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はてなキーワード: 法制史とは

2023-10-06

anond:20231006071357

倫理とか法学とか法制史とかちゃんとやると

カジュアル思想を愉しんでる奴

こいつらが如何にデタラメ思想議論を舐めてるのか分かるよ。舐めすぎ。そんなクソ雑な思考実験思想語られても困る

前者が1番有害

そのくせに

論破されかかると解釈を捻じ曲げ、なりふり構わず支離滅裂になりながら相手を叩こうとする痛々しい姿が強く印象に残ってるだけかもしれんが・・・

とか言って自分の雑な意見が通らない他人適当に見下しまくるんだから

後者は知らん

2019-12-07

法学の楽しさを書くよ!!

楽しさの一つは、論理をこねくり回してるところだよ!

体系立った理論論理トレースしていくのは楽しいよ!

理路が整然とするのは面白いよね!

かつての法学者といったら、当代切っての天才秀才達だよ!

そんな人達が生涯かけて考えた理論だよ!

それを学ぶのがつまらないわけないよ!

しかしたら、それを自分が少しだけ進められるかもしれない、となったら尚更だよ!

続いて、各分野の面白さのイメージを書くよ!

まずは憲法学

70年以上改正のない「不磨の大典」だよ!

それにもかかわらず、いまだに次から次へと新たな議論が生まれるよ!

近年(?)でも、「これまでアメリカ流に解釈されてきた最高裁判例は、実はドイツ流に解釈した方が上手く説明できるのではないか」というコペルニクス的転回めいた説が有力に唱えられていたりするよ!

アメリカ流とドイツ流をミックスさせる説もあったりして、学説カオス面白いよ!

条文にあまり内容がないから、解釈自由度が極めて高いも魅力だよ!

憲法というと一般人には縁遠い存在にも思えるけど、例えば今年の司法試験憲法問題では「フェイクニュース禁止法が制定された場合憲法上の問題点」が問われたりしているよ!

次に民法学

120年ぶりの大改正来年から施行されるというアツい法令だよ!

その条文数は1000以上!

解説本が30巻近くかけて解説したりするよ!

1条1条にそれぞれ生涯をかけて研究をした学者がいると考えると途方もないよ!(注1)

日常的に行われている経済活動が法的に説明できたりするよ!

次は刑法学!

刑法学の面白さは、なんといっても緻密な論理だよ!

いくつかの基礎的な考えからあらゆる論点での解釈を導く様は、さながら数学公理系を思わせるよ!

数学ほどの論理の厳密さはないけど、そこにまた面白さがあるよ!

ピタゴラスイッチ的な犯罪を想定したりもするよ!

ちなみに、トロッコ問題の様々なバリエーションは、正当防衛緊急避難で全て結論が出せるよ!

法哲学

マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」の世界だよ!(注2)

正義とは何か」「法とは何か」といったことを論じるよ!

法学部法科大学院を出ただけで、きちんと研究をしたわけじゃないし、資格試験のために勉強してた側面も強いけど、個人的イメージとしてはこんな感じだよ!

あとは、訴訟法もあるし、法制史学とか、比較法学、法と経済学とかも色々あるよ!

(注1)

実際は、深く研究される条文は偏ってるよ!

一方で、「こんな法律あったんだ?」ってレベルのどマイナー法律にも研究者がいたりして、法学世界の広大さを感じることがあるよ!

(注2)

同書が扱う分野は法哲学以外にも及んでいるよ!

anond:20191201042646

2018-10-09

法学論文査読がないという話で覚えておいてほしいこと

以下、司法試験受けるどころかまともに法学単位とれなかった法学徒崩れの一見解です。

査読のある分野とない分野がある

まず、法学にもざっくり2つの分野が存在する。現実社会運用されている実定法研究する「実定法学」と、それ以外の法にまつわる研究をする「基礎法学」だ。

このうち、基礎法学には、少なくとも今「○○ 査読」でググった程度の範囲では、論文誌に査読がある。少なくとも法哲学法制史比較法学法社会学あたりで査読論文誌があるのは確実だ。勿論ないものもあるだろうし、そういうものに関しちゃガンガン批判していくのはありだろう。ただ、少なくとも「全ての法学分野で論文査読がない」というのは明らかに間違い。

