はてなキーワード: うつ状態とは
双極性障害でメンタルクリニックに通ってるんだけど、毎日毎日自分の社会不適合性を自覚して辛い
所謂ラピッドサイクラーで長い時は数週間から1ヶ月うつ状態が続いてその間は何もできないしたくない。
飯も食べたくなかったら逆に食べすぎたりみたいな感じ。
もう本当にひたすら寝てたいし労働なんてもっての外で24にもなるのにいまだにフリーターで死にたすぎる。
逆に躁状態の時は明らかに無理だろって量の掛け持ちシフトを寝ずにこなしたり1日何回も飯食ったり深夜いきなり友人に電話したりetc・・・
・過剰な浪費
これを全部無意識のうちにしちゃってるってのが本当に最悪。躁の時って判断力のタガが外れる感じがして、しかもこれが月に何回かあるからとてもじゃないけど健常な生活なんて営めない。
このままだといつか友達にも家族にも見放されて1人になっても社会不適合のままで落ちぶれて死んでくんだろうな・・・って思うと逆に死にたい(?)
真面目に手帳取るか悩んでる。
ここ一週間ぐらいどうにも気力がなくなった。
夫婦住み、夫は会社員、自分は自営で自宅作業なんだが、夫がコロナで4月から在宅だった。
在宅って言ってもその間ほとんど仕事はないのでダラダラ過ごす。
本人もイライラしているようだけど何かを積極的にやる様子はなかった。
っていうか何をやっていいのかわからなかったのかも。
夫も私に対してストレスが溜まってたんだろうな。(いや今もか)
共働きなので家事はできる人がやるスタンスなんだが、そういう状態の自分ばかり家事をやるのが不満だったよう。
私が「今手が空いてるからやってくれて当然」と思ってるのが自然に態度に出ちゃってただろうと今にして思う。
まず常に家にいるのに気を遣う。
家にいてくれるから自分の仕事がすっごい捗るってわけでもない。
気を遣うから夕飯も早い(夫は早く飲み食いしたいと思ってる)。
もっと仕事をしていたいのに気を遣って早く仕事を終了することにもイライラ。
犬がいるから朝早く起きて散歩に行って欲しいのに(いま暑いし)、朝起きてくれなくてイライラ。
でも私が早く起きていこうとすると「俺が行く予定だったのに」と怒り出す。
そんなこんなでようやく来週から会社に行ってくれる目処が立ったわけだけど、
ここ一週間ぐらいちょっと鬱っぽい。
無気力な感じ。
コロナはマジで怖くて、ちょっと体調に異変があると感染したかなという恐怖。
東京から出れない、どこにも行けないというのは自覚してなかったけどストレスだったのかも。
思えば毎週末、どっか行ってたからなー。
社会人に一応なって1ヶ月が経ったいま考えていること。
この記録を残すのはまず、歴史の教科書に載るような大変化がいま起っているのが確実であり、その変化の渦中にいた自分の考え、当時の生活を、あとから振り返ることができる手がかりを残したいと思ったから。この背景には、東日本大震災の時に、自分が日記などをつけていなかったせいで当時の自分と自分を取り巻く状況についての主観的な情報を確認する手段が、曖昧な記憶を辿る以外になく、勿体無かったと感じたことがある。東日本に関しては、震災を機に自分の中の価値観が大きく変わったという人をこれまでに少なく無い数見てきたが、自分にはそうした変化は見られなかった。直接の被害を受けていない地域に住んでいたこと、当時まだ高校生と若かったこともあるが、社会の状況が自分の核になる部分に影響を与えるということのイメージ自体がうまくわかなかった。そしてそれは今も変わっていない。
コロナウイルスの起こした混乱で、2020/5/5の現在は多くの人が不安を抱えている状況で、
緊急事態宣言の期間が延長されたこともあって、不安が絶望に変わった人も少なく無いと思う。
自分が就職した会社ももちろんダメージがあるが、ここ数ヶ月のうちに会社がつぶれたり解雇される社員が出たりという状況にはならない。
接触を8割減らせ命令に従っていることもあり、自分の部署はだいたい週一出社くらいになっている。
当初予定されていた集合研修は中止になったし、歓迎会も一度も開かれていない。というか同じ部署の人ですらまだ全員に全然会えていない。
業務内容の説明なども大して受けないまま、部署に配属されたり、研修やその後の飲み会で同期や先輩たちと仲を深めることができていない状況をさして、社内で会う人会う人に「大変だったね」「かわいそうだ」などと言われるけど、自分にとってはこの状況は幸運以外のなにものでもない。
嫌なんてものじゃなく、恐怖だった。
社交不安障害を抱えている自分にとって、人が多く集まるようないわゆる普通のオフィスでの仕事は苦痛そのものだから。
うつ状態が加速すること、体調が悪化することがほぼ確だと思っていたし、そうした思いの中、入社までのカウントダウンの日々を過ごしていた自分には
