はてなキーワード: 共同管理とは
といっても、昔の話だ
鬱病の友人だった
また、彼は大学の先輩でもあった。
大学院に進学したが休学したりしていた
私自身も鬱病なので、死と見つめ合うつらさを知っているのでわかったと返事をした
虫の知らせというのだろうか。そういうのもあって、あえて止めなかった
いいわけだが、止めたとして彼はつらかっただろうと思う
サーバのidとpassを教えてもらって、使い方もある程度理解し
そのサーバ上で運営されているサイトの共同管理者とskypeで挨拶した
私もそれを手伝った。
たくさんあったものが捨てたり、あるいは誰かにあげたりしてどんどんなくなっていく
私もいろいろ物をもらった
片付いたら、物であふれていた彼の部屋が、布団と小さなテーブルにノートPCがあるだけになった
彼は音痴だったので、カラオケは好きではなかったかもしれないし、私のいろいろな事情で誘わなかっただけかもしれない
彼とカラオケをしたのはたぶん二回目くらいだ。このカラオケで最後だ
私は口べただったので、彼のことは多くは知らなかったけれども、
自殺を決行するという話をしてくれた数少ない一人ではあるから、信用されていたのかもしれない
もはや、しるよしもないのだけれども
あと、短い期間だがカウンセリング業もやっていた。
自分は助けられなかったのに
決行する前の日、思い残すことは何かときいたら
死に向かうと、執着しなくなるともいっていた。本音かどうかわからないが
決行の日。友人から連絡があった、警察から電話があったそうで、
彼が死んだ実感はなかった。今でもかすかにどこかで生きているのではないだろうかと考えることがある
心の中に生きていると、誰かが本で書いていたが、そういうものなのかもしれない。
後日、彼の母から連絡があり、彼のワードで書かれた私宛の遺書の一ページと
彼の母からの文章が綴られていた文章が一ページがFAXで送られてきた。
彼の遺書には感動するような言葉は書いてなかった。生きてるうちにだいたいのことは伝えたのかもしれない。
ほとんどは、Web関係のこうしたいという意思とidとpassが書いてあった
彼の母からの文章は、彼が自殺であることは内密にということと、彼に関わってくれてありがとうというような
彼の終活として、権限委譲されたサーバのサイトの一つで報告することを遺言として残していたので、
それを共同管理人とともに行った。
大学の先生には自殺であることを告げた。彼と親しかった先生は悲しんでいた。
その他の人には、遺族の意思通り自殺であることを内密にしていたが、
風の噂で広まってしまったらしい。
彼はある意味トラブルメーカーであったので死人にむち打つようなことを言う人もいれば、
悲しみ、残念だった。という人もいた。
いろいろなところで終活としてのプランは彼の意思とは違う物になってしまったが、
それも、現実や様々な人の感情に合わせなければならないので仕方がないだろうと思う
死ぬ決断は彼がしたのだから。という個人的な考えだ。人に話したら強く批判されるだろうが
安楽死が合法化されるとしたら、もしかしたらこんな感覚なのではないだろうかと思う
これだけでは、贖罪にはならないだろうけれども、安楽死を推し進めたい人に対して、
死と向き合うこととはこういうことだと言うことを伝えたくて書いたところも一つある。
私は創作で人を助けるようなことをしたいが、彼のことがあるから及び足なところがある
私は自らが死ぬと分かっていても、人を救うために動き続けられるだろうか。彼のように