はてなキーワード: 部活とは
正確には天理教の町が好きだというべきだろうか。
天理教は開放的な宗教なためか、一般人でも施設内部に結構入っていける。
寮のような場所や、学校のような場所にも、立ち入り禁止の看板もなく、自然と入っていけそうな感じはある。
俺は小心者なので入った事無いが。
一般人でも食べれそうだが、俺は小心者なので食べたことはない。
本堂みたいなところにも、一般人が入れる。
さすがに畳の上は申し訳ないので入った事無いが、本堂の周りの廊下を歩くのは楽しい。
その廊下を歩いていると、学生さんが雑巾がけをしているのをよく目にする。
友達と楽しそうに掃除しているのを見ると、嫌々やっているわけではなさそうだ。
そうした信者の方々は、たいてい「はっぴ」見たいのを着ている。
俺的には新選組のはっぴの黒版みたいな印象で、結構憧れるが、信者ではないので着た事はない。
施設内にはそうしたはっぴを着た人が老若男女問わずたくさんいる。
部活帰りのような学生さんたちが、はっぴを着て楽しそうに会話しているのを見ると、彼らはどんな世界観で生きているんだろう?と気になるようになったきた。
たぶん普通の中高生と同じなんだろうけど、そこに宗教が入るとどうなるのかはとても気になる。
最近はてなで話題になった二世問題があったけど、あれはたぶん閉鎖的な宗教の話なんだと思う。
その実態が知りたくて5chをよく見るが、あそこは宗教同士の対立が激しくて、見るに堪えないし、本音が書かれてないように感じる。
信者の方々に話しかけてみればいいだろうけど、俺は小心者なので一度もしゃべったことはない。
なので、誰か教えてくれ。
大学に進学したけどサークルに入らず、バイトもしない日々を送っていました。
高校で部活の揉め事に巻き込まれたりバイトで失敗が多かったりしたのでグループに入るのが怖かったからです。
成人式もいきませんでした。小学校の頃の同級生たちは大人っぽく、逞しくなっているんだろうなと思うと
中学高校で落ちこぼれの日々を送り惨めな思いをした上に大した大学には受からず目が悪くなってメガネをかけるようになった私は恥ずかしくて行きたくありませんでした。
でも大学3年になって自分は少しまずいのではないか、引きこもりと一緒なのではないかと思って他人と関わろうとしました。
ボランティアに1度行ったりしましたが、この活動に長期的に関わるのは難しいと思ってしまって1回しか行きませんでした。
3年の春学期はコロナで学校にもほとんど行かなくなったので外に出て何かしようという気がだんだんしぼんでいきました。
そして大学4年生になり就職活動をはじめました。人と関わってないしバイトもしてないしサークルにも部活にも入ってなかったのですが
インターネットと本と大学の就職課の助けを借りることで内定をもらうことができました。
就活から逃げなかったのは良かったと思うんですが、大学時代に人間関係から逃げたのは間違いだったと後悔しています。
今から人間関係をやっていくのは大変だと思っていますが、なんとか他人と楽しく関われるようになりたいです。
組織の中で無難にやっていきたいというよりは親しい友人とか恋人がほしいと思っています。
「自分の事を可愛いと思って生きてきたブス」の話をさせてくれ、私のことなんだが
私は自分の見た目に1ミリも興味がなかったし他人という人間にも興味がなかった。
服は親がこだわって買ってくれてたのでちゃんとしてたけど、全く興味がなかったし周りの子達の女子らしい会話にも興味がなかったので友達はいなかった。
ところが当時、学年で上位3本に入るくらい可愛い子(仮にmちゃんとする)が、何故か私の事をめちゃ好きだった。
その子は天然でおっとりしてたのだが、多分私の暗さを「大人しい」と解釈して、仲間意識のもと近寄ってきたんだと思う。
私は他人のこと気にしない人間だったのでクラブ活動もオタクしか集わないお絵描きクラブに入った。mちゃんも絶対興味無いのに、私と仲良くなりたいが為に同じクラブに入ってくれたりしてた。
