はてなキーワード: 一世代とは
増田に限らずレスに全く名前が出ないシステムは「人格の同一性を持たない非人間的認知を備え、嘲笑を受ける・まねること以外に知性を知らないおっさん」が出現する傾向があって、それが文字通りの癌なんだと思う
もちろん完全匿名であることによってその道の専門家が突然本音レスしてくれるメリットとかもあるんだけど、レスに名前が出たり発言歴を追われて一定の同一性を追求されるシステムにおいて例えば元増田が困ってるように言葉を正しく取らないとか、全く意味が崩壊したメチャクチャな発言をするとか、都合が悪い時に非人間的認知を悪用して自分のレスを叩いて逃げを図ったり他人のフリをしてレスを押し流そうとしたりするとか、あるいは同様に自分への批判であるという事実を曲げてしまって、相手が全く違う発言をしたという妄想を組み上げてその中から一方的な罵詈雑言を流し始めるとか、そういう完全匿名のシステムでまかり通っている行為をすると、どうしてもそういう狂人に対しては正常化への圧力や否定しようがない異常性の証拠が出現するとかして、黙るなり異常行動のループが断ち切られて頭が良くなるといった変化が生じると思う。
そういうのがない、ただ「増田が増田の発言に対してレスする」システムはこの異常な癌のおっさんが排除できない、免疫能力を持たないという点に大きな問題があると思う。5chですら初期からIDによってキチガイの逃げを防いでたし。
まあ「癌おじが発生してメチャクチャになる」だけだと救いがないんで希望的な事を言うと、この癌おじは恐らく発生確率が1億分の3とか10とか、世代ごとに数名くらいしか現れない気がしていて、自己同一性を欠いて常に発狂激怒したレイドボス状態でも書き込みが許されるサイトを串刺しに荒らし回っているように思えるし、何より反論の能力を欠く。だからどうせ抵抗してこないレアケースだと決めつけてしまって、運営判断でシステム変更や規約変更もせずにチョキンと切り捨ててしまえば、それでまた一世代分くらいは持つのかもしれないと思う。
「鼠」は「風の歌を聴け」に始まる「鼠四部作」に登場する。主人公の友人であるが、ある日突然行方をくらまし、「羊をめぐる冒険」では自ら死を選ぶ。語り手と主人公の仲は深く、あたかも語り手の半身のようである。己の半身が半ば死の世界にいるというモチーフはこの後に何度も繰り返される。
この半身のように親しい友人は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のなかでは幻想パートの「影」に姿を変える。彼は語り手の半身であり、語り手の記憶を保持している。壁の中に閉じ込められた世界を脱出するためには二人がそろっていなければならないが、土壇場で語り手は壁の内側にとどまることを選び、影は死ぬことになる。
「ノルウェイの森」では彼は「キズキ」になる。物語の序盤で排気ガスによる死を選んだことが語られ、交際相手であった直子の死の遠因となる。
また、直接の半身ではないにせよ親しい友人で自ら死を選ぶ点で共通しているのは、「ダンス・ダンス・ダンス」の「五反田君」だ。彼は連続殺人犯であったことを明かして死ぬ。このあたりのくだりは恐らくチャンドラーの影響が深い。
このように、半身はしばらくのあいだ無力な存在だったが、「海辺のカフカ」以降では様子が変わる。「カラスと呼ばれる少年」は、「カフカ少年」のもう一つの人格のように見えるが、彼は「カフカ少年」を客観視し、適切なアドバイスを与える。一貫してサポートしてくれる存在だ。半身が異界の住人であるというモチーフであり、「鼠」の系譜に属しているが、そこに自ら死を選ぶような面は見られない。「海辺のカフカ」は主人公がとても若い点でも特異だ。
ただし、佐伯さんが現実感を失った生活をするきっかけとなった、東京の大学紛争で殺された友人は、佐伯さんがノルウェイの森の「直子」の系譜に属するとすれば、「キズキ」のもう一人の子孫だ。
キズキと直子が、そして佐伯さんとその恋人は幼い頃から自然に性交をしていたが、まるで思春期の完璧さを求める性向が現実によって打ち砕かれるかのように、その関係が死によって断たれる点でも、この二つのカップルは類似している。
村上春樹の小説には一貫して何らかの精神疾患を患った、少なくとも感情的に不安的な女性が出てくる。
デビュー作の「風の歌を聴け」の時点から、「小指のない女の子」として出てくる。彼女は話している途中に突然泣き出してしまう。また、周囲の人々がひどいことを言うとも語るが、これが事実なのか、精神疾患ゆえの妄想なのかどうかは判然としない。
この系譜が「1973年のピンボール」の中ですでに亡くなっているかつての恋人「直子」につながり、さらに「羊をめぐる冒険」の「誰とでも寝る女の子」につながっているかどうかはわからない。ただ、「ノルウェイの森」の「直子」には直接つながっているだろう。語り手の過ちによって感情を失った「国境の南、太陽の西」の「大原イズミ」も、彼女の裏面だ。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」もその子孫だ。
また、恋人または妻の一つのアーキタイプとして、「ねじまき鳥クロニクル」の「クミコ」「加納クレタ」や「スプートニクの恋人」の「にんじん」の母にも発展しているようにも思える。
