はてなキーワード: うつ状態とは
特定されない為に以下の記述にはフェイクをいくらか織り交ぜてある。
人が苦しむ姿を見て楽しむのが趣味だ。
そんな俺がここ最近特に観察するのを楽しみにしているなろう作家がいる。
彼は40万字書いてアクセス数がやっと一万五千を超えるかどうか。
対して俺は書籍化にはほど遠いが100万アクセス以上の作品がいくつかある中堅作家といったところか。
その男は別にリア友という訳ではなく、ただのネット上の知り合いだ。
だがその男がエッセイで、活動報告で、ツイッター上で吐き出す苦悩を見るのが本当に好きなのだ。
誤解されないように言っておくが、彼の力量は決して低くない。
むしろ俺などよりもずっと巧みで、彼の作品を読む度に俺にはこんな文章は書けないと思わされる。
そんな彼が何故俺程度すら超えられないのか。
これは単に俺が彼の作品を読んだ感想でしかないが、彼の作品にはいつも何処か寂莫とした感覚が憑き纏う。
読んでいて居心地が悪いというか。座りが悪いというか。
「この登場人物に本当に感情移入していいのか」とビクビクしながら読み進めることになる。
彼の作品には「書きたい」という気持ちも「読みたい」という熱意も篭もっていないからだ。
彼は単純に「書ける」ものを書いている。加えて大衆受けする作品でもない。
だからと言って俺は彼に「自分の書きたいという気持ちや読みたいという感情を大事にしなよ」とはアドバイスしない。
彼はエッセイで絶叫している。
スランプの最中で自分の書きたいものを書けなくなってしまったと。
どんなコンテンツに触れても「作品の為のネタ集め」としか思えなくなって、自分の読みたいと言う気持ちが分からなくなってしまったと。
そんな彼に上記のアドバイスをするのは「お前には絶対に名作は書けない」という宣告に等しい。
俺は彼の筆を折りたくない。彼の苦悩をずっと見ていたい。
だから俺は何故彼の作品がダメかの根本には触れないようにしながら、彼が苦悩を吐き出す度に共感する振りをしつつ、優しい言葉をかけ、当たり障りのないアドバイスをする。
彼がなんとか作品を書き続けてくれるように。
しかし彼も薄々分かっているのだろう。
自分は「書きたい」「読みたい」という感情がないから駄目なのだと。
分かっていながら届かないものに手を伸ばして、それが指先にもかからない人間の苦悩は何よりも価値がある。
彼の人生が上を向くことはあるのだろうかと思う。
彼はフリーターで、もういい年だ。
根っからの無性愛者(アセクシュアル)で他人と恋をしたいと思ったことが無い。
それでも書けるから書いてしまうことが彼の苦しみを助長させている。
もし彼がうつ状態から回復できれば「書きたい」や「読みたい」も生まれるかもしれない。
でも、彼にそんなチャンスがあるだろうか。
そう思い悩み、彼の境遇に思いを馳せ、彼の苦悩をテイスティングする。
俺は彼の苦悩のファンだ。
こんなに価値のある苦悩をしている人間がいる、と誰かに伝えたくてこの文章を書いた。
できれば彼が自ら命を絶つことなく、筆を折らず、無名作家のままでいてくれることを俺は願う。
無茶な願いだろうな。
アラフィフ、既婚、子なし、両親健在。
障害年金2級。
妻は結婚してから統合失調症を発症、義母も統失だったが知らなかった。
今年の春、うつが重くなり自殺願望が出てきて、しばらく私だけ実家の世話になることにした。
うつが重くなった理由は、妻が自分の好きなことに夢中で、私と向き合うことがほとんどなく、私の孤独感が強くなったからだと思う。
妻とは定期的に連絡を取っていたが、夏になって言動がおかしいことに気づき、妻にもしばらく実家で養生してもらうことにした。
連絡を取るときはいつも私からで、妻から連絡が来ることはなく、返信も来なくなった。私と連絡を取ると体調が悪くなるらしい。
私の実家の居心地は十分いいとは言えない。
母はある程度病気のことを理解してくれているが、80才の父は頭が固くなっていて精神疾患にあまり理解がない。
独身の妹がいるのだが、指定難病を抱えていて、投薬治療の副作用が体中に出ており、常に痛みを感じていて、なんとか仕事を続けている状態だ。
躁状態のときは多幸感に包まれていて、実家に戻ることによってうつが治ったものと勘違いしていたが、秋になってうつ状態に戻り、躁が高かった分落ち込みが激しい。
これの取り崩しと境涯年金で生活しているが、働きもせず、ストレスもない現在の立場は、羨ましく思う人も少なくないと思う。
行きたいところにはだいたい行ったし、やりたいこともだいたいやった。
もう死んでもいいかなと思っている。
私は人付き合いが嫌いなくせに、さみしがり屋という面倒な人間だ。
自殺は首つり、飛び降り、頸動脈切断を中心に考えていたが、やはり首つりが妥当という結論に至った。
迷うのは、少ない遺産を家族に残すのか、使いきってしまうのかだ。
今の状態なら妻には相続したくなく、そのためには離婚が必要だが困難だと思う。
老い先短いとはいえ、世界中で私のことを思ってくれるのは実母しかいない。
実家で暮らすまでは難病を抱えている妹に残したいと思っていたが、今はあまりそうお思わなくなった。
まとめると、
・生きるとしたらどう生きていくべきか?
