はてなキーワード: ポルノとは
その独身高齢女性が女児の時に年が近い男児が女湯に入ってきて嫌だった経験を語っているのが理解できないのはバカだからか?
ないよ。というか早くインターネットでの女叩きや中国韓国叩き難民叩きや生活保護叩きもバス釣りもAVもAIポルノも公共の場でのエロコンテンツも全て厳しい刑事罰で違法にした方いい。
差別やヘイトスピーチで稼いだお金は全て民事で全額請求できて刑事で全額没収して被害者支援に補填するようにした方がいい。
原則無痛分娩で女性医療を全て保険適用にして消費税の対象外にした方がいい。
セクハラや性犯罪や付き纏いを捜査しない警察官に責任を問えるようにした方がいい。
ジャップオスは自分のしょーもない鬱憤晴らしやオナニーのために、他人の命や次世代の賃金や社会を犠牲にしても構わないと考えるゴミ。
イジメもそうだが、加害者に何のペナルティもないから「いくら怒られても俺ら別に何もされるわけじゃないし、痛くも痒くもないし」と社会を舐め腐るのは当たり前
刑法改正厳罰化運動しない国民は差別に加担してると言い切っていい
加害者に甘いクソな差別主義者どもがこの状況を作り出した。そして放置している。人災だよ。
https://note.com/takahashi_shiro1/n/n50d842e6a877
駒澤大学の森田成也氏(マルクス経済学)がトランスジェンダリズムに疑問を持つに至った理由の第一は、主として海外の情報から、とりわけラディカル・フェミニストに対してひどい攻撃や脅迫と暴力を振るっていることを知ったこと。第二は、熱心なトランスジェンダー派ほど、売買春肯定、ポルノ肯定であることを知ったこと。第三に、トランスジェンダーとは性同一性障害の人のことと思っていたが、実際には後者はトランスジェンダーのごく少数の一部に過ぎないことを知ったこと。第四に、2020年6月にJ.K、ローリングさんが、トランス当事者に対して非常に配慮しつつも女性の「身体的性別に基づく権利」の重要性を訴えた声明文(https://note.com/f_overseas_info/n/nb9dee80c5f82)に対して、全世界のトランス活動家と左派が信じたいほど暴力的で誹謗中傷的な攻撃をしているのを目の当たりにしたことである。
注目すべきはアメリカのリベラル新聞『ニューヨーク・タイムズ』やイギリスの左派系新聞『がーディアン』などが相次いで、子供の拙速な性別移行措置に対する強い懸念を示す記事を掲載したことである。ローリング攻撃に加担してきた両紙が全面的擁護に一変したのは画期的といえる。
トランスジェンダリズムには、「生物学的性別」を認めつつ、それとは異なる「心の性別」ないし何等かの生得的な「性自認」が存在するとみなし、後者を前者よりも優先させようとするソフトバージョン(自治体や国際機関などの公的機関など)とハードバージョン(ジェンダー学者、トランス活動家など)がある。
ハードバージョンは「身体の性別」すなわち「生物学的性別」の存在そのものを認めず、「性自認」「性表現」等の曖昧模糊としたものが唯一絶対の性別決定要因であるとみなす。トランス活動家たちはトランスジェンダリズムへの異論を「差別者」ないし「ヘイタ―」の誘惑として、読むな、見るな、議論するなと主張する。彼らはトランス当事者のために運動しているのではなく、トランスジェンダリズムというイデオロギーのために運動しているイデオロギー優先の「カルト集団」と見做すべきである。
クビー著『グローバル性革命』によれば、2007年にインドネシアのジョグジャカルタで29の「ジョグジャカルタ原則」が作成され、それを実行するためにJGBT活動家のための200頁の『ジョグジャカルタ原則の活動家のガイド』ハンドブックが作成され、「混乱を招く方法」「LGBT問題の目標を実現するための具体的な実行方法」等を明示した。
