はてなキーワード: レンズとは
来年度に研究室配属が決まると猛烈に実験が増えるんだけど、困ったことがある。実験ではコンタクトがダメでメガネでの生活がデフォになるんだよね。で、今使ってるメガネが高1のときに買った古いやつで流石に買い替えたい。そう思ってメガネ探してるんだけどメガネ選びってムズい。インターネットに転がってるメガネ掛けてる画像、ほぼ度なしなんだよ。そりゃそうだよな度入ってると明らかに目ぇちっちゃくなるから見た目が良くないんだよ。形も難しくて、最近良く見かけるのは下向きの三角形が丸みを帯びてるようなやつなんだけと、あれクソダサいと思う。イメージとしてはナイツの土屋が掛けてるような黒くて長方形の少し縁があるやつがいいな。でも土屋のメガネ、どう見ても度なしなんだよな。どうにも世の中のメガネ似合うやつのレンズ、みんな度が付いてない。
困ったな〜と思っていろんなメガネ似合う人の画像探してたら一人見つけた。東京03の角田だ。角田はイケメンの部類では絶対無いけどメガネがドンピシャだと思う。もちろん度なしの時もあるけど度入りの写真も多くてあんまり印象が変わってない。縁がしっかりめにあるとレンズ越しの歪みが軽減されるのかな。
今日はXBoxのコントローラーが壊れた。コントローラーが壊れるとか多分生まれて初めて
ガッツリ音ゲーをやるから頑丈そうな正規のコントローラーを選んだのに速攻でLボタンのプラスチックが破損とかどんだけだよ
PCも何もしてないのに壊れるし、3万したイヤホンも給電できなくなるし(これは1年以上使ってたし、プラグの抜き差し雑にやってたから納得感あるけど)
メガネの鉄製のフレーム部分って切れるんだな。普通メガネが壊れるって踏んづけてひん曲がるとかそういうやつだろ
普通にレンズ拭いてたらバキッとか言ってレンズ囲んでたフレームが切れたぞ
そういえばキーボードのHも効かなくなっていたな。
ここ1-2ヶ月だけで一気に壊れすぎなんじゃい!出費がかさむかさむ
別に払えるだけの貯金あるけど。というかほぼほぼこれらの修理とか買い替えでボーナス吹き飛んだわ
なんじゃこりゃ
そういえば幼稚園の頃から使ってたハサミの握り部分のプラスチックもバキッつって折れたな
キーボードはそんなに力入れて叩いてないので握力のせいじゃないよ
みなさんがめがねっ子が好き!と反応している写真や画像の大半は、エセめがねっ子です。
みなさんはめがねっ子が好きという気持ちになっているだけで、じつはめがねっ子が好きなわけではありません。
いうなれば、イチゴミルクを飲んでイチゴが好き!と言っているようなものです。
イチゴにしてみればイチゴミルクと一緒にされることはあまりにも理不尽で、イチゴミルクが好きだからイチゴが好きと言われても嬉しいどころかむかつくだけです。
みなさんが好きだとするめがねっ子の写真や画像を思い出してみてください。
ほとんどの場合、メガネに手や指がかかっているのではないでしょうか。
これは嘘です。めがねっ子はこんなポーズ求められない限り絶対にしません。
「気取りやがって。」「頭のいいふりをしやがって。」そんな偏見と常に戦い続けているのです。
その偏見を助長させるのが、まさにあの、メガネに手や指をかけるポーズです。
みなさんはそれをめがねっ子らしさとして受け入れていただいているようですが、大半の場合、あのポーズをすると周囲を苛つかせます。
その結果、真実のめがねっ子は、人前でそのポーズを取ることを極端に嫌がるようになります。
ならばずれた眼鏡をどう直せばよいのか。
わたしの場合は、少し下にうつむきながら両手のひらでメガネの両脇を挟むようにして前髪を治すような仕草で位置を直します。
それ以外にも眩しいときに片手でひさしを作るようにして、親指と薬指でメガネの両端を挟んで位置を直します。
他にも目尻に人差し指の背を当てるようなふりをして直すこともあります。
間違っても、写真や画像にあふれるような、テンプルやリムを指で挟んだり、ブリッジを日本指でクイと上げるような仕草はしません。
何か別の仕草に偽装するようにして、誰にも気付かれないように直すのが真実のめがねっ子仕草なのです。
それなのに、嫌がるどころかまるでそれがめがねっ子だと思いこんで人前で喜んでその仕草をするのは、にわかめがねっ子である証拠にほかなりません。