しかし当時の私は「なんでコイツいつも横におるねん鬱陶しい」とか思ってた。マジで最低である
ところで私には超絶可愛くて陽キャな姉がいる。
そこで初めて私は「あいつって可愛いのか」と認識したのである。
私には当時から「可愛い女は可愛い女とつるみたいんやろ」という偏った概念があったので、そこから「可愛い女に好かれるってことは私も可愛いってこと!?」という思考が生まれてしまった。
しかし超絶プリティー陽キャな姉が「そこは変な人が多いからやめておけ」と言うのでとりあえずテニス部に入る。
今思えば当時の中学生はオタクに厳しかったので、あのまま美術部に入ってたら学校生活死んでたと思う。
そして奇しくも私は、テニス部に揃っていた"学年で可愛いとされる三人衆"と連むようになった。家が近く、たまたま登下校を一緒にした為だ。
3人はまじで可愛かったので、そんなのと一緒にいる私も可愛い!と本気で信じてた。
3人は週替わりに告白されるくらい人気だったのに対し、私は1度もそんな告白されたことない。でも自分を可愛いと思ってた。
その子たちが陽キャだったので、学校の有志発表で一緒にダンスを踊るなど身分不相応なこともした。
その時のビデオに、1人だけ明らかにバケモンみたいにデブでブスのやつがいて「誰だ?コイツは?」と思ったりもしてたけどそれでも自分の美貌を信じてた。
そして高校。
入学当初、「〇組の(私の名前)ちゃんって子が可愛い!」と一部で軽く噂になり「え〜そんなの噂だよ〜」と謙遜していたが、この頃にはもう自分の美貌は揺るがないものだと確信していた。
あとから知ったことだが実は、同じクラスに私と同じ名前の子がいて、おそらく噂になってたのはその子だったらしい。
どういう事なのかと言うと、実はゲロマブクソかわギャルの実姉がこのモデルの親友の地位を勝ち取っており、幸いにも姉妹仲が良好だった為わたしも仲良くしてもらってたのだ。
そんな実姉の存在を知らないクラスメイト達から「なんであの人と仲良いの!?」などと詰められてドヤ顔していたが、今思えば「なんでモデルとクソブスなお前が交流あるの!?」ということだ。最もな疑問だった。
ここで異変に気付くことになる。
今まではオタク一筋に生きていた為、異性に興味のキョの字もなかったが、とうとうここで「そろそろ彼氏作ってやってもいいかな」などと思い至ったのだ。
かなり上から目線だが、私の彼氏になりたい人はごまんと居ると思っていたので仕方ない。
ついに行動を起こす。合コンに赴き、街コンに赴き、飲みサーに顔を出し……。
ここで違和感を覚える。
一緒に参加していた友達は、当たり前のように連絡先を聞かれている。なのに私にはまるで一声もかからないのだ。
いや、1人にだけ聞かれたことがある。
上から目線の思考はどこへやら、もはや嬉々としてLINEを教えた。しかし帰宅後彼から送られてきたメッセージは、ただのサークルの勧誘だった。
どういうことだ?
周りに話を聞いてみると皆、ご飯行きましょうやらいつ空いてますかやら聞かれているらしい。
おや?これはもしかして、私はモテないんじゃないか?と、20年以上生きてきてようやく気づく。
ふと、小中高のアルバムを見てみる。
そこには眉毛は薄く目はチベットスナギツネのように細く、全体がもう、なんだ、大根みたいなやつが映っていた。
1度冷静になってみて、はじめてわかった。
私ってブスだったんだ。
本当はひとつひとつに丁寧にコメを返したいのですが、はてな初心者ゆえ「返信とはどうやるんだ?」と詰みましたので追記にて失礼します。
こちらは不意にこれまでの人生を振り返り、ついでに記事にしたろ!ついでにみんなにも楽しんでもらお!と思い、某つぶやきツールのフレンド達に読んでもらうことを前提に綴ったものになります。より多くの人に楽しんでもらえたらラッキーだなくらいの気持ちでここに綴らせて頂いた次第です。
ネットリテラシーガバ女なので、フレンド達は私の顔を承知した上で読むという算段でした。
つまり、こんなに閲覧していただけると思わなかったという事です!本当にありがとうございます!
