はてなキーワード: ブラウン管とは
映像の作り方に対する興味と驚きから来る人気、というのはあまり着眼されないけど結構大きな要素だと思う。
CG以前は「こんな映像観たことない!」という驚きが作品毎に次々と起こる時代だった。そんなの人気が出て当然だよね。
今はもうCGで何でも作れちゃうから若い人は初めから完璧な映像が当たり前だもんな。あのワクワクが感じられないのは逆に可哀想。
実社会の生活にしても、「凄く便利になった!」と感じる電化製品が続々と発売される時代だった。そりゃあ今だって日々便利になってるけど、昭和後期以降で言ってもテレビがブラウン管から液晶になったりネットが普及したりケータイが一般に普及したり、劇的な変化がいくつもあった。それに比べれば便利になる驚きで言えばここ10年の変化は少なかった。でもこれからの10年はAIによってまた劇的に変化して、今の若い人もテクノロジーに対する驚きと関心は得られるはず。
「西暦1998夏の夜、僕はブラウン管の向こうでレインちゃんに出会った
世紀末の秋メンヘラに恋い焦がれた僕は福岡の婚活で運命のメンヘラに出会う
もしあの頃から冷泉公園のオクトーバーフェストがあればきっともっとまともなメンヘラにあえた
メンヘラと過ごす始めてのクリスマス僕が送ったスノードームを返品してこいと言ったアイツ
年明けに僕らは別れた
友達から渡された撮り貯めのカードキャプターさくら
僕はすっかりハマって気づいた
僕はただのロリコンでアニメの中の理想の女の子を求めていただけだ
馬鹿馬鹿しくなって普通に婚活して普通に子供を産んで嫁に隠れてロリコンキャラでオナニーした
なんだか全部バカバカしくてなんでメンヘラと恋なんてしようとしたんだろうと不思議でならない
」
みたいなこと言われて「うぁお~~~刺さるぜ~~~~」となるか???
山本一郎の記事で「本件についてツイッターで言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。
そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。
ここでは増田の父のケースから、男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。
昨日、父親がテレビの報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。
ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪なコメと大差なく、普通にセカンドレイプで不快だったので軽い口論に。
結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇にチャンネルを変えて停戦。
あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。
・関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内に存在しない結構ガチの山奥。
・現在は父と母ふたり暮らし。両親共に移住者で増田は田舎で育った。本件は帰省中のできごと。
・父は高卒で建築業に就き、結婚し移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。
・しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。
・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネット(はてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。
・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的に反自民。
あくまで想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。
他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。
おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定の村八分があったことを聞いている。
それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。
増田も少しばかり現場系の仕事をしたことがあるが、危険が伴う肉体労働の現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。
「大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」
というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択でキツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライ者はいない」。
まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。
放送局の権力に首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。
しかしニュースにより判明したことというのは、放送局の手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたことである。
情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。
さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組のおっさん」と叩き、金銭の要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。
以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。
父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」
父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」
