理ばかりしてあまり酒を飲んでなく、飲み直したい気もして、まぁ良いかと思って一緒に飲むことにした。
んで、その子に何を飲みたいか聞いてウィスキーとアマレットのカクテルを作った。飲んで食べてして満腹気味だろうから、度数こそ多少高めでもデザート的な感覚で。
その子が見聞した別サークルでの恋愛談義を肴に3次会よりもグダグダな感じで酒を飲み始めた。
後輩は初めてカクテルを舐めているくらいだったが、氷がほどよく溶けて薄まったのか、トータルの度数を忘れ2杯ほど飲んでいた。ペース配分のつもりで作ったロングもすぐ飲み干し、そうこうしているうちに午前2時。後輩は呂律が回らなくなり、目もトローンとして、だらしなく脱力しながら、それでも飲んでいた。
良い加減疲れてきて、解散を提案したが、後輩は寒いからと帰るのを拒否。送ることを提案したり、コンビニに寄ってアイス買って帰ることを提案したりと適当に帰ることを促しながら、有無を言わさぬ行動のつもりでコタツを壁際に寄せ、ソファーマットレスを展開し、押し入れから布団を出して敷いた。
すかさず酔った後輩がモゾモゾと布団に入っていったので説得を断念した。
トイレに行って寝る前の用を済まして部屋に戻ると、先に布団に潜り込んでいる後輩が、トロンとした目で
「セックスする?」
と訊いてきた。
同時に!
さっき布団を出した押し入れに収納された衣装ケースにゴム製品をしまってあることもハッキリ意識しており、取り出すには敷いたばかりかつ後輩が潜っている布団を押し避けて押し入れを開けなければならない。布団の敷き場所の選択ミスを悔やみつつ、飲み会部屋ゆえの目につかない収納にした自分を恨みつつ、他に予備を収納していないことを嘆きつつ、それゆえに手を出さない自分を確信し、かつ、中学時代に読んだ『閃光のハサウェイ』のなかで出撃前夜に美女と一夜を過ごしならセックスしなかったことを自己分析していたハサウェイ・ノアのことを思い出していた。
「しないよ、寝よう」
と言って、電気を豆電にして、寝るときにバックルが邪魔になるズボンからベルトを抜き、フードが邪魔になる着古したパーカーを脱ぎ、最大限余裕ぶろうとしても上擦った声を恥じながら後輩が潜っている布団に入った。
2人には狭い布団のなかで、寝間着に着替えなかったから寒くて肌を寄せたく、心地よい位置を模索した。途中何度も迷ったけれど、息を潜めているうちに、後輩の呼吸が寝息に変わった。
翌朝、と言うか起きたら、昼だった。
後輩が起きてトイレの行き、その隙に布団をさっと畳み、マットレスをソファー形状に戻し、布団をしまうべく押し入れを開け、……衣装ケースから回収すべきブツを回収し、戻ってきた後輩にキレられるかと思ったけれど何も言われず抱きつかれ、理性のダムが決壊した。
なんか、この季節になると思い出すんだよね。
「朝の引き継ぎ、何かやばいことを言ったような気がする」
予感は的中した。
どんな職種かは伏せる。お世話をする系。
夜勤入りた私に、同僚は「大丈夫?この仕事きつい?」と声をかけてきたた。
とんでもない。仕事は楽しいし、人間関係も全く悪くない。こんなホワイト企業にクズいていいのか、本当に感謝している。
そして「睡眠導入剤を飲んでいることをベラベラと周囲に聞こえる声で誇らしく喋っていた」とのことだった。
ただ睡眠コントロールのために服薬していただけなのに、もう地獄である。
そんな事があったのかと他人事の私に、同僚はまた眼を開く。
ハイテンションとは真逆の生き物、他人と喧嘩したのは小学生が最後。
さぞ同僚は怖かっただろう。
夜勤明けで退勤し、午前中はしばらく躁状態が続き、翌日は公休。
死んだように眠ったことも、後で「そういえば」的な感じで昨日思い出した。
(後でそうだったなとしか思えず、その瞬間は全く意識がない。無意識で身体が動き、後で行動の記憶が蘇る感じ)
深く眠ったあと、ラインや電話の履歴、周囲の反応でふつふつと思い出す恐怖。
【~夜勤入り】
・朝5時から朝10時まで一人でまったりウィスキー。小瓶ストレート180ml。酒量はいつもの事、夜勤入り当日に飲んだのは初めて。
・正午から夜勤入りまではいつものように家事をこなしながらゲームとネットサーフィン。
【夜勤入り~仮眠】
・仮眠までなんなくこなす。
・なんかやばい気がしたので、水もたくさん飲む。
・記憶がスッポリない。
