はてなキーワード: 作業時間とは
システムの話をするね
まずラーメン、サイドメニュー、ドリンクって分岐から始まるのがまどろっこしいって話だね
最初からメニューを全部列挙してタッチパネルをスイスイスクロールさせてほしい商品についてるボタンで大中小とか個数とかトッピングで決定ってしたいんだよね?
これゲームでも同じだけどオプション選択ができるキャラクリエイトでも、最初数種類の基礎となるモデルを選択するよね?
なんでかって、100パターンあったとしたら100個を列挙するには100個のID払い出しが必要なんだわ
1番から100番までのIDを一つずつふって、画面に100個表示するの
100にそれぞれ+3の設定がつくの
これつくってテストするのに100パターンにそれぞれ3つの動作をしないといけないんだよね
動作チェックが自動でできるとしてもさ これで修正点とかでたらまたつくってまたテストして 組み合わせによってはとかすごい作業時間がかかるの
それに比べてまず3つの選択肢から決定すると、一旦そこで作業を完了できるんだよね
3つのうちのどのIDを選択して確定したか、をチェックしてそのIDを持ち越すの
そんだけ
どっちが楽かは見て取れるよね
楽ににげんなよ、っていうならにげてない分開発料金はらってもらうしなんならそれが商品単価アップにもなるんだよね
100パターンの商品と、別枠に大中小と、それと関係なくトッピングが選べるの
お店側が組み合わせ不可ってしないかぎり出せるだろうしチェックも乗数にならなくていいから楽かもって思うよね
それ個別の3つの動作を完成させたあとにやっぱり連携をテストしないといけないんだよね
メニューでおちたり、ほか2つはいけてるけどサイズでおちるとか、トッピングのときにメニューが動作しないとか
トッピングだけクリアされずにとか、サイズが前のデータや組みあわせでバグるとか、結局個数が増えるとその分チェックもふえるんだ
なので最小の選択肢で確定して次に持ち越すのが制作側としても安全でやりやすい
開発コストとしても低くなる
だいたいこんな感じだよ
もちろんそんなことはなく、他社の書いたソースコードを読み解く必要もあれば
エラーが出ればデバッグして発生箇所を特定くらいはできる必要があるのだが
「手順書通りにポチポチするだけ」みたいな売り文句で人を集めていたのではないかと疑っている。
サブリーダーはAの罵倒の洗礼を浴び、1か月もせずに適応障害で退場。
後任探しは諦めたようで現場はAから直接指示を受けて仕事をすることとなった。
なお、サブリーダーはしばらく後に幽霊社員※として復帰してきた。他に行ける現場がなかったのだろう。
(※元請け社内の雑用係。常にチャットツールはオフラインで、対外的には居ないことになっている)
なお、集めた内容は最後まで活用されることはなく、現場の手間が増えただけだった。
「いつかこれを使ってお客さんとスケジュール交渉できたらいいねぇ(笑)」と口では言っていたが
作業内容も理解していないのに、数字だけで顧客どう交渉する気なのかは謎である。
Bは「そういうのいいから!もうお客さんから受けちゃったから!こうして君と話してる時間が無駄!とっととやって!」と逆ギレしていた。
そのメンバはたいそうショックを受けたようで、翌月には職場を去った。
「文章が長すぎて読めない」「文字だとわからないから図で描いて」「来たばかりの新人が見ても分かるように書いて」のみ。
Aから「いつになったらまともにレビューできるようになるんですか!?」と詰められていたが、結構最後まで改善はなかった。
Bとの社内レビューで10時間近くかかった案件が、顧客担当とのレビューでは10分で終わったこともある。
他所の部署のリーダーに「増田の残業がヤバそうになったら彼に注意して」と残業管理を丸投げしていた。
もっともその頃にはCとの関係は相当険悪になっていたので、残業関係のメールやチャットは無視していた。
「我々はお客様にお金をいただいて勉強させてもらっているんだからそれくらい我慢すべき」といってAを擁護する始末。
続く
様々な開発案件を巻き取っては、うち含む下請けに撒いているのだが
今思えばこの時点で次の職場を探しておくべきだった。
作業者の経験値も考えず、10人いたら10人分の作業をギチギチに詰め込んでくるタイプ。
よその部署からの問い合わせを複数投げ込んでおいて、作業が遅延したら
「問い合わせ対応の資料を作って、それを相手に渡せば済むようにしておけばいいじゃないですか!それを怠ったそちらの原因でしょう!」とのこと。
