はてなキーワード: 腰掛けとは
自分は20代女。自分の地元は、全国転勤のある大企業の工場がいくつかある。そのためそういった企業に勤める、地元は別のところにあるエリート家庭と、昔から地元に住んでいる一般家庭が混在していた。
その差は地元の公立小学校の頃から明らかで、成績優秀者とそうでないものの差は小学校一年生から歴然だった。結局成人式で再開したり、インスタを眺めている感じ、その差は大人になっても変わることなく、優秀なものは東大京大をはじめとした有名大学に進学し、そうでないものは高卒10代デキ婚のマイルドヤンキーになったりしていた。
先輩方も同じ傾向があったので、近所には若くして結婚したデキ婚の人がそこそこいた。そういう話を聞くたびに、親に「ああなってはいけない」と育てられてきたので、ああいうのは道を外れた悪、恥ずかしいことだと信じて疑わなかった。
しかし最近、そういった同級生が2~3人の子供を抱えて地元で働いている姿を見ると、どう考えても立派だよなあと思うようになった。
私は有名大学→大企業コースだけど、就職ははじめから(そんなこと面接では言わないが)結婚までの腰掛けで、今はのんびり専業主婦をしている。子供は欲しいと思ったことがないので産むつもりもない。
もちろんエリート家庭の子も大抵は福利厚生が整ったよい企業に勤めて、共働きで子供を産み育てていこうと計画性を持って動いているから私が怠惰なだけなんだが。
そういえば働いていた頃は、40代独身の一度も実家を出たことない派遣さんで、話している内容がまるで20代前半のような人もいたっけ。
6、7年前のこと。
当時、私は大学を1年休学し、アルバイトで貯金を貯めては発展途上国に旅に出るという生活を送っていた。
いわゆるバックパッカーという奴で、当時はうだつの上がらない大学生を中心にとても流行っていた。
国民からの支持も厚きプミポン国王陛下(大変偉大だった。名前の響きも良い)がまだご存命であらせられた頃の微笑みの国で、途上国と言っても過ごしやすい場所だった。
主な活動拠点であった首都バンコクにはそこら中にコンビニがあるし、バンコクでなくても観光地ならそこら中にコンビニがあった。
短距離の移動も楽で、自動車やバイクやトゥクトゥクなんかのタクシーが車道を(適宜信号を無視しながら)縦横無尽に行き交っていた。
足に自信があればレンタル自転車でも移動できたし、自信がなくてもレンタルエレファントに騎乗することによってなんか自分がとても偉くなった気分にもなれた。
だが、長距離の移動は辛かった。
何十キロも移動する場合、貧乏学生に与えられた選択肢は乗合バスか国有鉄道の2択になる。
私はこの1年後、南国フィジーで偶然出会った黒人と雰囲気でビガップするまで乗合バスというものを食わず嫌いしていたのでタイで乗ったことはない。乗り込んだら最後、ギャングが鮨詰めになったファベーラっぽい場所に連れて行かれるような気がしていたからだ。
なので国有鉄道ばっかり乗っていた。
国有鉄道は大変安価で、バンコクから国中に放射状に線路が伸びていたっぽい。バンコクのなんか名前の長い駅からどこへでも行けるし、どこからでもバンコクに戻れた。
だだ、乗り心地は酷かった。
座面も背もたれも材質不明の硬い何か(プラスチックっぽい)で長時間乗るとケツが割れる。
窓はいつも半開きなくせになぜか換気能力が低く、どの車両に乗っても独特の臭いがした。しかもこの窓は出入り口でもあった。車両が駅に停車すると野生の物売りたちが華麗な身のこなしで窓から乗り込んでくるのだ。なので泥とか砂とかがいろんなとこについてた。
最も難儀したのは、夕方夜にかけて、バンコクから地方に向かう鉄道の車内である。
一つ考えてほしい。我々日本人は、夜にへとへとで電車に乗りこんだものの、座席が空いていなかったらどうする? 観念して空いている場所に立つか、次の電車を待つかするだろう。
タイの疲れた人々はどうだろうか。そんな非効率的なことはしない。
何故なら、電車には床があるのだ。そして疲れているのだ。疲れている人は、座るか、寝るのだ。
そう、電車の床に座って、寝るのである。それも、スペースがあればあらゆる場所に。
座席の肘置きはもちろん、座席の下に潜り込んで疲れを誤魔化す。始発のバンコクならまだスペースに余りもあるが、途中の街から乗り込もうものなら、扉をあければもうみっちみちである。
