「個人主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 個人主義とは

2023-09-28

anond:20230928060817

から同性婚や別姓にしてもそうだけど

個人主義立脚するならば、そもそも役所書類提出して私たち結婚しますけどよろしいですかってお伺い立てる意味がなくなるのよ

そんなことはどうでもよくて制度についてくる利権漁りをやってるに過ぎない

2023-09-17

anond:20230917123409

今の親世代はこれだよな

そしてそれを見てる子供達が親世代問題意識当事者意識皆無、誰かがなんとかしてくれるを根拠とした個人主義で生きる馬鹿集合体と気づいたのちどこへ向かうのかが今後よ

2023-09-09

長く使われるって凄い

羊皮紙に関しての某ゆっくり解説動画を観ていたところ、植物性の紙が容易に生産出来る技術確立された事で羊皮紙のメイン記録媒体としての立場は取って代わられてしまったが

イギリスでは2016年まで『法律羊皮紙印刷し保管すること』と言う法律存在していた事から分かる様に、長い歴史の中で培われたその権威は早々に失われなかった。との話が有った。

また、アメリカワシントンリー大学なる大学では卒業証書は紙か羊皮紙選択でき、価格10倍近く違うのに卒業生の3割は羊皮紙を選ぶそうな。

勿論羊皮紙古来より比較的高級品で宗教と密接な関係が有ったりや、植物性の紙よりもかなり長く保存出来るため紙に勝る部分も有ると言う面も有ったりで、権威は生じ易かったのであろうが

それにしても、たか記録媒体でも長い歴史の中で使われたなら権威が生じるのは面白い

現代技術革新の速度が目まぐるしく、ある技術製品が新技術や新製品に取って代わられるまでの期間も相当に短いと思われる。

こんな世の中ではある世代の中で愛着を持って貰える事は有っても、権威まで生まれ難いだろう。

MDも生まれ時代が違えば権威を持てたのかもしれない。

それにしても千差万別価値観を持つ人々の間において、権威と言うのは集団意識確立にも一役買うのだと思うが

その権威が生まれ難いと言うのは何かと個人主義が目立つ昨今において、集団意識と言うか同族意識的なものを更に薄れさせていくのだろうか。

でもまぁそんなもん今更で、ずっと前からそんな流れなのか。

2023-09-08

少子化対策結論的には子作りの努力目標化と独身税しかないと思う

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-09-06

anond:20230906084300

そりゃこの個人主義の世で家も国も地域自分の死んだ後どうなろうが知ったこっちゃないからな

都合のいい時だけ民族主義団体みたいなこと言うのはやめるべき

2023-09-02

善悪好き嫌い区別が出来てない!って言う人がいるけど、どっちも快不快問題じゃないのって思う。

人を殺しちゃだめ。

なんで?

デカい目で見てみんな幸せになるから

で?

から人を殺しちゃいけない。

で?それは理屈になってないよね。そうなるには大前提として幸せにならなければならないだとか個人主義だとかいった考えを必要とするけど、それは自明道理じゃない。なら人を殺しちゃいけないという所にも一元的には繋がらない。

まあでも大抵の人は幸せになりたいだろうから、多くの人が共感するかもしれない。実際人権思想というものがあるくらいだし。でもそれは理屈じゃなく快不快問題であって、それに共感するかどうかの多数決ですよね。

人間という言葉で括れてしまうくらいだし、9割9分くらいは同じ構造の生き物なんだろうと思う。だから大多数が共感出来る事だってあるんじゃないかと思う。

まあ合意とか言うけれど実際は産まれた瞬間に「この国ではこういう考えがあるのですが、同意頂けますか?」「なるほど、納得しました」なんて言って誓約書サインする訳ではないし、人権は大切ですと教育を受けている訳だし。プリミティブな感じ方だけで決まっているかと言ったらそんな事もなくて、積み上げられてきた世の中の構造とかも多分に関わっているのだろうけど。