同序文には、「どのような類型の性的嗜好や行為も、小児性愛、近親相姦、一夫多妻、不特定多数との性的関係あるいは獣姦までも排除されない」と書かれている。
「偏差値が高い高校ほど校則がゆるい」とよく言われる。実際、都立のある一番校では、制服なし、校則もほとんどなしだが、風紀は荒れていない。偏差値だけが理由かどうかは疑問(家族状況、経済状態もあるだろうし、私立の高偏差値高校で薬物が蔓延っていたりもする)だが、決まりなどなくて済むのであれば、敢えて決まりをつくらないほうがその社会の構成員に無用なストレスを与えない、というのは事実だろう。押さえつけなければ反発心も起こらないのだ。
究極的に人間は、互いの生まれながらの尊厳を認め合い、「自分がされて嫌なことは他人にしない」という最低限の倫理を身につけていれば、法律などなくとも平和に共存し得る。その理想が実現できないから、仕方なく法で自らを縛る必要があるのだ。
『虎に翼』最終回をで主人公が死んだ後、娘に「お母さんは法律そのものだった」的なことを言われて、幽霊状態の主人公が喜んでいたのは、私にとってはグロテスクなシーンだった。娘から必要悪、と言われていながら、満面の笑顔を浮かべる母。
あれだけ法が取りこぼしてしまった人間たちを見てきながら、まだ法に全幅の信頼をおいている主人公がそもそも理解できなかったのだが、彼女は最後まで法はアプリオリに人類に必要なもの、という認識でいたようだ。
新潟で出会った少女の「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに、直ちに答えることができなかったのも当然だ。彼女には「自然法」という観点が欠如している。「人間が生まれながらにして平等で、それぞれに尊厳をもっている」ということが、“憲法によって与えられている”と考えているのだ。(正しくは“憲法によって保証されている“であり、尊厳自体はアプリオリに存在する;憲法停止したら人権が失われるとでも思っているのか)
しかしこの逆転、このグロテスクさこそが、今のリベラルを象徴しているとも言えよう。
グローバリズムと多様性というお題目で、共感できる背景を共有しない者同士の共存を進めていけば、明文化された決まり=法律だけが、“相互理解”を増進するためのツールにならざるを得ない。そしてその法律が力を持ち、万能なツールとして必要以上に神格化されていく(あとはカネだけが共有可能な価値となる)。それと同時に、それまでの社会を構成していた重要な要素である感情的・非論理的・物語的(説話的/神話的)な共感背景は無価値化されていく。
私個人的には、尊属殺の重罰化は違憲だと思うが、家族は共に扶助すべきという民法の一文は意味があると考えている。「家族」というものが結局はフィクショナルなものだとしても、その“物語”を社会である程度守っていくことに価値はあると思うのだ。
上記の新潟の女生徒からの重大な投げかけの解決法にも心底がっかりした。
女生徒は死に、ダウングレードした娘に、主人公が何か感情的なおためごかしを言って、解決してしまったのだ。まぁ上のような法への認識でいる主人公だから仕方ない。その後彼女は少年法改正についての委員会で「愛でしょ愛」などとまた感情的なことを言っていた。
真のリベラルからすれば彼女のモデルが「家裁の母」と呼ばれていることに怒りを覚えるはずだが(なぜ“母”なのか、性差は意味がないはず)、ここでの主人公の描かれ方は、まさしく保守的な「お母さん」像であった。
