はてなキーワード: トーマスとは
スマートウォッチの機能多すぎでどう使って良いのか逆に分からない問題ってないかしら?
とりあえず
何か分からないものを使ってみたいという好奇心だけで使ってみたものの、
他なにができるかはよく分からないのね。
もうこのままほぼデフォルトで使ってみようって思っちゃったりなんかして、
正に向こうの思うウツボじゃない。
いろいろ使いこなしてみたいものの、
そしたら、
今聞いてる曲だとか天気だとか
挙げ句の果てには今運動し始めたでしょ?記録しとくね!とかって言うじゃない、
あれよあれよという間に
いろいろなデータが表示されてきて、
もう全く訳ワカメよ。
ちゃんと同期できて吹き込んだ内容がパソコンやスマホでも見れちゃったからすごく使えそうよ。
地図さえ見れるし
メールも読めるし
さすがに増田は書けないのが一番のネック中のネックなんだけど。
逆にネットは見れないという押切もえもびっくりするほど割り切った機能ねと思っちゃうわ。
なるほどねーよくできてるわ。
世界で売れてるわけだわって、
おまえそれもう何年か前にすでにビッグウェーブさんが体験した通った道だよ!って今更ながらに思うの。
しかもこれほぼ腕に付けられるパーソナルコンピュータとも言えるじゃない。
バッテリー背中に担ぐ人とモニター背中に担ぐ人とが揃って初めて
やっとデルのデスクトップパソコンが電車内で使えるって訳じゃない。
って言わんばかりに3人必要なの3人!
ニュースでやってたグーグルの漁師コンピュータさえあれば秋刀魚の漁獲高もV字回復なんじゃないかしら?
画期的な高速コンピュータが開発されました!ってニュースが出るたびに
ターミネーターの世界観で未来からその開発者を抹殺しに来るんじゃないか!?って
そのターミネーターの世界観の未来から送られてくる殺し屋は下請けに仕事出してて
結局その5次下請けの殺し屋は命の恩人じゃないの?と逆に思うの。
複雑に織りなされたその物語はプリデスティネーションよ!
話しを戻すと
ここは海底の岩で水深が浅いところこれは魚群だなとかって。
船長さんが魚の居るところに案内してくれるんだけど、
チープな画面にサーモグラフィー的な色合いの表示じゃ全然私分からないわよ。
これってもちろん漁師コンピュータ作った人も見方分かってるんでしょうね?って言いたいけれど多分分かってるはずだわ。
バラエティー番組とかで魚が出てくるシーンになると、
そう言った曲をダジャレに使って
見てる方に問題出すかのようにこの曲なんでしょ?って仕掛け私好きだわ。
ほとんど知らない曲っちゃ知らないんだけど、
一人で笑ってしまうわ。
この時計ずれてるんだけど!ほっとけい!
うふふ。
育ててきた鍋のスープが極うまな感じだと思ったので、
それで雑炊作っちゃいました。
シメで麺もいいんだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
腐女子ネタは単なるお遊び要素で、真のテーマは「LGBTに関する人権意識が過剰に膨らみすぎて、当人達の意思を離れつつある実態」なのは、誰の目から見てもわりと分かりやすいとは思うんだけど
最後の、トーマスがクレイグに語りかけるシーンの意味が、よく分かってなかったんだよね。
でも今日観返して、「大切なのは指向への迎合ではなく、個々人をありのまま受け入れる事である」って伝えたかったんだろうなって思った。
トーマスは話中、最後まで息子がゲイであることを好意的に捉えられなかったし、性指向に対する知識もめちゃくちゃなままだった。人がゲイになるのは日本のせいで、それはトンキン湾事件が原因で、ゲイにはお金を与えていれば良い、そんな出鱈目な知識。そもそも息子が本当にゲイなのか否かすら分かっていない。
