はてなキーワード: 部活とは
何事も中途半端以下、努力も才能も、納期に間に合わせる力もないクズ。
そんなままこれまでの人生を生きてきた、自他ともに認めるクズ系クズ、それがわたし。
小学校の頃はまだまじめだった。いや、真面目の皮を被って生きていけた、というのが正しい。
合唱コンクールのピアノ伴奏で、本番にも関わらず二小節ほど停止した。
すぐ復帰はしたものの、「伴奏すら満足にできないクズ」「一生懸命練習しろよカス」と揶揄された。
「こっちだって十日前に突然任されたんだから」という思いでごまかしていたのが、クズの思考だったんだと思う。
高校の頃もひどかった。文武両道を語る、自称進学校にしか入れなかったのも原因の一つかもしれない。
だけれど、そうやって他責を真っ先に思いつきそれに縋るのも私がクズゆえの思考なんだと今になって自覚する。
夏休みの宿題を「明日出す」と一週間繰り返して出さなかった結果、生徒指導室行きになった。
テストは一夜漬けで、英語の赤点なんてザラだった。クズなので高3になってもベクトルの基礎がボロボロで「お前、やばいぞ」と叱咤された。
そうはいっても復習もしない、中身もない、自分に甘いクズなんだから仕方ない。
部活では、インターハイの三日前に怪我をしてキャプテンに詰め寄られてキレられた。
「本気じゃないだろ」「士気が下がる」「お前来んなよ」
重々承知してるけど、体面を気にするクズだから来るしかないんだ。ごめんなさい。
サークルでは技術の上達しないクズ部長を任された。指導は先輩に全部投げたし、全国大会ではわたしの凡ミスで奇跡的な逆転負け。
後輩を入れた以外は部室の置物として生きていた。これが本当の役立たず。
趣味の小説も電撃文庫に応募した。二次選考落選。それでプッツリキレて、投げ出した。
他の人たちは血のにじむ努力をしているのにさ、あーあ自分に甘いしメンタルが弱いドクズだこと。
研究室なんてひどさの塊だった。研究の報告会で、自分の研究をあまり理解していない始末、教官に顔をしかめられる状態がずうっと続いた。
ゼミの論文紹介なんて、内容が大したことないのに基本的なことすら上手く説明できずひたすら燃えて時間が終わった。
それを次に生かせれば良いものの、三年間ずうっと同じ感じでゼミは終わっていき。
最終的にドクターの先輩から「炎上商法」「ゼミの質問で、他の人が答える部分が多いのはM2としてどうなの」と御叱りをもらった。
修論なんて、実際完成度はめちゃくちゃ低いし、追い出され枠のお情けで卒業させてもらったんじゃないかと今でも思う。
修論とは別に論文化で必要なデータなんかも、わたしが責任もって行うべき部分を、残った人たちに押し付けて、逃げた。
正真正銘のクズ系クズ。そうやってこれまでの人生、生きてきた。
そして社会人になって、一か月。同期を数十~百人単位でとる企業に、文字通り『潜り込んだ』。
研修で、まだボロは出ていない。と思いたい。
しかし、この思考が頭に侵食されている時点でクズ系クズはまだ終わっていないし深く根付いていると思う。
それが社会人になって表出して、これまでとスケールの違う規模の失敗、負債を抱えてしまうことがたまらなく怖い。
そして今日、夢を見た。今まで迷惑をかけた先生やら同期やらいろいろな人が出てきて責められる夢。
全部元をただせば自分が悪い、出るとこ出れば10:0で負けることばっかやってきたので勝手にトラウマ負ってるだけなのだけれど。
実際甘えなのは分かっているが、このトラウマの数々を拭い去りたい。そして、人として多少はマシな状態になりたい。
藁をもすがる気持ちで、ここに吐き出して、書いている。
これをすまん……すまん……と思いながら読んでいた。増田は長女である。
元増田の姉御さんとは確実に別人なのだが、まるで自分に当てられたかのように深く突き刺さる。
エピソードは色々あるが、ともかく「優秀なお姉ちゃん」として育ってきた。
一方、弟は中学最初のテストで大きくしくじり、親にこっぴどくしかられる。
ピアノを子供用教室の首席まで登りつめた姉の傍ら、弟はすぐに放り出し、珠算や水泳の階級でも姉を上回ることはなかった。
弟が小学校低学年のとき、自由研究として地域の文学コンクールに俳句を応募することにした。
ところが後に理系となる弟には文学的興味が全くなく、作業は難航。最終的に頼まれて私が9割考えたものを持っていくことに。
ところがその俳句が、なんとあろうことかコンクールで入賞してしまったのだ!