あまり後から足すのは良くないのかな?と思いつつ、確かに色々想像できない書き方だったな…と感じたので、簡単に家族スペックだけまとめますね。
父
・童顔
・耳がでかい
母
・若い頃はつり目、一重、鼻がでかい(今は二重、歳のせいかタレ目気味になっている)
姉
・昔からファッションや見た目に自我があった。母が買ってきた服を嫌がって着なかったり、可愛い友達の真似したりしてた
・顔が父に激似(父は全くイケメンではないけど女の子にするとこんな可愛いんだな、といつも思う)
・「ギャルなのに頭が良い」に憧れて見た目に死ぬほど気を使ってた
私
・若いころの母似
・服や化粧に興味がなかった
・性格は父似
周りの友達の影響ももちろんあるけど、この母と姉に囲まれてたから謎に自分もそちら側だと思ってたのかもしれない……という自己分析。
ただ、だからといって自分のことを嫌いになるとか、卑屈になるとか、そういうことは一切なかったです。
むしろ人生を思い返した時一番最初に思ったのは、「これ絶対ウケるやつじゃん」でした。
なので、ウケてくださったなら幸いです。
長々とすみませんでした!
楽しんで読んでもらえたなら嬉しいです!
高校のとき、一個下の、話したこともなければ顔すら見たことない人が、急な発作で死んだことがあった
べつに特別顔が広かったり生徒会長だったりするわけでもない、普通にバレー部か何かに所属していて、普通に同学年の友達と仲良くしているような人だった、らしい
学校が同じとはいえ顔も知らねえ、声も知らねえ、名前も知らねえ、完全に他人と言っていい
同じ部活の人なんかはまた話が違うんだろうけど、クラスの大部分にとってはまあどうでもいい、知らん人だった
でも、朝、訃報を担任が伝えたときから明らかに空気がヤバかった
休み時間、いつもはうるさいのに、なぜかみんな囁くような声で話したり黙ったりで、妙に静かだった
生前(生前!)親交があったらしい女子が集まって、泣いてんのかなんなのかわかんないが、人だかりを構成しているのを遠目に見て、なにもコメントできないので、俺は黙っていた
昼休みが終わって掃除の時間、俺はそのとき花壇の草取り係だったので、ペアのやつと一緒に外に出た
よく晴れていて、車の通る音なんかも聞こえるんで、教室よりはずいぶん開放感があったし、周りに人があんまりいなかったので、ようやく異様な重苦しさから解放された感じがした
ペアのやつが、ひきつった笑いを浮かべて「今日の雰囲気ヤバすぎるだろ!」と言ってきたのに深く同意したあと、「お前なんとかしろって〜!」なんて言い合って、すこしでも気を紛らわせようとした
あれはなんというか、すごかったな
あれが「喪」なのかもしれないな、と思う
昔から、あとになってこうしておけば良かったと思うことが多い。
典型的だが、勉強しとけばよかったとか、部活の練習しとけばよかった、もっと遊んどけばよかった、など。父親になった最近でも、子どもと一緒にアレすればよかったコレすればよかったと思うときがある。
ただ、じゃあそうならないように、今を全力で後悔しないように行動しよう、っていう向きにはなかなかどうして難しい。
なんだろうな、モラトリアムとか怠け者とか言われるかもだけど、「今」に集中することがなかなかできない。「今」には色んな情報があって、目の前のこと以外にも気を配らなければならない。例えば、大好きなアーティストのライブに行くとして、本当ならその瞬間に陶酔したり高揚したりして楽しんだほうがいいのだけど、周りの客とぶつからないようにとか、連れが引かないような振舞いをするとか、などで、「今」にのめり込めないのだ。だから、後になってそのライブの映像を一人部屋で見るときに初めて高揚する。子どもと遊ぶ時も、ケガしないようにとか考えてるから、後で収めた映像を振り返った時、もっとこうやって楽しませればよかったって後悔しちゃう。
ニュースや報道番組で暴力映像を目にするたびに本当にしんどくなる。
近年の話題で言うとアメリカの白人警官による黒人男性への暴力やさらなる問題としてアジア人への暴力。香港やミャンマーでデモ隊を鎮圧する警察官。
日本では入管職員による外国人の人道を無視した暴力の他、理不尽なあおり運転やクレーマートラブル、録音されたパワハラ音声(これは言葉の暴力だけど)等々。
