はてなキーワード: 矮小とは
突然ですが、ゲームは皆さん大好きですか?
僕は大好きでした。
様々な人とネットやリアルを通してゲームについて語りながらゲームしているだけで幸せでした。
リアルがいくら散々で灰色な日々を過ごしてもゲームに酔っていればそれで良かったのです。
数年前は。
数年前、ゲームコミュニティ中で、自分またはその他が原因で(誰が悪いかと言ったら自分含め全員悪い)
亀裂が生じて面倒になって4年間続けていたソーシャルゲームをやめてしまいました。
その頃から心に穴が空いたように何をしても虚無感に苛まれる毎日。
当時高校生だったのですが、そのことをきっかけになんとかリアルを頑張ってはみました。
ゲームもやめると思いつつもなんだかんだ触れてはやめ、触れてはやめを繰り返し、
現在将来に向けて考え、動く時期ではあるのですが、
現実的に考えて今年受験しても、どうせ浪人して受験したほうが将来のリターンが大きいと思い、
それは差し置いて勉強をしようとしても、うまく行かないのでモチベーションが続かず、
1.コミュニケーション等で本来抱えるはずのない罪だが、抱えてしまった重大な罪
(先程の亀裂というのは、
特定のキーワードでググればすぐ出るレベルで2chでも晒されているレベルです)
に対してのすべき対処
3.100から1で考えてから動く(最終目標から逆算しきってから動く)人間が、
それとも50くらいに無理矢理抑えて動き出さなきゃいけないのか、
それともそれ以外に方法があるのか
の3つです。
これらは周囲の人間でも話題について来てくれる人間が少数(小難しいだけ)なのと
リアルな人間には向かい合って話しにくい話、ということで質問させていただきたいです。
自分語りでも構わないです。
どんなに矮小で卑屈でも構わないです。
利用してくれても構わないです。
(1. 2. 3.のように答えていただけると読みやすいです。
30歳、無職。
前々職では上場企業で管理部門に在籍していたが、給料をもう少し伸ばしたいと思っていた。そんなところに知人から未経験のSEの誘いがあった。年齢もそこそこだし、転職するとしたらここかな、と考えて軽い気持ちで転職した。しかし給与は面接時に提示された額の半分程度。最初約束されていた研修は1日もなく、自分で勝手に学習しろと言われ仕方なく本やPCを買い込み自習を続けていたが、個人情報関連の書類を一気に紛失されたことで気持ちが切れ退職した。もう3ヶ月転職活動を続けているが、未だにいい結果は得られず。幸いにして実家暮らしを続けていたため、なんとか食事は得られているが、そろそろ貯金も底を尽き、失業手当で何とか生きながらえる日々である。
まあ、深く考えずに転職したツケが回ってきたことは分かっているが、それにしたってこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないのはなんでだ?という気持ちがないではない。前々職で発達障害を疑われたりしたこともあって、だいぶ人間不信ではある。年下の恋人がいるにはいるが、いつ愛想をつかされることやら。そんな不信感、不安感に毎日押しつぶされそうになっている。
今は前々職の経験を活かせる場所がないかと思い、エージェント経由で面接を受け続ける日々だ。正直しんどい。
この上でなお、誰かに助けてほしいと思ってしまう私が甘えているのだ、とは思う。だけど、助けてくれ、と思うことくらいは許してほしいのだ。自分のことは自分で助けるしかない。そんなことはとっくに理解しているし、自分がどれだけ情けない存在であるかも理解しているつもりだ。それでもなお、私は助けがこないかなあ、などと来もしないヒーローを考えてしまう。それがまた、自分の矮小さを際立たせている気がして死にたくなる。
生きるための正念場なのだ。もっと気合を入れなければいけないし、もっと頑張れ、と思う。事実、私にできることの大半はやってきたつもりでいる。それでも上手くいかないのは、おそらく私が無能だからである。何者でもない私の責任である。だから私はもっと頑張らなければいけないのに、それでも上手くいかない現状で、私以外の何かに責任を負わせようとしている私に一番腹が立つ。
うっかりバズることもあるだろう
あくまで自分はクソニッチな、何ていうのか、2chのスレでクソコラ作ったらIDが真っ赤になって嬉しいみたいな
はてブでスターを集めて悦に入るような矮小な存在でしかないと思っていたのだが
数年前からずっと追ってる人気者が、よく考えたら自分より数字伸びてないことに気づいて何かよくわからなくなってしまった
少し考えてわかったのは
その人そのものが好かれて伸びているいわゆる人気者と
変な話、すごく面白い漫画だったとしてもさして作者について詳しくないこともあるし
目の前に現れても興奮しないかもしれない
