はてなキーワード: 偽善とは
コロナで仕事を失った。実家に帰ったら、発達障害のある家族によくわからない理由で罵倒されて追い出された。SNSは毎日つまらない炎上や怒りや先の見えないニュースに溢れてる。金と余裕のある人々は、まるで希望があるみたいな偽善のパフォーマンスを垂れ流している。何も信用できない。誰にも会いたくなくなった。考えてみたら、これが収束しても解決しない問題の方が多い。
なんとなく、ODした。何もかもから逃れたかった。フラフラになって転んで怪我をした。
でも、一時だけでも全部忘れられた。楽しかった。
生きてるだけでえらいって言われたけど、助けてくれない人の言うことなので信じない。
好きな人に2ヵ月会えていない。恋人がいる人だ。今、私には彼に会う理由がない。連絡する理由がない。繋がれる理由が何もない。きっと、恋人には連絡をとっているだろう。
その時死のう。そう決めたら、すごく楽しみになってきた。場所はどこにしようかな。最後の薬のストックと、お酒と、大好きなものをいっぱい持っていって、お気に入りの服を着て、好きな音楽を聴いて。高いマンションとか側にあるところがいいかもしれない。薬でハイになれたら、飛び降りちゃうかもしれない。高いところから落ちるなんて、すごく楽しいに違いない。
きっとここにも罵倒のコメントがつく。希望なんかない。今すぐ死ねってコメントがついたら、また死んでいい理由が増えるな。そうなったら、そうしよう。さよなら。
岡村隆史さんに対し『チコちゃんに叱られる』の降板及び謝罪を求める署名活動が開始される
https://togetter.com/li/1500879
これの笑い所は普段風俗やAV等を叩いて潰そうと熱心に行動をし、世間からフェミニストと呼ばれるセックスヘイター共程、岡村氏叩きにも熱心だと言う所だよね。
正直本職の皆様があまり触れていない辺り、こんな事よりも今後の生活をどうするかの方が重要だと言う事だし、フェミさん達は自身が普段叩いている産業すら、この様な材料に使う辺り、要は叩ける理由など何でも良くて、騒げれば何でも良いと言う構想原理がこの騒動においても如実に表れていると言う事だろう。
だからこそコロナ禍においても空気が読めず、女性の権利ガーとかずっと喚き散らしていたわけで。
https://togetter.com/li/1501659
何にしても持続化給付金対象になったのは良かったけど、国家が将来的に売春が無くなる云々とか言って、支援対象外にしようとしていた点は本当に糞だと思うよね。
そもそも売春が将来的になくなるなんて、今までの歴史の経緯を見てもまずありえない机上の空論でしかないし、それこそ福祉的な考えから言えば、まず支援するのは国家としても当たり前でしょう。
言っている事と行動がそれこそ矛盾しているよね。
この手の偽善的な事を言う割には自己責任だの言い、今までは生活保護潰しまでしているし、色々な意味で矛盾した事が最近特に表面化していると思う。
例のパチンコ叩きと言い、要はこのコロナ禍で都合の悪いものを潰す材料に使いたい人も多いのかもしれないね。
こんな何でも自己責任だの今まで言っていたからこそ、こんな肝心な時にすら、まともな企業支援すらせず、倒産等100件と言う事態を招き、不渡り倍増と言う事態を招いたのだろうけどね。
この事態が見えていたからこそ、世間や自民若手や一部の野党議員が、とっとと粗利補償や給付金を出して、消費税をゼロにしろと言っていたのもあるのにねぇ…。
コロナ禍も今後収まるかと言われればまだ怪しいし、麻生大臣が経済的に何もほとんどしていないのもあり、今後このダブルパンチが日本を襲う事になるだろうよ。
ホームレス殺害事件で話題の(この言い方はあまり良くないと思うけどほかに良い日本語が思い浮かばなかったから話題って書いてる ごめん)県付近に住んでる学生なんだけどこのニュースが流れる度に辛くなってなにかする事は出来なかったのかという気持ちに苛まれる 加害者がどうこう、というより自分の立場に置き換えて考えてしまう SNSで加害者を叩く人は沢山見るがそもそもホームレスとして存在していた被害者を見て見ぬふりしていた私たちにも責任は無いのか?近くの場所で怒ったことにそう思わずには居られない
正直なところ自分の中ではホームレスの人に対してかわいそうという気持ちが1番強い 哀れまれることが1番の哀れみになるのも分かってはいるけどそれ以外に上手く言葉にできない 自分が住んでる場所が田舎なのもあってホームレスの人を見慣れていないからか偶に都会に出た時の周りの人の対応に慣れない 触れてはいけない物みたいにされてるけど駅で座り込むおばあちゃんとか見てると本当に苦しい 物だったりお金をあげようにもそれは一時的なものになる かといって一緒に保健所に行こうと言える勇気も行動力もない 偽善的な正義感だけを抱えた学生はホームレスとどう関われば良いのか 普通の感覚と自分の感覚にズレがあるみたいなので匿名でどこかにこの気持ちを投げたかった 大人の目線で考えて今の自分は何をすべきだと思う?
