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はてなキーワード: 個人主義とは

2023-08-12

途上国の下の方の労働階級出身者とか、人間関係がやたら濃い地域自然に向き合う仕事(第一産業)してないと、

30歳までぶっちゃけ子どもだよな。マジで高校生と正直なんも変わらん

大昔の20歳が、現代先進国の30歳くらい

 

からさまに子ども子どもしているのに、大人扱いしたいのは、正直、大人の都合だよな

若い子とセックスしたいとか、イキってクソみたいなことをしでかしたバカ責任を負わせたいとか、

まぁそんなところよね

 

今どきの先進国若者子ども子どもしているのは、豊かになって、個人主義を貫けるようになったからよな

逆に言うと、個人主義を貫けない環境にいる人は、先進国でも実年齢よりも見た目も雰囲気も老けとるよな

2023-08-11

anond:20230811172738

宗教ウソだし死後の世界もないし、ナショナリズムなんか今時流行らない

家も郷土もどうでもいいし、そもそも嫁も子供もいない

そういう時に「未来のために我慢しよう」なんて理屈、実はなーんにもないんだよなあ

その辺全部否定しておいて「地球市民」みたいなフワフワ概念だけは残しましょうとか、そんな都合よく行くかよ

少子化含め個人主義当然の帰結でしょ、としか思えない

2023-07-15

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である

この作品宮崎駿自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面バックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマ一貫性を保っている。

彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアしかからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品オマージュという形で追想しているのだ。

そしてここから重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。

戦闘機の風防を量産する軍需工場経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦左翼に傾倒して東映アニメーション高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。

これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。

だがそれは一部のマニアけが知るものとなり、実際に「大人である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品ストーリーアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである

それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。

いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。

そうして作った過去作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。

まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なもの攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカル表現である

そして現代日本人代表するように庵野のような表現個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。

こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界スタジオジブリのものである自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ

作家経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。

この作品を単なる消費物としてみたとき評価駄作であろう。

だが、この作品は紛れもなく宮崎駿自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかである

追記

残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeレビューをするだろう。

2023-07-02

水星魔女を見て老害だと自覚した

勢いで書いた。

最初は「水星魔女に対する少し辛口感想」みたいなタイトルにしようかと思ったが、少し書き上げて他の人の匿名を見てから、「これは水星魔女ダメというより、俺たちが老害なんじゃないか」と思ったので、こちらの内容で投稿する。

水星魔女最終話ネタバレが入るので、見たいけど見れてない人は見た後に来てね)

https://anond.hatelabo.jp/20230702215132

https://anond.hatelabo.jp/20230702192323

まず水星魔女面白かった。ストーリーは完遂したが、どんどんつまらなくなっていった鉄血や、新しい単語が多過ぎてストーリーについていくのがやっとだったGレコと比べればとっつきやすい。というかこのレビューを書いて、やっぱり水星魔女ってスゲェなと思った。

では、水星魔女が「ガンダム」として面白かったか…というとそうは思えなかった。勿論面白くなかったガンダムは他にもある。例えばガンダムAGEの時は、やりたいことに対してストーリーを畳みきれなかったように見えたし、客層もあやふやだったと思う。

一方でAGE水星には違うストーリーの粗さを感じている。ガンダムAGEの時はストーリーに粗が目立つのは、「目指した事が大きすぎて話数や丁寧さが足らなかった」のだと思ったのだが、今回の水星魔女は「ストーリーを畳むことをほとんど放棄して話題性を選んだ」ように思えている。

ストーリー完璧にたためるとは思ってない。ツッコミどころのない作品なんて無い。24話もある作品ストーリーに対して疑問として湧き上がるのは当然である

まぁ、色々ある。

それに作中提示された問題が全てが解決されるとも思ってない。今までのガンダム勧善懲悪じゃないし、作中でアーシアンスペーシアンが和解してハッピーになるストーリーになることを期待してたわけでもない。ユニコーンのように、パーメットの力で死者が喋り出すのは、ニュータイプみたいなもんなんだよと言われれば理解は出来る。

