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はてなキーワード: 得意科目とは

2024-09-27

読解力・国語力は学歴仕事に関わるのか

教育関係現場で、ある先生が「どの教科をやるにもとにかく読解力が大事です! 学歴を左右するというデータもあります! 大人になってからは取り返しがつきません!」って熱心に言ってた。

こういった話は、新井紀子氏がRSTを使った実験の成果を世に広めて以降流行った印象がある。「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という本でも有名である

自分は本は読んだことないのだが、氏の講演を聞いたことがあるのでだいたいの主張は知っている。その中でも、先述したように、「RSTの結果が学歴と相関がある」という部分が印象に残っている。それと、将来の仕事にも影響すると話していた覚えがある。

まあ確かに、中々言うことが通じず指導に苦労してるときに「読解力無いなあ……」って思った経験はあるから、肌感覚では同意できる。



ただ、これに反する考えがある。それが、ツイッターちょっと賑わせた「国語現代文得意な人、予後が悪い説」である。実際、こんなデータもあった。

国語が得意」は「得意科目が無い」よりも予後が悪いのマジで恐ろしい

https://x.com/mitomislilylove/status/1778318052003840216?t=dA5S6eZeNmaQHJ-ni-RKCA&s=19



これまた自分は肌感覚同意してしまう。というのも、自分自身が、「国語特に現代文はなんかできるがそれ以外がパッとしない」タイプで、実際良いとは言えない人生送ってるからである

はてな関連の有名人だと、社会不適応経験をよく書いている黄金頭氏も国語が得意だったようだ。

そのテストの結果によれば、おれは国語に関するもの大吉で、算数数学に関するもの大凶であった。

https://goldhead.hatenablog.com/entry/2019/11/25/201810






何故2つの相反する説が生まれたのだろうか。

RST側の問題を疑うなら、出題範囲教科書新聞文章であるが故に、その知識があるとゴリ押しできる問題が多少あるのかもしれない。それ故に、教科書新聞知識→RSTの点数という因果関係が生じてしまっている可能性がある。

何かしらの手段知識を一切使えなくしたRSTを開発して、そちらでも学歴などとの相関を検証してくれないだろうか。


国語現代文得意なやつ、負け組説」側の問題を疑うなら、このデータあくまで得意教科をアンケートで聞いたものらしく、「全部苦手だけど国語だけちょっと高いのでが得意と言った」って人が多かった可能性がある。

得点と結びつけたデータも欲しいところ。

あとこの2つとは関係ないけど、WAISとWISCの言語IQデータ使った検証も誰かやってくれないだろうか。

2024-09-17

anond:20240916153057

特に何がしたいという目的もないのに大学行くんだからAO入試ラクして、得意科目大学生活もラクしたい」みたいな考えでも別によくない?

anond:20240916153057

言い方が悪いが、「AO入試ラクして、得意科目大学生活もラクしたい」みたいな考えじゃないのか

今や私文の定員の半分が推薦で決まるから

ラクしてるといえばその通りだが、得意な英語一本でAOやってみる、という戦略自体はもはや普通

先生友達Youtuberあたりもそんな感じで勧めてるんじゃない?

それを踏まえて「そもそもAOでサクッと入れる日本の私文英文学科って意味あんのか??」という疑問なら、まあそうですね。。。

2024-09-16

英文学科進学希望の息子(追加しました)

色々な人からコメントをいただけて、嬉しく思っています。みなさんありがとうございます

息子は高1なんだけど、どう対応して良いか困ってるので知恵を分けて欲しい。

息子のデータ

中学まで運動部ゲーム漫画好きの割と普通の子どもだと思う。

学力は、英語だけはダントツで、それ以外の科目はギリ日大受かるかな?程度。文系の予定。

勉強で苦労して欲しくないと考え、あまり強く勉強のことは言わないようにしてきた。ただ、小学校の頃から英語勉強に誘って、オンライン英会話アプリとかを一緒にチャレンジしてきた。

で、大学進学の話になって、英文学科を希望してることが分かった。英語先生になりたい訳でも言語学にも、高い偏差値大学にも興味はないらしい。

息子の希望応援したい気持ちもあるが、言語学に興味がある訳でもなさそうで、言い方が悪いが、「AO入試ラクして、得意科目大学生活もラクしたい」みたいな考えじゃないのかと疑ってしまう。

要は、英語比較的得意なだけの人間が、日本大学の、英文学科に行く意義がよく分からない。

私は、確かに勉強で苦労してほしくないと思い、「高い偏差値大学に行かないとモテない」みたいな話はせず、大学専門学校高卒で働くのも自由と言ってきた。

しかし、授業全部が英語で行われる国際系の学部や、フランス語スペイン語を専攻するわけでもなく、「日本語で英語学を学ぶこと」を選んでも、「息子と同等以上に英語が得意で、別の専攻を選んだ人」や、大学入学時点で、母語英語、+日本語を取得した外国籍学生労働市場で負けてしまうのでは?などと心配している。

