腐女子ネタは単なるお遊び要素で、真のテーマは「LGBTに関する人権意識が過剰に膨らみすぎて、当人達の意思を離れつつある実態」なのは、誰の目から見てもわりと分かりやすいとは思うんだけど
最後の、トーマスがクレイグに語りかけるシーンの意味が、よく分かってなかったんだよね。
でも今日観返して、「大切なのは指向への迎合ではなく、個々人をありのまま受け入れる事である」って伝えたかったんだろうなって思った。
トーマスは話中、最後まで息子がゲイであることを好意的に捉えられなかったし、性指向に対する知識もめちゃくちゃなままだった。人がゲイになるのは日本のせいで、それはトンキン湾事件が原因で、ゲイにはお金を与えていれば良い、そんな出鱈目な知識。そもそも息子が本当にゲイなのか否かすら分かっていない。
でもトーマスは、クレイグのありのままを受け入れる、とクレイグに示すことができた。正しい知識はなくても、息子の全てを受容する、それを相手に伝えられた。大事なのは、LGBTに感する知識でも、応援でも、運動でもない。性的少数者という括りを取っ払った、その人自身を受け入れること。その人に、「この人なら自分を受け入れてくれる」と思ってもらうこと。
結局クレイグはトゥイークと付き合うことを選んだわけだけど、楽しそうに遊んでるし、後のシーズンでもお互い支え合いながら仲良くやってる。クレイグはゲイがゲイじゃないかは兎も角として自分の幸せを掴む事には成功してるんだよね。
ジャンル分けの成否は関係なくて、その人自身が幸せならいいんじゃないかって、そんなテーマが隠れてるんじゃないかな。
サウスパークは、初期の何も考えてなさそうな不条理ギャグ時代の印象が強すぎるんだけど、最近は深読みに深読みを重ねてもまだ足りない作品が多い。