でもそこに突っ込むことより、自分もっと気になるのは、そこのストーリー的に後ろめたいものを隠してまで、本作が押し出してきたのが怒涛の展開といえるような驚きの連続や(それは大体回収されずに置いてけぼりにされる)、キャラクター性や、狙ったようなキャラクターカップリングや、感動してくださいと言わんばかりの死者達の赦し、みたいな内容だった事に困惑している自分自身である

かにアニメとしてはハッピーエンドの方が正しい気もする。これで鉄血のような終わり方やパーメットから放たれる謎の光に飲み込まれて、行方不明になったとしても批判が出たと思う。

でも宇宙世紀として提示されるガンダムは、ロボットオタクモビルスーツプラモを売らなくてはならないという商業的な面があるにしろ、否応なしに命を奪われる厳しい世界で成長をしていくむさ苦しい戦争戦記や暴力や抑圧に対する命懸けの抵抗を示した作品だった気がするのだ。

本作の内容ならば、最初からGガンダムのようなガンダムファイト(決闘)に終始するか、ビルドファイターズのようなホビーガンダムであると主張してくれた方が嬉しかった。

勿論、これを肯定的に捉えることは出来る。ガンダムストーリー性というもの戦争作品としてのメッセージ性ではなく、ストーリー展開の話題性カップリング表現されるというのは、商業的な面での成熟なんだろう。間違いなく近年のガンダムでは話題をかっさら作品だったはずで、今後しばらくのガンダムは安泰だろうし、ロボットオタク以外もプラモを買ってくれるはずだ。

色々書いたが、間違いなく鉄血やGレコなんかより水星魔女の方がウケる作品であると分かっている。そもそもGガンダム宇宙世紀だし、初めて見た日は「これは本当にガンダムなのか?」と思ったはずなのだ。だから水星魔女困惑をしているのは、多分俺が歳を重ねてガンダムという作品に対して期待値を調整できなくなったかなのだ。(鉄血が可愛いのは、出来の悪い子ほど可愛いと思う気持ちなのだ。そして内心パーメットの光に飲み込まれ主人公が消えれば良かったのではないかとも思っている)

ガンダムキャラクターなんて個人主義じゃないか…そう考えてみれば水星魔女個人主義まりない内容をやっていて、非常にガンダムらしいじゃないか

そう己に言い聞かせてみるが寂しさを感じる。

あ〜あ、俺も老害なっちまったのかな。

というわけで皆も今から水星魔女見てね。

2023-06-25

anond:20230625175010

元増田はそこで育った人の実感なんだろうからへーって思ったし、これからまた違う多摩経験して考え変わっていったりもするかもねって受け止めたけどブコメ

“「家ばっかでつまんねー町並み」のことを建築家内藤廣は「意気地なしの風景」と言ってた。戦後資本主義個人主義帰結。それはゾンビ的な風景で、本当は廃墟なのにそう見えない「見えない廃墟なのだと。”

にはこの増田と同じようなこと思ってちょっとイライラした


“単純にマイホームは覗けず、一方、外観に「ドラマ」の痕跡全然ない。だから町並みがつまらない。各家庭のプライベート侵入しないと無理。他人人生に「ドラマ」を見る人、リアリティショーの消費者と同じと思う”

さらに他へのブコメで色々書いてるけどドラマがどうとか以前にブコメと同じことそのつまんない外観の町並みの中でお金出して家買って実際暮らしてる生身のその人の目の前で言えるのかどうかで考えたらいいんじゃない?

ドラマはそりゃ知らんけどその人間は確実にしかもたくさんいることくらい想像つくでしょ

町並みを構成してる家々の外観もその生身の他人財産や所有物なわけだけど、商業作品として世に問われたわけでもない他人財産につまんないとか廃墟とか評するの単純にだいぶヤバじゃん?