一人のときはめちゃくちゃします。だって楽だし一番しっくり調整できるから。だけど、一度でも外で無意識にその仕草をしたときにありえないくらいの冷たい視線を送られたことがあるめがねっ子は、二度と人前で気安くそんなメガネの直し方をしようだなんて思わなくなります。
みなさんがそのポーズを好きなのと同じくらいに、そのポーズが嫌いな人は存在しているのです。
だから、めがねっ子の写真や画像を見るたびに、「またか」と落胆します。
どいつもこいつもエセばっかり。
めがねっ子不在でめがねっ子が語られることの残念さが理解できないとはいわせません。
そんなわたしの一番萌ポイントの高いめがねっ子モーメントは、ふと振り向いたときに少しずれたままのメガネに拭き忘れた指紋を一つ見つけてしまった瞬間です。
ただ、エセポーズ以上に絶対に許せないのが、眼を見せたいためにリムの上半分が切り取られているレンズのないメガネです。
それはメガネではない。お前はスイカの皮だけ渡されてそれがスイカだと納得できるのか。
せめてレンズくらい入れて欲しいよね
ブクマ数が10~15ぐらいになると優しいトラバが出てくるのよ。
共感を示したり、励ましの声をかけたりね。
そして最上級なのは、その優しいトラバに元増田がお礼を言ったり謝罪をしたりとなるやつね。
あと100を越えるようなのはダメね。何の感動もない。とてつもないしくじり感が襲ってくる。そうなったときは大いに反省をする。
広角レンズを使うカメラマンの写真を採用する編集と何も変わらないね。もっとよく読み込んで自分がブクマをしなければ人の目に触れさせることは減らせたかもしれないのにってね。
ちょっとした気持ちで元増田が吐露した心のうちに対して、優しいトラバをする人、励ましのトラバをする人、これは尊敬に値するね。
中には攻撃的な増田もいるわけだ。しかしトラバで諌められて謝る元増田を見れたときはたまらないね。
なぜならこれを見極めるのは難しいからだ。攻撃的な増田がひたすら喚き立てるのを見るのは辛いものがあるからね。
尊敬に値する増田のおかげで世の中のどこかでちょっとだけ何かが変わったかもしれないと想像すると気持ちいいね。ただの妄想と自己満足でしかないけど。
でもテンプレ展開しかない小説や漫画を読むよりはおもしろいよ。
増田たちが繰り広げるドラマに、ファーストブクマという自分自身の関与があるわけだから。
やっぱり変人だね。
アストナージ
アピトベール
アメリカーナ
アリエノール
アリギエーリ
アルダシール
アルパチーノ
エルマリート
エングレーブ
エンドノート
カナダグース
キリスパート
キングデール
クセノポーン
クングラード
グレゴワール
コインパーク
コダクローム
コルコバート
コンジローマ
サンタローズ
サンパギータ
ザミンダーリ
シエラザード
シコンコート
シンクレール
ジアスターゼ
スパイゲート
スピリトーゾ
スリムハーポ
ソステヌート
ゾエトロープ
ダイスダーグ
ダウンコート
ダクトテープ
ツルナゴーラ
テレタボーズ
デフレパード
トトトツート
トルクカーブ
ナイシトール
ハイドレート
ハンカチーフ
パリダカール
ヒメノアール
ビオサバール
フレグモーネ
プラズマート
プレイアード
プレパラート
べレロポーン
ベンザエース
ベンチシート
ペプチターゼ
ペルグリーニ
ポリメラーゼ
ポンパドール
マキラドーラ
マグコロール
マデサゴーラ
マハブフーラ
マリオカート
ミナカトール
ムシコナーズ
メリンガータ
モンロワール
ヤクトドーガ
ヨクアタール
ランペルール
レンズフード
ロマンサーズ
読者なんか意識しなきゃいいじゃん
▼ライフをクビになった理由 | 光の魔術師ジョー・マクナリーの極意 | Shuffle by COMMERCIAL PHOTO
http://shuffle.genkosha.com/technique/joe_mcnally/8324.html
