はてなキーワード: 生産者とは
https://twitter.com/ShinShinohara/status/1566210232833159168
「規格外」というが、実は全国で統一された規格というものはない。
おそらく、この人が言っているのは農協が定める規格だと思う。
農協は農家から野菜を買取りをしているのではない、農家が農協に販売を委託しているという契約形態である。
農協は各県の全農を通して販売先を決め、市場を通して販売する。農協はそこから3%程度の販売手数料を取るという仕組みである。
手数料商売である農協は少しでも販売額を上げたいので、それぞれが独自に規格を定めて、有利販売できるように努力している。
農家が想定する販売先はスーパーであるが、スーパーはそれぞれ個性があり、地域にも売れる商品の特徴があるので、
そんなスーパーを複数相手にするとなると、どうしても最大公約数的な規格にならざるを得ない。
規格とは具体的にはどのようなものかというと、
例えば当地ではズッキーニの生産で全国有数であるが、農協の規格は2kg詰で18種類もある。
最長で20cm最小で16cm、太さに規定はないが、満箱詰めで重量は箱込みで2100g以上、箱の両端のみ上下をひっくり返してよい。
そうすると入り数が8本〜16本にわかれるので、それぞれが良品と傷物に分けられる。
傷は少しでもあれば格落ちで、最大で果実の1/3まで、地面や草の陰でついた色むらは格落ちとなる。色が薄いのも格落ち。
曲がりは机に置いて隙間が1cmまでが良品、3cmまでは格落ち、それ以上は返品となる。
あと、ひょうたんのようなくびれ果や、未受粉による先細果、深い傷などは返品である。
返品とは農協での検査の段階で弾かれ、箱ごと生産者の元に帰ってくる。
1本でも返品レベルが入っていれば、箱ごと返品となる。
気づいてほしいのだが、実は傷物も、ある意味では規格品であるということ。
傷の度合いや形はしっかり決まっているので、これを規格と言わずなんと言うのか。
当地のようにここまで規格を細かく分けることに意味があるかは分からない、それは農協が決めることだからだ。
我々農家は委託をしているわけで、販売方法について文句を言う立場にない。
規格については生産者部会と農協で合意しているわけで、変更したいのであれば部会を通して交渉していくことになる。
市場には個人で持ち込むことも可能である。この場合、規格は自分で定めることができる。
もちろん、その規格がどう評価されるかは別問題であり、悪いものは相応の値段しかつかない。当然のことだ。
販売先によっても違う、農協の場合ミニトマトのヘタなしは規格外であり返品となるが、
消費者や加工業者の手に届く段階で腐ってしまう、食用に耐えられないものだと思う。
例えば、トマトは傷があっても規格品であるが、割れているものは1日でカビてしまうので生鮮流通はできない。
しかし凍らせてしまえば、加工用として保存可能である。ジュースにするのであれば問題ない。
規格外というのは、売り先や売り方によって変わってしまうのである。
腐ったものが欲しいということはまずないので、格落ちを安く欲しいということだろう。
しかしこういう人は、ほとんどの販売農家に嫌われ、相手にされない。
そもそも我々は格落ちや規格外を作りたいわけではない。いきなり格落ちが欲しいというのはものすごく失礼なことなのである。
条件が揃えば規格外なんて全然出ないこともある。その時、良品を良品の値段で必要量買ってくれますか?と問えば、
大抵の人はもう二度とこない。
当然だが収穫段階で見分けて廃棄すべきである。
段ボールだって一枚100円くらいする。そんなものに詰めて運賃かけて送って、消費者の冷蔵庫に到達する前に腐るのでは、
資源の浪費、エネルギーの浪費、人手の浪費。クレームに赤伝と事務的な無駄。そして誰も幸せになれない。
畑で廃棄すること、選別でいらないものを廃棄することに罪悪感は一切感じない。
フードロスとは、食料を無駄にすることではなく、きちんと出荷された規格品を廃棄することである。
品目によってはどう頑張っても格落ちの傷ものは出る時がある。
どうやってもダメな時はダメ。それを覚悟の上で農業をやっている。
それでもやっぱり、格落ち品を出荷するのは気持ち的に落ちるし、悔しいしみじめだ。
もちろん、パートさんの給料とか運賃とか出してなんとか黒字のラインを保てるならだけど。
格落ち品しか出ない時なんて、終わってみれば一時的なことだったと思うし、
そんなもの売るななんて思わない。良品の箱に格落ち混ぜてくるようなやつは許せないけど。
