はてなキーワード: 公理とは
あんさんぶるスターズ!!の話。
メインスト1章から天城燐音がずっと好きなんだけど、5章の燐音でモヤモヤしてしまった。
ズ!時代から愛していたアイドルたちを踏みにじられたと感じている古参Pの方々が憤るのはわかるんだけど、1〜4章までの天城燐音の言動が全部好きな自分が5章でモヤってしまった理由が自分でもよくわからず、感情の整理のためにこれを書いている。
Twitterで「燐音 許せない」「燐音 嫌い」「燐音 無理」でサーチして自分のモヤモヤに近い感情を持っている人を探してみた感じ、
「まともに謝罪もしていないのに許されている感じが嫌」
「やったことは消えないし罪を濯いだわけでもないのに『自己犠牲尊い』『燐音かわいそう』みたいな流れになってるのが無理」
天城燐音はやりたいことをやったわけだし「かわいそう」は違わない? てかなんで許される流れになってるの?
許しは真心で捧げられるべきもので、脅しとっても意味はないのに、物語的に許しを強制されているように思えてムカついた。たぶんそういうことだと思う。
私は天城燐音に傷つけられたわけではないし、ズ!のストーリーもよく知らないし、それでもこれだけモヤったんだから、アンデ、流星隊、紅月Pは荒れ狂っても不思議じゃないよね。4章があれで終わったのに5章で特に掘り下げもなかったし。大変そう。
で、落ち着いてもう一回メインストを読んでみたんだけど、天城燐音の主張は誰に対しても「お利口さんになる必要はねえ! やりたいことをやれよ!」「我慢を強いられる方が間違ってる!」で一貫しているんだな。
周りが許すような空気を作っていても、許す必要はないし、かわいそうがってよちよちする必要はない。
私は天城燐音のそういうところが好きで天城燐音を推しているのに、彼の主張と、物語の運び、それに対するプレイヤーの反応が噛み合ってないように思えて、それで余計にモヤったんだろうな。
「天祥院英智の革命には大義があったけど、天城燐音のそれには私情しかないから全然違うし、天城燐音なんかと天祥院英智を一緒にしないで」
という主張について、全然違うのはその通りだけど、大義や功利が私情より尊いなんて誰が決めたの?と思った。(これは天城燐音のオタクとしてムカついたという意味)
大義があるから、は免罪符にはならないし、同じことをしたのなら罪の重みは変わらないじゃん。
大義があれば許せる人、私情で突っ込んでる方が愛せる人、その人の価値観ごとに様々だろうし、公理みたいに「大義のもとに払われた犠牲は私情のもとに払われた犠牲と違って正当なもの」と言い切られたように思えてイラッとしました。
私は「理由が私情でも、許せないなら許さないでいい」「我慢しなくていい」って言ってくれる天城燐音が好き。好きなんだ天城燐音。アイドル辞めないで。
これが成り立たないって、どういう公理?
楽しさの一つは、論理をこねくり回してるところだよ!
理路が整然とするのは面白いよね!
それを学ぶのがつまらないわけないよ!
もしかしたら、それを自分が少しだけ進められるかもしれない、となったら尚更だよ!
まずは憲法学!
それにもかかわらず、いまだに次から次へと新たな議論が生まれるよ!
近年(?)でも、「これまでアメリカ流に解釈されてきた最高裁判例は、実はドイツ流に解釈した方が上手く説明できるのではないか」というコペルニクス的転回めいた説が有力に唱えられていたりするよ!
アメリカ流とドイツ流をミックスさせる説もあったりして、学説はカオスで面白いよ!
条文にあまり内容がないから、解釈の自由度が極めて高いも魅力だよ!
憲法というと一般人には縁遠い存在にも思えるけど、例えば今年の司法試験の憲法の問題では「フェイクニュース禁止法が制定された場合の憲法上の問題点」が問われたりしているよ!
次に民法学!
120年ぶりの大改正が来年から施行されるというアツい法令だよ!
その条文数は1000以上!
1条1条にそれぞれ生涯をかけて研究をした学者がいると考えると途方もないよ!(注1)
次は刑法学!
いくつかの基礎的な考えからあらゆる論点での解釈を導く様は、さながら数学の公理系を思わせるよ!
数学ほどの論理の厳密さはないけど、そこにまた面白さがあるよ!
ちなみに、トロッコ問題の様々なバリエーションは、正当防衛と緊急避難で全て結論が出せるよ!
法哲学!
マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」の世界だよ!(注2)
法学部と法科大学院を出ただけで、きちんと研究をしたわけじゃないし、資格試験のために勉強してた側面も強いけど、個人的なイメージとしてはこんな感じだよ!
あとは、訴訟法もあるし、法制史学とか、比較法学、法と経済学とかも色々あるよ!
(注1)
実際は、深く研究される条文は偏ってるよ!
一方で、「こんな法律あったんだ?」ってレベルのどマイナー法律にも研究者がいたりして、法学の世界の広大さを感じることがあるよ!
(注2)
同書が扱う分野は法哲学以外にも及んでいるよ!