しかも、地方に行くほど駅が減る。1時間停車しないということもあった。つまり、長時間、めちゃ揺れる車内に、みちみち。
私はその日の夕方、とある観光地から別の観光地に向かう鉄道に乗り込んだ。そして、普通に行き先を間違えた。
動揺を押し隠して途中下車し、優しい駅員の指示のもと折り返しの電車を待った。折り返しの電車が来るころには、空は暗く、月が輝いていた。
やたら笑顔の駅員にはにかみながら、私はやってきた車両に乗り込んだ。
扉を開けると、わぁ……人がみっしりしていたぁ……。
足の踏む場もないほどの人の密集具合に、育ちのいい小学生ほどもあるバカみたいにでかいリュックを背負っていた私は、車両にいることさえ不可能なのではないか思った。
行き場所を失い、半分外みたいな場所に追いやられた私は、そこが電車の連結部であることに気づいた。(賢いので)
日本の電車の連結部は大抵、人間がおっこちて線路脇のゴミにならないように何かしらで覆われている。だがその車両は違った。
連結部の左右は吹き抜けで、端的に言うとめちゃくちゃ危なかった。
だが、私の居場所はそこにしかなかった。私は肩の荷を慎重に下ろし、それに腰掛ける形で車両入り口の扉に向かい合った。バランスを崩すとそのまま車両から脱落する可能性が大いにあったので、足を広く開き、腕は胸の前で組んだ。RPGのボスみたいな座り方だな、と思った。
それからしばらく、私は連結部の主だった。
どれぐらい動的不動の時間が過ぎたか、12、3歳の少年が、扉を開いて入ってきた。
続きはまた今度書く。
さて、続き。
少年の年齢は私の推測である。見慣れた日本人ならともかく、他人種の正確な年齢など私にとっては一目見て分かるものではない。
ただ、少年は成人男性の顎ぐらいの身長でスポーツ刈りだった。よれよれのシャツを着て、よれよれのズボンを履いていた。
少し話は逸れるが、私がタイを訪れ、タイ人と出会って抱いた強い印象の中に『なんか目がキラキラしている』というのがある。これは漫画的な表現ではあるけれど、これが一番適切な表現だと信じている。涙袋のせいだとか二重がどうこうといった美容的なことは知らないので詳しくはわからないが、タイ人の多くはどことなく目が大きく、それでいて黒目が抱き込んでいる光がたくさんあるように見えたのだ。今昔の写真で見返すとそんな風にも感じないのが不思議だが、とにかく、当時の印象としては、大人から子供まで、とにかくキラキラした瞳を持った人間が多く、特に子供たちはだいたいキラッキラだった。屈託のないとか、卑屈な感じじゃないとか(実態はともあれ)そんな感じだったのだ。ちなみに、現地でインド人もたくさん会ったが(外人にスーツを仕立てさせる押し売りが流行ってたっぽい)特にそんな印象はなかった。
さて、話を戻すと、その少年もまた瞳がキラキラしていた。表情は特に無かったと思う。連結部は車両の光で明るく、顔はよく見えたはずなのだが、今思い出せるのは瞳の印象だけである。
少年は私を見ると、なんか言った。タイ語は全くわからなかったので、私は唯一知っているタイ語で挨拶をした。
「サワディカ」どこでも使えて便利な挨拶だった。
すると少年は少し笑って、挨拶を返してくれた。浮かれた様子はまったく無かったので、彼にとっては電車の連結部で見知らぬ外国人がふんぞり返ってる状況など慣れたものだったのかもしれない。
私は気が楽になって、アイフォン(当時はオンボロの5を使っていた)を取り出してイヤフォンを耳に入れると、昨日ホテルのWi-Fiでダウンロードしていたアニメを見始めた。
画面に青白い顔でピンク色の制服を着た女子高生がウロウロしたり電気をつけたりするオープニングが流れ出すと、少年が近づいてきてそれを覗き込んだ。
私は少年の顔を見た。少年は、驚きとか、興奮とかそういう表情を浮かべてはいなかった。ただ、じっとアニメーションを見ていた。私は途中からイヤフォンのコードを抜いて、音量をあげた。
そのオープニングが終わると、別のアニメのオープニングを流した。それから、アイフォンに入れていた日本のアーティストのMVや、ディズニー映画のミュージカルシーンなんかをいくつか再生した。
私は映像を流し見しながら、少年を見た。少年はだいぶ負担のかかりそうな首の角度で、画面を凝視していた。