状況の把握・原因の特定・解決策を全て揃え、自分がYESかNOで回答できる状態でないと応対しない、ということらしい。
このため、リーダー層はAからの指摘や問い合わせを現場に丸投げするようになり
新規メンバもAの洗礼を受けると、それ以降は報告を避けるようになった。
結果「Aさんの問い合わせ対応」が辛うじて可能な一部のメンバーに負担が集中することになり
報告内容を作るだけで定時が終わることもしばしばだった。
「あなたの同僚は使えないから、ここから外すよう上司に言ってください」等の要求もあった。
元請けもAに関わりたくないので「作業依頼はうちを通してくれってお願いしてるんだけどねぇ(笑)」と黙認していた。
スケジュールは調整してくれないので、進捗が悪いときは終電を盾に頭を下げるほかない。
「他の下請けだったら連徹だろうがやってくれるのに」とAに吐き捨てられてようやく帰宅許可が出る。
巻き取った当初はスクショ資料を作る必要はなかったが、どんどん作成要求がエスカレートしていき
ソースを直してソフトをビルドする、という一連の作業でエクセル資料を20個弱作るのがデフォルトになった。
ひどい物になると自分の指示ミスに対して「それくらい現場でピックアップできるでしょう!以後は毎回私の指示が間違っていないか資料を作って確認しなさい!」と逆ギレされたこともある。
「資料の内容がわかりづらい」「今後はこの確認も追加しろ」「資料作成に時間がかかりすぎるから短縮する方法を考えろ」
などの資料に対する指摘が大半で、自分から具体的な修正方針は絶対に示さないので
Aの指摘意図を推量して直しては、指摘件数が増えて戻ってくるの繰り返しだった。
「今後の私の指摘には必ず再発防止策を併記し、すべてのエクセル資料にも適用しろ」と言い出した。
当然、指摘の修正の難易度と工数が激増し、現場は指摘対応をほぼ放棄するようになった。
続く
この批判がまさにそうなのだが、どうもわれわれ日本人は「ChatGPTが一番苦手なこと(≒自分が知らないことを教えてもらう)にChatGPTを使おうとする」という傾向があるらしい。日本の経営者に聞いたChatGPTの使い道のアンケートでは、「仕事で調べものをする時に活用する」が39.3%でトップだ。これが米国の職場でのChatGPT利用法の調査だと、上から順に、
となっていて、情報検索や調べもののタスクは上位5位に入っていない。総じて米国の働き手は、ChatGPTを自分に情報をインプットするためのツールではなく、自分が他人に情報をアウトプットするためのツールととらえている。
深津氏も折に触れて言っていることだが、生成AIは元々「文章の続きを書くAI」であり、それがスケーリング則によって多くの拡張的能力を獲得したものだ。だから一番得意なのは、「プロンプトで与えたテキストを指示通りに加工すること」(校正・要約・分類・翻訳など)と「プロンプトで与えた指示によって、新たにテキストを作り出すこと」(作文・提案・問題作成・コード作成・ロールプレイなど)だ。元々そのようなことを実行するための仕組みなのだから、ここがスイートスポットになるのは当たり前だ。少し触ってみて、何ならうまくいくのか、何だとうまくいかないかを自分なりに検証して結果を見れば、今のChatGPTはテキスト加工器・テキスト生成器として使うのが一番いいということがすぐわかるはずだ。増田自身も
と書いている。その通り。そこが一番使える用途なのだ。つまり元増田も、体感的にはそれがChatGPTの一番得意なことで、情報検索は不得手だとわかっているのに、不得意なことをバリバリやらせて、その結果に失望している。GPT-3やGPT-4は「2021年9月以後の情報は持たない」と折に触れて回答してくるのにも関わらず、生成AIのハルシネーション問題がこれだけ広く注意喚起されているのにも関わらず、それを調べものに使って勝手にガッカリしているのである。
これは元増田だけではない。自分の周囲にも、同じことをやって同じようにガッカリしている連中がたくさんいる。おれは、これが日本人が文化的・歴史的に〈ファンタジーとしての汎用人工知能(AGI)〉に馴染みがありすぎるせいなのではないかと思っている。自律思考型のロボットやアンドロイドが登場する数々の創作に触れ続けたことで、我々には「思考能力を持つ、優れたAI」というものの存在が、脳内に〈リアリティある未来〉としてインストールされている。だから、おれたち日本人は、「AIと対話的なテキストコミュニケーションができる」となった瞬間、その対象に一定の知性を仮定してしまう(これはもちろん、ANI(特化型人工知能)にすぎない今の基盤モデルに対しては、高すぎる期待だ)。そして自分の知りたいことを問いかけては、的外れな答えが返ってくることに失望し嫌悪する。これは「知性のようなものが、実際はそうでなかった」ことに対する、一種の「不気味の谷」反応だ。