何かそういう事を考えた
だからどうしたということでもないが、そうやって納得した
水に流してもらいやすい死に方とそうでない死に方はあるよーだ。私見では、
Y:あっさり死ぬか否か
の二軸くらいが評価ポイントではないかと思う。自分より大きな存在と向き合って、あっさりと死ぬ(殺される)人間は同情され、罪も流されやすい。インスタ映えならぬ「死に栄え」だ。一方で、矮小な存在と向き合って、生きぎたなく死ぬ(殺される)人間はむしろ怒りを買い、罪が見逃されにくい。死に栄えしないというわけだ。
たとえば源平の頃で言うと、頼朝とそれが差し向けた大軍と対峙しあっさり打たれた義経は「判官びいき」でずっと持ち上げられる典型的な前者の例だが、戦力的には優位だったのに頼朝軍に敗戦し逃げまどい最後は泥田にはまって切腹することにも失敗した木曽義仲は後者の典型で、あんまり評判よろしくない。人間的には、なんか義仲の方がいい人っぽいのに。
あるいは戦国で言えば、さんざん無茶苦茶をやった織田信長は典型的なパワハラ上司だが、最後は大軍に攻められあっさり死んだ(つまり前者)ってことで、なんかいい人だったような語られ方をされやすい。逆に、その被害者だったが、天下を握れる立場に近づきながらも敗戦し逃げまどって最後は土民に討たれて死んだ明智光秀は、すごい有能で常識人だったみたいなのに、「三日天下」といつまでたっても嘲笑の対象となっており、後者の典型である。
したがって、アベくんが死んで水に流されるかどうかは、今彼のやってることが極悪非道であるかはたまた救国の英雄であるかには全くかかわらず、単に「死に際が栄えるかどうか」によるんじゃないかな。たとえば彼のせいで日本が今後勝ち目のない戦争に突入した時、最前線で真っ先に華々しく散ったりしたら、「まぁ、馬鹿だけどしゃーねーか。馬鹿だけど。」くらいの扱いで済むと思うが、彼のせいで追い詰められた一狂人に腹を刺され、さりとてすぐには死なずうだうだとして半年後くらいに最期を迎えたら、歴史上は刺した方が英雄扱いになるんじゃないかな。
自分が如何に矮小で卑怯で自分勝手で不真面目な人間かは分かっている。
他の人が努力をして生きているのも知っている。
心療内科を訪れて鬱や不安障害と明確な概念をもらえて、世間一般に溢れる1人であると安堵できる可能性よりも、貴方に異常はありません。と言われる不安の方が大きい。
何もかもが怖くて自分が生きてちゃダメなんだと震えて泣いた数分後に、さっきまでの衝動は一体なんだったんだ?と自分を理解できなくなる瞬間が数日おきに来る。
普通なんてものは存在しておらず、いるのはただそれぞれの人生を生きる人間達だと分かっているけど、自分以外の人間が何か同じ集団に属していて、自分だけが爪弾きにされているような疎外感を覚える。
タピオカ片手に笑う女性達だって辛い場面もあるだろう。それでも人生が±で言えばプラスだと答えそう。自分はマイナススタートのマイナス振り切ってるよ
俯いて早足で人に肩をぶつけながら歩く男だって、きっと連絡が取れなくなれば心配に思ってくれる人間がいるんだろうな。いいな。
みんな普通になりたいと思っていながらそれを口にしないだけなのかな。
話題のことについてもう少しわかりやすくすると、原作にいるキャラを例えばAさんとし、『私』を花子さんとした場合、A花と巷によくあるCPのように略して表記をされている方が増えた(ここでの『花子』さんは、創作者の名前と同じものとします)(また、以下『A花』と表記しますが『花A』『A花A』を否定するものでは誓ってありませんし、性別を特定するものでもありません)。
これは『A花』であって、『花』を名前変換することは基本的にあまりない、と思う。どうなんだろう。その辺は人と場所に依りそう。だから『夢小説(夢創作)』ではないのかもしれないけれど、とりあえずその辺の話として続ける。
まぁしかし自分は矮小な存在なので、そもそもこれは自分の観測内だけの話かもしれない(もしかしたらこの記事を読んでいる人にとってはそんなこともう10年前から当たり前だったかもしれないし、はたまたそういった人は全く見かけない、という人もいるかもしれない)。
とりあえずこの記事の書き手の周りでは増えたんだな、と思って読んでほしい。
夢界隈外での夢の認識は未だに、『キャラくん×私』の図式で終わっている。とてもプリミティブだ。それが悪いと言っているわけじゃないけれど、そこから何一つとして認識が進んでいない。
けれど、長年そんな風に言われながらも実のところ『A花』というものを自分はあまり見かけなかった。仮に自分であっても夢主と表現し、名前を表には出さない。CP名のように略さない。そういう人が多かったように見受けられた。
