はてなキーワード: レンタルビデオとは
電話が苦手だ。掛けるのも受けとるのも。メモしたのが本当に合ってるのか分からない。あと大抵緊急性があって悪い知らせのが多いからトラウマだ(レンタルビデオ屋の延滞、その日ないと思ってたバイトが実はあった、等) 苦手な理由を三つにまとめてみた。
①確実性がない
③「今」である
②聞き取れない
一つ目は「確実性がない」ということ。メールは文章に残るし、いつでも確認ができる。相手の都合もあまり考えなくて良い。電話は難しい。メモしたとしても間違っている可能性だってある。
二つ目は「今である」こと。電話はing、現在進行形だ。電話しながら予定を聞かれると困る。スケジュールはスマホで管理しているため、電話しながら予定が見れない。トイレ入ってるときとか出たくないし。こっちの予定を考えてくれない。いつ掛かってくるか分からない電話のために、常にスケジュール帳を持ち歩くほど几帳面ではない。
三つ目は「聞き取れない」こと。家で一人のときじゃないと掛けられないし受け取れない。これは個人差が大きいだろう。雑音が混じると途端に混乱して、何も聞こえなくなる。ファミレスでバイトしていたとき客からの電話対応が本当に苦痛だった。あそこは雑音の巣窟である。客のお喋り、キッチンの調理音、ガチャガチャと皿を洗う音、大通りだから車もブンブン鳴る。あと電話向こうの声が小さすぎて全く聞こえない。向こうは静かな家から掛けているから小さく話すのだろう。しかしこちらは雑音に囲まれて聞き取れないのである。お店に電話するときは威圧しない程度に大きな声でお願いします。
メールというありがたい確実な連絡手段があるのに、わざわざ電話を使うのは生産的じゃないなあと思う。それを使わなければならない所がたくさんあるのは分かるのだが、電話は嫌い。咄嗟に言葉出てこないし、おかしいと思ったところも上手く突っ込めない、質問できない。早く電話切りたい、という気持ちが先行するから。
続き。
そんなサブカル界隈さまの冷笑・道楽主義・ことなかれ主義のせいでどんな事が他にも行われたのか?
・レンタルビデオ編
喧嘩番長〜乙女〜やニルアドミラリの天秤、恋とプロデューサー、BAKUMATSU(前後編)だとか
それぞれの放送時期の有力腐夢関連のかませ犬同然で終わった腐夢関連がゴリ押しされ、
スマホ太郎やダイナミックコード、異世界チート魔術師、いもいも、CONCEPTION、ぱすてるメモリーズだとか
非アニメ層が偶然見たら「アニメなんてこの程度の代物」だとかいう誤解に繋がりかねない腑抜けも
超余裕太郎や賢者の孫のような量産型なろうもゴリ押しされるんだよ!
で、その一方で
けものフレンズ2017やガヴリールドロップアウト、スロウスタート、わたてん、
有力日常枠や
ヴァイオレット・エヴァーガーデンや宇宙よりも遠い場所の18冬人間ドラマ2強が入ってこないなんてことにもなった。
ことなかれ主義と道楽主義と冷笑主義の結果テレ東を増長させてBSテレ東でのプリチャン2年で打ち切り、
アースグランナーだけでなくシンカリオンやヴァンガード新作もBSテレ東放送なしみたいになったし。
独立局系だと
BS11でデス種や鉄血だとか微妙ガンダムが平然と放送されオリジンは再放送されない、
令和になってようやくシュタゲのゼロにならない最終話がBS初放送…
雑誌『映画秘宝』の中で「ボンクラと云う『甘え』」が蔓延るようになった原因について、少し考えてみます。
デルモンテ平山が、レンタルビデオ屋全盛期に某誌からレンタル専用作品を視聴して短文レビューを書くように依頼されたはいいものの、どれも余りに駄作ばかりだったものだから、平山が苦し紛れに適当な文章を書き散らしたところ予想外の反響を一部で呼び、その反応を見た町山智浩が「これらを一気読み出来るようにすれば受けるぞ!」とまとめて掲載したのが、他ならぬムック時代の『映画秘宝』でした。