もはやこのドラマの立ち位置がわからなくなるほどの倒錯が起こっているように感じたが、実際こうでもしないとまとめることができなかったのだろう。そもそも彼女は法への姿勢という最初の立ち位置から間違えているのだから。
最初から最後までいわゆる「上級国民」しか登場しないドラマであったが(上野の浮浪児くらいだろうか)、その恵まれた位置にいながら、たまに(ポーズのように)反省して見せるだけで、根本的なところでは法の無謬性を疑わなかった。原爆裁判を経て、主人公が変わるかと期待したが、結局はそのままだった。
残念なドラマではあったが、その時代には絶対にそういう発言をしていなかったであろうLGBTを描き始めたところで、ああこれはポリコレ好きのためのポルノなのねと諦めはじめていたので、最後の方は期待感も薄かった。
風俗以外での単純な性欲解消法は、筋トレして痩せ清潔感を手に入れ、それで女性とセックスすることである。
この2つの価値基準に沿ったモノ(いわばマテリアル)は短期間では獲得できない。
ルッキズムとエイジズムは、全体から見ればそう多くはないが、絶対的な数で見れば多くの男たちが何年も何十年もしのぎを削っている分野だ。
彼らはいわば専門家だ。専門家に素人が簡単には勝てない。当たり前の話だ。
そして、一見すると彼らはなんというか、すごく「バカ」そうに見える。幼稚なように見える。
そうではなく、非言語コミュニケーションをとくに観察すべきである。
これは「ノンバ」と呼ばれており、ナンパ用語の中でも最も重要な考え方だ。これが欠けていると、徹底的にモテない。
だが彼ら "専門家" もまた、愛に飢えている。女とやりまくり気持ちよくなりまくり、のその先は何か。虚しいだけだ。
まあ虚しいにしても、まずはやりたいのであれば真似をしてもいいとは思う。
しかし覚えておいてほしいことは、非モテと「モテの専門家」は、究極的には同じだということ。その「モテ」の先には、動物的な喜びしか存在しない。
個人的な意見では、今日ではそもそもこの男の「モテ」という概念が転換しているような気はする。
ちなみに女のモテは「不特定多数の男性からアプローチを受けること」ではない。これは「穴モテ」と呼ばれて女性社会から侮蔑の対象になり、凄まじく屈辱的なのだ。
女はよく「セックスしたいだけなら風俗行けばいい」というが、これは男にとっては単なる侮りとして解釈されるだろう。
そういうわけではなく、商売女ではない女とやりたい男は「愛されたい」「認められたい」「尊重されたい」が本音だろう。
だったら努力しろという話だが、これは逆であり、「努力する価値」を求めているのだろう。
「努力するほどの価値がある女」が周りにいない、ということが問題かもしれない。
所有欲と支配欲、これは人間なら誰でも保有している。男だけではない。
「良い女を大量に保有したい」という考え方が「性加害欲求」として表現される。
これは「性的モノ化」としても言われている。フェミニズム文化では有名だ。
フェミニズムは誤解されがちだが、根本は真っ当で深い哲学に根ざしている。フェミニズムとは、プラトンへの挑戦でありニーチェへの挑戦であり、女性の体への挑戦である。
女はこの「性加害」「モノ化」にきわめて敏感である。これは男が考えている以上に遭遇頻度が多いのだ。
普通の男ではない、偏差値30クラスの男が世の中には多い。そういう男からトップ層まで全員が「モノ化」してくる。
小さい頃からあまりに大量に浴びせられすぎて、さながらテレパシーのようにそういうふうに見られていることがわかってしまうわけだ。その男本人よりも。
こうした「プチ性加害」は、保育園や幼稚園から始まる。下手をすれば赤ちゃんのころから。この「女」という言葉も加害の意味を帯びている。家畜のような扱いを彷彿とさせるわけだ。
