はてなキーワード: 架空とは
法に反してると思うなら警察か裁判所に行って訴えてくればいいじゃんw
架空の少女が架空の少女のスカートをまくろうと企んだ罪で警察が捜査に乗り出してくれるんじゃね?しらんけど
はたして何罪が適用されるんだろうw
この記事は当該の炎上案件を知ってる人向けに書いているので炎上した流れ自体はもう説明しません。
今回の炎上は例のごとく「また規制派フェミが火を付けに来た」みたいな文脈に一瞬で回収されてるんだけど、今回の件は流石に違うでしょ、という話。
ポイントをまとめると、
・「スカートめくり」という、実際には犯罪でありながら「いたずら」等と矮小化されている行為を肯定的に扱っている点
これが「温泉のPRにアニメキャラを使うな」とかそのレベルの難癖ならもう一蹴してしまって構わないと思うし、そういうクレームも混じってはいるので、それらは相手にしないで良いと思う。
でも上で書いたような、(スカートめくりというとくに矮小化されがちな)犯罪行為を肯定的に描いたらそら怒られますわ。
こういう感覚まで麻痺して「フェミが文句付けてきた→戦わなくては」みたいになってるのはちょっとなんぼ何でもヤバすぎ。
だってこれ擁護するところあります?「アニメ絵使うな」「露出度の高いキャラを使うな」とかじゃないんですよ。
何度も何度も言ってることなんだけど 「表現の自由」というのはオタクが何やっても絶対に怒られが発生しないと言うことではないんですわ
特に公共の場で、公共の組織とも連携してコンテンツを作っていくならなおさらコードは厳しくなるのは当然で、そもそも今回はそういうレベルの話でさえないでしょ
「犯罪行為を矮小化して肯定するような表現をしたら批判された。フェミによる弾圧だ」って流石におかしいと思わないですか?
ちなみにフェミニストは毎度の事ながらミラーリングでこの件を表現しようとしているが、フェミはミラーリングがなぜかド下手くそなので「ズボンおろしされたら男も嫌でしょ」みたいなズレた反論をしてしまっている。
そもそも男は下着を衆目に晒すことに女性ほど抵抗がないのだから、そのままミラーリングしても意味が無いのである。
今回の件は「犯罪(あるいはそれに近いような倫理的悪行)なのに矮小化されている」という点で「いじめ」「転売」が近しいと私は思っている。
たとえば今、旭川でなんかのアニメキャラとのコラボが行われたとして、そのキャラが「いじめっ子だがいじめを全く悪いことと思っていない」みたいなキャラだったら絶対に炎上するでしょう。
これについて「いじめもコミュニケーション。いじめで仲良くなることもある」「そもそも架空の存在に何を言っているのか」「貴方が虐められるわけではないですよ」とか擁護が付いているのが現状である。
あるいは秋葉原に女性向けのアニメかゲームのイケメンキャラの広告が出て、そのキャラが「転売は正当な経済活動。批判するのは負け犬の遠吠えです」とか話す台詞が書いてあったらもう絶対大炎上でしょう。
その炎上に対し、その作品の女性ファンが。「またネットのオタクが女向けコンテンツを炎上させに来た」「架空のキャラが転売を肯定したからなんの問題があるのか」「今回の炎上の根幹には腐女子嫌悪やミソジニーがある」とか言い出したらビックリしません?
