はてなキーワード: 最後とは
めちゃくちゃ好きな漫画がある。ニコニコ漫画で連載中の「イーリスリーグ」という女子野球だ。
https://manga.nicovideo.jp/comic/35835
まだ連載中の漫画だが、もう10回は読み直していて、こんなにはまった漫画は人生で初めてだ。
ただこの漫画、面白さの割に知名度が低すぎるので、どうにかして流行らせる方法を探している。
あらすじとしては、
とある理由から名門高を蹴ってリーグ内唯一体育科のない最弱高に入学した主人公が監督になり、反則みたいに強い敵にと対抗し優勝を目指す。
という感じなのだが、どの高校も独自の強みがあって一筋縄ではいかないストーリーになってるし、何十人と出てくる選手たちがどのキャラが立っててかわいいしとそこらの商業漫画と比べても遜色ないクオリティの漫画になっている。
こんな漫画、世のオタクたちの大好物だと思うのだが、X(旧twitter)でもポスト少ないし本当に知名度がない。
とりあえず一試合目の最後まで読んでもらえれば面白さが伝わると思うのでたくさんの人に知ってもらいたいのだが、俺には文才もないし、フォロワーをたくさん抱えているわけではない。
どうにかして宣伝する方法を考えているが学のない自分には何も思い浮かばない。
浮かばな過ぎてターゲット層に訴求できそうなVtuberの配信で宣伝スパチャでもしてやろうかとも考えたが、さすがに配信者にも作者にもめちゃくちゃ迷惑だと思ってやめた。
vs嵐山編は爆笑したし、vs相模灘編ではマジ泣きしたし本当に良い漫画だと思う。
いくらでも漫画が読める今の時代にバズらせるのは相当難しいことだと思うが、上手い宣伝方法はないものか、ブコメやトラバで知恵をお借りしたい。
Dinero al instante,MEGOCIAMOS COM TODO
はスペイン語。
スペイン語圏は、スペイン、赤道ギニア共和国、アルゼンチン、ボリビア、チリ、コロンビア、コスタリカ、
キューバ、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、
暑さ寒さもガンズアンドローゼズっていうけれど、
秋分の日を境に
いや前後と言っても言い過ぎではないぐらいの過言だけれど
だいぶ朝晩は涼しくなってきたわよね。
まだまだ昼間は暑いので汗かいたのが冷えてそれで風邪をひくパターンが多発する的な秋模様。
朝のラジオで48−48です!って言ってたのに
事務所に来たら50−50です!って
この間で状況変わってるのかよ!って思っちゃって、
私もその秋刀魚で試合運びをやるなら通勤中に焼き秋刀魚定食を食べなくちゃいけないしかも2人前よ!
そう重ねて考えると到底達成できない記録の凄さってのがよくわからるわ。
って私はそんな具合でお休みを満喫している今回は秋の連休はゆっくりしちゃうぞ!エイエイオー!ってやってるわけ。
そんでそれはそれで、
つーか!
あれよ例のスプラトゥーン3のことだけど、
グランドフェスティバル終わってクマサン商会のバイトスケジュールが、
本当に気が向いたときにバイトして欲しいギア貰えばいいわ!って思っていたけど、
今回からバイトスケジュールごとで報酬ギアも変更になったので、
私もいつでもヘ・リコプターに乗って飛び込んでバイト会場に飛び込み前転で挑めるようにシフト表をチェックしているのよ。
忙しくない?これ結構2〜3日ごとでスケジュール変わるから本当に小まめにチェックなのよ。
バイトのブキの支給ブキが火力が弱すぎるときぜんぜんバイト達成できなくて難い!ってなってるけど、
バイトの内容もマイルドになってきたから最後の3WAVEまで行けるようになったわ。
あと使い慣れていないブキを使うときも立ち回りがポンコツすぎるので、
うまくシャケが倒せないのよ。
そんなこんなで
つーかつーかよ!