けれど冒頭に書いた通り、ここ最近、2〜3年だろうか、『A花』という表記を見かけることが多くなった。私はそれが、純粋に、羨ましかった。羨ましいという表現は『A花』として創作をされている方の苦労や涙を軽んじているように思われるかもしれないが、忌憚なく言わせてもらうならばやはり「羨ましい」という単語が当てはまる。
ここから少し自分の昔語りになるけれど、私は10年ほど前にかなり長めな夢小説を書いて完結させた。これだけでもう察しのいい方は気付いたと思うけれど、そう、夢主がほぼ完全に理想の自分、この世界にこの立場でいられたならばこう動いていただろう、という理想と妄執を詰め込んだある種の呪詛と祈りのような作品だ。
普段の自分の作風は、原作世界の中に『こんな人物が生活しているかもしれない』『ここにいたら関わりがあったかもしれない』という舞台観測型の書き手だった(と思う)(実は自分の創作がどんなものなのかいまいち分かっていないので曖昧だけれど許してほしい)。
そもそもかなり原作のジャンル自体が全く違うので、今までのジャンルの小説を読んでくれた人とそのジャンルの小説を読んでくれた人は重なっていないかもしれないけれど、自分は読み手の方を裏切っているのではないかと、たまに思う(そもそもその理想の私で書いたジャンルは書き手も読み手も少ない小規模界隈だったのでおそらくマジで重なってないと思う)。
そんで少し前の「羨ましい」に戻るわけだ。今ならあれを『A花』として出せたのだろうか、それを受け入れてもらえたんじゃないか、と考えたりする。けれど自分が弱いことはよく知っているのでこのことは誰にも言っていないし、これからも誰かに告げる予定はない。自分だけが知っていればいいことだと思う。
だから、自分の意気地がないってだけなので「羨ましい」というのはお門違いなのは重々承知している。A花をしている方のなかには、ひどく気を使っていらっしゃる方もいると知っている。ファンアートを描かせて頂いた時に「受け入れてもらっているのかすごく不安だった」と心情を吐露してくださった方もいた。
きっと皆さん多かれ少なかれ恐怖の中にいるのだろうと思う。
私はその勇気が素晴らしいと思うし、勝手ながら元気をたくさんもらっている(だからせめて「私はあなたの心とパートナーを支持します」というのを遠回しに表明するために『A花』を描かせてもらうのだ)。
臆病で結局表明もできない人間だから、みんな自己投影の話は『A花』としてやるといいよ、なんてことは口が裂けても言えない。だけど自分は誰かの『A花』を笑わないし、たとえ受け入れられなかったとしてもそれは自分の許容範囲の話なので、『A花』が悪かったわけでも『A』さんや『花子』さんが悪かったわけでもない。そういうことはよくある話だと思う。
『私』を出している作品だから、否定されるととても深く傷つきやすいガラスのようなものだとは思うけれど、気を確かに持ってほしい(気が狂ってるとかいう人もいるけれど、同人者なんて多かれ少なかれ頭がおかしいもんだ)(自分のいる側こそが正気だと思ってる方が狂気じみている)。
そんなわけで、界隈外から「夢小説って、キャラ×自分なんでしょ」というほぼ一択の解釈であるのにも関わらず、案外「キャラ×自分(名前変換がない)」を表明した作品は全然なかったのは面白いし興味深いし、増えてきたのはいいことだなー!!!と思う、という話でした。
【余談】
けれど現状だとそれを受け入れる・検索できる素地が整っていない(サーチさんとかの定義では『名前変換ができるもの』が第一原則としてよく存在する)ので、サイトを持っている方を見ると勿体無いな、とも感じたりする。でも『A花』をされている方は、サーチから来てほしいという欲求はあったりするのだろうか。それこそ気の合う人たちと一緒にいる傷つかない世界を望んでいるんじゃないか、など答えの出ないものを考えたりしてしまう。
これも十人十色だろうけれど。露出したい人もいれば、露出したくない人もいる。それはどの作品でもあることだ。
(……思ったけれど、『A花』を観測できなかったのって、こういった感じで『夢創作』として受け入れられなかったからでは?とこの余談を書きながら思った。)
(サーチ管理者さまをdisる意図はないです。あの定義は必要だったろうなと思うので。)
【余談終わり】
思ってたより長くなった。
ここまで読んでくれた人がいたらお疲れ様でした。ありがとうございます。
誰かと深く関わるのがすごく苦手だ。
自分の矮小さを見透かされるようで、深く関われば関わるほど、その場から逃げ出したくて堪らなくなってしまう。
接客は得意なんだ。そのときに生じる関係は一時的なものだから。
どれだけ自分を取り繕っても、綻んで手詰まりになることがないから。
けど誰かと仲良くなるということは、その後ずっとその関係性で付き合っていくということ。
初めに精一杯演じた自分をその後もずっと継続して演じることなんてできない。