増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」
父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」
あれ? たぶん、増田が子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。
さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的に強者へとスライドしたのである。
父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。
…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。
少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズそのものに対して複雑な感情をもつ男性って思ってるより多いと思う。
だからジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎は適当なこというな。
そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権で一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想の根深さを知るというか、マッチョ思想の卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。
去年祖母が亡くなって父の妹や姉から「遺品の整理したいけど荷物多すぎてわかんない」って言われたんでGWからお盆にかけて仕事の合間に数日滞在して片付けに行ったんだよね
家には両親と兄がいるけど70超えてるし、仕事も忙しいしで全然手をつけられなかったって話をしてた
冬の間の実家は使ってる部屋以外は冷蔵庫みたいなもので長時間片付けられないし、夏は忙しいから祖母の遺品整理はできてなかったって話
遺品整理って行っても祖母も両親も片付けられない・物を溜め込む・捨てないタイプの人で結構大変だった
生きてるうちには布団とか捨てないし、兄や私が使った学習机ではない机とかベビーベット貰ってきて何かに使える、あんたたちが家族できたら使えるとかっていって何でも貰ってくるし捨てさせないしで、実家にすごい広い家だったんだけど、生活できる空間以外は全部物置になってた
台所や居間、風呂以外に7~8部屋あるのに全部物置で、兄は物置少しよけて寝起きしてるし父と母は居間と台所で寝起きしてる
そんなわけで使ってない客用布団を捨てて
(布団8セットくらいあった)
半世紀以上あるっていう机を捨てて
古い足踏みミシン捨てて
祖母、天○教にハマってた時期があるみたいで
それでようやく3部屋と廊下が片付いた
ゴミで見えてなかったけど押し入れにもいっぱいがらくたがあった
先は長いなって思ってる
親が捨ててるものを「なんでもかんでも捨てる!」ってごみ袋からわざわざ拾ってくることもあるからなんでもは捨てられてないんだけど
一応、写真や書類は捨ててないし親や兄のの名前のかかれたものを捨ててない
汚れた毛布とか虫とホコリだらけのカーテンとかを洗って使おうとするんだよ、説得できなくて見てないうちに捨ててカビてたで通した
俺が小さい頃に初めて見たテレビは「小さく低画質なブラウン管テレビ」だった。
俺はそのテレビを使って、ビデオを見たり、スーパーファミコンをやっていたりしていた。あんな小さいテレビで、よくゲームをすることができたものだ…。
最近の10代(特に2006年以降に生まれた子供)は知らないかもしれないが、鮮明に映してくれる今のデジタル放送とは違い、当時はアナログ放送だったため、電波が悪いといつも「ザーザー」と砂嵐ばっかりになって画面が見えずらくなり、大好きな放送が見れないことにがっかりしたり、イライラしていた時期がよくあった…。
小学生高学年になってから、「ニンテンドーDSを買え!」と親にねだった時もあって、親はイヤイヤながら買ってくれたのが懐かしい…。
中学生になってから、家にあった「Windows Vista」の新しいノートパソコンをよく使うようになったのだが、動作が非常に遅く、じっと待つしかなかった…。どのくらい待つのかといえば、電源ボタンを入れてから、間食用のカップラーメンを3分で用意できるぐらいだ…。ゲームぐらいさせてくれよ…。
あとインターネット回線の速度も死ぬほど遅かったものだ。画像1枚を読み込むのに1分もかかったことも珍しくなかった…。
高校生になってから、自分のお小遣いを使って、内緒でウォークマン「NW-Sシリーズ」を1万円で買って、沢山の音楽を聴いていた時期もあった…。
大学生になり、家電量販店に行った俺はアルバイトで貯めたお金を使って、3万円した32型の液晶テレビを買うことができたのは、何よりうれしかった思い出だ…。
数年後には「各4Kテレビ」が販売されるようになったが、当時はまだ気軽に買える値段ではなかったぞ(たしか50型の4Kテレビは最初「40万円以上」もしていたのは覚えている)…。
そしてしばらく時が経ち、コロナが流行り始め、家に居る事が多くなった俺は、久しぶりに家電量販店に行ってみると、50型の4Kテレビが20万円以下で買えるようになったことに驚き、これを機にそのテレビを買った。やっぱり新しいテレビはいいよ…。より快適になればなるほど、感動は沸くものだ…。
そして最近になって、コンビニの店内や駅前、さらに電車の中にも、巨大モニターが設置されるようになったため、もはや街路中にモニターがあることが珍しくなくなった。
街路中に巨大モニターがあるだなんて、俺が高校生になるまで、「渋谷ビル」か「新宿アルタ」ぐらいしか思い浮かばなかったのに…。
まとめに入るが、俺は人生の中で最も変化があったものは、やはりテレビや電子機器の進化だったのではないかと思う…。
ちなみに今、4Kテレビの値段を見てみたが、50型でも10万円を切るほど気軽に買えるようになった…。あと8Kテレビの値段も、「20万円以下」で買えるようになったのも驚いた…。
1950年代に白黒テレビが販売された当初、一生かけても庶民には買えないぐらいの値段だったのが、今ではもう気軽に超高画質なテレビが買えるというギャップよw
絵文字は環境によって変わるのでemojipediaで見てみよう
https://emojipedia.org/television/
薄型テレビになるとしたら新たに追加されるのかな?