ちょっと古いけど障害者施設の職員が利用者を殴っていた映像とか運動系の部活のコーチの部員への体罰の映像もあった。
何の注意も予告も無く流れてくるので対策の仕様がないのだがニュースを見ないわけにもいかないので本当に困る。
報道する意義があると判断しているのだろうけど、辛くなる人も存在します。言いたいことはそれだけです。
ちなみに数少ない配慮の例として
震災特番で「この後津波の映像が流れます」のテロップと戦争特番で「この後残酷な映像が流れます」みたいなテロップが出ていた。どちらもNHK。
『ダークサイドミステリー』のケネディ暗殺の回では暗殺の瞬間の映像にボカシが入っていた。これもNHK。
*
(ぜんぶ妄想です)
*
そのバンドの名前は「Death, Black, Dark, Blood, Dead」。歴史に深く刻まれる名前ではないが無名でもなかった。
結成は1996年の京都。編成はVo、Gu、Ba、Drの四人組で、ジャンル的に言えばDoom Metal。陰鬱で超自然的で夢幻の酩酊感に浸る暴動のBGM。
手元にある『ロッキン・オフ・京都』って2003年発刊のコピー紙で作られたミニコミにはDeath, Black, Dark, Blood, Dead(以下DBDBD)のインタビューが載っていて、メンバーのフェイバリット・アルバムとして挙げられているのがBlack SabathやCathedralだったりElectric Wizardだったりする。でもそこではCANやPublic Enemyなんかも取り上げられていてメタルだけではない幅広い音楽のバックグラウンドを感じさせたんだ。
ちなみに余談だけど、この『ロッキン・オフ・京都』を発行してた京大軽音楽部の人は百万遍の近くで古本屋をやっていて、ミニコミのことを訊けば喜んで当時の話をしてくれるよ。『DOLL』のバックナンバーもめっちゃ揃ってる。
初めてのライブは、結成したその年の京都市立比叡中学校での文化祭。ヘナヘナでヨレヨレの演奏だったよ。だいたい「何?そのバンド名は?」みたいな失笑だった。中2病が過ぎる、みたいな。でも実際メンバー全員中2だったわけだし一番病状が重い時期じゃない?
私はその頃ガレージ・パンクに恋狂いで、ヘナヘナこそ愛すべきロックンロールだと思ってたしヨレヨレこそ美学だと信じてたから、彼らのその拙い演奏にサバスの遺伝子が宿っているのを感じたんだ。
なんでそんなことを知っているのかと言うと、Drの吉田君は私の同級生だったから。他のメンバーは他校の同い年の子たちで、平日の建築現場での雑工のアルバイトで知り合ったんだって。
吉田君は不良じゃなかったけど学校に時々来ない長髪のいつもイライラしてる人だった。キレたらヤバイ奴。家が金属回収業の仕事だから汚いなんて陰口を叩く子もいたりして、そりゃイライラもするよね。そんなこと言うべきじゃないのに。
一度、西院のツタヤでアダルトコーナーから出てくる吉田君を見つけたことがあって、いけず心が発動した私は「あ、吉田君やん、何借りたの?」って声をかけたんだよ。吉田くんってばドギマギしちゃってさ。まだその頃のレンタルはVHSだったから吉田君が持ってる重ねたテープの一番上は『プリティ・ウーマン』だったことを覚えてる。やっぱり普通の映画でカムフラージュするんだ、と思ったもんね。カウンターのところでお店の人に「こちらとこちらはお貸しできません」って取り上げられてプリティ・ウーマンだけ持って帰る吉田君の後ろ姿には十代の男子だけが背負っている哀愁があった。
後日、いけず心が再起動して「プリティ・ウーマンどうだった?」って訊いた私に吉田君は
「あんなん金持ちが札束ばらまいてるだけの話やないか気に入らん!」って怒ってはった。「お、パンクじゃん」って思ったね。
高校は吉田君とは違う学校になって会うこともなくなったけどバンドをやってるらしいってことは風の噂で聞いてた。中学校の友達と会ったりしたら誰それは学校やめたらしいとか、妊娠したとか、そんな噂話をするでしょう?そんな感じでなんとなくは知っていた。
高校の頃は部活と勉強で忙しかったから無理だったけど、大学に入ってからの私はライブハウスに通うようになった。女同士で集まってバンドも始めた。
