はてなキーワード: ウィスキーとは
備忘までに。
・彼女と一緒に美術館に行った。「これだから高学歴は」と言われた。
・温泉旅館に泊まった。帰りに寺に寄った。
・一緒に神戸に行って、絵を買ってホテルに泊まった。「この角度で犬の絵描く人初めて見た」と言われた。よく笑った。
・焼き鳥屋へよく一緒に行った。なぜか毎回興奮して、その日はセックスが盛り上がった。
・一緒に昼ご飯を食べた。
・セックスの後、お昼のニュースで「密にならないようにしてください」とキャスターが言っていた。「密っていうかつながっているよね」「中に入ってる」「やめてよ」という会話をした。
・ユニクロのUT?を部屋着にしていた。青の車が描かれているものと、緑のギターが描かれているもの。僕もよく着た。
・駅まで迎えに来てくれた。
・えくぼがあるね、と言った。タップルがオススメとも言っていた。
・どこかの酒屋だか博物館だかで、小さいウィスキーの小瓶を買ってきていた。一緒に飲んだ、美味しかった。
・一緒に京都へ行った。「京都の人はいつも『京都は盆地だから暑いんだ』と言う、そんなのどうでもいいのに何回も言う」と言っていた。
・目隠しと拘束をしてセックスした。
最初に言っておくべきだが、私は村上春樹の熱心なファンである。
スプートニクの恋人以降、発売された長編は発売日に買って読んでいるし、短編も購入するようにしている。
だが、最近なんか違うなと思ってきた。最新の三人称単数に関しては、内容のつまらなさ自体が一種の文学的仕掛けなのかと勘ぐってしまったくらいだ。
それで例の発言だ。
誰もまずいものや健康に悪いものは食べたくないし、読みたくない。
言うまでもないがSNSは不味いどころか、モノによっては有害でさえある。
だが、育った環境や経済状況によってはまずいものしか身の回りにないという場合も充分にある。
善し悪しの判断基準を持たないということも充分にありえる。
そういう人に本物を届けるのも作家の役割だと思うのだが、村上春樹の視点からはそういう「市民」が欠落しているように見える。
誰もがクラシックを聴いて批評したり、ジャガーに乗ったり、ボストンマラソンを走れたり、アイルランドでウィスキーを飲めるわけではない。
例の発言は、読者のQAに答えた形の内容なので、恐らく本人は「個人的には〜〜だと思います。なぜなら〜〜だからです。ですが、別にSNSを日常的に利用している人に含むところはありません」
という気持ちで書いたのだろう。
とはいえ、村上春樹の視野のなかにストゼロを飲みながらふわっちを見ている人はいない。
村上春樹はかつて、「全体小説を書きたい」と言っていた。彼の「全体」のなかに、ストゼロとふわっちは含まれないのか。
文学とは、42歳の派遣社員がお見合いパーティーで3回連続で誰ともカップル成立しなかった時に、心の支えとなるようなものではないのか。
そうかなぁ。20年位前のコーヒーはめちゃくちゃ良い香りがしたよ。
別の話だけどデフレ後に高くなってしまったのがウイスキーで、当時山﨑12年が6千円位したけど、マッカラン12年はスーパーに並んでて4千円切ってたし、ニッカの誕生40周年記念ブラックニッカ12年とか2000円切っていたので、学生でも超高級トディを作れた。今山﨑12年買おうとすると2万円位だし、マッカランは8千円位だし(しかも昔と味が違うらしい)、ブラックニッカ60周年は1万円位ださないと買えない。今の若い人がジャパニーズウィスキーの良い味を知るハードルは上がったなぁと思います。
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
デパートで買うと確かにハズレは少ない。でも、スーパーで買うなというのは暴論だよ。
うちの近所、地元資本のスーパーにある四合瓶で1,182円(税別)の純米酒はトップクラスに旨い。精米歩合55なので特別純米酒だけど、この値段。もちろん地元のお酒ね。ちなみに、作り方・安い理由・味とも、獺祭が近いと思う。
同じブランドの純米吟醸も旨いけど、コスパはこれ最強。今見たら楽天でも1,309円で出てたけどね。
ワインでも、焼酎でも、海外ウィスキーでも、お酒全般に言えるんだけど、確かに高い酒は旨い。ただね、逆は成り立たないのよ。安くて旨いは往々にしてあるのよ。口に合う、料理に合うも含めると特にね。
わたしゃ接待とかでは高い酒を飲んで、家ではコスパ酒を飲む。あと、家では、酒に合わせて料理を作る。まあ、デパートでいい酒買う楽しみを否定する気はないんだけど、こういう旨い酒の飲み方も否定せんといてね。