この寓話の真意は何でしょうか? 何の仕事をしていようと、それがライフだろうと、タイムだろうと、イースト・ブランブルブルック・デイリー・アストニッシャーだろうと、個人的なブログ、あるいは、フェイスブックの自分のページだろうと、あなたは自分のために働いているのだということを忘れないでください。ただカメラを手に持っただけで誰かが自分を引き立ててくれるなんてことはありえません。安心感を得ることも自己満足できることも絶対ないでしょう。もし自尊心や自負心、あるいは撮影者としての達成感が、あなたや作品に対する他人の態度で決まるのだったら、惨めな思いをしますよ。誰も、もちろんどの出版物も、あなたの作品をあなたほど大切に扱ってくれるわけがないのですから。もし編集者があなたを世界一のフォトグラファーだと考えて、賞賛と高給の仕事とファーストクラスのチケットを惜しみなく与えてくれたとしたら、その編集者は間違いなくクビになるでしょう。
写真家として、どれだけすばらしいことが起きても、このことを覚えておいてください。それは必ず、そのうち消えるか弱まるか悪化するかしなびて飛ばされてしまいます。
・
・
・
あるとき、幸運に恵まれて仕事が大成功を収めたら、いい気分がしますよね。たぶん、くらくらするくらいに。でも忘れてください。明日の仕事は気の荒い犬のようにあなたに襲い掛かり、あっという間にあなたの気分をずたずたにするはずですから。
コンテストに入賞したら、礼儀正しく、関係者全員に感謝してください。特に編集者や雑誌に。たとえ、何もしてくれなかったとしても、それどころか、いたるところでありとあらゆる妨害をされたとしてもです。賞を取ると、心の中に温かくふわふわした感情が生まれますが、それも忘れましょう。明日になれば地下鉄に乗るのにやっぱり2ドル25セントかかるのですから。
雇い主が授賞式にやってきて、あなたの手を両手で掴み息を弾ませて「君の作品、最高だよ!」と大声で言うかもしれません。でも彼は同時にあなたをじろじろ見てこんなことを思っています。「何でこんなに金がかかるんだろう。今では無料でいくらでも写真が手に入るのに、なぜ金を払わなくてはいけないんだ?」それでも、そんな彼に微笑みを返して、その人が少しの間だけ財政責任の感覚を失い、あなたがどうしてもしたかったことのためにわずかでも予算を回してくれたことに感謝しましょう。あなたが強い情熱と明晰さを持って実行したことで、大勢の人に大きな影響を与える写真ができたのですから。
また、誰も彼もがあなたの功績を横取りしようとするでしょう。放っておきましょう。
中身が乏しい有名誌とそれを取り仕切る多国籍企業の世界では、次の年の契約は今年より悪くなることを覚悟しておきましょう。最悪の場合は、あなたの代わりに誰かを雇い入れて、それが「君にとっていいこと」である理由を、何やかんやと説明するでしょう。「君にとっていいこと」という言葉は「君はおしまいだ」と同じ意味です。
・
・
・
荒れ狂う波の中、重たい衣服を着けて歩こうとしているような気分になる日々がきっとあります。あなたをボーリングのピンでもあるかのように打ちつける波に、あなたは機敏には動けず、5歩進んで4歩下がるような闘いです。歩いている泥は、固まる寸前のコンクリートのようです。焦点のよく合わない(この日だけ)目の高さまで持ち上げたカメラさえ、いつもより重く感じられます。
そういう日があるのです。落ち着いてやり過ごし、やりたいことに対する愛情がつぶされないようにしてください。すばらしい芸術を生み出すことができない、どの写真も、時の回廊に永遠にこだまする真実のメッセージを叫ばない、そういう日があることを覚えておいてください。それでも生き残ろうともがきながら、あなたはカメラを手にします。写真を撮ってください。それが職人らしい仕事だろうと、完全に二流の仕事だろうとかまいません。それによって、a)収入が得られ、b)次の日も戦えるのです。
請求書の支払いができない日もあるでしょう。カメラを見つめて、これがATMか、誰かもっと分別のある人の株式明細書だったらいいのにと必死に願うかもしれません。信念を持ちましょう。仕事に戻るのです。自分のためにでもいいから、撮り続けてください。いえ、特に自分のために撮ってください。撮った写真をあちこちに送って、あなたがまだ頑張っていることを知らせましょう。あきらめてはダメです。
毎日を精力的に過ごしましょう。状況は変化するものですが、普通、孤立した写真家にとって、いい方には変化しません。今日あなたが唱えている不平は、2、3の角を曲がった後では、優しい気持ちで思い出せるはずです。「Evil Media Empire通信社からもらっていた仕事のこと、覚えてる? 50ドルですべての権利を取り上げられて、俺たちはガソリンから駐車代から全部払わなくちゃならなかったよな。やつらは俺たちの機材をタダで使ってたのにな。あのろくでなしを覚えてるか?」