海外の反応集みたいな大きな反応を期待したが、そういうものはなかった。だが、私には分かるような気がしていた。幼い頃、実家で兄が怪物と戦うゲームを遊んでいた時、たぶん私もこんな風に画面を凝視していた気がする。
しばらくして、私は再生するのをやめて、アイフォンをしまおうとした。少年に見えるように持っているのが普通にしんどかったからである。
すると、少年がなにやらそれを止めた。
まだ何かが見たいのかと思ったが、どうやらそれも違う。自分の写真を撮ってほしいということを身振りやら表情で伝えてきた。
そんなことならとカメラを向けると、少年はポケットから小さな箱を取り出した。
それはたばこだった。
真っ黒な内蔵の写真が雑にプリントされた、やたらグロテスクなパッケージのタバコである。当時、タイのたばこは全て買う気が失せるようなパッケージをしていた。(今もかもしれない)
私は少しだけ衝撃を受けた。少年は明らかにタバコを吸っていい年齢ではない。タイではそういうものなのかもと思ったが、そんなわけないなとすぐに思い直した。
が、一介の腐れ大学生で、この国のことを何も知らない観光客である私には、目の前の未成年喫煙を止めるような義務も、権利もない。
少年は慣れた手つきでたばこを取り出すと火をつけて、口元に持っていって、動きを止めた。
どうやらポーズが決まったらしい。私は写真を撮り、それを見せた。
少年は素人のブレブレで光の加減も適当な写真を見て、口の片方だけを上げるやたらニヒルな笑い方をした。私も真似した。
それが気に入ったのか、少年は私にタバコの箱を差し出した。吸うか? ということらしい。
私は普段タバコを吸わない上に、未成年からこんなものを勧められるとは、などと色々と迷ったが、こんな経験も貴重だろうと一本いただいた。
少年にライターを借り、私はタバコに火をつけた。そして一口吸った。普通の煙たいタバコだった。
私と少年は少しの間、揺れる車両の連結部で煙をふかした。吐いた煙もタバコの先から出る副流煙も、すぐに飛ばされていった。
少年は私がたばこを吸い終わるのを待って、吸い殻を引き取ってくれた。そして、車両の外に放った。私はポイ捨てとかが嫌いな人間だったが、それをここで誇示してもしょうがないなと思ったのを覚えている。
私は車両に戻ろうとする少年の肩を少し叩いて、アイフォンの内カメラを見せた。一緒に写真を撮ろうという意思表示である。
少年は少し照れくさそうにしていたが、写真を撮る瞬間だけ何故かすごいハードボイルドな顔をしていた。たばこを吸っている写真を撮らせたり、なにかそういうのが流行っていたのかもしれない。
私は車両連結部の主に戻った。
私は時折車両の揺れによって荷物経由でケツを叩かれてバウンドしながら、ぼんやりと思った。
この電車は、私が乗り込んだ駅から、まだどこにも停車していない。私が乗り込んだ駅にはあの少年はいなかった。つまり、彼はどこか遠くからずっとこの電車に乗っているのだ。連結部で少しの時間を過ごしたが、親や兄弟と思しき誰かが様子を見に来ることも無かった。時刻はとっくに夜だった。平日だった。少年の様子は、何も特別なものではなかった。
あの子は家から離れた場所に働きに出ているのだろう。と結論づけた。
翻って白状すると、私は就職活動から逃げるためにバックパッカーをしていた。
ただし、当時の私は反省などしなかった。今もしていない。自分がやっていることは間違いじゃないし、こういうことしていたからこういう経験ができたわけだし。
だが、瞳だけはキラキラで、貧乏な風体の、サラリーマンみたいな貫禄の少年に、思うところがないわけでは無かった。
少年と自分を比較して、自分の子供時代を評価していたことにも気づいた。
意味のないことをした。と思ったと同時に、何かとても価値のあるイベントに参加したような気もした。
それから、電車はいくつかの停車地を経て、私を目的地へと運んだ。
電車を降りる時、さりげなく少年を探したが、彼は見当たらなかった。
私は何故かさらに少しだけ気分が良くなり、意気揚々と宿を探すことにした。
宿を探すのにはさらに1時間近くかかり、しかも宿のベッドで南京虫と格闘することになったため、私は激怒した。
結局、特に何かを伝えたい話ではない。
医学部に行きたい女の子→減点して不合格でヨシ!女ら自主性は無視してヨシ!
