はてなキーワード: 全面的とは
いや『近づかないでモラル』の時点で納得できてない。
みんなはさ。
ソロ男性はゴキエナと思われてるのを前提にするとソロ女性に話しかけちゃダメって話。
だとすると例えば、新学級で隣に座った女の子に話しかけるのもハラスメントになってしまう。
学生時代に恋愛しとけ、忙しい社会人になってから恋人を作るのは無理ゲーだから、とよく言われてる。
学生は学びが本分とか言うけど結局結婚できた奴らは勉強の合間に恋愛のレベル上げしてたよな。
大人になって振り返ってみると、恋という課外授業は隠しアイテムだった。
ただしその隠しアイテムは取らないと後で詰む奴。
偉い大人は、子どもは性的決定能力がないからセックスに責任は持てない、と言う。
でも恋を「しなかった」責任は子ども本人がおっかぶって、やがて人生のトゥルーエンドを諦めて、目を逸らして、自分に嘘をつかないと、やってけなくなる矛盾。
ほとんどがマトモな恋愛経験者の政治家先生は多分、そんなの気にしてない。自分は人生成功者だからね。
なあ、みんな。
初対面の男が女の子に話しかけるのを全面的にアウトにして本当に良いのかい?
この少子化社会で、貴重な恋愛の機会がますます失われていくぞ?
そんな状況下で、もし女の子から話しかけたらコミュ症隠キャ弱者男性にとっては「受け入れられたサイン」になる。「俺はゴキエナじゃなかった」証明に。そうなったら男は二度と反省なんてしないぞ。
吉岡里帆が過去の水着グラビア仕事についてどう思っているか、の解説みたいな記事 https://note.com/774notes/n/n70ee8ae3a6bf
を読んで思ったこと
自分は40代で新卒入社でコンサルティング会社に入った。20年前くらいね。
20年前くらいは「良いコンサルタントになるには、長時間労働+高プレッシャー・パワハラすれすれの指導に耐えるプロセスに耐えて当然」みたいな雰囲気があった。おかげで自分もブラック労働を経験した。朝8時に出社して夜11時まで仕事して休日出勤、みたいなスケジュールがざらにあったし、上司やクライアントから激詰めされることも多かった。その会社は親の介護とかあって8年くらいで辞めた。
今はぜんぜん違う職種になったけど、コンサルタント時代の経験はすごく糧になってる。知識やスキルもそうだし、自分の体力も限界も知れたし、高ストレスの会議にたくさん出たおかげでトラブル対応に全然ビビらなくなった。今そこそこ出世できているのは当時の経験があるからなのは間違いない。
とはいえ、「当時の経験はいい経験でした!」って全面的に肯定できるか、っていうとそれも難しい。先輩や後輩の中には心を病んでしまった人も多いし、同業界の他社ではプレッシャーに耐えきれず自殺した人もいると聞く。自分は心身ともに健康だから糧にできているけど、病気になっていたらそんなこと思えているかは自信ない。在籍時に「長時間労働でスピード出世コース」と「普通の労働でゆっくり出世コース」があったとしたら、ゆっくり出世コースを選んでいたのではないかとも思う。週に90時間くらい労働してた時は、本当に仕事が嫌だったしね。今となっては思い出の一つだけど。
ただ、ブラック労働的な環境がすごく好きな人もいた。口では「2日連続徹夜でしんどかったっす~」と言いながらも笑顔で働き続ける人。そういう人に聞いたら肯定的な答えが返ってくるだろうとも思う。
吉岡里帆の記事を読むと、彼女が今現在グラビアの仕事を肯定的に捉えていることは分かったし、それはそのとおりなんだと思う。ただ、もしグラビアやっても女優として全く成功していなかったら肯定できたのか、とか、グラビアやらなくても女優になれる道があってもグラビアやったのか、とか、自分でやることを決めたというより「女優として成功するには当然グラビアをやらないと」みたいな雰囲気に流されてしまったのではないか、とか、そういう疑問は色々湧く。「お前のブラック労働に対する気持ちを吉岡里帆に投影しているだけじゃないか」と言われたらそうなんだが、でもそういう風には思ってしまう。