この2点だと思う。
諸兄のご意見を伺いたい。
4月からずっと希望していた発達障害のある人の支援をする仕事に就いたんだけど知能検査のテスターをし始めてめちゃくちゃ不注意を指摘されるようになった。検査中は裏で指導役が見てくれてて結果をまとめたあともチェックしてくれる。10件以上検査を取らせてもらって2,3人ほど1人で入った以外は全部指導役同席。そんな状況でミスを連発してしまい、今までの人生で本当に言われたことの無い「不注意」を指摘されるようになってしまった。おそらくADHDだと思われている。
空間認知的な部分が弱いのは自覚しているので見落としやすい課題は何度も確認する。時間がかかるのは仕方ないと言われているので他の仕事を挟み、時間置いて確認する。1人につき2日ほどかける。しかしあとから今これだけ見たとしても指摘されるかもしれないと思うと緊張して目が滑る。結局間違えて、「また?」と言わんばかりの視線で指摘される。報告書のミスも、日付のミスなどは減ったが微妙な図形のズレとかますに綺麗に文字が入っていない、これをお渡しするんだからと言われて納得はするが、恥ずかしさと緊張で頭が沸騰しそうな状態になる。結局、ひとつの図形を整えるのに1時間かけてしまった。指導役の指示も完全にADHDへの対応になっていて申し訳ない気持ちしかない。こんなことなら今の仕事を選ばなければよかったと思ってしまう。ずっとやりたい仕事だったのに。
ADHDの特性はたしかに持っているし、ASDの特性も持っていると思う。ただ診断がつくほどではなく、傾向ありとするにも微妙なライン。母から幼少期の話はきいているし、医師に相談したこともあるのでこれは間違いない。強迫と自己愛がかなり強く、そこで苦労した学生時代だったもののそこは受容して上手く付き合っていこうねとお世話になった先生から言われ、それなりに頑張ってきたつもりだったが。
自分でもこれほど不注意不注意と言われるのは予想外だったし、気をつけたら気をつけた分だけ落ち込む。今も書きながら泣けてきて仕方が無い。自分が惨めで、これほど迷惑をかけながら職場に居座ることが辛くて仕方ない。今まで懸命に育ててきた自尊心は毎日しぼみ続けている。他職種の同期がどんどん仕事を任されているのを見ると、どれだけ自分が期待されず、厄介者だと思われているんだろうとただただ悲しくて仕方ない。今もお腹が痛くて仕方ない。
不注意の原因は分かっている。なれない仕事と仕事の他にやらなければならないこと、新しい環境がかなり負担になっていること、それによりうつ状態に近いこと、それに起因する注意力散漫になっていること。それから元々人の目がとにかく気になること、過度に緊張して人から見られていると力が発揮できないこと、今の監視されているような状況が心底辛いこと。それらが要因になっていることは間違いなく、ある程度野放しにしてもらえたらそれなりに結果を出せる自信はある(いや、あった。)。根拠はこれまでの自分はそうやって評価されてきたから。それを知っている人は自分以外にも多数いて、放っておいてくれるほうが安心することを知ってくれ、許してくれた環境下ではうまくやってこらた。
自分が発達と疑われていることが辛いのか、だとしたらもうこんな仕事やめてしまった方がいいんじゃないかとも思う。自分はなんて傲慢な思いで今の仕事を選んだんだろうと。とにかく自分のことが嫌で嫌で仕方ない。自分で自分のことを嫌だと思っている自分が嫌で、とにかく無価値でそれでもまだあれしたいこれしたい、という思いがあること、生きようとしていることが恥ずかしい。
「精神疾患」が確かだとして「統合失調」という情報は、どこから来たのか?
(明らかに「統合失調」ならばすでに報道されていてもおかしくはないと思うのだが)
例の5chの書き込みには「思考盗聴」というキーワードが出てくるらしい。
5chの書き込みを本人と仮定して追う場合、時系列も考慮するべきだろう。
現時点で5chの書き込みは2012年頃のものと2018年頃のものが発掘されているようだ。
(※なお2012年6月20日にコンビニ強盗で逮捕されて懲役3年6か月で釈放が2016年)
2012年の書き込みを見るに「あの子」「ここまでの女」「こいつ」と交流があった様子だ。これも幻覚なのか?
しかし2012年の書き込みは逮捕前のものだから「精神疾患」が「心神喪失とみなされる」ほどには進行していないであろう時期だ。
一方で2018年の5chの書き込みには「実体験」のような感じで「うつ病」「パニック障害」「依存症」に言及されている。
それらが真となれば合併症もありうるのでは?
2012年の時点では精神疾患はさほどではなかったが2018年の時点では合併症にまで進行していたのだろうか?
(精神疾患が複合パターンだとすると責任能力はどのように判断されるのだろうか?)