似たような例として、中原昌也とかが適当な事を言ったのが切っ掛けで注目を集めた作品があって、実際に観たら「聞いた話とだいぶ違うぞ!」と言いつつも、それなりに『映画秘宝』ファンは楽しんだりもしていました。
他にも、アルバトロスの叶井俊太郎が、適当な直感で買い付けたら予想外にヒットしたのが仏映画『アメリ』だったなんて裏話も『映画秘宝』は記事にしていました。
こんな感じで、要するに『映画秘宝』には、誰かのイイ加減だったり無茶苦茶だったりする仕事ぶりを、面白おかしく取り上げて楽しむと云う風潮が早い時期からあった訳です。
しかし、この風潮に関して公平を期すと、これは何も『映画秘宝』だけに限定される話ではありませんでした。つまり、より広く言えば、日本の映画業界及び映画ファンの中には全般的に、業界の無茶苦茶な話を面白がるような風潮と、業界入りした人間は諸先輩方を見習って無茶苦茶なことをする人間に成長するのが「理想的な業界人」の在り方だと考えるような風潮が古くから有ったように思います。
したがって、傍目にはドン引きするだけのエピソード群を、町山智浩らが悪びれもせずに面白おかしく語りたがるのは、彼らの中に「古き良き(※現在の私は『良き』とは思いませんが)映画業界人の理想像」があって、それに近づきたいと云う「願望」の顕れなのだと思います。
それで、その日本の映画業界人はと言えば、全ての人間がとまでは言いませんが、反・権力な言動を示したり、政治に関しては革新派政党・政治家を支持する姿勢を示したりと云うのが、戦後の多数派だったと言ってもそれほど間違ってはいないと思います。まあ、津川雅彦みたいな人もいましたが。
その一方で、現実の日本の映画業界は、今で言うところのセクハラとパワハラに満ち溢れた世界でした。監督や大物俳優が、助監督以下のスタッフらに対して物理的・精神的な暴力を行ったり、演技指導を名目に性暴力・セクハラを行うことは日常茶飯事でした。
現場の空気をピリッとさせる為に、常習的に助監督らを怒鳴りつけていた若松孝二。
安全管理対策をしないまま、鎧甲冑を身に付けたスタントマンを滝壺に飛び込ませて、溺死させた井筒和幸。
所有するプレジャーボートにターゲットの女優を乗せて沖合の海に連れ出し、逃げ場を無くしてから女優に無理矢理に性行為を要求した梅宮辰夫。
この文章を読んでいる人の中にも、すぐに同様の事例を思い出せる人がいることでしょう。
梅宮辰夫は兎も角、口では「反・権力」等の綺麗事を言いながら本人は他人を搾取したり抑圧したりと云う、まるで現在の町山智浩や高橋ヨシキらを彷彿とさせるような映画業界人が探さなくてもゴロゴロ存在していた訳です。
したがって、こういった業界人たちが現に大手を振って生きている(たとえ警察沙汰になってもヌケヌケと復帰できている)上に、彼らが「理想像/お手本」となれば、町山智浩を筆頭とする『映画秘宝』関係者らが無茶苦茶をする人間になっても何も不思議ではないのかもしれません。
「ボンクラと云う『甘え』」の源流の一つが、日本の映画業界そのものにあるのではないかと云う話でした。
次回も「ボンクラと云う『甘え』」について述べる予定です。
ネットでもはてなでもプライベートでも「シン・エヴァンゲリオン」の話でもちきりだ。
友人・知人から「増田君はもう見たか?」「いつ頃見るん?ネタバレされんようにな」とか、見たこと・見ることを前提で話題を振られる。
でも自分は見てないし、見る予定もないし、見るつもりもない。だって、今までエヴァを見たことないもん。思い入れがない。
なんで見たことがないかって、捻くれてるわけでも逆張りしているわけでもない。
ものすごくかんたんな話で、当時、テレビでやってなかったんだよ!!!!!!