吉岡里帆のインタビューを「グラビアをやっていた人は実はグラビアが嫌いなんだ」という主張の根拠として使うのは不適当だと思う。ただ、吉岡里帆のインタビューを根拠に「グラビアをやる人はグラビアをやることに感謝しているしグラビアを肯定しているんだ」みたいな主張をするのも、同様に不適当だと思う。少なくとも「この仕事はやりたくない」という思いは尊重されるべきだと思うし、「グラビアを好きな人がいる」ということは「グラビアやってる人が皆グラビアを好き」なことを意味しないし、「嫌なら辞めろ」がちゃんと通用するのかどうかはちゃんと確認しないとダメだと思う。
サルコジ大統領は2009年以降、「フランスではブルカを受けいれない」と主張。2010年に政府法案を提出。禁止法案は、学校、一般道路など公共の場でのブルカ着用を全面的に禁止している。
ベルギーではブルカとニカブ(アラビア語版、英語版)を禁止し、着用する者は罰金または最長7日間の禁錮刑が科される[3]。2011年9月にはオランダで同様の禁止法案が閣議決定されており[4]、2018年8月にはデンマークでも同様に施行。またスペインなども同様に検討している。
ブルガリアでは、愛国戦線が議会で治安対策として、公共の場所でのブルカ着用を禁止する法案を提出し、2016年9月30日に可決した。違反者には、200から1500レバの罰金が科される。
自らの意思で着用しているムスリムの女性たちは「では、ミニスカートにタンクトップにしたら、女性が解放されるとでもいうのか」と反論している[12]。
では、ジェンダーレス水着を従来の水着やビキニにしたら女性が解放されるとでもいうのか。
では、女子中学生プロレスラーが夢を奪われれば女性が解放されるとでもいうのか。
では、未成年の水着グラビア写真を使えば女性が解放されるとでもいうのか。
おじさんがたくさん集まって女子小中学生の股間の写真を撮りまくるイベントが普通なわけない
これは我々の常識
女の子側もそれをすることにより、
・親が喜ぶ
・お金が稼げる
・今後売れるなどキャリアにつながる
・ちやほやされて嬉しい
しかし、あなたはパリコレモデルのように、かっこいい洋服を着て颯爽とランウェイを歩いても同じ効果が得られますよ、となれば、わざわざ水着で股間撮らせる仕事選ぶ女の子は激減すると思う
ネットでも、「確かに写真撮ってるおっさんどもはキモいな」はほぼ全ての人が同意しているように感じる
じゃあ、我々の今の文化、今の価値観からすると水着撮影会は「変なこと」なんだよな
だけど、法治国家として契約を理不尽に破棄することの危険性だったり、
いくらキモかろうが法的に逸脱していないことを制限する危険性だったり、
現状それで食っている人間が大勢いる中で仕事を奪う行為の危険性だったり、
要請を守って開いていたイベントをいきなり潰される危機感だったり、
そういう「決まり事にまつわる話としておかしなこと」が発生すると、対象の内容に関係なく「決まり事関係」のほうに重きを置く人も多い
「おかしなこと」と「決まりごと不履行に関する問題」は本来対立も競合もしていない
まったく別の話だと思うんだよ
でもなぜか、そこの対立の話みたいな話の流れにして、「決まり事」が上位であるべきだから「おかしなこと」を全面的に許すべきみたいな空気を作ろうとする人がいる
逆に、「おかしなこと」だから、「決まり事」なんか守る必要ない、みたいな思考を表明する人も出てくる
いやあ、どっちも正しくないんじゃない?