より明確な形としては、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」が子孫のようだ。前述のように恋人の死をきっかけに精神を病む、少なくともある種の現実感を失ってしまう点が共通している。ただし、佐伯さんは後述の老女の系譜にもつながっている。ピアノができたことを考えると、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」も「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」も同じカテゴリに入れていい。
そもそもこのキャラクターの流れについての記述は、誰が後の作品の誰に直接発展したかを明確に追うことではない。おそらくはいくつも混ざり合っている。むしろ、これは村上春樹の作品を解釈するための補助線として見るのが適切だろう。
彼女がやたらとタフになったのが「1Q84」の「青豆」かもしれない。あるいは、生命力にあふれている点では後述の「ミドリ」だろうか。
直子とは対照的な心身が比較的健康なタイプの女性の系譜もある。
性に対する好奇心の強い「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「太った娘」もそうだが、彼女は後述する「少女」の系譜につながる面もある。
同じく制に対して罪悪感を持たない「ノルウェイの森」の「ミドリ」、「国境の南、太陽の西」の「島本さん」、「スプートニクの恋人」の「すみれ」、「海辺のカフカ」の「さくら」(どうでもいいがこのキャラのせいでおねショタに目覚めた)、「1Q84」の安田恭子へとつながっている。
村上春樹の作品を時系列順に読み返すと、ある時点で突然新しい属性を持ったキャラクター群が登場する。それは、どことなく巫女的な力を持った若い女性である。
前兆としてあらわれるのが、「羊をめぐる冒険」では耳専門のモデルをしている21歳の女性だ。彼女は不思議な力で主人公を羊へと導くが、物語の終盤を前に姿を消してしまうので、いくばくか影が薄い。しかし、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる肥満の17歳の女の子は語り手を「やみくろ」の支配する東京の地下世界にいざなう。
より少女性が強まるというか、単純に年齢が幼くなるのが「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する13歳のユキで、彼女は五反田君の殺人の痕跡を巫女のように感じ取ることができた。
「ねじまき鳥クロニクル」での「笠原メイ」は、映画「ロリータ」を思わせる登場の仕方をするし、終盤では主人公を救う力の源であるかのように描写されている。月光の下で裸身をさらす姿は、今までの村上春樹にはなかった描写である。確かに「ノルウェイの森」で「直子」がそうするシーンはあるが、彼女は成人した女性だ。
「海辺のカフカ」では夢の中に現れる十五歳の佐伯さんの姿を取る、ここでは少女との性交が初めて描かれる。
巫女的な少女の系譜がより明確になるのが「1Q84」に出てくる17歳のカルト教団育ちである「ふかえり」だ。彼女は何らかの学習障害を患っていて独特の話し方をするが、彼女との性交は異世界との経路となる。
村上春樹が歳を重ねて少女との性交を書くのをためらわなくなっていったのは面白い(【追記】「ふかえり」にいたっては巨乳の文学少女という属性!)。というのも、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では肥満の女の子から私と寝ないかと誘われて断っているからだ。
大学の先輩がこう述べていた。ある種の作家は自分が生まれる十年ほど前の出来事をテーマにすることがある。なぜなら、自分が参加できなかった「祭り」だからだ。これが事実かどうかはわからないが、村上春樹は古くから第二次世界大戦と中国がテーマに含まれている。「鼠」の父親も戦争とその後の混乱で金持ちになった人間だ。興味深いことに村上春樹の父は中国に従軍している。
(余談だけれどもこの先輩は村上春樹作品にしばしば出てくる井戸は「イド」つまり無意識を示唆しているのではないかと言っていた)
さて、老人がキャラクターとして物語の信仰に深くかかわるようになったのは、「羊をめぐる冒険」の「羊博士」からだろう。彼はいるかホテルにこもったきりで、外に出ようとしない。しかし、探し求めている羊がどこにいるかという重大な情報を指し示す。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でも、現実パートには「老博士」が出てくるし、幻想パートには退役した「大佐」がいる。
軍人という属性が前面に出てくるのが「ねじまき鳥クロニクル」の間宮老人だ。彼はノモンハンにて過酷な体験をするし、そこである種の悪しき力に取りつかれる。
「海辺のカフカ」には「中田老人」が出てくる。彼もまたある種の不可解な力(後述の闇の力?)の犠牲になり、記憶や知性の多くを奪われてしまう。一方で、彼は「カフカ少年」に代わって父殺しを遂行する半身でもある。
「1Q84」では少し特殊で、これは近過去SFであり、戦争の経験者やその前後に生まれた人々が相対的に若い。それゆえ今までのパターンを単純に当てはめるのが適切かはわからない。
天吾の父がこの系譜に属するだろうか。「1Q84」では善悪が入れ替わることが多い。幼い天吾を無理やりNHKの集金に連れまわす点でネガティブに描かれていたにもかかわらず(村上春樹はこうした巨大組織を一般に「システム」と呼んであまり肯定的に扱わない)、後半では声だけの存在になった彼が助けに来るのだ。
なお、戦場に行っていたという点を考慮すると、これらの老人たちは村上春樹の父親の世代に当たるだろう。
米軍基地にいたという点でジェイもここに属しているかもしれない。