でもトーマスは、クレイグのありのままを受け入れる、とクレイグに示すことができた。正しい知識はなくても、息子の全てを受容する、それを相手に伝えられた。大事なのは、LGBTに感する知識でも、応援でも、運動でもない。性的少数者という括りを取っ払った、その人自身を受け入れること。その人に、「この人なら自分を受け入れてくれる」と思ってもらうこと。
結局クレイグはトゥイークと付き合うことを選んだわけだけど、楽しそうに遊んでるし、後のシーズンでもお互い支え合いながら仲良くやってる。クレイグはゲイがゲイじゃないかは兎も角として自分の幸せを掴む事には成功してるんだよね。
ジャンル分けの成否は関係なくて、その人自身が幸せならいいんじゃないかって、そんなテーマが隠れてるんじゃないかな。
サウスパークは、初期の何も考えてなさそうな不条理ギャグ時代の印象が強すぎるんだけど、最近は深読みに深読みを重ねてもまだ足りない作品が多い。
『ジョーカー』の感想みるとどいつもこいつもアーサーについて語ってるけど
『ジョーカー』はアーサーの映画じゃなくて「ジョーカー」の映画だぞ
ダークナイトで言ったらビギンズ(の前半1時間くらいまで)の物語だ
社会の分断がどうのこうのとか
そんな要素はこの映画のメインである「ジョーカー誕生」を彩る「スパイス」程度のものなの
アーサーの一番の不幸は虐待されてたことでも、精神疾患があることでも、貧乏なことでもない
世界で最も有名なサイコパスの一人であるジョーカーのくせに普通の世界で生きようとしてしまっていたことだろ
この映画はドラゴンボールに例えるなら何をやっても上手く行かないコンビニバイトのベジータが、いろいろあって「俺は誇り高きサイヤ人の王子ベジータ様だ!」と覚醒するまでの物語なわけ
あのベジータがコンビニバイトで人生ハッピーになるか?ならねーだろ(意外となるかもしれんが)。ベジータはサイヤ人の王子として輝く人物だ。
それと同じで「あのジョーカー」が母親の介護をしながらコメディアンを夢見る心優しき青年アーサーとして幸せな人生歩めるはずがないんだよ
因果が逆なんだよ
アーサーにいろんな不幸が積み重なってジョーカーになったんじゃなくて
ジョーカーのくせにアーサーでいようとしたから生きるのマジつら…ってなっちゃってるの
アーサーの数々の不幸はジョーカー爆誕までのなが~い「溜め」なの
最初に例えで出したバットマンビギンズでトーマス・ウェインが言ってただろ
「人が落ちるのは這い上がるためだ」って
「アーサーがジョーカーになるまでの物語」じゃなくて「ジョーカーがアーサーだった頃の物語」として観ればすげえシンプルで面白い
ラストシーンで最大のライバルの存在を匂わせるとこなんかもそっくりだよね
まあ次回作はないだろうけどさ
あのさ、
スマホに時計と連動させる機能があって私それ最近気付いたのよ。
もはやそれに気付いちゃったらそう言う時計欲しくなっちゃうってのが人の心情だと思うんだけど、
はっきり言って連動させたからって何が便利になるかはさっぱり分からないので、
なんか心拍数とか測れて何が楽しいのかなと一瞬思っちゃうけど、
というのも
もうお馴染みよね。
一度測れたら何かが分かるかも知れないわ。
あと注文して気付いたのが、
メモも音声メモが出来てそれを文字にしてくれるってことができるらしく、
この機能使いこなしてみたいと思ってるの。
現に今だって車で運転してるときとかメモしたい時って必ずあるのよね。
マジ便利なの。
そうなるとさそういうスマートウォッチが増えちゃうわけじゃない。
でも腕につけられる時計ってだいたい一つでしょ?
2個あったら両手につけちゃうわけ?
ああだからマラドーナさんは両手につけてるのねと合点がいくわ。
本田圭佑選手も片方だけだとボディーバランスが崩れるからって言ってるけど、
実際のところはどうなのかは私には分からないわ。
もしそういう人を見かけたらまた言うわ。
両腕ない方が逆にダサいって思わせるぐらいにしないとね、
それに腕時計が倍売れるじゃない倍!
足首に付けだしたじゃない!