なんか別個に話すほうがいいんじゃないかな、と思ったりもする
ハックルさんみたいな事言うけど、俺が思う『本質』はそこにあるんだよね。
悪徳に纏わる文化から派生したコンテンツを好むことは、果たしてその悪徳を肯定することに繋がるのかっていう。
たとえばコミックLOを自分から進んで読むという行為は「未成熟な肉体に対して欲情を持ってしまう性癖が存在する」というのを間違いなく肯定している。
そういった肯定は世界の水面下においてゆったりと広がり、まだ正常だった人間にさえ「もしかして子供の身体にエッチな気持ちを持っても良いのでは?」という意識を起こさせる。
これが果たして性犯罪の増加に寄与しているのか、むしろ捌け口となっているのか、暴走を防ぐワクチンとして機能しているのか、それについて安易な結論は出せない。
ただ間違いなく言えるのは、「人はロリエロに興奮してしまうことがある」という概念を世の中に広めているということだ。
そういったコンテンツは「法的に禁止された性行為に対して興奮してしまう人の存在」そのものは間違いなく肯定、認知している。
そこから実際に犯罪行為を行うか、漫画の中で済ませるかは別として、そういった行為、少なくともそういった行為が描かれたものに対して価値を感じる人がいなければ成り立たないものを安定的に供給しているわけだ。
アルコール・タバコ・ドラッグがもしも初めからこの世界に一切存在しなければ、誰もそれを求めることはしないだろう。
それらが存在することに気づいた時、それを求め、もっと強いものや、安価に手に入る代替品を探そうとしだすわけだ。
「ロリエロという性癖に気づかせてしまう」ということが、そういった探索の旅へと眠っていた犯罪者予備軍を駆り立てている可能性があるわけだ。
つまり、「戦争というものの中に人が憧れを抱くような要素がある」という事に気づかせるようなコンテンツが存在することが、そういった欲望を後押ししているのではないかという話だ。
賛美からは少しずれるのかも知れない。
テレビが流す戦争は悲惨であるというある種のハト派プロパガンダの中で戦争の中に秘められた格好良さや美しさが描かれることはない。
実験映像のような殺風景なカメラワークで撮られたキノコ雲や、そこから逃げ惑うタレント的な格好良さなんて持っておらずむしろ極限状態に顔をゆがめる醜い人間たちの姿が映し出されるばかりだ。
そうした映像の中でヒーローとして語られるのは兵士ではなく「悪辣な兵士同士のコロシアイから人々を守る普通の人達」である。
兵士は暴力を振るうことで金を得ようとする下劣で合法な現代の山賊でしかないかのようにメディアは語る。
それを見て軍人に憧れる人がいるだろうか?
美男美女、顔はともかく心は魅力的な数々のキャラクター達が、戦争という極限状態を通すことで自分の人生をより濃く美しくある意味で現代社会での歯車ぐらしよりもずっとずっと人間らしく自分らしく生きるさまが描かれてしまう。
その中ではロマンをくすぐるように脚色された兵器達が、少しでも魅力的に映るようにと工夫をこらして描き出されるではないか。
これを見た子供は「兵隊さんって格好いい!パイロットになりたい!」と思うのも無理もないことだ。
実際、ロボットアニメを見た子どもたちは自分もロボットに乗りたいと口にするし、ウルトラマンになって怪獣を倒すのではなく、最新兵器のプロトタイプに乗って敵陣営へのパイロットを撃ち落としたいと語りだすのである。
果たしてこれが「戦争を賛美していない?」と言い切れるのだろうか?
戦争の悲惨を描いている所はあるとはいえ、「戦争は賛美していないが、戦争の中にある輝かしい部分を箇条に脚色して見せつけようとしている」ぐらいのことは認めるべきなのではないか?