一世代上の女性が出てきたのは「ノルウェイの森」の「レイコさん」だ。彼女は心を病んではいるものの、主人公たちを導いてくれる。「直子」のルームメイトとして、彼女の心身の安定に寄与している。
それがおそらく「ねじまき鳥クロニクル」の「赤坂ナツメグ」になるし、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」を経て「1Q84」の「緒方静恵」になる。
彼女たちの多くは戦争をはじめとした暴力の中で深く傷つき、その中でもある種のコミュニティ・安全地帯を運営し続けている。「レイコさん」は精神病院の患者たちのまとめ役だし、「赤坂ナツメグ」は女性向け風俗(?)で女性の性的空想を現実にし、「佐伯さん」は図書館という静謐な環境を守護し、「緒形静恵」は性暴力を受けた女性の避難所を運営して、しばしば法を破ってでも報復を行う。年齢的にはかけ離れるが、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」もこの老女の系譜に属するか。
彼女の息子たち(血縁があるかどうかはともかく)の系譜は、「赤坂ナツメグ」の息子「シナモン」、「佐伯さん」の図書館で司書を務める「大島さん」、それから「緒方静恵」の柳屋敷でセキュリティを担当するタマルだ。セクマイであることが多い。
「1973年のピンボール」の双子の女の子を除いて、概して二人組の登場人物は不吉な前兆だ。体格は対照的なことが多い。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では「大男」・「ちび」の二人組が語り手に刺客を差し向け、第三勢力になって儲けようとだましに来る。「ダンス・ダンス・ダンス」ではまるで「長いお別れ」みたいな嫌がらせをしてくる「文学」「漁師」と語り手があだ名をつけた警官が出てくる。「海辺のカフカ」に出てくる二人組は、軽率な発言から「大島さん」を傷つけてしまう自称フェミニスト二人組だ。「1Q84」には「さきがけ」のリーダーの警備をする坊主頭とポニーテールの二人組がいる。
ただし、何度か繰り返すが善悪のシンボルを意図的に逆転させることが多いのが村上春樹の作品で、おなじ「海辺のカフカ」でも「カフカ少年」を森の奥に導くのは同じように体格が対照的な二人組の日本兵だ。
また、よくよく考えてみれば、「風の歌を聴け」の時点でも、「小指のない女の子」には双子の妹がいたのである。直接姿を見せず言及されるだけだが、このモチーフの萌芽とみていいだろう。
村上春樹はある時点で純粋な悪の起源はなんであるかについて語ろうとしている。
それは悪しき登場人物の姿だけでなく、クトゥルフ神話的な怪物としても姿を見せる。
現に「風の歌を聴け」に出てくるデレク・ハートフィールドの伝記は、ラブクラフトやバロウズをはじめとしたパルプフィクションの作家たちを混ぜ合わせたものだ。
「鼠四部作」のなかでは「羊」がそれに該当する。不可解な暴力や権力の中心に存在し、人間に憑りつくことで現実的な力をふるう。あるいは、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の現実パートの「やみくろ」たち、幻想パートの「門番」。「ねじまき鳥クロニクル」の「ねじまき鳥」や、綿谷昇の属する政治の世界。そして「海辺のカフカ」に登場する「ジョニー・ウォーカー」や、「中田老人」の口の中から出てくる不可解な物体。
非人間的な力ではないが、「ノルウェイの森」の「レイコさん」の精神を悪化させる原因となった少女も、この系譜に属していると見なしていいかもしれない。
だが、「1Q84」のリトルピープルの存在は解釈が難しい。今までとは異なり、単純な悪ではないようだ。初読時には「これは人が複雑な現実を物語化する能力の具現化で、善にも悪にもなりうる、ある種の単純化する力ではないか」と思ったが、再読したら違う印象を受けるやも知れない。また、「牛河」も悪しき力の手先のように見えるが、離婚した妻子がおり、生きた人間であって化け物ではない。
善悪が曖昧と言えば、「海辺のカフカ」では「圧倒的な偏見でもって強固に抹殺するんだ」が主人公サイドと敵役サイドのいずれでも使われる。
こんな風に、村上春樹はある時期から善悪を意図的にぼかし、単純化を避けるようになった。
【追記】アフターダークの暴力を振るった深夜残業してたサラリーマンもここにいれていいかも。
村上春樹後半期のテーマの一つをまとめるとしたら「どれほど不適切な養育環境で育ったとしても、その現実を受け入れてスタートするしかないし、ときとしてそこで学んだことに結果的に心が支えられてしまうケースがある」だろう。言い換えると「歴史・過去を消し去ることはできない」だ。
あと、「国境の南、太陽の西」の「にんじん」はうまくしゃべれないけど、「海辺のカフカ」の「カフカ少年」の造形に影響を与えたかもしれない。
別に結論はない。ただ、こういう順で発展していったのだなと考えながら読むと楽しいだけである。
もう一つ興味深いのは、親が亡くなるかそれくらいの年齢に近づくと、ちゃんと親と向き合ったような小説を、みんな書き始めることだなあ。
これ、なんで不細工な父親と美人の母親の子供が必ず頭の良い美形になる前提なんだろ
父親似の不細工(しかも頭脳だけは母親似)になる事例も十分にあるだろうに。
まあ何代も続けば美男美女ばかりになるかもしれないけれど、一世代では無理でしょ
あと、こういう淘汰が進んだ先は「二極化」ではなく「全体の底上げ」だと思うだよね
なんでバカや不細工も繁殖出来て、バカや不細工な子供も必ず生まれてくる前提なの?