実定法学にはおそらく査読がない

こちらはおそらく事実。というか、査読というシステム意味があまりないということは考えられる。これは、実定法学というものイメージがついていないと多分理解しにくい。

あくまで俺認識だが、実定法学においては

  1. 「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」
  2. 「それを基にした個別の条文解釈
  3. 「それらが現実個別事例と出くわした際に発生する『どうあがいても解釈のわかれる問題』」

の三段階くらいレイヤー存在する。ひとつ目は誰だろうと覚えてる当たり前の知識だけど、二つ目になると正解がないので絶対に個々人で異なってくるよね、3つめに至っては言うまでもない、みたいな話はおそらくある。

具体例を挙げよう。刑法には「刑罰は何のために存在するのか」という考えにざっくり2つの異なる立場存在する。「ある個人が、悪とされる『行為』を行ったのでそれを罰しよう」という行為価値論と、「社会的に悪い『結果』をもたらしたからそれを罰しよう」という結果無価値論だ。これは刑法における根本的な思想である。それらはどちらが絶対的に正しいとかではなく「どの分野でどの程度どちらの立場を優先するか」というレイヤーで争いがある。

具体的には、「心が壊れた人間による殺人」と「自分赤ちゃんを殺そうとした人間を殺した母親」などだ。前者は刑法39条規定により無罪となるとしよう。なぜなら、心神喪失状態での行為は「自分の行った行為に対する責任」を問うための刑罰を化しても無意味からだ。その人は自分がおこなったことの意味理解していないから、刑罰を科すことに意味がない。ふざけるな、という意見は多数あるだろう。心情的にそれは俺も理解できる。しかし、それでもなお刑罰を科すとするならば、それは「誰かが人を殺したという『結果』が悪いことである。だから、本人が自分行為理解していなくても、社会としてその結果をもたらした人間を罰しなければならない」という立場をとる、ということにならざるをえない。

では、「自分赤ん坊を殺されようとしている母親が、殺そうとしていた人間を殺した」といった場合、その人間に対してどういう立場をとるべきなのか?「人を殺したという結果は社会にとって変わらないのだから赤ん坊が殺された母親であっても刑罰を科すべき」という立場になり得るのか?

この話は、実のところ論理的には適切な例ではない。結果無価値論と行為価値論は違法性阻却の議論で出てくるものであり、前者は心神喪失による有責性の阻却の話で、後者緊急避難追記ブコメで「正当防衛ではないか」とありましたがそのとおりです。ありがとうございます……)による違法性阻却の話でしか出てこないからだ。もっと言えば刑法民法憲法では基礎になる論理が全く異なる。ここで俺が言いたいのは、実定法における「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」は、法解釈において多くの矛盾を生み出す、ということだ。そこには「正解がない」。どの場面でどのような立場をとるか、それは1か0かで決められる問題ではなく、「ある場面ではAの立場肯定し、別の場面ではBの立場肯定する」、そういった解釈違いが、刑法民法刑法何百何千もの事例において発生する。それらに対して、「ある事例でAの立場をとり、別の事例ではBの立場をとる」という判断の組み合わせに、論理的整合性をどのようにつけるか。それを生み出すのが、ざっくりと法学における「学説」と呼ばれるものになる。繰り返すがこれは刑法の例であり、民法憲法では細かな部分は異なるだろう。だが、どの分野でも「学界の多数説」「学界の少数説」「実務における判例」の3つが異なる立場にある、というものが1つや2つくらいあるのは当たり前だ。それが実定法学の実情だ、と思っていいはずだ。

そんな現実において、あくまで俺の認識に限って言えば、その「矛盾しない解釈論理体系を構築する」というのは研究をやる上では当たり前のことだ。論文出す以前に、研究ができるかどうかという前提の話。何の話をしているかというと、その能力を持っているかどうかを確認するのが「司法試験」であり、司法試験程度(そう、司法試験「程度」)を合格する能力がないと、法学研究なんてできない、というのが現実なのだ。全体的な解釈整合性をとれているのは当然である司法試験合格すらできない人間研究者になれない。「最低限の研究能力」という点で、院なりなんなりに進んでいる時点で最低限の自然淘汰が発生しているのは実定法学研究では当たり前の前提である。したがって「最低限の論理的整合性が取れてるかどうか」という意味での査読そもそもない……というのが、院生の友人知人を持たない俺の、推測レベルでの解釈だ。そもそも論文を出せる環境にいる時点で、能力保証されているからだ。