ベッドタウンに越した同僚の新居に招かれたその場ででもここ本当につまらない町並みですね、他意はないです!とは言わないじゃん?(もちろん言わないことはわかってるよそもそも良識TPOという点で)

建築家言葉を借りたとしても

いやむしろ借りたからこそかな

なんかいやそれを言うあなたは誰?どこから評してんの?ってなもんじゃん住人とか似たような景色の中に住んでる人間からしたらさ

漠然と「田舎」とか「郊外」でなくだいぶ特定地域だしね元増田場合

もちろんブコメでなに書くかなんて自由だし思うのも自由だしブコメ増田もおよばれした先のベッドタウンの新居じゃまったくないんでやめろなんて言う理由もないから言わないけど、

少なくとも俯瞰的というよりは「外観」に限定したとしてもちょっと傲慢な考え方に見えちゃうし、やだなーと感じた人から反論くらいはまあくる書き方ではあるかなーと思ったな、

都市郊外という相克”(このブコメ気に入った)について日々激しく侃々諤々するはてなではなおのこと

2023-06-21

anond:20230621113806

子ども個人主義者にしたい、とか、我が子を幸福から遠ざけるやり方でもあると思うんだよな。

 

誰かの為に頑張れる人間にしたほうが、儲かるかはともかく、幸福には近づくはずだ。

2023-06-14

なぜ現代日本人がポリコレ映画を嫌うのか?

一個あるのは、実力主義じゃなく面白くなくなること

もう一個あるのは、日本人に馴染みがないところで揉めてるところだと思う

(例えばハリウッド映画おもしろ黒人が出てくるのは結構好意的だったと思う)

 

それらは気づいてたんだけど

もう一個、「選択の自由を奪われる」というのが有ると気づいた

市場が同質なコンテンツで占められると消費者としては憤りを覚える傾向がある

色で言えば、青や赤や黄色があれば好みで選ぶのに、全部が虹色にされたら嫌だみたいな感じ

これって例えばアニメがなろう系・転生系で占められたときとか、そう言うときイラッとしてる人がいる

この部分においてもポリコレ映画が嫌いなんだと思う

そういう「全員これを見ろ」というのは平成的、昭和的であってZ世代なんかは特に嫌いだろうね、個人主義なのに

 