だって不細工な男女にも好みがあるのでお互いに嫌い合うから、不細工は結婚しないし子孫も残さないから不細工同士の子供は生まれて来ないと思うんだが。
今の世の中パワーカップルは生まれてもウィークカップルは生まれないんだよ
実際に、今の大学生の親である概ね4、50代の世代って既にルッキズムが浸透しきっているから不細工は高学歴でも結婚できてない。
それによって今の大学生ってそもそもF欄でも顔が小さくてシュッとした美男美女が多いよね
https://twitter.com/012_diana_/status/1583771150433554432/photo/2
@012_diana_
悩んだ結果、車は
スズキ ソリオ HYBRID MZ 全方位モニター付メモリーナビゲーション
いつになったら正式発表されるんだ。
Creative Trend というブログが流してくる情報を見てたが、EPBなし全車速ACCも最上位のみという残念仕様。
納車も未知数だし完全にやる気なくなって見送る事に。
カーシェアで借りて高速も走ってみたが、実際乗ってみるとなかなか良い。
特に静粛性がよく、アイドリングストップした後の再始動がかなり静か。
エンジン再始動の振動が好きではなかったのでこれは大きかった。
中古なら5年落ち180万程度、ハイブリッドなら燃費も良く、メンテコストを考えても経済的な気はする。
気になったのは、加速がちょっと悪いと感じた事と、3列シートをたたむと邪魔な事。
中古ならナビが古くCarPlayとか使えない、エアコンの効きがイマイチに感じられた。
あと、ACCが30kmで切れるのもあるが……。
特にエアコンの問題は結構重く、2列目に乗せる子どもの事を考えるとサーキュレータがあるソリオにする要因になった。
5年落ちぐらいなら、中古だと同じくらいの価格であるので一瞬考えた。
古いわりに電子装備が充実している気がする。
そんなでかい車もいらんしな……。
ライズを一回借りた事があり、合わなかったのでなしに。特にステアリングの感覚がストレスだった。
ルーミーは違うかもしれないし、EPBやストロングハイブリッドの設定はあるのはいいんだが……。
と思ってたんだが、前が短いぶん運転席から見てすっげぇ取り回しがしやすいという事に気づき……
ディーラーで試乗させてもらったが、思いのほか静かでエンジン音も気にならず。なんか遠くの方でエンジン鳴ってんなって感じ。
マイルドハイブリッドでアイドリングストップの再始動も静か。燃費も悪くない。
前評判では低速域でエンジン来れるからブレーキに癖があるとか、アクセルが固いとかあったが、全く気にならなかった。
ソリオで良かったのは、新型車で上位モデルになるので装備が結構良かった事。
なんといっても全方位カメラ!車庫入れ下手くそなので感動してしまった。
カーシェアならバックカメラにガイド線がないのもザラにあるのに、4輪全部の軌道までわかるなんて……。
シーリングサーキュレータやIRカットガラス、サンシェードも標準で入ってるのは良かった。
ただHUDは正直いらんなと思った。目が疲れそう。センターメーターは意外と気にならない。
高速走行もしたが、一世代前のモデルだったからかロードノイズが気になった。ここは新型の設計に期待。
あとロングドライブを考えると…新型はシートが妙にやわらかいのは、正直ちょっと気になるんだが。
けどこのシート妻の評判はすげーいいんだよなー。
フリードに対してはサイズの差がやはり大きいかったが、各所との調整の結果3列目はいらないという合意がなされた。
荷台も狭いが、普段の買い物や旅行には十分。床下収納があるのも地味に良い。
フリードは3列目の跳ね上げが邪魔だし、広い分逆に奥の方に入ってしまったりする。
ほぼデッドウェイトを運ぶのも不経済。