絶望しかなかった。自分に明らかに合っていない会社で働くこと、そして現状の日本の会社のほとんどが自分に合ってないことそうした確実な未来から目を背けてモラトリアムの終わりをかみしめていた。
街を歩くと三密業態の店は軒並みシャッターを下ろしているし、身の回りでも明らかにダメージを受けてる人が多くてみんな本当にきついと思うんだけど、自分にとっては今回のコロナ禍は本当ありえないレベルの僥倖だ。人生最大の絶望が、歴史的感染症流行によって救われている。執行猶予を与えられている。
この状況が続けば、というかもうすでに大不況確定だろうし自分の給料も前予想していたみたいには上がらないんだろうけど、そうでなくても自分はどうせ社会人として長く持たないだろうという諦めを持っていたから社会がパニックに陥ってもそれと連動して自分も不安や恐怖を感じたりしない。ある意味、社会から切り離された無敵の人に近い状態だ。
自分は就職が本当に嫌だった。大学生という時間に余裕のある身分でなくなることもかなりきついが、なにより自分個人が抱えている問題によるところが大きい。
じぶんは恐らく社交不安障害だ。人が多く集まる場に長時間拘束されることや、たとえ一対一でも他人と長時間一緒にいることがきつい。
不自由さが精神的にきついということもあるが体に症状が出てしまう。具体的にはお腹が張ったり鳴ったり、下痢が止まらなくなったりだ。
他にも症状の出方はいろいろある。声が震えたりとか。体臭が気になるとか。
どれか一つだけでもQOLは大きく低下するけどそれらのダブルパンチどころかトリプル以上のパンチを食らっている。
こうした症状が出やすい場面を避けることでなんとか生活できているけど、逆に言えば苦しみを回避するために行動の幅が、人生の幅が大きく狭まっている。
大学の横並びの長机の真ん中の席なんかは座れない。教授から、そこ詰めるように、なんて言われた日には結局すぐに耐えられなくなって
症状それぞれに一応対処法はあって、具体的には病院でもらった薬を飲んだり、生活上気をつけるように言われていることをきちんと実行して、その効果の様子を見て一喜一憂している。
でも確実なのは、人目を気にしてしまうことが症状の根本的な原因になっているということだ。
匂いを完全に吸収して外に出さないパンツを履いたり、最高に合う薬を見つけても根本解決にはならない。
こうした社交不安障害の症状にはさまざまなものがあるけど、すでにこの障害を抱えている者にとって不都合な現実として存在するのが、一度こうした症状を抱えると、ほかの分野にもそれが飛び火してしまう可能性が高いということだ。いまは大丈夫でも、自分もいつか他の人が苦しんでいるような症状で新たに苦しむようになる可能性はゼロではない。実際、自分も思春期に発症して以来、この手の厄介な症状はその発生分野が広くなっている。中にはほとんど気にならないようになたものもあるけど、逆に前は平気でできていたことができなくなったりもする。
自分のこの問題を考えれば、就活の段階で明らかにいわゆる三密の職場は避けるべきだった。
でも大企業のホワイトカラーの多くは結局一部を除いて三密のオフィスで働いている状況で、時差出勤とかリモートが定着している会社は意識の高い人が多く、それはそれで自分に合わなかった。
就活の時期に精神的に萎えていた自分は結局普通に良さげな大きな会社をいくつかうけて、受かってしまうとそこが自分に向いてないと分かっていながら就活をやめてしまった。
皮膚科と歯医者と精神科と眼科と不動産屋に行かなきゃいけないのにコロナが怖くていけない。
でもはやく行かないと確実にやばい。
うつ状態でもう半年近く寝たきり状態が続いてるので、37歳だけどフレイルティになってる気がする。寝たきりになる前は人並み以上には体力があったので落差が激しくてしんどい。
だいぶ前に高齢の大家さんから今年いっぱいで賃貸契約おしまいと言われてるので引っ越し先を探さなきゃいけない。こんな時期にこんな状態でどうやって引っ越し先を探すんだよ。
それに家がゴミ屋敷だから引っ越し準備だってできる自信がない。
契約終了日は6月末だ。それまでに引っ越しできてる自信はゼロだ。
ヘタしたら違法状態で住み続けることになりそう。
もう大大大ピンチでどうしようもない。
顔の皮膚も数ヶ月前から真っ赤に腫れてて皮膚科行かないとすごいやばい。自己判断でステロイド塗りまくって対症療法やってるから絶対やばい。
ステロイドを自己判断で塗っていいのは2週間までと言われてるので2週間塗って少しマシになったら放置して、しばらくしたらまた赤く腫れてきての繰り返し。さすがにもう皮膚科専門医に診てもらわなきゃダメだろう。
やらなきゃいけないことが山積みなのになにひとつできてないし、それで困るのは自分自身なのに動けない。