追加

元増田の考えている根本的な問題は、「息子の労働市場に対する認識は温すぎる」

本当、その通りです。今覚えば自分が悲観的過ぎたのかもしれないけど、「この子が大きくなる頃には、日本はもう駄目になってるかもしれない」と思って、本人が希望したら外国でも働けるようになっていて欲しいと英語を一緒にやりました。怖がらせたり強要するのもおかしな事になると思って、自分勉強する以上の勉強求めないようにした。

英文学に興味があるだけなのでは🤔

息子の本棚や日頃の様子を見て、それはないと思っていたけど、決めつけは良くないので聞いてみたら、そう言うわけでもないとのこと。英検は、今度二級を受けます

視野を広げるために早めに一度イギリス旅行

我が家家計にはキツすぎます。。。どうしても、英文学文学お金持ちの子女がやるイメージがあるんだけれど、在学中に、海外留学行きたいとか言われたらどうしようとちょっと心配になっています

2024-07-18

カンニングした理由からカンニングをやめるまで2

前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635

勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服スカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。

学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線バカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。

そうなってからカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟旅行遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。

一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校勉強なんだし当たり前じゃん。しか地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画アイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。

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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。

その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。

せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。

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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校テスト大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。

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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニング邪魔をしてくる。

それから模試最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニング文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。

自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたこしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。

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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはようから何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。

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そんな時、行きたいなと思った大学AO入試を知った。自分勉強指定校推薦は無理だったので早急にAO入試シフトした。論文面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。

大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去存在しているのになと時たま思い出してしまう。

受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。

母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。

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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。

中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。

当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめ受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。

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大学時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。

そして検定を好んで受けた時、カンニング意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。

検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。

勉強以外では仲良くしている。受験就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。

社会人の今は帰りに図書館に寄って気象勉強をしている。今度は地震勉強でもしようと思う。

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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子カンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭取引をしているようなカンニングは知らん。

ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供カンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)

出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。

定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。

それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母兄弟も私を勉強いじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。

カンニングをする子は本人の意識問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。

点数を気にしない人と出会しかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子カンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。

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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。

今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学から今まで勉強していますカンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。

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2024-05-28

『(ある程度は読めるが)喋れない、聞けない』から、『TOEIC 815点(

『(ある程度は読めるが)喋れない、聞けない』から、『TOEIC 815点(リスニング420点)まで、5時間10か月=1500時間

大学受験英語得意科目だったのははるか昔。喋れない、聞けないから脱却の必要があり、10ヶ月の猛勉強で、さほど苦労なく英語世間話ができて、ニュースTEDなら比較的楽に聞けるようになった。日常的に字幕なしの海外YOUTUBEを見ているし、世界一人気があるというポッドキャスト『The Joe Rogan Experience』も、まだら状の理解ながら、テキストなしで楽しめるようになった。

僕の勉強量と成果のバランスが良いのかどうか、自信はない。勉強時間も、平均したら、一日5時間を大きくは超えないとは思うが、サボり気味だった期間もあり不正である

それだけの時間をかけたら、そりゃ、それぐらいにはなるわな、と思う方もいるだろう。

が、『TOEIC 815点』は日常生活においても楽しめる世界が圧倒的に広がるということ以外に、履歴書にも書けて転職ボランティアにも有利らしい。

日本にいるまま、リスニングスピーキングの力を伸ばしたいと考えている人に役立つかもしれないので、書いてみる。

(X)ただ、ネイティブと話す時間を増やせばいいのだ!

と、当初考えて、オンライン英会話で、ネイティブとのレッスンを受けまくった。

そのうち、ブロークンで、適当に、喋れることを喋るだけなら、問題はなくなった。

が、文法むちゃくちゃだし、細かな表現はできない、聞けない。会話がちゃんと噛み合わない。リスニング能力も、上がった気がしなかった

(◯)カランメソッドで、文法的に正しい英語を喋る訓練をしよう!

と思い、カランメソッドを始めた。ちゃん学習しようとすると、1回のレッスン時間は、25分にしか過ぎないけど、復習に1時間半かかる。合計2時間

毎日かなりのフレーズや文を暗記しなければならず大変ではあったものの、効果直感したので、毎日時間をカランメソッドに注ぎ込んだ。

(x)アプリELSA』さえやっておけば、発音はばっちしのはず!