あと偽善への嫌悪感もあるね、えこひいきも嫌いだし

定時で帰るの気まずい

弊社、誰も定時で帰らない

同じタイミングで中途入社したもう1人の社員自分けが定時ごろに帰ってたのに、ついにその子も帰らなくなって、自分だけすごいやる気ない奴みたいで気まずい

しかしま入社1ヶ月ちょいの新人なので、残業するのもそれはそれで悪い気がしてしま

個人主義な感じだし別にそんなんでいちいち言ってくるような人いないけど、正直「やる気あんのかよお前」って言われた方がマシだよね

心なしか所長が冷たい気がしちゃう、多分そんなことはないのに

2023-06-13

ずっと増田にいると、誰かと誰かが喧嘩しているのが分かる

でもそれを完全に無視して、全く違う話で盛り上がってるのを見ると、これが個人主義世界か、と感じる。

誰も喧嘩を止めないのだから

自分さえ良ければいい、ここはそういう世界なのだ

猥褻物陳列罪保護法益についてはいろんな説が入り乱れてる

アメリカ個人主義から、出演女性が構わないなら無修正オーケーなんじゃね

ただし年齢が低かったら青少年保護観点で相当ダメだろ

2023-06-12

anond:20230612032137

ぶっちゃけ全部AI解決すれば良くね

自分AIグラビアとかAIポルノとか触ってるけど、男からすればこれで全然満足できると思うぞ

現にKindleとかはAIグラビアの本で溢れかえってるし

生身の人間が将来的に背負う足枷を考えると、生身の人間がこういった職業を担うのは倫理的に良くないって話が出てくるのも時間問題だと思う

ちなみに男性からすれば、99%のアイドルはほんの数年しか寿命がないだろうし、だれでもいい

AI問題がない

極論だけど、人前に出る系の仕事は全部生成物にする方が将来的にはいいんでないの

それは芸能人アイドル、その他諸々

テレビとかTikTokとかで出てる人たち全員含めて

生身の個人としての魅力で人を惹きつけるのはもうやめた方がいい気がする

近代以降の個人主義で潰れてしまう人が大勢いて

芸術家作家プレッシャー批判を一手に受けて病んでしまう方も多いし

(男女問わずアイドルグラビア芸能人個人攻撃されて病んでしまう方が多い

AIの生成したペルソナを一旦挟むことで個人主義のプレッシャーから脱却できるんじゃね

これは脱近代

こういう話になると「いや、これは表現者だ、体を見せることでご飯食べてるんだ」、って話がいつも出てくるけど

いやいや、じゃあ勉強してくださいよ。科学技術進歩に力を貸してくださいよ

って思うんだよね

歌って踊って、水着姿でエロ晒して、人類何が発展するんだよ

しろ少子化人類後退してるじゃねえか

btw. 関係ないけど、何でインフルエンサーとかアイドルとか、人間って個人崇拝したがるんだろうね

2023-06-09

へー

いがいだった

日本のほうが連れションとかの文化でそうーゆーアレかと思ってたけど韓国のほうがあれだったのね(語彙力

韓国では1人で外食することを「ホンパプ」と言う。友達がいない人と見られ、恥ずかしいこととされてきた。外食はみんなでワイワイ話したり、人脈を広げたりする場であり、注文は2人前からという食堂も多い。

 ただ、それも過去の話になりつつある。若い世代を中心に個人主義が浸透し、「恥ずかしいと思わない」と感じる人が増えているという。最近一人飯を楽しむテレビ番組が人気で、日常的に一人飯をする人を「プロ一人飯プレーヤー」と呼ぶほど一般化している。一人飯の客を受け入れる店を探せるアプリも登場。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f2e2e117e9273bbd753c8f4d79698aa81fb6f4bb

2023-06-08

anond:20230607085954

その意見は、自由主義推し進めた結果としてと個人主義が出てくるやつだね。自由個人主義とまとめてもよい。

 

 

自由主義において、「自由」はなによりも尊ばれるものである→確実性や金銭伝統自由を損ねないなら捨てて良い

 

自由とは個人裁量のことである社会裁量で決まったことは自由に反する。

 

 

これら二つの、まあ一見頷いてもいいように見える立場が、悪魔合体すると、「ある個人裁量には、別の個人は一切口を出してはならない」という立場爆誕する。忠告説教などもってのほかであり、どんな失敗も自己責任で済ませる。全て個は個となってコミュニティは無とすべきである

コミュニティ全否定することになるで、さすがにあかんってことで、21世紀はいって以降ぐらはもっと共同体を重視する立場が主流だが

20世紀後半ぐらいはこれが主流だったと思うし、今生きてる人間なかにもこの哲学人生進めてるやつら普通にいる。

2023-06-06

anond:20230606141213

村社会否定を行い

個人主義を台頭させ

娯楽を増やし

ある程度の職を与えれば

こういう人は生まれ

政治とか、結婚ネガティブイメージとかはあんまし関係がなくて

それらを主張するとしても「自身共同体フリーライドする言い訳」でしかなく

単に「私」を最優先しただけ

昔は、結婚しない事や小梨圧力があったが

それを意識高い皆々様が否定して回った結果なので

現状は進歩的な在り様と言える


言ってしまえば

私生活を縛られる町内会批判し参加を拒否

町内会費を払わずに過ごすが

町内会管理しているゴミ捨て場使用する

(当然に清掃分担はしない)

町内会が準備した夏祭りにも参加し

会費も出さず運営や設置もしないが

町内会の子供へ配布するお菓子は貰おうとする

これが拒否された場合

被害者面して社会問題を叫ぶ

みたいなもので、そういう人間は、まぁ下品であるのは確かだが

リベラル勢が生み出した怪物である

自由」と「社会の維持」の衝突の回避に叡智を注げ

子供産まなくてよかった」の増田を読んだ感想

なんとなく、まあこういう考えの人は多くいるよなあと思う。みんな自分の好きなように生きる選択をして、それでも社会が成り立っていくようにするにはどうしたらいいんだろう。