ミサンガ業界やアンクレット業界だってそれにいち早く気付いて足にってやってるのに
うふふ。
肉ばかりかと思いきや、
1日分はとてもまかなえる量ではないんだけど。
朝白湯カツって流行らないかしら?と思うほど地味っちゃ地味な白湯界隈なんだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まるでアーサーがかわいそうな善なる病人で徹頭徹尾被害者だという解釈が幅を利かせているので、反論を貼っておく。
主演のホアキン・フェニックスのインタビュー記事だ。
https://www.cinematoday.jp/page/A0006925
>地下鉄で男たちを撃ち殺す前、「『ああやって女性をひっかけるんだ。これがその方法なんだ』と考え、彼らを研究している。」
>アーサーは、自分の人生に満足したことがなく、いつも“もっと何か”と渇望している。彼は、愛と尊敬と憧れに満たされたいんだ。
無辜の市民なんていない、という程度には、アーサーもまた加害的だということだ。
まったく、この世は地獄だぜ。
多分ジョーカーを見てきた人じゃないと意味が分からないから注意
「愛が欲しい、ハグして欲しいだけなんだよ」とか「誰も俺を見ちゃいない」とか「俺が倒れていても踏みつけるだけだろう。その点あの三人(アーサーが最初に打ち殺したDQNリーマンたち)はトーマスウェインが悲しんでくれるから幸運だ」と、こんなニュアンスの発言が多いジョーカーことアーサーフレック。
だからこそ、思う。
なんでお前、小人症の男性ともっと仲良くしようとしなかったんだよ!!あいつ良い奴だったじゃん!!!
いやわかってるですよ。
上記に挙げたように、発言から誰かに存在を認めて欲しいのは分かるんですが、そのやり方が近所の美人なシングルマザーをストーキングしたり、金持ちなオッチャンに息子を名乗って会いに行ったりと、なんやかんや相手を選んでるんですね。
アーサーの職場のむさいおっさん連中(特に小人症の男性)とか、それなりにアーサーを気にかけて話しかけてくれたりしたのに、アウトオブ眼中なわけです。
これってKKO(キモくて金のないおっさん)問題の、結局KKO自体もKKOに魅力を感じないから、関わりなくないということと同じなんじゃないかなと思いました。
その辺、このアーサーは良くも悪くも人間臭いですね。誰かに自分を見て欲しいけど、その「誰か」は自分が魅力を感じる人じゃないと駄目だということです。
アーサーの家に同僚のデブ(拳銃渡した人)と小人症の男性が訪ねてきて、アーサーがデブを刺し殺したシーン。アーサーは小人症の男性に「キミは優しくしてくれたから殺さない」と言っておきながら、恐る恐る近づいた小人を「ワーッ」と大声でビビらせて、ケラケラ笑います。
このシーンとか、アーサーのさらに自分より弱い人間への見下し、侮りみたいなものを感じます。これって電車でアーサーに絡んだときのDQNリーマンズと本質は同じなんじゃないかなって。
まあ、つまりアーサーも社会的に弱者の立場だったから、「この社会狂ってやがる。誰も俺を見ちゃいない」なんていいながら、自分も例に漏れないよなぁ、なんてそんなことを思っていました。
KKOは愛を求めながら、その相手は割と強かに選別している。そんな自分の中にもある側面を見せつけられて気持ち悪かったです。
ちょっと信じがたい誤解釈というか、ほとんどイチャモン感のある感想があったので、ツッコミを自分のツリーに下げておく。
私は元増田だ。
この人のブログは何度か読んでいる。面白く読ませてもらっている。
その人がこんなにも偏ったというか、ほとんど被害妄想では???という感想を書いてアップしていることに、ちょっと背筋が寒くなっている。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
作中で3人のエリート酔っ払いを射殺した件でニュースに出ていたトーマス・ウェインとおんなじようなこと言うてはる。
嘘やろ。あんなおもろいブログ書く人が。こんなにものが見えてへんようなこと言うものなのか。釣りか?
