2019-09-15

誰かと深く関わるのがすごく苦手だ。

自分矮小さを見透かされるようで、深く関われば関わるほど、その場から逃げ出したくて堪らなくなってしまう。

接客は得意なんだ。そのときに生じる関係一時的ものから

どれだけ自分を取り繕っても、綻んで手詰まりになることがないから。

精一杯相手の期待する「自分」を演じられる。

 

けど誰かと仲良くなるということは、その後ずっとその関係性で付き合っていくということ。

初めに精一杯演じた自分をその後もずっと継続して演じることなんてできない。

疲弊し、神経をすり減らしているうちにいつか綻びが出て、相手失望させる。

その綻びが相手を傷つけたこともたくさんある。

 

演じることをやめようと思ったこともある。

虚飾で取り込んだ人々は、僕が演じるのを止めた途端、ほとんどが僕のもとから去っていった。

初めから演じなければ、そもそも僕のもとには誰も来なかった。

好青年を演じて、深くは関わらない程度に関わる。

それが僕の行き着いた結論だった。

 

から、流動的に生きてきた。

一所にとどまって誰かと深い関係を築かざるを得ないような状況に陥らないように。

広く、浅く。

それが僕が生き残るための、生存戦略のようなものだった。

 

そうして僕は安寧を手に入れた。

誰かと関わる喜びはないけれど、自分失望することもない。

必要な時だけ他人と関わって、でも深くは関わらない。

色んなことに挑戦して、できることが増えるたびに一人でひっそりと喜んだ。

でも、安穏とした環境に身を置いていると、こんなに大事ことなのにすぐに忘れてしまう。

 

僕が尊敬する人物の一人に、宿泊所でのアルバイトに来ないかと誘われた。

場所北海道仕事は館内の掃除で、賃金は出ないけれど食・住付き。

北海道に行ったことがなかった僕にとっては魅力的な話。即決だった。

 

けど食がつくということは、そこで働く数人で一緒にご飯を食べるということ。

まさか黙って食べるわけがない。雑談して、笑う。

そこにいる人々は皆いい人ばかりで、和やかな雰囲気

深く関わらず雑談する術を僕は持っていなかった。

 

「良い人」たちだから、こんな自分でも気兼ねなく話せるようにとても気遣ってくれる。

でも、気遣われてるのもわかるんだ。

昨日の夕飯後、みんなで知恵を絞り合っていたのも知ってる。

どうやったら僕が話に入れるか。誰と話せばいいかからないんじゃないか。席を固定してみるのもいいんじゃないか。

星を見に誘ったのも、きっと気を遣ってのことだよね。

知ってるから今日はなるべく会話に入ろうと頑張ったんだよ。

良い人たちにこんなに手間をかけさせて。誰かと深く関われない自分は悪なのかもしれない。

 

多分こんなことを考えていること自体が、一般的にはひどく愚かなことなのだと思う。

人間はただ生きているだけで素晴らしいんだ。

そんな言葉を数えきれないくらい聞いて、読んだ。

僕が逆の立場なら、きっと同じ言葉を口にする。

でも、自分だけにはそんな価値がないとどうしても思ってしまう。

僕の好きな人々にはそれぞれの交友関係があって、彼ら彼女らを取り巻く人々は傍から見てもとても素敵な人たちばかりだ。

僕がそこにいる必要なんてないんじゃないかと思ってしまう。

彼ら彼女らの笑顔に、たぶん僕は必要ない。

 

後でこの文章を見返したときに、あの頃は青かったなぁなんて笑い飛ばせる日が来るんだろうか。

先人たちは皆、口をそろえて20代特有の悩みだという。

なら、きっと来るはずだ。

じゃなければもう、どうしていいのかわからない。

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