@misssfc2019_no7さん(ραοさん)と@54nano_fairyさん(なのさん)のTwitter上での会話を見て、漠然とジェンダー論に興味があったものの何も勉強してこなかったので少し勉強し、考えたことをまとめようと試みています。ややραοさんの発言を多く引用します。これは僕の感覚がなのさんに近く、ραοさんの発言の主張に納得しづらい部分があったため、それを解釈したいと考えたからです。
納得行くところまで整理出来ていないので、「その主張は◯◯の部分が誤りである」「せめて◯◯は読んでから出直せ」などの指摘をいただけると僕が嬉しいです。
あとアホほど長いので暇な人だけ読むと良いと思います。
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男性がフェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分がジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ
というツイートに対して、なのさんが
これこそセクシズムなんじゃないですか?
と問うたところです。
このツイートから、任意の男性は、フェミニズムを理解しているならば(フェミニズム性を有しているならば)、あるフェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」ジャッジ出来ると考えない、とραοさんが考えていると僕は読み取りました。
これに対し、この主張には「男性が」ジャッジすることに非フェミニズム性がある、というような非対称性があるように見える、となのさんが疑義を唱えたように僕は読み取りました。
その後の議論でραοさんは
と述べられています。これはフェミニズムの話に限った際、女性がジャッジすることにも非フェミニズム性があるという主張と同値かは僕の目には明らかではないです(おかしなこと、というのがどのようなおかしくなさに違反しているのか自明でなくないですか?)。僕は議論の流れから、ραοさんは男性がジャッジする際の非フェミニズム性とはやや異なる「おかしなこと」と考えているのではないかとお見受けしました。
これは、なのさんの
「マイノリティの中でも一方的なジャッジをはおかしなことである」というのならば、なぜ最初の発言でわざわざ「男性が」「性的マジョリティが」と強調したのでしょうか?
という質問に対するραοさんの
マイノリティの中での話とはまた違う構造があるからですよ。これを同じと言ってはいけないと思います。マイノリティ同士のコミュニケーションにおいて生じる問題と、マジョリティがマイノリティに対し行う言動に生じる問題は異なります。
ραοさんの発言は、マジョリティである男性がジャッジすることはマイノリティである女性に対する圧力となるため非フェミニズム性があり、マイノリティである女性がジャッジすることは(圧力があるにせよ)非フェミニズム性とは異なるおかしさ(例えば他人の内面を決めつけることの失礼さ?)があるという意味ではないですか?男性と女性が非対称な権利を有している現在の規範を改めようとするフェミニズムに対し、マジョリティである男性が一定のフェミニストの主張は非フェミニズムであり新たな規範として認めるべきではないと主張するのは、女性に対する圧力として働くものであり、非フェミニズム性があると。
なので、女性に対する圧力の存在の暴露とその解消を目指す文脈で、(その活動における)障害の存在を批判する際に男性によるジャッジが強調されるのは非対称だが筋は通る(一貫した主張である)かなと思いました。(なのさんがのちに運動のための理論であるように感じて好きではないと言われていたのもこの辺りのことが引っかかってかなと思いました。)
この後ραοさんとなのさんの主張は最初の議論とはやや異なる内容の議論(女性がマイノリティであるということの意味、議論の進め方等)と共に一定の解決を見ずに終わったようで燻ったような状態に落ち着いたように見えます。他の内容についてはここでは触れません。
フェミニズムの議論はたびたび大きな話題になりますが、話題になるフェミニズムは(筋の通る通らないの程度によらず)やや論理的に整理されてない主張が目立つように僕は感じていました。今回の件でもいくつか整理が不十分だと感じる点はあり、例えばραοさんの最初のツイートの下で述べられる
これって普通に男女以外でも考えてみてほしい。マジョリティであるシスジェンダー異性愛者がセクシャルマイノリティに「この人は真のセクシャルマイノリティか、エセか」とか言うのめちゃくちゃおこがましくないですか?障害者に対して「真の障害者か、エセか」とか。何様なんだろうって私なら思うよ。
は圧力という考え方があまり見受けられないので良い例示ではないように見えます。これは他者の内面(あるいは属性、アイデンティティ)を決めつけることはおこがましい、自然な感情として(普遍的に)おかしなことであると主張する話になっており、「男性が」ジャッジすることの非フェミニズム性の話にはそぐわないように思います。何様なんだろうと思う、という自然な感情に端を発する主張のように記さず、セクシャルマイノリティや障害者の方に対する強い圧力として働く考え方である、というように記す方が合致するように思われます。
整理が不十分であること自体はよくて議論とともに整理していけば良いと思うのですが、その後ραοさんはやや早計になのさん(及びなのさんに同調する人々)のことをミソジニストと決めつけてしまったように見えます。早計というのは、議論が一定の解決を見ないまま、ραοさんに「つっかかってくる」人をミソジニストと認定しているように見えるからです。実際には一定の論理によりミソジニストと認定しておられるでしょうが、ここまで他者をジャッジすることのおかしさについて議論していたので、ダブルスタンダードに見えてしまいます。ダブルスタンダード自体は主張の正しさを変えるものではありませんが、信頼できる議論の相手かどうかという他者からの評価には影響するので。実際これのせいで感情に寄りすぎている(論理的に整理されていない点を整理しないまま自分の意見の正当性を主張しようとしている)とみなされてしまっているということがあるのではないでしょうか?