という事でソリオになりました。
私も昔は専業主婦に憧れたよ。
母親もそうだったしね。仕事だって全然好きじゃないし全然無能タイプ社員だし。
でも今や共働きが当たり前じゃん。百人並みの顔面と何にも秀でない能力をもって専業主婦にはなれないんだよな。そこの現実はしっかり理解してるわけ。
でも、というかだから、それでも頑張って色んな修羅場抜けてきたら小賢しさばかりが育っちゃって結婚とか恋愛とか損得で考えるようになってしまった。
私は女なので、ある程度生活の保証をしてくれる相手でないと結婚して一緒の家に住むなんてこと嫌だもんな。
相手の親や兄弟、親族と無難に付き合ったり、家事して、仕事も行って、一応女として夫を立てたりしてさ。
体調悪いときも今なら一緒に暮らしてる犬が散歩つれてけー!でワンワン言ってても無視して2時間くらい寝てたりしてもあいつら後で恨んだり気分害してグヂグヂ引きずったりしないしすげー楽。
でも夫/妻は人間だからある程度まともな態度で体調不良とかもちゃんと人前に出せる機嫌で弁明しなきゃいけなくてそういうの考えると「だりぃ~」ってなっちゃう。
私は帰ってきて服をハンガーにかけるのがものすごく苦痛なんだけど、実家にいるときは制服でボーッとしてると母が「シワになる!なんで帰ってきたらすぐ脱がない?そしてハンガーにかけられない?」としかられまくっていたが、やっぱり即脱いでハンガーにかけることができない。でも私は会社じゃ普通の服とかメイクとか好きな人と思われてるっぽいし、脱いだ服を即ハンガーにかけない、ベッドの上に寝るまで平置きしてもそこまでしわくちゃにならない。一人暮らしってそういうさじ加減が全部自分基準である意味ワガママ放題できて虫が湧かない程度の汚部屋も自分が納得してりゃ人が不快に思うとかそういうの考えなくて済むから自己肯定感むやみに下がらなくていいし、正直コスパのいいライフハックなんだよな。そこに気がついちゃうと人と住むのとかもうごめんだもん。
病気になったりしたらどうしようって思うけどそれ以上に今の楽さを捨てられん。
全部折半か6:4くらいで気ィ使いながら人と一緒に住むためにリスクとるのとかダルすぎる。
よほど好きって気持ちが強ければ出来るのかもしれないけど、今までの人生での自分の恋愛スタイル見てたら自分がそういう情熱的なタイプじゃないのわかってるし。
なんでこんな愚痴っぽいこと書こうと思ったかと言うと、さっき実家の母と電話したら、知り合い(男)が結婚したんだけど、もう二~三ヶ月ずっとその男の子の方がご飯作ってるんだって。とか言うわけよ。
んで、あー、ね。みたいな感じに相づち打ちつつ一人暮らし長いと男の人も料理上手だしね。とか言ってたの。
母親は「嘆かわしいね~」みたいなノリなわけ。でも遅く帰ってくることとかあったら仕方ないよね~っていうと、奥さんの方がいっつも遅くて作らざるを得ないみたいよって話になってきた。
いや、そりゃ当たり前っつうかその知り合いの男の子も全部納得済みでやってんじゃない??って思ったんだけど、私の母は前述した通りずーっと専業主婦で彼女の世界では家事は女がするもので、働きに出てて家事出来ないのは怠慢、みたいな価値観で生きてるわけ。
一世代でこの断絶よ。その知り合いの子の母親もうちの母と同世代。(かといってうちの母のように今現在の夫婦の在り方のオーソドックスについてどのくらい理解があるのかは実のところよくわからない。そこに言及しないことは申し訳ない。)
実家に帰って、何気なくこういうこと親に言われるとその知り合いの子も「そっかー、やっぱ俺って可哀想かも。うちの嫁っていい嫁じゃないかも」とか思っちゃうかもしれねーんだよな。
そりゃ育ってきた環境で、自分の身近な母親って存在だよ?影響されても誰が責められる?