戦闘機がマッハで雲を割る姿に子供を憧れさせたことを「戦争を通して生まれたモノを過剰に持ち上げた。戦争は絶対的悪であり全面的に悪しきものであるはずなのだから、これはもう戦争賛美だ!」と叫ぶのは流石にやりすぎに思う。
だが「戦争によって失われる命を描いている。トレーズが戦いを賛美しているとは私には全く思えない」というのは作品をちゃんと見ろと言いたくなってしまうだろう。
少子化の原因はいくつもあげられるのだが、最大のものは子供の教育コスト問題だろう。
ヨーロッパやアメリカは日本よりも幾分、マシにみえるが、マジョリティである白人人口は低下の一途を辿っている。
義務教育の9年間に加え、高校や大学まで行かないと劣等感と付き合いながら生きていかなければならない、と考える人間が増えすぎてしまった。
しかし、戦前や戦後すぐくらいまでの時期の日本は多産であった。
それは何故か。就職に学歴を要求する職業はそれほど多くなく、かつ子供は労働力だったからである。
筆者の少年期ですら、地方では農繁期には学童も農業の手伝いのために学校を休むのが常識的にまかり通っていたが、近年は家庭内の介護ですら
「ヤングケアラー」などという新語までつくって、とにかく少年少女を労働から隔離しようとする動きが見られる。
だが、二宮金次郎は薪を背負いながら勉強したし、100年前の映像や写真には10歳にも満たない子供が幼い弟妹を背負って家事を助けている姿がいくつも残されている。
子供を労働力に数えることができるのならば、人は積極的に子供を産む。
とはいえ、新興国ならまだしも、先進国で児童労働なんて…と考えるのが現代社会に生きる我々の大方の考え方だろう。
これくらい支給すれば、まさに「生きるために」子供を持とうとする人が増えてくるだろう。
あるいは擬似的な職業としての「妊婦」が成立するかもしれない。
平均的な日本人が一生に支払う税金はこれ以上の金額であるし、逆に子供が生まれてこなければ、当然、税収はどんどん減っていく。
高校以上まで子供を通わそうとすれば自前でさらに金額を支出することになるのだし、家庭と国家、家庭と社会の貸し借りで言っても概ね回収できる。
財源は、という話は当然でてくるわけだが、増税はもってのほかである。
国債は政府の借金であり、その借金を返すには「未来の国民」から税金でもって巻き上げるしかない。
だが、巻き上げる国民が減少すれば、返すこともままならなくなるだろう。
むしろ、これ以外の政策の実行に国債を使用するほうがおかしい。
とはいえ、それだけの支出を現行の国家財政の枠組みの中で行うのは非常に難易度が高い。
今の年間の出生数は80万人程度で、彼ら新生児に一律1000万円支給しただけで年間8兆円飛んでいく。
最終的に今の人口の置換水準である150万人程度の出生を目標とするのであれば、15兆円である。
あるいは、出生届が出された段階で一人につき1000万分の貨幣を余分に発行しても良い。
筆者はMMTに全面的に賛成するものではないが、狙いやゴールがはっきりした政策に限定するのであるならば
ハイパーインフレには繋がらないと思われる。
異次元というのならば、これくらいの大胆な施策を実行しなければならない。
生まれてくる子供の質がとか、子供を望めない家庭の心情は、とか言ってる場合ではない。
個々の不満は実現したあとに考えていけばいい。
とにかく希望的観測が強すぎて、あらゆる事が自分の思った通りになると思っている。
それゆえ、その通りにならないことは全て不満だと考えているし、その責任は全て他責だと考えている。
合理的な考え方は存在しないので、例えばそれに反論したり、より良い案を提案しても「なぜ私の考えがわからないんだ」といった逆ギレをぶちかましてくる。
そんなのがもう十何年も続いてるのだけど、世間体もあるのと、親には苦労をかけたので、他界するまでは円満な夫婦を演じていたい。
なので一応は我慢し続けてるんだけど、以外にもう耐えられ無そうだなと思い、愚痴半分に対策を知りたいなと思い書いた。
わがままや、意味の分からないレベルに運頼みな考えに対し「あなたの言っている事は全面的に正しく合理的である」という、ストレスの固まりな対応以外で対策があれば教えてくれ。
ブランド品買ってもらえたり、毎年海外旅行連れてってもらえるくらいから「実家が太い」って言ってくんないかな。