2回生の頃にめちゃくちゃヤバイバンドがいるって聞きつけて二条西洞院のライブハウスにバンド仲間と行ったら客層が恐ろしくてさ。町内一番の荒くれ者が選抜されて来たんですか?みたいな感じで長髪やスキンズのごつい男達が集まってた。マッド・マックスの撮影ですか?みたいな。その頃はメタルもパンクもごっちゃでラウドロックって括りでみんな一緒にやってたんだよね。
4バンドが出演していて、最後に出てきたのがDBDBD。ずっと忘れてたけどその名前を聞いて「あ、吉田君のバンドやん」ってすぐ分かった。でもドラムセットセットに陣取った彼を見た時は、違う人かな?と思うくらい凄みを増してたんだ。
スローで陰鬱なパートから始まった演奏は、重く苦しい中間部を経て、死と破滅に聴衆を誘う。ライブはめちゃくちゃ盛り上がってさ、と言うか、荒くれ者たちが最高に荒くれるので私達は身の危険を感じてトイレの入り口に避難してそこから見てたよ。暴れ狂う彼らは、今この瞬間だけに生きていて明日のことに希望なんて持っていないようだった。
帰る道すがら色んなことを思ったよね。あの吉田君のヘナヘナのバンドが男たちを狂わせる音楽をやるまでに成長したんだなとか、それに比べて私はとか、ツタヤでビデオカセットを持つ吉田君の指がとっても白かったこととか。
その後もDBDBDは京都で活動を続けていて、京大西部講堂でのライブがあまりにも盛り上がりすぎて主催者からお叱りを受けたなんてこともあった。吉田君とはライブ会場で顔を合わすようになってからまた話すようになったりして「あれは怒られたよねーホント怒られたよねえ」なんて笑ってたけど。
DBDBDの名前が関西のシーンで大きく浮上してきた背景にはこんな事件があったの。
2005年だったはず。当時DBDBDはメタルやパンク、ハードコアのシーンで活動していて、前述のようにかなり激しいステージングと客層で一部では評判になってた。
一方その頃に大阪では武闘派を名乗ってる「Citizen’s Enemy」(以下CE)ってHipHopクルーがいて、他のグループを威圧したり脅したりしてのし上がってきたあんまり夜露死苦ない評判のその人たちが「DBDBDなんてクソ」みたいなこと言ったらしいの。関西で一番ヤバイのは俺たちだ、みたいな宣戦布告だったと思うんだけれど、それを聞いたDBDBDのメンバーがCEを急襲するって噂が流れて観に行ったんだよね。
その日はCEのライブが始まって会場が温まってきたところにどやどやとDBDBDのメンバーがやってきて「勝負しろ!」って言ってさ。「待て待て待て待てー」みたいなプロレス的なコミカルさがあって、笑いも沸き起こって盛り上がったんだよ。CEのDJに「どけ、俺がやる」みたいな感じでDBDBDのベースがターンテーブルを占拠したりしてさ。
で、フリースタイルのバトルが始まったんだよ。まだフリースタイルダンジョンなんてない頃だよ。でもCE側は武闘派を名乗ってたからDBDBDが面白登場したのが気に入らなかったみたい。なのでシリアスなdisり合いになっちゃったんだけど、言葉のキレとか、disりながらも一抹のリスペクトは失わないDBDBD側のラップが素晴らしくてさ、お客さんもHipHop好きな人だからどっちが巧者かは分かっちゃうじゃない?だからDBDBDの方が上だな、みたいな空気でそこは終わったわけ。DBDBDのVoがさ「何が市民の敵やねん!公権力の敵であれ!俺たちの敵は権力者やろ!」ってアジテーションしてステージを降りたのは格好良かったんだよ。
その時私は「ああ、あのミニコミでPublic Enemyをフェイバリットに挙げてたのはVoの彼だったな」って思い出したんだ。
いけないのはそこからで、それから少し経ってDBDBDのライブが難波のベアーズで行われたんだけど、CEのメンバーがやってきて会場で爆竹に火をつけてライブを妨害したんだ。こっちは向こうの流儀で勝負を挑んだのに(というか、和ませる雰囲気さえ醸し出してお邪魔したのに)向こうはただ邪魔しに来ただけっていう。で、どうなったかというと、そこには町内荒くれ者甲子園を勝ち抜いてきたお客様たちが集結してるじゃない?その人たちにCEのメンバーは捕まってちょっとお叱りを受けたっていう。ライブは盛り上がったらしいよ。
