はてなキーワード: 入試とは
って流れがまずあるよね。
元増田の「子どもを産んではじめて女性になった気がした」ってのは「それまで女性である自覚がなかった」ことを表してるよね。
「子供を産んで本当の意味で女性になった気がした」だったらまだ自覚の強度の差の話だけど、「はじめて女性になった気がした」は「それまで女性になった気がしてなかった」って意味だよね。
それまで身体的な変化や入試や就職、その他のありとあらゆる「女性性」を自覚するイベントがあるのにそこでは「女性になった気がしてなかった」って発想であることが推察できるよね、そこから「女性性の自覚が出産だけだと思ってる」ことが読み取れる。
それを読み取れない馬鹿に対して「20中盤以降で出産関係以外の女性性を自覚するライフイベントがあるのか」と聞いたわけ、ないなら「女性性の自覚が出産だけ」であってることになるし、その論点では「20中盤以降」であることが重要なポイントになってるんだよ。
理解できた?
国立大学工学部を2年留年し、修士課程を無事2年で終えて社会に出た20代後半の男。
いや、その頃から兆候はあったかもしれないが自覚することも指摘されることもなかった。普通に友達に囲まれ普通に部活で活躍し普通に大学入試を突破した。先生の指示通り、周りに合わせていれば良かった小中高は人によっては地獄だったかもしれないが俺には天国だった。
俺の問題点は「やるべきことに取り組めない」ということ。
大学を2年留年したのも、研究室の問題児だったのも、職場で問題児なのも全てこれが原因。
やるべきことに取り組めず、時間だけが過ぎ、抱え込んでもうどうしようもなくなって塞ぎ込み、直前も直前の土壇場になってそれを周囲に吐露して、なんとかなったりならなかったりして来た。
学部では講義を履修する教員から散々叱責され或いはバッサリ切り捨てられて来た。小中高では殆ど怒られることのなかった(甘やかされていたのではなく怒られる理由がなかった)親に毎日叱責されながら2年の留年と半引きこもりを経て学部事務所経由で連絡をくれた研究室の教授に迎えられた。その研究室で教授や先輩や年下の同期に引っ張られ怒られながらなんとか学部を卒業し修士課程を2年で終えられたのだ。
職場で問題児でありながらもなんとか食い繋いでいられるのは我が社が巨大企業であり、人財も役割分担もしっかりしているからに他ならない。現在の労働法は俺のような問題児を大手企業がバッサリ捨てることを認めていないのだ。ありがたいような申し訳ないような複雑な気分。
今やらなければならない仕事を抱えていると、それにどうしても手がつけられずライブのスケジュールや好きなファッションブランドのサイトをチェックして時間が過ぎる。
いざ友人とライブに行こうと思えば、どうしてもライブスケジュールがチェックできず仕事の書類を作成したり調べ物をしてしまう。
いざ服を買いに行くとなると店舗に行くのもオンラインショップを見るのも憂鬱で、なんとか店舗まで足を運んでも結局試着が億劫で何も買わずに退店。
仕事納めも近いここ最近大問題を起こした。抱えていた仕事に取り組めず相談もできず放置。その間、受験日まであれほど憂鬱で手がつかず結局人生最低点を更新したTOEICの勉強をノリノリでやっていた。そしてデッドラインの前日、線路に飛び込みたい衝動を必死に堪えながら出社して爆弾をカミングアウト。叱責され泣きながら周りに土下座し、同僚や上司を業務過多に追い込んでなんとか仕事を完了させた。
俺はどうすればよいのか。
社会全体の効用を考えれば仕事を辞めて引きこもることが最善だろうが、やはり親のこと考えてしまうし自分の人生を捨てることができない。
かと言って今のままでは周囲に迷惑をかけ続ける。
メンタルクリニックや病院に行ったとして「あなたは障がい者です」と認定されても、治療によってどうにかならないなら受診する意味はない。障がい者認定されたことを踏まえて仕事を割り振られたり、或いは「そういうあなたに理解のある職場」みたいな所に行って規則やマニュアルに沿った作業をして生きるのは、引きこもったり自殺するのと同じくらい嫌なんだ。
周りの同僚みたいに普通にやるべきことを期限までにやって、休日には週明けに暴露しなきゃいけない爆弾なんか抱えずレジャーの予定を立てて生きたいんだ。