お前は何を言ってるんだ・・・・・・となりますわな
恋愛はいいけどセックスしたい〜とか経験としてしたい〜とか言っているのをよく見かけるが、実際のところセックスは喪女が考えているようなものじゃない。
セックスとはただ自分が気持ちよくなるためのものではないし、そもそも一回ヤッたくらいじゃ気持ちよくなんてなれない。
鍛錬とコミュニケーションを繰り返して初めて気持ちよさと幸福感を得られる。
喪女で過激なBLやレディコミばっかり読んでいる人は勘違いしているかもしれないが、性器を入れられても別に心は満たされない。
セックスしてて気持ちよさそうで幸せそうなのは、“恋愛”をしているからだ。相手に心を開かなければ、触診と何ら変わらず、きっと何も得られないと思う。(百選練磨のビッチとか好きな人がセフレとかは知らん)
誰とやっても気持ちいい、というのは鍛錬と経験を重ねて己の体とテクニックを積み上げた先にあるものであって、喪女には到底無理な領域の話だ。
喪女にとっては、”体だけ“というのは恋愛よりも遥かに難しいということを覚えていて欲しい。
むしろ、性行為をしたことでホルモンバランスが変わりネガティブな方向に情緒不安定になることだってある。
そして、もしどうでもいい人で処女を捨てた場合、妬みの対象が非処女から好きな人で処女を捨てた人に変わる。結局告白→恋愛→セックスという流れを汲んでいない自分は、目に映る人々以下であり、何もかわることはできない。
自分の中で、「彼氏居ない歴=年齢の喪女」という括りから、「非処女だけど彼氏居ない歴=年齢の恋愛をしたことがない人」にクラスチェンジはする。でも、上に上がることはできない。隣の席に移るだけだ。
だけど、処女を捨てることがデメリットしかないかと言われればそうでもない。
ラブホに入ったことがない、とか、男性の部屋に入ったことがない、とか知らないことがひとつ減るだけで、未知への恐怖は薄れる。
一度ヤッてしまえば、ハードルは大幅に下がる。例えばマッチングアプリで何人とも会えば会話やメッセージのスキルは嫌でも上がるだろうし、何より耐性がつく。
最近はアセクシャルというものもあるし、言い訳は無限大だ。でも、それを自分が他者とのコミュニケーションを拒む言い訳に使うのは後々後悔する日が来る。
結局何が言いたいかと言うと、「穴の状態が変わった程度で人は変われない。相手を棒ではなく、同じ人間としてちゃんと認識しろ。」ということだ。
追記:
20代後半で焦って適当な男とヤったら、後に彼氏が出来た時死ぬほど後悔したっていうだけの話。
彼氏が出来るまでの間も処女じゃないことが嬉しいっていう気持ちと「こんなのじゃない」っていう謎の罪悪感で情緒不安定だった。
結局誰にも言えないから架空の初彼氏がいたことになってるし、学生時代から付き合ってて結婚したカップルとか羨ましくて私はずっと苦しいよ。
販売中止に至った理由は関係者以外にはわからないことも含め多々あるとは思うけど、今回の件で個人的に思ったのは以下三点。
1、「作中で描かれること」と「グッズ化すること」との違いを十分理解しないまま商品化が企画された。
2、グッズ化する商品が作中で差別を象徴するものであると同時に現実の差別を象徴するモチーフと類似していた。
まず1、「作中で描かれること」と「グッズ化すること」との違いについて。
漫画の作中で悲惨さ・凄惨さ等のいわゆる「負の部分」を描くことは、全く非難を受けない訳ではないけど、
現実のできごとを馬鹿にしたり面白おかしく伝えるような描き方でなければ、
販売停止とか発禁処分みたいな厳しい対応にはならないのが普通だと思う。(グロテスクさや露骨さの度合いにも寄ったりするけど)
でも、今回はその「負の部分」を商品化した。
悲惨さや凄惨さを伝えるみたいな文脈を持たない、一部分を切り取って、商品化した。
するとどうなるか。
現実の世界にそれを売っている光景と持っている人が現れる。(今回の件では受注生産だけど、転売等の可能性もあった)
欲しがって買う人の笑顔や、買って着けたり飾ったりして嬉しそうにツイートしたりすることが現実の世界で現れる。
作品の中で描かれれば、それを直接知るのはその作品に触れた人だけだけど、
いろんな人が現実に現れたその作品の一部を見たり聞いたりすることになる。
作品を知らない人からすれば、「あれは何だ?」「〇〇に似てるな」「馬鹿にしてるのか?」
とどんどん悪い方向に話が飛躍していってしまうことも十分ありえる。(意図してそういう方向に持っていこうとする人もいるだろう)
もしそうなったら、ビジネスとしての商品化は明らかに失敗だし、原作の評判にもキズをつけてしまうことになる。
作品の中で描かれることと、作品の一部を切り取って現実の世界でグッズ化することにはこういう違いが存在すると思う。
次に、グッズ化されたのものが差別の象徴であったことについて。
いくら「作品の中での差別だから現実の差別ではない」といっても、
それは作品の中でならの話。
1で書いた通り、グッズとして現実のものにするとなると、話が変わる。