我々は恵まれているのだということを思い出してください。我々は世界を駆け回り、浄化されていない自然の空気を吸っています。そして、パソコンの画面にとめどなく表示される数字や報告書を凝視する必要がありません。ほとんどのビジネスやその類が成功するのは、ある程度、それが予測可能だったり、何かに類似していたりすることが理由です。彼らが知りたいことは、市場の動向です。対照的に、我々は綱渡りのロープの上で、可能性がかなり低いほんの一瞬の成功のために生きています。そして実は、運、タイミング、注目が揃う、その魔法のような瞬間が再現されないことを願っているのです。
我々はこれから何が起きようとしているのかについてはわかりません。もしわかったとしてもほとんどの場合、見逃します。あるいは、我々が待っていると思うことは実際は起きません。額をぴしゃりとたたきたくなるようなフラストレーションの入り混じった不安です。我々が株か債権だったら、間違いなくクズと評価されるでしょう。この株はいい選択じゃないね。やめた方がいい。
しかしこれは見事な諸刃の剣なのです。あなたの希望を毎日ずたずたに切り刻んでいた何かがある日、たまにですが、望んでいた仕事を提案してくることがあるのです。それは心臓蘇生の電気ショックを施すようなものです。生き帰った! あなたは蘇りました。嫌なことも失敗した作品も、すべて秋の雨の日の落ち葉のように流されていきました。
カメラはもう、謎の数字、ダイヤル、部品が詰まった重い箱ではなくなります。あなたの頭とハートに直結して、それに呼応して働いてくれます。レンズを通して不安しか見えないときが何度もありましたが、今は明瞭に、適格に、確固たる目的を持って見ることができます。
こうした瞬間は、ときどきしかないことを理解してください。このときを大切にすることです。すべての嫌なことを価値のあるものに変えてくれるからです。何よりも最高のものに。
性能追求と各種規制が原因の大半だが、度々話題になる割にはいちいち答えるのが大変なので誘導用
丸目ヘッドライト(ガラス製)>スポーツバイクにカウルが付く、丸目2灯が主流へ(80年代)>樹脂製レンズとなりさまざまな異形ヘッドライトが生まれる>LED化によりフルカウルのスポーツバイクでは逆スラントノーズばかりに
ダブルクレードルフレーム>アルミツインスパーフレーム>ダイヤモンドフレーム他いろいろ
前が大きく後ろが小さい(フロント19、リア17など、特に大型バイクに多くどっしりとした感じ)>スポーツバイクで旋回性を高める為フロントタイヤが小さくなる(フロント16)>バランスのいい前後17インチに統一される
またバイアスタイヤ>ラジアルタイヤへの変遷により、タイヤ幅が広く扁平率の高いものとなる
二本サス>モノサス
4気筒エンジンには4本出しマフラー>集合管マフラー>排ガス規制により巨大な触媒(通称弁当箱)が引っ付く
ワイヤースポークホイール>キャストホイール(ホンダはコムスターホイール)>レーサーレプリカでは3本スポークのキャストホイールが流行る、その後6本に>最近は複雑な形状かつ細身軽量なキャストホイールに
排ガス規制により2stは全滅
ダウンドラフト構造によりエアクリーナーボックスが上に伸びる、それによって減少したタンク容量を稼ぐ為に上か横にタンクが膨らむ
最近になってタンクの下に変なのがぶら下がってたらだいたいコレ
バイクの中心部に重心を寄せると旋回性がよくなるという理論だが、これによって尻の切れ上がったバッタみたいなバイクが増える
以上の各部変更の為、現在のバイクに昔のバイクのガワを載せようとしてもZ900RSのような「よく見るとコレジャナイ」バイクが出来上がってしまう
ただ、大手情報サイトでは忖度して絶対に書くことができない、買うべきではない明確な理由が一つある。
正直、このスマホに飛びつくのはライカブランドを身に着けたいだけのカメラのことなんててんで理解できていない成金じじいか、パトロンのクレカを自由に使える港区インスタ女子くらいだろう。
その理由とは、画角が35mm換算で19mmという点に尽きる。
カメラの光学的な構造をある程度理解できている人であれば、これがどれだけ無意味なことかわかるはずだ。