仮にそうだとすれば、うつ状態だけでなく、そう状態もあったのかもしれない。
「依存症」というのが危険ドラッグとかなら幻覚・錯乱(思考盗聴)が薬物由来もありうる。
少なくとも自己認識では「統合失調」ではないと認識していたようではある。
ただ「医師に統合失調と診断された」なら病識欠如だとしても「俺を糖質扱いしやがって」的発言が発掘されてもおかしくはない。
統合失調であるか否かは取り調べ(カウンセリング?)で明らかになることだろう。
ただ「みんな糖質しか知らないから、とりあえず糖質ということにしているだけでは?」とは思う。
個人的には両極端な愛憎の移り変わりという点は「境界性人格障害」の特徴らしく思えるが。
お酒のみの増田さんだったら、アルコール中毒で聞こえることがあるって。
聞こえる声の背景にある病気
幻聴(幻声)を引き起こす原因として、いくつかの精神科の病気が考えられます。代表的なものを3つ挙げてみましょう。
一つは、統合失調症という病気です。統合失調症の幻聴は、不安で恐ろしい気分、周囲の世界が変わってしまって切迫したような感覚とともに聞こえてくることが多いものです。10代後半から20代に始まることが多い病気です。
次は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という病気です。心が非常に傷つくような出来事を経験した後に、その経験がよみがえるようにして幻聴が聞こえてきます。短い言葉のことが多いようです。しかし自分では、昔のことがよみがえるという感覚は必ずしもありません。
最後は、薬物によるものです。アルコール・大麻・覚せい剤・シンナーなどいろいろな薬物によって、使用している最中、あるいはしばらくたった後に、幻聴が聞こえてくることがあります。
今考えられる病名
「統合失調症」、「双極性障害(繰うつ病)」、「うつ病・うつ状態」、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」、「強迫性障害(OCD)」
【追記】続編書きました。この記事、釣りなんですがまあ、とりあえず読んでから下記の追記へとお進みいただけると嬉しいです。
https://anond.hatelabo.jp/20190703165854
前々から、ずっとADHDの気配を背後に感じながらも怖くて振り向けずにいた。
いや怖いというよりかは、面倒。知ってしまったらお金、どのくらいかかるんだろ?仕事はどうなるんだろ?制度?調べること多くない?
面倒だー、無理無理、ちょっと頑張ればどーにかなるから医者行かなくても平気平気。
そう思ってたのに、ちょっとの頑張りが積もり積もってメンタル崩して仕事を失い、ニートの期間ができてしまった。
メンタル崩すっていうのは毎日泣き暮らすようなイメージだったけれど、割と私は静かに壊れていた。
生活の中に、至る所で当たり前のように死が紛れ込む。そこに感情の機敏はなくて、ただ当たり前の発想として死にたくなる。そんな生活を数年は続けていたけれどある日行動に起こしてからは即解雇。ただの変わり者だと思ってたのに、こんなことするなんて。その「こんなこと」の原因は、我慢できなかった私に10割の非があるんだろうか。
そんなこんなで、うつ状態から抜け出すために精神科医に向かったついでにふわっと聞いてみた。ADHDってどう思います?
そう話した瞬間から診察の雰囲気が少し変わって検査日程が増え、あれよあれよと面倒ごとが増えていく。あーこれはニートじゃなきゃ無理だわ。生活の全てを費やすつもりで行かないとこなせねーわと思った。キャパシティが驚くほどに少ない。
結論として、うつにプラスしてADHDで間違い無いでしょうね、とのこと。
あっ、マジですか。
お薬も用意できますし、きちんと通えば手帳の申請も視野に入りますね、なーんて言われて。
帰って泣いた。
嬉しくって泣いた。
だってさー、毎日どうして自分は普通になれないんだろうって泣いてたから。
他の人は頭が良くて、どうして私はこんなにも頭が回らないのか。どうしてこんなにも私は話がまとまらないのか。どうして、私はこんなにも空気が読めないと言われるのか。
私の普通、はどうやら周りから見る普通ではないことはわかっていたけれど、私はどうやってもその普通にたどり着けないと泣いていたのだ。
毎日ムカついていた。どうして普通にできないんだと、周りも自分も思ってた。
あなたのそんな個性的なところ、素敵だよ!個性を貫き通して活かせば、今の時代は受け入れられるよ!みたいな風に言われることもあった。
優しい言葉に見えて、「お前は普通じゃないし昔だったら受け入れられてねえからな」って言いたいわけでしょう、っていうか個性的になりたいわけでも貫きたい信条があるわけでも無いし。
どこに行っても、はみ出してて、どうしてもっと頑張ってみんなに並ぼうとしないのかと、もっと頑張れ頑張れって言われ続けてた。
みんなから責め立てられてた。
でも残念でした、私はどうやっても普通になれないキチガイなのでした。
正直、煽ってるとかそういうんじゃなくて心の底から安心してるんだ、もう普通を目指さなくていいから。だって普通になれないんだもん。
今までの自分に対する、なんで、どうしての全ての答えが急に出てきて自分でも捉えきれないほどに喜んでいる。この世の全ての答えは、42じゃなくて私にとってはADHDだった。
私は怠けていたわけじゃない。
私は特別な心情のためにキャラクターを演じていたわけでもない。
私は個性的でありたいわけじゃない。
全部私は生まれながらにして頭がおかしかったんですどうにもならない救いようもない普通には到底なれない障害者だったんです。
幼少の頃、親は、クラスにいた車椅子を使う子に対してこう言っていた。
「あの子には優しくしてあげなさい。障害を持っているかわいそうな子なのだから」
じゃあ、私にも、もう頑張れと言わないでくれますか。もう子供として見ないで、障害者として、私に対して優しく接してくれますか。
肩の荷が降りてしまって、力が抜けて仕方ない。普通になれないと証明されることがこんなにも世界観を変える出来事だなんて思ってなかった。
それに怒りだって湧いてくる。