誰でも良い時もあれば悪い時もある、お互い様ですよ。
なお、キャベツやレタスが畑で潰されているのがフードロスと勘違いされて敵視されているが、
僕は葉物(レタスキャベツ白菜など)を作っていないので詳細は知らないが、
地方農協のレベルではなくもっと上位で判断されているものだと思う。
露地野菜は特に気候が与える影響が大きく、生産量も価格も大きく変動するがなければ生活に大きな影響が出るものなので、
安定供給のために産地に補助金を出すことで生産量を確保している、というのが制度趣旨であると理解している。
二十年ばかりあとから生産者側になるはずだからと無職を量産しても老人が増えるのとかわらん状態だってことだよ
子供増やす理由になるべきは子供時代から何らかの生産や負担軽減に役立つことに参画させて「子供が増えたら子供時代に価値があるので生活が楽になる」って戦前の形が「子だくさんの家庭は生活が楽になる」の基本形だって話よ
そんなの世帯構造からして無理な話なんで今は実質必要なのは若者で単身者むけの高付加価値労働の供給だろうよ
若者は特権として高い価値の仕事につけてそっから税金むしればいい
結婚して若者前線から撤退したらほどほどの収入と福祉で生活したらいい
いまは国民の殆どに生活ができる程度の最低限のブルシットジョブで生活させて引退勢が吸い上げてる形だろ
さらにそれ強化してもなんの解決にもならんし言ってみればその「これから親になる先に必要になる籾を食う」のはそういうことのほうだろ
近頃の結婚相談所は碌なことをしない。
どうやら親同士でお見合いをして、自分の子供に相応しい相手を見繕って結婚させるというようなサービスがあるらしい。
それに参加して来たんだそうで、帰省するなり
「この人が毒増田の奥さんになる女性です。そちてこちらが、毒増田の親になる人たちです。」
と言うような事を言う。へ?と、オウンゴールを決めたDFの様な顔をしてると
「不出来な娘ですが、箒と塵取りくらいは持てるようにしてありますので」
なんて、攻撃してきやがる。
意味が分からない。全く意味が分からない!なんなんですか、俺はこんなおばちゃん女性を嫁になんてしたくナイヨ=キンタナ!
「は???え???な、なんなの、これはなんなの?意味が分からない!」
で、親同士のお見合いをして来たという話をするんですよ。オフサイドとかいう話じゃない。GK含めて全員敵陣に入ってる。
俺はそんなことは1㎜と言えど小耳に侵入させた事はないので、マテマテマテマテ、マテウス=サヴィオな訳ですが
先方は俺の経歴から何から、何でも知ってると言う。何なら、お袋にうっかり見つかってしまったAVから性癖すら知られてるレベルですわ。
確かに手コキされるのは好きだが、おめぇじゃねぇんだよ・・・。
どうみたってピーターウタカが女になったような、豪快な顔した色黒の女あいてに、興奮なんかしないでしょうよ。
そりゃウタカは可愛いけど、おだんご頭のウタちゃんかわいいーとか言ってましたけど、そういう可愛いじゃないんや・・・。
両親とウタカ(雌)の生産者二名は意気投合してるらしく、何度も会ってるという。
マテマテマテマテ、マテウス=トゥーレル。何故?その過程で相談しない?レッドカード相当のファールはVARの介入案件ですよ?
これはどう考えても、俺の意志が介入しないのはあり得ないでしょ?ちゃんと相手女性をオンフィールドレビューさせてください。
「アテンション、アテンション、ポッシブルレッド、レコメンドオンフィールドレビュー」って通信してないよね?こんなの普通VARオンリーレビューでレッドですけどね。
こんなの見逃すんだったらVARレフリーいらねぇだろうよぉ!俺はもう脚攣ったから第四の審判呼んでこい!
って話です。
何度も会う過程でウタちゃんの事も大変気立てのいい化け物大年増だと気に入ったらしく、俺と結婚させる気満々ですよ。
俺はもう既にこの5人に囲まれたゾーンプレスに耐えられない。鬼キープの神谷篤司だって、こんなのメンタル保持できないですよ。
これは結婚決定機です、決定機を阻止すると孤独・高齢・病気の三重罰のDOGSOだぞと、主審は仰るわけですが
それは俺の決定機じゃなくて、ウタちゃんの決定機なんでは?という思いしかないし、「キイテナイヨ」を連発するしかないんですよ。
足裏タックルでレッドカード貰って、どっか遠くへ退場したい・・・唾吐いて6試合出場停止になりたい・・・・おでんぶつけてお帰り願いたい。
そんな事を思いながら、この望まれない結婚へと引っ張ろうとする地獄のトレインから外れて大逃げを打つ手段を模索する訳です。
途中にラルプデュエズがあろうとも、超級山岳が幾つあろうとも俺は逃げる!