センサーサイズを大きくするメリットは、光学的なボケ味を得られることと、電気ノイズが発生しづらくなることで画質が上がることにある。
皆がアホのようにフルサイズカメラを欲しがる理由は、ほとんどの場合フルサイズでしか得られないボケ味に対する憧れと言っていいだろう。
それくらい光学的なボケ味とはセンサーサイズの大きさなくしては得られない最大のメリットなのだ。
しかし、35mm換算で19mmという画角はあまりにも広角すぎる。
基本的に、ボケ味というのは望遠側のほうが得られやすい。平たく言えば圧縮効果というものだ。
そして自然なボケ味を得られるのは、おおよそ30mmくらいの画角からだと考えられている。
フィルム時代の標準レンズが50mm単焦点だった理由は、明るさとボケ味、レンズのサイズなど全てにおいてバランスが良かったからといっていいだろう。
初心者が何も考えずにシャッターを切っても、ボケ味に溢れたフォトジェニックな写真を取ることができる、魔法のようなレンズだったのだ。
フルサイズと画角50mmのレンズはそれほどまでに相性が良い。
それに対し、たかだか1インチ(スマホに乗せるにはすごすぎるが)のセンサーに、超広角といえる19mmのレンズを載せたところで一体どの程度のボケ味が得られるというのか。
寄れない超広角ではボケ味なんてほぼ期待できないと言っていいだろう。
つまり、1インチを載せる意味の大半が失われているといっていい。
一般的なパンケーキレンズと言われる平たいレンズは広角がほとんどだ。
察するに、今現在の技術力では1インチのセンサーを載せつつもあの薄さに収めるには19mmが限界だったのだろう。
繰り出し型のレンズを取り付ければ良いだなんてことは誰でも考えつくようなことだが、スマホとしての厚み、重さ、そして堅牢性などを考えれば採用を見送らざるを得なかったことは想像に難くない。
だからといって19mmはない。
筆者は旅先の写真はフルサイズミラーレスを多用しているが、広角側に関してはもっぱらスマホで撮影している。
広角撮影は基本的にボケを気にしなくてよいし、光学的なことを考えなければ、スマホカメラの画質は気にする必要がないくらいまでにきれいになっている。
逆を返せば、広角側の撮影はセンサーサイズをそれほど敏感に気にしなくてもよいところまで来ているのだ。
もしこれが、換算30mmを超えてくるなら話は別だ。
1インチセンサーカメラの画角30mmは大げさすぎない程度の自然なボケ味を与えてくれる。
装備を軽くしたいときは、今でもRX100で代用することも多い。それくらいに信用できる組み合わせだ。
世界初は今作で果たされた。
次回作はズーム機能は必要ないので、レンズを1cmまで出っ張らせてもいいから画角30mm超えを叶えてほしい。
そうすれば18万7920円も、、、出せません。ごめんなさい。
『何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧』(anond:20210614025554)がめちゃくちゃ刺さってしまい、しんどいお気持ちを供養したくなったためこの文章を書いている。おそらく十番煎じくらいだろう。気づいたらとても長くなってしまったが読む価値はまったくないことをあらかじめお断りしておく。
ある日突然父親が買ってきたのを触らせてもらっただけなので、自ら強い興味を示したわけではないが一応リストに加えておく。典型的なFコードで挫折した組である。
今でも不意に「弾けたらいいのにな」というお気持ちが襲ってくるがこの時の経験のおかげで衝動買いに至らずに済んでいる。ちなみに父親もすぐ飽きた。
その昔ドラムマニア(初代)という音ゲーを始めたことがきっかけで本物のドラムにも興味を持った。マイスティックはそんなに高価でなかったしゲームにも利用できたためあっさり購入した。
ドラムのできる友人としばらくスタジオに通ったがそこまで本腰が入ることはなく音ゲーから気持ちが離れるとともに練習へのモチベーションも薄れていった。
先ほどと同様、ふと「叩けるようになりたい」という感情がむくむく湧いてくることがあるため、家にはスティックと小さいカホンだけ存在している。いつか代々木公園でピクニックに行って友達と酒飲みながら何かしらを演奏したいとか考えながらしかし練習はしない!