私に普通であることを、知らないからといって強要し続けてきた全ての世界が憎い。
あの苦しみの日々の全てを与えた人たちに、私の苦しみを分けてあげたい。
今まで、憎しみという言葉は自分にしか向けてこなかったから、明確に行き先のわかる憎悪が自分の中にあるのが不思議で、どうしていいのかわからず持て余してしまう。
と、ここまでその喜びと、世間へのざまあみろ!みたいな心意気を書き連ねてみたものの、書いている途中で、少しずつ昂りがなだらかなものになっていき、物事が冷ややかな輪郭を取り戻してきてしまった。
だって、私今まで毎日、思考と感情のほぼ全てを普通になることに注いできてしまった。
周りに笑われたくない周りにバカにされたくない周りと同化して見えなくなってしまいたいとずっと思って生きてきて、もっと普通にならねばと自己啓発本を読んで続きもしないタスク管理術を何度も試してみて、普通の人になりたい、なりたいと日々を過ごしてきたのに、結局私はなれないのだ普通に。だったらなんのための日々だったんだろう。毎日泣いて毎日苦しい死にたいと言ってきた日々、本当に意味がない。
解釈も文脈も全然違うけど、私の好きな作詞家の言葉で、要約するとこんな言葉があった。
「何も考えがわかないときは、空っぽの頭になんでもいいから知識を詰め込みなさい」
と。
映画でも本でも誰かと話すでもいいから知識を得ることで判断の基準が出来るのだと。
ならば私も今は、新しい自分の日々に向かって知識を蓄える時ですかね、そうですかね。
もう世界線超えたレベルで今までの価値観が全部、障害者手帳の言葉にぶっ壊されてしまったので、大人しく今は今後のためにインプットの日々にします。
映画を見るなら、なんとなく今はトゥルーマン・ショーの気分です。
私の世界は壊れてしまった。いや私が元から壊れてたんですけども。
わかってるわかってるそんな診断されたからって明日からみんながかわいそうなものとして扱ってくれるわけでもなく今まで通り誰からも足手まといの私がただ生きてるだけの日々が地続きでただただ伸びているだけなのはわかってるんだ。
私だけが世の中の不幸を背負ってるだなんて微塵も思ってはないけれど、驚いてしまってるんです。驚天動地で動転してるんですよ。気を悪くされたらごめんなさい。
双極II型障害と診断され、あらゆる薬を試したが効果がなく、3年前に修正型電気けいれん療法(m-ECT)を受けた。
現在は別の病院に通っており、双極性障害の治療薬ではなくコンサータとデパスの頓服で凌いでいる。躁鬱なのか発達障害なのかあるいは両方なのか、結局よく分かっていない。
結果から言うと、電気けいれん療法は受けなくても良かったと思う。
当時20代で、ブルーカラーの非正規労働をしており、入院のために退職した。辛うじてギリギリ出勤できるレベルのうつ状態と希死念慮がだらだら続き、数ヶ月おきくらいで比較的マシな状態が発現するという具合だった。よくあるパターンではないかと思う。
電気けいれん療法は入院が必要で、全身麻酔下で施術される。数週間で6回くらい繰り返す。
一応効果はあった。2回目くらいで希死念慮が軽くなった。胃部不快感もなくなった。
副作用についてだが、人格が変わったり知能が落ちたり大きな記憶障害が起こるということはなかった。
ただ、施術前数ヶ月の記憶は多少曖昧になっている。もっとも、これはECTの副作用でなく単にうつ状態が酷かったからかもしれない。幼少期の記憶もしっかり残っているし、危なっかしいイメージに反して大きな副作用はないと思う。
強いて言えば、「現代医学におけるありとあらゆる治療を尽くした」という点で気持ちの区切りを付けることができ、諦めの境地に至ることはできた。
お母さんは認知症の初期だと思う。認知症の初期は、基本的な日常生活の動作は失われてないし、少しだけ手伝えばできるのに…ということが多い。例えば、記憶障害で予定を忘れてしまって友人や近隣の人との社交が出来なくなる、判断力の低下で新しい場所に行こうとしても交通機関を使っていけない、金銭管理が難しくなる等々、認知機能の障害のせいで日常生活の障害が起こってくる。
そして何より、お母さんは診断を受けてかなりショックを受けているんじゃないだろうか。今まで自分の中でも怪しいと思っていたのに、本当に診断されて突き付けられてしまった…という時期だと思う。認知症は偏見にさらされやすい病気だけど、お母さんの心の中にもきっと認知症への偏見があって、今は認知症になった自分がとんでもなく無価値な人間に思えて震えているんじゃないだろうか。お母さんはとても落ち込んでいるせいで、本当に持っている能力の半分も発揮できていないかもしれない。認知症の初期の人はうつ状態になって、症状が悪くなっているように見える時期がある。そこから抜け出せないと、時間がたってそのまま認知機能の障害も進んでしまう。
だけど気分が上向きになったら、お母さん自身が認知症カフェや認知症の当事者のグループに行ってみて、認知症の先輩たちの話を聞くのもいいかもしれない。そういうのがない地域や、敷居が高いと感じるなら、今は認知症の当事者が様々な手記を出版している良い時代だから、読みやすい本をいくつか読んで、お母さん自身が自分の今の状況を確認してみてもいいかもしれない。認知症の初期でも元気でやっている人たちに共通するのは、自分で自分の障害を受け入れていること。何でも話せる友人や仲間を作っていること。社会的な交流を復活させている人は本当に元気いっぱいに暮らしている(そういう人は認知症を周囲にカミングアウトしていることが多い)。
家族だから、以前と比べてあれが出来なくなった、これもできなくなったと悪いところばかり目についてしまうだろうけど、本人のできることを見てほしい。できることは自分でやってもらって、できないところだけ手伝ってあげると、自立した生活に必要な機能を維持しやすくなる。本人が認知症になったということを家族が受け入れているということも元気にやっている認知症の人の特徴の一つだ。
それから、外部の信頼できる支援者を得ていること。主治医はどうですか?本人を尊重するいいお医者さんですか?なんでも話せる人ですか?病院のソーシャルワーカーは社会資源に詳しいですか?