とにかく、作中で「架空のキャラクター」が「架空の差別の象徴を身に着けること」と、
「現実の人間」が「実際の差別の象徴と誤解されかねないものを身に着けること」とは大きな違いがあるはず。
今回の件では特にグッズ化のマズさに拍車をかけた点が2点あって、
1つは上記の通り、作中で描いた差別の象徴が、現実での差別の象徴と類似あるいはそれを想起させるようなものだったこと、
もう1つは、世界的な情勢としてBLMやらanti-Asian violenceやらチベット・ウイグルのあれやこれや等で差別にとても敏感だったこと。
現実での差別との類似あるいは想起っていう燃えやすい材質を使って、
そりゃ燃えるよね、って話。
3つめは、グッズが主にコスプレ向けのものだったことについて。
エロやグロでも、世間から「芸術」とみなされれば批判は受けてもそこまで燃えない。
裸婦画とかゲルニカ、官能小説やビルマの竪琴とか。(エログロの音楽ってあるのか?あるんだろうなぁ……)
たぶん、良からぬ意図があると疑われにくいいジャンルほど燃えにくいんだろうっていう感じ。
だから、絵画より文学のほうがやや燃えやすいし、そもそも芸術として認めない人も多いようなジャンルではもっと燃える。
コスプレはどうだろう。
もう十分文化ではあると思うし、「作品」として十分成立する芸術的なクオリティのものもたくさんあるんだとは思う。
でも、ただの「作品」じゃだめなんだ。
悪くいえば「お高くとまったような芸術」みたいな地位じゃないと、
「芸術」としてはまだまだ批判を受けるジャンルなんだと思う。(映画、漫画、ポップスやロック音楽等もそうだとおもう)
その中でもコスプレは好き嫌いがはっきり分かれるものだと思うし、
作中での文脈なんて知らねーって人がいる以上、
「現実での差別を利用して金儲けをする原作側も、差別の象徴を身に着けて喜ぶオタク共もけしからん!」、
ってなる人が少なくないのも無理はない話、というかそれが現実だってことは受け止めないといけないと思う。
理想と現実も当然区別しないとそもそもお互いに議論にすらならないから。
大切な人が怪我しそうなら止めるのと一緒で、
深瀬の件に関してはこいつが面白すぎて困るんだよな。
@okada_tarumi 黒瀬さん、脅迫に負けないで、言論の自由を貫いて下さい。弁護士の斡旋と費用カンパします。お困りの時はご相談下さい。 ただ刑事は100%無い。民事は架空でも提訴できますが、開示請求が前提。有形被害がないので開示されません。負けても最悪10万円程度です
@okada_tarumi 弱い者いじめしかできない、一般市民を迫害することしかできない卑怯者!人間のクズ!最低の人間!訴えるなら、住所も氏名も明らかな私を訴えろ!!お前みたいな政治家がいるから、政治が国民の希望になれないんだ! 卑劣漢! 腰抜け! @RyuichiYoneyama #米山隆一氏のスラップ訴訟に抗議します
→米山に訴えられる
@okada_tarumi【和解に関するご報告】 昨年9月、私が元新潟県知事の米山隆一様に対し、「米山氏はSLAPP訴訟・恫喝訴訟を行っている」と主張するツイートをしたことを受け、米山様から提訴された件について、私から謝罪を申し上げる機会を得、和解協議が合意に至り、和解が成立したことをご報告させていただきます。
@okada_tarumi確証もないままに断定し、室井様の気持ちを傷つけ、ご迷惑をおかけしたことに対し、心よりお詫び申し上げます。 最後に、謝罪を受け入れ、和解に応じていただきました米山様に感謝を申し上げ、ご報告とさせていただきます。 2021年3月26日 岡田 ゆうじ
なぜ、更新して再周知させる必要があったか、というと、おそらく金子オーナーとの交渉が大詰めになっているのではないかと思っている
ウマ娘化されている馬でも、海外のモンジューなんかは、アニメ1期でブロワイエという架空名を当てられてウマ娘化された
これはつまり、「交渉の余地も予定もない馬をウマ娘化するときはオリジナルキャラで出す」という姿勢の表れである
ところが、アグネスデジタルのストーリーでは、金子オーナーの所有馬クロフネを、「NHKマイルカップ勝った子」という匿名で存在を登場させている
金子オーナーの所有馬のウマ娘化を完全に諦めていたら、こういう扱いはしなかったのではないかと思う
これはもう、来るね
分かってないから分かってないなと言ってるんだよ。
現に俺がちゃんと説明した文章ですら読めていないから、貴様が「分かってない人間」であるという評価はむしろ裏打ちされた。
その証拠を自分で言ってる。俺は「全部言わなくても分かるだろ」ってスタンスですらない。
「全部言わないから分からなくてもいいよ、好きなように受け取ってあとは勝手に進めてくれ、話を広げるも打ち切るも自由だ、俺のことはどう思ってくれてもいい」というスタンスなんだよ。俺は理解を求めていない。触媒をぶん投げていくような芸をしただけだ。
そういうニュアンスは先のトラバをまともに読んでいれば分かっていたはずだが、尚も俺のことを「全部言わなくても分かるだろ」みたいな、理解を求めるくせに己のコミュニケーション不全を顧みずイキっている傲岸不遜な人間だとみなしている。
