優柔不断という言葉の一番最初の文字が「優しい」だって気づくのに人生全部使ってまだ足りてない奴がおるとはなあ……
優柔不断ってのは、「優しく柔らかく断ずることなく」って意味の言葉だからな?
「優しい。柔らかい。BUT 断ずる事ができない」じゃないから。
「優しい つまり 柔らかい つまり 断じることがない」だから。
「優しさ」ってのは「断定しない」ってことなんだよ。
逆に考えてみ?
なんでもかんでも「俺はこう思う!だからお前もそうあるべきだ!」と言ってる人は優しい人か?
違うやろ?
優しくなさの塊やろ?
「俺は違うと思うが、コイツがこう考えるなら、そういう考え方もあるんだろうな」って考えられる人が優しい人なんだよ。
つまりな、「自分の想像力や理解力の限界に自覚的であり、あらゆる可能性が存在することを最後まで捨てない人」が「優しい人」なんだよ。
優しい人はこっちが無理を言っても「なるほど……コイツにも考えや都合があるのだろう……今回は飲んでやるか……」と手を貸してくれる。
そういう態度に甘えていくうちにいつからか「俺に都合よく動いてくれる人」≒「優しい人」みたいに考えてしまうのが日本語力赤点かつサイコパスのクソ野郎。
優しい人が大きな決断を後回しにしがちなのは、自分の想像力の限界を知っているがゆえに、行動をする前にリスクの判断を限界までやろうとしてるから。
物腰が柔らかい人がなぜ柔らかな対応をしているかと言えば、想像力のない人間が抱きがちな「俺はマジで素晴らしい人間だから、みんな俺の言うとおりであるべきだし、俺に対して敬意を払うべき」という傲慢さがないから。
優しさとは、柔らかさとは、自分の判断力を疑うという行動方針によって生み出される態度なのだよ。
分かったかね?