疲弊し、神経をすり減らしているうちにいつか綻びが出て、相手を失望させる。
演じることをやめようと思ったこともある。
虚飾で取り込んだ人々は、僕が演じるのを止めた途端、ほとんどが僕のもとから去っていった。
好青年を演じて、深くは関わらない程度に関わる。
それが僕の行き着いた結論だった。
だから、流動的に生きてきた。
一所にとどまって誰かと深い関係を築かざるを得ないような状況に陥らないように。
広く、浅く。
そうして僕は安寧を手に入れた。
色んなことに挑戦して、できることが増えるたびに一人でひっそりと喜んだ。
でも、安穏とした環境に身を置いていると、こんなに大事なことなのにすぐに忘れてしまう。
僕が尊敬する人物の一人に、宿泊所でのアルバイトに来ないかと誘われた。
場所は北海道。仕事は館内の掃除で、賃金は出ないけれど食・住付き。
北海道に行ったことがなかった僕にとっては魅力的な話。即決だった。
けど食がつくということは、そこで働く数人で一緒にご飯を食べるということ。
そこにいる人々は皆いい人ばかりで、和やかな雰囲気。
深く関わらず雑談する術を僕は持っていなかった。
「良い人」たちだから、こんな自分でも気兼ねなく話せるようにとても気遣ってくれる。
でも、気遣われてるのもわかるんだ。
昨日の夕飯後、みんなで知恵を絞り合っていたのも知ってる。
どうやったら僕が話に入れるか。誰と話せばいいかわからないんじゃないか。席を固定してみるのもいいんじゃないか。
星を見に誘ったのも、きっと気を遣ってのことだよね。
良い人たちにこんなに手間をかけさせて。誰かと深く関われない自分は悪なのかもしれない。
多分こんなことを考えていること自体が、一般的にはひどく愚かなことなのだと思う。
人間はただ生きているだけで素晴らしいんだ。
でも、自分だけにはそんな価値がないとどうしても思ってしまう。
僕の好きな人々にはそれぞれの交友関係があって、彼ら彼女らを取り巻く人々は傍から見てもとても素敵な人たちばかりだ。
後でこの文章を見返したときに、あの頃は青かったなぁなんて笑い飛ばせる日が来るんだろうか。
なら、きっと来るはずだ。
じゃなければもう、どうしていいのかわからない。
夫の皿の洗い方が汚い。洗ったはずなのにいつも盛り付け前に油でベトベトなのに気づいて洗い直す。
何度言ってもきれいに洗ってくれない。皿洗いごときで夫に色々言いたくない、かといって野菜のカスとか油のぬるぬるとかが残った食器で食事はしたくない。食事係は自分なので必然的に盛り付け前に洗う羽目になる。
夕食前に皿を洗いなおしていると、夫は俺への当てつけかと言い出す。めんどくさい。
洗濯、早く帰ってきた方が干すことになっている、が、早上がりで飲んで帰ってきた夫の代わりに洗濯をするのは腑に落ちない。そんなくだらない理由で喧嘩したくないので、自分で干す。たまに文句を言うけど、特に改善する気は無いようだ。
エアコン、夫は23度。私は27度。電気代が2万超えてるから、節電してって言ってるのに23度。ドアも開けっぱなしで廊下まで冷やす。もう電気代は小遣いから払って欲しい。
という諸々のイライラも金さえあれば解決するんだけれど、自分も夫も稼げないから仕方ない。大体、2人とも無能だから家事ごときでトラブってるのに、金で解決できるほどの稼ぎがあるわけない。向こうは向こうでこっちに不満があるだろう。お互いイライラしあって暮らしてるのだろうな。
私がTRPGというものに触れてから、もう8年近くが経とうとしている。
元々幼少期から存在自体は知っていたものの、それはダンジョンアンドドラゴンズなどに代表されるファンタジー系のものだった。当時愛読していたライトノベル「フォーチュン・クエスト」の影響もあるのかもしれない。
だが、ニコニコ動画でクトゥルフ神話TRPG(以下CoC)のリプレイ動画が莫大な人気を博したあの瞬間、それまで見向きもしなかったであろう層が、斜陽であったTRPG界に一斉に興味を示した。
それはとても素晴らしいことだと思う。前述のとおり、私もその流れに乗って本格参入したクチだ。消費税が8%になる直前にはいろんなシステムのルールブックやサプリを買い漁った。
発展したインターネットとTRPGの相性もすこぶるいいもので、遠く離れた人ともツールを使えばリアルタイムにロールプレイしあえてダイスの結果を共有できる。冬の時代を現役で感じていない私のような若輩者が口にするのは何様だともなるが、いい時代になったなと今でも痛感する。