アニメの情報を知る手段なんて、せいぜいコロコロかジャンプくらいしかなくて、それ以外はテレビ欄やCMで存在を確認していた時期だ。
それ以外で家のテレビで映らないアニメなんて存在しないも同じ。うちの地方は映らないから周りでも話題にならず、情報も入ってこない。
取っ掛かりがないから、レンタルビデオを借りようなんて発想もない。
もちろんある程度年を食ってから、エヴァってすげえぞみたいな情報は入ってくるけどさ、周りの話を聞いてると悶々としている思春期の少年のハートにぶっ刺さる内容みたいじゃん。
そんなアニメを大人になって初めて見てみろよ、「あ……ふ~~ん……」「フウン、面白いね(暗黒微笑)」みたいな大人目線で捻くれた感想を持ってしまった挙句、このアニメ本当に面白いのか?と面白がってる人に茶々を入れる面倒臭いオタクが完成するのが目に見えてる。だから俺は見ない。なんかすごいアニメだということで、心の中に封印してイメージを崩さないようにしておく。
もうね、俺は思春期にエヴァを見られなかったはみ出し者で負け組なんだよ。リアルタイムで見て、俺の思春期のハートにぶっ刺さって欲しかった。エヴァQで頭がテンパったり、シンエヴァが公開されるまでドキドキしたり、今のエヴァの話に混ざりたかった。でも、もう、すべてが遅い。
チクショー!!!KBS京都め、なんで当時エヴァを放送してくれなかった!!!びわこ放送はやってるのに!!奈良テレビもやってるのに!!!テレビ和歌山もやってるのいぃぃぃっ!!!
あ……でも、サンテレビはやってないな。でも神戸の方だと確かテレビ大阪は映ったはずだし、兵庫県の……おそらく姫路の方の人だと悲しみを共有できそう。
ていうか、テレビ東京系のアニメのクセに何で世代共通言語みたいになってるんだよと思って、Wikipediaを見てたら、独立系放送局だと日本全国津々浦々放送してんのか。だったら、なんでKBSは当時やってくれなかった。
まあ京都も場所によってはテレビ大阪は映るんだけどさ。うちの学区は映らねえんだよ。ただ、ケーブルテレビに加入すると映る。なにせ、加入の殺し文句は「テレビ大阪が見れるようになりますよ」だからな。
なんか話が脱線してしまったけど、リアルタイムで洗礼を受けて、今エヴァを楽しめてる人が羨ましいってことや。嫌味で言ってるわけじゃない。文字通りの意味で羨ましいんだよ。
ガイナックス、つまり庵野秀明とかのオタクが宇宙戦艦ヤマト世代だったはず
コミケで女性が森雪とかうる星やつらのラムのコスプレをするようになったのもあの世代の気がする
自分の中でもオタクというのはDAICONフィルムのようなイメージがあった
つまり、エンタープライズ号とか、宇宙の戦士とか、カニみたいな金星人とか、ゴジラやガメラ、ウルトラマン、ダースベイダー、ストームトルーパーとかだった
自分は小学校時代は周囲がジャンプを読む中、ホビージャパンや朝日ソノラマの宇宙船、ファンゴリアを読むのが楽しみだった
そういえば、マイ・ケミカル・ロマンスの「I'm not Okay」のPVはそんな出だしだった気がする
https://www.youtube.com/watch?v=dhZTNgAs4Fc
あー、トラウマが蘇るなあw
あれをチャンスだと宅八郎が考えたのは間違いないと思う
後に暴露されているように、宮崎勤の部屋にあったポルノ雑誌は記者が部屋の奥から探し出して見える位置に置いたものだった
スナッフネタもあるギニーピッグは宮崎勤以外にも多くの人がレンタルビデオで借りるなどして観ていたはずであるが、宮崎勤事件以降同様のケースを聞かない
また、ギニーピッグには多くの比較的知名度のある芸能人や俳優が出演していた
今で言うなら、怪談新耳袋や本当にあった怖い話、世にも奇妙な物語、トリハダなどの類である
そもそも、宮崎勤はそんなにホラーやスプラッターが好きだったわけでもないようだ
テレビでは宮崎勤の部屋にあったウルトラマンの切断技のシーンだけを集めたビデオを取り上げ、ウルトラマンの切断技が猟奇趣味に繋がったと煽り立てた
当時はインターネットなど存在するはずもなく、映像マニアは郵送でVHSのビデオを交換し、ダビングし合っていた
宮崎勤はポルノやウルトラマン、猟奇趣味というより、映像の収集に執着していたようである
つまり、部屋中に敷き詰められたビデオはほとんど観ていなかったとさえ考えられる
全巻そろえることが目的であって、読むことが目的ではないようなものである
ドラマなどの全話収集を目的に執拗にダビングを要求してくるくせに、宮崎からはネタを提供しなかったからである
また、宮崎はコミケに参加していたが、それは当時はワープロもなかったため代行で文字を清書する担当があったからである
ここまで書いてみても、自分の中のオタク像と宮崎勤はあまり被らない
何をオタクと定義するかによるが、鉄道オタクとか広く考えるなら彼は映像収集オタクではあったのだろう
小林よしのりが公開討論を断っているように、宅八郎は売名行為にいつも必死だった気がする
彼はブラウン管の向こうの視聴者が観たいキモいオタクを演じることを考えた
それがマジックハンドや紙袋を持ち、森高千里のフィギュアを持ち歩いては舐め回すオタク像だった
学校では漫画やアニメが趣味というだけでDQNに後ろから蹴られるようなことが起こった
今になって自分以外にも被害者が全国に大勢いるということは、それだけメディアの影響は大きかったのだろう
宇宙戦艦ヤマトやうる星やつらがそういったブームをもたらした一因であることは否定できない
ヤマトやうる星がなければガンダムもイデオンもマクロスもない、エヴァだって今はなかっただろう
ヤマトや高橋留美子作品だって、元々は手塚治虫だったり、その元々は田河水泡ののらくろだったりする
しかし、Aは駄目、とルールを決めるとき、A#やAbはどうなのか?A'はどうなのか?