今回から金銀ウロコも報酬の一部としてゲットしてもらえるようになったので、
よーし!私も今まで金銀ウロコでしか交換できないギヤやプレートを張り切ってゲットするぞ!ってなったけど、
達成条件のハードルが遥か向こうの馬が秋に天高く飛ぶ高さより高すぎるわ。
なかなか付け焼き刃では達成できない本気で挑まないとなせない金ウロコよね。
ゲソを稼ぐって大変だなぁって思ったわ。
こんな面持ちでヘリコ・プターに乗り込んでいるのよ。
一生バイトでも!って思ったけど、
あれレギュラーバトルでもらえるブキの熟練度がもらえないので、
それはそれで普通のバトルもやんないといけないし、
私すっかり忘れていたけど
あれだけ始まる前はションテンあがりまくりまくりすてぃーだったのにも関わらず
サイド・オーダーもその熱意すっかり落ち着いてしまっていたわ。
久しぶりに遊ぶとつーか
ユメエビのオトシモノを交換するためのシンジュを稼ぐための手段になってしまっているわ。
あれたまに30000ゲソがあたったりするので、
グランドフェスティバル終わって更新も終了で私暇になるかと思っていたけど、
逆にぜんぜん忙しいじゃない!忙しすぎるわ!
またうかうかしていると
何かしらに交換しないと期限が迫ってきちゃうわ。
鬼気迫る危機!
なにに交換しようかな?って迷わない?
ゼルダの新しいやつを交換したいしーって
いまゼルダの新しいやつって言うと
私の中では2つあるので、
本当のゼルダの伝説の方じゃない方の『ティアーズオブザキングダム』方で、
なにに交換するか迷うわよね。
そう考えるとやっぱり秋だなぁって深々と深まっている秋を感じるのよね。
今後どのぐらい伸ばせるか!挑戦よね。
いきなり出鼻をくじくの如くタニコーの五徳で焼いた秋刀魚なら美味しいのかな?ってよぎるけれど
それは言い訳に過ぎないわ。
秋刀魚が美味しかったとしても一喜一憂せず一喜って言っても沢村一樹さんの一樹じゃない方の一喜なので、
まだ記録が2−2ってのが
ぜんぜん期待させないなんか凡記録ってところが期待を裏切るわ。
自分を裏切ってまでそんなことはしたくないけれど、
しっかり食べぬいていきたいと思うわ。
どこまで記録を伸ばせるかってところよ。
うふふ。
お昼と朝ご飯を一緒にしようかなって思いつつなのんびりモードよ。
ブランチをキメに街に繰り出してみようかしら?
考え中ね。
まだまだ大活躍の水出しルイボスティーウォーラーってところかしら。
こればっかりはまだまだ欠かせないわ。
昼間はまだまだ暑いので
水分補給は
しっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
年取って漫画の類は一才見なくなった
最後まで見てたのはまだジャンプに連載してたころのジョジョかな
会社の昼休みの近所の定食屋ではその日発売の雑誌の争奪戦でジャンプはとにかく人気でいつもお昼前ギリギリか翌日にしか読めなかった
その中でもジョジョは好きだったな
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「あんっ、やめっ…」
エリヤは必死に抵抗しますが、ミナトは楽しそうにエリヤの体をいじり続けます
「ほら、濡れてる。どんどん溢れてくるよ。」
ミナトは指先でクリトリスをコネコネといじり、時折強くつまみ上げます
「ひゃうっ! あっ、あっ、あっ…」
周囲の女子中学生たちも何事かとこちらを見始めますが、痴漢男の手が伸びていることに気づき、怯えて目をそらします
ミナトはそんな周囲の様子も楽しんでいます
「あっ、いやっ…」
「イキたいんだろ? イケばいいよ」
「やめっ…」
「いいんだよ。ほら、イッて」
ミナトが最後に一際強くクリトリスをつまむと、エリヤの腰が跳ね上がります
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
これを書いた増田です。
最後までネックになったのが、条件のところに書いた
高さ 全体100cmくらい
こいつを満たすものがマジで全く見つからず、安物から高いものから色々探して回って、結局100cm弱の妥協できるラインのやつを見つけてそれにしました。
犯罪スレスレの生活を強いられている彼らにとって、「マッチングによる結婚」は最後の頼みの綱となっていた。
これに参加しなければさらに社会の底辺に押し込まれるという暗黙の圧力が存在していた。
タケルはそのプレッシャーを感じながらも、特別な期待を抱くことなくこのマッチングに参加することを決めた。
参加しなければ仕事も人間関係もますます行き詰まり、どこにも居場所がないまま犯罪と失敗を繰り返すしかないという現実が目の前にあったからだ。
彼女もまた、家庭崩壊と経済的困窮の中で育ち、社会の隅に追いやられた一人であった。
ミサキは最初結婚には興味がなかったが、周囲の空気や、もはや他に選択肢がないという感覚に押され、タケルとの結婚を受け入れることにした。
二人は特別な感情もなく、ただ「お互いにこれしかない」と思い込んだまま、形式的な結婚を進めた。
この新たなマッチング制度のもとタケルとミサキのような家庭は次々と作られていった。
しかし実質的な支援や愛情が欠如しているままのこの結婚制度はかつてのカズキたちの時代と同様に、愛情や共感のある家族関係を築くことがほとんどなかった。
結婚することで「何かが変わる」という期待は、早々に裏切られる。
社会には形式的に結婚した夫婦が増え続け表面的には家族という形が保たれているが、その裏には感情的な空白が広がっていた。
貧困や孤立の中で結婚を強いられた若者たちは経済的にも感情的にも余裕がなく、ただ日々の生活をやり過ごすだけだった。
愛情や信頼を築く時間はなく育った環境そのままに、次世代にも同じ無感情と絶望が受け継がれていく。
タケルとミサキの間にもやがて子どもが生まれた。しかし、この子どもたちが育つ環境はさらに悪化していた。
タケルもミサキも仕事を見つけることはできず収入が少なくなる一方で、家族を支えることができない状況が続いていた。
子どもたちは物心がつく前から経済的困難にさらされ、親からの愛情や支援をほとんど受けることなく育っていった。
彼らが成長すると、学校にも通わなくなり、友達も作れず、社会との接点を失ったまま犯罪スレスレの生活に突入していった。
盗みや詐欺、闇市場での売買などに手を染めるが、時代はさらに厳しくすべてがうまくいくわけではなかった。
成功を期待して計画した犯罪がことごとく失敗し、追いつめられる彼ら。社会の底辺にいる多くの若者が同じ状況にあり、競争は激化し、成功はますます遠のいていった。
タケルとミサキの子どもたちのような人々が社会に溢れ、街には犯罪と失敗が日常の一部となっていた。
犯罪すらうまくいかず無力感と絶望感が蔓延している。この社会では、形式的な結婚によって新たな世代が生まれるたびに、さらに深刻な問題が積み重なり、底辺の層は広がる一方だった。
人々は次第に「結婚さえすれば未来が変わる」という幻想を捨て、ただ生き延びるために無感情な日常を繰り返すだけの存在となりつつあった。
家族という形があるにもかかわらず、誰もが孤独で、社会全体が崩壊の一歩手前にあるような不安定な状況が続いていた。