「正確に発音できないと、いつまでたっても聞き取れない」とあちこちに書いてあるし、発音が悪いと、簡単単語が伝えられなくて、会話がたびたびスタックしてしまう。発音矯正したくて、評判のアプリELSA』を毎日やった。が、ある程度進むと、何度発音しなおしてもOKにならなかったり、文としての発音が難しすぎたりして、限界を感じた。

(◯)発音矯正アメリカ人講師について正しい発音を習った。

 オンライン教室インストラクターに教えて貰って、発音矯正の得意な先生発音を習うことにした。毎日、25分のレッスンを受けた。目から鱗連続だった。正しい発音の仕方(口の形、舌の位置、息の出し方など)を徹底的に教えて貰った。先生は言う、「正しい発音の仕方を、まず、知ること。知ったとしても、できるできないは、別問題。口の周りの筋肉を思ったように動かすには、毎日練習を何ヶ月も続ける必要がある。勉強ではなく、スポーツトレーニングと同じと思え!」

 半年ぐらい毎日レッスンを受け、今は、中断して、『ELSA』だけ毎日続けている。(ELSAによる僕の発音は90点)

 発音矯正のレッスンは、ネイティブのように喋りたい人が受けるもの、と思っていたが、大きな勘違いだった。正しい発音の仕方をまず学ぶこと。それが大事で、できなくても知ってさえいれば、毎日、ほかのレッスンで英語を喋るときに、そのように発音しようと努力するようになる。

 まず、正しい発音の仕方の基礎を徹底的に学ぶことが、大事だなと痛感した。

(◯)Netflixドラマを全文英文表示させて理解ながら見

 のも、リスニングとスピーイングのよい勉強になった。まあ、とにかく、ドラマは、ノンフィクションニュースや教材と違って、わからない。子供同士の話しなんか皆目わからず、ほんとに英語かと思いたくなる。でも、字幕なしでドラマを楽しむのは、最上級難易度。なので、無理せず、英文字幕を表示させて、一文一文、解読理解していく。今は、便利なアプリがあって、英文表示をさせつつ、キーボード操作簡単に進めたり戻せたりできるので、能率的に勉強ができる。英語イディオムスラング勉強に最適。

(x)重要単語の本の単語や、単語アプリ単語をまるまま覚える

 のは、なかなか難しい。いくら単語セレクトが能率的でも、無味乾燥勉強になるので、苦痛だし、案外能率が悪い。

(◯)ドラマオンラインレッスンで習った単語熟語アプリWordHolicに入れていき、毎日、聞き流す

 ドラマから取った単語熟語は、そのドラマのシーンとセットで頭に残るので、覚えやすい。その単語が、頻出単語なのかどうかはわからない不安が少しあるけど、覚えやすさが勝る。スマホのWordHolicに、現時点で新しく知った単語熟語を2500語ぐらい蓄積していて、車の運転などのときに、流しっぱなしにしている(日本語→英語の順)。ボキャブラリービルディングには、アプリWordHolicに次作するのが、一番の方法と思う。

 僕がたどり着いた勉強法はこんなところ。

 5時間10ヶ月=1500時間は、2.5時間20ヶ月。1時間x50ヶ月。やっぱり近道はない。これだけの時間英語に費やすためには、何かを諦めなければならない。

 が、少なくとも、これだけの時間をかければ、なんとかなる。

 ある程度のお金はかかるが、留学にくれべれば圧倒的に安い。

 もっと、早い方法、能率的な方法があれば知りたい。

 なお、僕は65歳。歳は関係ない。ただし、必要性があったので、頑張れた。是が非でもという必要性があることが、一番大事なのかも。

(*TOEICは受けたことがなかったので、勉強前の点数は不明

2024-02-25

学歴コンプこじらせて閉鎖病棟に入れられた

登場人物

 ・父

 ・母

 ・第一子 (以下,私)

  2000年まれ大学4年生.3年生を2回した.

 ・第二子 (以下,二号)

  2002年まれ大学3年生.幼稚園から大学学科まで私と同じ.

 ・第三子 (以下,三号)

  2005年まれ高校3年生.幼稚園から高校まで私と同じ.

大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.

 ・実家から通える,

 ・理系の,

 ・国公立大学に,

 ・予備校などには頼らず,

 ・現役で合格すること.

これら全てを満たせば学部卒業するまでの生活費学費も払ってくれるという.

私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.

同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.

が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれ環境にいるということを私は知っていた.

そして私は父の出した条件に従うことにした.

実家から通える理系国公立大学は3校あった.

 ・A大学

  通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・B大学

  通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・C大学

  通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験得意科目の配点が大きい.

A大学にどうしても通いたかった私は,合格可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.

私はC大生になった.

入学一週間後には,自分大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.

シラバスを読む限り1年生の講義高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.

1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.

やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.

私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センター数学で65%しかとれないくら勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.

とんでもないところに来てしまったと心から思った.

やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.

堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.

3年生前期のGPAは1を下回った.留年が決定した.

その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人視野に入れているという.

一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.

私は理解できなかった.親の方針って,絶対的ものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.

親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.

与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ

私は自分の至らなさを受け入れられず自殺未遂をした.

校医に紹介された精神科へ通うことになった.

はっきり言ってこれは逆効果だった.

医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.

結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.

今度の主治医旧帝大出身で,博士号までもっていた.

学歴コンプさらに加速した.

だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善大学へ通えるようになった.

真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.