CEの人たちは武闘派を名乗ってたのにボコボコにされちゃったからメンツ的なものを失って、その後はなんだかフェードアウトしちゃった。CEのメンバーの一人は最近になって大阪維新から市会議員に立候補してたけど、どうなったのか知らない。
DBDBDはそれからも地道に活動を続けて、Napalm DeathのVoだったLee Dorrianが主催している英国のRise Above Recordsからアルバムを出す話もあったんだ。でもその頃ってメンバーも家族を持ったり仕事で責任ある役割を担うことになったりして、なかなか時間がとれなかったからうまくいかなったの。
吉田君曰く「英語でのメールのやりとりも難しかったし、イギリスでの録音っていう条件がネックで実現しなかったんよなあ、あれほどのチャンスはなかったけど」って。
その後はライブの回数も音源の発表も少なくなっていったんだよね。巷では「失速した」なんて言われたりしたけど、そんな言い方ないよ。彼らは中学の時からずっと働きながらバンドやってたんだから。
吉田君は今も京都に住んでいて、休日に近所の公園の砂場で遊んでる娘の相手をしてるのを時折見かける。染織工場で働いていて労働組合の委員長でもあるらしい。この業界はもう価格的に外国とは太刀打ちできないらしくて、いくら京都ブランドだっていっても厳しくて廃業する会社も多いんだって。会社の存続も心配しなくちゃいけないけど労働者の権利と雇用も守らなくちゃいけない立場で悩みは尽きないとのこと。「バンドはどうすんの?」って一度聞いたら、遠くの方を見つめながら「あんな名前のバンド誰も覚えてないやろ。でもやりたいなあ、またぶちかましたい」って言ってたよ。
比叡山の緑を眺めながらね。
*
https://anond.hatelabo.jp/20210929113343
https://anond.hatelabo.jp/20210929113456
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708979924673792418/comment/flirt774
甲子園出場の左腕、野球部コーチが球児に性的暴行の疑いで逮捕 被害者は50人超か〈dot.〉
https://news.yahoo.co.jp/articles/eac4929e2aa23ae7b4a87283fa8810cee338f508
時代が止まってんな……
まあアニメ的な誇張された演技というのはある
やたらイケボだったり萌えボだったりという
でもそれで言ったら、歌舞伎だって喋り方が異様でクソって言えちゃうだろ
ある程度割り切ってそういう部分にこだわらずに入っていったほうが楽しめるだろう
もちろん最近のアニメはいろんな演技の作品があって、よりリアルな喋り方をしているアニメだっていくつか挙げられる
個人的に白眉だと思ったのは、昔の特撮を源流に持つSSSSシリーズだな
2作目はかなり青春恋愛要素に比重を置いてるから好き嫌いは分かれるが、1作目オマージュが非常に巧妙で恋愛部分の描き方もすばらしいのでどちらも順に視聴することをオススメする
あとは女子中学生3人が部活という体で古今東西の遊びをするコメディという題材で、非常に興味深い演技をされているあそびあそばせという作品もおすすめだ
要は子どもの部活ごときに余計な金は払いたくないという学校設置者が多いってこと
やきうの名門校なんかは金を払っていいって考えだから、きちんと金払って外部から招聘してきて教師ごときにはタッチさせてないだろ
いや、部活はすでに改革が始まっていて、専門のコーチを呼んでいる学校もある。まだまだ数は少ないが。
そもそも授業は8時〜15時かもしれないが、8時に来て15時に帰ればいいわけではないし、放課後もあったり5分前に来れば間に合うかと言われればそうでもない。
今となっては懐かしいスティーブ・ジョブズの「いつもの格好」を覚えているだろうか。
黒タートルにウォッシュのかかったストレートデニム、NBのハイテクスニーカーというもの。
まさしく彼の制服であり、このアイコン的な定番ルックのお陰で、制服の学生が勉学に部活に勤しむが如く、身なりに余計な思考を使うことなく仕事に邁進できた。