それから、Aが駄目ならBやCも駄目になるし、Cが駄目ならDもEも駄目になるんだけどいいの?ということはよくあるわけだ
その線引きや人権との兼ね合いはこれからも人類が滅びるまで永遠に議論されるべきテーマなのだろう
逆に言うなら、今すぐ答えが出るようなものでもないし、拙速に求めていいものでもない
これからもエンターテイメント作品等とそれに対する規制は永遠に議論されるべきであり、文系的には文化の研究にもなる話と思われる
マクロスのプロトカルチャーだのデカルチャーだのではないが、思想や宗教が異なる者同士の交流は異文化交流と言えるだろう
個人的に思うに、宅八郎はそういった文化の衝突を売名行為に利用し、議論の余地をぶち壊すことを扇動した人物だった
オタク評論家と称している割に、教条主義が嫌いと誤魔化して、エンターテイメント作品に対する知識も浅く、オタクにしては薄っぺらい印象があった
というか、当の本人も売名のためにオタク評論家を名乗っているだけで、オタク文化自体にはあまり興味がなかったように思える
それより、YMOは単なるインテリであり、ヒカシューやプラスチックスをテクノ歌謡と持ち上げるとかの方にご執心だったようだ
YMOのメンバーの学歴から考えればそう感じてもおかしくない気もする
しかし、宅八郎はそういったコンプレックスよりも、とにかく天邪鬼なことを言って目立ちたい、売名したいが優先している嫌いがある
公開処刑だのストーカーだのオウム擁護だのも、とにかく逆張りで目立ちたい、他人のひんしゅくを買って目立ちたい気が満々だったようにしか思えない
その3 後編
そして、円盤屋やレンタル屋やその大元は非公式のネットテレビ動画サイトのさばるの嫌だと思うなら
一番非公式ネットテレビにアップされると困る作品の方の入荷を優先できなかったんだよ?
スマホ太郎や百錬やARPやエガなんたらや異世界チート太郎とか非公式ネットテレビのカモにされてもおかしくない様、の以前の問題、つまり
YouTube作品公式垢で2〜4話セットで有料レンタル方式での動画配信ならばレンタル品揃えのスペースをドブに捨てる事にならなかった…な程度の質の作品ばっか何でこの4年間入れてきたんだよ?
メイアビもVEGもけもフレ一期もゆるキャンもわたてんも恋アスも正規の視聴手段(公式配信やレンタルビデオ等)でみんなに見てもらいたかったんじゃないのかよ?
その事をしっかり考えて下さい。
その3 中後編
日本における有線インターネットインフラ関連の問題にも繋がりますよ。
それに民放テレビやNHKで見やすい時間にパソコン講座番組放送するべきだったのに行おうとしなかった。
その結果我が日本はスマホとタブレットあればいいみたいな低い志しの国に成り下がったんじゃないかよ。
ニコニコ動画でのMAD動画や自主制作動画はパソコンでなければ凝ったものは作れないんですよ、 数年前のニコニコ新機能発表会でのバッシングなんて
レンタルビデオ屋の品揃えも、有線インターネット接続インフラも中途半端じゃないですか。
レンタル屋の立場が無くなるから光通信インフラ広げたくないとか言ってるくせに何でTVアニメ関連の酷い品揃え改善しようとしないんだよ。
時代の流れレンタル品揃えこれから酷くなるだろうからとの理由でネット配信シフト推奨するならどうして全世帯に有線ネットインフラ助成金みたいなシステムが出来ないんですか?