「なんだぁ?そんなもの。たかが言葉じゃないか」ではない。ここに、男と女で共通する言葉の基盤が全く異なるという驚愕の事実がある。
もし、同じ言葉で話していると思っているのに、その言葉が示す対象が全然違ったとしたら、それは会話できているようで会話できていないのだ。
まるで日本語と英語で会話をしているかのように、まるでアンジャッシュのコントかのように、会話できていないのだ。
(いわばこれまでの文明全体が「喜劇」とでも言いきってもいいかもしれない。ずっとコントしてたとも言えるな)
言葉の基盤が違うという無理解が、無意識にモノ化を生む。いわば弱者男性も前時代社会の女性も、どちらも既存の社会通念の犠牲者である。
そして、その社会通念が根本からひっくり返っているという、ゲームチェンジしている状態が現代だ。
とくにコロナ以後、経済停滞などが発生し、希望が無くなったことによるのか恋愛に逃げ込む人間が増えた。それゆえ恋愛は熾烈な競争になり始めた。恋愛だけではないが。
弱者男性は「権利が奪われた」と思っている。これは既得権益の喪失だろう。怒りや苦しみはわかる。
だが、女性からすれば「その権利は本来女性が得るべきものだったのに、昔からずっと奪われていたものだった」と思っている。だから、相容れない。
前提知識をシェアできたところで、具体的な解決策についてもシェアする。
まず基本的な清潔感などを身につける。これは生活習慣も含める。なるべく金で解決したほうがよい。この外見の向上は元が微妙であれば微妙であるほど効果的だ。
筋トレもしておく。
それから女性のシステムを把握する。女性向け映画を見るとか女性向け漫画を見るとかするといいだろう。それによって女性の言語を獲得する。
「なんだそんなもの」と思ってはいけない。それこそが非モテの根源だ。
また愚痴は老けを促進する。おじさん、おぢ、老人、ジジイ、さまざまな形容があるが、愚痴の本質は他責である。他責の人間は成長しない。成長しない人間がおじさんなのだ。
男向けのポルノなどは見ない方がいい。あれは女性観を「所有」「性加害」側に倒すものだ。そのようにできているのだ。そうしなければ動物的な興奮が得られないからだ。
それからだが、同世代の女性をバカにするとうまくいかない。彼女らは「本当のこと」を言っていることが多い。
罵倒のようでいて、「それじゃモテねえの当たり前だろ」と厳しい事実を言っていることが多い。あまりにも厳しすぎるが……
謙虚な気持ちになって本気になれば、まあコペルニクス的転回を迎えるだろう。
自分のほんとうの問題は、恋愛なのだろうかと考えたときに、おそらく恋愛ではないはずだ。
恋愛弱者であるという状態は、異性にその責任を押し付け、本当の問題から逃げているだけなのではないかという考えもある。
もしそちらが問題ならそちらを解決すべきだろう。そうすると不思議なことに恋愛もうまくいくものだ。どちらが先にうまくいくかの違いであろう。
どうしても恋愛を最優先で解決しなければならないのであれば、そちらに全精力を注がなければならない。今はそれぐらい熾烈な争いなのだ。
ここまで伝えてわからないならもう知らんぞ。
ちなみにこれは男だけの話ではない。
あんなのは朝っぱらや真っ昼間から家にいるような暇な主婦を相手にしたお気持ちポルノだよ?