【(躁)帰宅後~正午】
・連絡をとったのは今まで連絡したかったが気兼ねしていた人。男女関係なく5人くらい。ある人には、「ずっとそのテンションだったら良いのに」と意図せずとも通常の私を全力否定。
【正午~夕方】
・気づいたら眠っていた。ちゃんと布団で寝ていた。この時点では何も気づいていない。
【夕方~翌朝】
【翌朝~】
・前日に連絡をとっていた人たちから引くほどの反応に驚く。電話、ラインもいつもは帰ってこないのにわんさか届く。
それも心配ではなく、「あなたと話したい」というテンションで。
また、この時、あの朝テンションのヤバさと、夜勤明けもヤバかった記憶が紐付けられる。
芋づる式に、「なんかやった気がする。その時の事を考えると、ソワソワする」という感情が湧き上がり、色々断片的に思い出す。
パルに影響されてAnova nanoを購入してから早3年。週2回の頻度で低温調理した鶏胸肉(以下「低温鶏胸肉」とする)を作り続けてきたので気づいた事をまとめてみようと思う。
なんで低温鶏胸肉?と思われるかもしれないけど
ポリ袋は以前見かけたこちら( https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00B5MF7S2/ref=ppx_yo_dt_b_search_asin_title?ie=UTF8&psc=1 )を利用している。
下味をつけたら縛って冷蔵庫で保管。そのまま低温調理で使えるので便利。使い捨て続けているけど全くなくならない。
電機ポットはAnovaみたいな縦長な棒を刺すのに丁度いいサイズ感。鶏胸肉一枚くらいならいける。
熱効率が良いし、熱消毒も出来る優秀なやつだけど、気になるようであれば専用の鍋を買うのが良いと思う。
肉の中心温度を63℃以上(※)にしようとすると思ったより固くなりがち。コンビニのサラダチキンよりは美味しいかもしれないけど「しっとり!ジューシー!」と騒がれるほどか?という感想を持たれるかもしれない。
かと言って温度を下げたり調理時間を短くすると食中毒リスクが高まってしまう。
そこで登場するのが下味。様々な下味を試した結果「塩分」「旨味」「肉を柔らかくする」「香り」の要素が重要だという事が分かってきた。これらを抑えておけば低温鶏胸肉のポテンシャルを引き上げる事ができる。
通常の料理における下味の重要性と大差ないように思えるけど、低温調理においてはよりレバレッジが大きくなる気がする。
世の中の低温鶏胸肉に関する記事はもっと下味にフォーカスしても良いと思う。
※) 参考 https://nick-theory.com/sousvide-lies-safety/
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塩としてもにんにくとしても中途半端だけど、低温鶏胸肉の下味を作る上では非常に便利。
どちらもあまり強すぎないが故に他の調味料と合わせやすくなる。基本ステータスを向上してくれるイメージ。
何の味を作るにしてもガーリックソルトを振っておいて損はない。
肉を柔らかくするには柑橘果汁、舞茸、ヨーグルト、日本酒等が挙げられるけど、酢の良いところは肉の旨味を引き出し、他調味料の邪魔をしない事。
こちらも基本ステータス向上系なので、何の味を作るにしても酢を入れておいて損はない。
つまりガーリックソルトと酢を入れておけば、どんな調味料と併せてもほぼ美味しくなる事が確定する!(もちろんガーリックソルトと酢だけでも美味しい)
おそらくポン酢は低温鶏胸肉にとって完璧な下味と言っても過言ではない。
なぜなら低温鶏胸肉において重要な4つ要素を全て持っている上、単体で味が既に完成されているから。
単体で味が完成されていると何が嬉しいかと言うと手間に関するコスパが非常に良い。
鶏胸肉を袋に入れてポン酢をかければ終了なので、あれこれ調味料を引っ張り出したり比率を確認する必要もない。
個人的には普通の味ポンもしくはプライベートブランドで売っているような安いポン酢で十分だった。
果肉多め系な高級ポン酢も試してみたけど柑橘の香りが強くなりすぎている気がする。
「塩と油と旨味は美味しい」を地で行くような調味料。
単体で味が完成されているし、調理後はラーメンスープのような香りになるので食欲もそそられる。食感もしっとり!ジューシー!(理屈はわかっていないけど浸透圧や油の影響なのだろうか)
