誰かと深く関わるのがすごく苦手だ。
自分の矮小さを見透かされるようで、深く関われば関わるほど、その場から逃げ出したくて堪らなくなってしまう。
接客は得意なんだ。そのときに生じる関係は一時的なものだから。
どれだけ自分を取り繕っても、綻んで手詰まりになることがないから。
けど誰かと仲良くなるということは、その後ずっとその関係性で付き合っていくということ。
初めに精一杯演じた自分をその後もずっと継続して演じることなんてできない。
疲弊し、神経をすり減らしているうちにいつか綻びが出て、相手を失望させる。
演じることをやめようと思ったこともある。
虚飾で取り込んだ人々は、僕が演じるのを止めた途端、ほとんどが僕のもとから去っていった。
好青年を演じて、深くは関わらない程度に関わる。
それが僕の行き着いた結論だった。
だから、流動的に生きてきた。
一所にとどまって誰かと深い関係を築かざるを得ないような状況に陥らないように。
広く、浅く。
そうして僕は安寧を手に入れた。
色んなことに挑戦して、できることが増えるたびに一人でひっそりと喜んだ。
でも、安穏とした環境に身を置いていると、こんなに大事なことなのにすぐに忘れてしまう。
僕が尊敬する人物の一人に、宿泊所でのアルバイトに来ないかと誘われた。
場所は北海道。仕事は館内の掃除で、賃金は出ないけれど食・住付き。
北海道に行ったことがなかった僕にとっては魅力的な話。即決だった。
けど食がつくということは、そこで働く数人で一緒にご飯を食べるということ。
そこにいる人々は皆いい人ばかりで、和やかな雰囲気。
深く関わらず雑談する術を僕は持っていなかった。
「良い人」たちだから、こんな自分でも気兼ねなく話せるようにとても気遣ってくれる。
でも、気遣われてるのもわかるんだ。
昨日の夕飯後、みんなで知恵を絞り合っていたのも知ってる。
どうやったら僕が話に入れるか。誰と話せばいいかわからないんじゃないか。席を固定してみるのもいいんじゃないか。
星を見に誘ったのも、きっと気を遣ってのことだよね。
良い人たちにこんなに手間をかけさせて。誰かと深く関われない自分は悪なのかもしれない。
多分こんなことを考えていること自体が、一般的にはひどく愚かなことなのだと思う。
人間はただ生きているだけで素晴らしいんだ。
でも、自分だけにはそんな価値がないとどうしても思ってしまう。
僕の好きな人々にはそれぞれの交友関係があって、彼ら彼女らを取り巻く人々は傍から見てもとても素敵な人たちばかりだ。
後でこの文章を見返したときに、あの頃は青かったなぁなんて笑い飛ばせる日が来るんだろうか。
なら、きっと来るはずだ。
じゃなければもう、どうしていいのかわからない。