ピアノにも憧れた。高校生の時バイトして貯めたお金で電子ピアノ(YAMAHA P-250)を突然購入し両親を驚かせた。それと同時に地元の島村楽器のジャズピアノクラスに通った。序盤の単調な訓練にモチベーションを継続できず、おそらく半年くらいで挫折したと思う。
その電子ピアノはなかなかに高額だったため、その後一人暮らし⇒同棲⇒結婚とライフステージが変わっても処分することができず(いつか時間ができたら再挑戦、みたいな気持ちもある)今も手元に置いてある。妻がピアノを弾けることがP-250君にとっての唯一の救いであろう。
音ゲー(BEMANI)で色々なジャンルの音楽(クラブ系に寄っているが)に触れる中で音楽への関心が高まっていった。さらに当時はBMSという自分で作った曲をBeatmania形式で遊べるようにする二次創作・同人的なアクティビティも一部界隈で盛り上がっていたため、それが自分も作曲できるようになりたいという思いを強化した。
典型的な形から入るタイプでギアにもこだわった自分は、当時おそらく最新だったDTM用音源モジュールYAMAHA MU1000を手に入れるも、独学では進め方がまったくもってわからず、文鎮と化すのにそう時間はかからなかった。
上と関連するが都内に音楽理論を学ぶ塾みたいなところを見つけて大学生時代に通っていた。歌が好きだったため音感を良くしたいという考えもあった。
説明はとてもわかりやすいし、どうすれば上達するかという道筋もきちんと見せてくれるところだったが、理解することと身につけることとの間には大きなが隔たりがあり、大学やアルバイトとの両立も当時の自分には難しかったため、志半ばで解約するに至った。
小学生の頃、グランダー武蔵という漫画を読んで主人公と同じギアを買った。
ブラックバスがいるという県内の沼に一度行ったが根がかりばかり起こすしまったく釣れないためすぐに飽きた。
またまた父親が唐突にレンズセットを買ってきて一緒に使わせてもらったのがきっかけでハマった。当時はCanon EOS Kiss Digitalが10万円台になりデジタル一眼レフが一般人にも手が届きやすくなった最初のころだった。それでもまださほど普及していなかったため、大学でカメラを向けると「おぉ、本格的なやつだ!」と周りの注目を浴びた。それに気をよくし、いつでもどこでもカメラを構えていたらいつの間にか金田一少年の佐木のようなポジションになっていた。それでも役割が与えられた気がして楽しかった。センスはまるでなかったが基本的なしくみや構図は身につけたので何も知らない人から見たら上手だと言ってもらえた。お金もなかったので安い単焦点だけは買ったがさほどレンズ沼にはハマることはなかった。
やがてスマホのカメラの性能が上がってきたこと、SNSの台頭ですぐにシェアできることが重要になっていったことなどから、スマホカメラにシフトしていった。余談だが初代GoProも輸入して買ったが大して使わずに人にあげた。
後述する筋トレとほぼ同時期に始めた。理由は筋肉がついていく中で、強くなる技術も身につけたいと思ったのと、なんとなくカッコよかったから。三十路を過ぎてここまでくるとさすがに自分の性格は把握しており、そう長くは続かないだろうと一年だけと決めて始めた。
基本的なフォームを覚えて生徒同士でミットの打ち合いをするのは楽しかったがスパーリングになると打たれるのも打つのも怖くて、一年限定にしておいてよかった、と思った。
書きながら自分のダメさ加減にさらにしんどくなっている。なお、趣味ではないが公務員試験と公認会計士試験と税理士試験と米国公認会計士試験も課金しながら挫折した。「才能のない怠け者」というトラバ見ておっしゃる通りですごめんなさいって泣いちゃった。
楽器系は序盤の基礎中の基礎みたいなところでモチベーションを保てなくなってしまっていた。スモールステップ大事!最近は「初心者が100日継続した結果」みたいな動画をよく見てる。
資格試験も授業聞いて分かった気になるものの実際に問題に取り組むと全然解けない。反復練習大事!