私は人間1人あたりが新しい人間1人を生み出さないと、次の世代負担が爆増してもっともっと厳しい貧しさが到来するぞと思ってすぐ悲しい気持ちになってしまうのだけど(既に私たち世代が厳しい貧しさを体験している)、次の世代の痛みなど知らぬ、という人もそりゃいるか。とは思った。確かに。でもそれってあんまり大人らしい態度じゃないなと思った。自分が属するグループ組織社会の将来を良くする=人類を良くするために生きるのが、人間ってもんじゃないのか。もちろん、次の世代の苦しみが少なくなるように政治でなんとかしようという動きが今後出てくるかもしれない。ただ、団塊、そしてその次に団塊Jr世代が死に絶えてやっと人口分布がまともになり、若い世代が苦しまなくなる、という、その時代到来までの半世紀くらいで、日本人の貧しさによる精神ズタボロ度はすごいことになってしまうんじゃないか心配である

私は人口漸減していくことには概ね賛成だが(そんなに多くの子供をかかえる余地はもはやこの国にはないし、実際的仕事必要人間の数はこれからどんどん減っていく)、ドデカい退役世代を、細々とした現役世代が養うというのは、無理があるし、つらい。

今の退役世代はまだ貯蓄があるからいいが、団塊Jr退職し非労働人口になった時に、彼らの生活金銭面でも身体面でも、現役世代が支え切れるのかは本当にわからない。年金制度崩壊と言われる2025年は2年後に迫っていて、そこから本当の地獄が始まると思う。

すごく極端で非倫理的な話をすれば、老人達長生きしすぎで、これは現行の年金制度を作った時には想定されていなかったと思う。そして、老人というのは家や車を新しく買うことはないので、まとまったお金があってもそれを経済返還できない。子世代の建てる家や土地にどんどん老人たちがお金を出してやればいいと思うのだが、それはそれでしがらみになりそうで、難しい問題だと思う。そうして遺産相続の時が来る頃には、子世代ももはや退役している。長生きしすぎである。頼むから70くらいで死んでくれ。私も70くらいで死にたい

70くらいなら子世代もまだ40とか50のはずで、孫世代教育費に遺産を宛てたり、新たに家を建てたりできる。ただ、孫の世話をまかされている祖父母を考えた時に、70は早すぎる。かもしれない。私の祖父は80で死んだ。祖母認知症発症し、施設でまだ生きているが90を過ぎ、これは生きすぎだと思う。ただ、戦前まれの体が頑丈なのであって、敗戦後に生まれた人々はもっと軟弱で、そんなに長生きはしないと思うし、生活習慣が変わったことによる病気も多いと思うので、平均寿命現実的には80弱くらいになって欲しいと思う。介護現場人手不足は国の縮図で、少ない現役世代が、自分たちの数倍の人数の入居者の世話をしている。

下の世代が苦しみながら、「もうじゅうぶん生きた、早く死にたい」と言っている世代を支え続ける構図は続く。ただでさえ老人の数が多いところに、出生率1.3というのは、「1.3人の人間の働きで(金銭的にも身体的にも)2人の老人を養う」ことであるから、国が必死になって子供を産ませようとしているのは確かに理論としてはスタンダードだ。

しかし、子供を産み育てる土壌があまりにも貧しくなってしまったために、子供を持つことはかなり難しく、私にはもはや特権化しているように見える。経済面、また、身体面および精神面で一定の条件をクリアし、他人(異性)と生計を一にすることができる人、というのが、現在この国で子供を持つ権利がある人々である。ここがもうかなり狭き門のように思える。異性愛者または子供のために異性と性交することができる人、かつ、健康共働き家事育児ができ、子供教育費を過不足なく捻出できる人。で、できねェ〜〜〜〜〜。こんな…ハードモードすぎるってばよ。

加えて出産(初産)は30までに済ませておいた方が体の負担が少ないので(と私は思っている)、20代仕事をしながら、人生パートナーが誰なのかを見極め、その人と着実な関係を構築しなければならない。ウワーーー!難しいよ。私は友人からもきつく「お前は子供を持ってはならない」と言い含められているとおり、そもそも治療薬の関係妊娠ができないし、おそらくこの病状では育児にも耐ええないだろう。その前にパートナーがいないことも大きな問題だ。私のような「外れ物」が子供を持てないのはまあ当然として(本当は「家族」というものが欲しかったが…)、それなりに普通生き方をしている多くの人が、上述のなんらかの条件をクリアしていないために、40年前なら結婚出産をしていたであろう結構ボリューム層が、非婚のままである