通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語先生相談したら週1でレッスンをしてくれた.

特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.

次第に興味の対象が広がり大学院へ行きたくなってきた.

進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.

その部屋には布団とトイレ監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集勉強もできなくなった.

数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.

入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.

入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.

昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.

夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.

二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.

三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.

からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.

2024-02-19

27歳大学受験合格体験

10ヶ月間大学受験勉強をして合格したので、備忘録として残す

スペック

27歳、女

最終学歴高卒所謂自称進学校

毒親に進路を強制されて看護学校に入ったが耐えきれなくなり中退就職、今に至る

大学を目指した理由

仕事がない

仕事をやり始めた当初は大変なときがあったが、慣れるとルーチンワーク化してしまいつまらなくなった。

転職しようか悩んだが、興味のある仕事大卒以上の仕事ばかり。

そこで大学に興味を持つ。

大卒新人が優秀すぎる

私の仕事は一時期炎上した底辺ランキングに入っている。

新卒の子たちがうちの現場に来ることがあったんだが、優秀のなんの。

誰でもできる仕事からたまにかなりヤバい人が入ってくるときがあるんだけど、大卒の方はヤバい人率が格段に下がるのを肌で感じた。

さら大学に興味を持つ。

③優秀な頭脳に殴られたかたか

から地頭が良い」と言われていたが20代も後半に差し掛かり、地頭だけではどうにもならないと思うようになった。

私は全く優秀ではないのに、今の職場では持ち上げられてやたら優秀な社員という扱いをされるのも嫌だった。

自分階級が下になれて自分より優秀な人にけちょんけちょんにされたいと思うようになった。

ついに受験勉強をすることにした。

勉強時間

休みの日は一日10時間以上

仕事の日は通勤時間(往復2時間)に英単語or古文単語

週3で予備校にも通った

上司理解のある方で受験勉強をしていることや予備校に通っていることを伝えてシフトを減らしたり、職位を下げてくれたことには感謝している。

社会人受験感想

はっきり言ってまったくオススメしない。

現役時代とき大学に行けるなら絶対に行ったほうがいい。

自分で決めたことはいえ、周りは結婚したり飲みに行ったり遊んだりしている中勉強をすることはつらかった。

モチベーション維持が本当に大変だった。

社会人受験検討者へ

私のように20代後半を過ぎて大学に行きたいと思っている方がいれば参考にしてほしい。

予備校選びは吟味しろ

予備校は2,3校選んで吟味したほうがいい。

私は1校で決めてしまったので後悔している(予備校先生方は本当に良い方ばかりだった)

英検利用ができるなら英検を取れ

私は働きながら3科目(国数英)勉強したが、10ヶ月間で3科目は本当に大変だった。

もし英検利用ができれば英語勉強だけでも早めに始めて、英単語英文法を取得したら早めに英検は取るべき。

受験直前に1科目減らすことができるのはかなり気が楽になるだろう。

③現役時代得意科目は意外と得意のまま

私の現役時代得意科目現代文で、現代文だけ模試偏差値が60越えることもあった。

自称進学校卒であれば、模試を受けることもあったはず。

現役時代に得意な科目があれば、そのまま得意科目として得点源になりうる。

私の場合現代文得点源で、あわせて英語の長文読解が伸びて得点源になった。

自称進学校以外卒の方の場合分からん申し訳ない。

2023-12-19

国語が得意な奴は好んで低年収の職に就くからだよ

全教科苦手だけど国語の点数だけ相対的にマシなため「国語が得意」だと答える→国語が得意だと得意科目ない人よりも年収が下がるのでは?

https://togetter.com/li/2278735

国語が得意な奴は、ライター編集者書店員司書、とか好んで低年収の職に就くんだよ。

あいつらはこだわらなければもっと稼げる仕事があるのに、わざわざ貧乏な職をエンジョイしてんだから放っておけばいい。

文系はてなーとかまさに典型的だろ。

2023-06-29

アイマスU149を見て俺の考えが120度ぐらい変わった

「生まれつき優れている人間が、その優位性を思う存分に発揮することは、他者を傷つける悪しき行いだ。天より強さを与えられたものは、弱者のためにその身を捧げるべきだ。生まれつきの強者に、自分人生を楽しむ資格なんて無い。なぜならズルいから」