なんなら茹で汁をスープの下割として再利用しても良い。ベースが創味シャンタンなので不味いわけがない。
低温鶏胸肉を作ればメインのおかずとスープが完成してしまうので非常にお手軽。
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味付けとしては優秀な調味料だけど単体で低温鶏胸肉に使うと失敗する。だしを入れ忘れた味噌汁に近いイメージ。
鶏なんだし旨味出るだろと思っていると意外に出てこない。酢やガーリックソルトのようなサポートが必要。
カレーペーストに関してはヨーグルトを使う事でタンドリーチキン風味にしても良い。ただし、後述する焼き目工程もあった方が美味しい。
肉を柔らかくする能力を持つレモン果汁だけど、はっきり言って効きすぎる。
調理後、肉がぼろぼろの状態になるので綺麗に切り分けるのも困難。茹でた大根と一緒に食べれば良い感じの煮物らしくできる。
めんつゆや白だしは基本的に何と合わせても美味しいけど、低温調理後に関しては香りがはっきりしなくなる。まるくまとまりすぎてしまうイメージ。
旨味は十分なので、尖ったパラメータ(特に香り)の調味料と合わせるべきなのかなと思った。香辛料、薬味系と合わせるのが良いのかもしれない。
均一に下味をつけられる質の保証された手法だけど、塩、砂糖、水をちゃんと測って用意するのはちょっと面倒。
料理としてより高みを目指したいときには丁度いい。気持ちの上で工夫が必要。
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トマトは旨味として優秀だけど低温鶏胸肉を作る上では結構地雷。
肉とトマトがお互いに何も影響しないのでとても中途半端な味になる。おまけにトマトの方も加熱が足りないのでいまいち。
食材間の隙間もできやすくなるので熱が通りにくくなるリスクも出てくる。
何にでも合うマヨネーズも低温調理程度の前では役に立たない。ほんのりマヨネーズ風味を残すだけだった。
度数の高いお酒ならどうなるのかと思いウィスキーを使ってみた。
そのまま食べてみたらアルコールがとてもきついし苦かった。よくよく考えたら低温調理はアルコールを飛ばしてくれるわけではないので当然の事だった。
再加熱が必要になるのだけど、そうすると低温調理のメリットが消えてしまう。おそらくアルコールを飛ばしてから調味料として利用するのが良いと思われる。
それにしても苦味が強いので使い勝手が厳しい。
そのままでも美味しい低温鶏胸肉だけど、焼き目(メイラード反応)をつけるとより高みに行ける。
味の緩急、香ばしさは味が均一になりがちな低温鶏胸肉にとって相性が良い。
焼き目をつけるなら通常はフライパンを使えばいいけど
といった課題がある。
そこで役に立つのがガスバーナー。表面に焼き目を付けたいだけなので、これほどうってつけの道具はない。
そんなに高くもないしガス缶1本で2年くらい持っている。驚きのコスパ。
30にして人生飽きた。
勉強が得意でやる気出る分野で学位とって興味持てる分野で仕事して、料理と家計だけ自分でやってあとは外注とか文明の利器に頼りまくった生活してたら、本当に急に飽きた。趣味も全部急に興味がなくなった。料理もやる気でないから最近外食ばっかりだし、ジムも唐突に行かなくなった。酒も高いウィスキーは全く減らずに棚に陳列されっぱなしで、なんか安く売ってた4Lのやつを炭酸水で割って酔っ払うまで飲んで終わりになってる。
私は知っているぞ、この感覚はラスボス直前でゲームをやらなくなるアレだ。どうせラスボスは主人公に倒されるのだ。そして、大団円かは知らないが、物語に結末が訪れるのだ。
ようは私は人生をほぼクリアして、結末が見えてしまったのだ。だがクリアしたわけではない、ほぼクリアだ。結末が分かる程度には情報が出揃った。クリア前ってそんなものだ。私の人生は結末を見たくなるほどのモチベーションを与えない、ただ得意分野で戦うことがうまかっただけの、できそこないのなろう系主人公人生だったのか。初めはスカッとするとか、困難な状況全部うまくいくとかでちょっとは読めるけど、続きを読むモチベーションがほとんど湧かないあのなろう系。まあなんでもいいか。クリアしてないけど、飽きてしまったのだ。