ただ、40年前のように誰でも彼でも結婚出産しましょう、という風潮だと、本来その能力のない人が親になり、私のようなアダルトチルドレンおよび精神障害者が大量発生してしまう。正直、親世代の雑な育児のツケが回って「結婚できない」という人もかなり多いと思う。それを言い出したらキリが無いかもしれないが、ちょうど戦後に生まれ人達というのは、目まぐるしく変わった価値観を土台にする社会を生きながら、親は戦前四角四面道徳観念をもっており、それによって躾けられるという、かなり不安定人達なのである。既にこの世代からして。大人の「未成熟」というのは、敗戦後生まれ人達から始まる問題だと思う。「未成熟」という言い方はよくないかもしれないが、大人としての役割ひとつだと私が思っている、「子供が1人で生きていけるように育てる能力」を有していない人が、この辺りから大量に出てくる。

または、戦前はそこまで個人の責によらず、社会全体でなんとか、どんな子も生きられるようにしよう、という、厳しさ前提の優しさがあったのかもしれない。たとえば子供がだめでも、孫が優秀かもしれない。そうやって、とにかく世代を繋いでいくことが優先されていたのは、日本古来の習慣(家制度である敗戦により、新自由主義個人主義が「日本人なりに」受け入れられた結果、家制度解体され、本人の希望によってパートナーを見つける形に変わった。それが時代進歩というもので、これが「自由である。どんなに下の世代が辛い思いをしようと、私たちは「自由」を手放してはならない。破れ鍋に綴じ蓋だったり、不均衡だったり、時には大きな問題のある相手を宛てがわれてする結婚は終わり、自分にとっての最上相手を探す時代が訪れた。

そこで、今まで「宛てがわれて」結婚していた層の「問題のある人達」は結婚できなくなり、子供の数は減っている。これは、その人たちの遺伝子が淘汰されるならいいのでは?と一瞬思うが、遺伝というのはそう単純なものではなく、最悪な親からでもまともな子供が生まれたりするので、とりあえず宛てがって産ませよう作戦は、生物生存戦略としては優秀賞だと思う。

ただし私たち人間なので、やはり「自由」を捨ててはならない。子供を持たない人間たちは、その仕事によって次世代になんらかのものを残すしか手がない。私たちは「自由」だと体を張って証明すること、そして、自分より後に生まれる命のために、少しでも貧困構造社会制度をよりよいものに作り替えておくこと。これは子供を持っている人ももちろんやっていると思うが。私は結局子供社会で育てるものだと思っているので(親個人責任はそこまで重くするべきではない)、実際に子を持たない人でも、その働きはひいては次世代のためのものなのだから、誰が子供を持っているとか持っていないとかで揉めるべきではないと思う。

anond:20230606090122

年金税金以外には支えてもらってないという考えなんだ……

 

はあまあ個人主義権化って感じやね。

ママのつくったご飯を一生食べてればいいんじゃない

2023-06-05

anond:20230605185112

いいね、会話になってきた。

 

それは、トレンドを何が作ってきたか? の話だね。

俺はその要因の多くは人為的操作や広義の広告広報の成果だと思う。つまり人権とかリベラルとか、個人主義20世紀いっぱいブームだったからそうなったんだよ。

 

翻って、いまの政治社会思想は、別方向の操作に明らかに着手したわけだ。少子化対策にこれまで本気じゃなかっただろ、ここ10年やっと本気になりだした。これはトレンドが変わりますね。

