2020-03-01

聴覚情報処理障害(APD)は生きづらい

これまで生きてきて自分まさか障害があるなんて知らなかった。

有名企業就職成功して数十人の新卒の中でとある部署に配属されて出世コースに乗ったと思いきや、これでつまづくとは思わなかった。

思い返せば耳のことが人生に深く関わっているのだなと思う。

↓ここから適当飛ばして欲しい。

もしかして耳が悪いのかなと思い始めたのは小学生あたりから。でも当時はクラスで一番馬鹿だったので頭が悪いだけかも、とも思ったしそこまで深く考えなかったが、耳のことで病院に行ってみたいと言ったら親に断られた。

目に見えて不便になり始めたのは中学生の頃。部活での応援練習で周りの皆が言っていることが全くわからいから、いつも自分の番で止まる。

それに普段練習で指示されて何度聞き返しても肝心な部分が聞き取れない。自分は出来ない人間だと卑屈になり始める。あと三年間いじめられた。

部活は辞めなかった、というより辞められなかった。親が許さなかった。

耳のことで病院にこっそり行ってみたら何ともないと言われて更に凹んだ。自分はただの馬鹿なんだと思い込み始めた。

高校生になってから運動部に入らないでほぼ幽霊部員自由生活をしていた。勉強には苦労したけれど割と頭がいい高校に入ることが出来て、いじめてきた人たちと別れて毎日しかった。自由時間が増えてからトップ3に入るくらい頭が良くなった。

耳のことで苦労することといえば精々授業中に当てられたら詰むか、雑談程度だった。でも雑談の時に聞き返すのがめんどくさくなって適当に相槌打ってたらバレて怒られた。女子は怖い。

↑ここまで飛ばしていい

そして社会人電話業務するにあたって社内での電話で詰む。たった三文字名前ですら聞き取れない、横文字や長い社名なんてますます聞き取れない。というより「聴こえるのに聴き取れない」という感じ。

聞こえるのに聞こえないで検索してみたら丁度聴覚情報処理障害という病気検索結果のサイトに出てくる。

大体当たっているのでこれなんじゃないかと耳の病院中学生の頃行ったところとは別の病院)に行った。すると聴覚情報処理障害の疑いが出た。

でも詳しい検査は出来ないから別の病院を紹介してもらって行った。そこでは色々な検査を経て聴覚情報処理障害と診断された。

ロジャーマイクとか色々な物をプレゼン用紙で紹介されたが高かった。けれど医師は優しくて親身になってくれたので良かった。

まり書き込むとすぐ特定されるので、ここからはある程度ぼやかして書き込むけれど聴覚情報処理障害と診断されてからは色々と辛いことがあった。

上司からのあたりがキツくなったり、新卒なのに窓際族にされるなど、あとはここに書き込めないこともいっぱいされて毎日泣いたり嘔吐していた。

そして聴覚情報処理障害と診断されてから上司よりも上の立場の人に相談してからそれからは人と話すことがあまりない静かな別の部署に入ってひっそり働いている。電話業務や人と関わることが少ないからとても過ごしやすい最高の部署で良かった。

聴覚情報処理障害は、現在医学の力で治すことのできない病気なので自分に適した環境づくりが最大の治療と言える。

それと知っている医師が半数以下なので中学生の時の自分のようになんともないと診断される可能性が高いので自分の中で疑いがあるなら何度でも別の病院に行った方がいい。医師ですら知らない病気なので…。

就職するときはとりあえず「接客業は避ける」「電話業務がない」「周りの人が理解がある・理解してくれようとする姿勢がある」という感じにした方がいい。

理解する姿勢がない所に就職すると痛い目に合う。

自分聴覚情報処理障害かも?と思ったら大抵そうなので病院紹介状を貰ってから大きな病院で診断してもらうといい。安心するから

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