認知症の初期は自立してるし、そこまで介護度も高くならないから、介護保険サービスで使えるものが少なくて、みんな苦労している。ブコメでも、地域包括支援センターに相談、とあったが、今の生活の中で困っていることと、現行のサービスがマッチするか包括の人に相談してください。もしもなかったら、住んでいる地域の使えそうなその他の社会資源がないかを教えてもらうといい。
それから、積極的に介護認定を受けておいて、何かあったときのために転ばぬ先の杖を用意しておいてもいいかもしれない。お父さんが倒れたらやばいので、お父さん込みで相談しとくといいかも。家族も信頼できる専門職とつながって、相談先を作っておいてほしい。疲弊しすぎないようにしてほしい。
知名度だけ上がっててほんとのとこではどういうつらさがあって、どんな背景があるのか理解されてないよね。
うつ病と診断を受けていても実はそれは発達障害による二次障害的な抑うつ状態だとか。うつ病の背景に何があるか理解しないと治療も回復も難しいのにネットの情報をみて「3ヶ月仕事休めば治るんでしょ?」って平気で言う上司とかいるし。
じゃあ障害雇用で働けよとか思ってるかもしんないけどうつ病の診断だけじゃ障害者とは認定されづらいという現実があり、地方なんか障害雇用がほとんど無いし、そもそも会社に行くまでの満員電車が死ぬほどつらいとか理解されないし...不眠が続いてもなんとか会社にしがみついて生きている。惨めだ。声デカなうつ病の皮を被った発達障害の人のちょっと方向性の違う主張とかがネットでは増えて逆に障壁になってたりもする。
うつ病は認知度が上がったから診断として患者も受け入れやすいんだよね。治療すれば治るものだし。「あなたのうつ状態は発達障害によるものです」と言われても本人が認めきれなくてカオスと化してくのを心療内科に通いながら度々目にするよ。さらに認知度だけ上がったばかりに物知り顔一般人が増えてうつ病通院歴15年の自分はただただ肩身が狭く生きづらさを感じている。
うつ病を理解して受け入れてほしい。癌や1型糖尿病、脳梗塞みたいに本人の努力とかではコントロールしきれず発病する疾患として。
それがあればあと5年は生きていける。
ここからは参考文献程度で、urlばかりたくさんでコメント少なめなんだが大丈夫だろうか??