自分は、ジョブズと比べることも烏滸がましいハナクソ以下の雑魚だが、「いつも同じ格好が楽」というのは同意する。
マジでもうスーツ以外の外出着も、部屋着や寝間着同様、制服のようにほぼ同じ格好で365日過ごしたい。
世の中には「今日は何着ようかな」の結果「いつもの格好」になってしまう人間がいるのだ。自分のことだが。
さて、同様の考えを持つ読者諸兄が希望する「自分の制服にしたい格好」はどんなものだろうか。
かくいう自分はギンガムチェックのボタンダウン、ワンウォッシュデニムのスキニー、VANSのオーセンティックという「こどおじ」スタイルだ。
筋肉量が少ない上に骨も細い、ヒョロガリの下半身デブ中年にはお似合いだろう。
ということで自分の手の内は晒したので、他の人も心置きなく「アイコンにしたい格好」を書き捨てていってもらえれば幸いである。
追記:損保ジャパンはカス!うちの親もちょっとカス!(人生終わったって言ったことに対しては謝ってくれました)
今も複雑性PTSDで苦しんでいて、眠れなかったり突然死にたくなるから正社員として働くのは無理そう。
障害年金を月5万弱と、短時間パートの給料で生活しながら今現在も精神科とカウンセリングに通ってるよ。
若手はみんなメンタル病む会社だと思う、病まないのはサイコパスだけ
お給料はめちゃくちゃ良いし割と休みも多いので、メンタルが誰よりも強い自信がある人はおすすめ
周りよりまあまあ強いぐらいなら絶対やめとけ
なんか自分って学生までは受験も成功して部活も成績残して集団の中でもうまく立ち回れる方だったと思ってたんだけどこんなになっちゃった…たはは…(ちいかわ)
追記おわり
新卒で入った会社をたったの3ヶ月で辞めるときに「人生終わったね」と母に言われた。
就活生に人気の企業ランキングでも毎年10位以内に入るような企業だった。
学生時代はスクールカーストのてっぺんに居たであろう、容姿が優れて賢く気の強い人達が同期だった。
吐くまで飲まされた。美人な同期も吐いてた。
皆が一様に彼氏にもらったデパコスを見せ合い、直すところのない完璧なメイクを休憩時間のたびに直していた。
お昼ご飯の休憩中に「大学のときにハロウィン何のコスプレした?」という話題になった。
「ナース」「バニーガール」「ポリス」などと盛り上がっていて楽しそうだった。
私はそんなかわいいコスプレなんてしたことないから、ちょっとついていけなかった。
ある日、よくそんなボサボサの髪で来れるよね(笑)と同期に言われた。
自分なりにアイロンを毎日かけて、身だしなみには気をつけていたつもりだった。
このあたりから、同期の中でも「私だけはカーストが下」という空気ができてきた。挨拶もときどき無視されるようになった。
ある日、休憩時間にスマホを触っていたら、隣の席の同期にスマホを盗られて、勝手に操作された。
「勝手に触らないでよ」と言ったら、
「え、触ってもいいって言ったよね!?」と大きな声を出された。
周りの人は誰も私の味方をしてくれなかった。
約1ヶ月の新入社員研修を経てひどく疲れてしまったが、この同期達は各支社に分かれるので研修が終わった時には開放感でいっぱいだった。
そして本配属。
支社で歓迎会をしてもらった。
翌日、全員の席を回ってお礼を言わなかったことで指導係の社員からひどく叱責された。
支社長にも相談したが、「顔色を伺う方が悪い。」の一点張りだった。
何をしても怒鳴られ、他の社員は見て見ぬふり。
「全くやる気が見られないから指導したくない。」と全社員に送るメールに書いてあった。
ある日、指導係の社員から「コイツほんと日本語通じない、こんなやつなんで採用したんだ」と言われたとき、社内で号泣してしまった。
辞めることを決意した。
味方して欲しかった。
大企業で働く見栄えの良い娘じゃないと許せないんだなと思った。
「精神科でもうつ病って言われたんだよ。」と伝えても、「そんな病気無い。気の持ちよう」と言われた。
ロープをクローゼットの服を掛ける部分に結びつけ、脚立で登り、輪の中に頭を入れ、脚立を蹴っ飛ばした。
心臓の音が聞こえる。
なぜか小さい頃に観たしまじろうの映像が頭の中に流れた(走馬灯的なものだったのかな?)