もう終わりだ。
散歩すらせず家にずーっといる。免疫抑制状態で重症化リスクが高いのと、鬱気味なので外に出られないからだよ。
太らないように気をつけて食事も栄養バランスを考えつつ最小限しか食べてない。
それでもお腹が出てる気がして、さっき思い切って2ヶ月ぶりに体重計に乗ってみたら体重は変わってなかった。これには安堵したが、ゆーて動いてないから筋肉落ちて脂肪が増えてるわけで、体組成的には劣化してる。
私の人生の楽しみの大部分は外食で美味しいものを食べて、食べたぶんのカロリーを運動して消費することだった。
それが出来てないのは非常につらい。
いつまでもこの状況が続くわけじゃない。その日に備えて体重だけは増やしたくないんだ。
でも腹減ったよ。
今の楽しみは漫画を読むこと。面白い漫画を読んでるときは完全に現実を忘れて物語の世界に没頭して感動して涙を流す。涙を流すのはストレス解消になる。泣きすぎて顔の皮膚が真っ赤に爛れていてピンチだ。はやく皮膚科行かなきゃ。でも今は皮膚科すらコロナが怖くて行けねーんだよ。仕方がないから自己判断でステロイド軟膏(顔に塗ってもOKなランク)塗って誤魔化してる。でも早いうちに皮膚科行かないとヤバいって気がしてるから気合いを入れて行くしかねえ。ゲームもやりたいけど家にテレビもゲーム機もない。
この際だから今まで食わず嫌いしていたアニメ鑑賞にも手をだしてみようかと思ってる。
今の私は面白い漫画とアニメを観ているとき以外は主に生きる屍です。
漫画とアニメに没頭してるときはさ、見る夢もすごく楽しい夢ばかりなの。
読まない期間が数日続くと悪夢ばかり見るの。寝起きが最悪なの。
でも漫画やアニメに没頭しすぎると世の中で起きてることにも興味がなくなってきてニュースも見なくなっちゃうという副作用もあるのよ。
現実把握と現実逃避のバランスをうまくとりたいもんだけどなかなか上手く行かないもんだね。
メンタルが限界だからはやく精神科も行かなきゃなあ。このまえ予約無断キャンセルしちゃったんだよ、コロナが怖くて。
以上、つらつらと深夜のテンションでつまんねー文章を吐き出してみたよ。
原点あたってないけど、基本的に翻訳年を観るとちょうどUFOや超能力が取り沙汰された、70年台の頃の作品だなと。これはあくまで国内事情で、向こうではアダムスキーなど、数年早くブームがきていた。この頃の空気感が自分の子供の頃にはまだ全然残っていて、TVでは超能力特集とか毎度のように放送していたと記憶している。
番組ではクラーク氏の科学観を云々と述べていたいのだが、どこまでいっても時代の制約を人は脱しきれないのだ、という印象が強くなるばかりだった。時代の空気を読んで何かを作らざるを得ない以上仕方ないことなのかもしれない。
科学のカウンターとして宗教的なものを尊ぶという極端なヒッピー文化的な発想、近年の疲れ切った西海岸のIT実業家がカウンターカルチャーとして嵌まるメディテーションとそう変わらない印象を受ける。西洋人はその不自然なまでの実存主義に厭世感を覚えて常に別世界に逃げ込もうとする。
厭世的と極端なユートピア思想の背景は言うまでもなくベトナム戦争にるものなのだろう。両極端な分離した心理で常に葛藤して、それに対して内外圧と極端な癒やしを求める。もはやアメリカ全体がうつ状態なのではと思う。躁鬱の差が激しい国だと感じる。そういえばうつ病になりやすい性格は白黒はっきりつけようとする性格だとか。
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
https://twitter.com/monthlymansatsu
ウェブカツ かずきち
ソースコードや画像を丸パクリして炎上したが、全く悪びれもなく平常運転
https://twitter.com/kazukichi3110
白鳥 紘子
超絶ブラックエステ会社の社長。会社アカウント突然削除からの自己破産。給与が支払われたかは不明
https://twitter.com/irotarihslash
山口氏に対しての誹謗中傷、ウィルスはアルコール効かないなどガソリンを撒き散らしている
https://twitter.com/hasumi29430098
大澤昇平
とんでも医療で話題になったが、今年に入ってからは更新が止まっている
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.stoicclub131.com/entry/2019/11/18/000000
「いい歳していつまでも独身の人は信用しないし、既婚でも子どもがいるかどうかで信用度は異なる」発言
https://twitter.com/cloverfield_inc
その他
アカウント停止?