成人した子供の生活を全面的に面倒見れるほどはお金ないけど、月数回くらいワガママ対応してくれる(親の費用負担で1万くらいの贅沢をさせてくれる)程度で実家が太いから人生が楽!見てると「こいつ大丈夫か…?」ってなる。
こういう奴らほど、実家が太い=無理して働かなくて良いって思想が強くて、社会に不満だらけで仕事もまともにやる気がない。趣味を優先してすぐ休む。
そして事あるごとに「いや〜実家太くて良かったわ〜」って言ってくる。
派遣、給与月15万前後、30代後半の実家暮らしは親死んだらどうなるんだろうな。一回、一万円程度の贅沢なら自分で稼げるようになった方がいい気がするけど。
核兵器が使われることで世界が終わるかは誰にも分からないと言うべきだろう。だが少なくとも、我々はその可能性を真剣に考えておくべきだとは言える。
自己保存と心中は核抑止戦略では表裏一体の概念だ。冷戦末期の確証破壊戦略などはまさにそれである。
自分が先制核攻撃を受けても反撃によって相手国を完全に破壊(心中)できる能力を保有し、その事実を相手に確実に認識させることで安全を確保している。
核兵器が使われたら世界の終わりだ! みたいなのは妄想に過ぎない。
核兵器による世界の終わりの典型的なシナリオは、相手国を完全に破壊できる能力を保有した二国間の紛争のエスカレーションが制御不能となり、最終的に全面的な核攻撃に突入するといった展開だろう。そういった事態が発生する可能性はむしろ高まっていると考えるべきだ。
米国の軍事的なプレゼンスの低下に呼応して、核の力を背景に現状変更を図る国家が現れている。これは核を持った大国間の軍事的な衝突のリスクが増大することを意味している。
ロシアはウクライナ侵攻において核使用の可能性を繰り返し示唆している。仮に核が使用された場合、NATOによるリアクションがさらなる核使用を招く可能性については(お花畑ではなく)軍事畑の核コミュニティの中でも真剣に議論されてきた。
中国は急ピッチで核戦力の増強を進めており、2030年中盤にアメリカとの相互確証破壊を達成すると予想されている。両国の政治的な対立の構造は根深く、戦略的不安定性を解消できるかは未だに見通せない。
エスカレーションの管理は本質的にチキンレースの構造であり、リソースの限られた少数の人間の決断に依存している。それが予測不能な帰結をもたらす可能性は常に存在する。
自立型兵器などの新たなファクターを軽視すべきではないのは当然だが、だからといって核兵器の持つ破壊力が低下するわけではない。
繰り返しになるが、核兵器が使われることで世界が終わるかは分からない。誰にも。
それは核のボタンを握っている当事者にすら分からないことだ。だからこそ、私達自身がその可能性を真剣に考えておくべきなのだ。
その上男子は運動部じゃないと駄目な風潮があり、実際に文化系の部に
入ろうとした男子は担任に説得(説教)されたり「○○部(運動部)に出しといたからな」
ただでさえ意に沿わない部活を強制された上に、入部させられた運動部では
特に俺はターゲットにされ、ある日先輩とOBらに呼び出された際、因縁をつけられてのリンチから
嫌がっても集団でも暴力を振るわれ、抵抗する事は出来なかった。
揉み消されそうになったり警察の対応も酷かったが、先輩達は最終的に退学処分となり
OBの内一人は何らかの処分が下ったとか、勤めていた会社をクビになったとも教えられた。
当事者以外には箝口令が敷かれていた筈だが、しばらく不登校になっていた事もあり
自ずと俺がされた事は広まっており、周囲からは遠巻きによそよそしく接せられる様になった。
そんなある日、唯一友達らしい交流があったA君から「女子から何故か回って来たんだけど、さすがに酷いと思って」
とある小説サイトを見せられた。そこには、俺がイケメンの先輩○○とやらに性暴力を振るわれ、でもそれが忘れられず…
というあまりにも歪んだ、気色悪い物語が拙い文章で書かれていた。
名前は一部ぼかしているが、どう考えても俺と、退学になった○○ら数名がモデルだった。
「なんかそういうターゲットになってるらしい。これイジメだよな?」とA君に言われ、何故かその場でボロボロ泣いたのを覚えている。
A君と一緒に教師や親には言った。小説サイトに投稿していた女子にも直接文句を言った。