https://emojipedia.org/telephone/
https://emojipedia.org/videocassette/
https://emojipedia.org/floppy-disk/
📟←ポケベルもいらない
俺マウスしか使えない50代老人だけど(スマホも使わないPCあれば十分という老害)
この増田みたいなのが今後の日本じゃ増えるだろうなあとすごく痛感
若い人がPC持たずにスマホで済ませる理由もお金の問題の次はこれだろ
家庭用据え置きゲーム機が絶滅寸前でスマホゲーム一人勝ちもたぶん半分はこれが理由
会社オフィスも机の上はすぐ書類やら資料やら何やらで埋まって容易に食事もできない
液晶モニターと液晶テレビはすごく短期間でブラウン管CRTに取って代わった
もっと遡るとバブル期の大きなステレオコンポセットはすぐ流行遅れになった
おそらく億単位の設備とスタッフが必要だった「セガ・スーパーサーキット(1989年)」みたいなゲームが、数千円でしかもマリオカートの演出を3DでAR合成してくれる夢のゲームだった。だから発表時熱狂した。
だが購入しておっさんは思い出した。
「セガ・スーパーサーキット」もそんなに面白くなかったことを…
実際の小さいラジコンサーキットを借りてダンボールマーカーを設置して疑似スーパーサーキットを再現してみたけどそれでもダメだった。
ついラジコン走行でちゃんとRCサーキットのレコードラインを走ってVRコースが完成するんだけど、実は通ったラインを中心にして左右幅均等にARコースが設置されるため、ARカー(敵車)は「インのイン」を走れてしまう。
だからまず勝てない。
そのためにはARカーが不利になる(実際のRCサーキットの)非レコードラインを走って仮想コースを作り、ARカーは目一杯走っても通れないレコードラインを自分が走る、みたいな本質的でないテクニックが必要になってしまった。
まあ、マリオカートに限らず「コクピット視点でラジコンで遊ぶ」は、30年以上前からなぜかRCファンは夢見てしまう。
30年前、まだアナログVHF転送の小型モノクロカメラにブラウン管TVのローカル受信を使ってまでコクピット視点のマシンで疑似スーパーサーキットを作って学内催しとして遊んでいた。
だが一番面白かったのはイベント会場でドライバーが見えないところにマシンが飛び出して入り込んでしまい、そこからカメラ映像だけで戻してくるというトラブル時だった。
最近どんどんFPV(ファースト パーソン ビーグル)用アイテムも進化し、手軽にゴーグルでドローンとかもできるようになったんだけど、出来るようになったらあんがいすぐ飽きてしまった。ドローン規制もあってあっという間に廃れてしまった。30年の間に3Dグラフィックスも同時に進化し続け、もうディスプレイ越しに見て見分けがつかないレベルなら3Dグラフィックスでいいやん、ってなってる。
ただ、3Dグラフィックスで遊ぶにしても、実際にレースカーを走らせるわけに行かないところをぐるっと撮影カー走ってあとはゲーム内で再現、みたいなコースビルドをあの技術でできるならとても楽ちんかもしれない。
そういう可能性だけはまだ夢見させてくれた。
芸術には疎いので知識を得ようと買った『現代アートはすごい』という新書を地下鉄内で読んでいた
そのなかでナム・ジュン・パイクという芸術家が紹介されていた
何でも、電子テクノロジーを使ったメディアアートというジャンルのパイオニアらしい
暗い部屋の中にテレビモニタが上向きに置かれていて、そのテレビモニター群の間に観葉植物が置かれた『TVガーデン』(1974-1977)
テレビ受像機の上に強力な磁石を置いて、故意に映像をゆがませる『マグネットTV』(1965)などが文章にて紹介されていた