ネット見てたら成分献血は2週間開けて年24回までできるって話だったのになんで???
って調べたら、血小板献血は2回と数えて、血漿献血は1回扱いだそうな。だから年24回やるには血小板献血はしてはいけないみたい。献血の種類は自分で選んだことはほぼなくて、献血ルームの人に言われるがままいつもやってきた。それが一番必要とされてるんだろうという判断からだ。多くやればポイントとか貯まるけどそういうのを第一目的にするのはなんか違うと思うので、これからもこの方針でやって行こうと思ってる。
献血する第一目的が何かと言われると自分の偽善心を満たす事というのが偽らざる本当のところだろう。なかなか気分いいよ。検査採血の針はともかく、成分献血の針ってちょっと痛いしね。
血を見るのは制御されている環境下では割と好き。制御されてない環境では(事故とか)まだ見たことが無いのでどう感じるか正直わからんところはある。鼻血やちょっとした怪我くらいならどうってことないんだけど。
アベノマスクやってる暇があるならアベノドクを配れ
みんな楽に死ねるなら死にたいと思ってるからバンバン死ぬよ 死んだ人間はマジで一切外出しないから最高だ
さあ配ってくれ 俺を殺してくれよ
マジで頼む 早く死にてえんだよ 何もしたくねえんだもう
なんでこんな社会構造の中で生き続けなきゃいけないんですかね いや別に生きろとは言われてないけど、死ぬのが大変すぎるだろ 現代社会の技術なら絶対楽に死ねる方法を簡単に提供できるのに何故しないのか コンビニで毒薬とか電気ショックマシンとか売れよ
喫煙所みたいなノリで自殺所作れよ 死体なんか豚に食わせてくれていいから
俺には楽に死ぬ権利がある ヘイト国家日本国は俺が楽に死ぬ権利を保証せよ
だいたい日本人だけで1億人もいるんだぜ 1億ってマジで馬鹿げた数だよ 100000000だぜ100000000 ちょっとくらい死んだってかまへんかまへん
何もしないで安楽に暮らしたいっていう願いは絶対叶えてくれないくせにじゃあ死ぬって言うと止めるんだから酷い いや厳密には止めてないけどさ ホントに ホントに頼む 殺してくれ俺を
俺なんて生きててもなんの価値も生まねえよ あんたたちの大好きなネオリベ・効率社会にとって害でしかないんだよ
人道主義なんてどうせ信じてないんだからサッサと捨てろよお やる気がない奴は死んでよしってことにしてくれよ それが情けってもんだろうがよ
生活保護なんかに財源回してんじゃねえよ 殺してくれよ その方が楽だろ絶対
薬だよ薬 薬をよこせ
死にてえんだよ 死にてえっつってんだろうがよ
宅間守いただろうがよ ああいうのも出てくんだよ偽善塗れでクズを生かしとくとよ クズは死にてえって言っててお前らは死んでくれねえかなと思ってんだから殺したらウィンウィンなんだよマジで
COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義と自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。
他方で、これまでの4年間、ブレグジット、トランプの大統領当選、ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事から、グローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的・経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐なものであることが明らかになりました。
現在の健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こした危機が世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムやグリーンニューディール政策は妥当だし、まさに必要なものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力を過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想を作動させることができるのに。
「ネオリベラリズム」のドグマは諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます。
このイデオロギーは、ポスト・イデオロギー的であることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題や矛盾を解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別の対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。
ソリューション主義のもっとも有害な帰結は、スタートアップではなく私たちの政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代の監視国家が人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びています。イノベーションを引き起こす人々(デベロッパー、ハッカー、起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力と既存のリソースを〔現在のグローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIやクラウドコンピューティングの恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的な政治的努力の結果なのです。
その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存の体制を転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業が世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家は自分の分け前を手に入れようと目論んでいます。監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業が世界をデジタル化してきたことで、諸国の政府は市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。