この未来の社会は、犯罪と失敗で溢れるだけでなく、希望のない結婚生活と無感情な人間関係が続き、次世代にわたって繰り返される運命にあった。
スラムは、かつて活気に満ちた都市の一角が朽ち果て、放置された区域だった。
ボロボロのアパートが密集し街のあちこちでゴミが風に舞い、人々は疲れ果てた顔をして道端に座り込んでいた。
タケルとミサキの子どもたちのような若者や、その親たちが溢れかえるこの街には、希望などかけらもない。
犯罪に手を染めるも失敗し日々の生活に追われる人々の間では、もう将来への期待を語る者はほとんどいなかった。
仕事もなく、金もなく、社会の中での居場所もない。彼らはただ、目の前の苦しみを紛らわせるために酒を飲み時には薬物に頼り、現実から逃避しようとするがその努力すら無駄に終わることが多かった。
政府の広告が流れ、きれいなスーツを着たアナウンサーが笑顔で語りかける。
「未来をつかみましょう。マッチングによる結婚が、あなたに新たな道を開くかもしれません。お互いを支え合い、明日をともに作るパートナーを見つけましょう。」
明るい音楽が背景に流れ、完璧な家族の笑顔がスクリーンに映し出されている。
この喧伝は、スラム街の人々にとって既に耳慣れたものだった。何度も聞かされ、何度も信じては裏切られた言葉。
「マッチングによる結婚」という響きは、もはや希望ではなく、虚無感を伴ったものでしかない。
彼らの多くがその制度に従い、形式的な結婚をしてきたが、待っていたのはさらなる絶望と貧困だった。
若者たちの視線がスクリーンに向けられるが、そこにはかつてのような期待はない。
結婚によって何も変わらなかった過去が、彼らの心に刻まれている。
タケルの子どもたちのように、犯罪すら成功しない無力感に押しつぶされている人々にとって、この広告はただの幻想でしかなかった。
それでも、別の選択肢が存在しないという現実が、彼らを再びその「希望」に誘い込む。
「結婚すれば、少しは楽になるんだろうか…」誰かがぼそっとつぶやいた。
しかし、その声には信じる気持ちは感じられない。ただ、何も変わらない日常をどうにかするために、また同じ道を歩むしかないという諦めだけがそこにあった。
スラム街は暗く沈み、スクリーンの光だけがその一角を照らしている。
夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。
しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。
夫はソファに横たわり、スマホを操作している。妻もまた、ダイニングテーブルの椅子に座り、同じようにスマホを凝視していた。
彼女の視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿やコメント、次々と流れる他人の生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。
母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女は虚構の世界に浸る。
カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室から小さな足音を立ててやってきたときも、彼女はスマホの画面から目を離さない。
父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。
家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話や交流がほとんど存在しない。
ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情な牢獄のようだった。
数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。
政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。
そこには理想の未来が描かれ、少子化対策・経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。
彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。
孤独な生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。
彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。
彼らが最初に出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。
しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的な時間が流れた。
彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。
彼も同様に自分の未来に対する不安や孤立感から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。
彼らの結婚は、愛情や感情的なつながりを伴わないまま始まった。
結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。
笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情も曖昧なままだった。
彼らは新婚生活を始めたものの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。
子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係をさらに複雑にするだけだった。
子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識は希薄だった。
互いに育児の負担を押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホの世界に没頭するようになっていった。
こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。
子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。
育児という責任はあくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。
カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。
無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。
カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。
彼が通う学校は、政府の弱者マッチング政策によって生まれた子どもたちが集まる場所でもあった。