私も同コンクールの小説部門で受賞した為、兄弟受賞と囁かれ、共に授賞式にもいった。
このときの感情といったら、「やってしまった……」というほかない。
「元はといえばお前が自分で考えず人に頼んだりしたからだ」と非を責めることは出来る。
が、そういう問題ではない。私が弟の自己肯定感を奪ってしまったのだ。
弟はその後も自分のものでない功績で人に誉め続けられた。学校で表彰され、成績表に書かれた。
果たしてどんな気分だったろうか。
幸いなことに、弟はその後THE末っ子気質のパリピコミュ強に進化した為、彼が深く思い詰めるようなことは起こっていない。
私が高校時代勉強より芸術に傾倒し、どうしても行きたい専攻が難関校になく低学歴で終わったこと、
弟と私の得意分野が芸術的な文系とコミュ強な理系で真逆であること、
など数々の状況に恵まれ、今でも週末一緒に遊べるような良好な兄弟仲でいられている。
だが、ふとした時に「増田の方が俺よりずっと優秀だからね」とか寂しそうな顔で言われると、つけた傷がまだ残っていることに気付かざるを得ないのだ。
あくまで自分自身にしか当てはまらないので自分語りとして残す。
32歳男性
179cm 72kg
中肉中背
国公立院卒
顔立ちを褒められたことはない
1年ちょっと付き合っていただけ。
彼女じゃない人とやれたかも委員会的な展開があるわけでもなく、
妻に驚かれたが風俗の類も一切利用していない。オナニーはしていたが。
やっぱり自分が好きな人とじゃないと付き合えないな、と思って断っていた。
そういう人にはだいたい相手がいたか、何度か食事に誘ったけど無理な空気を感じて引いていたか。
要するにチキンである。自分の顔に自信がないのが一番の理由だ。
20代後半に漠然と結婚したいと思い、婚活っぽいことをするも全玉砕。
でも結局男性側(ライバル)が「年齢や社会的ステータスが近しい人」になるので
差をつけるのは顔面なんじゃ?と思っている。
話が盛り上がった人と2度3度ご飯に行くことはあったがその先が続かず。
最後に参加した合コンでで「父/彼氏/兄/弟/ペットにするなら誰?」みたいなゲームをやらされて
全員からペットにされたところで合コンそのものに絶望して行くのをやめた。
今思えば、もっと軽い気持ちでご飯や遊に誘ってみればよかった。
多分向こうは嫌いじゃないし行ってみるかくらいで来てるのに
1年くらいやってた。
当時は年収570万くらいだったけど、ちょっとだけ盛って600万~800万にしてた。
それ以外のプロフィールは盛ってなかった。年収の検索条件は結構強いだろ?
向こうからもイイネは結構来たが、こちらから返すのは5%もなかったかも。
メッセージ交換が続いたのはは30人くらい、会ったのはその半分くらい。
連絡したけど向こうからやんわりと断られたのが2回くらい、
何度かご飯に行って向こうはOKっぽかったけどこっちがちょっと違うかな、
となって先に進まなかったのが3回くらい。
転職しようとして両立できなくなってやめた。
敗因は、かなりメッセージ交換の期間が長く、とにかく盛り上がってから
(要は会うこと自体断られないくらい続けてから)食事に誘っていたこと。
メッセージ期間で気持ちが盛り上がってしまって、会ったときはうーん...