ナッジ (nudge)の技術はソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやすい作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷な現実であっても)に「合わせる」という作業です。
ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11のテロが監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っています。しかし、ソリューション主義が民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険とはいわないまでも、より微妙なものです。
COVID-19の危機にさいして中国、韓国、シンガポールがとった独裁主義的な戦略は評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリ、ドローンやセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋で民主主義的な資本主義の擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。
エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノア・ハラリがファイナンシャル・タイムズのコラムで表明した代替案は、シリコンバレーのプロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民を自律的にしよう! というものでした。
人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府が暖房や電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治のアプリ化〔アプリで市民を監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。
認知行動的な介入によって市民を自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンスティーンやリチャード・セイラーに代表されるようなナッジの擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的な対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまいます。これはサンスティーンとセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム〕空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者がトイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。
ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体や制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンスティーンのような人たちにとっては、世界は本質的に、消費者としての市民、企業、政府で成り立っています。労働組合、アソシエーション、社会運動、そして感情と連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。
「知識による自律化」というお題目は古典的なリベラリズムの根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国の政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金を投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家は自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己の正当性を強化することになります。
この危機から脱するためには「ポスト・ネオリベラリズム」の政治が必要なだけでなく、とくに「ポスト・ソリューション主義」の政治が必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的な二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たちが今日、イノベーションや社会的な協力を考える仕方を規定しています。
新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義とネオリベラリズムのどちらの勢力が市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。
「ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジックは残酷で実践できるものではないことを、左翼の思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的な権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場が支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています。私たちの議論の輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています。
COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポスト・ソリューション主義的な政治の方向性が私たちにどれほど必要か示しています。イタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活と公衆衛生のあいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップがイノベーションを引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています。
他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活を犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業や通信事業者が作った現在のデジタルインフラが、それを提供する会社のビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。
現在のデジタルインフラは、私たちを個別に消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています。集団の行動についてマクロなレベルで匿名の情報を提供するようなインフラを実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名のデータ〕分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画はネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。
現在のデジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助や連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在のデジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります。
ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者、スタートアップ、起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾン、フェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者が提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもかられますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。
この危機的事態を権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味なものに終わる可能性があります。現在の民主主義は民主主義的でない私的な権力の行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家を構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります。
もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業の権力から完全に自由になるためにポスト・ソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義的価値」、「規制の機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリートの支配を許す道です。
Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution
*ナッジとは、「行動経済学や行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所)
卒業式の「呼びかけ」とか、起立や着席を異常に練習させられることが、小学生のころ心底きらいだった。
偽善でしかない呼びかけの寒々しさや、当時の教師が隠そうともしなかった支配欲にグロテスクさを感じていたんだと思う。
今の学校の先生たちは当時と違う人が多いのはわかっているけど、
大人になって自分に子どもが生まれて、いつか我が子があれをやらされるの?と思うと気がめいる時があった。
この春は、新型コロナウイルスの影響によって、式がだいぶ短縮されたり在校生の出席がないらしい。
炎上した本人を見守ってくれる人は何人かいるようだが、「炎上をしたやつを擁護した連中」について誰も言及していないので俺が触れておく。
https://anond.hatelabo.jp/20200215135903
一例をあげると、最近音ゲー界隈で、特殊詐欺の受け子として逮捕された奴がいる。こいつは他人の女を寝取ったりしていて昔からロクでもない人間ではあったが、2019年の夏ごろに受け子をして2020年の2月ごろに無事逮捕された。
twitterでも最初は逃げ回っていたが、本名から何からが割れている為逃げ場がなくなって最後には観念して反省文を画像でアップした。ちなみに、この反省文は全く反省の色が見られない自己弁護に終始したゴミ文章である。
反省文は留置所なり拘置所なりから自筆で書いたとみられるが、最近出てきたのだろう、twitterに「迷惑かけてすいませんでした」的な文章を上げていた。これについているリプライが超絶気持ち悪い。
https://twitter.com/amakage4961/status/1240971044233441287
何が「おかえり」だ。ふざけんな。こいつが動画上げたり大会出たりするたんびに「maimaiやってる奴はクソ」だの「音ゲー界隈には犯罪者しかいない」とか言われるんだぞ。お前らのその無責任な応援があまかげ自身をも殺すんだぞ。こいつはこれから一生「善良な婆さんから金をだまし取った男」として生きていくんだぞ。maimaiの大会に出ても「で、おばあさんから幾らだまし取ったの?」とか言われ続けるんだぞ。そんな奴を表舞台にひっぱり出そうとしてる連中こそが偽善者じゃないのか。
こいつらのアカウントは全部控えてある。以前は「頑張れ」等の当該ツイートリンクのみ取得していたが、ツイ消しして逃げられるのが嫌なので二段構えに変えた。