上のサーベイで取り上げたアメリカ人のChatGPTの使い方を見ると、彼らが全くそんな幻想を持っていないのがわかる。これはキリスト教圏における、おそらくは宗教的タブーに紐づいた、人間/非人間のあいだに設定された懸隔の大きさと無縁ではないだろう。彼らは、人間以外の存在には軽々しく知性を見出さず、あくまで〈道具として〉ChatGPTを使役する。だから回答の正否を自分で判断できないようなことは聞かない。テキストの加工器として、あるいはアイディアの生成器として使うだけだ。生成された結果の善し悪しは自分が評価し、使うか使わないかを判断すればよい。そういう道具を使って、作業時間を大幅に短縮しつつアウトプットを仕上げる。そのような使い方が、今のところはChatGPTや生成AIの用法のベストプラクティスということになるだろう。
そのことは、マイクロソフトの365 Copilot実装のデモ動画を見てもわかる。スピーカーは、人間が操縦士であり、Copilot(GPT-4ベースのChatGPTの兄弟)はその名の通り副操縦士だとして、両者の主従関係を繰り返しアピールする。Copilotは忠実な僕として、人間がプロンプトで指示したことをやる。娘の卒業パーティのために会場の予約メールから情報を抽出し、友人達に送る招待メールの文面を書き、OneDriveから写真を引っ張り出して、指定したトーン&マナーでパワポを作成し、画像を生成し、アニメをつける。Wordでスピーチの文案を作らせ、みんなから戻ってきたエピソードを適度に切り貼りさせる。あるいは職場で、商談相手に向けたWordドキュメントを補完させ、それをPowerPointにコンバートさせる。Excelで昨期の売上低下要因について考えられる候補をいくつか出させ、そのひとつを掘り下げて分析させ、ボトルネック要素を改善した場合の予測をさせる。
これだけてんこ盛りのタスクショーケースの中に、「ローカル側にデータが存在しないことに関する情報検索・調べもの」が入っていないのがわかるだろうか。つまり、生成AIというのはそういう使い方をするものではない、という話なのだ。
確かにBingは出典リンク付きで答を返してくるが、これはGPTのような基盤モデルにとってはあくまで余技の類だ。本来一番得意な「生成」の能力を制約しつつ、リアルタイムブラウジングの機能を持たせた結果、何とかそのように動作するのであって、逆にBingやperplexity.aiはテキスト生成・加工がめちゃくちゃ苦手だ。つまり「正確な情報を返すこと」と「新たなコンテンツを生成すること」は、現状の生成AIにおいては相反する要請だ。どちらかを重視するなら、それが得意なAIにやらせればよい。
ChatGPTを調べものに使って文句を言うやつは、裁ちばさみで鼻毛を切ろうとしていることに気がついてほしい。とにかくおれたちはアトム幻想を一旦捨てなければならない。生成AIは、知性ではなく道具だ。道具だから、お前が使った通りに動作する。動作結果に不満があるなら、用途が間違っているか、指示が間違っているか、その両方だ。
24時間作動させている装置があって、作業のない夜間も低周波異音を出し続けている。
ずーーっと聴こえ続けていて眠れない。辛い。
カーテンを遮音性の高いものに取り換えたり、耳栓を買ったりしたけれど、効果が薄かったり、自分には合わなかったりで辛い。
dBで言うと騒音規制対象の範囲外なので、違法性とかは問えない。
過去の判例でも低周波異音被害が認められた例は少ない。
以前にも低周波異音で睡眠不足になったことがあった。
そのときは隣室の換気扇が原因だったので、管理会社が上手く対応してくれて解決した。
今回はどこへどう訴えたら良いのか。
寝不足の頭でもう何が何やらさっぱり分からん。
排水装置の作動が止まった。低周波に効果的という吸音シートを注文した日の夕方に。
その日から、作業時間外の騒音は止んだ。
更に後日、揚水井が埋められるのを目撃。
これで、少なくとも排水関係の音に悩まされるのはなくなったということで良い?