僕は最初追っている時はなのさんの議論の方が身に馴染み、かつ筋が通っており、ραοさんの議論はやや筋が通らないように感じていました。しかしそれはフェミニズムを全く知らないためである可能性も十分高く、少し調べてから判断しようと思いました。現状では、今ある規範の問題点を指摘し新たな規範を構築する際、新たな規範の正当性をどのように確立すればよいのか分からなくなり、整理がついていません。
舟場 保之(2007)「ジェンダーは哲学の問題とはなりえないのか」『哲学』58 号 pp. 61-78(https://doi.org/10.11439/philosophy1952.2007.61)に、次のような話が載っていました(p. 65)。
アイデンティティ・ポリティクスの主張は、その真理性なり正当性なりの論拠を最終的には当該のアイデンティティにおく。アーレントは、アイデンティティ・ポリティクスに反対していたにもかかわらず、レッシング賞受賞講演において「ひとは攻撃されている事柄によってのみ、抵抗することができる」と論じている。このとき、「抵抗」のひとつの形として「現行の法」に対する異議申し立てが行われるとすれば、その異議申し立ての論拠は「攻撃されている事柄」におかれることになるだろう。ある「抵抗」の異議申し立てに対して、、「あなたはなぜそのように主張するのですか」と問えば、最終的には「わたしは○○に関して攻撃されているから」と答えられることになる。しかし論拠がこのようなものであるとしたら、この言い分に納得できるのは同じように〇〇に関して攻撃されている者だけであり、異議申し立ては〇〇に関して攻撃されている者にしか説得力をもたないことになる。だからこそ、このような異議申し立てに無理解な者に対しては、「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」という言い方が(きわめてよく)なされるのだろう。アイデンティティ・ポリティクスの主張は、アイデンティティに論拠がおかれるかぎり、アイデンティティが同一の者には説得力をもつがそうでない者には説得力をもたないのである。しかも、論拠とされるアイデンティティが「反論の余地のない事実」であるなら、論拠を問題化することがまったく不可能になってしまうので、アイデンティティ・ポリティクスの主張は反駁される可能性を原理的にもたない絶対的なものとなってしまう。
例えば宇崎ちゃんポスターの話題などでも「普通に訴えてもお気持ち扱いされる」みたいな話を見かけました。これはまさに上記引用で触れられている、アイデンティティ・ポリティクスの主張がアイデンティティを論拠とするために反論を許さず、そのためにアイデンティティが同一でないものに対しては説得力を持たないものとなる(反論が不可能なものについては議論が出来ないので?)、という構造と同じものだと思います。
宇崎ちゃんポスターの例では「性別Aの者を性別Bに属するものがあげつらったり、その性を利用したりすることは正しくない」というような公理のもと、それがA=女性、B=男性として宇崎ちゃんポスターにおいて行われていると判断され、問題のあるポスターとして指摘されたと僕は認識しています。これに対し「この程度は性についてあげつらうほどのものではない」「これをあげつらいと考えるのはお気持ちである」という形で「お気持ち扱い」をされているのかなという印象です。
このとき、仮にアイデンティティ・ポリティクスに反対する姿勢を取っていたとして、宇崎ちゃんポスターの問題においてどのように主張の正当性を確立するべきなのでしょうか?究極的にはお気持ちにならざるを得ないのでしょうか……?僕には分かりません。何かうまく論理を構築する方法論が知られているのでしょうか。
またραοさんとなのさんの議論の中で、上記引用で典型的発言として挙げられる「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」と似た発言がなされていました。
男性がフェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分がジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ
という発言もややアイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠にしているように見えます。これによりραοさんは、なのさんや一部の方から自分の正当性を疑わない人とみなされてしまったように見受けられます。
しかし、特に規範のようなものを考えるにあたり、アイデンティティやポジショナリティから自由になることは可能なんでしょうか?ραοさんはそれが不可能だと考えているか、相当に困難だと考えておられるのではないでしょうか?