アーサーが父親に夢を見ているというのはある。あるが、所詮空想の範疇であって(それこそ彼の「母親」のように)病的妄想に駆られているわけではない。
後半で自分で言ってたように、彼はただ温かいハグや親しみの笑みをもって自分を受け入れてくれる存在として父親を欲しがっていただけだ。
だからランディから銃を受け取ってしまったのだ。"My son"とかなんとか言って本気で心配してるみたいなそぶりをしてくれたから。
パンフだったかWikipediaだったかによれば、あいつは実際にはものを深く考えてるように見せたいだけで大して後先考えないタイプで、
だからこそ雇い主に対してアーサーを売っちまい、のちの怨みを買うことになるのだが。
ランディといえば例の銃だが、多くのブログや記事で「小児病棟に銃を持ち込んだアーサーの自業自得」という評価を読んだ。
確かにアレはアーサーの失敗ではあったが、小児病棟に銃を持ち込むこと自体はそこまで責められることかどうか、個人的にはずっと疑問に思っている。
だって普通に通りで仕事してるだけで看板かっぱらわれて殴る蹴るされるんだぞ?
そしてその後に「自衛のため、自己防衛のため」といって銃を渡されるんだぞ?
持ち歩くのが当然だろうが。
アーサーが迂闊だったのはあの時あの場面でポロリしたことであって、
ピエロアクトを始める前にカバンにでもしまっときゃ良かったのにという一点だけだ。
そして発達の私としては、物が銃でなく場面が小児病棟でないだけで、
そういう不注意で細かいドジを踏む機会というのは日常では無数にある。
無数にあるからこそ、私は、銃で小児病棟というシチュエーションがそもそも発生しないように、
いろいろと立ち回ったり細かい工夫でしのいだりしている。
それらは今のところ実っている。
実っているが、なぜ実ったかというと、もうこんなの「運」でしかない。
そんなの私には責められない。
責められないから余計やるせないんだ。
大事なところに限ってやらかすタイプの、クビになって当然の、笑えないミス。
ああ、件の感想記事が、読み返せば読み返すほど恐ろしくて仕方がない。
ジョーカー観てきたとあるけれど、目に入ってなかったのでは?というほど誤読(誤観、か?)が多い。
アーサーはその上司を許さない。自分をあざわらう裕福な奴らも許さない。自分の「パパ」じゃなかった有名人も許さない。殺す。バッキュンバッキュンに殺す。そしてジョーカーになる。
アーサーは上司を殺していない。
殺したのは自分に銃をよこしたランディ、銃をくれたくせに我関せずで貫いてアーサーを裏切ったランディだ。
アーサーは笑われたから裕福な奴らを殺したんじゃない。
例の殴る蹴るをおっぱじめられたから殺したんだ。
そしてアーサーが殺したマーレイは、アーサーのスベり倒したライブの映像を彼に無断でテレビ放送し、更にスタジオに呼びさえした。彼を笑い者にするために。
そして、これは私の持論だが、アーサーはジョーカーになってないし、なれないだろやっぱり。あれら全てが事実なら。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに」。
そもそもアーサーに限っては、これは完全にその通りではないか?
幼少期に母親の恋人から虐待を受け、脳及び神経系に外傷を負った。
これさえなければ、もっと違ったルートもありえたんじゃないか、というのは、そんなに高望みだろうか?
アーサーは大人になった今も、日記で割としょうもない初歩スペルを誤字っている(「下ネタは、いづも、ウケる」)。
アーサーはピエロという「笑うのも仕事のうちだろう?by刑事」な仕事に就いている今でさえ、
「お前のことを嫌がる奴もいる。気味が悪いからだby冒頭のピエロ業ボス」。
ピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディの舞台に立ったらいい。
他の仕事、あったんかな?