気づいたらロープを外して床にへたり込んでいた。首には大きな内出血の跡とかさぶたができた。
人生を本当に終わらせるにはどうしたら良いですか。
先週、インターネットの知り合いに「配信しながら何人かでゲームを遊びたいから良ければ来てほしい」と誘われ、特に予定が無かったので参加することにしたんだけど
まじで申し訳ない。
交友関係の広い人だし、当日もたくさん参加者がいたらしいので自分一人のすっぽかしが大きな穴になっていないのが幸いだけど、
どうして完全に忘れてすっぽかしちゃうんだろう。
中学生の時も転校した友達に「文化祭に来て欲しい」と手紙をもらって、行くと言ったのに完全にすっぽかした。
当然、以降交友は無い。
学生の時の友達はみんな卒業と同時に疎遠になって、今じゃあまり思い出せない。
大学で4年間同じ部活で一番仲良かった奴が髪をバッサリ切ったらすれ違った時誰か分からなくなった(挨拶されて声で気付いたけど)
前から人の顔の区別がつかなくて容貌失認気味な自覚はあったんだけど、ここまでとは思わず冷や汗をかいた覚えがある。
ドラマ見て「この女優さん好きだな~」って思ってたのに、その人がCMに出てても気づかない。
1度だけ、高校の頃の知り合いに大学生になってから「久しぶりに遊ぼう」って誘われたことがあったんだけど、
4人くらい集まった中の1人が全く思い出せなかった。
クラスメイトだったのか部活仲間だったのかも思い出せない。名前も、何年生のころの友人だったかも思い出せない
とりあえずその日一日だけ適当に話を合わせて遊んだけど、いまだにあいつが誰だったか分からない。
こんなタチだから小学生の時から15年以上インターネットにどっぷりなのにネット経由の友達が一人もいない。
SNSをやったりゲームをやって薄いつながりができることはあるけど、そこから親密に付き合う友人関係は一度も築けなかった。
何でこんなに人付き合いが出来ないんだろう。
昔から変な人に好かれるたちで、ストーカーやら職場でのセクハラじみたつきまといにたびたび遭うんだけどもしかして自分が孤立しがちだから目を付けられるのかな。
Vtuberとか見るの好きだけど、一切コメントしないし。そもそも双方向のコミュニケーションしたいと思えないのかもしれない。
まともな内容なんてなくて、ほとんど学校と部活の愚痴みたいなもので
それでも日本のどこか知らないところにいるの同じ部活の先輩、同級生たちと
そのあとも何度かブログを書こうとしたけど続かなかった。
今で考えれば堅苦しくて仕方ないはずのあのブログがどうしてあそこまで続いたんだろう。
あるいは実際にはそこまで続いていなかったのかもしれないけど。
あの2年に満たなかったであろう時間は私の中でとても大きなものになっている。
あの時、交流のあった先輩や同級生たちは何をしているんだろう。
LINEの友だち一覧にいる人もいるけれど、メッセージを送る勇気がない。
あの頃と同じようなブログが書けるかと言われたら、それは不可能だ。
中身のない記事を一晩かけて書いたり、
コメントの送信者とまるで顔を合わせて話し込んでいるかのように
文字だけの会話を楽しんだり
…かもしれない。
このような文体で自分を批評していることさえ十分に苦笑モノなのだけれども。
そこの虚しさに出会う前に気付いて手を引っ込める。
本当にたまたまで、LINEだけで約束して、だから当日待ち合わせ場所に行って本当にいるかなとか顔分かるかなとか何話そうかなとか少しドキドキしていた。
でもそれも杞憂に終わって、会ったら会ったでおぉ〜!何年ぶり!?と言いながらハイテンション。
久々に集合したといっても居酒屋とかはやっていないから飲み屋とかじゃなく、高校の時の部活のスポーツをみんなでやって汗を流し、帰りにフードコートでうどんを食べて解散という日。
あのときはフードコートに行くにもだらだら歩いたりしたけど、今日は同級生の車で送ってもらった。
高校の時のようにフードコートでダラダラしまくるわけでもなく、明日シゴトだしねーと言いながらいい時間で切り上げつつ、高校の時は誰も飲まなかったコーヒーをみんなで買って飲みながら帰った。
みんな人それぞれの人生、あいつは何してるとか、昔こんなことしたよねとか、今こんな仕事しているとか、話をして本当に途切れることがなかった。
意外にも職場がすごく近かったり、以前住んでいたところが近かったり、男3人でキャッキャしてしまった。
最後別れるときに、またいつか集まろうね、でも集まるのは次何年後だろうね、逆にお互い近いと思って集まらないかもしんないね、なんて笑いながら解散した。
笑っていたけど、こうして集まれるのは本当に今後数年はないかもなってみんな内心予想していると思う。
自分を含め東京や神奈川の都市圏に住んでいると、なんだか色んな情報がありすぎて、旧友に思いを馳せる余裕もなくなってしまうような気がしている。
高校や大学のときは、友情が一生続くと思ったけど、振り返ると自分の場合はその時その時でリセットされている。
新しいコミュニティに所属するたび、そこでの人間関係をつくっていくことに必死になり、昔の友人が後ろに追いやられる。
加えて、仕事や恋愛などいろんな情報が入ってくるからなおのこと。まだ独身だが、家族もできたら更に疎遠になるだろう。
なんだか寂しいような、今後、今まで付き合ってきた友人たちをどう大切にしていくべきか分からないような悶々とした思いを抱えている。