一方で全員が全員同じものを食べて同じものを着て同じ生き方をしている訳じゃなくて、その差異個性と呼ばれて尊重されるものだと思うし、それが故にぱっくり考えが割れる事だってあると思う。

好き放題殺し合える世の中が良いという人はあまりいないかもしれないけれど、資産が再分配される世の中が良いかどうかは考えが割れる。実際割れてると思う。

善悪というのはその大部分の共感個人の差違の境界を見定める事なんではないかと思う。

いくら理屈を並べて正当性を主張した所で、少なくとも一個人レベルでは「人を無差別に殺したいです」と言ったらけんもほろろに突っぱねられるのがオチだろうと思う。

社会の取り決めは善意共感頼りではいけない。理屈だったルールこそが必要だ。

なんていう事を言う人もいるけれど、その理屈だったルールを定めるのに共感抜きでは一生話が進まないと思う。規範というのは、リンゴは上から下へと落ちるみたいな個人感性を挟む余地のない自然法則の話とは違うから

別にそれでええやんと思うのだけど、頑なに「いや道徳善悪とは論理的理性的もので〜」って言う人がいるか不思議に思う。

自分の快不快と世の中の多数決混同していて、「自分がこう思うのだから世間一般もそう考えているに違いない」みたいな事を言う人を指してそういう区別がついてないと言うのならまあ分かるのだけど。

2023-08-30

上位大学若者恋愛離れなんてしていない

これは良い記事

少子化話題になるとすぐに意識価値観の変化に矮小化して経済問題ではない事にしたがる人が沸くけれど、

この記事を見れば分かるように「子育てコスパが悪い」も「若者恋愛離れ」も上位大学学生の間では起きてないんだよ

ガチャ当たりの上級国民にとっては結婚子供も当たり前に経験する事であってそれらへの尻込み意識なんてない。

若者希望を持てず恋愛結婚出産から離れているのは階級による現象だってこと。


https://news.yahoo.co.jp/articles/e8dd6ebe824bc0984ceff04d12d5c429cb88678a

子どもは「贅沢品」になったのか。上位大学と中堅以下の大学学生たちに見えた「意識の差」』

おおむねの傾向として、上位大学学生子どもお金がかかることを気にしてはいものの、中堅以下の大学学生ほどは不安を感じていない。ニュースなどで現状はきちんと把握しつつ、その上で「自分は困窮者に該当しない」というスタンスを取っている。

 「子どもお金がかかることは承知しているが、その分稼げばいいだけのこと。就職総合商社コンサル狙い」(22歳男性・欲しい)

 そもそも語り口のトーンが違う。上位大学学生は、口では「いやー、お金かかりますよねー」などと口にはしつつ、どこか余裕がある。自助努力でどうにかなると思っている。お金心配はないかと問うても、多くが「自分が稼げばいい」と口にする。あるいは、冷静に対案を出す。

 「私立を避けるなど、選択肢によって比較お金がかからない方法があるので、適切に選択すればそれほど苦労しないのでは」(21歳女性・欲しい)

 一方、中堅以下の大学学生は、総じて経済的不安の深刻度が高い。卒業後の収入に自信がない。自己肯定感の低さに連動して子ども願望が低め、もしくは希望人数が控えめ、という印象だ。

 中堅以下の大学学生散見されるのが、染み付いた「負け組意識だ。「自分高収入を見込めない→だから子どもを持てない」ことを穏やかに受け入れている。「勝ち組」に対してルサンチマンを煮えたぎらせるわけでも、政府の諸政策に強く異議を唱えるわけでもない。グループインタビューの場にはソフトな諦念のようなものが漂っていた。

 上位大学グループインタビューに、そのような空気はない。稼げる仕事についてガンガン働き、複数人の子どもが欲しいと屈託なく言う。子どもが欲しくない学生であっても、経済的不安理由第一とするケースは非常に少なかった。獲得したいライフスタイルに「子持ち」はそぐわないから……といった理由が主だ。