とりわけメインで参加しているシステムはやはりCoCだ。人智を超えた生命体への恐怖という題材が好きというのもあるが、それよりも大きな理由は「プレイ人口が多いから」だ。界隈が違えばまた変わってくるのかもしれないが、私の周りには大体みんなCoCを知っていて、それ以外のソード・ワールド2.0やピーカーブーなどに目を向けるとプレイ人口は冗談抜きで半分を下回る。なんなら「CoC以外はやりたくない」と言う層もいるので、布教すらさせてもらえない。チャイム越しに追い返されるセールスマンの気持ちがなんとなくわかるような気がした。
そんな弊CoC村だが、ここ数年でやたらと所謂うちよそタイマンが流行りだした。KP側の作成したPCと、PLが用意したPCが濃密な関係を組み、愛と勇気の力で宇宙的恐怖を退けるアレだ。
TRPGの遊び方というのは千差万別、卓の数だけ物語がある。それは重々承知しているつもりだ。
けれど、私にとってのCoCは本来特別な力を持たない(ほんの少しだけ生業への専門知識を持っているかもしれない)ただの人間の探索者が知恵を絞り不可解な謎に挑み、その先で神と呼ぶのもおぞましい存在に圧倒され自らの矮小さに慄くシステムだと自己解釈しているために、どうも首をひねらずにはいられない。
pi●iv製のシナリオを見てみると「突然意識を失い、目が覚めたら見知らぬ空間にいて、そこには囚われたor記憶を失くしたKPCがいた。脱出するにはKPCを犠牲にしなくてはならないが謎を解き明かせば二人揃って無事に生還できついでに二人の絆を証明するアーティファクトが手に入る」的なものが5件に1件くらいの確率でねじ込んである。その中でもシナリオ背景に「ニャル様が暇つぶしに二人を試しました☆」だけしか書いてないものを目にしたときは頭を抱えた。
いやもうそれクトゥルフ神話要素ほとんどないやん????バッドエンドで視界暗転する瞬間に「やれやれ、君たちにはがっかりだよ。さて、次のおもちゃを探しに行こうかな」だけ言い残すニャルラトテップ御大の化身だけでは????
いやそれだけでも出てくるのならまだいい方だ。中には「自作世界観を再現したので神格も宇宙的恐怖も一切関係ありません」なんてシナリオもゴロゴロ転がっている。それなら“クトゥルフ神話TRPG”のタグを付けないでほしいし回すKPも事前に告知してほしい。こっちはいあいあしにきてるのだから。
なんだか本題からずれてきている気がする。
うちよそ自体は否定しない。最初はそのつもりじゃなくても幾度か同卓をして交流を積み重ねた結果恋仲や相棒になったPCたちもいることだろう。
ただ、うちよそありきでキャラメイクをしシナリオを選びとなると正直もっとうちよそに適したシステムは世の中にごまんとあるわけで、ただでさえロスト率や後遺症を貰ってくる確率の高いCoCに向いた遊び方ではないと思ってしまう。
例えばネクロニカやダブルクロスなんかはPC同士でロイスや未練といった感情を伴った絆を結ぶことでクソデカ感情生成システムを生み出している。これらはファンタジー色が強すぎるが、現代日本ステージであるならばインセインはPCそれぞれに「秘密」が割り振られ、その内容がPC同士密接に絡み合っていたりする。
これら以外にも、もっとうちよそに向いたシステムがあるのに彼女らは尚もCoCに拘っている。神話成分が微塵も残っていない話でオタク好みする都合のいい展開にエモいエモいと泣いて有難がっている。億が一ロストの道を辿っても、今度は「ロスト探索者専用シナリオ」を用意してきて死の淵から蘇ってきてまでうちよそをしようとしている。もはや執念だ。
結局のところ、システムは二の次なのだと思う。感動的なロールプレイをしたためたいだけなのだ。そこまできてしまったのなら、もう“テーブルトークRPG”というジャンルよりも“なりきりチャット”の方がいいだろう。私も中学生の時にオリキャラなりきりチャット掲示板で長ったらしい割にはわかりづらいロルを回してはよその子と交流を深め恋愛関係を結ばせていただいたことが何度かある。あちらにはほぼ“判定”というものがない分、よりPLにとって都合のいい展開に持ち込めていいんじゃなかろうか。
ここまで書いて、ただの自分の好き嫌いで解釈違いというだけのクレームまがいな文章になっていることに自分で引いた。
タイムラインに流れてくる「CoCタイマンしてきた〜♥恋仲になりました♥」と心底嬉しそうな報告ツイートに、ふぁぼも祝電リプも送れない意地悪な自分に嫌気が差すし、かといって界隈から離れるには横の繋がりが多すぎて村八分状態になってしまうのが寂しいと抜かす、ただのかまってちゃんで我儘なプレイヤーだ。
あれからすっかり参ってしまって、TRPG用のアカウントにログインしない日が続いていたら10月頭あたりに学級会になってたらしくびっくりです。たいたい竹流さんまで言及する事態になってるとは…。
2ヶ月越しに意見を漁りまくってたんですが、賛同や理解を示してくれる人もいれば口出しせずに放っといてくれって人もいて賛否両論でした。そりゃそうだ。タイトルが攻撃的だったのが燃え広がった原因なのかな?