同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢集まり、学校の教室には独特の空気が漂っていた。
教室は一見すると普通の小学校と変わらない。先生が黒板に向かい、子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。
しかし、そこにあるのは静かな孤独の空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情やケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人と積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。
カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。
先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることなく視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。
クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。
友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。
授業中、カズキは先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。
家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流や信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独な存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室を支配していた。
昼休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーンで一口ずつ弁当を口に運んでいく。
家でも学校でも、カズキは孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。
彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情を表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。
学校で友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。
クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。
それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現や信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。
放課後になると、カズキはランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。
家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。
彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。
カズキの学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的な集団のように見える。
彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的に自分の意思を表現しようとはしない。
孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情が希薄で、日常は淡々と過ぎ去る。
カズキは15歳になり中学を卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。
しかし彼の中には将来に対する明確なビジョンや目標はほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。
家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。
父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパートの仕事を掛け持ちしている。
彼らの生活は経済的に安定しておらず毎月ギリギリの生活費でやりくりしている。
家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。
カズキは学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。
周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からのサポートをほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。
クラスのほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規の仕事に流れていくのが現実だった。
カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。
彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的な理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。
両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。
カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来をぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。
成長したカズキが社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的な不安定さだった。
彼は学校を卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイトを転々とする生活が始まった。
日本全体では弱者男性や女性が社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。
カズキの収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。
家賃、光熱費、食費、そして時には両親からの経済的な支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。