上位大学と中堅以下の大学学生たちの意識の違いは想像以上に露骨だったが、彼らの話を聞いていて思い出したことがある。かつて、特に1980年代から90年代にかけての日本社会には、経済的にも外見的にも「上位」に位置する若年男性一定数が、個人主義的・享楽主義的なライフスタイルを貫くため「独身貴族」を決め込む風潮があった。なんなら「独身貴族」は「勝ち組ライフスタイルの一バリエーションですらあった。

 が、今回話を聞いた上位大学男子学生たちから、そのような兆候はまったく見えない。むしろ勝ち組男子ほど子どもを作りたがる。「子どもは金がかかる=子どもは贅沢品」である現在日本社会においては、当然と言えば当然の帰結であろう。

 日本社会は今後より一層、「勝ち組ほど多産」化傾向が進行し、「貧乏子沢山」が消滅していくのかもしれない。

2023-08-28

anond:20230828101803

君の言う利己主義は、個人主義ではないんだな?

利己主義となった瞬間に個人主義ではなくなるんだな?

anond:20230828101608

キモオタ定義みたいに、問題となる成分を利己主義に閉じ込めて

個人主義少子化に影響を与えているのは、もっと崇高なナニカなのだってか

アホくさい

anond:20230828100613

綺麗な個人主義問題ないんだとか

共産党の人が好きそうな主張ですね

anond:20230828100640

いや「個人主義」だろ

個人権利自由を、最大限に尊重しているんだから

自分勝手が身に余ったソレは個人主義じゃないんだー

とかの都合の良い切断処理は格好悪い

anond:20230828100151

横だけど、それやっぱレス増田の言う通り、アンチ共同体主義だよ。

 

個人主義」って言い方するともっとこう、己は己自信が助けるのだ、己は己が訓練するのだ、自分無能だったら自分が死んでも仕方ない、みたいな視点も入ってくる。

少なくとも辞書的にな定義ではそう。

 

リベラリズム批判文脈じゃ、確かにアンチ共同体主義のことを「個人主義」と呼んでる文研もあるだろうけども。

anond:20230828094409

いや「個人主義」だよ

家の墓とかどんどんと放棄されてるし

「家を継ぐ」みたいな価値観否定されてる

隣近所と話もしないし、当然に困っている事を助けようともしない

町内会とか青年会とかやる気がないし

消防団PTAは搾取だと思われてる

災害になったら消防団フリーライドして

それを維持してきた人々のことなんか思いもせずに

自分は何も参加してないのに当然の権利とばかりに不平を言って


アンチ社会でもないぜ

自分子供が出来ると

社会が」助けろと言う

自分たちは他人を受け入れようとしないくせに

自分達が受け入れられないと憤って見せる

子育て理解が無いと嘆いて見せる

anond:20230828093017

個人主義少子化の根源理由なのに、

そこに目を瞑って支援金だとか色々小細工をしても底の抜けた桶に水を入れるようなもの

anond:20230826190254

から男も普通に結婚忌避しているだろ

男は渇望しているが、女が忌避たか結婚できないのだー

少子化は女を冷遇たからだ

さぁ、女を優遇せよ

妄想してみた所で

男はもう、負債を養う甲斐性やら男らしさから解放されだしてる

今後はどんどんと外れくじが増えていく

女に臓器としての価値がなくなるほど

男を性役割から解放するほど

女が望む社会は遠ざかる自己矛盾

しかし女は気付けない

女に臓器としての価値が無くなると

生理やらなんやらを持つ分、労働力としての価値が下がる


少子化を解消したかったら

一番いいのは「個人主義」だとか幻想人民から奪う事だ

男も女もその性役割社会還元させる事を優先する

子供が増えてるのはそういう社会

2023-08-27

anond:20230827200233

発狂ネットフェミ日本に住んでない人なんじゃないですかね。6割が高学歴海外在住じゃないかと思いますね。日本人が九州昭和ビデオを見てるとき感覚が、海外高学歴組が今の日本を見る感覚に近いです

そもそも個人主義民主主義世界に住んでる人たちなので発狂という文化にないと思います


デモストライキをうるさくて迷惑だと考える、主張(クレーム)を迷惑行為と翻訳する、日本人らしい全体主義カルト思想では、ただネットで主張するだけですら発狂なのかもしれませんが…

2023-08-23

極端から極端にしか走れない人類絶望した

もう歴史証明してるやん。

「やり過ぎは毒だ」って。

 

「大は小を兼ねる」 「材大なれば用を為し難し」

これどっちも真実でしょ?