俺はずっとそう思っていた。

でも……間違っていた。

今やっとわかった。

俺が間違っていた。

まれつき優れている人間は、その力を思う存分発揮して良い。生まれつき優れているままに、幸せになっていいんだ。

俺を苦しめていたのは、この世界に無数にいる生まれつきの強者じゃなかったんだ。

強者はただそこに強くあるだけ。

そして、その強さによって突き進む未知の中で、弱者に豊かさを与えてくれさえもする。

じゃあ、何が俺を苦しめていたんだ

U149を前に強者への嫉妬に生きる道を諭されてから2ヶ月ぐらい考えていた。

答えは得た。

俺の敵は「他の子は出来ているんだから貴方も頑張りなさい」だったんだ。

俺はずっと比較されることに苦しんでいた。

「なんで他の奴は出来ているのにお前は出来ないんだ」といつも比較されていた。

まれつきチビで親譲りの運動神経の鈍さに悩む俺は、体育の授業では教師からも学友からもボロクソに「舐めとるんか?」と人格を疑われ続けていた。

勉強でも得意科目と苦手かもを比較されて「なんでこんなに差があるんだ?されはやる気がないんだろう」と貶されたこともある。

他人や、得意なことをしているとき自分を使って、自分自分なりに真剣にやって結果が出なかったことを否定されると、本当に心底辛かったんだ。

まれつき太りやすい人は「食べても痩せない」という言葉に傷つくらしい。

でも本当にその人を傷つけているのは「どうせ影で沢山食べているんでしょ?そうじゃなきゃそんなにデブじゃないよ」といった言葉を思い出してしまたことなんじゃないだろうか?

俺はやっとその事がわかってきた。

U149を見る前の俺は、すげー奴らを見ると、心のなかにコイツ基準比較されたら、俺はいよいよコテンパンにされてしまうだろう。どう頑張ってもこんな事できないのに、やる気を出せ嘘つきは死ねと言われるんだろう」という恐怖が湧き上がっていた。

そして、その恐怖の原因はすげー奴らがすげーことをしているせいなんだと勘違いしてた。

違うんだよ。

これはいわゆる「叩き棒問題」だったんだ。

憎むべきは叩き棒にされた側じゃない!

叩いてくるやつなんだ!

俺はやっとわかった。

本当の敵が見えた。

ありがとう、仁奈ちゃん……ありす……桃華……晴……プロデューサー……みんな……俺、少しだけ人生生き方がわかった。

これからは、天才を憎むんじゃなくて、本当の敵を憎んで生きていくよ。

2023-06-03

anond:20230603191847

いやいや、国語得意科目だった奴がダントツ年収低いって書いてあるがな

センター国語かお前

anond:20230603190837

生徒1「得意科目なし(全科目得意なため)」

生徒2「得意科目なし(得意な科目がないため)」

anond:20230603184722

このアンケートだと後者のほうが国語が得意ってことにならない?

anond:20230603180040

国語得意科目だった奴がダントツ年収低いってデータも出てるくらいだし(得意な科目 年収 で検索すれば出てくる)

しか得意科目しより全然低い

日本国語教育は何かがおかしいはマジ 

2023-05-07

anond:20230507142851

ダメかな

でも得意科目ははっきりしてるんだからそちらに行けばいいのでは

2023-04-18

裏口入学中の人やって病んだ

表題の通りである

増田を書くのは初めてなので変なところがあったらすみません

https://news.yahoo.co.jp/articles/96f03821dedaf7d270db7546e41ff7082d083fce?s=06

このニュースを読んで、学校対応に疑問をもった方も多いだろう。

このケースについて要因を断言することはできないが、似たようなことが以前の勤務校にあったので、書いていく。

(私立学校では大なり小なりあることなのだと思っている。)

まず大前提として、私は既に教員を何年も前に退職し、今は会社員として人並みに働いている。

また、特定されないよう内容にはフェイクを混ぜている。参考程度に聞いてほしい。

某所の中学校

私が裏口入学中の人をやらされたのは、新卒一年目のことだった。

私学適性検査(私立教員就活センター試験みたいなもの)の点数がかなり良かった私は、偏差値も立地も給与もいい感じの学校就職でき、担任も任され、まさにこれからといった感じであった。



母校でもなく、地元を遠く離れ、同期に同郷や同大学の先生はおらず、今思うとアウェーではあったのだが、当時は特に気にならなかった。

何より生徒が賢かった。振れ幅は勿論あるが、素直で真面目な良い子が多い。

生徒との関係もおおむね良好で、どたばたしつつ充実した毎日を送っていた。



入試準備の時期になると、作問者に抜擢された。大役である。手当も出る。

隣のクラス先生にも「新任ではなかなかないですよ、期待されてるんですね〜」なんて言われて、責任を感じながらも喜んだ。

作業は大変だったが、作問も入試も滞りなく終わった。ここまでは良かったのだ。



採点の日が来た。

配点と採点基準は事前に提出しているため、それに従ってつければ良いだけなのだが、なぜか私だけ別室に呼び出された。

呼ばれたのは狭い部屋で管理職教員が二人おり、私が席につくと一人がドアの前に立ち塞がるように立った。

完全に怒られると思った。問題に大きな不備が見つかったのだと思った。

固まる私に、管理職は「いや〜入試無事終わったね!ははは」みたいな感じで、朗らかに話しだした。

あれ?怒られないのか?と思っていると、管理職封筒から受験生の回答用紙を一束取り出し、

ちょっとこの束だけ先に採点してみてくれない?あ、回答用紙に直接点数書き込まないでね」

と言った。

よく分からなかったが、私はその通りにした。

採点が終わると、管理職は点数のメモを見ながら何やら考え込み、おもむろに回答用紙の目隠しを外した。

目隠しというのは、記名欄を隠しているものである。つまり公平性を保つために、採点者から見てどれが誰の回答かわからないようにしているものだ。

私はビックリした。えっ?それ外して良いの?