そして、そこからさらに「構築した論理体系による学説が『受け入れるに値するものか』」って話にまで踏み込むと、そのための「査読」ってなによという話がある。たとえば、心神喪失状態で何十人と殺した人間無罪にすべきという、法学論理的整合性がとれている説を唱える人がでてきた場合、それを査読する意味とは何か。論理的には正しい解釈体系が、何十人もの法学者によって何十個と出来上がっているなかで、誰の立場をとるか。ここまでくると、正直なところ、査読がどうこうという話ではないのだ。はっきり言えば、「その学説社会が受け入れるかどうか」って話なのだ

この辺りを、法学勉強したことがないひと、いや法学勉強したひとですら勘違いしていることがあるけど、法と社会/法と政治というのは、ものすごく漸近している。法学学説が受け入れ良レルかどうか、というのには少なから社会価値観/社会通念が影響しているし、法は決して固定的なものではなく、社会のなかで変動している。法は社会に内在しているし、社会に対して法は影響力を持つ。

そうした実定法学の特徴が生み出すのは、ある一定レベルを越えると「学説が正しいかどうか」が「その学説が多くの人に受け入れられるかどうか」という問題に近づいていく、ということだ。法学部にいればよくあることだったが、どんなすごい教授でも、講義のうち何か1つくらいは、その人独自の(少数派)学説をとっていることはざらにある。だから、そういった場合に「査読があるかどうか」は問題にはならず、「発表した学説が受け入れられるか/無視されるか」という話が、業績や信用性、実力の評価として組み込まれるんじゃねえかな、とは思う。

まあ、それが客観的指標とは言いがたいのが問題だ、というのは絶対ある。だが、その場合はどのようなかたちであれば「客観的指標」による評価法学が下せるのか、というのも問題になるだろう。

このように、「研究ができる/研究論文を出せる」という環境にいるというスクリーニングの上に、「それが社会的に受け入れられるか」が重要視されるという事後的なスクリーニング、その二つがあるからこそ、実定法学に査読文化がない、というのはおおよそ雑な話としては、言えるのではないかと思っている。

で、これを読んで異論があるガチ法学研究者の人、補足というか訂正頼む。ぶっちゃけ法学でまともに単位とってない俺みたいなアホが補足いれないといけない状況にうんざりしてるんだ。真面目に誰か解説してくれ。

2018-06-04

anond:20180604151426

漠然」というのは範囲ぼんやりとしていること。

「分量が多い」というのは範囲ははっきりしているが広いこと。

それはあなた感想ですよね。

実際には、範囲が広すぎて、指定が不十分なことも十分「漠然としてる」。

世に数多ある「未成年権利についての法制史資料」のどれを指してるのか。

全部読めると思っているのか。



特定の本の特定のページに分かりやす説明が一行くらいで書かれてると思ってるのかな…?

書かれてないのなら、それをわかりやすデコードして伝えるのが

議論の前提条件なのだが...

ディベートの時、資料も用意せずに勝てると思ってるやつか...

anond:20180604145606

単に分野が巨大すぎて調べるのも説明するのも難しいってだけでさ。

こういったもののうち、限定的もの提示するために

法制史」などという「全体」を提示する。

これを「漠然としてる」と言わずしてなんというのか。

結局、自分説明できないことを「法制史」という分かりやすく巨大な「権威」に頼ってるだけ。

言い訳はいいから、論を持って来いよ。

anond:20180604145246

法制史」って示されてるんだからぜんぜん漠然としてなくね?