「あまりにも気持ち悪い、止めて欲しい。勝手にモデルに使われて凄い嫌な気分だ」という事を伝えたのだが、何故か女子には泣かれ
その友人グループとやらが書いた女子を慰めつつ、何故か俺が責められた。「そんな事で怒るなんて酷い!」だって。
『そんな事』ってなんだよ、俺は一生モンのトラウマなんだぞと思ったのを覚えている。
小説を書いた女子、いわゆる腐女子と友人らに担任にチクられ、俺は女子を泣かせてイジメた男として処分を受けた。
わざとらしく泣きべそをかいている腐女子に、頭を下げて反省の言葉を述べさせらたのは本当に屈辱だった。
腐女子という存在の概念を知ったのもその頃だった。正直、嫌悪感しか無かった。
小説のモデルにした事は認めたくせに、けどただ小説を書いただけなのに男子に怒鳴られて恐怖したと。
そして怒鳴った俺が悪いんだとされた。非常に理不尽で、屈辱的だと思った。
イジメの件もあり、すっかり性的な描写や性行為を連想させるものに嫌気が差し、性嫌悪者になった。
告白された事も数回あったが、とてもそういう事をする関係になる自分が想像出来ず、そんな男と付き合う方が可哀想だと思い、全て断っていた。
と聞かれた。驚いた後、非常に気分が悪くなった。何故、こんな事を聞かれているのか……
聞けば、『そういう噂』が流れているという。
気味が悪いと、俺と一緒に仕事をしたくない、チームを外して欲しいという同僚も現れて
このままでは業務に支障をきたすからと事実確認の為に呼び出したと言われた。
俺は当然強く否定した。ただでさえ性嫌悪で、異性との行為も想像出来ないのに、同性となんて無理だと。
そこまではその時は言えなかったけど、全くの事実無根であり交際相手がいないのもそういう理由では無いとは否定した。
上司は半信半疑みたいに見えたが、その時は一応納得はしてくれた様だった。
何故そんな噂を流されたのか。実は心当たりが少しだけあった。
それとなく二人きりになったり、飲みの席にとなり同士になる様に誘導された事もあった。
ハッキリ言って迷惑だったので、遠回しにアプローチは断っていたが、告白された際にはハッキリと断った。
「あなたとは同僚以上に思えません、申し訳ないけど交際はお断りします」と丁寧に断ったつもりだった。
以来、女性の同僚達からあからさまに避けられたり、冷たい態度を取られる様になった。
表面上は丁寧に接してきていた筈なのに。これは逆恨みされているな、と思っていたから、案の定だった。
始めは否定されたが、それでも変な噂を流す動機があるのはあなたか○○さん(先輩社員)しかいないと。
場合によっては名誉毀損での訴訟も辞さないと告げたら、あっさり白状した。
「自分にも○○さんみたいな人にもなびかないなんて、そういう人だと思った」
「ちょっと陰口叩いただけのつもりだったのに、ここまで噂が広がると思わなかった」
「自分がやってしまった事に後悔ばかりしていた、許して欲しい」などと言われた。
上司も取り直そうとしてきたが、俺には身勝手な言い分にしか思えず、絶対に許すつもりは無い事を告げた。
何故か今回も同僚女は最後には泣き出し、上司には「やり過ぎた」と責められる始末。
またしても加害者から加害者扱いされ、加害者は被害者となって被害者である俺が加害者にされてしまった。
それでも「誤解させる様な発言はあったのは事実」だという事で、同僚女には訓告処分が下った。
俺は納得出来ないぐらい軽い処分だったが、表面上は変な噂も収まったようだ。裏では色々言われてたんだろうけど。
数ヶ月後、上司と更に上の上司に呼び出された。俺がセクハラをしているという訴えがあったという。
俺が□□(同僚女とも先輩社員とも別人の女性社員)に対し、指導と称して卑猥な言葉を浴びせる、
性差別的な発言をする、嫌がっているにも関わらずボディタッチをされたという。
□□とは同じプロジェクトに所属している先輩後輩の仲ではあったが、同僚以上の感情なんて勿論無い。
セクハラどころか必要以上に関わりたくも無いのだが、それを伝えても上司らは納得してくれない。
どうして、性嫌悪で人間不信で同性にも異性にも必要以上に関わりたく無いのに、やってもいない行為をやったと
認めろと迫られ責められているのか。あまりにも理不尽で仕方が無かった。
そう言えば□□は同僚女と比較的仲が良かった様に見えたのを思い出した。