https://item.rakuten.co.jp/book/14796325/ ツイッターで健常の人にもおすすめされていた。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15433910/ 借金玉は有名ブロガー。 この二冊とも細かい生活ノウハウ、大人版。自立できた場合には役に立つがうちの場合はまだうつ病が治っていないので全部は必要がない。ただ、カレンダーの使い方などは家族で工夫するようになった。
https://item.rakuten.co.jp/book/11476781/ 医者がわりと根幹をなす解釈を教えてくれてたと思う。まとまったキーワードがでてきていい本。・・
https://books.rakuten.co.jp/rb/11721907/ アスペルガー漫画家さん。よんだことなかった・・勘違いしてた
https://www.amazon.co.jp/dp/4054045847/ こっちだ。こちらはコンピューター業についたりしててわりと身近な感じで読めた
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N9SHVRJ/ うつぬけ、有名 この本でおすすめされていたのが↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B01HTJ5WDE/ 自分のうつ病をなおした精神科医
うつの治療の指針にはなったが、全部ではなく、雰囲気を掴む感じ。生活全般をゆるやかに立て直すつもりでないと結局は治らないんだなと。
以上です
再追記
結局5年くらい「病人の親」をやっているので以前必死に買い集めて読んだ本は中身をかなり忘れていてすみません。
お役所の人や学校の先生がたと会ったり話したり、特に精神科医の先生になんども同じことを尋ねて答えてもらったです。
別の病気と解釈できるので別の医者にもいくつもつれていってます。
それと、本人とも「結論や方針だけを話させる」「どうしたいのかだけを聞く」のではなく
元気のあるときをつかまえて、世界への感じ方を中心にゆっくり話をして、
いつでも相談に乗れるくらいに相手を理解しておかないとですね。
その状態からだと本人が最終的に絶対ぶつかる壁だが今はまだ気がついていない障害を
いち早くフラグ立てしてなんとか避けるように言い聞かせられます。
そういうので、本当になんとかここまできたとおもいます。
(知らないのならしょうがないですが、一度痛い目にあったことを
二度目は用心して避ける要領の良さがASの子たちには全くないように思います、
思い切りがよいとか度胸があるとか正義感があるとか誤解されがちですが、
そうではなくびっくりするくらい全く予想ができない。
例えばミニスカートを履いて混雑する列車にのったら痴漢にあってわあわあ泣くくらいイヤだった。
ならどうすればいいと思う?と本人にたずねると本人なりに考えても
絶対にそれは優先度が違うんだと言い聞かせるのに親として苦慮します。
絶対に旅行を成功させたいならまずその時間帯のその電車にのるプランもやめとけば、
指定席とればと。
子供の側ではまずその必要なお金を考えついて親にねだるということを
全く想定もできないわけです。(お金には敏感すぎ、社会状況には鈍感すぎ)
でかけそうになるのは最近は繰り返し失敗したのでようやく改善されてきました。
一事が万事そういう感じ。
一病息災といいますが、
(未成年のため薬がのめず、うつ病の重いまま放置するしかない時期には
本当に一日16時間くらいいびきをかいて寝る、ただのマネキン人形のようでした。
うけいれつつ仲良くなれた気がします。
以上
私はいま、ある友達とこれからどうやって付き合っていくのかを悩んでいる。
Aとは同性です。
それは、私がAと接する時に「もっと自分を大切にしてくれる人と一緒にいたいな。」と思うようになったからだ。
つまり、付き合いを続けていくうちに、私って大切にされてないんじゃないか?と疑問を抱くようになったのだ。
私はAと○月中には遊ぼうね、と約束をしていたのだが、どうしても外せない急用が入ってしまい遊べなくなった。私は謝罪しながら約束を断った。するとAにキレられた。来月に埋め合わせができそうなので、その話をしたが既読スルーされている。
そう、本当に小さなこと。
でもこの出来事だけだったら、「私も悪いし、また謝って誠意を見せよう。」と思うだけだ。
しかし、この程度のレベルが何度も積み重ると私はイラッとしてしまう。
Aから「〇〇をこれから2人で一緒にやっていこう!」と提案されて、私が〇〇を始めていると、Aはあっさり辞めてしまったり。これも何回もある。飽きるの早っ。そっちが言い出したから始めたのに、私だけ1人で真面目に続けてバカみたいじゃん。まあ、私も〇〇気に入ったからべつにいいけどさ。
1つひとつは小さなことで、普段の私は気にも留めないけど、さすがに数が多いとイラッと来てしまう。
後は付き合う中で気づいたこと。
Aの人間関係を見ると、来る者拒まず、去るもの追わず、というような感じだった。Aはとても魅力的な人だ。初めて会った時はお人形かと思ったし、性格も独特の考え方や、他の人には無い感性があった。これはAの長所だと思う。とにかく、魅力的な人だ。だから、同性も異性も、惹きつけられて集まった。ただ、先程書いた通りにAは『来る者拒まず、去るもの追わず。』といった感じなのだ。例えば、Aは他人に食事を誘われれば誰でもついて行く。異性で苦手な人でもついて行く。ちなみにAは自分が可愛いことを自分でよく分かっている。でも自分からは誘わない。同性の友達はAから離れていった。私はAと友達なのに、気がついたら自分の方から連絡とってばかりだなぁと思うようになった。