彼の労働は、社会に必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。
また、カズキは家族からも社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安や経済的な問題に対処する力を持っていなかった。
彼は、経済的な問題だけでなく、感情的な孤独や自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。
カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。
彼は家庭でも学校でも十分な愛情や支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。
仕事でも職場の人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。
こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションやパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。
彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的な姿勢に陥っていた。
彼のような若者たちは社会全体に増え続けており、同じように家庭環境や経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。
多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。
カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性のマッチング政策によって20代前半でユウコという女性と結婚した。
両者とも愛情や幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。
彼らの結婚生活は形式的で感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実だけが彼らを繋ぎ止めていた。
ユウコはカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。
彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的な不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。
カズキは低賃金の非正規雇用に押し込まれ、ユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。
カズキとユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。
しかしカズキ自身が経験した孤立や経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。
タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。
家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。
カズキとユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。
タケルが中学を卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。
彼は学校を卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレの生活に足を踏み入れていた。
タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。
タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。
彼が属する社会の底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。
彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険にさらされることの方が多かった。
ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗を計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。
彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。
彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。
タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。
経済的な困難や家庭崩壊、教育の欠如がもたらす無気力な若者たちが犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。
街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。
仕事の機会は減り、低賃金の非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち。
犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独と無力感に苛まれながら、社会の底辺で苦しみ続けていた。
タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来に希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。
カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さらに悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。
タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。
この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的な不安や社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。
政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たちに積極的に参加を促した。
制度そのものは強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金の非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21