もうどうしようもなくて年を越せる自信がない。
ことわざと四字熟語は娯楽のなかった頃にクレしんの教育マンガを何度も読んで覚えたけど、あれがなかったらロクに知らないような気がする。高校までにあんまりちゃんと教わった覚えがない。中学入試では有名どころがちょろっと出たような気もするし、対策もちょっとはあったような気がしないでもない。
習うというよりは日常生活で覚えていくようなもんなのかもしれない。まあ知ってた所で、的確な場面で繰り出して「お〜まさに、って感じだな〜」みたいな雰囲気になる以外に大した用途もない気がする。日常の大喜利の小道具くらいか。
あと干支は全部言えない。聞き覚えのあるやつをリストアップしていけば12個集まるかもしれない。これは古文とかちゃんとやれば覚えんのかもしれんけど。小学生の頃、寿限無を覚えたの覚えてないのでマウント取るようなノリの中に干支もあって、巳までは周りが諳んじてるのが耳にこびりついた。午以降は語呂悪すぎて覚えてない。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別によって殺されたようなもの。
大学生とか、あるいは氷河期世代のオジオバとか、「こんなに優秀な私が採用されない(されなかった)のはオカシイ!」とSNSで叫んでいる奴多いが、企業の採用活動というのは、才能や能力を見い出す場所ではないのよ。
ぶっちゃけ、採る側から見れば、誰でもいいわけ。入社後、仕事をこなせる人材であれば、A君を採ろうと、B君を採ろうと、どっちでもいい。ほんとどっちでもいい。
もちろん、採用される側から見れば、その会社に受かるかどうかで人生が変わってくるから、大問題なんだけど、会社から見れば、何の問題もない。
なんか企業の採用を、オーディションとか新人賞とかと勘違いしている人がいるんだよね。
芸能オーディションなら、落とした人材が、他社に拾われて、大スターになれば、落とした側の能力が疑われるし、
小説の新人賞なら、落とした作品が他社で出版されて大ベストセラーになったら、これも問題。
進撃の巨人という漫画が、最初持ち込んだ編集部に落とされたことも、ずっと言われているよね。
でも、企業の採用で、問題になるのは、採用した人のパフォーマンスが悪かった時のみ。
逆に、採用で落とした人が、その後、億万長者になろうとも、総理大臣になろうとも、採用が間違っていたということにはならんのよ。
だからこそ、学歴フィルターというものが機能しているわけで、たとえば東京一工早慶という超ハイレベルな学歴フィルターを設定したとして、もちろん、それで阪大でガチ優秀な人は取れないわけだけど、それでも全く問題ないわけ。
東京一工早慶という学歴フィルターで採用した人よりも、落ちた阪大の人のほうが優秀で、他で大活躍することだって、十分にあり得るが、会社としては何の問題もない。
入社した人が、期待したパフォーマンスを出してくれれば、それでいいだけだから。
良くあるMARCHラインでフィルターかけて、採用した法政の人より、不採用になった明治学院の人のほうが、もしかしたら優秀かもしれないけど、それでも何の問題も無い。
何度も言うが、採用が問題になるのは、無能を採った時だけで、優秀な人を取り逃がしたことは、企業の採用活動で何にも問題にならないから。
実は、これ、大学入試も同じで、東大落ちた人が、総理大臣になろうと、ノーベル賞取ろうと、東大入試が間違っていたということにはならない。
大学受験の一般入試適性が極端に低いタイプの子(数1でいきなり詰むとか、英単語覚えようとしても単語帳内の位置しか覚えられないとか)って、
その部活がある高校が国内で300校あるかないかの「ややマイナー」競技を自分はやっていたが、やはり全国大会出場の倍率は野球やサッカーやバスケと比較して異様に低かった。
競技様式によっては、対戦相手がおらず試合を組めないので連盟による認定で全国大会出場が決まる、なんて現象はよくあった。
そして、高校入学まで競技未経験の選手がむしろマジョリティだった。
難関大学のスポーツ推薦合格者を見るに、マイナー競技に関しては、そもそも大学進学率が半分以下で地元国公立大にすら数名しか合格者を出せていない学力水準の高校から、競技実績を買われてるガンガン合格している事例がやたらと多い。
実際のところどうなんだろ?