声かけただけで「良いことした!」って思えば良い。
車椅子の人に対してだけじゃなくて、地域として住人に無関心じゃないのは治安的によろしいので、その意味で地域貢献したと思え。
だから、増田の心が折れないなら、その人以外の困ってそうな人に親切にしてあげてほしい。
んで、辛辣な見方するなら、親切にするやり方がちょっと踏み込みすぎな所はあると思うよ、増田。
親切心は良いことだから、めげないで欲しいけど。
例えばエレベーターとかでボタン押して待っててあげるとか、代わりに押してあげるとか。お互いに負担の無い親切であれば、言われた方も身構えずに受けられるし。
低い位置にもボタンがある場合が多いけど、向きとかでモタつく場合も有るわけで、時間をかければ自分で出来るけど、その作業時間を同乗者にも待って貰わなきゃいけない。所要時間を見ても、場合によっては増田がやってあげた方が早いっていう増田の利益もある。
エレベーターでモタモタされるとウザイから代わりにやってあげるって人も居るけど表面上はただの親切だし。
そんで、今回のね。車椅子を押して貰うって、結構怖い事だって言ってる車椅子の人の存在もあるので、難しいところだと思うよ。
まず他人だと意思の疎通が面倒。あっちに行きたい、こっちに行きたい、その押し方だと揺れる、負荷がかかる、壊れる。もっとこうして欲しい、とか。
車椅子に馴染みのない人が、たとえば急ブレーキとか出来るかって話だ。
坂道だと何か事故った時に責任の所在で揉めるの目に見えてるし。平常時であれば手伝いが不要なので自力でやってるんだと思う。
必ず使えるわけじゃないけど、車椅子の人には行政の補助が出るので、本当にムリなら当人が対処してる筈の問題だし。それでもムリってケースもあるけど、はっきり言って個別の問題なので。
玉置勉強先生のツイートに対して、支持を集めてるブコメがおかしいのでいろいろ突っ込ませてくれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TamaokiBenkyoo/status/1615608067143659522
上から順に。
漫画家の実力不足を出版社に負わせないで頂きたい。実際一発で通るネームもあるし。
没ネームは他の雑誌に持ち込んでもいいし。(実際に雑誌のカラーで同じ原稿が没ったり通ったりはよくある)
あと「出版社側が依頼」てのは名前だけで売れるのが確定してるような大物先生で、そういう先生はネームの没や修正なんてほとんどないらしく、
作業時間が増えれば損をする(時給換算が減る)漫画家に対して、労働時間が増えれば収入(残業代)も増える編集者が言って良いことではないよね。
あのー、なんのために修正指示してるかわかる?
面白さが足りない、不十分だから、その雑誌の読者層に合ってない(ウケない)からだよ。
作業時間を最小にしたいなら、最初から面白くて、読者にウケる原稿もってきてくれたらいいのよん。
「作業時間が最小になるように」て、編集者が読者にウケる案を一発で出せと?無茶言うな。
そんなんできるなら最初から原作者になるって。編集より印税入るそっちのほうが儲かるわ。
編集と漫画家はお互い切磋琢磨して作品作っていくんだよ。主体は漫画家で編集はアシストだよ。
他人にネーム切ってもらっておんぶだっこで作画だけしたい(それなら「作業時間は最小」だね!)なら、最初から原作付きで作画担当になっとけよ。
漫画家が「最高だと思うもの」が読者が最高に面白いと思うものと一致してればいいんだけどねー。
だいたいそうじゃないからね。
その「適当」が、適切という意味の「適当」でなく、いい加減という意味の「適当」なら、
編集者が「適当に口出してくる」と思ってるなら、その編集部とは付き合いやめて、「適切に口出してくる」別のとこに行ったほうがいいよ。
そら三大出版社の編集者は高学歴で、熾烈な入社競争を勝ち抜いて一部上場の大企業の花形収益部門に正社員として勤務する人だからだろうねー。
でも「作家より高給取り」なんてことはなく、ヒット当てて単行本が売れれば巨額の印税が入ってきて、高給な三大出版社の編集者の何十倍、何百倍、何千倍もの収入が入ってくるでしょ。
大ヒット作のアイデア出した編集者には金一封(出るのかな?うちは無い)が出るくらいで、印税のおこぼれは無い。
あと作家はだいたい連載1本、2本だけど、編集者は何本も担当してるからね。