でも、ラミネートカード戻って来んかったんやで、ゴッサムでは(←確かめるためもあって2回観た)
アーサーが徹底して受動的、「りんご食って寝てる白雪姫」なのは、三分の一くらいは肯定できるが、でもやっぱり悪意ある評価に思える。
まずアーサーはマジでかなり受動的ではあって、例えばコメディアンになりたいという夢自体、母が「人を笑顔にさせる人間になりなさい」と言ったから、という以上の動機はない。
その母の台詞も、おそらく「発作」へのフォローかはたまた「発作」等々に端を発するイジメを受けたアーサーへのフォローに過ぎず、母自身アーサーがコメディアンになれるとは思ってないぽい(入浴介助時「あなた、ちゃんと人を笑わせられる?」)。
もうなんていうか、こんなの呪いに等しい。
もちろん「普通は」これを呪いとは受け取らない。呪いと呼ぶには弱すぎる。
でもアーサーは呪われてしまう、その「将来の夢」にすがってしまう。脳の外傷のせいか、アーサー自身に素質があったのか?それはわからない。
アーサーの、あの受動性。ものを判断するときや、自分でその場で考えて何かするときの、微妙な、ちょっとボンヤリとした感じ。
あれと「発作」のコンボがジョーカールートへのかなり決定的なフラグであるってのはあると思う。アーサーが状況を変えることをものすごく難しくしている。
でも、じゃあ例えば受動態人間であるってことをアーサーが自分で変えられるかっていうと、どう考えてもひとりでは無理で(能動的な生き方の受け皿どころかモデルすらない状況だもの)、というか脳外傷から来るものなら誰がいても無理で、あーこれフラグ折れんわー、ツムツムだなあ、となってしまう。みんな病気が悪いんや。病気と虐待が。
まあそれはそれとしても、アーサーは「与えられる側でなければ気が済まない」んじゃない。気が済むとか済まないの問題じゃないだろう。
そもそもあの状態で、母親の介護放り出して家出してどうする??
メシ風呂が自力不可で「みんなが言ってるって、みんなって誰さ。今日誰と会話したの?」言われるくらい孤立してる母親、
郵便ポストを見に行けない母親をひとり置き去りにしたら逮捕されない??保護者責任遺棄的なやつで。
家出したあと住むところは?
あのエレベーターのイカれたボロ家以外にどっかある??アーサーに貸してもらえる???
それと女を口説くことをそんな冒険ポイントみたいに言いなさんなよ…そういうのもう流行んないんじゃないの。
それにアーサー最大の冒険をカウントしないのはフェアじゃない。
コメディアンとして舞台に立ったじゃないか。ネタ帳携えてでも、妄想に後押しされてでも。
母の話の裏付けを取ろうと、ウェイン邸にもデモ会場の劇場にも病院にも行った(どこまで妄想かはともかく)。結構行動している。
これがアーサーをしてジョーカーに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というその思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。彼らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネットで文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。
もうこの辺に至っては被害妄想入ってませんかね。飛躍がすごくてどうしてそうなった、みたいな話になってるというか。
アーサーが欲しがっていた素晴らしいものというのは、大衆からの賞賛もあるが、最大のものは愛だろう。アホみたいな結論になるが。
愛。親しさ。笑われないこと。爪弾きにされないこと。受け入れられること。その象徴としての賞賛。
一応言っとくけど、「この人に怒りをぶつける人々が欲しがっているもの」が愛だといいたいのではない。そんなことは知らない。
このツリーでは基本ジョーカーあるいはアーサーの話をしているんであって、賞賛が欲しくてネットで他人に突然キレる人のことはわからない。
ああ、それにしても。
確かに、怖い。怖いですわ、これは。
「善良な男が周囲の悪意によって追い詰められてジョーカーに…」という話だと思ったらちょっと違った。
もちろん同情の余地は大いにあるけど、好きな女をストーカーしたり、自分に都合の良い妄想に耽ったりしている生っぽいクズだ。
そして、この映画にはアーサーの「敵」として三人の人物が登場する。
しかし、彼らが本当にアーサーを追い詰めるような悪意を持っていたかというのは曖昧に描かれていたと思う。
というか多分にアーサーの被害妄想的な主観がまぶされていたのではないだろうか。