当たり前だが、文で読んでも全くどんなものかが浮かばず、実際に見てみたいなという気持ちになった
メディア・アートを観たことないどころかそもそもインスタレーション作品自体あまり見たことが無いから気になったのだ
そこでスマホを取り出し「ナム・ジュン・パイク 日本」で検索すると、福岡市内の商業施設、キャナルシティに作品が展示されていることを知った
壁に100台以上のブラウン管モニタを設置し、映像を流すという作品らしい
そして、あーあそこに設置してある何だかわからないやつ、あれ、現代アートだったんだ、そして有名アーティストの作品なんだ!となった
何か長らく壊れていたらしいが2年くらい前に修理して、一日の内決まった時間帯に映像を流しているらしい
ブラウン管モニタなので今度壊れたら修理できないかもしれないとのことで、見れるうちに見ていた方が良さそうだ
そのうちキャナルシティに観に行こうと思う
あと出身地の韓国にはナム・ジュン・パイクの美術館あるらしいし、よく考えたらこっちも近いなと思った
私は26歳の男。今は一人暮らしでテレビを持っている。毎日見ることができる。
なんだそりゃと思うかもしれない。テレビくらい持ってるし見れるだろと。
でも昔はテレビがなかった。
母は言った。忘れもしない。私が小学2年の1学期のころ、テレビは教育によくないと。
家からテレビが消えた翌日。我が家の小さなブラウン管テレビは粗大ゴミ置き場にあった。
どうしてこんなことをするのだろうと思った。家に持って帰りたかったが重たくてびくともしなかった。諦めた。同級生が見ている番組は私は何もわからなくなった。何を話せばいいのかわからなくなった。無口のまま。周りと話せない。孤立が加速し、排除された。
テレビが見たい。リビングで新聞のテレビ欄を見る。スターウォーズをやるらしい。
テレビが置いてあった方向に顔を向ける。テレビはない。そこには水色のラジオがある。俯いた。学校に行く。同級生の話の中で昨日この番組を見たかと話をする。うらやましい。
同級生は友達と楽しく話をする。私は何も話せない。家に帰る。誰もいない。父は仕事。
母は弟の送り迎えと世話。姉は部活。台所にたつ。皿を洗う。床を見る。髪の毛と埃が目立つ。掃除機をかける。母が帰ってくる。お手伝いありがとうと言われる。テレビが見たいと私は言う。母は教育によくないという。手伝いの報酬として5円もらう。貯金箱をばらす。
テレビを買う金額には遥か遠い。友達の家に行く。どの家にもテレビがある。友達はテレビがあることを気にしていない。テレビにゲームをつなげる。私はその時しか触れない。友達は毎日触れる。私は下手くそ。友達はうまい。格差を知る。家に帰る。テレビがほしいという。駄目といわれる。どうしてと聞く。どうしてもと言われる。俯く。新聞のテレビ欄を見る。ナルトをやる。そういえば同級生はナルトの話をしていた。でも私は知らない。同級生は毎日楽しく話せることでコミュニケーションの積み重ねをする。私は格差と親の選択の残酷さを知る。同級生はコミュニケーションを取ることを苦に思わない。私は何を話せばいいかわからないまま。テレビがあれば同級生と楽しく話せて、情報のキャッチも人並にできたのに。26歳の一人暮らし。テレビを見れる。でも今はテレビ以外にも情報はあふれている。皆それを上手く使いこなし、楽しく話せている。私はもうできないと思う。
今家族もテレビを見ている。昔のことなどなかったかのように平然と見ている。
だんだんわからなくなってきた。今も私は独り。周囲と楽しく話してみたかった。
あのとき楽しく話すことを養いたかったけどもう手遅れ。抗うのも疲れた。
私は26歳の男。周囲と楽しく話してみたかっただけの男。昔に戻ってやり直したいだけの男。