作者にもう描く気がない
作者にもう描く気がない
作者が亡くなってしまったから他の人が続きを描くというのは素敵なことだと思うのだけど、作者がどの程度ストーリーを決めていて今描いてる人がどれくらい肉付けしてるのかが気になってしまって読めなくなった
途中までは絵がメキメキ上手くなっていったけどある時点から絵が乱れ始めたように見えて読み進める気が起きなくなった
なんか途中で「これ最初と最後だけ読めば良いやつだな」ってなった
抜いたら冷静になった
抜いたら冷静になった
抜いたら冷静になった
やっぱり「こいつ気があるのか?」って思われるのかな。
前職の同期とか同僚とか久しぶりに話したいなって思った時に↑の考えが邪魔して誘えない。
前会った時は独身だったけど今は恋人いるのかな、とか、お互い恋人がいなくても自分が独身だから意味深な誘いに思われそうだな、とか考えすぎて、結果誘えずに疎遠になる。
お互い最後に会った時の印象のまま会わないほうが綺麗な思い出になって良いのかな。
すでに自分の専門や得意な事以外の広範囲でAIもしくは機械に抜かれていると思う
もっとも現状は専門領域で競えるほどでは無いし、経験を積むことによって強化される性質も今のところ無いので、何もかも負けている人はあまり居ないんじゃないかな
ただAIが経験値を永続化し共有できるようになったら、一部の領域だけならAIに勝るパフォーマンスを出せるという人間も殆ど居なくなるかもしれない
仮にそういう未来へ到達するなら最後まで生き残れる仕事はどんなものなんだろうね? 医者より風俗嬢の方が残りそうな気はするね
はじめに断るが、俺は性的嗜好がナチュラルである成人男性である。以下の文章に性的マイノリティの方々を揶揄したり侮辱するような意図は一切ないことを了承していただきたい。
以前まで自慰を行う際は、一般的な内容のもの、つまりは男性対女性の構図が主となる内容の△▽のみを視聴していた。もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。例えば、主観モノはその最たる例だと思う。説明するまでもないかもしれないが、主観モノは男性側の視点で女性を撮影したものであり、手軽に没入感を摂取することができる。さらには女性側が男性を悦に浸らせることに必死に動いてくれる感も演出でき、ある種の支配感も手に入れることができる。これまでの嗜好を振り返ってみると、個人的によく好んでこの系統の作品を見あさっていたように思う。しかし好んで見ていたからとは言って、それが完璧なものであったとは言い切れない。例をあげるならば、あの画角でのキスシーンはかなり不自然に映ってしまう。主観モノでなく第三者視点で撮影しているものでは、男優のキス姿がもろ映り込んでしまう。この現象に不快感を覚える視聴者も少なくないと思う。ならば主観モノではそれが克服できたかと思いきや、残念ながらそうではない。女優が顔を近づけるのと同時に、左上の角から急に男優の口が映り込んでくる。今までは撮影方法上仕方ないものだと割り切って、見て見ぬふりをしていた。女優の顔の影で画面が覆い隠されるのならまだしもそこに男優の右顎の影が映り込む、この時の自身の興奮に入り込んでくるわずかな違和感こそが、自慰の質を見えないところで蝕んでいた正体だったのだと、今では思う。結局男性対女性の構図では不可避のキスシーン問題によって、知らずのうちにキスに対する態度が自分のなかで腐っていたのだと思う。それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
先ほど、とある△▽を視聴した。具体的な作品名は伏せるが、とある女性がナンパして声をかけた女性に話をもちかけ、最終的に行為に持ち込むという内容を全3・4パターンにわたって収録したものであった。この作品が俺にとって初めてのレズもの作品であった。今まで何となく自身の嗜好が妙に変化してしまいそうで見るのを避けていたが、何の気なしにFANZA TV(△▽のサブスクみたいなやつ)をサーチ中に目に留まったため、視聴し始めた次第である。なぜなのか理由が自分でもよくわからないが、この作品は入りから一度もスキップしなかった。今考えるに、この現象は天の啓示の前触れなのだったのだと思う。なんだかんだで屋内のパートに移ったそのあと、そこは驚くべき場面の連続であった。もちろんお互いがキスし始めるのだが、まずそこでその絵面の透明感に驚かされたのである。男優がいないというだけで、こんなにも見やすくなるのかと。普段嫌なものとして目を背けていたものに対して、何の嫌悪感も抱かなかったのはこれが初めてだった。2人がキスしている場面に対して、一切の澱みなく心を開いている自分がそこにはいたのである。今までのキスシーンは観づらい、不自然なものだという固定観念が一瞬でひっくり返された。ちょっとずつ激しくなる唇の開き方が、徐々にナンパされた側の女性が心を開きはじめたのを表しているという、よくよく考えれば当然だけどいまいち実感していない事実と感覚がようやくここで真に理解できた。これまでの慣例の中で、なぜキスが行為の中での始まりとされているのか。今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
一般的な△▽との最大の違いは、キスシーンの長さである。普通の△▽の場合では一通りキスが終わったあと、次のステップに移ることがほとんどである。それ以降もキスはちょちょっとする程度で、それよりももっと激しく、視覚を刺激するような内容に進んでいくのが常である。しかし、レズものはそうではない。行為が始まって終わるまで、ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぅっとキスをしているのである。ナンパした側の女性が妖艶な言葉遣いで相手を甘えさせながら互いに服を脱がしあう際も、相武しあう時も、ピークを迎えるときも一切2人の唇が離れることが無いのである。この記述は本当に誇張していない。一部の読者のなかではこれだけ長時間キスシーンを観ていて飽きないのか、という疑問の声もあがるだろう。これに関しては断固として否定させていただきたい。キスを長時間行うことによって、ナンパされた側の女性の心に徐々に安心感が芽生え始め、恥の感覚がほんの少しづつ薄れていく。それと同時に緊張してこわばっていた表情筋が緩んでいき、むしろそこから一種の満足感が生まれていく。作品では、50分ほどかけてその模様が微細に変化していくさまが描かれている。あなたはこの過程を本当に最初から最後まで見届けたことがあるのか。見終わったあと、一本のドキュメンタリを見終えたぐらいの読後感が心に生まれた。その読後感は、ナンパされた側の女性が最終的に得た満足感が、視聴者である私と共有された結果生まれたものなのだと思う。傍から見ている側ですらこの満足感を得られるのであれば、じゃあ当事者になればどれほど大きな充足感を得られるのだろう。こう思った瞬間に、自身の今までのキスへの態度を改めざるを得なくなった。自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。
は????