「合わないなら離れればいい」という意見をとても多く目にしたのですが、当記事に言及ぶら下げてくださってる方が仰ってる「居場所が侵蝕されたがそれだけを理由に切れるような浅い間柄ではない」ってのがまさにその通りで、だからこそ苦しかった。こんなグチグチした恨み言を書くような性格してるから必然的に友達も少ないし、その少ない友達がそんなことになってさらに孤立してしまったような気分になってしまったというのが本当のところで。
一度恨んでしまえば対象が何を言っても気に障ってしまう性分で、そんなタイムラインを見続けるのも精神衛生上良くないと思ってひっそりミュートしてたら今現在その界隈とは疎遠になり、晴れてぼっちになりました。万歳!!
いやね、元から書いてたんですけどシナリオを経た結果うちよそに発展するのは全然いいと思うんですよ。それも一つのロールプレイだと思ってますし、なんなら私にもそういうルートを辿ったPCがいます。
過激派繊細ヤクザすぎて言語化がひどく難しいんですけど、うちよそすることを大前提にキャラメイクしたり、ただダラダラと中身のない会話をするだけで生還報酬1d10貰ったり、初対面から仲良くなり喧嘩したりなんだりで段々と惹かれ合い告白し愛を深め身体を重ね合わせプロポーズして結婚式!って流れを全ッ部「クトゥルフ神話TRPGのシナリオ」にして経験してて、お前は24時間365日神話的事件に巻き込まれてんのか?っていうようなやつが本当に本当にダメで…そこまで神格に寵愛を受けてるのなら今頃ドリームランドか外宇宙へご招待されてるのでは?ってなってしまうんですよね。
言ってしまえばこれもただのいちゃもんです。私が嫌いだから見たくない!っていう近頃流行りの“お気持ち案件”です。当時元身内たちに言いたくても言えなかったフラストレーションが積もり積もってキレ散らかしながら書いた散文だし、こうやって拾い上げられて学級会の議題に据えられることなんて想定してなかったし。
けど、こうやって苦しんでたのが私だけじゃなかったことがわかったことはちょっとだけ安心しました。
書かれそうだから先に書いとこう
フェイク後の曲発表で「自分を批判する人=アンチ」って表現したのはおかしいと思う。間違っている。
パワハラした人を叩くってのは人間として当然の感情。それをアンチってしたら、嘘を嘘と見抜ける人間か、パワハラを許容する人しかファンになれない。
自分を盲目的に信じる信者しかファンとして認定しないってただの宗教だし、そういう上に立つ人は自己批判できない矮小な人間だ。
でも叩かれてるのは、パワハラをネタにしたこと。「パワハラをネタにしたら、その後の告発がネタだと思われて信用されなくなる」って論理。
おかしくないか。つまり、パワハラがあったら完全にそれを信用して、真実はどうかは別に考えず、兎に角パワハラした人を叩こうって事だろ。
フェイクのテーマであろう「見たものをそのまま信じる大衆への批判」っていうものに対しての反論になってないと思うんだよな。というより、そもそも「目の前の事実を疑えよ」って事だから、
DJ社長の周辺が即平謝りするのは凄くダサいというか、こいつら自分の発言や表現に対する理解も責任も無いんだなって思う。
裁判は公平公正な判断を下す事を目標としている。たとえ自白があっても、周囲の状況や聞き取り、今まで積み重なった事実、そういったものを勘案して、
より正しい判断を下せるように努力してる。そうしてまでやっても冤罪が出てしまう、難しいもの。
今回の騒動見る限り、ジャスミンの告発が出た時点で叩き、謝罪動画が出たら叩き、そもそも二人がどういう関係性か、どういう経歴があるのか調べようともしてなかった。
公平公正な判断からほど遠いジャッジを、大衆の暴力で勝手に下してたわけだろ。良くない。間違ってる。
確かに権力者に対しては個人というのは無力だ。だからこそフェミみたいな、ちょっと偏った団体も必要なんだろうけど、大衆が加担して袋叩きにする必要はない。
確かにあの商材屋みたいな薄っぺらなサクセスストーリーと宣伝法と、薄ら寒くて浅い歌詞と小学生の鼻歌みたいなメロディーには辟易するが、だからと言って叩くのは良くない。
この社会の雰囲気が続いていけば、あなたが将来身に覚えの無い冤罪を着せられても、誰も救ってくれる人が居なくなる……と思うよ。
そもそも子供を持とうとする人を蔑んだくせに自分を蔑まれるのは我慢ならないんですね
ただ、社会的貧困である事は蔑まれるべきではありませんよ。書いた時点では憐れみはあれど蔑みはしていません。
だが「フルタイムで働く女が育児によって失う自由(金銭的なものと時間的なもの)を償って欲しい。」
別の増田も書いてくれているが、社会からの投資は貴方に成されていることが、今この時点でも証明されている
貴方はなぜ読み書きができるのか?