就職したい女の子→腰掛け女は蹴って男を採用!女の自主性は無視してヨシ!
痴漢被害にあった女の子→冤罪の可能性があるのにすぐに痴漢とか言い出す女は怪しいしただの自意識過剰に過ぎない、性被害をなくしたいとかいうクソみたいな自主性は無視してヨシ!
マララ・ユスフザイさんやグレタさん→大人に都合よく洗脳され利用されてる広告塔。自発的にあんなこと考えるはずがない。ゆたぼんと同じ扱いでヨシ!
水着を着たい女の子やAVに出たい女の子→この少女の夢はなんとしても叶えてあげなくてはならない。女の子の自発的な夢を毀損するとはフェミは悪魔。女性の自主自立を阻んでいる由々しき事態。我々は性的消費をしているのではなく自発的に少女が水着を着たい、きわどい服を着たいと言っているのでそれを支援しているにすぎない。女性の自主自立を支援する活動の一環と我々の趣味趣向が合致したwin-winの関係である。こうした少女がいるのは事実なので支援すべき。
立ちんぼ、トー横でパパ活する女の子→頭が悪くてまともな知性がないから身体で稼ぐバカ。でも都合よく利用できるので利用する。立ちんぼ女子が自発的にセックスを持ちかけて来るので女の自主性を尊重しつつビジネスを成り立たせてあげてるだけに過ぎない。
角換わり腰掛け銀木村定跡は角換わり腰掛け銀を一度終わらせ、そして半世紀にもおよぶ角換わり腰掛け銀の発展を方向づけた歴史的な定跡である。
発見者は実力制名人黎明期において圧倒的な実力を誇った"常勝名人"木村義雄十四世名人。
その木村が40代を迎えて、棋士人生の下り坂に差し掛かった頃である。自身を脅かす有力な若手などそうはいない。しかし次代のトップ棋士達は確実に頭角を表してきた。関東の塚田正夫。そして関西の升田幸三、大山康晴。木村が第6期名人戦で塚田正夫に痛恨の敗北を喫したあとに完成させた定跡だそうだ。西暦にして1947年ごろか。
そもそも角換わり腰掛け銀とは、お互いに大駒である角を持ち合い、準備万端の攻撃態勢を築きガンを付け合った後、相手が死ぬまでボッコボコに殴り合うという戦法である(個人の見解です)。
その過激な思想がウケたのか当時流行最先端の戦法になっていた。もちろん名人戦でも指される。そして木村は名人を失冠した。再起を賭けて死に物狂いで研究したであろう木村が編み出したのが、先手必勝の角換わり腰掛け銀木村定跡である。角換わり腰掛け銀で同型(▲5八金▲2八飛の形)のまま進行し、▲8八玉△2二玉と互いに玉を囲い合うと、後手は何をどう最善を尽くしても絶対に負ける。
すでに新聞棋戦全盛の時代だ。必勝定跡を隠す手立てはなく、指せば先手が勝つと分かった木村定跡はすぐにプロの将棋から消えた。当たり前の話である。なので角換わり腰掛け銀は以後、木村定跡を避けて逆に攻勢に出たい後手とそれに対応する先手、という図式になる。▲8八玉△2二玉と進めば負けるのだから、▲8八玉の後に後手が攻めたらどうなる?どうも先手悪いようだ。ならその前に先手が攻めたらどうなる(升田流)?半世紀にわたる未解決問題は富岡流によって解決された。やはり先手必勝だ。後手はもっと前に変化しないといけない。あるいは!同型のまま進行するのがダメなら、序盤で後手から角交換したらどうだ(後手番一手損角換わり)?▲8八玉△2二玉の時点で同型にならず、後手有望かもしれない!先手がそもそも腰掛け銀を回避してくるところが辛いけどね。
ゾルトラークは広く流行し誰でも使える基本的な魔法になったそうだ。この点は将棋界と違うね。必勝戦法は必勝なのだから誰も指さなくなる。いわゆる×新手一生○新手一勝だ。しかし知らなければ落とし穴に嵌る。将棋界におけるゾルトラークは大なり小なりそういうものだ。決して表舞台には表れないが、水面下では激しい研究合戦が繰り広げられている。そこに織り込まれていく。