私は何もミサンドリーな事を言いたい訳じゃないのをわかってほしい。
結婚ってかなりハードモードだなって、現在を生きてて肌感覚で感じるわけ。
親との常識の差、経済的な余裕のなさ。そして一人暮らしというのが普通に精神的に楽すぎるということ。
そんな私にも、ごく普通の金はないけど一緒にいてそこそこ楽しい彼氏がいるけど、この人と結婚して働きながら嫁業できるかと聞かれると「無理」なんだよな~
最初に書いたように中途半端に小賢しい人間になっちゃったからもう愛してるの言葉だけで強くなれる気はしないんだよな。
彼氏とセックスしてるより寝っ転がってスマホでYouTube見ながら誰に気つかうことなく屁でもぶちかましてる方が幸せで気持ちいいんだよな~
10年前はたしかにこんな感じじゃなかったけど、この極度に高度化した社会で戦ってるとそんなラブロマンス的な慈味みたいなものをありがたく味わえる感覚なくしてくわ。
それでもこれも私が戦って得てきた経験みたいなもんだし、じゃあ10年前の弱々のセンシティブな自分に戻りたいかっていうと死んでもやなんだよなぁ。
難しいなぁ…正しく我唯足知ってことしたたいけど、もう頑張りたくないし、もう頑張れるキャパシティもないんだ。
幸せになるために頑張ってたはずなんだけどなー。
もうなんか間違ったことしか書いてなくて増田が何でこんなもの書こうと思ったのかちょっと意味が分からないんだけど
一応気になったところだけ訂正・説明を入れておく。(ほぼ全文にわたっているが…)
途中で「なんでこんな中間テストの採点みたいなことやってんの…」みたいな気分になったけど
万が一これを読んで本気にしている人がいるといけないので義務感で最後まで書きました。
あまりの衝撃に最初からテンション高いですけどね。もう疲れたからこのまま上げます。
なんなんやいったい...
遺伝病の断種は、遺伝病の根絶について特に有効ではないと考えられています。まず、潜性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、両方の染色体に、多くは遺伝子機能欠失型の遺伝子変異があると起こります。親は、片方しか持っていなければ健康なのですね。すると、両方の遺伝子変異を持つ遺伝病患者を断種させたところで、片方だけを持つ親が世の中にたくさんいるわけです。どれくらいの数いるか?実はね・・・地球上の全人類で、これを持ってない人はいないと考えられています。今、個人の全ゲノム塩基配列決定とか普通にできてますからね。観察的にそうです。さてそれでも、両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくでしょうか?実はね・・・そうならないと考えられます。ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。
まず、
「ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。」じゃねーよ。
選択があるのに対立遺伝子(A、a)や表現型(AA、Aa、aaの組み合わせ)の頻度が変化しなければハーディ・ワインベルクの法則じゃないだろ。
潜性のホモ接合aa(つまり発病してる人)を継続的に人口から取り除いていけば人口中の対立遺伝子Aに対する対立遺伝子aの頻度は低くなるにきまってるだろ。
対立遺伝子aの頻度が低くなるんだからAA、Aaの組み合わせに対するaaの組み合わせの頻度(発病する人の割合)は低くなっていくにきまってる。
つまり両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくんだよ。ハーディとワインベルクによれば。
学部レベル以下の知識がないぞ自称ゲノム科学者。というか論理的な思考が出来てないだろう。どうやって大学はいったんだ?
頑張れ。もっと頑張れ。
さてそれでは、顕性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、染色体の片方にでも遺伝子変異があれば発症するもので、つまり、遺伝病を発症している人を断種させれば理論的に根絶できます、が、実はね・・・ヒトゲノムには突然変異が起こるのです。もちろんこれが進化の原動力なわけですが、これにより、顕性遺伝病も発生します。つまり、両親が健康で、遺伝子変異を片方持つわけではない場合でも、子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きるのです。デノボ突然変異って言います。
「実はね・・・」じゃねーよ。今どき突然変異が起こることを知らねー人間が存在するのか? 進次郎か。プラスチックの原料か。
そもそも突然変異の発生率がとても低くて、ひとつの遺伝子につき平均で一世代で一万分の一から百万分の一(*1)。しかもアミノ酸のコドンには冗長性があるからベースペアが一ヶ所変異してもアミノ酸は変わらないことの方が多いし、アミノ酸がひとつ変っても即タンパク質の働きに影響が出るわけではないから機能不全が新たに発生する率は実際にはひとつふたつ低いオーダー(十万分の一から一億分の一)。
だから新しい変異による発病はほぼ無視できるんだけど、実際の変異率がいくつにしろ発生率より速いレートで変異を取り除いていけば全人口中の有病者の割合が下がっていくのは当たり前のことだし、変異を取り除かない場合の有病者割合の増加率は継続して取り除いた場合に比べれば絶対に高くなる。当たり前の話だ。
そもそも(十万分の一から一億分の一の確率で)「子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きる」ことと「顕性遺伝疾患を持つ親の子供は100% 50%-100%の確率で(素で間違えた。恥ずかしい)おなじ遺伝性疾患を持つ」ことは別の話だ。子に突然変異が発生して顕性遺伝病が起きたら当然「その子が」生殖することを許さず新たな有病者の発生とそれによる社会の負担の増加を防止しようというのが優生思想だし、それは可能なんだよ。
優生学は「特定の個人が病気を持つかどうか」の話じゃあない。優生学は集団遺伝学の話(集団中の有病者の割合・それがどう変化するか)なんだよ。この違いが分かってない生科学者なんて存在するのか?