顔に出ていたのだろう、管理職は私を一瞥すると「あ〜良いから良いから笑」と手を振った。

そして名前確認して1枚の回答用紙を引き抜き、「これなんだけどさあ」と私の前に置いた。

男の子の回答用紙だった。削られていない、潰れた鉛筆で書いたのか、筆圧が高いのか、凄く太い線をしていた。字は汚い。

記述必要以上にいらないことまで長文で回答しているものの、覚えてくれば答えられるような一問一答はことごとく間違えていた。

そして、試験時間中に紙をゴシゴシと擦ったのか、ところどころ変に黒くなり、破けていた。

「この子、点低いよね?」

管理職が言った。採点ミス?と思ったが、明らかにの子の回答には点が高くなる要素がない。

私が黙っていると、管理職が口を開いた。

「この子、この教科が得意科目らしいんだよね、この子合格になる感じにね…採点基準変えて欲しくて」

耳を疑った。え?何言ってるんだ?と思うと同時に、まずい、この子裏口入学?どうしよう、不正だよな、と思って動悸がした。

しかし、私は自己防衛に走り、適当に返事をして、その通りにした。

の子合格するような採点基準に変えるというのは、ほとんど換骨奪胎だった。

一問一答比重は著しく下がり、記述は余計なことを書いていてもとにかく意欲があればOKみたいな感じになった。

同じ束の中でも、点の下がった子がいた。字のきれいな女の子だった。逆に点が上がったラッキーな子もいた。

平均的にはそのままの子も多かったが、私が最初意図した試験とは違う結果になっていた。

そして全体の採点が終わり、家に帰った。

夕飯を食べながら、入試の日に保護者誘導で見かけた女の子のことを思い出した。

本校が第一志望なのだうその子は、お母さんに抱きしめられ、絶対大丈夫!頑張って!と言われ、お父さんに大きく頷いて、お守りらしきものを握りしめて会場へ向かっていった。

の子の点が下がっていたらどうしようと思った。

それから合格発表、新入生登校日があり、入学式を経て、新年度の始まりまで、誰にも不正のことは言わずそしらぬ顔して過ごした。

そして新年度、授業を受け持つ生徒の名簿を見た。

の子がいた。名前を見て動悸がした。

ヤバい子だったらどうしよう。しかし、新入生登校日にも入学式にも特に変な話は聞いていなかったので、大丈夫だと思い込んだ。

結果、ヤバい子だった。(以下、Aと呼ぶ)

床に寝る、騒ぐ、叫ぶ、殴る、人を突き飛ばしながら走る、窓から物を落とす、トイレおしっこスプラッシュ下半身露出して女子を追いかけ回す、ゴミをぶちまける、他のクラス(なんと、上の学年にもだ)の教室にいきなり入って因縁をつける、考えうる悪行は一週間でほぼ全てこなした。