2023年現在で角換わり腰掛け銀同型といえば▲4八金▲2一飛の形である。木村定跡はもちろんだが、▲5八金▲2八飛の角換わり腰掛け銀自体がAIにより不安定な形と評価され、指されなくなった。イマドキの奨励会員は木村定跡を知らないかもしれない。AIもプロも指さないからね。将棋AIはとうの昔に、人間の棋譜を読むような非効率な学習を行っていない。ゾルトラークとして水面下で棋士の常識であったはずの木村定跡は、今では本当にただの廃れた定跡なのかもしれない。
2人前で1500円くらいする冷凍もつ鍋が、ドラッグストアコスモスで売られている。これ誰が買うんだよと思ってたんだけど、ネットで調べたら評判が良かったので、エイヤと買ってみて、彼女とやった。
IHコンロをわざわざリビングの机に移して、加熱しながらの鍋をやった。
美味しかった。美味しかったし、楽だった。材料を順次投入するだけで、かなり本格的なもつ鍋ができた。でも途中で(うまいけど)モツ食うのキツい!ってなって、キャベツや豆腐を狙って食い、「ほら、モツだよ…食べな……」と、親切めかしてモツを食わせあう一幕があった。
食品センターなる謎の店があって、海鮮が充実してるとのことだったので2人で行ってみた。
うっすら床が湿っていて、やや薄暗く、陳列はなんとなく乱雑な印象だったが、それでいて客は多かったので逆にいい店なのだろうと感じられた。
刺身の盛り合わせと唐揚げを買った。季節は冬で、歩くのがあまり苦ではなかったから、少し歩いて近くの海まで行った。
防波堤の先まで行って、適当に腰掛けて、食べやすそうな唐揚げを食べた。うっすら暖かくて、なかなかいい味だった。陸の方を振り返ると、犬の散歩をしているおじさんなんかがいた。
初デートで近所の山に登ったあと、同じく近所の川に行った。
かなり川幅が広くて、河川敷も整備されているタイプの、都市的な川だった。
川に詳しくないので、目的はよく分からないんだけど、飛び石みたいなコンクリートブロックが川幅ぶん×5列くらい敷いてあって、渡ろうと思えば渡れそうだったし、特に渡るなとも書いてなかったから、2人で渡った。
児童公園なんかの、本当に子供が渡ることを想定した飛び石とは違って、そこそこ距離もあるし、落ちたら浅いとはいえマジの川だったので、俺はけっこうビビって、おっかなびっくり、ゆっくり渡っていた。その間に彼女はピョンピョン跳んでいって、けっこう先から俺の方を振り返った。そのときの笑顔がすげえ可愛いくて、俺はこの人と付き合ってよかったなあと思った。
公園とかにある回転遊具の小規模版という感じで、筒につかまって地面を蹴るとガンガン回れて、その間に足を突き出したりして、回転速度の変化を楽しんでください、という趣旨だった。
最初は土日に行ったので子供がずっと遊んでいて、彼女は「あれやりたいなー…」と言っていたが、空きそうな気配がないので諦めて帰った。
平日にリベンジして、子供どころかほかの客自体がまばらな状態で、彼女は存分に回っていた。よかったねえ…と思った。
ノーパンで浴衣を着て外を歩くフェーズがあって結構ドキドキしたりしつつ、本題の砂風呂にたどり着いた。
砂をかけられ、おお重い重い、これが砂風呂かあ!などと思い始めたところで、後ろから声が聞こえてきた。
「お前さあ、ホント動かないよね。人に動かせるなよ。いい加減にしろよ、本当」
「はい…」
「さっきも全然砂かけてなかったじゃん」
はじめ、社員旅行とか部活の合宿か何かで来た客同士がやり合ってんのかと思い、こんなアクティビティ中に説教すんなや!と思ったが、やってるのは砂風呂の従業員だった。
気まず!全部聞こえてんぞ!と思った。首だけ動かして隣の彼女に目をやったら、まっすぐな目で虚空を見つめていた。
電車で行きにくい場所にある植物園に行った。バス停から1キロ前後の距離があったんだけど、その道がほとんど直線で、広い道路で、中央分離帯兼植栽みたいなものも充実しており、歩き甲斐のある道だった。
植物園自体は1980年代とか90年代とかそのあたりの、なにか大きな国際イベントを期に整備されたものらしく、大きくて古びていた。