単に分野が巨大すぎて調べるのも説明するのも難しいってだけでさ。

anond:20180604141807

ではなぜ「禁止国内LGBTテロリストとして扱われること」にこだわるのか理解できない。

ロリコン法律違反からダメ」みたいな幼稚な言説を退けるため。

「内心でそう思うだけなら違反ではなく、現実モデルとしない二次元であれば違反ではない」ということになっている。

そこが「法律違反しない範囲」だ。

二次元性愛者」と「ロリコン」は両立することはあるが、

必ず両立してるわけじゃないので、何の救いにもなってない。


LGBTとの違いは、同性愛者は大人同士で互いの合意有効であるのに対し、

ロリコン必然的相手が「未成年」となり、意思決定能力に欠けるために「合意」が得られないからだ。

さんざん書いたので略すが、「それは証明されてないし、証明不可なことだ」


そのような社会的合意があるという説明をしているだけだ。

「なんで未成年はそういう扱いなの?」などとさらに遡っていけば

人類法制史を語ることになり、俺にはその全てを説明する時間能力もない。

このくらいで勘弁してほしい。

これが説明で着ないのに、「ロリコンは悪」とはとても言えないんじゃないかね?

あと、「社会的合意」はLGBT差別前科が示す通り、万能、常に正しいわけではない。


反対があれば社会に訴え、賛同を集め、国会俎上に上げて、法律を変更することができる。

民主主義国家であれば、あらゆる成人にそれを成す権利が与えられている。

増田で書いてることに対して、「国会に云々」言ってるやつはココがどこか理解できてるのか?

あと、「私が国会云々しない」ことは、「私の論が間違ってる」ことを意味しない。

議論の中に書くにはあまりにも無意味文章






あなた、上から超えらそーに書いてるけど、

「そう決まってる」「決まってるから変えにいけ」だけで、

まさに典型的議論ができない」人。

おまけに「これは説明で、意見ではない」とかツッコミ対策するチキンっぷり。

よくもまぁ、偉そうに「議論ができない」とか書けたもんだよ。

anond:20180604131335

区別してるよ。

寧ろ、どこから区別してないと読んだの?

ではなぜ「禁止国内LGBTテロリストとして扱われること」にこだわるのか理解できない。

「こういう状況においてこういう立場であればこういう意見になる」という何の意見の表明でもないただの説明に、

「あらゆる状況でそうだって言うんだな?」とか「おまえもそれが正しいと思うんだな?」みたいな反論を延々としている。

ようにしか見えない。こちからは。

ロリコンには、「法律違反しない範囲」が現実には存在していないという点で、LGBTのそれよりも悪質だと気付く。

とりあえず現状の日本においては、

「内心でそう思うだけなら違反ではなく、現実モデルとしない二次元であれば違反ではない」ということになっている。

そこが「法律違反しない範囲」だ。

これは何の意見の表明でもないただの説明だ。

俺が「そういうロリコンであれば許す」と主張しているわけではない。

そのような社会的合意があるという説明をしているだけだ。

LGBTとの違いは、同性愛者は成人同士で互いの合意有効であるのに対し、

ロリコン必然的相手が「未成年」となり、意思決定能力に欠けるために「合意」が得られないからだ。

これは何の意見の表明でもないただの説明だ。

俺が「未成年には意思決定能力がない」と主張しているわけではない。

そのような社会的合意があるという説明をしているだけだ。

「なんで未成年はそういう扱いなの?」などとさらに遡っていけば

人類法制史を語ることになり、俺にはその全てを説明する時間能力もない。

このくらいで勘弁してほしい。

とにかく、社会はそういう仕組みで動いていて、多くの人がそれを許容しているし、

反対があれば社会に訴え、賛同を集め、国会俎上に上げて、法律を変更することができる。

民主主義国家であれば、あらゆる成人にそれを成す権利が与えられている。

から増田が「ロリコン」について訴えるのは良いことだし、

ロリコン擁護実名ではしづらいというのも確かにそういう問題はあるのだが、

匿名でもいいからやってほしいし、やるべきだ。

でも「どうせおまえもロリコン非難するんだろ?」「どうせ理由もなくロリコン迫害するんだろ?」

みたいな小学生が拗ねたような書き込みはやめてくれ。

ちゃん論理立ててロリコン擁護してくれ。

 
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