「急な話で驚いている。事情を把握するためにも、両親としっかり話し合いたいので、今日の所はお引き取り頂きたい。」
と何とかまとめて帰って頂いた後に、大荒れに荒れたのは言うまでもない。
マテマテマテマテ、マテウス=ヴィドット。9年ぶりでも、そんな練習参加はしません。
こんな酷い話、笑い話にしねぇとやってらんねぇだろうがよwwwwwwくそめwwww
2年後のインタビューあった
https://www.jeinou.com/manager/2020/11/10/091000.html
「農業は国の補助が手厚い産業です。これだけ各種の助成金が支払われている産業は、ほかにはありません。事実、当社の出荷場も総工費約10億円のうち約4億円は国の助成金で賄われています。とはいえ、助成金には、もらう責任があると思っています。それに見合う効果をお返ししなければならない。
誰のために輸出するのか? 自分の利益のためだけの輸出ならば、しないほうがいい。私が一戸の農家として輸出を始めることは絶対になかったでしょう。する意味がないからです。第一、単独では、数のロットを絶対揃えられないし、現地が求めているものをたぶん出せないと思います。
農業法人は経営者の自覚の有無に関わらず、公的機関、公の器としての立場が要求されます。それを忘れると地域の賛同も得られませんし、規模が大きくなればなるほど、いろいろな部分で対立を生んでしまいます。
日本の農産物を世界に広めていくためには、長期的な視点で戦略的に、生産者にもっと利益を還元できるようなシステムを考えることが重要ではないでしょうか」。
軌道修正したのならなにより
あおもりカシスは、農産品を地域ブランドとして保護する国の「地理的表示保護制度(GI)」にも登録されている、青森県を代表する名産品の一つ。アントシアニンなどのポリフェノールやビタミン、ミネラルが豊富に含まれていることから、健康ブームなどを背景に、同会には近年多数の注文が寄せられている。
しかし、生産者団体である同会の会員数は減少の一途。ピーク時には約300人を数えたが、高齢化や相次ぐ退会などで現在は80人余りと寂しい状況になっている。
「各地から注文が殺到しているが、売るものがなく、断っている。今年収穫するものについても『(あらかじめ)確保したい』との要望が来ているが、それも約束できない。本当につらい」と林会長は話す。
このため同会は、ボランティアの力を借りて生産量を維持していくことを考え、サポーター制度をつくった。
「少なくとも1日3時間手伝ってもらえれば、ある程度の量は収穫できる。ぜひ応募を」と林会長。猪股弘行副会長(70)は「新規にカシスを栽培したい人も連絡してほしい」と呼びかけている。
田舎から親元離れて、Fラン大学行ってたりフリーターやってたりブラック企業勤めてたり水商売やってたりする子供を強制的に徴用してから言ってくれ
やあ(´・ω・`)
日頃ホッテントリ入りしたきのこ関連の記事を、気まぐれで解説しているよ。
「なめこ」の起源 “60年前に福島県で採取の野生の菌に由来”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220615/k10013672561000.html
ブコメで散々指摘されているとおり、あくまで日本で栽培されているなめこの99%は、
ってことだよ。無論、日本中でごく普通にみられる野生のナメコの起源が全て福島県産というわけではないよ。記事にもしっかり
引用:野生の菌では遺伝的な多様性がみられた一方、菌床栽培の菌は1つの系統に分類され、それぞれが遺伝的に極めて近い関係だと明らかになった
と書いてあるよ。まあ、見出しが誤読を誘っている感は否定できないけど。
じゃあ結局野生のナメコの起源はどこなの?って疑問が当然生まれると思う。
結論から言うと、実はよくわかっていないんだ。というのもナメコに限らず、菌類全般ほぼ化石に残らないので、どの種類がどの時代に分かれたのかって細かいとこまで、今のところ把握のしょうが無いというのが実情なんだ。
どんな自然科学の記事にも言えることだけど、せっかく論文が公開されているのにソースのリンクがないのは不親切だよね。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mycosci/63/3/63_MYC570/_html/-char/en
なめこは、特に日本で人気の高い食用きのこの一つである。本種は白色腐朽菌の一種で、ヒマラヤ、中国から日本までの東アジアの冷温帯落葉樹林の枯木や朽木に生育する。記録によると、ナメコは1921年に東北地方で初めて人工的に原木栽培され、伝統的にこのきのこを食してきたという。近代的なナメコのおがくず栽培は、食用きのこのおがくず栽培のパイオニアである森本彦三郎によって1930年に確立された。その後、1960年代から1970年代にかけて木製トレー栽培が開発され、日本における選抜菌株の商業生産が拡大した。1980年代以降は、空調を伴うオガクズ栽培で通年生産が可能となり、日本での生産量の99.7%を占める主流となった。その後、1970年代半ばに中国遼寧省南部にナメコ栽培が導入された。それ以来、中国はその最大の生産国となった。最終的に、2012年には中国が70万トン以上、日本が2万トン以上のなめこを生産し、現在のアジア各地、北米、ヨーロッパへの栽培の広がりを引き起こしている。