みたいになることが結構あった。もちろん会ってみたら俺が残念だった可能性はある。
という話をしたら「じゃあ私の友達紹介するよ」と言われて会った。
住んでいる場所が離れていたので実家に帰るタイミングで会ったけどその後連絡が来なくなった。
金曜の夜でお店が全然空いてなくて彷徨って微妙な店の微妙な席だったのが申し訳ない。
1回目は20代限定に行けなくなる、という理由で彼女なしの友人と参加。
一緒に参加した友人のおかげで街コンあとにも1組一緒に飲みに行ったりして結構盛り上がった。
最初に同じテーブルについた女の子と何度か3回くらいご飯に行って、
その後半年くらいして向こうからLINE来たけどさすがに無視した。
2回目は1回目に参加して半年後くらい。東京駅だった気がする。
参加者が多く、店も多いことを謳っていたが、いざ蓋を開けてみると
しかも始まってからお店チェンジのタイミングで女性は減り続け、
店で男6人で「全然来ないっすね」とか言って仲良くなったりした。
結局次の店でも男だらけになったところでスタッフに文句言って退店。
この時一緒に行った友人は翌月別の街コンで会った相手と結婚した。
転職し、仕事にも慣れ、更に仲の良い友人グループが軒並み結婚すると聞いて
さすがに焦りが出て婚活を決意。アプリ婚したやつに聞いてゼクシィ縁結びに登録。
以前(Omiai)の反省を活かし、2ヶ月で相手と会い、3ヶ月で付き合って退会し、1年で結婚した。
これのために撮ったりとかはしなかった。あんまりキメキメなやつもウケは良くないと思う。
(自分が相手のやつを見るときでも明らかに写真館で撮りましたって人はイマイチ響かなかった)
年収は780万だったけど800万~1000万に盛って登録した。
婚活において年収は大事でしょ?まぁ次の昇給で乗ったから許してほしい。
年収が上がったからか、恋活から婚活になったからか、前回のときより明らかにイイネが増えた。
無料のイイネを使い切ることもなく、流れてくるプロフィールをあるなしで振り分ける作業。
自分のプロフィールでもそうなんだが、文章を見ているとその人の性格がなんとなくわかる気がする。
丁寧である程度教養のありそうな文章の人はやはり好感が持てる。
ただ、プロフィールに全部書いてしまうとそのあとメッセージが続かなくなるので
あんまり具体的すぎる話はしなくて、最初は書かなかった箇所を膨らませてメッセージをしていた。
メッセージを2週間くらいしてから、ご飯を食べに行く約束をした。
ここも長すぎると会ったときに話題がなかったり盛り上がりのピークが来てしまうため、
会話のテンポとか、変な人じゃないのがわかったタイミングでご飯に誘った。
ご飯に行って盛り上がった相手とは10日後くらいに仕事終わりでご飯に行って、
その次の週末もう1回遊びに行って告白して付き合った。
印象に残るためには間隔をあけないように、人に取られないように
これはまじめな話だ。社畜自慢でも何でもない。
学生時代だって、朝7時に登校して朝練して、放課後も部活で夜9時まで毎日残るとか普通だったじゃん。
部活が無くても、平日4時間くらいバイトしてたら帰宅時間は同じようなもんでしょ。
仕事だって、夢中になってたらいつの間にか昼休みも終わりかけだったり、定時前にちょっと手を出した仕事で残業になったりもする。
朝弱くても必要があれば早朝出勤するもんだろうし、そしたら超過勤務40時間くらいはすぐに到達する。
80時間も近くなってくると、ちょっと今月は働き過ぎだなって思うけど、その半分で「仕事がきつい」って感じる人の気持ちがマジで分からない。
好きはlikeのほうだけど、ある意味じゃloveだったかもしれない。