そもそも俺は最初から支持も許容してないって何度も言ってんだろ?わざわざ馬鹿に付き合ってあげてこれ何回書いたっけ?文盲ここに極まれりって感じだわ
お前が馬鹿な誤読で説教してきたから指摘したらウダウダウダウダ粘り続けて、難癖付けてきた割に何もまともに言い返せず
なんでその場でやり返さなかった
虫取り網を頭に勢いよくかぶせて床を引きずり転がしたあと玄関まで連れてったら蹴飛ばしておい返せばよかっただろ
近所にクリーニング店がオープンした、という体で高級羽毛布団の押し売りに兄ちゃんが来たなあ。
その時は俺も20代前半で若かったからウッカリ玄関に上げちゃったんだけど。
まあ粘る粘る。3時間居座った。
買わない、金ない(ローン組ませようとしてきたけど)、このあと予定がある、最後に警察呼ぶぞって所で営業マンの化けの皮が剥がれた。
「予定なんて嘘だろ」「嘘つくとか人として最低」「こっちは3時間無駄にしたんだよ」→知らんがな、割と早めに断ったのに脈アリと見誤ったのは自分だろ。
キャラが勝手に動くというか、漫画で絵コンテがサクサク書ける瞬間とか、明らかにゾーンに入ってる気がするんだよな
よくわからんけど、ゾーンに入るぐらい集中してると、キャラが勝手に動いてるように錯覚する、コマが次々に埋まってくんだよね
でも、自分の場合、何にもない状態からコマが埋まるみたいなことはなくて、
一度、脚本みたいなものを描いて、少なくともセリフだけでも並んでいるような文章を書いてからだと絵コンテのコマが埋まる
というか、その脚本みたいなのも、ゾーンに入らないと勝手に登場人物が喋ってくれない
あと、どっかで我に返ってしまうと、大した人生経験もないし、友人知人も少ないのに、こんな会話をするものだろうか、みたいに考えてしまうので、
そうならないように、妄想をひたすらブーストして最後まで行くしかない、個人的には長距離を水泳してる気分に近い
ギターの演奏でもプロはゾーンに入るらしいけど、過集中?というか、ゾーンに入って冷静にならないのが大事なんだよね
冷静になると恥ずかしくなったり、常識にとらわれるようになってしまうから
だから、舞台に上がる前に酒を飲むようになってアル中になるとかドラッグにハマる人の気持ちが分からんでもないという…😟
舞台に上がると演奏能力は良くて50%、普通に10%とかありうるから…
そのへんとか、ヴァイオリニストだと、「あがり」を克服する―ヴァイオリンを楽に弾きこなすために、という本が詳しかったと思う
個人的には無音がいい、プログラミングとか特に無音でないと自分は作業できない
あと、文章を書く場合は、もっといい言い回しがあったはず、とか、同義語の辞典とか見ると、そこで思考が止まってしまうから、
ゴミみたいな文体だろうが、稚拙だろうが、拙かろうが、ガリガリ最後まで書いていってしまって、
文でも絵でも録音した音でもそうだけど、時間を少し置いてから、一番いいのは一度寝てから、再度読み返したり、聴き返したりすると、
そのとき、何でこんなゴミを作ってしまったんだ、と思うことも多いけど、プロでもそれは普通にあることなので、ゴミはバッサリ捨てる、
26.5時間
ゼスティリア<アライズ<<ヴェスペリア<ベルセリア<シンフォニア
って感じかなー
いろいろマップのすみっことか探しにいくので時間かけちゃったからそれなかったら20時間いけたんじゃないかなーと思う
ヴェスペリアあたりから戦闘システムが複雑になってきて秘奥義とか一度も出さずに終わるとか増えてきたし、
中途半端にアクション性ましててでも攻撃途中でキャンセルしたりもできないし、
敵妨害する技もタイムリーに使えないしでストレスたまるゲームだったわ
ふたつ世界があって属性ごとの国とかめぐって最後は大ボス倒して世界すくうっていうテイルズテンプレ
敵がHPけずりきってるのにナンチャラっていう必殺技じゃないと倒しきれないのがすげーストレスだった
あとスーパーアーマーでこっちの攻撃にひるまなくてヒットストップ感もないから爽快感がまじでないんだよな
一番むかついたのはバトルんときに戦場をぐるぐる突進しまくるやつ