もともと日本でしか栽培されてこなかったのに、今となってはほとんどが中国産なんだね。
そのため、食用きのこの栽培の歴史は、作物植物や家畜に比べて比較的浅いことが報告されている。例えば、最も古くから栽培されているきのこの一つである椎茸の栽培は、約800年前に中国で行われたようである。しかし、ナメコの栽培は約100年前から行われている。1929年に山形県で採取された野生子実体から初めてナメコの家畜化株が分離されたが、戦後の混乱期に消失したとする説が唱えられている。ナメコの家畜化過程に関する記録はほとんどない。しかし、現在オガクズ栽培に用いられている株は、1962年10月16日に福島県山都町市で採集された単一の野生株F27に由来すると考えられる。したがって、市販のナメコの大部分はこの厳しいボトルネック現象に由来すると推定され、その結果、遺伝的変異が非常に少なくなっている。栽培種と野生系統の遺伝的多様性の比較は行われていない。したがって、家畜化された種の遺伝資源を利用し、さらに品種改良を進めるためには、その進化史を正しく理解することが必要である。そのためには、家畜の自然集団の遺伝的多様性と集団構造に関する知識が必要である。
断片的な資料や口伝などでF27という株が起源ということは推測されていたものの、きちんと裏付けがなかったみたい。今後品種改良を進めて継続利用していくためには、そもそも今出回っている株がどこに由来しているのか、また多様性はどうなっているのかを調べることが大切なんだね。
本研究により、日本産オガクズ栽培株は自家繁殖または家族内交配に由来していることが示された。これらの結果は、日本のオガクズ栽培で生産される商業用ナメコは単一の祖先の子孫であるとする単一祖先仮説と一致する。したがって、日本の商業用ナメコは単一の家畜化事象に由来するため、遺伝的多様性が著しく低いと結論づけられる。
日本全国から収集されたナメコ野生株の中程度の遺伝的多様性レベルは、他の木材腐朽菌の野生株と同等かそれ以下であると報告されてきた。また、他のきのこの栽培株はいずれも複数の家畜化起源を持つことが研究で示されており、ナメコの自然集団は、おがくず栽培に有効な菌株を開発するための新たな遺伝資源となり得ることを提案する。
中国におけるナメコの生産は、日本からの始祖株F27の子孫が一部寄与しているものの、少なくとも一部の中国産品種は異なる家畜化過程を経たことが示唆された。日本以外での栽培履歴を明らかにするためには、中国における栽培ナメコの全体的な遺伝的多様性に関するさらなる調査が必要である。
他の栽培きのこには複数の起源があるのに、菌床栽培なめこは単一だから遺伝的多様性が極めて低いという評価なんだ。栽培の持続可能性や新たな品種を生み出すためには、野生株や世界中で栽培されている株の追加調査が必要なんだね。
現在国産なめこ種菌を牛耳っている種菌メーカー大手「キノックス」のサイトに詳しいよ。
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/hakase/ha-nameko_04.html
品種改良以前に、そもそも種菌の性能維持にもすごく神経を使っているんだね。
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/hakase/ha-nameko_05.html
きのこの分類にはまだまだ謎が多いよ。しいたけやなめこ級のメージャーきのこですらコロコロ変わってる。
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame02-3.html
その後、引用した論文にもあるとおり、Pholiota microspora (Berk.) Sacc. (synonym P. nameko)というシノニムにnamekoという文字が残ったよ。
なんだかんだでwikipediaがそれなりに情報量も多くてまとまっているよ。
菌床栽培 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8C%E5%BA%8A%E6%A0%BD%E5%9F%B9
原木栽培 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%9C%A8%E6%A0%BD%E5%9F%B9
もしあなたがなめこを栽培したかったら、すでに植菌済みのブロック菌床(なめこ栽培キット的なやつ)を買うと1週間くらいはニョキニョキ生えるなめこを楽しめるよ。
原木栽培も、適当な雑木と、種駒(今の時期ならホームセンターにたいてい置いてある)と、ジメジメしたちょっとした林があれば簡単にできるよ。
http://www.kinokkusu.co.jp/saibai/sa-g-name.html
自分は過去に短木栽培、長木栽培いずれもチャレンジしたことがあるけど、シイタケよりもずっと簡単で収量も確実だよ。長木なら、駒打って日陰に埋めるか腐葉土たっぷりのジメジメした完全日陰に転がしとけばいいよ。シイタケでよく使われるナラやクヌギみたいな硬い木よりも、ブナ、シデ、サクラみたいな柔らかい木の方が菌の周りが早くて確実なんじゃないかなあ。
まだまだいろいろ書きたかったけど、夜も遅いしこの辺でやめておくよ。
またどこかで会えたらよろしくね。
ここまで読んでくれた聡明なあなた、もしかして「なんか物足りねーな」って思ったかな?