お前がやってることはAVに対して「リアルじゃないね。女はこんな潮の吹き方をしない。そもそも潮っていうのは成分的にはおしっこと同じものだけど、失禁とは根本的に違う。これは科学的に証明されているんだよ。このAV女優は潮吹きと称して単におしっこを勢いよく飛ばして、それを男優が上手い具合に指でチラばらせて見せているだけだよね?ただのおしっこを潮吹きのように見せる男優の技術はすごいけど、潮を吹けと言われておしっこを漏らすことしか出来ないこの女優は2流だね。こんな女優を連れてくる時点でこの監督や事務所も2流だ。というかね、潮が吹けないならもう割り切って失禁をさせるということにしてしまえば良かったと思うんだ。それを中途半端でどっちかずな形にしてしまったのはよくないね。まあどっちにしろ、僕は女優の潮吹きなんかには興味がないけどね。むしろ本当に問題にすべきは喘ぎ声のリアリティの無さだ。喘ぎ声っていうのは横隔膜が・・・」みたいなことを延々ほざいてるようなものだよ。見てられない
全年齢層で男が余る理由がこれなんだよね
女は人気者や有名人の上位男性にしか興味がないので一極集中する
無数にいる妾やセフレや財布ややり捨て肉便器扱いでも「あの人気者や有名人と繋がってる」「今日も私の推しはかっこいい」と満足できる
一方で男は、どれだけ美女や美少女で美脚巨乳でも、プロダクションやマネージャーや取り巻きにガッチリ守られて所有できないし触れない女や二次元の女よりも、触ったり所有できるデブスやおばさんを求める
無職で不美人で大金要求する木嶋佳苗やりりちゃんに結婚をちらつかされて大金を貢ぐし、ブローカーに大金を払って貧困大家族付きの日本語を話せない外国人女性を紹介してもらおうとするなど、所有できる女に巡り会えるまで際限なく条件を下げ続ける
https://anond.hatelabo.jp/20240926081732
→30に突入した途端に売れなくなった美人が大量に余って「誰でもいいから私を貰って!」と絶叫、婚活おじさんは選び放題
→40代で婚活を始めた男は大卒正社員でも30代の女性にすら会えず、44歳の女性に群がる
女44歳の婚活 「半年で44人と見合いして真剣交際ゼロです」(全員アラフォー&アラフィフ、平均身長162cm)
https://togetter.com/li/2076251
https://i.imgur.com/7mFWkCA.jpg
なぜ女余り現象が発生しないのかと言うと
まず男は生殖能力があっても女からの需要がないと価値が生まれない
女は優れたオスだと判断した男を捕まえてから初めて「この男の子供を残したい」という本能が発生する
なので不妊に悩むのも強者男性パートナーの子供を残せない既婚女性のみ
逆に男は女に相手にされたことがなくても、加齢で需要がなくなっても性欲や生殖欲や異性所有欲が収まらず苦しんでいる
子どもを産めないおばさんやデブでもブスでもいいから結婚に執着する男は有り余ってるからね
ドリカムの吉田美和やチビブス貧乳aikoが男とっかえひっかえだし
チビガリ貧乳高齢の上野千鶴子も彼氏がいた(没後整理の為に臨終の床で籍を入れるレベル)
黒人狂いで黒人と同棲中にシャブで2回捕まった宍戸錠の娘ですらおばさんになってからイケメンと結婚してヤリマン癌で死産になっても旦那と養子と暮らしてる
木嶋佳苗やりりちゃんみたいな得体のしれない無職低学歴売春婦に結婚して貰うために大金を払う男や、海外の貧困大家族の女性と結婚するためにブローカーに大金を払う男はいても同様の女はいない
小室圭母も近年も医者の爺に金を貢がせており、週刊誌記者に突撃されたら「お金目当てだったのですね」と悲しそうに呟いた
同じくガリガリ高齢女性のコラムニストの中野翠も大学教授など文化人にモテモテで、「中野さんを紹介してくれ」と長年しつこく迫られてると友人の呉智英が言ってた
知らない女相手でも射精できるので風俗やポルノ産業が盛ん、顔すら見えない盗撮動画が無数に溢れ返る
リアルでも窓口やレジの知らない女にしつこく話しかけてうきまとう、電車内でも知らない女相手にトナラーするのは男
vtuber相手はもちろん、女の多いコミュニティや話題に潜り込んでエロネタセクハラネタ連呼したり、貧乳いじり、BBAいじり、独身いじり