手が早くて連載3本4本もってたら(最近すごいと思うのはけやき先生)、原稿料だけで編集者より高収入になってると思うよ。
はてなブックマークはよく見てて、この手の「その業界のことをろくに知らない、知るつもりもない(調べるつもりもない)のに、いっちょかみで上から目線で他人に対し攻撃的な責めるようなコメント」をよく見るが、ほんっっとクソい言動なんでやめたほうがいいよ。
遊戯王がここまで人気を誇示しているのは要因が色々あるんだけど、その一つに「プレイヤーの思い通りに動かせる」という部分がある。他のカードゲームだと手札であらゆることを勝負するのだが、遊戯王ではある程度必要なカードを引っ張ったりすることが可能なため、事実上デッキやエクストラデッキや墓地は手札と変わらず1ターン目からあらゆることが回り出す
展開のルートはある程度研究されており、自分の目指す盤面や手札、勝ち筋を自身の力量や工夫次第で作り上げられるというのは遊戯王ならではだと思う
反面、ゲームとしてはソリティアが多く、1ターンの時間が長くなる傾向が強く、シンプルで端的に終わる面白いカードゲームとは言いがたい
総合的に遊戯王は、複雑なテキストとルールを読み解きながら膨大な知識と技術で自分の思い描いたことをする、とにかく忙しいカードゲームだ
遊戯王にはマナコストに相当する数値化したコストがないため、カード毎に厳しい発動条件が課されており、強力なカードほど縛りはきついか制限カードとなっている
手札や墓地は当然として、エクストラや除外されているカード、時に相手の盤面や墓地も利用して柔軟に動き回り、相手の妨害も自由自在
一見して無意味な行動のようにみえて実は墓地にカードを落としたり、デメリットにしか見えないカードがとんでもないメリット効果に変貌したり、綺麗カードなのに素材にするためだけに呼び出すなんてことも多く、とにかく現代遊戯王はあらゆる場所のカードを使い複雑な動きを1ターンに多く行う
ここで問題になるのがその異様な複雑性だ
分かりやすくいえば1ターンでの作業の多くは目指す盤面を作るための素材集めに等しい
アニメにおいても大量のモンスターを並べたり、魔法罠を次々に発動している場面が多く、視聴者を置いてけぼりにしていることはしばしばだ
でも実際の遊戯王はもっとグルグル回ることが普通だし、大量の手札誘発による妨害札合戦もある
それならまだしも大半はデッキや墓地を回すことで展開を行うための作業時間だ
エクストラから出すモンスターはそれ自体が終着点になるわけではなく、時に他のモンスターを呼び寄せるための素材にするだけというパターンも多い
1体が複数体に化け、それを元にさらに展開というのは遊戯王の基礎動作になる
なので相手のソリティアを数分眺めているだけという時間は少なくない
結局は相手のライフをモンスターのパンチで0にすれば終わるだけの話なのに、そこに至るまでの過程の多くが駆け引きなどではなく、単なるソリティアによる作業時間というのはあまりゲームとして面白い物ではない
それに加え、遊戯王はとにかくルールが複雑であり、また近年はテキストが非常に長い傾向にある
10年以上前ならエースになっていたであろう「スターダスト・ドラゴン」と、現代遊戯王でよく見る「フルール・ド・バロネス」というカードを見ればわかる
そしてスタン落ち等のシステムがない以上、公認大会において20年以上前のカードですら使用可能という膨大なカードプールを駆使することが出来る
つまり
実際には遊戯王のターン数は少ない傾向にあるものの、総合的なゲーム時間は伸びる傾向にある
それはソリティアがしばしば発生し、また複雑な効果を持つカードが多数あるために高度な読みや展開をする必要があるためだ
ここまでで複雑であるとはいったものの、高度な読み合いや最小の手札で展開につなげるギミックなどを駆使する遊戯王はパズルのようでカードゲームとは別種の面白さがある
だけどそういったものが果たして消費者にとってよいとは限らないし、個人的には「なんでここまで複雑で面倒なことをやる必要があるんだろう」と思っている
将棋やボードゲームのように時間も手間もかかる物ではないにもかかわらず、1ターンの時間制限の中で何回デッキを回せばいいんだろうと相手の動きを眺めていることは多い
将棋などはルールや動かせるコマが決まっておりルール自体はとてもシンプルだが奥深いゲームだ