実はそうなんだ。業界的にはたぶん、正直そこまでニュースバリューのある話ではないんだよね。
というのも、おそらくごくごく一部の人たちの中では知られていたであろう「新しい品種作りたいけど、クローンみたいなのしかなくて掛け合わせできねー」「正確な記録は残ってないけど、たぶん全部F27が起源なんじゃねーの」ってことの遺伝的な裏付けが取れたってだけだからね。無論、優良株を持続生産するために必要な研究が一歩前進したってニュース自体は大変喜ばしいけども。
きのこがニュースになるのは嬉しいけれど、見出しにつられて勘違いした人が大量発生するのは嬉しくないし、だから私たちのようなきのこ好きが発信する必要があると思うのね。
当たり前だけど、今流通しているなめこは遺伝的に同じ(中国産については一部国産とは異なる可能性あり)と言ってもいいし、(福島を下げる意図は無いのだけど)特別福島県産のなめこが美味しいなんてことはないので、安心してなめこライフを楽しむと良いよ。
ちなみに、いまだに福島県産のきのこに放射性物質が残留しているんじゃないか、なんてことを心配する人がごくごく少数いるけれど、菌床栽培物については全国どこでも似たような産地の原料使っているので変わりないよ。
一方で原木しいたけやホダ木の生産は、まだまだ一部の市町村で出荷制限がなされていたりするんだ。
https://www.rinya.maff.go.jp/j/tokuyou/kinoko/qa/seigenfukusima.html
特にホダ木については事故以前に一大産地だった福島県産ホダ木がほとんど壊滅して、他県に流れてしまったという悲しい事態が起こってしまった。ホダ木の栽培は、20年サイクルくらいで林を皆伐しながら管理するので、一度生産を止めてしまうと再開するには膨大なコストがかかってしまうんだ。福島県のホダ木生産者の方の気持ちを思うと本当にやるせない。
https://anond.hatelabo.jp/20220526235759
の続き。
週に10~15時間程度の労働時間が適正だと言いましたが、そんな短い時間で社会が回るはずがないと思われるかもしれない。
しかしこの程度の労働時間でもそんなに困らないんじゃないかと思う。
その根拠をいくつかあげる。
まず一つ目は現代の労働者一人ひとりの生産効率が悪く、改善の余地があること。
これは実際に企業で働いたことのある人ならわかると思うんだけど、特に日本の会社では真面目に働いていない従業員が非常に多い。
テキパキとやれば余裕で業務時間内に終る仕事も、ダラダラと作業して何時間も残業するなんてことも珍しくない。
なぜこのような状況になってしまうのかと言ったら、それは許されている労働時間が長いからだと思う。
日本では週40時間の労働と月45時間までの残業が認められている。
これだけ長い労働時間が認められていることによって、労働者に怠ける理由を与えてしまう。
時間内に終わらなくても残業すればいいや、といった余裕を与えてしまう。
そして労働時間を規制することによって怠けることができなくなる。
限られた時間内に仕事を終わらせるためには真面目に集中して働くしかない。
だから労働時間を規制することによって全体の生産は減るが、労働者一人ひとりの生産性の向上が期待できる。
2つ目は長時間働くことによって必要になる仕事が発生しているから。
例えば近年は保育園や託児所の不足が問題となっているが、そもそもこれらの仕事はなぜ必要なのか。
それは両親が共働きをしていて育児の時間が取れないからだろう。
つまり親たちが仕事をしていることによって、保育園などの仕事が発生していることになる。
もし労働時間を規制したとしたら保育園などの仕事は激減するだろう。
しかし親たちの労働時間も減って時間に余裕ができて、自分たちで子育てができるのでこれらの仕事は必要なくなる。
一般的な会社だと夕方頃に業務が終わるのに、店はなぜこんなに夜遅くまで営業しているのか。
普通に働いている人は昼間は会社にいるので、平日は夜しか店で買い物をすることができない。
これが原因でほとんどの店は朝から夜遅くまで営業せざるをえなくなる。
もし労働時間が短縮されれば、労働者も時間に余裕ができていつでも買い物にいける。
現代はこのように長時間働くことによって本来必要のない仕事が発生しているケースが多い。
現代の仕事を大雑把に2つに分類するなら、生産の仕事と販売の仕事に分類できると思う。
この生産と販売の仕事は労働者個人個人で分類できるものではなく、ほとんどの労働者が生産と販売のどちらの仕事にも関わっている。
一見生産の仕事に思えて、実は販売の仕事であるケースが非常に多い。
店の店員を例にするなら、商品を客に販売するのは生産の仕事になる。
商品を販売するのだから一見販売の仕事にように思うが、商品を消費者に届けるのは生産の過程で必ず必要なものなので、生産の仕事に該当する。
店員が客に対して必要以上に愛想よく振る舞ったり、過剰なサービスをするのは販売の仕事になる。
なぜこのような行為をするのかといったら、店の評判を良くして客を呼び込むためであり、生産者、消費者の両側からして必ずしも必要なものではない。
コンテンツを作成しているので一見生産の仕事のように思えるが、テレビ番組というものは広告収入によって成り立っている。