有効だよ。上に書いた通り。「抑制」は「根絶」じゃないしそもそも根絶は目指してないから。
問題は「個人に遺伝病が起こるか起こらないか」じゃないんだよ。問題は「全人口の中の有病者の割合をどう抑えるか」だよ。
さて、ここまで読んでくれば読者は気づいたでしょうが、運動能力、見た目の美醜、学歴、といったものは、これは単一遺伝子型ではありません。もし、学歴を問わない父親と、東大卒の母親から生まれた子の1/2が東大卒になると言うなら、これは単一遺伝子型の顕性遺伝と言うことになりますが、そんなわけはありません、経験的に。誰も行かないこともあるし、佐藤ママみたいに4人全部行くこともあるでしょう。単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。ばらつきが起きるが、一定の遺伝性はあるように見える形質、これは多遺伝子型です。
ちょっと待て。
「単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。」じゃねーよ。
たとえ「東大卒業する」が顕性単一遺伝子だとしても子供がその顕性遺伝子をもつかどうかは確率の問題で、必ず「生まれた子の1/2が東大卒になる」わけじゃねーだろ。ひとりひとりの子供が「東大卒業する顕性単一遺伝子」を持つ確率が1/2なら「子供4人中誰も東大卒業しない」も「4人全員が東大卒業する」も6.25%の確率で(ばらつきが)起こるだろ。
性染色体はひとつの遺伝子じゃないけどXとYはクロスオーバーしないから単体として遺伝するだろ? 男が生まれる確率(子供がYを持つ確率)は常に1/2だな? それでも全ての家庭で常に「生まれた子の1/2は男」になるか?経験的に。誰も男じゃないこともあるし、佐藤ママ(誰やそれ)みたいに4人全部男のこともあるでしょう? 遺伝というのは確率だから顕性だろうと単一だろうとばらつきは起こるんだよ。
この多遺伝子型の形質には、単一ではないとするならどれくらいの数の遺伝的変異が関与するでしょうか。これはここ10年くらいで確定してきた最新のところではあるのですが、どうも最低数千あるようです。それぞれの形質に、それぞれ数千です。こんなにたくさん因子があるとどうなるかというと、中心極限定理により正規分布します。多遺伝子型の形質は、正規分布するのです。すると何が起こるでしょう?
平均への回帰です。
「平均への回帰です。」じゃねーよ(笑)溜めをつくって関係ねーことを言うな。渾身のボケか。(ちょっとウケた)
無数の試行の平均が母集団の平均値に回帰するのは母集団が(またはサンプルが)「正規分布だから」じゃねーよ。大きい値も小さい値もランダムに抽出するからだよ。
親と子の身長に相関があり、長身の親(正規分布の一方の端)だけ取り出したら(つまりランダムではない。これが優生理論)、その子供の平均身長は「長身の親の平均値」に近づくにきまってるだろ。「長身も低身長も含めた母集団の平均値」に回帰するわけがない。
おまえ本当に大丈夫か? なんかわざと間違ったこと言おうとしてる? ツッコミ待ちか?(たぶんそうなんだろうなぁ...)
いみじくも優生学の創始者ゴールトンが明らかにしたのが、親の身長とその子の身長を比較すると、極端に身長の高い親の子は、どちらかというと平均側、普通っぽい身長の方にシフトする、と言う現象です。それで回帰というわけですね。平均に戻る、ってことです。
ゴルトンの観察が平均に回帰した(ように見えた)のは実験の条件が一定じゃなくて子供のサイズが親のサイズよりも環境から受ける影響の方が大きかった(つまり親のサイズという変数に対して無作為抽出になっていた)からだろ。だいたいゴルトン自身が気付いて生物学的根拠のない統計上のアーチファクトだって言ったものを掘り出して差し上げるな。晒し上げか。
どういうことでしょうか。メジャーリーグMVPの大谷翔平の子は、みんなメジャーリーグとかよりもずっと普通っぽい才能になるだろう、ってことです。ええ、皆さん、知ってますよね。長嶋茂雄の子もそうだった。野村克也の子もそうだった。あれが理論通りなんです。教育環境がいいから、それでも普通よりはいい方に行くわけですけど、親と同じような超絶スーパーエリートにはならなくて、それは統計学的に予想通りでして、確率統計の基礎の基礎、正規分布の性質により説明できます。大体さ、大谷翔平の親はどうなのよ。メジャーリーガーだったわけじゃないわけですね。
大谷翔平、長嶋茂雄、野村克也が周りより一歩も二歩も抜きんでてたのは遺伝形質(身体的特性)に加えて本人が努力したからに決まってんだろ。努力の結果が遺伝するわけがない。遺伝疾患や体格と一緒にするな。わざとか。どっかの詭弁のテンプレートにこういう例があるのか。
まあ、それでも、意味があるじゃないかっていうかもですね。平均への回帰って言っても極端だったのが極端でなくなる、ってわけで、身長が高い親の子の平均値は、身長が低い親の子の平均値よりは高いです。平均だけの話で、大幅にオーバーラップしますが。それでも平均を徐々に上げていけばいいじゃないかと。
だから初めから優生学の対象は特定の個人の能力(大谷翔平の子供は野球が上手いかどうか)じゃなくて集団全体の性質だって言ってるだろう。もともと「全体の平均を上げること」「全体の中で望ましい(くない)ものの割合を増やす(減らす)こと」が目的だ。「背が高いことが社会にとって良いことだ」となったら(どういう理由でそうなるのか知らんが。軍事強化?)長身の者に優先的に生殖の機会を与えて国民の平均身長を大きくするのが優生学の目的と手法だろう。むしろそれ以外になんだと思ってるんだ?