スポーツ推薦は通常、高校三年生の春くらいまでの実績を見てスカウティングが完了するという。
よく海外だと博士号は評価されるのに日本では云々と文句を垂れてる人を見かけます。そもそもなぜ海外で博士が特別扱いされるのか。それはバカが多すぎるからですね。例えばアメリカ。修士卒のクオリティが低すぎますね。基本的にコースワークさえやれば修士取れちゃうような簡単なプログラムばかりです。バカでも入れて卒業できます。学士なんて冗談みたいなものです。日本だと高校で終わるような内容をちんたら時間をかけて分量だけこなしてやったつもりになってるアホどもだらけです。そんなアホが大量にいるのが学士であり修士なのです。そもそもレベルが低いので博士の優秀さが際立つ仕組みになっているのです。それに加えて日本はどうでしょう。日本は博士に入るのが簡単すぎます。バカでも博士に入れるため博士であるから優秀であるという相関が薄い状態になっています。さらに学士修士でも良い大学を出た人達は基本的に優秀です。メリットベースの入試を行っているからです。アメリカなどはメリットを見ないのでバカでも超名門に潜り込むことが多々あります。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
進学については、入試で満点取れば内申が死んでいてもだいたいのところには入れるので、入試で満点目指せば関係なさそう
ただ、子の将来の『上司受け』とか『どんなタイプに好かれ嫌われる』かはこの時点で判定つくと思う
ワイは当時めっちゃ教師の顰蹙をかっていたが、それと同時にワイのこと異常に可愛がってくれてあからさまにエコ贔屓してくる教師もおったのよな
社会人になってからもそうだったよ。なんだこれ前世で命でも救った?レベルで可愛がってくれる上司がおった
上司受け悪そうな子は、大手内資企業や外資やベンチャーでリーマンやるぞい!しても、学者になるぞい!しても、たぶんどこでも上司受け悪いと思います
お互い様で社会は成り立っているんだよ、人生の先輩にはすべて敬意を示そうを教えることは、非常に意義のあることですけど(親戚付き合いのある地方だと自然に学べるかも)
それが上司受け悪そうの抜本的な解決に繋がるかといえば、またそれは別の話だと思います(でも老人が困ってたら助けてあげる人に育つのは意味がある)
たぶんこの子はレールに乗れそうもないな・・・前提で、習得に時間がかかる技能や、ストレス回避方法を叩き込んであげると、親の格はめっちゃ上がりそう
「元町議の女性がレイプ被害は虚偽申告であったことを表明するに至った現在では」というのは、どの動詞にかかっているのかを考えた。
どの動詞にかかっていると読んでも意味するところはおかしいので、断定しづらい。
①行き過ぎた表現であり
②傷つける表現であった
③当団体として率直に認め
⑤お詫び申し上げます
①だとすると、行き過ぎた表現かは告発が嘘だったかによって変わる、ということになる。これに同意するとは考えにくいし、俺もそれが正しいとは思わない。文の構造だけで言えば、一番まっとうな解釈なのだが。なお、元増田はこの解釈なのだと思う。
②は、①と②が並列なのにより近い①ではなく②だけにかかるというのが、日本語としておかしすぎる。
③だとすると、意味するところは「もともと行き過ぎた表現だったけど、本人が嘘だとげろってしまったから我々も認めます」となる。こんなものが謝罪とは言えない気はするが、私たちの言いたいことはこれですと居直られたら、やっぱりお前らはそういうやつらだよなという納得感がある。
④だとすると、③よりさらにひどく「もともとと行き過ぎた表現だったと認めていたけど、本人が嘘だとげろってしまったから我々は連帯の意思を撤回します」ということになるが、もともと認めていたわけではないようなので、事実に反する。
⑤も、同様。
【悲報】ゲームクリエイタ「底辺低学歴がゲーム好きってのはマジ。Z指定ゲーム制作時ですら『小学校でもわかる内容にしろ』って言われた [257926174]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1701209973/
1 安倍晋三🏺 ◆C3g6ph46co (スププ Sd7f-SQTu) 2023/11/29(水) 07:19:33.96 ID:rc0wicaDd BE:257926174-2BP(1500)
2023-11-29
■ゲームクリエイタだったけど、「低学歴や底辺はゲーム好き」って話について「確かにそうだな」って思う節が結構あるわ 編集
「底辺や低学歴はゲームが好き」ってエントリを見て確かになあって思った
ゲームクリエイター、厳密に言えば、ゲームシナリオライターだったけど、
その時によく言われたことは小学生高学年にも理解できるストーリーや表現を使えだった
Z指定のオトナゲーム。いわゆる18禁のゲームを作ってる時なんだは
子供はできないゲームを作ってるんだから、それなりに難しい表現にしないと
プレイヤーも子供騙しでつまらない、満足しないだろうなあって思って作ったら、
(市井っていう大学入試でよく出る漢字がNG食らったの覚えてる)
しょうもない子供騙しどころか、つまんないストーリーのもん作ってるなあって思ったわ
あと、キャラクターを作る時に漫画的な単純なキャラを作ってたことを思い出した
例えば、「このキャラは金持ちだから性格が悪い」とか「このキャラはエリートだから腹黒」とか
現実社会みたいな金持ちだけでエリートで性格がいいとか表現はマジでできなかったわ…
底辺や低学歴がゲーム好きってことから、金持ちだけど性格がいいとかキャラは反発するのかなあって今更ながら思った
あと、製作者側で言えば、当時はそれなり大きいゲームメイカーで働いてたんだが、
だいたい入社して2-3年目くらいまでは、お昼休みとかに休憩所でスマホゲームとかVitaとかやってるのを見かけたけど
それ以降はみんなゲームを辞めていく感じだったわ
学生時代と違って金があるので他の趣味をやるようになるようだった)
ゲームはたまに遊んだら派手で面白いけど、時間が余ったり、他の趣味に飽きたらする趣味、
まあ、俺も入ったばかりの頃はゲームやってたけど、作ってて他の作品とかを分析しながら
追伸:そう言えば、昨日の増田で高学歴がゲーム好きって言ったら、貧困対策に困るか何かって書いてたけど
「高学歴がゲーム好き」、「低学歴はゲームしない」って意見が多くなれば多くなるほど、
現実の「低学歴はゲームが好き」って事象を主張するのが難しくなるので、
「貧困は自己責任」って意見が社会で主流だったら、「貧困は社会の責任」だって意見を主張しにくくなるようなもん