つまり物を生産したとしても、その物が販売のために利用されたらそれは販売の仕事になってしまう。
そしてこの販売の仕事というものは仮に全てなくなったとしても生きていくために困ることがない。
すると商品を圧倒的に売りやすくなるため、販売の仕事の必要性がなくなる。
こうなるとこれまで販売の仕事をしていた人達が生産の仕事に回るようになる。
だから食品や住居などの生きていくために必ず必要な産業に関しては生産が需要を下回ることはない。
例えば世界中の労働時間を半分にしたからといって、食料の生産量が半分になるなんてことはない。
食糧難に陥っている状況で食品のコマーシャルを流すなんてことは絶対にありえないわけだ。
4つ目が自由な時間が増えることによって趣味による生産が増えること。
その時間に何もしないなんてことはありえず、何かしらの活動をするはずだ。
例えば暇なので家庭菜園でも始めようかな、などと思ったとする。
すると企業の大規模の生産に比べたら微量ではあるものの、趣味による生産が発生する。
このように労働時間が減ることによって、労働による生産は減少するが、趣味による生産が増える。
ここまで労働時間を短縮するメリットについて書いてきたが、当然デメリットだってある。
週10時間程度の労働でも十分社会は回るとは思うが、今に比べたらかなり不便な社会になることは事実だ。
企業や店からしたら努力をしなくても商品が売れるわけだから客への対応は悪くなる。
店員の態度が悪くなったり、製品の品質が下がったり、店の営業時間が短くなったり、消費者からしたら今よりもかなり不便な世の中になる。
「お客様は神様です」などと言われる現代社会が異常なだけであって、本来生産者と消費者の立場は平等であるべきだ。
労働時間を短縮したら多少社会が不便になるだろうが、人々が過酷な労働から開放されること以上に幸せなことはないと思う。
労働時間を規制すべきだと言いましたが、ではそれ以上に働きたい人はどうすればいいのか。
もし何かやりたいことがあって認められている時間以上に働きたいと思っているのだったら、それは仕事ではなく趣味でやればいいと思う。
労働時間が減れば自由な時間が増えるわけだから、その時間を使って趣味として楽しめばいい。
好きなこととかやりたいことならば、仕事にせずとも趣味でやっても満足できるはずだ。
近年は「好きなことを仕事にする」といった考えが流行っている。
しかし、そもそもなぜこのような考えが生まれるのかと言ったら、それは結局長時間労働が問題なのではないか。
本来好きなことであれば仕事にしなくても趣味でやっても満足できるはずだ。
しかし普通に日本で働こうとすると週に40時間も働かなくてはならない。
そんなに働いていると自由な時間が取れず、趣味に使える時間がなくなってしまう。
それが原因で「好きなことを仕事にする」といった考えが生まれているのではないか。
もし労働時間を短縮したとしたら自由な時間が増えるので、無理して仕事にしなくても誰だって好きなことをして生きていくことが可能になる。
もし週に10時間程度の労働で生きていけるのならば、誰だってそのような生き方ができる。
自由な時間がいくらでもあるのだから、その時間で好き放題ゲームをやればいい。
このような生き方なら誰かと競争する必要もなく、クビになることを恐れる必要もない。
お金を稼ぐことはできないけど、誰もが好きなことをして自由に生きていくことが出来る。
まとめると、
そして消費が増えることはない。
となります。
かなり長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。
今の日本社会は終わってる。
普通、働けば景気が良くなるように思えるが、現代社会は非常に複雑になっていてそう単純にいかない。
ここで言う生産とは労働によって生み出される物やサービスのこと。
良い社会を維持するためにはこの生産と消費のバランスが非常に重要になる。
当然働くことによって生産が増える。
そしてこの生産と消費のバランスが悪くなることによって不景気を引き起こす。
まず社会全体の生産量と消費量がほぼ同じ状態について考えたい。
生産量と消費量が同じ、これはつまり市場で売られている物の量と買われている物の量が同じということ。
物を作れば作った分だけ売れるという企業からしたら夢のような状態になる。
労働者は生産者である一方、消費者でもあるので稼いだ給料は消費に回る。
実はこれが非常に困った状態になる。
確かに消費者からすればありがたいことではあるが生産者側からすれば苦しい状態だ。
生産量が消費量より多いということは、売られている物の量よりも買われている物の量の方が少ないということになる。
販売している商品が売れなければ当然その分は損失になってしまう。
まず一つ目が生産を減らすこと。
そして2つ目が商品を売るためのマーケティング活動を行うこと。
例えば商品の価格を下げたり、品質を高めたり、宣伝を行うなどがある。
これらによって企業の利益は大幅に減少し、それに伴って労働者の給料も下がる。
商品の価格が下がったり、品質が上がるため消費者からしたら恩恵を受けることができる。