授業中も凄かったが、私の教科は自称得意科目なのもありまあまあ真面目に聞いていた。

それでも授業中に立ち上がり、他の子の筆箱を取り上げてぶちまけるくらいのことは平気でやった。目眩がした。

危険な道具を使う技術家庭ではほとほと困り果て、家庭科先生は泣いてしまった。

すぐに教員シフトが組まれ、Aくんには常に教員が一人以上つくことになった。私も何度かついた。

前述の通り、素直で真面目な子の多い学校だ。異質な彼の噂は瞬く間に広がった。

面白がる子もいたが、幸い同調する子は少なく、みな教員に協力的で、何か起きると何人もすっ飛んできて教えてくれたが、残念ながらAくんのクラス学級崩壊に近かった。

担任先生は本当につらかったと思う。

担任している子たちには、あのクラスの授業をやってるなんてと哀れまれた。

保護者会で保護者にも哀れまれた。

職員室では教員同士が互いに相憐れみ合っていた。

Aくんの担任は、他の保護者から毎日色々言われていた。

Aくんの親はどんな連絡をしても悪びれなかったようだ。

そりゃそうだ、裏口入学させるような親なんだし。

Aくんの学年内では、教員も生徒も色々な理不尽があったと思う。

物を壊された生徒は多数。

特に男子は、体育で競技にかこつけてよく怪我をさせられた。

職員室でAくんの学年の教員管理職に怒鳴られているのを何度も見た。

教員内で情報共有はなぜかされなかった(生徒指導部ではしていたのかもしれない)が、意外と生徒たちの方が詳しく、生徒づてに色々な事件の話を聞いた。

職員室では、なんであんな子がうちに入ってきたんだという話が頻出するようになった。

裏口入学なんじゃないか?」と言われるたびにどこからともなく出る台詞が、「でも、実際得意教科でガッツリ点とってるんだよなあ」

冷や汗が止まらなかった。

その内、Aくんがクラスでこんなことを言うようになった。

「ここの理事長は俺の手下なんだ、俺に楯突いたらお前ら退学だからな」

男子は真に受けなかったが、意外と女子が真に受けて怯え、教員への不信感をつのらせた。

こんなの、自分裏口入学ですと言ってるようなものである

たぶん、Aくんの保護者(もしかしたら年齢的に祖父母かもしれない)が家でAくんに言ったのだろう。

理事長は俺の手下だから大丈夫だ、みたいなことを。

不正の結果ヤバいことが起きた人なら分かると思うが、こうなるともう本当に怖くて仕方なかった。

バレる夢を何度も見た。げっそりしている担任申し訳なかった。何より生徒にバレたらと思うと恐ろしかった。

俺が殴られたのは、私が追いかけ回されたのは、物を壊されたのは、授業をまともに受けられないのは、先生不正を許したからだと恨まれるのが怖かった。

かに相談たかった。しかし、相談出来る相手がいない。

ここは母校でもなく、地元でもなく、同期に同郷や同大学の先生はおらず、何より忙しすぎて親睦を深める余裕はなかった。

あくまビジネスライクな付き合いだ。

よくしてくれる先輩はいたが、皆裏口入学なんて当たり前だと思っているかもしれない。

先輩たちもみんな通った道なのかもしれない。

今思うと考えすぎなのだが、当時はそんな風に考えていた。

作問担当に決まったとき、「期待されてるんですね」と言われたが、なんのことはない。

よく考えなくても、同期はほとんどが本校の卒業生だ。

どこかにチクるツテの無い私はうってつけだったのだろう。

で、まあこれだけが理由ではないのだが、他にも普通に忙しすぎるとかやっぱり地元に帰りたいとかもあって、しばらくして私は教員をやめた。

先生方とはそれっきりだが、生徒とは今も連絡を取り合っている。

このことを、機会があって母校の恩師に愚痴ったところ、慰められたが微妙言葉を濁された。母校でもありそうな感じだった。

しか学生時代明らかに学力が浮いてる子いたし。


多少は清濁併せ呑んで働くべきだったのかなと思った。

以上である

追記

本文中に発達障害という言葉意図して使いませんでしたが、コメントを見ていると逆に良くなかったと思うので追記します。

まず、裏口入学で悪いのは子どもではなく周囲の大人です。

私はAくんの保護者に会ったことがないので深く触れませんでしたが、裏口入学を依頼する親と受け入れる学校が悪いのは明らかです。

子どもは得てして欲望剥き出しの生き物です、親が提示した裏口入学分別なく飛びついても責められません。

冒頭に貼った記事児童も、Aくんも、親さえまともならどこにでもいるただの「支援必要子ども」に過ぎなく、これ自体善悪はありません。

発達障害には天才も含まれるとのコメントいただきましたが、それは当然として、他の圧倒的多数を占める「平凡な発達障害児」と比べてもAくんの問題は明らかです。

しかにAくんの障害は(おそらく)重度ですが、この場合は「裏口入学をさせるようなクズ親に育てられたこと」と「重度の発達障害を持っていること」が掛け合わさって問題が生まれています

発達障害一口に言っても程度や種類は様々で、それぞれ色々な生きづらさや問題を抱えていると思いますが、Aくんを取り巻く問題はその中でも外れ値です。発達障害全体の話題として捉えられるのは本意ではありません。

また、発達障害の方に、自分もAくんのように周囲を困らせていたのかもしれないと思わせてしまうのも申し訳なく、本意ではありません。

これは私の言葉足らずが悪かったと思います

この話は、あくまでAくん個別問題として読んでいただければ幸いです。

2023-02-11

anond:20230211143057

当方阪大理学部を目指していたので早慶受験したことがないでござる。上理の理系には受かった。そんでもって、何故か今更ながら早慶のことが気になってしまったのてある。仮に私大専願だったら、早稲田政経慶應の法経、最低でも商学部なら二浪以内に受かったのだろうか?得意科目世界史英語

タイトルには「相談」と書いてあるけど、この文章で「相談」とはいったいどの部分なんだ???

理学部を目指してて私大理系学部?に受かったけど、得意科目理系科目じゃなくて世界史英語、そんでもって気になるネームバリュー大学に入れるなら経済学部だの法学部だのでもいいと言ってるように見えるが、何がしたいのか全くわからない。そもそもなんで理学部理系学部?を受けたんだ?

早慶コンプのあるICU卒なんだけど、相談させて!