極端すぎるもの適用範囲を超えるけど、範囲内なら兼ねることができる。

まり丁度いい範囲が最も優れてるってことだろ。

風呂温度にしても10度だと冷えすぎだけど、熱くしようとして100度だったら茹でガエルだろ。

ちょうどいい40度前後個人差でも選べることができるベストだろうが。

結局世の中の真理はいつも中庸にあってブッダ2000年上前結論出した答えにいつまでもたどり着けないのが人類絶望した。

無味な人生を送れって言ってるんじゃなくて丁度いいお風呂温度を探求すれば?って話。

別にたまには熱い風呂に入るのも刺激があっていいよ。

でも「熱い風呂健康に悪い!これからは水風呂だ!」もどうなんだよ。そのあと、どうせ「これからは熱い風呂だ!」の揺れ戻しだろ。

極端と極端は完全な中庸を探索するためのツールとして使われるものであるべきなのに、完全に流行を作り出すためのツールに成り下がってる。

人間の一生がたかだか80年程度でクソ雑魚のせいなのもあるけど、歴史からみて人類は同じことの繰り返しが多すぎだろ。

少しずつ前進してるにしてもいい加減、無意味な極端から極端といムーブメント卒業してほしいんだわ。

個人社会か?の話にしたってどっちか偏ったら結局全体の幸福度は下がるに決まってんだろ。

インフラ崩壊したら個人自由が保たれても幸せなのか?財産持つことが許されないけど子供が沢山いりゃ幸せなのか?