俺のことをそういう人物だと思い込みたいバイアスによって人物像を捻じ曲げているわけだ。
わたしはある美少女バンドゲームのアイドルバンドのドラマーがだいすきで、所謂架空の女の子に恋する女の子だった。過去形にしたとはいえ今もすきなことに変わりはない。Instagramのアカウントには文化の日に誕生日を迎えたその子の誕生日会の写真だって載せている。Twitterのアイコンもヘッダーもその子に統一しているし、LINEのステータスメッセージだってその子のガチャの演出のことばをまるまる引用している。だけど以前のような、例えるなら自分の命だってかけられるような、そんな気持ちはもうない。冷めてしまったのでは無いと思うのだがわたしにはこの気持ちになった原因に心当たりがある。もうひとりの推しの存在だ。
今から1年前くらいのことだろうか、たまたまテレビに出ていたジャニーズの男の人が目に止まった。ありえない歌唱力に整った鼻筋。ひと目で好きになってしまうような、どこかの王子様のようでわたしは手当たり次第に周りのジャニオタに声をかけた。名前を知った。年齢を知った。誕生日を知った。そしてたまたまグッズを頼もうとしていた友人のジャニオタが「割り勘する?」と言ってグッズの購入を勧めてきた。財布には都合よくお金があったので購入したいものをリストアップしてみた。そのどれもが顔がめちゃくちゃに良かった。
それからはとんとん拍子でアクスタを手に入れ、公式写真を手に入れ、ファンクラブに入った。母親はわたしがジャニオタになったことを一緒に喜んでくれた。わたしが撮り忘れたMステも録画しておいてくれたし、幸いここまで彼の所属するグループが出演した歌番組は全て見ることが出来ている。ここまでのオタ活での唯一の後悔は半裸のハンガーを買い忘れたことくらいである。
今までジャニーズに触れたことがなかったわたしにとっては公式写真の1枚160円など全体的に安すぎる価格や何ヶ月おきかに発売されるCDというのは新鮮で、舞い上がったわたしは客観視すれば痛いオタクなのだろうがジャニオタの友人と割り勘したライブのうちわを受け取るやいなや教室で高々と掲げてみたりしていた。
そんなある日ご縁があってその方が座長を務める舞台を観劇した。
存在はしていたものの彼は違う世界の人間だった。股下は地球を包み込めるくらい長かったし、神様が彼を創った時アイビスペイントの対称定規を用いて顔を造形したのではないかと疑うくらい整っていた。歌声はのびやかで芯があって、上手く言い表せないくらい素敵で、わたしはスタンディングオベーションの間涙をこらえるのに必死だった。
家に帰ってきてチケットの整理をしていたらふと机に飾ってある女の子と彼のアクスタが目に入った。
女の子は絵だった。彼は写真だった。どちらもアクスタという平面を組み合わせた立体に存在することに変わりなかった。
わたしは収納ケースに入った女の子の缶バッジを見た。苦労してひとつの絵柄で40個集めたそれは既にただの絵の印刷された金属でしか無かった。
ああ、と思った。
わたしの3年間はこの絵に吸い取られていたのか、と。たぶん女の子に抱いていた夢からその瞬間に醒めてしまったのだと思う。
勿論2次元にも3次元にもいいところはある。だが、存在するということを知った途端に全ての世界が変わってしまったような気がした。この感情はどうにか残しておきたくてこの日記を書いている。
ライブの開催が告知されたいま、様々なことが重なりわたしの財布はスカスカになっている。ライブに当たっても入金が出来ないだろうし、紙袋に収納ケースの缶バッジを入れて、家の近くのブックオフまで自転車を走らせようと思う。
父親教室の体験学習でテストが配られた。「30分でそれを解いて下さい」だが看護師が話しかけたり電話を始めたりと邪魔をして、結局誰も解けなかった。苛つく彼らに看護師は言った。「予定をこなしたくても邪魔が入って達成感を味わえない。それが赤ん坊を抱える母親の気持ちです」 #twnovel
そんなのカンタンじゃん ——とやり始めたところに 数分おきに
主催者がジャマをするんだそうです
結局誰も時間内に全問を解くことができずに
父親たちは怒り出した
“こんなにジャマされたら何もできない”
そこで主催者が言ったそうです
——『ミステリと言う勿れ』第3巻episode4-4
ツイッターの小説内の架空の実験を(それが事実だと誤認していたために)引用表記なしにマンガ内で紹介して謝罪する、という騒動があった。謝罪は受け入れられて和解が成立し、騒動は収束した。
これについて、はてブで著作権侵害を指摘するコメントが人気になっていた…
このような要旨のコメントが並んでいたのだ。
だが謝罪文を読む限り当事者同士で著作権侵害を問題にした形跡はない。著作権法では表現は保護されるがアイデアは保護されない。この短いエピソードの文言はマンガでは微妙に変わっていて文章を丸々トレースしているわけではない。これは本当に著作権を侵害しているのか——?