「こんなに酷い目に遭ったアーサーがジョーカーになるのは仕方ない」という同情は、そのままジョーカーが自分自身に言い聞かせていることだし、「いま俺たちが悲惨な境遇なのは悪意を持った誰かがいるからだ」というのはゴッサムシティの暴徒たちと同じ思考だとも思う。
アーサーが、周囲のせいでなく最初からジョーカーになるしかない人間だったというなら、それは「ジョーカー」という悪意の塊みたいなヴィランが下敷きになってるからだ。
あくまでこの作品はジョーカーのオリジンを描いた映画なのであって、「ジョーカーになるかもしれない現実の人間」を描いたものではないと思った。
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490326549118976
"ここジャクソン・ホールにやってきて、経済学者は重要な問題に取り組んでいます。中央銀行は、これからの10年も、これまで私たちが考えてきたように、産業社会のマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるでしょうか?アンナ・スタンズブリーと執筆中の論文で、私たちはそれは疑わしいと論証しています。"
"今や利下げの余地はほとんど残されていません。1970年代以来、アメリカ合衆国でリセッションが発生するとFedは常に500ベーシスポイント以上の利下げを実行してきました。そして多くの場合、実質金利は中立金利よりも400ベーシスポイント以上低かったのです。今や最大限可能な利下げ幅は200から300ベーシスポイント、実質金利は中立金利より150から250ベーシス下でしかありません。"
"わずかこれだけしか利下げの余地がない、これがアメリカ合衆国の現実です。だがこれでも先進国の中では最も金利が高いのです。ヨーロッパと日本においては状況はより深刻です。"
"これまで大規模な量的緩和としっかりしたフォワード・ガイダンスが試みられてきました。今、私たちはポスト量的緩和・フォワードガイダンスの世界に生きています。ある政策の説明をあれこれ言い換えてみたり、記者会見のタイミングを変えてみたり、見通しに関するプレゼンテーションの方法を変更してみたり、もはやそんなことでなんとかなるとは考えられません。"
"私たちはジャネット・イエレンの意見にはたいていは賛成しています。でも彼女が2016年にジャクソン・ホールで講演をしたとき、金融政策にはまだツールキットが残っているという彼女の楽観主義はまちがっていると思っていました。10年債の利回りが150ベーシスに落ち込んでいる現在ならなおさらのこと。"
"金融経済のブラックホール、私はゼロ近辺で固まってしまった利子率、そこから抜け出す見込みもない状態をこう呼ぶのですが、10年債の実質利回りがゼロないしマイナスのヨーロッパと日本のマーケットでは、それはもはや将来にわたって確信となっています。アメリカ合衆国も不況ひとつで彼らの仲間入りです。"
"先進国ではどこでも、失業率の急上昇のリスクはインフレ率の急上昇のリスクよりもはるかに大きい。マーケットの期待インフレ率が2%にはるかに足りないというのに、です。"
"金融当局は、金融政策を通じて、長期にわたり、望むだけのインフレを創り出すことができる、世界中の経済学部の学生は、それが公理だと教えられてきました。だがもはやその命題は大いに疑わしい。"
"多くの人は、その後におきた出来事で、アルヴィン・ハンセンの長期停滞論はまちがいであることが証明されたと信じています。でも事実は逆で、大恐慌から復活するのに第二次世界大戦が必要だったという事実は、彼が正しかったことの証明なのです。膨大な軍事支出がなければ「流動性の罠」がもたらすデフレシナリオは、しつこく続いたことでしょう。"
"「ブラックホール問題」、「長期停滞」、「日本化」、なんと呼ぼうといいのですが、この一連の事象が世界の中央銀行を悩ませているのです。"
"私たちはポスト・ケインジアンがずっと強調していたこと、最近ではトーマス・パリーが唱えていたことに賛成しなければならないようです。経済変動において、ある特定の要素の摩擦、不適合が果たす役割は、根本的な総需要不足に比べれば、あまり強調される問題ではない、ということです。"
"今度発表する論文で、私たちは、最近のコンセンサスのように、現在の状況を、単に中立金利の下落、低いインフレ率、名目金利の実効的な下限という観点から捉えることは、苦境を過小評価してしまうと主張しています。長期停滞はより深刻な問題なのです。"
"超低金利環境における限られた名目GDPの成長は中立金利が大幅に低下した証拠だと解釈されてきました。だがそれだけではありません。"
"総需要に対する金利の影響が急激に低下し、金利が低下するにつれて限界影響、すなわち低下した金利毎の総需要に対する影響が減少することも、同じぐらい確かなのだと思います、"