ウルトラマンがテレビ放送されていない時期に子供時代を過ごした世代のことを言うらしい。
具体的にはウルトラマン80放送終了からウルトラマンティガ放送開始までの期間らしいので
私はウルトラマン80を幼稚園時代に見ていたらしく、家に絵本も人形もあったのを覚えてるのでウルトラマン空白世代にはギリギリ該当しないようだ。
むしろ小学校時代のガチのウルトラマン空白時代に毎日夕方に再放送していた昭和40年代のウルトラマンシリーズをよく見ていたのでそちらの印象は色濃く残っている。
(怪獣が)気持ち悪い、怖いという印象ばかりで、(ウルトラマンが)かっこいいとかすごいとかは全然なかった。でも何故か見れる限り毎回見ていた。多分怖いもの見たさだったのと、昭和40年代の人々はどういう暮らしをしていたのだろうという興味関心が強かったからだろう。
そのおかげで、昭和40年代は恐ろしい時代だったんだなーという印象がものすごく強くて、自分は昭和50年代以降に生まれてよかったなーとずっと思っていた。
(追記)
(1)2020/08/16
これ書いたきっかけは
紅白帽を立てにかぶった男の子のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.irasutoya.com/2020/08/blog-post_27.html
のコメントで「ウルトラマン空白世代」という用語を使っている方を見かけたことでした。
私もイラストのような、紅白帽を縦にかぶる行為をバッチリやっていました。
(2)2020/08/16
私にとってのウルトラマンはほぼほぼホラーのジャンルに近いものでした。
一番のトラウマは、ウルトラマン太郎でキノコの怪獣がテレビから出てくるというシーンでした。貞子の映画でも同じようなシーンがありますが、その100倍は怖かった記憶です。
仮面ライダーについても私はギリギリ空白世代ではなかったようで、仮面ライダースーパー1の記憶がウルトラマン80よりは多少はっきり残っています。テレビの主題歌をよく歌っていた記憶があります。
(3)2020/08/17
再放送やレンタルビデオDVD、オンデマンド放送などがあるから世代としてひとくくりにする意味はあんまりないという指摘がたくさんありました。まさにそのとおりで、(再放送の)地域差と個人差はかなりありますね。私のウルトラ経験も大部分が再放送によるものです。
正直言って、このような話題でこんなにたくさんの反応やブックマークが得られるとは全く思っていませんでした。これほどまでにウルトラマンが多くの人に愛されているということなんですね。ある意味、恐れ入りました。
スノトラで命を救われた方の沼落ちブログを読んで、私も命救われたしな…と思い、私もスノトラに対する気持ちをアウトプットしようと思いました。
嵐担なので地に落ちるまでの嵐に関するお話が長いです。
全体的にちょっと長めかもですがご容赦ください。
2019年1月27日、日曜日だった。私がその報道を見たのは確か18時ごろだったと思う。LINEニュースの速報だ。嵐が活動休止するのだという。
私は嵐が好きだ。担当は松本潤くん。彼のビジュアルから入ったものの、好きなところは数えきれず、ストイックさや直向きさ、とても可愛らしいところ、でも魅せ方をしっかりわかっているところなど挙げたらキリがない。
潤くんとの出会いは遡ること19年前。当時小学2年生だった私のクラスではみんながみんな嵐が好きだった。
そして、シャーロキアンの母の影響でミステリーが好きだった私は当然のように金田一少年の事件簿も好きだった。
レンタルビデオ屋に行けば専らディズニーか堂本剛の金田一を借りていた。
そうして二代目実写版金田一少年を見た私は、人生の生きがいに出会う。
しかしながら、それ以降は好きな芸能人を聞かれると、ほぼ毎回松本潤と答える程度で強くは追っていなかった。
追っていなかったものの、嵐が出ていたならばテレビは見たりしていた。
そんな私が、中学卒業から高校1年にかけて何のきっかけでもなく松本潤に強い感情を抱くようになる。中学では、松潤のこと好きだなと思う程度だった女が、ある日突然、嵐の大ファンになるのだ。こわい。親も驚いたと思う。
今考えると当時の嵐は10周年に向けて動いており、私も世間の熱気に当てられたのかもしれない。
それ以降は嵐が出ていたならばリアルタイムで見ていても録画をし、円盤に焼き、雑誌はほぼ全て買い、切り抜きしてファイリングし、ジャニーズショップにも足繁く通った。
また、当時はK2やA2、N3と言った掲示板全盛期でもあり、登下校時には毎日のように掲示板を見て楽しんでいた。アタス子とか覚えてる方いますか?