果ては金持ちの男からも需要のある美人に対して「すっぴん陸上部JKの方が需要がある、地味ブス巨乳の方が需要がある」
風俗、水商売、AV、グラビアなど性的サービス業の経験のある女も「男に何をされても仕方がない誰からも信用できない人間のクズ」呼ばわり(もちろん男は孤独耐性がないので、得体のしれない不美人な売春婦に純愛や結婚をちらつかされただけで大金を貢いでしまう)
話を聞いてると先週頃からテレビのYouTube閲覧機能で食い入るように政治系の動画、特に高市の動画を1日中観てたらしい
あと正義のミカタとか
元からあの中卒メンヘラ馬鹿女はフェミスピ似非科学に親和性があり孤児院育ちでADHDのうえ好みじゃない男を目にするたびに相手の容姿を口汚く罵倒し性被害嘘松を口走るどうしようもない俗物だとは思っていたが、まさか政治に興味持ってネトウヨ属性まで加わるとは思わなんだよ
確かにYouTubeをチェックしてみると高市が女だてらに舌鋒鋭く汚えおっさん共を論破する弱女ポルノに仕立て上げられた切り抜き動画が色々上がっててあの母親なら食いつくだろうなあとは思ったが、やはり昭和生まれのメンヘラ中卒女なんてこんなもんなんだろうな
全く人をみる目がない
だからあんな被差別部落二世の無責任末っ子ゴミカスクソ親父と結婚なんかするんだよ
これからはネットで盛大に石破叩きを始めるんだろうが、その度にはてな民の用な良識ある市民が完膚なきまでにあの馬鹿女を叩き潰し自殺に追い込んでくれることを祈るばかりだ
あの日、神に願いを託したのは、ある一人の男だった。
「この世の性欲と撮り鉄欲を、どうか交換してください…!」
男は名を田中健二、30代後半に差し掛かった独身男性で、いわゆる“撮り鉄”という部類に属する。
鉄道を撮影することが何よりの生きがいで、日々全国を渡り歩きながら、名だたる鉄道をカメラに収めるのが彼の生涯の目的だった。
しかし、その情熱を周囲に理解してもらうことは難しく、家族や友人からは「どうしてそんなものを撮るのか」と常に冷たい視線を浴びせられていた。
女性との出会いはあったものの、彼の会話の半分以上が「今日の特急あずさの迫力」や「新幹線の美しい流線型」についてだったからだ。
テレビをつければ性欲を煽るような広告が流れ、街を歩けばラブホテルの看板や恋愛を謳う雑誌が彼の視界に入ってきた。
性欲を抱くことが当然で、むしろそれがないことが異常とされるこの世界に、彼はひどく疲れていた。
そんなある日、鉄道の神社に参拝した彼は、思い余ってその願いを口にしたのだった。
「どうか、性欲と撮り鉄欲を交換してくれませんか?」
撮り鉄欲なんて、そんなのが性欲並みに強力なものになるなんて、あり得ないと思っていたのだ。
しかし――彼の願いは、なぜか神に届いた。
翌朝、健二が目を覚ました時、世界は一変していた。
彼が最初に気づいたのは、スマートフォンの通知がやけに多いことだった。
何事かと思って画面を確認すると、SNSには膨大な数の撮り鉄動画が投稿され、YouTubeのトップページも鉄道関連の動画で溢れていた。
何より奇妙だったのは、それらのほとんどに「年齢制限」がかかっていることだ。
健二は頭を掻きながら、YouTubeを開いてみた。
「この動画はセンシティブな内容を含んでいます。18歳以上でないと視聴できません。」
表示されたのは、ただの電車が駅に滑り込む映像。それがなぜセンシティブなのか、健二には理解できなかった。
「めちゃくちゃ良いシーン。完全にアウトだろこれ」
「バンされる前に保存しとけ!」
いつもの撮り鉄の動画が、まるでアダルトコンテンツのように扱われ、視聴者たちも異常に興奮している。
どうしてこんなことに?