突進とめたくてもゲージたまってねーし、魔法となえてるときだとよけれねーしですぐ死ぬからマジでうざかった
ちぐはぐ感すごかった
衣装もほぼ変更できるのないし、やたら鼻眼鏡的なアクセサリーは手に入るけど世界観とあわなすぎてつけるきになんなかった
シオンはパンツっぽいの見れるけどケツ側ロンスカで見えにくいからつまらんしそもそもエロいと思わない
全部会話で説明しようとしてて専門用語だらけでほんまつまらんかった
バトル
色々劣化しているので変化を感じ始めた年齢と共に列挙してみる。
25歳くらいから変化した。
潤いが減ってきた。いわゆるハリがなくなった。
ここ2年くらいは洗顔/入浴後に顔に無印の化粧水と乳液を塗るようになり幾らかマシになったけど、やはりハリは回復しない。
今は1000mlで500円くらいの化粧水を風呂上がりに塗りたくって少しはマシになった。
この程度のケアでも10代から始めてたら全然違ったのだろうな、と後悔してる。
しかし、当時はそういうことしてる奴は女々しいと思ってた(肌男CMとかも女々しいと思ってた)
毛が細くなって髪を七三とかに分けた時に綺麗に分かれなくなった。
元々子供の頃に父親によるDVと実子誘拐のストレスで場面緘黙→抜毛のコンボを発症して右側のデコが少し広かったのだが、毛量は多くて父親がフサフサだったのでそこまで心配してなかった。
しかし実はAGAの遺伝って母方の祖父が重要らしく、祖父はそこそこ薄くなってたのでさもありなんということだった。
AGA薬を飲み始めて数年経った今はかなり回復して気にならなくなった。
AGAについては以前に東浩紀がYouTube配信の中で「自己イメージからの乖離」という観点で語っていたのが印象に残ってる。
例えば、若い頃から毛先が眉にかかるくらいの長さの髪型を愛好していた男性がいたとする。
周りの人はみっともないから切るか剃るかしたほうが良いのにと思っている。
彼自身もそうした方が見栄えは良いことはわかっている。
それでも彼を髪を伸ばしてしまう。
何故ならその髪型の彼こそが彼の自己イメージなのであって、髪の短い自分は自分ではない様に感じてしまうからである。
要するに、人間の自己イメージはそう易易と書き換えられるものではないという話だったと理解している。
それまではラーメンとか焼き肉とか油っぽいものが好きだったのだが、食べるのがキツくなったのと、食べたらちょくちょくお腹を壊すようになった。
逆に野菜がめっちゃ好きになった。しゃぶ葉に行ったら野菜ばっかり食べてる。
昔はストロングのロング缶2本買って酔ってたけど今はほろ酔い1缶でしっかり酔えるくらいには弱くなった。
今は殆ど断酒していて会社の飲み会とか特別な日に限り解禁する。
27歳くらいから変化した。
食べた分だけしっかり太るようになった。
この時期くらいからテレワークに移行したので通勤もしなくなり、ぶくぶくと太った。
実際のところ最も劣化を感じているのが脳。
伝えたい言葉がパッと出てこないことが増えた。
友達と会話しているとお互いに「アレだよ」とか言うことが増えて劣化を感じる。
昔は細かなタスクを書き残さずとも覚えていたのだが、今は忘れるのでメモに残す。
資格試験も昔は2日くらいで一気に詰め込めたけど、今はそれだと忘れてしまうので時間をかけて繰り返し勉強をする。
たぶん今のほうがやり方としては正しい。
一番は脳のスタミナの劣化。
長文を読み込んだり、長時間の動画を視聴したりするのがキツくなった。
途中でどうしても集中力が尽きる。
はてブで炎上増田とか炎上Noteを読む時も昔は最後まで読み込んでからブコメしてたけど、今はタイトル読んでブコメ見て内容を勝手にイメージしてそのイメージに対してブコメしてる。
しかもその内容も似たりよったりで基本的に20代前半までに自分が学んできた概念とか知識を羅列しただけの半botと化しており、宮台真司的に言えば言葉の自動機械になっている。(当の宮台真司が言葉の自動機械になっているという説も)
他にも色々あると思うけど書いていて疲れてきたのでこの辺で止めとく。
この程度の文章でも脳のスタミナの消費がキツい。