そうして、青春を嵐と共に過ごした私は事務所担寄りのオタクへと変質し、生き甲斐は松本潤、ひいては嵐となった。
時は過ぎ、高校卒業、大学入学、大学卒業を経て上京、就職、転職をし、嵐にめちゃめちゃ注力しているわけでもないが、やはり生き甲斐は潤くんであった、2019年1月27日。私は目の前が真っ白になった。
その頃にはもう嵐が大好きで仕方がなく、彼らがステージの上でキラキラした衣装を身につけて歌っているの見ると反射的に泣く程度にはクソデカ感情が育っていた。
あの日はちょうど埼玉での泊まり込みの出張最終日で翌日の朝に帰京し、事務所作業の予定だった。
出張中の移動は主にレンタカーなので、休憩に立ち寄ったセブンイレブンの駐車場で私はあの速報を見た。その日の仕事は22時半頃までだったが常に泣きそうな中、ふと緩んでしまうと泣いてしまう状態で仕事をした。
仕事が終わり、宿泊先のホテルに入った途端、封を切ったように、涙が出た。
その日は日曜日。翌日は月曜日である。つまりNEWS ZEROに櫻井翔が出るのだ。
最早、どうしたらいいのかわからなかった。人はショックすぎることがあると頭が真っ白になるというのは本当なんだと体感し、また泣いた。
一人で過ごすことはできなくて、28日の夜には私用で上京していた友達に、ZEROまでの時間、飲みに付き合ってもらった。
そして泣きながら見たZEROで櫻井翔は言ったのだ。有働さんに「復活はあり得ますか?」と聞かれた櫻井翔は答えた。「あり得ます。」と断言した。希望だと思った。
翌29日はちょうど仕事が休みだった。朝起きてまた泣いた。ボーッとつけていたワイドショーでその類の報道が流されまた泣いた。あの3日間は生まれた時以来、人生で一番泣いた日だったのではと思う。
私はやば目のオタクなので、潤くんが結婚した時など、嵐に関してショックな出来事があってもダメージを軽減しようと、常からイメージトレーニングをしていた。例えば、潤くんの婚約発表、披露宴、結婚記者会見、おそらく50年以上先にはなるだろうが一番辛い告別式などである。
ただその中で何よりも想定していなかったことが活動休止であった。嵐として5人が並ぶ日が来なくなるなど、微塵も考えていなかったのである。
そこから私の虚無の日々が始まる。多くの方もそうだろうが、私は辛い時には音楽を聞いたり、推しを見たりすることが多い。
しかし、今その辛い原因は他でもない私の生き甲斐なのだ。潤くんを見たところでまた泣いてしまう。嵐の曲を聞いたところでまたさらに泣く。
後押しして欲しい時にはファイトソングを聴き、辛いことがあればHappinessを聴いた。夏を感じた日にはSummer Splash!を聴き、気持ちの整理がつかない時には、感謝カンゲキ雨嵐を聴いた。
嵐によって開けられた穴は、他では代替えできないほどに大きなものだった。
嵐がSNSを始め、サブスクを解禁した時もそれはそれで嬉しかったが、やはり辛かった。
2021年なんてこなければいいと思ったし、もう全てがどうでも良かった。
嵐が活動休止する2020年12月31日までは前を向いて生きようと思っていたが、それ以降は本当にどうなろうが、どうでも良かった。
いくら櫻井翔が明言してくれたところで、希望があったとしても、やはり不安は拭えず、生き甲斐が例え一時的であっても無くなることの恐怖が強かった。
日を追うごとにその感情は強くなり、2021年以降の自分が全く想像できなくなった。
この頃は本当にたくさんの人に心配をかけたと思うし、ジャニオタでもないリア友からLINEやリプをたくさんもらった。今思うと、とてつもなく申し訳ない。
そんな風にカスみたいに生きていた時でも嵐がテレビに出ていれば当然見る。そうやって見ていた、あれからちょうど10ヶ月後の 2019年11月27日。その日放送のベストアーティストで私は天使に出会う。
当時、Jr.について詳しくは知らないものの、ジャニオタの端くれとして1月にSnow ManとSixTONESがデビューするらしいというのは知っていた。が、しかし私が知っていたのはSnow Manはラウールという単語のみで、 顔と名前が一致していたのは、B.I.shadowであった SixTONESの松村北斗と髙地優吾のみであった。