2023-06-03

犬が亡くなった日の日記

家族として暮らしていた柴犬が死んだ。

17歳と8ヶ月の犬生は大往生と言えると思う。

一昨日に体調を崩して、昨日は少し持ち直した。

今朝、母に抱かれて外の空気を吸い、多分そのまま旅立ったのだと思う。

家に戻ってきて様子を見たらもう呼吸も心臓も止まっていたらしい。

私は実家から1時間弱の場所暮らしていて、弟から死んじゃったみたい、と連絡を受けた。

本当は昨晩実家に帰るつもりだった。大雨で帰るのは今日に延期した。

犬と最後にふれあったのはゴールデンウィークが明ける前の土曜日だった。

犬は1年前くらいから歩くのが下手になり、半年はひとりで立ち上がることもできない状態だった。

でも噛む力だけは衰えず、老衰で力加減を忘れた分、若いときよりずっと危険だと家族と笑いあった。

いつだかシルバーバングルに不意に噛み付いて、傷を付けていた。

外につれていくと歩こうと前脚を動かすので、四足歩行体制になるように支えて歩かせた。

人間の方がよほど疲れると母と笑いあった。

犬は数年前に腫瘍が見つかっていて、視覚嗅覚は衰えていた。

それでも老犬なりに動けないなりに、それなりに元気な老後だったと思う。

とにかく牛乳が好きな犬だった。

犬に牛乳はあまりよくないというのを知った頃には牛乳が大好きな犬になっていた。

老いからは犬用の粉ミルクに切り替えていたけれど、それまで我が家冷蔵庫牛乳を消費しているのはほぼ犬だった。

煮干しの頭が嫌いだった。

頭だけ器用に残して食べていたので、一時期我が家リビングには煮干しの頭が転がっていた。

鮎を貰って大喜びしていた。

近所のおじさんに冷凍した小さな鮎をよく貰って、人間より良いものを食べているなと笑った。

さつま芋が好きだった。

人間食べ物にあまり興味を示さなかったが、焼き芋干し芋だけは盛んにアピールをして食べていた。

抱っこが嫌いだった。

抱き上げると器用に身をよじり、脱出する様子はうなぎのようだった。

個人主義者だった、と思う。

我が家人間はそれぞれ好きなことを自分のスペースでやるタイプで、犬もそんな感じだった。

好きにしていて、人間が集まったタイミングで犬も参加してきた。

甘噛が直らなかった。

さなかった。塩対応の犬だったが、人間帰宅した時は甘噛で出迎えた。それがうれしかった。

お手とおかわりと両手タッチと待てはできた。伏せはおぼえなかった。

テレビの前の机の下が定位置だった。

老いからはよく母の後をついてまわっていた。

目がよく見えなくなったとき家中の隙間や椅子に挟まって助けを呼んでいた。

風呂場や台所玄関で寝こけていた。

夏の暑い日は、縁側の下に潜り込んで寝ていた。

雷や花火の音に怯えて家中をウロウロしていた。

シャンプー大嫌いで普段はあまり鳴かないのに大鳴きしていた。

よく額の毛に指を突っ込まれて穴模様を作られていた。

ブラッシングも嫌いで特に後ろ脚はよく怒っていた。

換毛期に顔に謎の模様が浮き上がることがあった。

はっきり模様が出たときは、近所の住民にこどものイタズラでペンで書いたものだと思われていたらしい。

キツネみたいな顔だった。

たまに顔がまんまるになっていた。

濃茶色の毛並みなのに、背中は焦げたみたいに毛の先端が黒かった。

しっぽの先端も黒かった。

額と耳の、濃茶色の短い毛がいちばんやわらかくてふわふわの毛並みだった。

から腹は白い長めの毛で、綿花みたいだった。

散歩に行くとたまに雑草をかじっていた。

犬に会うと尻の匂いを嗅ぎに行くのに嗅がれるのは嫌がって飛び退いていた。

犬よりも人間のほうが好きみたいだった。

亀に恐る恐るちょっかいを出し、猫には負けていたがよく猫を探していた。

そういえば散歩中、我が家の犬と同名の犬に会ったのを思い出した。

黒と茶色マーブルの同じくらいの体格の犬。まだ元気かな。

歩くのが下手になってからはよく側溝に落ちかけていた。

散歩で遠くまで歩けなくなっても、家の周りのパトロールは入念に行っていた。

近所の仲の良かった犬たちの中では最も長生きをした。

しばらく前に亡くなったボクサー犬の飼い主が、お供えと言っておやつを持ってきてくれた。