例えば「子供でも理解できて、シンプルなルールで少ない時間で簡単に遊べるのに戦術が非常に多くて面白いカードゲームってある?」と言われたときに遊戯王はその選択肢から外される
もちろん環境デッキなどではないファンデッキ・カジュアルデッキは遊戯王に無数にある物の、それらですら複雑性から逃げられることはあまりない
それを脱するならば20年前のアドバンス召喚などでモンスターを1体づつ出す化石のようなデッキか、ラッシュデュエルになるだろう
「シンプルなルールで少ない時間で簡単に遊べるのに戦術が非常に多くて面白いカード」を遊びたければ回れ右をさせよう
ほかのカードゲームで何ターンもかけて行うような作業や展開を、遊戯王ではたった1枚のカードから何体もカードを出し最終的に盤面をひっくり返すこともでき、それはそれで気持ちいいんだが、それにしても1ターンに行う作業量としてあまりに過剰だなと感じる事も多い
遊戯王は忙し過ぎるのだ
もはや、初手を見せて「あ、この手札とエクストラなのでこの盤面にしちゃいますね」と一切のカードプレイをせずにカードをただ並べるだけでも充分じゃないかと思う日もある
そんなのはゲームでも何でも無いのだけど、頑張って展開してるさまをみて、なぜそこまで頑張る必要があるんだろうと感じる
仮に嫁や子供とカードゲームをするにしても、遊戯王だけは勧められない
あの長くて面倒くさいカードテキストや複雑なルール、膨大なカードプールやデッキにめまぐるしく加わる新規カードやギミックや禁止改訂を一般人に勧めるわけにはいかない
たぶんおもうのは「なんで遊戯王ってこんなにもやることや考えることが多いの?」だろう
他にカードゲームをしていても、遊戯王は同じ時間で終わっても疲れ方が全然違う
「http リクエストを50回実行するシェルスクリプトワンライナーをサンプルを表示してほしい。またリクエスト後にhttp レスポンスコードをチェックし500番台だったら実行停止してエラーメッセージを表示するようにしてください。」
ChatGPTにたいして上記の命令からはじめて、10分くらいの作業時間で動作テストしつつ自然言語のチャットのやりとりでバグを取りつつ非同期実行などの追加仕様を加えてGo言語にリプレイスして出来上がったコードがこれです。
自分でコードはほとんど書いてませんが数行程度の手直しはしました。
注:このコードは結局500番台で全Goルーチン生成抑止/実行停止するわけではないので非同期実行化した際の仕様バグがまだ混入してますが、まあとりあえず動作はします。またGoルーチンを無作為に大量生成してしまうのでこれを抑止するような機能もあった方が良いでしょう。このレベルの仕様バグを解消するには非同期実行時の正しい動作を定義した上であらためて作業した方が手っ取り早そうですがこの文書の目的から外れる作業だし、めんどくさいので放置することにしました。コマンドライン引数周りの細かなバグについても同様です。
【所感】
ChatGPTは平気で嘘つくし、ドメインナレッジにまだ乏しいし、この例だと例えばsyncパッケージ使わない的な単純なバグも平気でしこんでくるのでまだ信用できないやつですが、嘘やバグを見抜ける程度の普通の技術者が監督するなら現時点の水準でも作業量を大幅に削減できるしオーバーテクノロジー感があります。特に小さくて雑なアプリケーションを書いて手法を実証するようなプロトタイピングフェーズなら現時点の技術水準でも大いに役立つでしょう。
我々ITエンジニアは今後10年くらいのスパンで言うならば課題設定能力、ドメインナレッジの注入、コードレビューの力量とQAの力量、そして役立つアプリケーションが本当に役立つかを実証する能力(ビジネス的?)が問われるようになってくのでしょう。そして最終的には目的の設定と評価のフィードバックループを回し続ける現在のプロダクトマネージャーのようなスキルセットに移行する事になるのでしょう。
レオーッス
技能の研鑽と考えると、何をしたらいいって気持ちにもなりますが
まぁ作業しやすくしたり、少しでも作業時間を短くしたり、作業の質を上げたり様々ですね。
仕事になると作業の質を下げないように、作業時間をオーバーしないように、作業場がゴチャゴチャしないように調節しながら更にレベルを上げていかなければならないからこれまたしんどい話です。
まぁそれがプロだから〜仕事だから〜って言われちゃったら、そうかもとは思うのですけど。