混乱しながらも、次に目を向けたのは、街中の広告だった。
以前なら恋愛ドラマや化粧品の広告が目立っていたはずの看板には、なぜか鉄道写真のポスターが貼られ、キャッチコピーには「最高の瞬間を捉えろ!」や「巻頭グラビア芋坂跨線橋!」といった文字が躍っていた。
さらに、健二がコンビニに立ち寄ると、週刊誌のコーナーも異様だった。
普段はファッション雑誌やタレントのゴシップ記事が並ぶ場所に、まるでポルノ雑誌のような過激な鉄道写真集が置かれている。
「な、なんなんだこれは…」
すぐに理解できたのは、健二の願いが本当に叶ってしまったことだ。
性欲と撮り鉄欲が入れ替わり、世界中の人々が鉄道を撮影することに異常なまでの情熱を抱くようになっていたのだ。
それは健二にとって、ある意味理想の世界かもしれなかった。だが、次第にその異様さが浮き彫りになっていった。
街を歩くと、至る所で人々がカメラを構えて鉄道を撮影している。
どんなにささいな路線でも、彼らは真剣な眼差しでシャッターを切っている。
昼夜を問わず、鉄道の動きに敏感に反応し、駅のホームは常にカメラを構えた人たちでごった返していた。
「現在、撮り鉄欲による社会的混乱が拡大しています。専門家によると、この現象は世界的に見られ、既に政府は対策を検討中です。ネット上では過激な撮り鉄動画の規制が進んでおり、多くのサイトが取り締まりを強化しています。」
なんと、撮り鉄動画がアダルトコンテンツとして規制されていたのだ。
YouTubeだけでなく、他の動画共有サイトでも同様の対応が取られており、過激な鉄道撮影はすぐにバンされる。
それでも一部の愛好者たちはこっそりと鉄道動画を共有し、アダルトサイトでは“禁断の鉄道映像”が取引されていた。
完全に狂っていた。
街角の書店に寄ると、性教育のコーナーは消え、代わりに「撮り鉄マナー教本」や「鉄道撮影の基本」などの書籍が並んでいた。
学校でも、保健体育の授業で「撮り鉄の心得」や「撮影の倫理」が教えられている。もはや性教育ではなく、撮り鉄教育が標準となっていたのだ。
健二は家に帰り、ぼんやりと窓の外を眺めた。
外では、鉄道が走るたびにカメラを構える人々が見える。シャッター音が響き渡り、その度に興奮した叫び声が上がる。
「どうしてこうなったんだろう…」
彼の願いは叶ったはずだった。
だが、これは本当に望んでいた世界だったのか?
撮り鉄という趣味が尊重されることは嬉しいが、それが人々の生活を支配するようになるとは思いもしなかった。
欲望というものは、どれも程度を超えれば狂気に繋がるのかもしれない。
そしてふと、彼は気づいた。
撮り鉄欲が支配するこの世界では、性欲を持つ者はほとんどいなくなっていた。
もはや人々は鉄道を追いかけ、カメラを構えることに夢中で、恋愛や繁殖を考える余裕などなくなっていた。
「俺がこんな世界にしたんだ…」
健二は深い罪悪感に襲われたが、同時にどこかで安堵している自分もいた。
少なくとも、誰も彼を「なぜ鉄道を撮るんだ?」と不思議がることはなくなったからだ。それが、彼の心の平穏を保っていた。
人類の存続を危ぶんだ科学者たちが、性欲を取り戻すための研究に着手したのだ。
だが、一度交換された欲望は、そう簡単には元に戻せるはずもない。
プロジェクトのリーダーを任され、プロフェッサーと呼ばれていた男は自宅のPCから鉄道ポルノが見つかり解任された。
人々は撮り鉄に狂い、既に撮り鉄欲を手放すことはできなくなっていた……。
https://x.com/TeacherhaGreat/status/1837095039308288081
『死刑でいいよ。生かしておく意味がない。いつも冤罪がー!って言う人達も、流石にこれはもう死刑でいいよね』
犯罪者が逮捕されたニュースがタイムライン上に流れると「死刑で。」みたいなことを言う人がたくさん湧く。そして大量のいいねがつく。
特に性犯罪への怒りは凄まじく、「死刑なんて生ぬるいから四肢をもいで永遠の苦しみを味わわせよう」みたいなぼくの考えたさいきょうの刑罰みたいなことを平気で書く人もいる。
「さっさと死刑にしろ!司法は何をやっているんだ!」と法律のホの字も学んだことのないような人が裁判官を批判する。
こういうのを見てると毎回思うんだが、この人たちは人類が長い間かけて獲得した叡智である人権や罪刑法定主義や立法意義やらを知らないのだろうか?
と、今まではこういう人たちを見て愚かな人だと思っていたが、最近見て思ったのはどうやらこういう考えを持つ人は圧倒的多数派であるということだ。
引用リプには極まれに自分のような意見を持つ人はいるが、やはり圧倒的多数を占めるのは犯罪者に死を望む声だ。
そんでもって再発防止策や被害者に寄り添う声はほとんどないので、つまるところ絶対に批判されないポジションから叩きたいだけだと思っている。一種のポルノともいえる。