自分は中立だと思いこむのとか、立場や偏見を取り除いて客観的なジャッジの目線で議論ができると思いこんでるのはなるべく高等教育過程に入った方には既に卒業しててほしいな…。こんなの哲学の初歩の初歩でしょ…。
自然科学の研究をしている身としては、実験だったり理論だったりの正当性の検証は容易ではないが常には原理的に不可能ではないので、メタ的立場から正当性の議論が出来る(なのさんの言葉を借りれば「パワーバランスに基づく議論はあくまで論理/倫理的な「正しさ」とは独立であるべき」)と考える方が身になじむものがあります。なのでアイデンティティ・ポリティクスに反対する姿勢もしっくりくるところがあるのですが、実際問題としてそれを回避することは可能でしょうか?自分がある程度アイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠としている部分がある、と自覚した上で正当性の議論を行うという所が限界なのでしょうか?今の僕には分かりません。
上に書いた話も、自分の感覚と整合性が取れるように論展開を進めようと思ったのですが、僕の「お気持ち」が何となく納得していない感じがあり、十分整理できてないなと感じています。
自分の研究が落ち着いた時に、時間をとってもう少し勉強して整理したいと思っているので、重ねてですが「◯◯の主張は筋が通っていない」「◯◯ぐらいは読め」みたいな指摘がいただけると幸いです。
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490326549118976
"ここジャクソン・ホールにやってきて、経済学者は重要な問題に取り組んでいます。中央銀行は、これからの10年も、これまで私たちが考えてきたように、産業社会のマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるでしょうか?アンナ・スタンズブリーと執筆中の論文で、私たちはそれは疑わしいと論証しています。"
"今や利下げの余地はほとんど残されていません。1970年代以来、アメリカ合衆国でリセッションが発生するとFedは常に500ベーシスポイント以上の利下げを実行してきました。そして多くの場合、実質金利は中立金利よりも400ベーシスポイント以上低かったのです。今や最大限可能な利下げ幅は200から300ベーシスポイント、実質金利は中立金利より150から250ベーシス下でしかありません。"
"わずかこれだけしか利下げの余地がない、これがアメリカ合衆国の現実です。だがこれでも先進国の中では最も金利が高いのです。ヨーロッパと日本においては状況はより深刻です。"
"これまで大規模な量的緩和としっかりしたフォワード・ガイダンスが試みられてきました。今、私たちはポスト量的緩和・フォワードガイダンスの世界に生きています。ある政策の説明をあれこれ言い換えてみたり、記者会見のタイミングを変えてみたり、見通しに関するプレゼンテーションの方法を変更してみたり、もはやそんなことでなんとかなるとは考えられません。"
"私たちはジャネット・イエレンの意見にはたいていは賛成しています。でも彼女が2016年にジャクソン・ホールで講演をしたとき、金融政策にはまだツールキットが残っているという彼女の楽観主義はまちがっていると思っていました。10年債の利回りが150ベーシスに落ち込んでいる現在ならなおさらのこと。"
"金融経済のブラックホール、私はゼロ近辺で固まってしまった利子率、そこから抜け出す見込みもない状態をこう呼ぶのですが、10年債の実質利回りがゼロないしマイナスのヨーロッパと日本のマーケットでは、それはもはや将来にわたって確信となっています。アメリカ合衆国も不況ひとつで彼らの仲間入りです。"
"先進国ではどこでも、失業率の急上昇のリスクはインフレ率の急上昇のリスクよりもはるかに大きい。マーケットの期待インフレ率が2%にはるかに足りないというのに、です。"
"金融当局は、金融政策を通じて、長期にわたり、望むだけのインフレを創り出すことができる、世界中の経済学部の学生は、それが公理だと教えられてきました。だがもはやその命題は大いに疑わしい。"
"多くの人は、その後におきた出来事で、アルヴィン・ハンセンの長期停滞論はまちがいであることが証明されたと信じています。でも事実は逆で、大恐慌から復活するのに第二次世界大戦が必要だったという事実は、彼が正しかったことの証明なのです。膨大な軍事支出がなければ「流動性の罠」がもたらすデフレシナリオは、しつこく続いたことでしょう。"
"「ブラックホール問題」、「長期停滞」、「日本化」、なんと呼ぼうといいのですが、この一連の事象が世界の中央銀行を悩ませているのです。"
"私たちはポスト・ケインジアンがずっと強調していたこと、最近ではトーマス・パリーが唱えていたことに賛成しなければならないようです。経済変動において、ある特定の要素の摩擦、不適合が果たす役割は、根本的な総需要不足に比べれば、あまり強調される問題ではない、ということです。"
"今度発表する論文で、私たちは、最近のコンセンサスのように、現在の状況を、単に中立金利の下落、低いインフレ率、名目金利の実効的な下限という観点から捉えることは、苦境を過小評価してしまうと主張しています。長期停滞はより深刻な問題なのです。"
"超低金利環境における限られた名目GDPの成長は中立金利が大幅に低下した証拠だと解釈されてきました。だがそれだけではありません。"