遠目に目立つ塔状の構造物があったので、入園してから近くに寄ってみたら、かつては展望台だったけど今はやってません、と言う旨の張り紙がしてあった。停止した自動ドアのガラスの向こうには人気のない薄暗い受付がうっすら見えていて、それと同時に自分たちの姿もガラスに反射していた。その情景をなぜかよく覚えているんだけど、なぜかはよく分からない。
どうぶつタワーバトルを彼女に勧めたら、ゲームをやらない彼女にしては珍しくハマってくれた。
最初は経験の差で俺が勝ちまくっていて、なんなら少し手を抜いたりもしていたんだど、最近では全くの互角か、彼女のほうが強いくらいだ。センスがあるんだと思う。
腰掛けのつもりなんが見抜かれとるんやで😩
風呂上がりにはしばらく全裸でいたい。いくらエアリズムとて、すぐさまパンツを履いてはせっかく洗ってサッパリしたちんちんも蒸れてしまう。
立ちっぱなしも何だから、身体の火照りが取れるまでは直ケツかタオル巻いてどっかに腰掛けたい。
居室にあるクッション入りの布地のイスでそれをやるのは憚られる。身体は拭いたとはいえ、まだまだ蒸気を発するケツをクッションに乗せるのは気持ち悪い。ケツにダニつきそう。中まで水分が行ってカビ生えそうだし。
じゃあ革張りのイスを導入するか。悪くはないけど、わざわざイスを変えるのも面倒くさい。あとそんな使い方してると傷むの早そう。
これが中々良い。スツールみたいなのより座り心地は良いし、小さいからそんなに邪魔にならんし、安い。
サウナのデッキチェアみたいなのが理想だけど、それは大袈裟だし邪魔すぎる。
これに座って風呂上がりの火照った身体を冷やしながら仕上げにドライヤーでもしてると、風呂から非風呂へとシームレスに移行している感じが妙にしっくりくる。
いやぁ…なんというか、海外はどうか知らないけど、
派遣含む非正規雇用に求められてる事って何だと思ってるか?って、
なぜ?って本当に人材が欲しいなら最初から正規雇用枠で募集しますやん?
非正規雇用が雇われた先ですべき事は与えられた作業をこなす事。
言われた事に対して「はい」と答えて行動する事なんですよ。
そこを
「半永久的に雇って貰える!」
「意見すれば聞いて貰える!」って勘違いしちゃった世間が増え過ぎた。
なんなら、本来なら非正規雇用が持ち得ない正規雇用の特権である「安定」さえ求め始めてしまった。
非正規雇用に対しては2,3ヶ月~長くても半年程の期間、同じ職場で働いたら強制的に解雇されて他の職場を探さなければならないって法律を作るべきだったと心底思う。
あくまでも、非正規雇用というのは正規雇用への足掛けの1つで能力を磨く為だけに使えるシステムであるべきだった。
それがもはや大多数が腰掛けになってしまっててダメにしてしまってる。
非正規雇用で1年、2年以上も同じ職場で働いてるような連中が日本をダメにしたと心底思うよ。
しかも、その非正規雇用で働くんだ!と自分で決めた道を今では他人や環境、あげく国のせいにまでし出して「給料上げろ」「退職金出せ」とまで言い出す始末だし。
非正規雇用で働いている人達は、本来なら半年もすれば転職して正規雇用枠で新しい企業なりに就職すべきで…本当に叩かれるべきは非正規や派遣で長く居座れる、話を聞いてくれると勘違いしてしまった自分達だと思うよ。
非喫煙者が何してるか答えてやるか
意味不明。寝付けないからって深夜に外でボーッとしてたら不審者だろ
一週間疲れてたから日曜日に一日中寝るつもりで寝てたけど、15時くらいになって本当に何もしていないことに焦燥を感じてつい家の外に出たけど行くところが何一つ思いつかなくてアパートの階段に腰掛けた時とか。
いや、タバコは止めたいんだよ。
くせーし、タバコ吸わない人の前では吸いたくなっても吸えないし、普通に高いし、健康にも悪いし。
いいことなんて何一つない。
でもタバコやめたら今までタバコを吸ってたような時間は何すればいいんだ???