生理前でもないのに不安とイライラと情緒不安定がおさまらないとき、ああ私は本当にメンタル(あるいは脳の機能)がブッ壊れてるんだなと思って悲しくなる。思春期のころからずっとそうだった気がする。なんで産まれてきちゃったんだろう。私なんかいないほうが良かった。私はメンタルがブッ壊れてるわりに自傷も他害もしない。家に引きこもって独りで布団の中でグッと耐えてる。だから具合が悪くても放置されやすい。自傷なり他害なり、何かしか問題を起こす人はだいたい精神科入院歴がある。私は入院歴は一度もない。強いて言うならばこうやって部屋にずっと引きこもっていることが「入院的な環境」と言えるかもしれないが。もしインターネットがなかったら、私はもっともっと孤独で、それに耐えられなかっただろう。昔から孤独なときは常にネットにいた。別にそれで気持ちが救われるわけでもないのに。ただ時間潰しにしかならないのに。私はリアルでは他人を求めていないが、心の何処かで他人を求めてしまっているんだと思う。無意識に他人を求めてしまう気持ちをゼロにしたい。そうすればきっと楽になる。私はもう誰も見たくないし誰とも関わり合いたくない。こんなことを増田に書いて誰かに読んでもらおうとしてる時点で矛盾してる。
私はなんでメンタルブッ壊れ人間としての人生を歩むことになったのかな。
なりたくてなったわけじゃない。それが悲しい。
いつか主治医が言っていた「人生は楽しんだもの勝ち」という言葉は数ヶ月間ほど私に力を与えてくれていたが、今はそうじゃない。
楽しもうと思っても色々障害があって楽しめない。
障害というのは、自分の精神状態の不安定さだったり、外出しようと思ってもできない無気力状態だったりする。
躁状態になりたい、と懲りずに思う。うつ状態というのは端的に言って生き地獄だから。人生楽しんだもの勝ちと言うなら、私が躁状態で楽しくアクティブに生きてるときに静止しないでほしい。私が楽しんで生きていられるときって大体は躁状態のときなんだから。私は楽しみたいし、楽しまなきゃ生きてる意味はもはやない。子どもを産み育てるつもりも異性と付き合うつもりも仕事をする気すらない。自分独りで生きていく。
どうか壊れた人間に何か生産的なことを期待しないでほしい。それから…しょうもないことで褒めないでほしい。
私は私がなりたい人間にはなれなかった。最低限ここまでの基準には到達したいと思う基準にすら到達できなかった。だから自分のことが好きになれない。頑張りたかった。努力して実力不足を超えたかった。たしかにそう願って努力した時期があった。他の人たちがそうしているように。
私はこれからも行動化を起こさず目立たず社会の最下層にて独りで静かに暮らす。上にいる人たちが眩しいと同時に憎い。特にインテリの家に生まれ裕福に産まれ育ち心身ともに健康で努力できる人が憎い。それは全て私がほしくて手に入らなかったものだからだ。
今はうつ状態で寝たきりなので、ここから上向き次第筋トレするさ。やりすぎると躁転するので加減が難しい。
うつ状態→躁状態(アスリート並みに鍛えまくって体脂肪率1桁)→うつ状態→躁状態(アスリート並みに鍛えまくって体脂肪率1桁)…を繰り返していて賽の河原状態。
DIO様とか吉良吉影とかディアボロとかそういう絶対強者に生まれたかった。
彼らは悪者だけど魅力的だよね。私自身には彼らほど反社会的傾向はないが、というかだからこそ、あの圧倒的な強さと自信に憧れる。現実の私は気の小さい絶対弱者でドッピオは私に近い。「俺たちにできないことをやってみせる」そこに魅せられるのかもな〜〜。吉良吉影以外はみんなマッチョでもう見るからに強そうだよね。今の私はうつ状態が長引いて家から出てないせいで、家で軽くストレッチしただけで翌日全身筋肉痛になるくらい筋力低下してる。女だからどれだけ鍛えても彼らほど強くはなれないけど、自分の限界まで身体を鍛えて強くなりたい。メンタルが弱いならせめて身体だけでもタフになりたい。願望を書くだけなら自由だから書いてみた。すぐにじゃなくていい、何年かかってもいいからこの思いが叶う日が来ることを願う。
おそらく何処かで自殺未遂のようなことをしているのだろうと思う。
それを止めたことがあるから場所はたぶん知っている。その時の強烈な緊張感は一生忘れないだろう。
私も精神的に安定していないが、常人の部類だと思う。死にたいとまでは思わない。
彼女は、夜な夜な出かけては、このようなことを繰り返す。その度に私は彼女のTwitterのアカウントを見たり、ブログで監視することに集中してしまう。
彼女はそれを知らないはずだ。
こちらは眠れない日が続いてしまう。まだ帰ってこないもう夜の3時だ。明日は8時に家を出て仕事なのに眠れない。
正直に言って、こちらが先に疲れてしまう。いや、本当に疲れているのは妹なのかもしれない。
しかし、私も全能ではないので気になることがあれば眠れない。母はなぜ眠れるのだろうか?