ここまで書いていてふと思ったが、別に俺は音ゲー界隈だけ見てるわけじゃないからな。炎上した奴に安っぽい擁護をした奴ら全員が俺の監視対象だ。例えば、最近「トイレットペーパーがなくなる!」ってツイートしてたやつがいただろ?あいつの謝罪文についた擁護もまとめてキャプチャ済だ。こいつの場合はfacebookで謝罪文を上げていたが、facebookというSNSの文化なんだろうか、擁護コメントがほぼ100%だったな。まあ、俺からすれば本名でやってる奴が多いfacebookのほうが色々ありがたいけどな。
「色々ありがたい」ってのは、俺の仕事はこれで終わりじゃないからな。擁護した連中のSNSを丹念に拾って、特定できそうな情報を見つけたら即保存する。魚拓はダメだな。割とすぐ消される。archive.isのほうが消されないからWeb魚拓とるならこっちだな。
安い擁護をしてる連中よ、覚えとけよ。俺みたいな奴がいるって事を。何かやらかしたら即拡散してやるからな。安心して偽善を為すがいい。
音声合成技術の視点から考える『なぜ案内AIは女性なのか』問題
https://togetter.com/li/1483022
フェミは単に自分が気に入らなかったら噛みつくだけなので深く考えるだけ無駄やぞ。
だからフェミの言い分何て常に変わり続けるし、まともに聞いているだけ無駄と評価される事になったんやぞ。
これがフェミニストがお気持ちヤクザと呼ばれ、ゴールポストは常に動き続けると言われる所以や。
しかし人間らしい応答のできるAIと言うのは実は至上命題だったりするのだけど、この辺もフェミ特有の固定概念で潰そうとしている辺り、こいつら単なる経済的文化的被害を与える社会悪と言うだけではなく、技術的発展面においても停滞や衰退をさせかねない諸悪の根源とも言える代物になりつつある。
まぁ、このJR東日本のこの代物自体、AIと言うよりも昔からある人工無能みたいなものだが。
それとフェミニストとキリスト教等のカルト宗教は親和性が高かったりするのは事実としてあるけど、こういう方向性を見てもそれがある意味では納得できる。
悪用する弱者の権利の問題についても実在する被害が出ている問題よりも自らの思想を優先し、それに利用する為に弱者の権利を悪用する点は同じだし、更にその弱者の権利や場を更に荒らし、より状況を悪化させる点も似通っている。
更に論理的科学的説明や反論をされてもそれを無視して思い込みだけで規制やら圧力やらを平然とかけてくる。
何より創作物やこの手の人間が人工的に作り出したものが大嫌いだし、こいつらの偽善的な行動が行き過ぎて実害だしまくっている点も同じ。
自身さえよければそれで良く、自身の行動の結果、実被害や弊害が出ても責任すら取らないし、どうなろうが知った事ではない。
フェミニストが固定概念の押し付けを良くやる事はそれこそJAのラブライブの一件で指摘されたけど、この人達こそジェンダーや反差別と口先だけで言いながらも実は家父長制に囚われ、逆に男性差別等を散々行っていた事は指摘されつくしている。
この辺のボロが出だしたからこそ、昨今フェミニストやこの手の人権団体が毛嫌いされ始めたし、反社勢力認定され始めたのもある。
しかしフェミニストやポリコレだの反差別だのの人権屋界隈は今や政治的にも社会的にも女性や子供の権利と言った弱者を盾にして、道具に使い自らの思想の押し付けや気に入らないモノを潰す為だけに規制だの圧力だのかけて、一般人を犯罪者に仕立て上げるような事や反論してきた人間に対して、ネトウヨだの犯罪者予備軍だのロリコンだのペドだの表現の自由戦士だの名誉男性だののレッテル貼りをし過ぎた結果、今や当人達が反社会勢力として認知され始めたのは本当に草。
何よりあの人達余りにも児童ポルノだの性的搾取だのセクハラだのセカンドレイプだのの単語を多用しすぎた結果、世間も呆れ出して、フェミこそがオオカミ少年化しだして誰もまともに取り合わなくなってきだしたのもある。
それと赤十字の件から顕著になったけど、その後のJAや今回のJR東日本のAIにまで難癖付けていたらそりゃオタク以外にも毛嫌いされるのは当たり前だよ。
何せクレームだけつけて、お金なんて落とさない上に危害まで加えてくる悪質な集団だから。
何もこの傾向それこそ日本に限らず、彼等の大好きな海外においてもみられる事だしね。
暴走している集団であり、実際危険で油断すべきではないけど、今にポリコレやフェミニスト等の人権屋こそ社会的に排除される日も近いんじゃないかな?
何せ弱者の権利を盾に規制をしてきて、他者を差別していた分、世間もこいつらに対しては一切の同情なんてしないからね。
この手の弱い存在を悪用していた連中は世間は卑怯や卑劣な連中と認識し、それこそ鬼畜や外道な連中と認識しているからな。
弱者の権利を悪用していた分、偽善でもあり、ガチで嫌うのは事実としてあるよ。
さて、この人達が味方にいたら票になる所か票を減らす働きしか作用しないのは今まで見ていて判る事だけど、リベラルや左翼政党としてはこれから先どうするのだろうね?
パージするにしても結構致命傷来る段階になってしまっているし、心中する事態こそそれこそ政党としては本末転倒の事態なのだけど。
「経験者は100人ぐらいかな。でも好きな人には感染させたくないから恋人は作らない。
皆がエイズになればエイズが叩かれなくて済むようになるし、国も研究にチカラ入れるだろうし。
自分は350人ぐらいかな。エイズだけど隠してナマでやりまくってるよw」
「やっぱ遷したくなるよねぇ~。自分と同じ思いを他の人にさせたくないなんて嘘だし偽善。
農林水産省とかツイッターとかいろんなところで「イベントやら式典やらが中止になって生花が余ってます!買って応援してください!」みたいなことをたくさん見て、お花が家にあるのも確かにいいかもとか両親の結婚記念日祝いあげてなかったからとかお彼岸だとかで買うことにした。
イオンにあるお花屋さんに行ったらお彼岸用の花とかいろいろ売っててどれにしようかなーと思いつつ、地元の農家がいろいろ農産物からお餅とかを置いてる道の駅みたいなところも寄ったらめっちゃお花あった。
増田は千葉県民なんだけど、千葉県てお花農家が結構多いんです。
そして値段がめっちゃ安かった!!!花屋のお花よりめっちゃ安い!普段買わないような綺麗な花束を3束で1000円以下!!!!