冬に仕事終わってコンビニ寄ってあったかいコーヒー買ったときとかさ、実家に帰って家族が全員寝静まった後なんか寝付けなくて一人だけ実家の庭に出たときとか。
一週間疲れてたから日曜日に一日中寝るつもりで寝てたけど、15時くらいになって本当に何もしていないことに焦燥を感じてつい家の外に出たけど行くところが何一つ思いつかなくてアパートの階段に腰掛けた時とか。
ヤバすぎる。
どんだけ踏ん張ってもうんちが出ない
括約筋の真上でうんちがとどまっている
便座に腰掛けて前屈みでいきむ、でない
持っていたスマホで即便秘解消法を検索するが、マッサージやツボ押しなど、すぐ効果が出るような解決策はなかった。
体勢を変えた方がいいのかと思い、便座に和式座りをする
便座に足を乗せてしゃがんで力む、でない
下を覗くと息子が情けなくぷらぷら揺れていた
まだ角度が足りないのかと思い、便座を離れ床にしゃがんで力むがうんこは肛門から少し顔を出して戻っていく
これは硬い。そんな硬くなるような肉なんて食べてないのに
これはもうセルフ浣腸しかないとおもい、使い捨て手袋を嵌めてオリーブオイルを中指に垂らした
肛門に塗りつけて便座に座り力む
でないぃぃぃ、お腹が苦しい、俺は何にも悪いことしてないのに…何で朝からこんな苦しい目にあうのか
ここからはもうどうにでもなれ、ロケーションを変えれば解放感で出るかもしれないと思い、色んなところで力んだ
でなかった
うんこは出なかった
クーラーをつけているにも関わらず汗だくだったし、腹は膨らんで苦しかった
出勤時間を5分過ぎた
俺は諦めて括約筋の上にうんこを感じながら家を出た
散々な日だった
外ではうんこはできない。人が多いし、わざわざ個室に入りたくなかった
少し力むとうんこはするする出てくれた
気持ちよかった…
俺に足りなかったのは運動という名の腸内刺激だった
私には、家で用を足すときに、どうしても改善したいフローがひとつある。
着座フローだ。
ふつう、トイレのドアを開けたら便器はこっちを向いてるか横を向いてるかのどちらかだと思う。
あっちを向いてるってことはないよね。ドアを開けたらタンクの背面が見えている、そんなトイレはない。
ということは、用を足す人は、トイレ室内に入ったら左に90度回って向きを変え、パンツを降ろして腰掛ける。
これでいいはずなのだ。
なのに私は、どうしてもトイレの中で右に270度回転してしまう。
いつも、何やってんだろう、と思う。
筒井康隆の短編に、馬にまたがる時どうしても後ろ向きになってしまう中隊長の話がある。
あんな感じだ。
原因を考えてみたのだが、家のトイレのドアの開く向きが関係しているような気がする。
トイレのドアは外から見てノブが右側、ヒンジが左側にあり、外側に開く。
この向きのドアの場合、トイレに入ったらドアは右手で閉めることになる。その時、体も少し右にひねる。
つまりドアを閉める動作の時点ですでに身体には右方向の回転モーメントがかかっているのだ。
その回転モーメントに抗えず270度ターンしてしまっていると考えられる。