そんなほぼ無知な私が見たのは、D.D.のコココガチャで魅せ方をよく熟知した、金髪の、足の長い子だった。一目で目を奪われた。こんな子がいたのかという衝撃は凄まじく、やっとラウールという名前と顔が一致した私は、個性的な9人のメンバーに引っ張られ急転直下のスピードでSnow Manに落ちていく。
当時のSnow Manはデビュー前であり、未来があって、輝きに満ちていた。
楽しいと思った。嵐が決めたことや嵐を決して否定するわけではないが、後ろを向けば期日が見えていた推し事と、先が続いているような感覚を得られる推し事はやはり大きく違った。
もし、嵐が出ないのであれば見ることができないと思っていた2020年のカウントダウンコンサートも、それ以降の歌番組も、Snow Manが出るならば見ることができると思った。
全く見えなかった私自身の未来も同時に見えたような気がした。
そして友達に誘われ、Snow Man目的で見た素顔4で私はまた出会いを果たす。
私はディズニーが好きでパークに行きたくて上京した。そんな女なので当然ミュージカルも好きである。そしてTravis Japanの夢のHollywoodは非常にツボな曲であった。
楽曲と衣装が好きだなあと思いながら見ていた夢ハリで、センターの子がいきなり「みんなで一緒に〜!!」と会場に向けて煽り始めた。煽ること自体はおかしくもないが、その煽りの後に続いたのはコールアンドレスポンス等ではなく、タップダンスであった。タップダンスを!?みんなで一緒に!?!?と私は大層混乱した。混乱しながらもこれがきっかけでTravis Japanのダンス動画等を見るようになる。
今の時代は非常に素晴らしく、ジャニーズJr.のオリジナル楽曲でさえもYouTubeのジャニーズJr.公式チャンネルに上がっていたりする。しかも定点カメラのダンス動画だって上がっているのだ。すごい。
そこで私はTravis Japanがダンスに特化したグループだということ知った。
統率の取れたシンクロダンスや、ジャンルの幅広く取り入れられている振り、そしてしっかりと身についている歌唱力や、耳に残る歌詞に心奪われた。
そして来たる外出自粛期間。例に漏れずテレワークとなった私はTravis JapanのYouTubeの動画を全て見た。第一印象が「みんなで一緒に〜!」だった宮近海斗くんは時々ボケるのが可愛らしい、ダンスばりうまなリーダーだと知った。他にも才色兼備でたまにボケるのがまたかわいい川島如恵留くん、何をしてもかわいい上に自分で「俺かわいいから」と言って憚らない七五三掛龍也くん、顔が小さく手足が長いのにヒモ気質な中村海人くん、ボケ役なのにリアコ枠でふとした時にとてもかっこいい吉澤閑也くん、独自の感性をしっかりと持っているかわいいお顔の松倉海斗くん、魅せる時は魅せるのにちょっとおバカでかわいい松田元太くん。
そして思う。私、この子たちはちゃめちゃに好きだわ…と。
ところで、ジャニーズはブログをやっている。会員登録をし、月額料金を払えば所属タレントのうち、ブログが開設されている子のものは全て読めるのだ。ありがたい。
そこで嵐やSnow Manのブログを読んでいた私は、当然のようにTravis Japanのブログ、とらまるを読むようになる。
Travis Japanは甲乙つけがたいほどに7人全員が好きだと思ってしまい、いわゆる箱推し状態である。なのでとりあえず全員のブログを読む。当たり前である。
ブログを読み進めているうちに、川島如恵留くんの文面に興味をそそられるようになった。
如恵留くんの展開するアイドル観、勉強観、その他全てにおいて、人間として尊敬に値すると強く感じた。
さて、皆様は7月27日現在の最新の定期更新分は拝読済みだろうか。
最新の定期更新分で如恵留くんはこう書いている。
「貴方が辛い時に、生きていきたいと思える理由の一つに、僕らの存在が力になれたら」
それを読んだ時、ラウールやSnow Manに会えるまで2021年なんてクソだと思っていたこと、Travis Japanに会うまで全てがどうでも良いと思っていたことを、恥じた。