貴方はなぜ、老後について金を積んだらヘルパーなる人が存在すると無邪気に信じていられるのか?
貴方はなぜ、将来金を積んだら老人ホームに入れると思っていられるのか?
貴方がいま行なっている行動が書き込んだ言動が全てが、貴方に対して社会がコストを支払ってきた事実を証明している
でも貴方は持続可能な社会に参加してする能力を育めなかった、他人を愛する力を育めなかった
身体的に参加する能力がなかったわけではない、金銭的に参加する能力がなかったわけではない
ただ心の貧しさ故に、社会に包摂されているという自覚をもてないが故に、参加する能力を有せなかった
自分しか愛する力がなかったゆえに、周囲を愛する力がなかった故に、幼児の有する自己愛を大切に大切にいままで抱きしめているがゆえに
自分を抱きしめる事に夢中になるあまり、参加する能力を有せなかった
貴方が何歳なのかは知らないが、貴方は未だ「社会人」ではない、もし貴方が学生という特権階級でないのであれば、貴方はルンペンプロレタリアだ
なぜ、日本という国も世界も「個人の尊重」を目指すようになったのか?考えたことはあるだろうか?
貴方は先人達が残した「個人の尊重」を重視した世界を一代限りで食い潰したいのだろうか?それが貴方の「自己実現」なのだろうか?
きっとそうなのだろう、それはそれでもう仕方がない。
世界大戦から学んだ教訓を生かし個人を尊重し「自己実現」することこそが、社会を発展させ、持続可能性を増やすという
先人の考えも思いも間違っていた、ということが証明されてしまうだけだ
私はそれが失敗だったと証明したくはないが、貴方は証明したいのだろう
信じてもらえないかもしれないが
貴方が立派なルンペンになろうと行う自己表現は極めて不快だが、許せないほどではない
「元増田のような苦労をしてまで子どもが欲しいという気持ちが理解不能。」
などという放言は許しがたい、もし私の書いてあることの一端でも理解することができるのであれば
貴方の矮小なプライドのために、貴方の瑣末な人生を肯定するためだけに、子供が欲しいと思う人を蔑む真似は慎んで残りの人生を生きて頂きたい
最後になりますが、社会的貧困であることを恥じることはありません
貧しいことは恥ではないし罪ではないからです
「われわれは、私的利益を尊重するが、それは公的利益への関心を高めるためでもある。なぜなら、私益追求を目的として培われた能力であっても、公的な活動に応用可能であるからだ。」
「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である。」
現実で悪口言う奴って《自分が育ちが悪くて自分自身に満足してなくて自分の欠点を相手に投影して見て不快になって悪口言ってまーす、自分は小さなことに腹を立てて陰口いって共感もらいたいような矮小で未熟な人間でーす》って公言してるってことに気づかないの??みんな表面で同意せざるを得ないからしてるけどお前のこと見下してると思うよ?ほんとそういうのと一緒に居たくないって思うわいつも。ドン引き。可哀想すぎていつも…。なぜ自分中心に世界回ってると思ってんの?みんな嫌なことあるけど耐えてんのにそれくらいのことも耐えらんないのか?って。つーーーかお前も増田になれよって…増田始めてからストレスフリーだわ 増田サイコー〜〜〜〜ーー〜〜〜ー〜〜〜
お気持ち表明といえば聞こえはさながら世間で流行りのそれだが、私の場合元来内向的な性格が相まってただの愚痴になっている気がする
それに関しては諦めてほしいというか結局のところ駄文だからナ 文章を書いておかないと頭が悪くなる たぶん 既に悪いか
では何について表明したいかと言われると、バイト先企業の無能さに腹を立てても未来はないので(これから話すことに未来があるかと言われれば嘘なのだが)となると必然的に決まるというかわかり切ってしまうというか
ありがたいことに、こんな自分でも先日、ACEの座を踏ませていただいた 3ヶ月ほど前のマデルロンドでのことである 最も、直後からマイナー武器に手を出してEX3まで落ちる憂い目に遭ったのだが まぁ自業自得か
そこから結局""例の武器""に戻してACEに返り咲き、あまつさえADVの座にも一瞬座った訳なのだが(直後EX1が見えるくらいまで叩き落されたのが今)
2017年の末、EXも踏めていない身でやれ高ラン共が人間としてなっていないとギャーギャー騒ぎ立て、RTやらいいねを随分ともらい数ヶ月鍵垢に
2018年の10月には、放置を咎めるツイートの際自らの成績の悪さを指摘され、部屋やら自分やらをズタズタにした上でTwitterから姿を消すなどした