当方阪大理学部を目指していたので早慶受験したことがないでござる。上理の理系には受かった。そんでもって、何故か今更ながら早慶のことが気になってしまったのてある。仮に私大専願だったら、早稲田政経慶應の法経、最低でも商学部なら二浪以内に受かったのだろうか?得意科目世界史英語

2022-10-06

発達障害先延ばし癖」って、本当に発達障害の特徴なの?


よく、「発達障害には先延ばし癖がある」と言われるけれど、これって本当に正しいのかな?

自分場合子供の頃は先延ばしするのは学校宿題それも夏休みの宿題の中の苦手なやつくらいで、得意科目普通に提出していたと思うし

好きな事には寧ろ率先して早期に取り組む方なんだよね

それが大人になってからは、家を出発するのや履歴書の郵送やメール確認、何もかもがギリギリあるいは定刻オーバーになってしまう。

これって発達障害の症状のせいというよりは単に、大人になって発達障害者の身の上に起こるのが嫌な事ばかりだから、嫌な事だから気が進まなくてそうなっているんじゃないのかって思う。

発達障害先延ばし癖」って、社会のレールを外れて落伍し、嫌な事ばかりが起きるようになった人に対して下される診断が「発達障害」だからたかも、「発達障害によって先延ばしが引き起こされる」ように見えるんじゃない?実際には発達障害先延ばしって直接の関係はないと思うんだ。

2022-07-11

理系私大中退危機にあってもあきらめないで

最近の某事件犯人が、某私大理系学部経済的理由から中退していた、とネット記事で知りました。

私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活修士号取得について書きます

なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人擁護する意図はありません。

私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文歴史化学などの科目がひどい出来でした。

一方で、得意科目物理数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。

結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶関関同立といった私大理系学部合格しました。

入学手続きから高校卒業までの間に、なんと父がリストラに。

それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。

入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。

大学事務室授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャル奨学金に申込みました。

家庭の収入証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。

親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。

無事に奨学金審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料免除されました。

ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。

奨学金審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続採用されました。

この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。

からといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。

大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。

私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年さら修士課程でも奨学生になれるとは限らない。

そこで、より学費の安い国立大学修士課程検討しました。

その中で知ったのが、飛び入学制度です。

大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程入学できるのです。

もちろん入試を受けました。

志望先の研究室学生コンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格

おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。

さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程バイトなしで生活できました。

ときどき研究室先生TAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。

大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。

また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数大手企業内定をもらいました。

さらラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。

結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。

その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています

それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています

結婚もして子供もいて、平凡ですが幸せな日々です。

自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています

あのとき奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります

本当に感謝しています

経済的理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人相談したり、裏技がないか調べてみてください。

学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います

どうか諦めないで。

2022-02-23

anond:20220220223312

大学受験に的を絞るからこそ、そもそも「その学校から関大に行く人数」自体問題じゃないと気付いてほしい。

受験はクジじゃないんだから確率なんて関係ないし、学力にはそれにあった適正な指導が一番大切。つまり、これからの6年間で、「この子もっとも伸びる環境はどこか」という視点で考えることが重要なんだよ。「天才の中に放り込めばわが子も覚醒するのでは…」というのは、親のムシのいい期待であって、普通はそうはならない。それより、劣等感にまみれ、さりとて挽回する力も術もなく6年間を過ごす子供気持ちを考えてみてほしい。その状況で、周囲に追いつこうとあがき続けられる子がどれくらいるだろう? 結局、その子が望み、かつ、普通努力して入れるところが、大体の場合の子の最適環境だ。

ちなみに、自分場合は80人定員の進学校に80位くらいで滑り込んだ。合格最低点から10点くらい低くてそりゃ不合格だよなーと思っていたら3月の終わりに補欠で声がかかったので、普通の年ならあきらかに入学できていなかっただろう。そんな自分は、中学3年間ぶっちゃけ勉強壊滅で成績は80位くらいをキープ。授業中は寝倒すことで有名で、教師にもほぼ見放されてた。

ただ、高校から編入で1クラス入る学校だったので、そこで一時的に80位/80人中→90位くらい/120人中となったおかげで、「あ?意外といけるが?」となり、高校では得意科目もできて成績はその位置キープ。結果、大学受験も一応はなんとかなったが、あの中学時代が6年続いていたらぶっちゃけ大学行けたかどうか全く分からん。まあ俺が根性無しだったと言えばそれはそうかもしれんが、中学時代の80位前後仲間で、そのまま高校でも110番台に沈んでいった連中は、その後大学に行ったという話すら聞かない。同窓会でも噂すら聞かない。

そして自分は、大人になった今も、中学時代のあの無力感劣等感からなかなか抜けだせていない。それはそれで自分人生武器になっている部分はあるけど、それはただそうなっているというだけで、それが人生において必要なことだったとは別に思わないな。

からどうか、子どもには適正な環境を準備してやってくれと思う。身の丈に合わない場所に入って苦労するなんて、よくある話っちゃよくある話だし、人によってはそこで発奮して挽回できるのかもしれないが、誰もがそうとは限らないのだからな。

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