しかし消費者もまた労働者であって、商品が売れないことにより給料が下げられるため、お金がない。
せっかく市場に質のいい商品が出回っていても、お金がないのであれば買うことができない。
これによりますます商品は売れなくなり、企業の利益は減っていく。
生産量と消費量の差が大きくなるほど景気が悪くなると話したが、では現代社会はどうなっているのかというと圧倒的に生産が消費を上回っている状況にある。
昔は全て手作業で仕事をしていたのに対して、今は大部分が機械による生産を行っている。
現代の生産能力は昔に比べたら何十倍、何百倍といったレベルで向上している。
それにも関わらず労働時間が昔と比べてもほとんど変わっていない。
日本で言うなら一般的な会社員は週に40時間、それに加えてさらに残業までしている。
それどころか下手したら増えている。
これは非常におかしなことだ。
生産能力が向上したのだからその分労働時間が減らなければおかしい。
それは現代社会では人は働かなくては生きていくことができないからだろう。
生きていくためにはお金が必要で、お金を得るためには働く必要がある。
成人していてまだ年金をもらえる年齢に達していなければ働かなくては生きていけない。
生活保護という手段があるものの、若くて健康な人間では申請が通らない。
それに生活保護を受給している人に対して世間からの風当たりは強い。
親に養ってもらえば働かなくても生きていくことはできるものの、そのような無職・ニートと呼ばれる生き方は世間から非常に軽蔑される傾向にある。
だから少なくとも日本においては経済面、世間体的に働かざるをえない。
そしてこの働かなくては生きていけないという状態が非常にまずい問題を生み出している。
前述したように生産と消費の差が大きくなるほど景気は悪化してしまう。
現代はこの異常なまでの生産により世界中で不景気を引き起こしている。
生産が多いのが問題なのだから本当は生産を減らさなくてはいけない。
しかし働かなくては生きていけない、仕事は尊いものだといった価値観によりみんな長い時間働き、生産を増やし続けてしまっている。
現代のような供給過剰な時代においては、働けば働くほど景気は悪くなり、労働環境も悪化してしまう。
だから現代において働くこと、正確には長時間働くことは社会を蝕む害悪行為でしかない。
生産量が消費量を超過していることが問題なら消費を増やせば良いんじゃないか?
そもそも生産が増えればその分消費も増えるんじゃないか?といった意見もあると思う。
実際に日本の政治家や資本家達は消費を増やそうと必死になっている。
しかし残念ながら消費がこれ以上増えることは絶対にありえない。
食料を例にすると、人が一日に食べられる量は限られている。
食料の生産が増えたところで人間の食べられる限界量が変わるわけではない。
食糧難が当たり前であった昔であれば、確かに生産が増えれば食べる量も増えたかもしれない。
しかし現代は肥満に悩んでいる人が多いことからもわかるように、ほとんどの人が食欲の限界まで腹を満たしている。
つまりいくら食料の生産が増えたところで消費が増えることはない。
例えば町に大きなレストランが出来て、その店がものすごい繁盛したとする。
これだけ見ると消費が増えているように思えるが、実際には増えていない。
このレストランに来た人達はレストランで食事をした分、食事の回数が一回減っているわけである。
もしこのレストランがなかったとしたら、その人達は自宅や他の飲食店で食事をしていたはずだ。
もし自宅で食事をしていたとしたら、そのための食材をスーパーなどで購入していることになる。
つまりこのレストランができたことによって、他の飲食店や食品販売店の売上が減っている。
新しい店ができて儲かったとしても、その分他の店の売上が減るだけであって、全体としては一切消費は増えていない。
これは他の業種にも言えることで、例えばある人物が旅行に行って、その旅先でたくさん買い物をしたとする。
するとその地域では消費が増えて、お店の売上が増える。
しかしその地域に旅行している間、その人が元々住んでいる地域では消費をしないことになる。
もし旅行に行っていなかったとしたら、その人は地元で消費をしていたはずである。
仮にずっと家の中にいたとしても、ゲームをするでも本を読むでもテレビを見るでもスマホをいじるでも、何かしらの消費活動をしていたはずだ。
だから結局どこかの地域や企業の消費が増えたとしても、別のどこかの消費が減っているだけであって、全体としての消費は全く増えていない。
昔はとにかく生産能力が低かったので、圧倒的に物が足りていなかった。
生きるのに必要な食料を生産するのに精一杯で、他の物を作る余裕がなかった。
だから技術が向上して生産が増えれば、それに伴って消費も増加した。
しかし産業革命以降の爆発的な生産能力の向上により、ついに生産量が人々の需要を超えてしまった。
そうなるといくら生産が増えたところで、消費が増えることはなくなる。
ここまで消費が増えることはないと書いてきたが、実は増えないどころか消費は今後減り続ける。
電話、パソコン、ゲーム、カメラ、音楽プレーヤー、地図、本、辞書、新聞。
たった一台のスマートフォンでこれら全ての代わりが出来てしまう。