いずれにしろ「身長が高い親の子の身長も身長が低い親の子の身長も平均に回帰する」というのは単純に間違い。もしそうなら長身の者だけに生殖させても平均値が高くなるわけがないし(どういう理屈で「平均への回帰」と「平均を徐々に上げていく」が両立できるんだよ?)長身のものが優先的に子供を残せば集団の平均身長が高くなるのはすでに事実としてわかってる。(*2)
ところが、多遺伝子型には数千もの遺伝的変異が関係するというのはどういうことかというと、単一遺伝子型のように、どれか一つの遺伝的変異はどれか一つの遺伝病に対応する・・・ということになりません。重複しちゃうんです。ある遺伝的変異は、ある形質にも、別の形質にも、関係する。多面的関連と言います。例えば身長を高くする遺伝的変異は、同時にがんになりやすくする多面的関連を持つことが多いことがわかっています。するとどうなるか。身長を高くするように、集団の結婚相手を操作していくと、がんが多くなって寿命が短くなるでしょう。では学歴はどうか?学歴を高くする遺伝的変異は・・うつ病になりやすくすることがわかっています。
ここの部分は必ずしもすべて間違っているとは言えないが、身長の高さとガンの発生にについてはそれぞれが関連する遺伝子座の間に統計的な相関が見つかったというだけで身長を高くする遺伝子がガンの原因になるというわけではないし、長身の集団が低身長の集団に比べ短命であるという証拠もどこにもない。後者(学歴)に至っては関連が指摘されているのは「うつ病」と「低学歴」だし(*3)、それが共通の遺伝子の多面作用によるものだという考えは否定されている(*4)のである。
ていうか今気付いたけどこいつ遺伝的変異ってずーっと 「mutation(突然変異)」の意味で使ってない? 遺伝的変異は variation だから「数千もの遺伝的変異」とか「どれか一つの遺伝的変異」とかないんだけど...
これ、マジでまちがい探しかなんかか? なんで書いてあることがことごとく間違ってるんだ? 罠?
どうでしょうか。基本的に優生学というのは、国家の文脈で語られます。学歴の高い国民をより多数生み出し、国家の生産性を上げたい、というわけです。しかしどうでしょうか。うつ病が増えると、生産性はどうでしょうか。私はうつ病の人は生産性が悪いと言いたいわけではありません。しかし、優生学論者のロジックは成立しますか?(明示的に成立するとは言えないのではないですか?)と言いたいのです。
多遺伝子型の遺伝構造はまだわかっていないことも多く、「優生学的操作」をしてどうなるかすらわかっていないんですよ。形質に遺伝的因子があるなら、優生学的操作をすれば人類は必ず優秀になる・・・というのが元増田の議論の開始点だと思いますが、そこ、すでに間違ってるんです。
だからなんで話を「まだわかっていないこと」だけに限定するんだよ。じゃあわかってることには優生学的手法を使ってもいいのかよ。国や医療システムにかかる負担を軽減するために「遺伝病患者は子供つくっちゃいけません」っていいのか? 問題はそこじゃないんだよ。
優生思想がダメなのは「科学的に間違ってるから」でも「有効じゃないから」でもないんだよ。優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてるから。元増田が優生学とは何かをそもそも理解していないのは確かだが、おまえの言ってることもほぼすべて間違ってる。
結論としてすでに社会的に受け入れられてない優生思想を否定したいんだったら、ウソを書いてまで「科学的」根拠をでっちあげる必要がないだろう。
なにが目的だ?
まさかゲノム科学者(自称)がこれらの間違いを本当に信じているはずがあるまい。
特にうつの「高学歴」と「低学歴」入れ替えてるところなんてワザとじゃなきゃどうやって間違えるんだよ...
*1 https://www.sciencedirect.com/topics/biochemistry-genetics-and-molecular-biology/mutation-rate
*2 https://www.science.org/content/article/did-natural-selection-make-dutch-tallest-people-planet