吹奏楽部で同じパートだったから、いつでも一緒だったし、絆は深かったと思う。
本当はやめさせられたんだと言いたい。
「受験の為だ」
途中で辞めたのに、彼らの心に、確かに僕が存在していたことがすごく嬉しかった。
駄弁っていたら、件の後輩が通りがかったから、僕はそいつの名前を呼んで手を挙げた。
そうしたら、彼女はこちらをチラリとも見ずに、早足で行ってしまった。
少しうつむいていたから、何か思うところがあったのだろう。直感的にそう思った。
原因はわからない。
途中で辞めて、裏切ったからか。
4年経った今でもネチネチと考えている。
辞めなければよかったか。
僕のことをどう思っているのか。
今では知る由もない。
そうしたら学生時代、17歳のわたしに向けてその当時の友達がかいてくれた誕生日のメッセージをみつけて少し泣いてしまった。
友達と呼べるような人は部活で6人、クラスの中のグループの子も6人、クラスは違ったけどいつも一緒に帰ってた友達が2人、顔を合わせたら話すような子も入れたらもっといたと思う。
LINEの連絡先だって知ってるしTwitterでフォローしてる子も何人かいる、でも24歳になった自分には直接会って話す子はいない。
こうなった原因は全部自分なんだろうな〜。大学生になってから会った子も何人かいたけど1、2回で終わってしまって次の機会を作らなかった。
誘われたバレエの発表会も断っちゃったし、嵐のライブも行くか行かないか言うの遅れて迷惑かけちゃった。ごめんなさい。
さらに新卒で保険会社に入社したのがとどめを刺したと思う。入って半年で辞めたけど、入社して1ヶ月で上に上げた友人を含めた知人友人に連絡先を教えてって言い回っていたのだから。
本当に最低。なんで適当に書かなかったんだ。なんで真面目に連絡先聞き回ったんだよ。一度やったことは取り返しがつかないのに。会社辞めていたとしても絶対に嫌でしょ、こんな人間と会うのなんて。だって次会おうって言った時に怖がられるじゃん、保険会社の人間だって。辞めたって言って納得してもらえたらいいけど突然会ってない子から会おうって言われたら絶対カルトかマルチに思われるじゃん、怪しすぎるて。ほんと、芯があって知人友人の個人情報全部出しても後悔ない人しか生保の営業やっちゃいけないよ。ほんとに。
でも会ったとしてなにを話せばいいんだろう、どこに行けばいいんだろう。
やっぱりお酒なのか??お酒でも全然いいから会いたいなぁ、でも話も下手だしこんな人間だから会っても盛り上がらないかもしれない。
ここまで学生時代の友人に会いたいのは今楽しくお友達してる子たちが高校時代の友人と遊ぶことが多いからなのかもしれない。TLで高校の友達と遊んだ〜って書いてるの見たらめちゃくちゃ歯軋りしてるもんね。醜すぎる。心が狭い。本当に嫉妬はだめ。もしかしてわたしが今高校時代の友人に会いたがっているのも、今の友達に見せたいからなのかもしれない。そんなことに気付いたらまた気持ち悪くなってきた。
当方(弟)20代半ば、兄は30近い。首都圏住み故に、双方実家暮らし社会人。
私が兄を形容するにあたって、何よりもまず「畏怖」のようなものが挙げられる。
幼少期の兄はガタイがいい(というか太り気味)であり、私は痩せ型であったため、年齢差も相まって力関係の差があった。何かしらあると怒られたりつねられたりし、長期休暇などで家にいるとおっかなくてしょうがなく、仕事に出ている母親に電話で助けを求めた記憶が残っている。
兄は中学からは塾に通うようになった。進学校を目指すようなハイレベルな塾で、競争が激しいのか課題が多いのか兄の機嫌は更に悪くなった。当時の私は、塾に行くと性格が悪くなるのではと兄を見て思った。