実際にスマートフォンの登場により多くの産業の消費が落ち込んだ。
もちろんスマーフォンの登場により増加した消費もあるとは思うが、明らかに減少した消費の方が多いだろう。
つまり壊れにくくなっていて、そうなると買い換える頻度が減り、消費が減少することになる。
これらの要因によって消費は増えないどころか、今後減り続ける傾向にある。
この「消費が増えることはない」という事実は経済対策をする上で絶対に頭に入れておかなくてはならないことだ。
しかし日本の政治家達はこの事実に気づいているのか気づいていないのかは不明であるが、とにかく消費を増やすことしか頭にない。
絶対に増えることのない消費を増やすために莫大な税金と労働力を投入している。
このままの状態が続くと社会はどんどん歪になり、やがて崩壊してしまう。
しかし消費が増えることはない。
現代はこの不足している消費を世界中の企業が奪い合っている状況だ。
そしてこの消費の奪い合いはあまりに無意味で、不毛としか言いようがない。
わかりやすいように一つ例え話をする。
A社は現状を打開するためにコストカットを行って商品の価格を下げ、積極的な宣伝活動を行った。
しかしこうなると困るのがA社と同じ食品を扱っているB社である。
A社の商品が人気になったことにより、B社の商品は売れなくなってしまった。
このままではまずいのでB社はA社と同じように商品の価格を下げ、積極的な宣伝活動を行った。
これによりB社は売上を元に戻すことができた。
こうなると結局元の状況に戻ってしまい、A社とB社が行ったマーケティングが完全に無駄なものになっている。
価格を下げるために従業員の給料を抑えたり、宣伝するためにも多額の費用がかかる。
しかしこれだけコストをかけたにも関わらず何の成果も出ていない。
このような無意味で不毛な競争が世界中のあらゆる企業間で行われている。
顧客に対して過剰なサービスを要求したり、長時間の残業をさせたり。
そして一番悲しいことがこれらの働きにって労働者が報われることはなく、それどころかさらに悪い状況に陥ってしまう。
社会全体として消費が増えない以上、一つの企業が努力により売上を増やしたとしても、その分他の企業の売上が落ちる。
売上の落ちた企業は社員にさらに厳しい労働を要求するようになる。
製品やサービスの質が高くなるので、当然消費者からすれば恩恵を受けることができる。
多くの労働者は企業間競争により給料を下げられ、長時間労働を強いられているため、金も時間もない。
せっかく質の良い商品が売られていても、それを買うための金と時間がない。
そしてこのまま何の策も打たないとさらに状況は悪化していき、取り返しのつかないことになってしまう。
ここまで現代社会の問題点について話したので、ここからは改善策についにて話したい。
そして消費が増えることは絶対にない。
生産を減らすということはつまり労働力を減らすということである。
今の日本でも法定労働時間が決まっており、週に40時間までしか働けないと法律で決まっている。
しかしこの週40時間労働というのが現代の生産能力を考えると異常なほどに多い。
現代は科学の進歩により昔とは比べ物にならない生産能力を持っている。
これがどれくらい異常なことか言うまでもない。
これに加えて日本人の多くは長時間の残業をしているのだから目も当てられない。
これは非常に難しい問題なので正確には言えないが、現代の生産能力を考えれば半分の20時間にしても多いと思う。
週に10~15時間くらいの労働時間が適正なんじゃないかと思う。
そんな短い労働時間で社会が回るはずがない、と思われるかもしれないが何とかなるんじゃないかと思う。
その理由については後述する。
2つ目の方法が毎月国民全員に定額の給付金を与えて、働かなくても生きていける環境を作ること。
この方法は近年話題になっているベーシックインカムという制度だ。
例えば月6万円などの人間がギリギリ生きていける金額を毎月国民全員に支給する。
これによって人々は生きていくために無理して働かなくてもよくなる。
これらの策によって労働力が減り、生産と消費のバランスが緩和され、景気が良くなり、労働環境も改善されることが期待できる。
https://anond.hatelabo.jp/20220527000129
に続く。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2022042701233&g=pol
4月30日時点で263ブクマなんだけれど、ほとんどが的外れな罵倒。
自民党の有志議員は27日、「産業や伝統文化等への麻の活用に関する勉強会」(会長・森山裕総務会長代行)を設立し、初会合を開いた。大麻草の生産者支援や産業用素材としての活用を広げるのが狙い。最高顧問に就いた安倍晋三元首相は「大麻というだけで相当偏見を持たれている。農業、産業(振興)の観点からもしっかり考えていく必要がある」と強調した。
どう読んでも繊維としての大麻草の活用としか読めないのに、ドラッグとしての大麻と勘違いしたブコメが並ぶ。
そのことを指摘しているブコメがちょこちょこ挟まっているのに勘違いブコメが並ぶってことは、他人の意見を読んでいないか、読み取ることができないんだろう。