違うだろーが。両方だろ目指すべきは。

そのために限られた時間金労力人をどう最高の配分するかが悩みどころなんじゃねーか。

なんでお前ら大半の思想家政治家や凡人どもは極端なゴールしか設定できねーんだよ。

1日8時間+αで週5働いて、土日は友達遊んだ夫婦子供たちとサザエさん観ながらチャンコ鍋をつつく。

その程度が結局人間の追いかけられる幸せ限界だろうが。

大半の凡人で才能のなく努力もできず環境も味方してくれないのが人間だろ。

大金持ちになりたいとかスターになりたいとか好きなことして生きていくなんて、9割の人間が無理なんだよ。

今の個人主義に偏りすぎた西洋社会では多くの人間が不幸になるし、

かといって東側のように個人自由がなさすぎても文化的につまらない社会しか作れない。

結局のところ西側は拡大しすぎた個人主義にどこにボーダーを設けるのか、開きすぎた格差をどう解消するのかがゴールであって、

それを語らない思想家政治家も全部まがい物にすぎない。一部の弱者だけを救済したところで解決にならない。

ポリコレハラスメント問題にしても何でも極端から極端に走ろうとすんのはやめてほしい。

どうせそのあと30年や50年もすればまた元のファッションに戻っていくんだから。実につまらないよ。ダサい。なんの進化もない。

日本もどうせ人口ピラミッドが解消されはじめた前後でまた家長制度復権に近いようなことが必ず起きる。

どれだけ否定したところで社会が揺れ戻しを起こすことで回復を狙うから「あり得ない」とか言っても現実として起きる。

あり得なくても隕石地球に落ちてくるし、人間がどれだけ嘘を信じようとしたところで現実に発生するんだからどうしようもない。

極端から極端に映る過程もロスだし、毎回同じことを繰り返して大して進歩してない反省を得るのも本当につまらない。

大多数のバカのために聖書が作られておとぎ話が作られたはずなのに改変やら差別やら生み出してまた極端から極端の世界にいく。

本当に人生無駄どころか人類史の無駄

極端から極端に走るな、完全な中庸を目指せ。

2023-08-16

anond:20230815094718

まあアリストテレスあたりが男と女あわせて一人前っていってたからなぁ

人間の「自立」「個人主義」には限界があるんや

情緒や手を抜くことや社会にあらがうことや(体の弱さを補うための)健康知識を女が収集しておく

金と地位収集したがる男はいざとなったらママーと叫んで助けてもらう(妻のこともママと呼ぶ男が多い)

この役割分担でようやく生きていける生き物なんだろ

まあハチだのアリにくらべたらだいぶ自立できてるほうだけど

出産育児まで手が回ってないんだよな

2023-08-15

anond:20230814203914

結局高みの見物でお手軽に属性くくって他人非難したいだけだったはずが、自分属性に巻き込まれるようになるとひとまず非難の矛先から脱却しようという感じになり、最終的には皆やってれば(=多くの属性がやっていれば)全員が非難対象から大丈夫だろみたいな思考に変化していったんだろうな

日本はこんな感じだけど海外(特にアメリカ)はっと個人主義が進んでいて属性で殴るのを禁止してるからこそこういう問題は起きないけど、代わりに個人が(日本ではない)とんでもないレベルやらかしを度々起こしてるように思うし、宗教とか道徳観の性質の違いだと思うわ

2023-08-12

途上国の下の方の労働階級出身者とか、人間関係がやたら濃い地域自然に向き合う仕事(第一産業)してないと、

30歳までぶっちゃけ子どもだよな。マジで高校生と正直なんも変わらん

大昔の20歳が、現代先進国の30歳くらい

 

からさまに子ども子どもしているのに、大人扱いしたいのは、正直、大人の都合だよな

若い子とセックスしたいとか、イキってクソみたいなことをしでかしたバカ責任を負わせたいとか、

まぁそんなところよね

 

今どきの先進国若者子ども子どもしているのは、豊かになって、個人主義を貫けるようになったからよな

逆に言うと、個人主義を貫けない環境にいる人は、先進国でも実年齢よりも見た目も雰囲気も老けとるよな

2023-08-11

anond:20230811172738

宗教ウソだし死後の世界もないし、ナショナリズムなんか今時流行らない

家も郷土もどうでもいいし、そもそも嫁も子供もいない

そういう時に「未来のために我慢しよう」なんて理屈、実はなーんにもないんだよなあ

その辺全部否定しておいて「地球市民」みたいなフワフワ概念だけは残しましょうとか、そんな都合よく行くかよ

少子化含め個人主義当然の帰結でしょ、としか思えない

2023-07-15

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である

この作品宮崎駿自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面バックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマ一貫性を保っている。

彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアしかからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品オマージュという形で追想しているのだ。

そしてここから重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。

戦闘機の風防を量産する軍需工場経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦左翼に傾倒して東映アニメーション高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。

これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。

だがそれは一部のマニアけが知るものとなり、実際に「大人である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品ストーリーアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである

それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。

いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。

そうして作った過去作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。

まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なもの攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカル表現である

そして現代日本人代表するように庵野のような表現個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。

こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界スタジオジブリのものである自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ

作家経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。

この作品を単なる消費物としてみたとき評価駄作であろう。

だが、この作品は紛れもなく宮崎駿自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかである

追記

残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeレビューをするだろう。

2023-07-02

水星魔女を見て老害だと自覚した

勢いで書いた。

最初は「水星魔女に対する少し辛口感想」みたいなタイトルにしようかと思ったが、少し書き上げて他の人の匿名を見てから、「これは水星魔女ダメというより、俺たちが老害なんじゃないか」と思ったので、こちらの内容で投稿する。