"総需要に対する金利の影響が急激に低下し、金利が低下するにつれて限界影響、すなわち低下した金利毎の総需要に対する影響が減少することも、同じぐらい確かなのだと思います、"
"ある局面では利子率の低下が総需要を減少させることさえあり得るのです。その原因は、例えば貯蓄行動の目標への影響であったり、金融機関の利ざや縮小からくる仲介機能の低下現象、いわゆるリバーサル・レート効果だったり、リアル・オプション効果を考慮して埋没的、不可逆的投資は止めておこうとなることだったり、低金利の財政赤字に及ぼす勘定効果であったりします。"
"この点は、マクロ経済学のダイアグラムを使って示すことができます。ISカーブは急勾配になり、非線形になり、後ろに向けて曲がることすらあるのです。"
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490361881931777/photo/1
"もしマクロ経済安定化の中心的な問題が中立金利の低下にあるなら、その立場は、たぶん"オールド・ニュー・ケインジアン"と呼ぶべきなのでしょうが、利子率をじゅうぶんに下げることができるのであれば、金融政策によって完全雇用は達成可能です。"
"対照的に長期停滞の視点からは、この立場をニュー・オールド・ケインジアンと呼びましょう、仮に可能な場合であっても、総需要に少々刺激を与えるのがせいぜいで、最悪の場合は、総需要を減らすことすらあるのです。"
"さらに利下げは将来の経済のパフォーマンスを阻害することもあるのです。以下その理由を述べます。"
"第1に、金融システムの不安定化です。金融危機の原因はバブルと過剰なレバレッジにありましたが、それは2001年の景気後退に対する需要下支えのための政策対応の結果として生み出されたのです。日本の1980年代末のバブルも1987年のブラックマンデー後の緊縮財政環境における低金利に原因がありました。"
"第2に、企業のゾンビ化リスクです。利払いの問題に直面していない企業は、テストを受ける必要がない学生のようなものです。彼らは勝手気ままにどうみても収益性がみこめない事業にもフラフラと乗り出してしまう。さらに低金利は寡占企業の強大化とダイナミズムの低下を生み出すでしょう。"
"第3に、銀行の破綻リスクです。低金利は銀行の収益を圧迫し、顧客基盤のようなフランチャイズ・バリューを低下させ、自己資本規制のレベルがいかなるものであれ、銀行をショックに対して脆弱にするでしょう。"
"第4に、金融政策の有効性のさらなる減少リスク。現在の利下げが将来の需要の先食い、つまり企業が将来の投資を、消費者が持続的に必要な消費今するというレベルにまで至ると、現在の低金利は、将来の金融政策の効果の減少を含意することになります。"
"マクロ経済学者が注目すべき重要な問題は、適切な総需要を管理することです。私たちは、中央銀行が管理できるのだ、あるいは現在の金融政策の各種ツールでそれができるだろう、と提案することは、危険だと思っています。"
"もっとも注目されるべきが財政政策であることはあきらかです。とりわけ低金利、ゼロ以下の金利が財政赤字の持続可能性を示している現在の状況下ではなおさらのこと。"
"しかしながら需要の水準は政治構造の影響も受けます。例えば、社会保障の給付を当期の租税や保険料で賄うべきとするpay-as-you-go方式、定年の延長、社会保険の改善、民間のインフラ投資への援助、高貯蓄の富裕層から流動性が制約されている、要するにお金がない貧困層への再分配などです。"
"1970年代の高インフレ、高い利子率はマクロ経済学の政治思想、政策、制度に革命をもたらしました。低インフレ、低い利子率とこの10年の長期停滞は現在も深刻な形で進行中であり、マクロ経済学の世界に同じぐらい大きな改革が求められています。"
"ジャクソンホールの「金融政策への挑戦」で、この点に焦点があてられることを願っています。まああんまり期待していませんが。"
https://twitter.com/paulkrugman/status/1164604703424090112
"ラリー・サマーズのスレッドがおもしろい。まあ僕はいくらか疑問点ももっているけどね。あのあらぬ方向に曲がったISカーブには納得していない。でも全体の方向性としてははっきり正しい。次の不況で中央銀行に何かできる力が残っていると信じる理由はほとんどない。"
"中央銀行はそうは言わないけどね。でも彼らの立場も考えてやれよ。ドラギやパウエルが「うちらもうお手上げですわ」って言ってみ?マーケットはパニックになっちゃうよ。何もできなくても自信があるふりしなきゃならないのさ。"
"さらに2点。僕には中央銀行はまだこれが一時的なポスト金融危機時代の姿で、将来「正常化」できるかのように語り、振る舞っているように見える。でもね、もうリーマンショックから11年だよ!"
"言い換えれば、これが21世紀のノーマルなんだよ。グレート・モデレーション・マクロエコノミクス、中央銀行は景気循環をコントロールし、財政政策は緊急措置、そんな時代は戻ってこない。"
"ラリーは1970年代のインフレがマクロ経済学思想の刷新につながったことにも触れ、僕らも同じことをしなきゃならないと言った。僕も、なぜ今までそれがおきていないのか、僕らは厳しく問い詰められなければならないと思う。"
"結局のところ、現時点まで超低金利と持続的な需要不足は、スタグフレーションの時代よりも長く続いている。1970年代の7~8年の不調がすべてを変えたのに、2008年以来の11年でなんでこんなに変っていないの?"