だから仕事ってのめり込むのに抵抗がないことをやっていけばいいんだと思いますよ。
スタスタと抵抗なく作業してスパスパと仕事を終えて帰っていく感じで、その分だったら作業の質が下がるようなことも少ないでしょうし。
ということで本日は【快適な作業環境よいか】でいきたいと思います。
「AIにより簡単に絵が生成できるようになったことで、手抜きとしか思えない絵が、同人サイトや画像投稿サイトに大量に投稿され、検索が汚染されているので、AI絵師は規制されてほしい」というものである。
ということだ。
恐ろしいことに否定派がAIでない絵師ならまだ看過できると主張する理由は
「AI絵師と比べれば投稿ペースが遅いので、検索の汚染度合いが少なく済むからまだ我慢できる」
なのである。
つまり、AI絵師否定派にとっては下手な絵を投稿すること自体が害悪であり、その害悪を実行する頻度が高いのでAI絵師は否定されるべきであるという主張なのだ。
これは非常に由々しき事態だと私は思う。
何故ならば、もしここで「下手な絵の投稿は控えるべきである」という主張が通れば、その次には手書きの絵師であろうとその標的になるのは明らかだからである。
AIによる粗製乱造でないことを証明するための投稿頻度が最初「30分おき」と設定されていたのが「1時間おき」「2時間おき」「4時間おき」「8時間おき」「1日おき」と増えていくのは明白である。
だがそうやって規制が進むに連れて、クオリティの高い絵を描く者たちの作品であればいくらあっても良いと主張する者たちが現れ対立が起きるだろう。
そしてそこに折衷案が誕生するが、それは間違いなく地獄を生む。
「いいねが100以上の絵を投稿したなら時間を開けなくても投稿して良い」「一定期間の間に得たいいねの数で次のスパンまでの間に投稿できる上限が決まる」といった形で規制が行われるようになるからである。
そうなったとき、「今はまだ下手だが、投稿しながら練習し多くの意見を浴びることで急成長する」というタイプの絵師が成長する機会が損なわれていくのは明白である。
インターネットはかって絵師たちの卵が挑戦し、成長し、挫折し、時に花開き、時に適切な距離を学び直す場所として機能していた。
だが、AI絵師否定派達の語る規制論に動かされた未来においては、挑戦の場としての機能は損なわれ、結果として多くの者たちが自分と絵の適切な関係を学ぶ機会を失うだろう。
黎明期のインターネットにおいて、お絵描き掲示板にはマウスで描いた落書きと、下書きをスキャナで読み取った上からペンタブで丁寧に彩色された絵が平然と並んでいた。
10個の投稿を一度に表示する設定であれば、マウス片手に20分で描いた絵も、日をまたぎ作業時間が何十時間となった絵も同じ一つとして数えられていた。
今でもなお、インターネットにおいて多くの投稿サイトがその方式を取っている。
しかし、もしもその空間が消費者としての都合を押し付けようとする者たちの粗悪な言論に屈すれば、下手な絵はその存在を隠され、上手い絵だけが表示される差別的な階級社会が始まるだろう。
インターネットが育ててきた相互的な絵の共有という文化を破壊し、その上に自分たちが一方的に他社の労力を搾取するのに都合がいい世界を作り上げようとしているのだ。
0いいねも100000000いいねも、5秒で出力された絵も5年をかけた絵も、一枚の絵としての存在そのものは平等であるべきである。
その事実を捻じ曲げようとする者たちに対して、我々は断固として反対の声を挙げていくべきなのではないだろうか?
①インデックス投資:転職後の2015年から企業型DC(確定拠出年金)の形で開始した。証券会社が進めるコースとしてインデックス型の投資信託プランを適当に4つほど選んで7年間放置した。給料から自動的に引き落とされるので、その間本当に何もしていない。
②個別株投資:①から3年後の2018年より開始した。余剰資金による運用を行い、いけると思ったタイミングで売買を行った。1ヶ月〜数ヶ月程度特定銘柄を保有するいわゆるスイングトレードである。その間NISAの資金も投入した。1日あたりの作業時間は5分程度。
今までの運用結果
②:資産評価額による初期金額に対する現在の金額の割合は4年で約105%(一番良かった時で113%)
自分には大きなリスクを取ることができないことがわかったので、個別株投資をやめてインデックスに切り替えようかどうか検討中である。