兄は中学から高校にかけての反抗期も激しかった。親と盛大に喧嘩をしており、私はいつか兄が家族を手に掛けるのではないかと不安になった。高校の定期テストや受験あたりでは輪をかけて機嫌が悪くなった。中学生だった私は、中学時代の兄を見たために塾には入らず、テスト前でも呑気にゲームをやるような生活をしていた。一方で成績は中学時代の兄よりも良好であったため、いけ好かなかったと思う。
兄は大学生になった。活動が盛んな運動部に入り、土日は家をあけることが多くなった。接触が減ったが、部活の影響で体格が良くなったため、揉めた際の迫力が増した。一方で私は兄と同じ高校に入った。文理選択では、兄と異なる系統を選んだ。単純な興味の面が半分、兄との比較がしにくくなる面が半分であった。
私は兄と異なる大学に進学した。兄のいる部屋と別の部屋で友人とスカイプ通話をしていたら、うるさいとすごい剣幕で怒られた。今度やったらパソコンをへし折るとのこと。私は兄がいないときのみスカイプを使うようにした。
兄は就職し、婚約者が出来た。兄の婚約者と私達家族で食事する機会があった。普段のぶっきらぼうな態度は何処にというような気さくな言動をする兄の姿があった。あれが家の外での兄なのだろう。私はなんだか胃が痛くなり、手元にあった酒を呷った。
そして兄は海外へ赴任した。兄との相部屋は、人が一人常時いないのもあり随分と静かになった。社会人になっていた私は、労働に追われながらも兄のいない生活に慣れていった。
他方で、兄の優しかったことや、兄の尊敬できるところももちろんある。
幼い頃に、揺れる車の中で即席の話をよく聞かせてくれたこと。私の高校受験のときに、応援の意図でシャープペンシルを贈ってくれたこと。自分のセンター試験のおやつのついでとはいえ、私にアルフォートを買ってくれたこと。私の大学受験や就活に助言してくれたこと。
兄は大学時代、部活動の一方で学業も怠らず、皆が羨む企業に就職した。努力を嫌った私には出来ないことであった。
そんな兄が半年前に帰ってきた。帰国の予定日が近づくのと一にして、疲弊した感覚が襲ってきたことは記憶に新しい。
冒頭に書いたが、私は兄を畏れている面がある。知人に、「何かに怯えている感じに自信がなさげ」と評されることがあるが、多分その影響であろう。親には、自分の気質の理由を他人に見出すなと言われる。遅きに失している感はあるが、私も恐怖を抜きにして兄や自分自身に向き合うべきなのだろう。
兄はこの度家を出る。海外赴任ではない、夫婦としての新生活だ。私にとっての兄のいる生活は、完全に終わりを告げる。余程のことがない限り、寝食を共にすることはないだろう。これが最後だと考えると、兄にしたこと、されたことを思い出し、得も言われぬ寂しさが湧いてくる。我ながら調子がいいものだ。
人と接する事はほとんどなくて、快適。
だったのに、
最近は、営業担当になぜか打ち合わせに同席させられるようになった。
何度か経験してわかったのは、
「それは大変ですね。息子さんですか?娘さんですか?」
「いや、うちは女ばかりで。」
「いいですねー!何人いらっしゃるんですか?」
「3人です。下がまだ幼稚園に通ってて。」
「ひょっとして奥様が若いのですか?」(←ここが失礼。)
「いえいえ。若くないですよ。○○さんは、お子さんは?」
「3歳です。」以下、同様の問答が続く。
隣で聞いてて、ぐいぐいとプライべ―トを聞くもんだなと思ったし、
仕事とは関係のないプライベートを話すものなんだなっと思った。
私は良い年をしていまだ独身なので、
有利に働くなら、「子供は低学年で祖母に預けてます。」って嘘をついてもいいけどさ。
「お子さんは?」って聞かれた時、
独身の人、どうしてんの?