あとは「選択と集中」も苦手だ。いろんなことに興味が出てしまい、できもしないくせに同時進行しようとしてしまう。二兎追うものは一兎も得ず!
関係ないかもしれないけど何か一つのことを突き詰めるスペシャリストよりは、いろんなことを器用にできるマルチな芸達者に憧れがち。 DonDokoDonのぐっさんとか。
もう一つ、他の増田も指摘してたことだけど、一緒に頑張る仲間を作ろうとしなかったのも挫折が多い原因だと思った。どうしても人知れず練習していつの間にかできるようになっていたいという気持ちが出てしまっていた。寂しがり屋のくせになんでそん時だけ一匹狼しぐさきめるんだバカものが。
これを書きながら思い出したが昔は歌手になりたいと思っていたのだった。年を重ねていく中で自然と諦めがついて忘れていた。ボイストレーニングに通っていた時期もあり、人前で歌うとそれなりに褒めてもらえるくらいにはなった。カラオケは安いしどこにでもあるため、いつでも気軽に楽しめる大切な趣味のひとつになっている。
ずっと痩せ型だったのに、ある時雑誌Tarzanの脱げるカラダ特集の表紙の読者モデルを見て筋トレに目覚めた。正しいフォームを教えてくれる先生が近くにいたり、通いやすい場所にジムがあったりと環境が整っていたため、初心者の状態からベンチプレスで自分の体重と同じ重さを挙げられるようになるまではあっという間に成長した。今は訳あってジムには通えていないが家で自重トレーニングを続けている。
趣味と言えるか微妙だが細く長く興味を持てている分野。昔は毎月ファッション誌買ってブランドやセレクトショップも行ってたけど今はほとんどユニクロや無印。オシャレと言われるより洗練されてると言われたい。その願望は達成できていると感じる。
最近はレーザー脱毛をした。こういうのの良いところは課金さえすれば努力なしで昨日とは違う自分になれるところだ。そんなに歯並び悪いわけではないが次は歯列矯正をしたいと考えている。
わたしは裸眼視力が0.3程度で、日常生活ではメガネを使いませんが
VRで遊ぶときにはメガネをかけたりかけなかったりしていたんですけど
使うといいよと勧められたので機器にセットする度が入ったレンズを購入してみました
購入後にメガネの度数等をショップに連絡して、注文から2日で手元に届きました
通常のレンズに覆い被せるようにセットするのですが
土台パーツはツメでしっかりと固定されるので丈夫ですし
他人に貸すとき(ないけど)などレンズ部分は磁石でくっついているので楽に外せます
メガネと違って視界全体がよく見える!
というかんじでまあまあいい具合です
なるほどこいつのポテンシャルはこれぐらいなんだなという実感を得ました
少し足が遠のいていましたがまた遊ぼうと思います
最近はDEMEOというTRPGのようにボード上で戦闘するRPGを買って遊んでいますが
外人ばかりとマッチするので日本人のぼくは「wow...」「yes...」「nice...」「sorry...」と言っています