"僕の考えでは、社会学と政治学のミックスに答えがある。しつこくつきまとう長期停滞の害悪は、保守的なアジェンダを産み、経済学者を古典派に回帰させた。だがまだ対照的な方法が残っている。"
"ジャクソン・ホールでラリー・サマーズ以外にも持続的な財政刺激策を主張する人がいて、オリヴィエ・ブランシャールを呼んで財政赤字を騒ぎ立てることが見当違いだって言わせればおもしろいと思う。レポート求む。"
(訳は適当です。マクロ経済学の知識がない人も分かるようにことばの意味を補っている箇所もあります。)
(追記)
参考文献を紹介しておきます。
Robert J Gordon "Macroeconomics 12th Edition"
https://www.amazon.com/Macroeconomics-12th-Pearson-Economics-Hardcover/dp/0138014914
https://www.amazon.co.jp/dp/B07KWMYP13/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキ、ポール・クルーグマンwithアルヴィン・ハンセン「景気の回復が感じられないのはなぜか-長期停滞論争」
まとめサイト脳というかかなり知識や感覚が遅れてしまっているタイプのネトウヨさん。ネトウヨ内の変化にもついて行けてなく、このノリだとお年を召しておられるかもしれない。
右も左もなくただすごーく逆張りだなぁ、という人
被害者を加害者として叩き続けるタイプの差別脳差別主義者という感じ。加害者を被害者だと叫ぶのも当然のようにセット。
藁人形を叩きながら藁人形が的外れであることが分かると「つまり藁人形されている側が間違っているのだ!!」と言い出す、なんかもう色々と典型的な……。
どうも組体操等の教育現場での虐待は叩くけど、類型する他の事例は組体操をダシにして茶化して被害をなかったことにしようとするタイプらしく……。
「男を規制すればフェミBBAも規制されるんだばんじゃーい」というモロに「男は気に入らない女にBBA呼ばわりを一方的にするが女はしない」という特権を自分だけ失いフェミはノーダメな行為に走っておられた自爆人間。
全方位をひたすら雑に腐し続けるちょっと珍しいタイプ。自分以外に受けているネタは全部嘘松とか言い出す系。マジで右も左もなく自分が中心でない状況は全て憎いだけなのかもしれない。
ネトウヨミソジニーの典型案件かな、と。ただ漠然と差別を続けることが出来るのならなんでもOK的なタイプなので、ナチスも肯定する方。ここはネトウヨでも分かれるところだが
ネトウヨミソジニーというだけでなくLGBT憎悪という、ちょっとはてなでは珍しいパターン(ミソジニーはホモソとLGBTを勘違いして後者を擁護しがちなので)。ただ鏡に向かって吠える所は他と一緒。
自分にしかありえない発想を相手にしかありえない発想だと思い込む、投影脳搭載してらっしゃる……。
朝日新聞に謎の粘着してる時点で色々お察しできるネトウヨミソジニー脳。
ネトウヨミソジニーの使い捨てサブ垢っぽい挙動/なんかもう10年以上前のネトウヨ節なんだよなぁ……。
すんごい晒上げ見たいに星連打するネトウヨさん。味方が可哀想になるレベル。
探索漏れしてたネトウヨさん。タイプとしては鏡に向かって吠える典型という感じだが。
コピペで済ませているだけのネトサポっぽい挙動。ネトウヨ的発言をするのも面倒だがしなきゃお金にならないので、くらいのノリっぽい。
まぁ分かりやすい方のネトウヨではある。ある意味隠し立てが何もできないし鏡に向かって吠える憎悪しか書いてないような……
ネトウヨ様案件。って元がハシストなんか。救いようがないなコレ
量産型のネトサポかなぁ、と。自民に金貰って書いてそうな感じ。
絵に描いたようなまとめサイト脳ネトウヨさん。自民教崇拝するためには国民はみんな死んでもいいというレベルの言動がちらほら。
ネトウヨミソジニー差別脳で鏡に向かってほえ続けると言う典型的なアレ。エコーチェンバーに引きこもってどんどん現実世界から離れて、自分自身を映し出して作った藁人形のリベフェミと戦い続けている人
まとめサイト脳っぽいタイプのネトウヨミソジニー。綺麗にデマだけ信じていく姿がなんかもうある種の「描写したら藁人形扱いされるレベルのネトウヨミソジニー」って感じなのが。
鏡に向かって吼える系のネトウヨミソジニーという量産型。定型文は何とか避けようとしている傾向はあるけど、結局論理構造が破綻していて何が言いたいのか把握するのが困難なのが……。
ネトウヨミソジニーの意見は言いたいらしいが、馬鹿を言った責任は取りたくないっぽい言動。
ネトウヨくさい発言とミソジニーくさい発言がちらほら……。まぁまだ露骨ではない方だけど。さて馬脚は現れるかな?/モロに鏡に向かって吼えてる系発言しだした。案の定と言う/どんどん電波が凄い事に
分かってて非論理的な人を模倣する系かと思いきや、多数決と言う一つに絞る手法にすぎないものをイコール民主主義の定義だと言い出して、ガチかもしれない感/存在しないこちらのブコメを幻視したらしくどうやらガチ
ネトウヨコピペボット感。脊髄反射の定型文でも用意されてなければこうも内容無視したことはかけまいというレベル。
まとめサイト脳式の差別主義者って、多分直らないんだろうなぁ……
ネトウヨミソジニーだが、自称中立は卒業して一応肉屋を支持する豚である自覚はある模様。
あれ、サブ垢じゃない方なのかこれ? ネトウヨミソジニー妄言コピペボットを何個作るんだ?