長所と短所は表裏一体というが、自由というのも長所と短所が表裏一体だと最近分かってきた。
俺は大学に入って自由に過ごしていたが、そのうちこれは自分でゲーム環境を構築しなければいけないのだという感じである。人間関係なんか自由に誰とでも付き合えるが、逆に言えば自分から動かないと築けないわけで、勉強とか運動とかも自分で管理しないといけない。自分含め高校に戻りたいとか思っている大学生は、その辺の管理ができないんだろうなって思う。
高校までは教室があってクラスメートがあって、なんとなく部活に入らなくてはいけない雰囲気があって、やるべき勉強があって、と色々お膳立てをしてもらったので、自分で考えなくても脳死して努力していればそれなりの結果を出すことができた。だけど大学ではまずクラスなんてないから、自分から人間関係を築いて行かなくてはならない。こいつは合わないと思ってすぐ切ることもできるが、後からめんどくさいことになっても自己責任である。怠惰に過ごしてもいいかもしれないが留年も自己責任。何してもいいが自分でケツは拭えということで
結構システム的に社会主義から資本主義に変わるくらいの感じがある。実際資本主義社会に出るわけだけど、教育制度が平等を重視しすぎて社会主義に寄りすぎていたのかもしれない。
年中は自由登園なので行かせたかったが本人が嫌がったので今日は断念。
朝、一応8時に起こし朝ごはんを食べさせる。私は生理中で体調があまり良くなく、軽く朝食を食べた後は横になっていた。早速ゲームをしようとする小1に、まずは宿題をするよう促す。年中には勉強の邪魔をしないよう知育アプリをいくつかいれたタブレットを与える。勉強の後は昼ご飯まで1時間半ほど年中とゲーム。
勉強は1コマ45分で、午前、午後、夕食後にそれぞれ1コマ。最初に小1と話し合って決めた。続くかは分からないが。
昼食の時間になると子供たちがガストに行きたいと騒ぎ出す。いやいや外食はまずいのではと思うが、実際昼ごはんを今から作るのもめんどくさいし、根負けして連れて行く。このタイミングで子連れで行くと嫌がられるかなと思ったが、ガストには子連れが沢山いたので少しホッとする。中学生の男の子とお母さんという組み合わせがかなり多かった。普段ならあまり見ない組み合わせだが、部活も塾も休みだと外食ぐらい一緒にするか、とボンヤリ思う。
食事後ネットでみた風船ベッドを作るためドンキに立ち寄る。こちらは意外にもガラガラ。スーツ姿の男性が何人かいたのが印象的。どっかの先生かな?ティッシュがあったので一応買う。トイレットペーパーはなかった。ドンキなのにガラガラの棚があると不安になるな。すぐ帰るつもりがついつい長居してしまう。
帰宅後年中が昼寝したので小一に午後の勉強をさせる。終わった頃に年中が起きたのでオヤツを食べながら風船ベッドを作成。テンション上がる。
それでも30分ほどで飽きてしまったようで、散歩に行きたいと騒がれて雨の散歩へ。疲れたと騒ぐ年中を励ましつつ30分ほど歩くはめに。
帰宅後ポストを見ると私の注文してたマンガが届いていたので私は読書、小1ゲーム、年中タブレット。
1時間ほどで腹減ったと騒がれたので夕ご飯。実母が差し入れしてくれた筑前煮と納豆と昨日作った味噌汁とお惣菜のカボチャサラダ。夕食後勉強してお風呂、部屋の片付けして子供らはプライムビデオでドラえもん。私は増田。
疲れた。
楽器しまっておく倉庫みたいな準備室のオルガンの向こうが男子の領域になってた。
そこで休憩したり、漫画を持ち寄って交換したり。
んで、男子には当たり前のエロ本じゃなくて、アニオタだから成人漫画ももってくる。
ペギミンクラブから始まって、レモンピープルからハーフリータ。
女子にバレると先生にチクられるし、中学生は「エッチは犯罪扱い」だったので、
見えないようにはしてたけど、女子はそこにはこないから隠してもなかった。
中学生男子。午後からの部活の時、午前中に先乗りして、音楽室でオナニーしよう!