この時点で完全に怒り狂っていたので、□□を呼び出してこい事実関係ハッキリさせてやる、完全に名誉毀損なので訴えると怒鳴り散らした。
そして全てでは無いがCOさざるを得なかった。
過去に性被害に遭い、それが原因で性嫌悪になっている事、異性とも同性ともそういう関係や行為をする事が出来ない、気持ち悪くなるからと。
上司は完全に俺を疑っていた。「男性が性被害というのも、トラウマになっているというのも信じ難い」と言われた。
上司は女性だから多分リアリティが無かったんだろうなと思っている。
セクハラは否定したが、結果的に□□や同僚女らの主張が何故か全面的に通り、俺は処分された。
□□本人にも直接抗議したが、彼女には泣かれ周りが『可哀想な被害者である女性』を庇い立て
仕事を全て取り上げられ、皆が忙しい中で自席に座っていなければいけない精神的拷問。
耐えられず退職した。自主退職に追い込まれ、クビにされた様なものだった。
俺は嘘のセクハラ被害の加害者にされて無職になった。COまでして無実を主張したのは全て無駄だった。
過去のトラウマに追い打ちをかける様に追い詰められ社会的に、そして何より精神的に傷つけられた。
レイプが魂の殺人だと言うのであれば、セカンドレイプは精神の殺人と言うべきか。
俺は会社の女達にセカンドレイプされて社会的に精神を殺されたのだろうか。
それどころか被害者扱い。本当の被害者は俺なのに、俺が加害者にされて実際の加害者は被害者様のままだ。
それが何よりも許せない。
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書きなぐったつもりが、思いのほか人から見られていた。
まあ嘘つき呼ばわりしてくる人はいるだろうと思っていた。こっちだって嘘だと思いたいよ。でも現実なんだ。
「男が被害に遭う筈が無い」なんて思いこんでいる人も中にはいるかも知れない。
「女に敵意を抱くな、逆恨みをするな」なんて反応もまあ予想はついていた。
適応障害になってまだ働ける状態になっていないから、カウンセリングに通っているんだけど
「あなたの苦しみの原因はイジメをした男子達なのに、何故女性にばかり怒りを抱くのか」ってさ。
別に女性にばかり怒りを抱いている訳じゃないけど、加害者に敵意を向けるなという方がおかしいだろ。
例えば誰かに殴られて重症を負ってしばらくうずくまっていた。やっと立ち上がりかけたら別の誰かに蹴られた、石をぶつけられた。
この時、蹴ったり石を投げてきた奴を恨むな、憎むな、ってのはどう考えてもおかしいだろ。
これがやったのが女だから免罪しろってのは余りにも理不尽で、ふざけている。
俺に性暴力を振るった男達は、軽いけど何らかのペナルティや罰を受けているのに、女達はほぼ無罪放免だ。
「悪気は無かった、そんなつもりは無かった」だって?悪気無かったら俺の尊厳を傷つけ害しても良いのかよ?
「傷つけるつもりは無かった、謝っているから許して欲しい、何故謝っているのに許してくれないのか、酷い」なんて態度を取られて
どこが反省しているのか謝罪しているのか、俺は全く納得出来なかった。
女達の負の性欲が原因で傷つけられた挙げ句、何故か被害者なのに加害者にされた。
女性性を盾にして被害者である俺を加害者に仕立て上げているのだから、これで女を、女性性を憎むなというのはあまりにも無理で理不尽だろ。
どうせ加害者の自覚なんか持てないだろうし、持てる様な人間ならセカンドレイプなんてしないし、仮にしてもすぐに誠心誠意謝罪するだろう。
初めから期待なんかしちゃいない。
出産子育ての仕組みを見ていて共働き前提に設計されていると強く感じる。
・産休手当、育休手当:これは会社ではなく健康保険から支給される。つまり努力目標ではなく全面的に国が共働き世帯を後押ししてるということ。育児の労力は同じ条はずなのに、出産前に働いていたかどうかで場合によっては300~400万円の差が出る。
・保育園:よく言われる話が、働いている人でないと入園できない。働くために子供を預けたいのに申し込み時点で働いていないとダメという矛盾。つまり出産前に働いていない人は子供が幼稚園に行けるまで働くことはできない。働く人は上記の手当でお金が出ている上に、さらに差がつく。
結局、出産前に働いていた人とそうでない人とで合計すると1000万円近く差が出る場合がある。