また、如恵留くんがそう言ってくれるなら2021年以降も生きようかなと思った。
結局生き甲斐だった嵐の穴は大き過ぎて、ひとグループじゃ埋められず、Snow ManとTravis Japanのふたグループに出会うまで埋め切ることはできなかったけれど、私は今とても楽しく生きているし、来年以降も楽しく生きることができるのだろうなと思う。
ラウール担として恥ずかしくないよう、ずっと二の足を踏んでいたダイエットにも取り組むようになったし、如恵留くんを見習って勉強をしようかなという気持ちにもなっている。
アイドルって本当にすごい。
私はきっと来年もアイドルを追うことができるのだろう。本当に楽しい。
アイドルによって開けられた穴はアイドルによって塞ぐことができるのだと体感した。
今現在も嵐、Snow Man、Travis Japanともに色々なことがあるし、このご時世、グループの存続に関して全く持って問題ないなんてことはなく、薄ぼんやりした不安を抱きながら日々を過ごしているけど、スノトラの16人に出会えるまでのことを考えると、なんてことはないなと思う。
毎日が楽しく、笑顔で過ごせる。私は今日もアイドルに生かされ、明日もアイドルのことを想うのだ。
嵐に色々あってから本気で死ぬことも考えたが、本当に生きていて良かったと思う。ありがとう、Snow ManとTravis Japan、そして嵐。本当に大好きです。
1985年刊、とんねるず著『天狗のホルマリン漬け』の「職業別女のくどき方」というコーナーに、
件のnoteライターが書いたコンビニでビスコ継続購入の記事と類似した記述がある。
相手は1日に何十人もの客と接するわけだから、とにかく目立たなければいけない。
夏なのに、マフラーをいつも巻いているとか、男のくせにスカートをはくというのもいいが、
1か月もタワシを買いつづけていれば、「また、タワシを買ってるわ」と、覚えてくれるだろう。
逆に、1日でもタワシを買いにいかなければ、「あれ、今日はどうしたのかしら?」と、心配もしてくれよう。
彼女とて、1日中、セブンイレブンにいるわけではないからセブンイレブンじゃない所で
「あのうー、タワシの僕ですけど……」と声をかけてみる。「ああ、タワシの!」と、話も弾むわけである。
他の方法として、1年間、毎日、ピザマンを買いつづけるのもいい。そして、1年たったら、次の日、
同じ職場の人に勧められて、観てみた。
ほんまかいな、
それが解ったりするのかも、
とか思ったので、
ミッキーロークが主演。
懐かしい。
うっすらとある。
あれ、これがミッキーローク?
あの頃の美しいお顔とはかけ離れた
観終わって思ったのだが、
このファーストシーンで
音だけで伝えるのではなく
視覚的に見せておいてくれたら、
同情であったり感動であったりという感情が
もっと大きくなったのかもなあ、
とか思ったりした。
なので、観ていてすごく時間が短く感じられた。
回想により挿入してくれたら、
この監督は回想を使うことが嫌いで
すべてを観客の想像力に委ねる、
ゴメンナサイです。
例えば、お金。
誰もが知っているスーパーヒーローであったならば、
それを全部なくしてしまうほどの浪費、
例えば娘との関係、
初めて娘と会うが拒絶された後、
例えばリング上。
超満員のマジソンスクエアガーデンで、
ここはカットバックを使って、
退屈させないでストーリーを引っ張れたのは、
ダンサーのおかげでもあるだろう。
エロスには力がある。
この女優さんは、すごく美しくも見えるし、
とっても人間的な親しみを持てる人だなあと思った。
いくつもの顔。
それは、
ストリッパーの顔。
母親の顔。
ラムを一人の男として見ようとする、
このシーンは、素晴らしい。
そして彼女の演技も素晴らしい。
『お客さんとは一線を引かなくちゃ』
何が彼女にそう言わせるのか、
前にお客さんに騙されたのだろうか、
あっさりと捨てられたのか、
それとも、ストリッパーだと軽く見られて、
遊ばれてしまったのか……。
僕はかつてストリップ劇場で働いていた。
つづく。