と夏の冒険ときめき大作戦考えて、職員室に鍵を取りに行ったら、無かった。
誰か先にいるのかー。と音楽室に行くと、誰かいる時は開けっぱのドアが閉めてあって、
上履きを脱いで入るカーペット敷きの音楽室、手前の下駄箱に一足の上履きがあって、
話しを略そう。Kさんは夏休みの宿題を学校でやろうと来ていて、
エロ本はなんとなく知ってるけど、エロ漫画は絵だけど表現が直接的で、
まあ読んでたの。あ、おなにーなんかしてないよ。
そのあと話すんだけど、こっちが弱みを握ると思いきや、
あなたも読んでたやんけ!
模様でも生理でもなくて。いまなら「ショーツ濡れてるよ」みたいな口調だけど、
ジャングルの王者ターちゃんから「パンツにシミが見えたよ」とか言ったわけ。ワイすごかったなあ。
Kさんさいしょ意味がわからなくて、「シミ?…今日生理じゃないし」と。
トイレに確認しに行って「透明なおりものかな」って、言い訳みたいに報告してくれた。
ワイはまだ精通する前、エロ漫画を読んでおちんちんがずっとびんびんで、
読み終わっておちんちんが小さくなった時、おちんちんの先とかブリーフがぬるぬるなのを、
精液だと思ってたよ。
○ 各地域において子供たちへの感染拡大を防止する努力がなされていますが、今がまさに感染の流行を早期に収束させるために極めて重要な時期であり、集団で児童生徒が生活する学校現場において大規模な感染リスクを事前に予防するという観点から、学校の臨時休業を要請したものです。
○ 臨時休業を行うにあたっては、実効性を担保するため、児童生徒に対し、基本的に自宅で過ごすよう指導をお願いしています。
高等学校及び特別支援学校等における一斉臨時休業に関するQ&A - 文部科学省
https://www.mext.go.jp/content/202002229-mxt_kouhou01-000004520_1.pdf
勉強でもスポーツでも芸術でも初歩をやらせてみて才能あるやつを発掘するのが目的の一つ。
秀でた能力のない連中には、毎朝学校に来て規則正しい習慣を身に着け、一定時間机に向かって読み書きソロバンといった文明社会の基礎技能に慣れさせる。躾と言っていいだろう。
エネルギーが有り余ってるが基礎技能と規範意識に欠ける中高生の年代を街に放つとろくなことをしないので、部活という名の軍事教練に収容して管理する。
これまで生きてきて自分にまさか障害があるなんて知らなかった。
有名企業の就職に成功して数十人の新卒の中でとある部署に配属されて出世コースに乗ったと思いきや、これでつまづくとは思わなかった。
思い返せば耳のことが人生に深く関わっているのだなと思う。
もしかして耳が悪いのかなと思い始めたのは小学生あたりから。でも当時はクラスで一番馬鹿だったので頭が悪いだけかも、とも思ったしそこまで深く考えなかったが、耳のことで病院に行ってみたいと言ったら親に断られた。
目に見えて不便になり始めたのは中学生の頃。部活での応援練習で周りの皆が言っていることが全くわからないから、いつも自分の番で止まる。
それに普段の練習で指示されて何度聞き返しても肝心な部分が聞き取れない。自分は出来ない人間だと卑屈になり始める。あと三年間いじめられた。
部活は辞めなかった、というより辞められなかった。親が許さなかった。
耳のことで病院にこっそり行ってみたら何ともないと言われて更に凹んだ。自分はただの馬鹿なんだと思い込み始めた。
高校生になってからは運動部に入らないでほぼ幽霊部員で自由な生活をしていた。勉強には苦労したけれど割と頭がいい高校に入ることが出来て、いじめてきた人たちと別れて毎日楽しかった。自由な時間が増えてからトップ3に入るくらい頭が良くなった。
耳のことで苦労することといえば精々授業中に当てられたら詰むか、雑談程度だった。でも雑談の時に聞き返すのがめんどくさくなって適当に相槌打ってたらバレて怒られた。女子は怖い。