調べてたんだけど、この法律事務所のサイトによると、かつて江差追分事件なる事件があったらしい。
その江差が、九月の二日間だけ、とつぜん幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。日本じゅうの追分自慢を一堂に集めて、江差追分全国大会が開かれるのだ
九月、その江差が、年に一度、かつての賑いを取り戻します。民謡、江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます
小説の冒頭を元に、テレビ番組のナレーションが作られた。この酷似が問題視された。
現在の江差町が最もにぎわうのが江差追分全国大会の時であるとすることが江差町民の一般的な考え方とは異なるもので著者に特有の認識ないしアイデアであるとしても、その認識自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず、これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止されるいわれはなく、本件ナレーションにおいて、テレビ番組側が著者の認識と同じ認識の上に立って、江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ、年に1度、かつてのにぎわいを取り戻し、町は一気に活気づくと表現したことにより、本件プロローグと表現それ自体でない部分において同一性が認められることになったにすぎず、具体的な表現においても両者は異なったものとなっている
したがって、本件ナレーションは、 本件著作物に依拠して創作されたものであるが、本件プロローグと同一性を有する部分は、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって、本件ナレーションの表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないから、本件プロローグを翻案したものとはいえない
改めてツイート小説とマンガを見てみると、30分→1時間以内、体験学習→実験、看護師→主催者、母親の気持ち→母親たちの毎日、と翻案している。共通してるのは「父親の解答を邪魔をした結果、誰も解けなくて、母親の子育てもそんなものだと教える」ってことだ。これは著作権で保護される創作性のある表現なのか、それとも思想(アイデア)なのか。母親の子育て絶えず邪魔されて何もできない生活だ、というのは作者の思想に思える。だとするとそれをテストにして父親に体験させて学ばせるのが表現になるだろうけど、それは、創作性があるかな? 身体に重りをつけて乳房や妊娠の不便を体感させるのは現実世界でよく見られる。しかしこの設定、「現在の江差町が最もにぎわうのは江差追分全国大会のときだ」よりは創作性があると思う。うーむ…🤔 私には自明な著作権侵害だとは思えない… かといって著作権侵害ではないとも言い切れない。はてブの人たちは自信を持っているようだが。
眞子氏が小室氏と出会ったICUという大学では、入学式で新入生みんなが「学校生活において世界人権宣言を遵守すること」を誓う学生宣誓に署名する。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/
みなさんは、その世界人権宣言の中身ってどんなものか知ってますか。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第四条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第六条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第七条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第八条
すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第十一条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第十二条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第十三条
これで全部。眞子氏の境遇に照らしてみれば、皇籍離脱前の彼女の人権がどれだけ制約されていたかが改めてわかる。民主主義国家を標榜する日本で、大半の日本国籍の人々が当然のように享受している人権の多くが制約された、とても特殊な立場の人が、自らこの大学への編入を選び、4年間の教養教育で人間中心主義(humanism)の理念と気風を涵養され、立派に「人間」になった。というか、人間としての自覚を得た。そういうことなのだ。