"ある局面では利子率の低下が総需要を減少させることさえあり得るのです。その原因は、例えば貯蓄行動の目標への影響であったり、金融機関の利ざや縮小からくる仲介機能の低下現象、いわゆるリバーサル・レート効果だったり、リアル・オプション効果を考慮して埋没的、不可逆的投資は止めておこうとなることだったり、低金利の財政赤字に及ぼす勘定効果であったりします。"
"この点は、マクロ経済学のダイアグラムを使って示すことができます。ISカーブは急勾配になり、非線形になり、後ろに向けて曲がることすらあるのです。"
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490361881931777/photo/1
"もしマクロ経済安定化の中心的な問題が中立金利の低下にあるなら、その立場は、たぶん"オールド・ニュー・ケインジアン"と呼ぶべきなのでしょうが、利子率をじゅうぶんに下げることができるのであれば、金融政策によって完全雇用は達成可能です。"
"対照的に長期停滞の視点からは、この立場をニュー・オールド・ケインジアンと呼びましょう、仮に可能な場合であっても、総需要に少々刺激を与えるのがせいぜいで、最悪の場合は、総需要を減らすことすらあるのです。"
"さらに利下げは将来の経済のパフォーマンスを阻害することもあるのです。以下その理由を述べます。"
"第1に、金融システムの不安定化です。金融危機の原因はバブルと過剰なレバレッジにありましたが、それは2001年の景気後退に対する需要下支えのための政策対応の結果として生み出されたのです。日本の1980年代末のバブルも1987年のブラックマンデー後の緊縮財政環境における低金利に原因がありました。"
"第2に、企業のゾンビ化リスクです。利払いの問題に直面していない企業は、テストを受ける必要がない学生のようなものです。彼らは勝手気ままにどうみても収益性がみこめない事業にもフラフラと乗り出してしまう。さらに低金利は寡占企業の強大化とダイナミズムの低下を生み出すでしょう。"
"第3に、銀行の破綻リスクです。低金利は銀行の収益を圧迫し、顧客基盤のようなフランチャイズ・バリューを低下させ、自己資本規制のレベルがいかなるものであれ、銀行をショックに対して脆弱にするでしょう。"
"第4に、金融政策の有効性のさらなる減少リスク。現在の利下げが将来の需要の先食い、つまり企業が将来の投資を、消費者が持続的に必要な消費今するというレベルにまで至ると、現在の低金利は、将来の金融政策の効果の減少を含意することになります。"
"マクロ経済学者が注目すべき重要な問題は、適切な総需要を管理することです。私たちは、中央銀行が管理できるのだ、あるいは現在の金融政策の各種ツールでそれができるだろう、と提案することは、危険だと思っています。"
"もっとも注目されるべきが財政政策であることはあきらかです。とりわけ低金利、ゼロ以下の金利が財政赤字の持続可能性を示している現在の状況下ではなおさらのこと。"
"しかしながら需要の水準は政治構造の影響も受けます。例えば、社会保障の給付を当期の租税や保険料で賄うべきとするpay-as-you-go方式、定年の延長、社会保険の改善、民間のインフラ投資への援助、高貯蓄の富裕層から流動性が制約されている、要するにお金がない貧困層への再分配などです。"
"1970年代の高インフレ、高い利子率はマクロ経済学の政治思想、政策、制度に革命をもたらしました。低インフレ、低い利子率とこの10年の長期停滞は現在も深刻な形で進行中であり、マクロ経済学の世界に同じぐらい大きな改革が求められています。"
"ジャクソンホールの「金融政策への挑戦」で、この点に焦点があてられることを願っています。まああんまり期待していませんが。"
https://twitter.com/paulkrugman/status/1164604703424090112
"ラリー・サマーズのスレッドがおもしろい。まあ僕はいくらか疑問点ももっているけどね。あのあらぬ方向に曲がったISカーブには納得していない。でも全体の方向性としてははっきり正しい。次の不況で中央銀行に何かできる力が残っていると信じる理由はほとんどない。"
"中央銀行はそうは言わないけどね。でも彼らの立場も考えてやれよ。ドラギやパウエルが「うちらもうお手上げですわ」って言ってみ?マーケットはパニックになっちゃうよ。何もできなくても自信があるふりしなきゃならないのさ。"
"さらに2点。僕には中央銀行はまだこれが一時的なポスト金融危機時代の姿で、将来「正常化」できるかのように語り、振る舞っているように見える。でもね、もうリーマンショックから11年だよ!"