Aから連絡が来るとすれば、辛くて辛くて相談がある時だ。Aはうつ状態に近いと思う。本気で心療内科の受診を勧めたこともあるし、学校に来れなくなったこともある。相談に乗るのは構わない。私もAに相談して何度も助けられたからだ。お互い様だと思っている。
私は2年前くらいに、別の友達(仮にBとする)からこう言われた。
「あなたはAに利用されてるんだよ。Aとは付き合わない方がいいよ。」
その時は「そんなことない!」と思った。Aは優しいし、私はAには色んな相談ができる。たくさん助けてもらった。Aは協調性が恐らく無いのでグループワークになると、よく揉めるけれど、1対1の関係だととても深い所まで話せた。語れた。私は1対1でこれからも接していけばいい、仲良くしていけばいい。だってこんなに心の中までお互いに話せる友達ってそうそういない。仲良くしたい。そう思ったからだ。
それに、BはAのことが嫌いだった。だから「関わらない方がいい」とわたしに伝えてくれたのかな、と思った。
私はAの良くないところも知っていたけど、いい所も知っていた。人間は誰だって長所と短所がある。BにはAの短所しか見えていないようにも見えた。だから、この件はあまり気にしていなかった。
ここ1年で、私はあることを知った。Aは人間不信だというのだ。「人間という存在が無理。この世で1番怖いのは人間。」「人間って汚い。」と言うようになった。Aは苦しそうだった。もともとAは抑うつ状態になりやすいし、こういう考えが根本にあるんだなと思った。「女の子って怖いよ。女の友情なんてそんなもの。」などなど、Aは人を信用してないことが分かった。
まずそこで私はガツンときた。私はAを信用していたけど、Aは私を信用していない。でも私はAと仲良くした。「私たちの友情なんてそんなもの。」そんなことを言われたくなかった。「人って簡単に裏切ってくる。」ともAは言った。私がここで全部嫌になって縁を切ったら、Aはきっと「裏切った!」と絶望するのが目に見えていた。私はAを信じたかった。私が泣いた時、あんなに支えてくれた。Aがいつか人間不信を乗り越えてくれればいい。Aがどう思っていても、私はAを信じよう。それが友達だと思うから。そもそも友達って見返りを求めるものじゃないし。
そう決意した。
Aからの相談はだんだん重くなっていった。重すぎて私まで潰れるようになった。Aは本当に苦しそうで、自殺しないか本当に心配だった。重すぎて学校の先生や他の友達に相談したこともある。私はAから連絡が来なくなると、Aが自殺したんじゃないかと本気でハラハラした。
「ああ、振り回されてるな。もう手に負えない。限界。」
と思う反面、
「私ぐらいしかAは話せる人がいない。Aは私よりもっと苦しい。」と思った。
ちなみに、学年が上がるにつれてAのことを嫌う人はどんどん増えていった。Aに好意的な人は私を入れて片手で数えるくらいだろう。みんなは「Aは無意識な自己中だ。」と言った。当時はよく分からなかったけど、今なら何となく分かる。
Aは自分のことしか考えていない。まあ、人間だれだって自分が可愛いし、自己中だと思うから、私がこんなこと言ってはいけないのだろうけど。
でも思ってしまう。Aは自己中だ。他人から声をかけられない限り、自分のことしか見えてない。自分のことしか考えてない。だから平気で他人を振り回すし、そもそも振り回していることさえ気づいていない。先ほど、グループワークでAはよく揉めるという話しを書いたがそれがいい例だ。基本的に他人任せ。誰かが声をかけてくれるのを待って、自分のことしか考えないからグループのために行動ができない。自ら他人のフォローは絶対にしないし、そもそも他人を見てない。だけど、自分はフォローばかりしてもらう。グループメンバーはへとへとになる。それすらAは気づかない。グループメンバーは「このままじゃいけない」と何度もAと話し合うが理解してもらえない。というか、逆に大喧嘩になる。こうしてAは敵ばかり作ってしまう。
それから、Aは心を開いたふりをするのがとても上手だ。無意識に、心を開いたふりをしてしまう。本当はこれっぽっちも信じていないのに。でもAは、本当は人を信じたいのだ。Aは今でも、もがいている。
「それでもAを信じよう。信じたい。所詮女の友情なんて言わせたくない。」
そう思ったのに。私は疲れたなぁと思った。距離を取りたいと思った。実際に本人に気づかれない程度に距離を取った。楽だった。別の友達と過ごして、「ああ、この友達は私のことが好きなんだ。」と伝わった。こういう友達とずっと居た方が楽だと思った。あの時、信じようって決めたのに。
ある時、またB(Aのことが嫌いなわたしの友達)に言われた。「Aはやめといた方がいいよ。あなたはお節介なんよ。」
Bだってバカじゃない。私のことを思って言ってくれてるのがすごく伝わった。私を心配してくれて、私に反感を買うかもしれないことを覚悟で言ってるのだ。
私は悩むようになった。
入学したての頃から1~2年は、私とは別にAには仲のいい友達がいた。その子はとても優しくて心が広くて、たぶん私たちの学年の中で1番大人だと思う。だけど、Aとその子は次第に疎遠になった。Aがその子を怒らせたのだという。その子が怒るなんて、私はよっぽどのことだったのだろうと思う。
周りを見渡すと、Aを避けている人とばかりだ。みんなAに怒ってるし、関わりたくなさそうだ。Aのことを本気で嫌っている人を、ぱっと思い浮かべるだけで軽く10人は超えてしまう。
心を開いたふりが上手いものだから、やたらと男の子に追われてもいた。今までAほど受け身なのにモテる人を、私は見たことがない。Aは余計に同性に嫌われた。まあそれは嫉妬になるからそっとしておく。
Aは「男の子はちゃんとコントロールしなきゃよ。」と言った。確かにそういう駆け引きとかも大事なのかもしれない。でもそれがAの人間関係、全てがそうなのではないかと疑問に思うようになった。自分に寄ってくる人と、表だけ仲良くする。私がそうされてるのではないかと思った。