ちなみに天皇は敗戦後に「人間宣言」したと言われているけど、実は「ぼかぁ人間なんです、すまんかった」などとは言ってない。原文の官報詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(1946/1/1)、別名『新日本建設に関する詔書』に書かれている該当箇所は
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
となっている。「天皇は現御神で、日本国民は優越民族で、世界を支配する運命にある」という戦前に言ってたことは「架空なる観念」でした、としか言っていないのだ。じゃあ現御神ではなくなった天皇が戦後どうなったかといえば、「日本国及び日本国民統合の象徴」になった。それはもはや神ではないし、といってただの人間=日本国民でもない。それは「日本は一体である」という(敗戦後にギリギリの交渉の結果残すことができた)国民国家のファンタジーをまるごと引き受ける、人間ではない何かだ。天皇と皇族は「平和憲法を遵守する新国家」を象徴する「何か」として、常に国民をいたわり思いやる理知的で心優しいファミリーの役回りを多世代にわたって演じ続けることになった。それって、ありていに言えば「人形」でしょ。
かつてのように神聖不可侵でもなく、かといって市民・国民としての人権を与えられてもいない「人形」は、やがては人々のおもちゃにされてしまう。今はみんながそれを使って「人形遊び」という娯楽に興じている。政治家や宮内庁職員や皇室ジャーナリストや評論家らが「本人が言った言葉」とその解釈のあいだにいくらでも恣意的な読み替えを挟み込むのも、メディアが皇居というドールハウスの内情について真偽不明のゴシップを書き立てるのも、辛酸なめ子や倉田真由美が赤の他人同士の結婚について大仰に憂いたり消耗したり絶望したりしてみせるのも、本質は人形遊びだからだ。相手が人間ではないから、そういう非人間的な扱いをしても許されるし、人形のほうが「与えられた役柄」を勝手に逸脱し始めたら嘆いたり憤ったりしてもいいのだ。
本件をイプセンの『人形の家』をひいて論じていたのは、意外なことに山口真由ぐらいだったけど、今回の騒動を見ていて、天皇家が「人形の家」ではないと言い切れる人はだいぶ減ったんじゃないか。人形の家には人間は住めない。だから、人間になった眞子氏は人形の家を出た。
窮屈な人形の家を、人間が住めるような間取りと風通しにしてやらない限り、そのうちまた同じことが起こるだろう(直近では、同じ大学で同じように「人間」に目覚めてしまった佳子氏にも同じことが起きるかもしれない)。風通しを良くするには、これまで75年にわたって「人形遊び」をしてきた我々自身がこの遊びを卒業して、その他の「市井のなんでもない人々」に接する時と同じような儀礼的無関心を貫くことなんじゃないかと思う。ことさらの敬愛も嫌悪もいらない。ただの人間として扱い、他のただの人間に抱くような尊重の念を持って接しよう。
名前しか聞いたことなかったのでWikipediaを見てみた。
西暦2061年。経済政策の失敗や少子高齢化によって破綻した日本に対し、経済援助や治安維持を目的として「北米同盟」「大ユーラシア連邦」「アジア自由貿易協商」「オセアニア連合」の4つの世界主要経済圏が介入する。その結果勃発した、日本列島を舞台とした「境界戦」と呼ばれる国境紛争を経て、日本国土は4つに分割統治され、日本人は隷属国の人間として虐げられる生活を送っていた。また、日本は各経済圏によって投げ入れられた「AMAIM」(アメイン)と呼ばれる人型特殊機動兵器が闊歩する、世界の最前線ともなっていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C%E6%88%A6%E6%A9%9F
日本が支配されていることや、人型兵器ってところはなんかコードギアスっぽいなw
ただ、向こうはサクラダイトっていう(架空の)資源が日本にあるという理由だったのに対して、こっちは経済援助や治安維持を目的っていうのがちょっと・・・
少子高齢化の上に経済政策を失敗した国に世界中、しかも4勢力がわざわざ分割までして駐留するなんて不自然に見える。
あらすじでは語られていない何かがあるんだろうか。
と腐してみたが画像検索してマスコットキャラのデザインを見て納得。
↓これをみて思い出したんだけど、
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https://togetter.com/li/1794159
(ブコメでmukudori69さんが既に挙げておられるが)
「ティファニーで朝食を」に「Mr.ユニオシ」なる架空の日本人が登場する。
日本語ネイティブからすると、日本人の名前としては実在しそうもない上に、意味も通じない、変な名前だ。
(まあ「由仁雄+氏」とかならあるかも知れん)
ところが21世紀になって「〇〇推し」なる日本語が登場したおかげで、
ニックネームやペンネームとしてなら、あり得るし、意味も通じる名前(「ユニ」というキャラクターを推してる人の意)になってしまったんだよな。