10年前位で脳の時計が止まってしまってる系のネトウヨさん。他のネトウヨと比べても情報更新されてなさすぎる。
鏡に向かって吠える典型的なネトウヨミソジニーの転生垢っぽい挙動。一度やらかしまくって垢停止した人かもな/electrica666のサブ垢かもしれない挙動をしていた
ネトウヨミソジニーさん。多分自分の事は中立だと思い込んでそう。まぁ結局鏡に向かって吠え続けているタイプではある。
ネトウヨ脳がオタに多い証拠になってしまってる人。これだからオタはと言われてもこの人のブコメ欄見せたら仕方ないと思われてしまうな。
自民党支持者がどれだけ頭が悪いネトウヨミソジニーであるかを示すためのパロディ赤の可能性すら感じさせる言動が……。
量産型ネトウヨミソジニー鏡に向かって吼えるしか出来ないタイプの典型的差別脳として特筆すべきは、このタイプがあまり選ばないアイコンを使っている点か。
まぁ典型的なネトウヨミソジニー差別脳だなぁ、と。どこかの工場で作られてる系量産品。とにかく差別できればなんでも良い的な。
一見まともっぽい事も言うんだけども、ちょいちょい普通より遥かにぶっとんだ差別発言(黒人は死んだ方が幸せなのに殺さないのは人種差別だ系)していて、それを前提に見るとまともっぽい意見もあかん奴だと分かる人
ネトウヨミソジニーで雑、という普通ならサブ垢かと思う案件なんだけども、どうもそういう使い分けをする知恵すらなさそうなのが……。
動き方がミソジニーのサブ垢感満々
ミソジニーでネトウヨだとは思っていたが、技術系の記事も頓珍漢な噛み付き方しているとしか思えない言動がちらほら。差別する人は何やってもこうなのかもだがそもそも日本語が読めなさそう
ネトウヨミソジニー垢のサブっぽい挙動なんだけど、延々差別脳のコピペみたいな事しか言ってない。
鏡に吠える系ミソジニーさん。自分が議論相手にしたことが全部女が男にしたように見える世界に生きてるっぽい。/お、と思ってコメを色々見たが、死ね氏ね殺せ系の電波も兼ねてる模様。低能先生のご同類でしたか。
この人みたいなはてなでまとめニュース脳のネトウヨって割と新しい案件だよね。
えんえんと鏡に向かって吠えるミソジニーさん。アンチフェミの自分自身の鏡を藁人形としてフェミを叩こうとするのだが、それはアンチフェミの特徴でしかないんだよね。
無自覚系ネトウヨで、女性のように思えるがそれはそれとして無自覚系ミソジニーという感じ。まぁ要するに無自覚に差別主義ばらまいているという。
この人も忘れてた。ある意味典型的過ぎて戯画化できるレベルのネトウヨさん
忘れてた。ネトウヨのパロディなのかというレベルのトンデモ内容なんだけども、この年月それをやるのはただ事ではない。
自称中立する人は大体ネトウヨでミソジニーという典型的な……。/envygreedlustと同じタイミングで同じ反応してきたんだけど、これサブ垢か?
ネトウヨ件ミソジニーという典型のアレ。差別させてくれないなんて差別だ―という、典型的な殺人鬼が刑務所の中で駄々こねるようなこと言ってる。
アレ系の人の量産サブ垢?
ネトウヨミソジニーの言葉を反復するだけのbot垢っぽい挙動。
はてぶのミソジニーは女性差別がないふりをするので露骨な差別である性器呼びするミソジニーは珍しい。「だんせいさべつもぉ」と言うアレな人々に「まずこいつレベルの男性差別を屏風から出せ」と示せるいいツール
Midas氏と同じ類の独特の狂気を持っておられるのではないかと思う。この二人以外でこの手のタイプは今のところ見かけていない。特異な感性なのでこれはこれで維持して欲しい気持ちがある。
「女に人権があるせいで男の性奴隷として分配されてくれないのは、女による男に対する差別だぁぁぁ」という典型的なミソジニーさん。
絵に描いたミソジニーさんオタナチ案件さんだけど、言ってることが一個一個ダブスタ全開でなかなかに香ばしい一品。
絵に描いたようなネトウヨ。非表示ってのがまたもうねぇ?/ミソジニーもかねてましたとさ。統計が理解できない自己を相手に投影して、吼えてる辺りがもうねぇ?