死んでいるかもしれない家族がいるとなると気になるのは当たり前だ。しかし、それにも疲れてきた。今までは全て帰ってきているから。
でも万が一がある。
男夫婦にも私夫婦にも今のところ子供はいない。交際を始めて一年半になる。
養子縁組の件、男は公的機関に申請済みで、あとは子供が紹介されるのを待つだけ。もしかしたらすでに紹介されてて面談中なのかもしれない。
状況がよく分からない。詳しく聞こうとしても、いつもはぐらかされる。
「子供が来たら教えてね」と言うと「でもそしたら君はもう会ってくれなくなるんでしょ」と言われ、
「子供が可哀想だから、子供が来たら不倫やめよう」と伝えると「ほんとに子供が可哀想かな?」と宣った。
でも聞けるか?お父さん不倫しても嫌じゃない?って聞けるか?
それとも親は子供に対して、そこまで誠実である必要はないのだろうか?
分からない。でも少なくとも私は、自分の父には誠実であって欲しかった。
だから誰かのお父さんとは関わりあいたくない。子供を傷つける危険因子になりたくない。
子供を大切にしたい。
色々あって苦しくて仕方ない時に、藁にもすがる思いで始めたW不倫だった。死にたくなかった。助かりたかった。
男と寝ると脳をつんざくような刺激があって、その時だけは苦痛が和らいだ。キラキラ星が瞼の裏に散って、生きられる気がした。ハマってしまった。
男もそれなりに私を気に入って、カワイイ、大好き、一緒に暮らしたい、転勤したらついてきて、妻とは別居している、妻を女性として見られない、関係は冷え切ってる、離婚するかもしれない…etc と言われた。
そんな風に言われると私もその気になってしまい、最初はセックスだけだったのが段々精神的にも親密さを覚えるようになった。男を可愛く思うようになって、社会的に支えてあげたいとか、独占したいとか思うようになった。
歌舞伎町のホストが客をホスト狂いに墜とすのと同じやり口で惚れてしまったわけだ。
それで交際一年ちょっとしたとき「じゃあ私離婚するね。再婚しよう」とプロポーズしてみたら「それはできない」と手のひらを返された。
「別居していた妻とは今ほとんど同居している。君と再婚する気は無い。養子を募集している」のだと。
な、なんだそれ…と絶望してしまい、高岡由佳みたいに包丁で滅多刺しにしてやろうかと思ったけど、同時に男のことをもっと好きになる自分がいた。
人は生きるために、手首を切ったり、薬物やったり、サウナで整ったり、アルコール飲んだり、
猫を殺したり、何にでも七味かけたり、痴漢行為したりするんだろう。
私の場合その対象がたまたまセックスで、相手との関係性は不倫だ。
でも刺激は慣れる。回を重ねる毎に、もっと重い刺激、もっと大量のドーパミンだかアドレナリンが必要になる。
だから男に軽んじられ傷つけられても滝に打たれる修行僧みたいに耐えられちゃうし、「殺す卍」と思うほど強い刺激が発生しても、殺意と同量の「大好き♡」が生まれてズルズル続いてしまうんだ。
刺激が無いと死んでしまうわけだが、刺激を求め出すと底なし沼みたいにどんどん堕ちていき、それはそれで死んでしまう。
うつ状態で視野が狭まり、体が動かなくなるときもある。ものを食べられなくなり体重が落ちて35キロになってしまった。
というところまで不倫のカラクリが分かってきた。分かると同時に冷めた。
刺激が無くても生きていられるようになるには、セロトニンが必要なのかなと思って、いまトリプトファンのサプリを摂っている。
穏やかさに満たされてけっこういい感じ。キラキラ星が見えなくてつまんないな〜とも思うけど、これで良いんだよね。これで良いんだ。