"言い換えれば、これが21世紀のノーマルなんだよ。グレート・モデレーション・マクロエコノミクス、中央銀行は景気循環をコントロールし、財政政策は緊急措置、そんな時代は戻ってこない。"
"ラリーは1970年代のインフレがマクロ経済学思想の刷新につながったことにも触れ、僕らも同じことをしなきゃならないと言った。僕も、なぜ今までそれがおきていないのか、僕らは厳しく問い詰められなければならないと思う。"
"結局のところ、現時点まで超低金利と持続的な需要不足は、スタグフレーションの時代よりも長く続いている。1970年代の7~8年の不調がすべてを変えたのに、2008年以来の11年でなんでこんなに変っていないの?"
"僕の考えでは、社会学と政治学のミックスに答えがある。しつこくつきまとう長期停滞の害悪は、保守的なアジェンダを産み、経済学者を古典派に回帰させた。だがまだ対照的な方法が残っている。"
"ジャクソン・ホールでラリー・サマーズ以外にも持続的な財政刺激策を主張する人がいて、オリヴィエ・ブランシャールを呼んで財政赤字を騒ぎ立てることが見当違いだって言わせればおもしろいと思う。レポート求む。"
(訳は適当です。マクロ経済学の知識がない人も分かるようにことばの意味を補っている箇所もあります。)
(追記)
参考文献を紹介しておきます。
Robert J Gordon "Macroeconomics 12th Edition"
https://www.amazon.com/Macroeconomics-12th-Pearson-Economics-Hardcover/dp/0138014914
https://www.amazon.co.jp/dp/B07KWMYP13/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキ、ポール・クルーグマンwithアルヴィン・ハンセン「景気の回復が感じられないのはなぜか-長期停滞論争」
きょうはamazonでひっど~い売り物をかっちゃわないためのウラワザをこっそりおしえちゃうよ!
じゃあさっそく、うりばにいってみよう!↓(した)のえいごを押してね!
https://www.amazon.co.jp/dp/B001A4SC7I
って文字が、値段の下か、"▶今すぐ買う"ってボタンの下にあるのがみえるかな!?
これは、アマゾンさんが直接(ちょくせつ)みんなのおうちに品物をとどけてくれるよっていみなんだ!
みんながイオンモールで店員さんに、トーマスのチューインキャンディをもってきてもらうのとおなじだね!
イオンのおねえさんとおなじように、アマゾンもアマゾンのひとがえらんでもってきてくれるからあんしんなんだ!
あと確率は95%くらいに下がるけど、商品名=販売者かつamazon発送(FBA)で、Google先生に聞いてまともな公式サイトとレビューがある商品ならまず大丈夫だろ
例:
つってもまあ稀にハズレはあるから、違和感あった瞬間に躊躇せずamazonに着払いで返品すればすごい速度で返金されるし、amazonが販売してなくてハズレリスクある商品なんて大した頻度で買わないし、何をそんなに騒いでるのかわからん。
きかんしゃトーマスって、改めて考えるとなんなの?
アンパンマンは流星が生み出した化け物ということで、その世界の中で理解できる。
あれは蒸気機関車だから、胴体は人間が作ったんだと思うけど、顔面もそうなの?なんで?
それともあれは、ヤドカリみたいになにか別の生き物が入り込んでるの?
あるいはあの世界では、トーマスみたいなやつが機械部分ごと生命として繁殖してるとか?じゃあゴードンのケツからいつの間にかゴードンジュニアが出てくるの?
一番納得できるのは、トップハム・ハット卿を始めとする登場人物が全員薬物をキメてて、乗り物に対する思い入れがあの幻覚を生み出している、という説だけど、なんかもうバッドトリップだろ。