ネトウヨというよりは金貰って書いてるネトサポっぽい。多分これに星つけてる垢は同一人物の垢かな、と。
「二重否定の除去は一般的な公理で使われているもので、非一般的な公理でも矛盾を導くわけではない」と説明しても「だって二重否定の除去は矛盾だ」しか言わなかった方。多分矛盾の意味を根本的に理解できてない。
ネトウヨにしても罵倒の仕方が雑すぎる……というか罵倒しかしてないせいで何も言えていない感/割と真剣にご病気案件な気がするこの人
絵に描いたような鏡に吠える系ネトウヨ様。愛国と言う病を患うとこうなる、という反面教師的な模範感
ネトウヨミソジニーオタクの役満さん。言ってる内容が10年前に一蹴された差別主義者さんのコピペというタイプ。
ネトウヨミソジニー文系憎悪オタクの役満感。当然のように鏡に向かって吼える吼える。
名前からしておそらくネトウヨパロディかと。idコールまでするあたり凝ってる
言動が脊髄反射すぎてネトウヨコピペbot系と区別がつかない。
ネトウヨミソジニー併発の差別脳さんの典型。鏡に向かって吠えるタイプ/とうとうこちらの星に嫉妬するようなブコメを書き始めていて、ネット休んだ方がよろしいのではないか感。
ネトウヨ兼ミソジニーと言う典型の差別脳さんだけど、自分はネトウヨじゃないと思い込んでいるというオプションもついていて所謂役満様。
ミソジニー拗らせてるけど、恋愛工学とか嵌ってそうなはてなではちょっと珍しいタイプ
もうちょっと面白みがあればいいのだけれど、量産型のネトウヨさんだなぁ、と。
パラレルワールドに住んでるネトウヨさん。サヨクのニッキョーソに支配された別世界から来たらしい
ネトウヨミソジニーとしては量産型かな、と。どっかの工場で作られてる系
アレ系の人の中では目立ちすぎて逆に誰ももうコメント残さない感
ネトウヨミソジニー併発様は色々いるが、旧仮名遣いと言う一番香ばしいというか黒歴史を全力で生産してるアイタタタなお方。
ミソジニーとネトウヨ併発している典型的なアレ。エコーチェンバーに何年も引きこもっていた模様。
「男性様が女性を殴るのは当然の権利なのに逃げられるなんてみさんどりぃぃぃぃぃぃぃだんせいさべつぅぅぅぅぅ」という典型的なオタナチ様
典型的な差別棒振り回して逃げられたら「僕ちゃんが殴るのを禁止して逃げ出すなんてポリコレ棒で殴られたぁぁぁぁ」と言い出す系差別主義者さん
「女は人間ではなくものなんだから金を再配分するなら女も性奴隷としてしろぉぉぉ」という典型的なアレをこじらせたミソジニーさん。
「女をレイプしちゃいけないなんて言う奴は韓国人!!! おのれ世界中が韓国人だあぁぁ」的な感じの世界観に住んでる、典型的なネトウヨかつミソジニーで鏡に向かって吠える案件なんだけど、ちょっとそろそろ芸が古い。
自民擁護マンだけど自分の意見と違う意見は死ね的な雑さは、ネトウヨというよりは低能先生のそれに近いのかもしれない
ネトウヨミソジニーレイシストでオタと言う役満案件さん。これは流石に差別脳と言わざるを得ない。
ミソジニー兼ネトウヨの人のサブ垢っぽい挙動。妄想の敵と延々戦うために、日本人男同士のエコーチェンバーに引きこもって過激化して、人格壊れていくタイプ。生暖かく人格崩壊を見守るしかないか。
ネトウヨ兼ミソジニーさんの典型っぽく。自他・加害被害が反転して、加害させてくれないのは被害者が悪いと罵らせて加害しようとするが、それは被害者が望んだことなんだと叫ぶ系譜
「女が性奴隷として分配されないなんて女による男性差別ぅぅぅ」という典型例のミソジニーさん。
殺人できないなんて差別だディストピアだ、式のオタナチさんかな。鏡に向かって吠えるのも併発してる。
自称中立で鏡に吼える系ネトウヨさん。他のレイシストの例に漏れず、やっぱ自他が反転してるっぽいんだよなぁ……。
全射って言えば全ての要素への写像があるなって理解できるじゃん?
上ってなんなのかわからない。
数学が苦手というか、数学がこういう意味不明な事をするから苦手になってしまった。
他には
位相空間(X,O)の異なる2点を p,q とする。 p を含む開集合を U、 q を含む開集合を V として、互いに交わらない U, V が存在するとき
難しそうに書いてるけれどよく見るとなんだか普通なことが書いてあるやつ。
俺の頭が悪いからこんな些細なことにこだわってできなくなるのは分かっているんだが
こういうことでなんでこうじゃないの?って思うせいで数学が嫌になっていった。
だいたい大学で数学を勉強すると「何この定義」とか言い始めるからさ。だいじょーぶ。だいじょーぶ。
増田は自分を卑下する必要はないよ。きっと人類は数学が苦手なのだ。
なので肩の力をぬいてちょっと聞いてほしい
数学用語のネーミングがピンとこないときは英語訳をみると意味がわかることがあります。これ豆知識ね。
上への写像は onto-mapping、関数は function だね。
「この条件はなんで必要なの?」とか「なんだか回りくどい言い回しだな」とか
こんなときはいくら定義を眺めてもなにも起こらないので、とりあえず疑問は胸にしまって前に進んだ方が良い。
ところで増田は「穴あきおたま」を知っていますか?料理に使うやつね。
あれね、私はなんで穴空いているのか最初わからなかったのよ。でね、おでん作って卵をすくったときにね。
「あーーこの穴があると具だけ救えるのかー なるほどー」と穴の理由が初めて理解できたのよ。
そんなかんじでね、初見では理解できなくても使ってみると理解できるものというのは世の中いっぱいあるのよ。数学もおんなじね。
もちろんね、俺が新しい公理系を考えるぞとか、もっとよい定義を考えるぞ!とかやってもいいわけだけれど
それは勉強というより研究に片足突っ込んでいると思うし、自分は数学ができないと思っている人がやるようなことではないと思うのね。