善悪と好き嫌いの区別が出来てない!って言う人がいるけど、どっちも快不快の問題じゃないのって思う。
人を殺しちゃだめ。
なんで?
で?
だから人を殺しちゃいけない。
で?それは理屈になってないよね。そうなるには大前提として幸せにならなければならないだとか個人主義だとかいった考えを必要とするけど、それは自明の道理じゃない。なら人を殺しちゃいけないという所にも一元的には繋がらない。
まあでも大抵の人は幸せになりたいだろうから、多くの人が共感するかもしれない。実際人権思想というものがあるくらいだし。でもそれは理屈じゃなく快不快の問題であって、それに共感するかどうかの多数決ですよね。
人間という言葉で括れてしまうくらいだし、9割9分くらいは同じ構造の生き物なんだろうと思う。だから大多数が共感出来る事だってあるんじゃないかと思う。
まあ合意とか言うけれど実際は産まれた瞬間に「この国ではこういう考えがあるのですが、同意頂けますか?」「なるほど、納得しました」なんて言って誓約書にサインする訳ではないし、人権は大切ですと教育を受けている訳だし。プリミティブな感じ方だけで決まっているかと言ったらそんな事もなくて、積み上げられてきた世の中の構造とかも多分に関わっているのだろうけど。
一方で全員が全員同じものを食べて同じものを着て同じ生き方をしている訳じゃなくて、その差異は個性と呼ばれて尊重されるものだと思うし、それが故にぱっくり考えが割れる事だってあると思う。
好き放題殺し合える世の中が良いという人はあまりいないかもしれないけれど、資産が再分配される世の中が良いかどうかは考えが割れる。実際割れてると思う。
善悪というのはその大部分の共感と個人の差違の境界を見定める事なんではないかと思う。
いくら理屈を並べて正当性を主張した所で、少なくとも一個人レベルでは「人を無差別に殺したいです」と言ったらけんもほろろに突っぱねられるのがオチだろうと思う。
社会の取り決めは善意や共感頼りではいけない。理屈だったルールこそが必要だ。
なんていう事を言う人もいるけれど、その理屈だったルールを定めるのに共感抜きでは一生話が進まないと思う。規範というのは、リンゴは上から下へと落ちるみたいな個人の感性を挟む余地のない自然法則の話とは違うから。
別にそれでええやんと思うのだけど、頑なに「いや道徳や善悪とは論理的理性的なもので〜」って言う人がいるから不思議に思う。
自分の快不快と世の中の多数決を混同していて、「自分がこう思うのだから世間一般もそう考えているに違いない」みたいな事を言う人を指してそういう区別がついてないと言うのならまあ分かるのだけど。
そういう議論読みたいなら永井均の『倫理とは何か』とかオススメ