祖父祖母も顔を見に来てくれていた。

今日は犬の思い出を探して、家族みんな写真グループラインで共有していた。

古いカメラ携帯を引っ張り出してデータサルベージしては、思い出を語り合った。

家族は、午前のうちに気持ちを整理したようだった。さっぱりと涙を流して、

写真を見て笑い合って、腐敗を遅らせるために保冷剤を添えた犬に声を掛け、やっぱりたまに泣いた。

今、リビングに安置されている犬のそばにいるのではなく、日記を書いているのは、

犬がまだこの家にいるうちに自分記憶を書き出さないと駄目な気がしたからだ。

犬は明日には灰なって、もうこの家には帰ってこない。

冷たい犬の額を撫でるたび、その事実が脳に布を掛けるような涙になる。

私は犬のいる家が好きだった。

母と父がリビングで寛いでいて、二人の弟はそれぞれの部屋で遊んでいて、たまに降りてきて会話を交わす。

そして犬は定位置か母の近くで寝ていて、起きたときには、チャカチャカとフローリングを爪ではじく軽快な音を響かせる。

この光景永遠になれと願った。この家族の揃った家が私の永遠だった。

もう犬の魂はこの家を離れて、明日には身体も無くなってしまう。

今朝、犬は母に連れられて雨上がりの空気を吸い、少し地面に触れて、再び母に抱えられた。

そうして自分の足が動くことに気が付いて、母の腕を離れ、軽快に力いっぱい走って、虹の橋を渡っていったのだと夢想する。

自由に走ることができて大喜びだっただろう。遊びに誘うような笑顔で振り向いてくれただろうか。

犬の友達は向こうにいるし、もとよりひとりでいても困らない性格から心配はいらない。

不自由な肉体から解放された犬を明るい顔で見送る家族

私も、この別れは限りなく良いかたちだと思っている。

それでも私は、もっとこの家にいてほしかった。ずっといてほしかった。

家族はもう気持ちを整理できたようだった。水をさしたくないので、

この日記を書きながらひとり部屋で泣いている。私の永遠が終わってしまった。

ずっといてほしかった。ずっと5人と1匹の家族でいたかった。

別れたくないのに引き留められる場所にはもういない。いたって私には手段がない。

納得しているのに受け入れがたい。

去らないでほしい。ずっとリビングにいて、家族みんなに呼びかけられていてほしい。

犬が夜鳴きして、私ひとりが起きてきた夜のことを思い出す。

ずっと記憶にある思い出。

玄関腰掛けふたりで月を見た夜。

あの月を見たときは、犬と会話ができていたような気がしている。

意思の疎通ではなくて、おもいをひとつにするとか、そういう感じの。

もういない。

https://togetter.com/li/2159748

男性の方が後腐れない関係を好むってだけかと。身も蓋もない言い方をすれば「やり捨て」できる方が男側としては気楽だよね、という話。セックスが介在しなくても、男性の方が割と「来るものは拒まず去る者は追わず」の関係を好むイメージがある。個人主義っぽいからかな。

2023-05-31

anond:20230529211944

子供できる前に離婚して独身の方が幸福度が高いことに気がついたワイ

まり人々の思考全体主義より個人主義に走った結果なんじゃないの?

あ~日本人として誇らしいわ~

こういう気持ちになれないで「その人個人がすごいだけだから~www」とか言っちゃう個人主義者って可哀想だね~www

2023-05-26

anond:20230525131807

個人主義というのは消費をどんどん促すために企業広告メディア煽り続けてできたもの

それなのに今になって少子化から結婚してちょ〜って結婚前提で企業広告メディアで煽ってるのが頭悪いし気持ち悪いよね

anond:20230525131807

個人主義の話するなら増田個人主義を貫こう。

増田がそう思うなら否定しない。増田はそうすりゃいいじゃん」って話で、そう思わない人たちを巻き込む必要は無いよな?

自分一人だと寂しいか社会全体がそうなってくれ」みたいな非個人主義なこと言っちゃダメだよな。

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