↑ここまで飛ばしていい
そして社会人。電話業務するにあたって社内での電話で詰む。たった三文字の名前ですら聞き取れない、横文字や長い社名なんてますます聞き取れない。というより「聴こえるのに聴き取れない」という感じ。
聞こえるのに聞こえないで検索してみたら丁度聴覚情報処理障害という病気が検索結果のサイトに出てくる。
大体当たっているのでこれなんじゃないかと耳の病院(中学生の頃行ったところとは別の病院)に行った。すると聴覚情報処理障害の疑いが出た。
でも詳しい検査は出来ないから別の病院を紹介してもらって行った。そこでは色々な検査を経て聴覚情報処理障害と診断された。
ロジャーマイクとか色々な物をプレゼン用紙で紹介されたが高かった。けれど医師は優しくて親身になってくれたので良かった。
あまり書き込むとすぐ特定されるので、ここからはある程度ぼやかして書き込むけれど聴覚情報処理障害と診断されてからは色々と辛いことがあった。
上司からのあたりがキツくなったり、新卒なのに窓際族にされるなど、あとはここに書き込めないこともいっぱいされて毎日泣いたり嘔吐していた。
そして聴覚情報処理障害と診断されてから上司よりも上の立場の人に相談してから、それからは人と話すことがあまりない静かな別の部署に入ってひっそり働いている。電話業務や人と関わることが少ないからとても過ごしやすい最高の部署で良かった。
聴覚情報処理障害は、現在医学の力で治すことのできない病気なので自分に適した環境づくりが最大の治療と言える。
それと知っている医師が半数以下なので中学生の時の自分のようになんともないと診断される可能性が高いので自分の中で疑いがあるなら何度でも別の病院に行った方がいい。医師ですら知らない病気なので…。
就職するときはとりあえず「接客業は避ける」「電話業務がない」「周りの人が理解がある・理解してくれようとする姿勢がある」という感じにした方がいい。
自分が聴覚情報処理障害かも?と思ったら大抵そうなので病院に紹介状を貰ってから大きな病院で診断してもらうといい。安心するから。
もっと休めたり時間ずらしたりした社会構造になってくれないかなー。
風邪やインフルエンザでも出社してくる奴いるし、満員電車ヤダし、役所・銀行・病院は自分が行けるタイミングでやってないし。
もっと社会全体が昼夜の2体制になれば満員電車は解消して痴漢もいなくなるだろうし、
育児はワンオペになるけどどちらかが夜勤になれば分担できるし、
風邪引いても次の日勤or夜勤に引き継げば休みやすいと思うんだけどなー。
増田さんは奇数月が日勤ですとか、年度の上半期は夜勤ですとか、
部活は廃止して市町村でクラブ組織化すれば先生は日勤勤務、クラブ指導者は夜勤勤務ってできると思う。
電車は点検しないといけないから、夜中は30分に1本運転とかじゃダメだろうか。
現在25才の女です。
中学の部活が先輩厳しくてめちゃめちゃ体育会系で「髪縛ってるなんてありえん」みたいな環境で育ったので、それからなんとなく22才くらいまでずーーとショートだった。
ショートもいろいろあるけど、大学入ってからは後ろ刈り上げ(横ツーブロのこともあった)でめっちゃ短かった。
で、なんとなく飽きて伸ばしてみようかな~~ってなって鎖骨下くらいまでのセミロングにしたことがあったんだけど、今思い返すとその時が一番モテてたなと。
それまで居酒屋で声かけられることなんてなかったのに店入るとほぼほぼ100パーでナンパされたし、就職したてだったけど会社の先輩とか(普段しゃべらない別部署のおじさんからも)「二人で飲みに行こうよ」みたいな誘いがあった。
いろいろめんどくさくなって、入社して数か月でばっさり切ったんだけど、そしたら全然声かけられなくなった。笑う。
なんでなんだろうね。美容師さんからは、まあ営業トークもあるだろうけど「ショートの方が絶対似合う!」と言われるし、自分でもそう思う。