ここで始めら辺へ戻る。
約束を断ったらキレられた。
私はもう疲れたし、イライラもしたくない。自分を大切にしてくれる人ととだけいた方がいいのではないかと思うようになった。
もうすぐ卒業して、Aとは約束をしないと会えないようになる。もう気軽には会えなくなる。もう、ここで関係を終わらせてしまった方がいいのか。卒業すれば会わなくなる程度の友情だったのか。会わない方が自分のためなのか。
私は迷っている。
ド田舎なんで発達障害診療可能な精神科病院が1件しかないんだけど、そこの主治医が控えめに言ってうんこ
自分:精神科既往歴15年、ASDグレーゾーン、被虐待児(精神的なものが主)、DV被害者(身体的以外10年受けてた)、IQは並
うつがひどくて障害者手帳取得を聞いたら「50%くらいだね、診断書は書きますよ」って言われたからしんどい中役所で30分かけて必要書類取りに行って次の診察日に出したら「えっ? あなたは手帳無理だよ」と言われて診断書書いてもらえず
うつがひどく寝てることが多いと言ったら毎回「とりあえず散歩してみたら?」だけ言われる 散歩できる気力あったらとっくにしてる
先月から食欲不振も出てきてそれも伝えたら「食べなさい、食べないで治る病気はないからね」
猫を飼っていて入院の話が出た時に「人間は預け先あるけど猫は野に放つしかないねーはっはっは(笑いながら)」
病院の方針で主治医の変更はできない(多分この辺はごねたら通るらしいがそんな気力ないので放置してる)
二次障害とトラウマのあたりをどうにかしてほしいんだがとりあえずのカウンセリング(話聞くだけ)と薬物療法でどうにもならない
自傷も自殺もダメとか言って安楽死もないのにずっとこんな状態続くの? お前が実際なってみろよ頭おかしくなるからって言いたい
去年の四月に上京してきた
役に立たず軽いうつ状態に陥り、休みの日も仕事の勉強しようと思うのに、嫌で嫌で仕方なくて、無為に1日を過ごしてしまっていた
親に電話して
実家に帰ろうと思う
つらい
親に泣いてすがったり
そういうのが出来ない 半端にプライドが高くて
藤子不二雄A先生の『明日は日曜日そしてまた明後日も……』が他人事に思えない
すごく辛かったよな、って主人公を抱きしめたくなる
※追記
反応ありがとうございます。少し救われます。
>親が健在なら電話して迎えに来てもらえ
実家は栃木です。さすがにそんなことは頼めません。「ダメだったので実家に戻る」と言って、今の住まいを引き払う準備します。
たぶんそうした方がいいのでしょうね。
今の仕事は知り合いの口利きで入ったので、結果が出せず申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。
最近睡眠は取っているのに寝たくてたまらなかったり、やたら喉がかわいたり、お風呂に入らなかったりしてしまいます。近所の精神科を検索したりもしています。
宗教や、弱者を食い物にする類のものだけにはひっかかるまいと思っているので、その辺りは大丈夫かと。
昨日は無意味に三谷幸喜の映画を二本続けて観たりしていました。
>こういうのも守破離なんだろうなぁ
頼るとか甘えるとかが上手に出来ないのです。何度も直そうと思っているのですが、ままなりません…
しかし、個人的な経験から言わせてもらえれば、そのような良心的な精神科医はほんの一握りです。田中さんがその気になれば、自分をうつ病だと診断してくれる精神科医をすぐに見つけることができます。
面談を拒絶するようになった田中さんに対し、私は「このままだと会社から解雇されてしまいますよ」とメールでアドバイスしました。実際、A社は田中さんが休職期間満了後も復職できそうにないなら解雇することに決め、田中さんにもそう通告していました。
すると田中さんは、休職期間が終わるギリギリになって会社に手紙を送ってきました。そこに同封されていたのは「重度のうつ状態。外出困難な状態が継続している」と書かれた精神科医の診断書です。
そして、数日後、田中さんは「私には働く気力があります」といった内容の手紙を会社に送ってきました。それは、ただの手紙ではなく、内容証明つきのものでした。
「なぜ重度のうつ状態で外出困難な人が内容証明付きの手紙を送ることができるのか?」という疑問もさることながら、それ以上に私が不思議に思ったのは、田中さんの通っていた精神科が彼の住む県の2つ隣の県にあったことです。
気になってその精神科医に連絡をとってみると「診断書は田中さんと電話で話をして、それをもとに書きました」という信じられない返事が返ってきました。
電話で話しただけで、患者さんが重度のうつ状態で外出困難かどうかなど、果たしてわかるのでしょうか。
今年6月ごろにうつ傾向が強くなり、初めてメンタルクリニックに行ったり、うつについての本を読んだりした
原因になった職場をすぐに辞め、3ヶ月くらいぼんやりしていたら改善した、最近新しい仕事に就いた
うつ状態の間、小学生くらいから抱いてた希死念慮をさらに強く感じ、死ぬまでにしたい事を今やろうと、とりあえず物欲を満たすために(自分なりに)大きい買い物をした
結婚願望は無く、貯金を増やし東京を出て家賃が安い地域で一人暮らしをする予定だった
が、東京に住む利点や今の職場環境の良さを手放さずに一人暮らしができるなら、それが一番良いかもと思い始め
正社員になり会社近くに住めというのが一般論だと思うが、ブラック企業に勤めてた時よりフリーターになった今の方が生きやすい
勤務時間も月給も大して変わらない
生涯独身でいるなら実家に住み続けて貯金を増やした方がいいのか、家を出て自立した方がいいのか判断ができない、、、
知恵袋に頼ったら実家に残り貯金をするべきという意見が圧倒的だった