今年の末にも何かあるのか、そもそもそんな時期にゲームやってていいの?とか色々あるわけだが、少なくともそんな自分がACEを踏んだことにより、一瞬ではあるが「界隈で発言権を得た」と思ったのもまた事実ではある あの時ボロクソ言いやがった輩共をボロクソ言い返せるのでは、否、言い返すだけの権利がようやくこの手に入った…のだと、思ったのではあるが
結論から言うと、(予防線と希望的観測としてこの枕詞を付けるが)今の自分にACEの価値はない
勝率も芳しくなく、勝利に繋がる何かが出来るわけでもなく、何も仕事をしていないのにゲーセンで喚き散らす日々である
無意味であり無価値極まりない まさしくこれは運により座を手にしてしまった愚者の絵面である
上述の際名前をぼかした例の武器であるが、まぁつまり「PD-インペイル」である 私はこれを手にし(ついでにMPG)たことにより、ここまでのランクに至れた…のだと思う
前提として、私はひどくゲームが下手である STGの経験もロボットゲームの経験もネット対戦ゲームの経験もない輩である いくら3~4年やっているとはいえとてもじゃないがACEなぞ踏めたものでは無かろう EXは踏める
実際、ここ最近も不安になってインペを下ろして数試合やれば負け続きである 全然勝てない 弱いのだ
そう、インペイルは…強すぎるのだ こんなことを言うとたぶん過去の自分は発狂するだろうがあえてこの言葉を使おう
「インペ持てばたぶん誰でもACEになれる」
プラントに撃って出てきたやつに撃って後は主武器で処理 それこそEXまで上がってきた人間ならば誰でも出来ることだと思う
凸にも行かず、防衛ラインをひくわけでもないのに、ACEの看板を背負うことが出来てしまうようになってしまったのではないか、ここ数ヶ月の自らのそれを見ていると、はじめ「ACE,とりわけ麻ACEだ!」と喜んだのが…ひどく恥ずかしく思えた
お前のそれは麻ではない、ただのポイ厨だ、味方にいらない…引いた方が負ける、ハズレACE…そんな声が聞こえてくることもあった(特に有名ADVなんかと対面組まされたりすると正直試合前から総大将の自分がストレスで死んでいた)
ハッピーセットというものがある フル+G、+Ghwcbcbに、スタンピードかネメシス、グラスホッパーVに滞空索敵弾、デバイスγを構えた前線支援のことだ 語源が煽りである通り、元々は良い意味で言われていたものではない それこそこれでACEやADVになる人間が多すぎるくらいには
前線支援、確かに絶対的に必要であるが、しかしながら自分はこのハッピーセットが揶揄されているのを見て「いや、これでACEに"なってはならない"」と思ったのである 矮小なプライドだろうか それが味方に迷惑をかけているとも知らずに
インペイルならそうではないと思ったか?
ACEを踏むという目標を、輝かしいアサルトで叶えたのは即ち幻想である 自らの目標を泥に汚れた手で掴んだ気分はどうだ?
つまりのことここから先のボーダーブレイクは自分にとってただの惰性なんだが、しかしまぁ神ゲーであることに変わりはないので、おそらく次の休みにも私は、元気にひよこの顔をした財布を抱えてゲーセンに行くのだろう
そろそろ何か他に新しい趣味を見つけた方がいいのかもしれない
俺の目標は俺の好きな人たちと、彼らの好きな人たちが苦痛に苛まれることなく幸せに生きてくれるような世の中に貢献することだ。馬鹿げているだろうか?
俺は俺のこの目標を誇らしく思っているし、仕事にもある程度プライドとやりがいを感じている。
問題は、私の好きな人たちがこの仕事をあまり評価していないということなのだ。彼らは私のこの生き方を「平凡」と表現する。まぁ、いち企業戦士は才人たちの目にそういう風に映るのかも知れない。ただ、俺はこの評価を受け止めきれていないのだ。
ある者は自らの世界観を表現する仕事をし、ある者は世界を股にかけている。そんな彼らに、1人の薬屋は矮小に見えてしまうのか。そう思うと少しだけ寂しくて辛い。
確かに収入もそんなにたくさんはないし、俺と同じ仕事をする人間は決して少なくはない。俺は大金持ちの成功者でもなければ、稀有なアーティストでもない。それでも、俺は相当努力して勝ち取った仕事をしているんだ。本当は誇らしげに、鼻息を荒くして彼らに自慢したいくらいだ。それなのに、現実は厳しいものである。
俺は彼らの幸せを祈る。今日も明日も、これから先ずっと、彼らの才能が羽ばたくのを見ていたい。例え平凡と呼ばれて、「つまらない男」になっても、才能に憧れていても、彼らの幸せをどこかで支えているような、そんな男でいたいんだ。妬んだり嫉んだりは決してしないで、彼らの幸せを祈り続けて生きていたいんだ。