水星魔女最終話ネタバレが入るので、見たいけど見れてない人は見た後に来てね)

https://anond.hatelabo.jp/20230702215132

https://anond.hatelabo.jp/20230702192323

まず水星魔女面白かった。ストーリーは完遂したが、どんどんつまらなくなっていった鉄血や、新しい単語が多過ぎてストーリーについていくのがやっとだったGレコと比べればとっつきやすい。というかこのレビューを書いて、やっぱり水星魔女ってスゲェなと思った。

では、水星魔女が「ガンダム」として面白かったか…というとそうは思えなかった。勿論面白くなかったガンダムは他にもある。例えばガンダムAGEの時は、やりたいことに対してストーリーを畳みきれなかったように見えたし、客層もあやふやだったと思う。

一方でAGE水星には違うストーリーの粗さを感じている。ガンダムAGEの時はストーリーに粗が目立つのは、「目指した事が大きすぎて話数や丁寧さが足らなかった」のだと思ったのだが、今回の水星魔女は「ストーリーを畳むことをほとんど放棄して話題性を選んだ」ように思えている。

ストーリー完璧にたためるとは思ってない。ツッコミどころのない作品なんて無い。24話もある作品ストーリーに対して疑問として湧き上がるのは当然である

まぁ、色々ある。

それに作中提示された問題が全てが解決されるとも思ってない。今までのガンダム勧善懲悪じゃないし、作中でアーシアンスペーシアンが和解してハッピーになるストーリーになることを期待してたわけでもない。ユニコーンのように、パーメットの力で死者が喋り出すのは、ニュータイプみたいなもんなんだよと言われれば理解は出来る。

でもそこに突っ込むことより、自分もっと気になるのは、そこのストーリー的に後ろめたいものを隠してまで、本作が押し出してきたのが怒涛の展開といえるような驚きの連続や(それは大体回収されずに置いてけぼりにされる)、キャラクター性や、狙ったようなキャラクターカップリングや、感動してくださいと言わんばかりの死者達の赦し、みたいな内容だった事に困惑している自分自身である

かにアニメとしてはハッピーエンドの方が正しい気もする。これで鉄血のような終わり方やパーメットから放たれる謎の光に飲み込まれて、行方不明になったとしても批判が出たと思う。

でも宇宙世紀として提示されるガンダムは、ロボットオタクモビルスーツプラモを売らなくてはならないという商業的な面があるにしろ、否応なしに命を奪われる厳しい世界で成長をしていくむさ苦しい戦争戦記や暴力や抑圧に対する命懸けの抵抗を示した作品だった気がするのだ。

本作の内容ならば、最初からGガンダムのようなガンダムファイト(決闘)に終始するか、ビルドファイターズのようなホビーガンダムであると主張してくれた方が嬉しかった。

勿論、これを肯定的に捉えることは出来る。ガンダムストーリー性というもの戦争作品としてのメッセージ性ではなく、ストーリー展開の話題性カップリング表現されるというのは、商業的な面での成熟なんだろう。間違いなく近年のガンダムでは話題をかっさら作品だったはずで、今後しばらくのガンダムは安泰だろうし、ロボットオタク以外もプラモを買ってくれるはずだ。

色々書いたが、間違いなく鉄血やGレコなんかより水星魔女の方がウケる作品であると分かっている。そもそもGガンダム宇宙世紀だし、初めて見た日は「これは本当にガンダムなのか?」と思ったはずなのだ。だから水星魔女困惑をしているのは、多分俺が歳を重ねてガンダムという作品に対して期待値を調整できなくなったかなのだ。(鉄血が可愛いのは、出来の悪い子ほど可愛いと思う気持ちなのだ。そして内心パーメットの光に飲み込まれ主人公が消えれば良かったのではないかとも思っている)

ガンダムキャラクターなんて個人主義じゃないか…そう考えてみれば水星魔女個人主義まりない内容をやっていて、非常にガンダムらしいじゃないか

そう己に言い聞かせてみるが寂しさを感じる。

あ〜あ、俺も老害なっちまったのかな。

というわけで皆も今から水星魔女見てね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん