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2024-02-12

映画黄龍の村 SNSにNOTオタク陽キャが迷い込んできて早数年

Netflix配信されているこの映画

2021年公開の作品だ。今月7日に配信された。

1時間しかない。キャストはほぼ無名。低予算

なのに昨日、Netflix映画日本ランキングプラダを着た悪魔を抜き1位を獲得した。

あらすじを見よう。Netflix公式Xより引用

キャンプ場への道中、携帯も繋がらない山中で車がパンクしてしまった8人の若者。助けを求め彷徨った彼らが辿り着いたのは「龍霧村」。

奇妙な村を舞台に、集団狂気想像を絶する惨劇が勃発する。】

何一つ間違いはないあらすじだと言いそうになったが龍切村である誤植指摘。

さてホラージャンルのこの作品グロはほぼないのであるが、まぁ出てくる主要キャラがきつい。

今時のリアルなウェイ系陽キャ軍団想像してくれ。

その解像度もっともっと高めていけ。

最高にリアル陽キャ軍団想像するのだ。

できたか

はい。それが出てきます増田が一番苦手なやつ。

で、まあ陽キャ陽キャでいられなくなる展開なのだが……

SNSでこの映画感想検索するとわりと曖昧レビューばかりが出てくるようになっている。

なんせネタバレ厳禁という暗黙の了解があり、詳しくなんとも言い表せないのだ。

今書いている間も紹介するか迷っているが、まあこれくらいでネタバレ発狂するなら読んだやつが悪いの精神で書いている。

なので「面白い」「好きだ」「なるほどなー」「メッセージ性がある」「評判ほどじゃないなー」「合わなかったなー」「監督過去作全部見る」「天才作品」とかで感想は埋まっているのだが

一部結構批判してるアカもある。

その批判の仕方がなんというか…感情任せであったりして他の投稿を読んでみると…めっちゃ陽キャなのだアイコンがふざけた自らの写真のやつが多いという共通点もあった。

SNS史での大昔なら陽キャはいなかったので(要検証)こういうほの暗いやつが作った映画があっても陰キャオタクだけでニタニタできていたのだが、

昨今のSNS話題になった作品をノリで見る陽キャが、うっかりこの映画を踏んでしまったのだろうと思うと……可哀想だ。もうこれを機に彼らはSNSを辞めてしまうかもしれない。

一つ補足すると、この映画陽キャはなんの罪もなく冷静に見るといい奴らであり、理不尽に苦労するので、陽キャ側の気持ちも分からなくもないが

やはり陽キャ陰キャは交わらないほうがいいのではないかと、SNS世代入学時代になって今更思うのだった。

映画感想

陰キャなのでとっても面白かったです!

U-NEXTでも見れるよ!さくっと見れるので堤幸彦の深夜ドラマ好きな人とか、鬼太郎誕生ゲゲゲの謎とかサンクチュアリが好きだった人は是非見てみてね!

2024-02-11

日本の「推し活」はなんで「作品」ではなく「人」なんだろうか

推し活」という言葉が登場してから、この現象にずっと強い違和感を持ってきた。

聞くところでは「セクシー田中さん問題の背景には、芸能事務所が推す俳優キャストありきのドラマ制作があり、結果として原作脚本が軽視される傾向があるのだという。事実日本ドラマレベルが高くて面白いという話は残念ながら全く聞かない。個人の好みや感想を言わせてもらえば、明らかに10分と見るに耐え得るレベルではない。


しかドラマは量産され、TVerの視聴回数は上位を独占しているという。ドラマ自体特に面白いわけではないとすれば、ドラマを鑑賞している人は、ドラマのものにはあまり興味がなく、そこに出演している推し俳優アイドルコンサートのように鑑賞しているだけなのだろう。

こういう構造のもとで「原作」が軽視されるのは当たり前すぎることだ。ドラマ視聴者の大多数は、推している俳優アイドルしか興味がないかである。当然ながら、ドラマ制作する現場も、出演している俳優アイドルが映えることをまず考え、原作者の思いや作品としての完成度などは二の次になる。


そもそもの疑問として、日本の「推し活」はなぜ推し対象が「作品」ではなく「人」なんだろうか。出版社脚本家やプロデューサーなどを批判する前に、日本の「推し活」文化を廃絶すべきことを主張した方がいいと思う。

セクシー田中さんは他より恵まれ漫画原作ドラマだったはず

映像業界の片隅から見た感想

原作者ブログから分かる事実として

原作者が毎話の脚本をチェックできていた

原作者修正がほぼ反映されていた

脚本執筆経験のない原作者自分脚本を書くという要望が通った

原作者と直接の打ち合わせが行われていない

ってのは確実っぽいけど、このように原作者の注文を通してもらえるのはマジで珍しい現場最後のは特に

まず大前提として、ドラマ脚本って作品ではなくて設計図なのよ。

作品あくまで完成した映像ね。

家を立てるとき設計図がないと必要な資材や施工期間が割り出せないように、

脚本がないと必要キャストロケ地撮影プランが考えられない。

からとにかく早く脚本を上げることが重視されるし、

ちゃんとしたルールもあるのでそれを知らない未経験者に書かせることも普通はない。

んで第一稿上がってきてもそれが一発OKになることはまずありえない。

Pや監督による意見を反映したり各所の事情配慮したりと色んな手を加えて決定稿になる。

脚本家も基本はフリーランス案件単位の受注してるだけの立場からそれらに逆らう権限はないからね。

その一環で原作者チェックも入るわけだけど、

第一稿の時点で可能範囲スケジュールの抑えなんかは動き出してるから大きくちゃぶ台返しがあると困ってしまう。

でも原作者の口出しはなんだかんだ出版社との関係もあって局Pですら容易に拒否できないので、なるべくそういう事態は避けたい。

そこでどうするか?というと、原作者と同席での打ち合わせを行うのだ!

大勢人間しかスーツ姿の偉い人や疲弊した現場スタッフを前に「こういう事情でここをこうしたくて…」と言われてはっきり否定できる人間はそうはいない。

文面でのやり取りではいくらでも要望を書き出すこともできるが、

リアルでの打ち合わせの時間内に出せる意見ならある程度数が限られる。

こうして一回打ち合わせをしてしまばもう「作者の了解を得たもの」にできてしまうので、

後はもういちいち相談せずに一気に完成まで作り切ってしまう。

なんなら立ち上げのときの打ち合わせだけ呼んで「じゃ、後はこっちでやりますんで!」ってこともなくはない。

完全な憶測にはなるけど、今回の場合漫画家出版社テレビ局脚本家も全員経験豊富なので、

間に入る誰かしらが原作の内容を守るために良かれと思って直接の打ち合わせをさせなかったのかもしれない。

ただその結果として作者が最初提示していたまず原作通りに書いてくれという条件も正確に伝わら無かったとか。

まあ間に入る各社で決定権握ってるのはベテランだけど窓口業務経験の浅い若手がやってたりするんで、

ただでさえ複雑な工程曖昧基準物事が進めなきゃいけないこの業界だと、その手の連絡ミスや行き違いは日常茶飯事だ。

とにかくかなり特殊な事例かつ微妙コミュニケーション問題があったんだろうなというのはなんとなく伝わってくるので、

影響力のある漫画家映像関係者が個人経験を元にいろいろ言うのはなんだかなーと思うところではある。

メディアミックスのそれぞれの視点

矢印(⇒)の前に書いたのが担当視点

あとに書いたのが原作が改変される理由

原作

改変は最低限にとどめ、原作に忠実であってほしい。

原作ファンに喜んでほしい。

本業に影響が出ないようにしたい。

映像化で読者が増えるのは嬉しい。

編集者出版社

作品認知度を広めたい。

会社原作者の双方が大きな利益を得てほしい。

自分担当作品成功したい。

原作の「ここだけは変えたくない部分」を理解しているとは限らない。

原作者の手間を増やしたくないので代弁者にならざるをえない。

工数上、やりとりをそこまで増やせないので細部まで監修できない。

原作ファンはすでに原作を買っているため、映像化では原作ファン以外に見てほしい。

ライツ担当

原作者と編集部交渉先(この場合テレビ局)の意向潤滑油でありたい。

自分たちに決定権はないので伝書鳩につとめる。

前例を何より重視する。

権利交渉の窓口役ではあるが、個々のコンテンツには詳しくない。

⇒渉外役としては、交渉先寄りの意見を持ちやすい。前例、慣例を重視するため。

⇒橋渡し役がボトルネックになるわけにいかないので、時間のかかる交渉はしない。もめごと現場に投げる。

プロデューサー

一定ファンを持つ原作がほしい。

そのファンの数を最低ラインとして、映像化(映画orドラマorアニメ)で爆発させたい。

スポンサーを喜ばせたい(=マネタイズ成功したい)。

原作ファンは忠実でも改変でも「映像化で違うところ」を気にして間違い探しで視聴するので、原作ファンの声は気にしない。

⇒むしろ忠実だとわかると全部知っている原作ファンは離れる確率のほうが高い。

⇒完全新規視聴者の興味をひくため、ファン計算できるキャストスタッフを集める。

⇒集めたCMの本数と額で予算が決まるため、スポンサーを集めやすい仕込みを増やして商品設計を行う。

監督

与えられた材料原作演者、ほか脚本音響などのスタッフ)を調理して作品に仕上げたい。

現場は生き物なので撮影中にどんどん手を入れて作品クオリティを高めたい。

⇒何かやるたびにまわりの意向を聞いていたら一生撮影が進まないので現場判断重視。

ドラマアニメは毎話が勝負チャンネルを変えられたら終わりなのでメリハリを強烈にし、CMを見せるために引きを作り、エンドロール前にインパクトを作るのが必須

脚本

原作を叩き台として、映像用に最適化したい。

映像化してよかったと思われたい。

マンガ小説は必ず最初から最後まで読まれる前提なので、ベタ起こしだと単体では意味がわからないシーンや設定が増えすぎる。

⇒尺にあわせて削るだけだと成立しないため、10分15分単位で盛り上がるように脚色・構成する。

⇒「ここをおさえておけば原作の大切な部分は守れている」と判断したところ以外は映像向きに最適化するのが役目。

特に最初の3話、または各話冒頭3分インパクトをもってこないと継続視聴を切られてしまうので極端にしがち。

スポンサー

CMを見てほしい。

投資額に応じた宣伝効果を得たい。

⇒見込み客の人数は原作の部数に比例する。つまりすでに大ヒットした作品以外は、原作ファンより新規ファンのほうが多い。

⇒複雑な話、引きが弱い話はCMを観られない。

視聴者が自社CMに興味をもつ要素がほしい。

演者芸能プロダクション

自分をよく見せたい(=いい役、いい場面がほしい)。

売れっ子スケジュールは先まで埋まっているので、よほど条件がよくないかぎり受ける必要がない。

撮影が進むほど演者気持ちが入ってくるのでセリフ演出への意見が増える。

演者気持ち原作者と一致しているとは限らない。

プロダクション意向バーター条件がはびこっている。

メディアミックスのそれぞれの視点

矢印(⇒)の前に書いたのが担当視点

あとに書いたのが原作が改変される理由

原作

改変は最低限にとどめ、原作に忠実であってほしい。

原作ファンに喜んでほしい。

本業に影響が出ないようにしたい。

映像化で読者が増えるのは嬉しい。

編集者出版社

作品認知度を広めたい。

会社原作者の双方が大きな利益を得てほしい。

自分担当作品成功したい。

原作の「ここだけは変えたくない部分」を理解しているとは限らない。

原作者の手間を増やしたくないので代弁者にならざるをえない。

工数上、やりとりをそこまで増やせないので細部まで監修できない。

原作ファンはすでに原作を買っているため、映像化では原作ファン以外に見てほしい。

ライツ担当

原作者と編集部交渉先(この場合テレビ局)の意向潤滑油でありたい。

自分たちに決定権はないので伝書鳩につとめる。

前例を何より重視する。

権利交渉の窓口役ではあるが、個々のコンテンツには詳しくない。

⇒渉外役としては、交渉先寄りの意見を持ちやすい。前例、慣例を重視するため。

⇒橋渡し役がボトルネックになるわけにいかないので、時間のかかる交渉はしない。もめごと現場に投げる。

プロデューサー

一定ファンを持つ原作がほしい。

そのファンの数を最低ラインとして、映像化(映画orドラマorアニメ)で爆発させたい。

スポンサーを喜ばせたい(=マネタイズ成功したい)。

原作ファンは忠実でも改変でも「映像化で違うところ」を気にして間違い探しで視聴するので、原作ファンの声は気にしない。

⇒むしろ忠実だとわかると全部知っている原作ファンは離れる確率のほうが高い。

⇒完全新規視聴者の興味をひくため、ファン計算できるキャストスタッフを集める。

⇒集めたCMの本数と額で予算が決まるため、スポンサーを集めやすい仕込みを増やして商品設計を行う。

監督

与えられた材料原作演者、ほか脚本音響などのスタッフ)を調理して作品に仕上げたい。

現場は生き物なので撮影中にどんどん手を入れて作品クオリティを高めたい。

⇒何かやるたびにまわりの意向を聞いていたら一生撮影が進まないので現場判断重視。

ドラマアニメは毎話が勝負チャンネルを変えられたら終わりなのでメリハリを強烈にし、CMを見せるために引きを作り、エンドロール前にインパクトを作るのが必須

脚本

原作を叩き台として、映像用に最適化したい。

映像化してよかったと思われたい。

マンガ小説は必ず最初から最後まで読まれる前提なので、ベタ起こしだと単体では意味がわからないシーンや設定が増えすぎる。

⇒尺にあわせて削るだけだと成立しないため、10分15分単位で盛り上がるように脚色・構成する。

⇒「ここをおさえておけば原作の大切な部分は守れている」と判断したところ以外は映像向きに最適化するのが役目。

特に最初の3話、または各話冒頭3分インパクトをもってこないと継続視聴を切られてしまうので極端にしがち。

スポンサー

CMを見てほしい。

投資額に応じた宣伝効果を得たい。

⇒見込み客の人数は原作の部数に比例する。つまりすでに大ヒットした作品以外は、原作ファンより新規ファンのほうが多い。

⇒複雑な話、引きが弱い話はCMを観られない。

視聴者が自社CMに興味をもつ要素がほしい。

演者芸能プロダクション

自分をよく見せたい(=いい役、いい場面がほしい)。

売れっ子スケジュールは先まで埋まっているので、よほど条件がよくないかぎり受ける必要がない。

撮影が進むほど演者気持ちが入ってくるのでセリフ演出への意見が増える。

演者気持ち原作者と一致しているとは限らない。

プロダクション意向バーター条件がはびこっている。

2024-02-09

声優業界って人事流動性なさすぎだろ

声優業界っつうかアニメ業界か?

ずーっと同じ人気声優が何年も主役級を陣取ってるやん。

声優養成学校には毎年新しい学生が来て卒業してるんだろ?

それなのに主要キャスト固定されてたら活躍できないじゃん。

一般企業でいえば役職者がずっと固定されてるようなもん。

下がつっかえるよ。

こんなんじゃほとんどの声優志望者はデビューなんてできずに消えちゃうんじゃないの?

2024-02-06

anond:20240205123108

原作イメージにぴったりなキャスティングをすればドラマとしてウケる上に、キャストにとっての「ハマり役」「当たり役」になれば顔と名前も売れるのにねぇ

女性向けの性的マッサージ専門店で勤めてたけど

性的マッサージをするだけだから、俺の性欲はまったく発散されないんだよね

当たり前だけど挿入はなしだし、お金を払って来てくださってるお客様にナニをアレさせるはずもないし

からキャストの中ではすぐに性的マッサージ(愛撫)≠性行為になっていく

まぁ、何人か本番やってクビになってんだけどさ

俺は1年半くらい勤めてたけど2か月目くらいか女性身体触ってても何の反応もしなくなったわ

ただ、辞めて4年経った今でも彼女愛撫してるときスイッチ入ってナニがシュンってなることがままある

2024-02-05

anond:20240205164346

何言ってんの

独りで作ってないからこそ

ゴリ押しで捻じ曲がるんだろ?

それが無いなら、黒髪ロングヘアの清楚美人には、黒髪ロングヘアの清楚美人キャストされるんだよ


そこに対して、「私が書いたのは企画の叩き台です、皆様のご都合に合わせていかようにも改変いたします」って事だろ?

2024-02-02

ガールズバー女の子と飲むのが全然楽しくない

仲いい先輩にたまに連れてってもらうんだけど、1ミリも楽しくない。

 

自分女の子と話すのがめっちゃ好きで、彼女出来てもマチアプで女に会ってるしハプバーも割と行くゴミ

でもガールズバーの楽しみ方がほんとにわかんない。

 

まずお酒が飲めない。

自体嫌いじゃないし、飲みの席は大好きだけどめっちゃ弱くてすぐに寝る。

から女の子コールで飲ませられるのが苦痛すぎる。

そもそもこの時点で向いてなかったわ。

 

何よりキャストと話すのが面白くない。

かにかわいい子もいるし、めっちゃ褒めてくれるし、会話が途切れてもすぐさま繋げてくれるんだけどなんか違う。

すごい話してくれてるのになんか裏に透けるこっちの全然頭に入ってない感とか、

絶対裏で「酒飲めねーのかよ、しょぼい客だな」って思われてるんだろうなって。

 

普段会う女の子はこっちが笑わせてとにかく好印象残そうって頑張れるけど、

逆をやられると急に冷めちゃう気がする。

普通の子に言い寄られるのは死ぬほど好きなんだけど、裏にお金がちらつくと駄目なのかも。

同じ「イケメン、かっこいい」でも素人キャストに言われるのじゃ全然違う。

しろお金もらってるんだからこういうの上手いんじゃないの?

それで払う料金が高すぎる。

客2:キャスト3、1時間女の子飲み物上げてショットも3杯。

これで26,000。うそだろやばすぎる。

 

正直女性と話すためだけにお金を払うこと自体信じられない。

Tinderの子ランチ2人分出してホテル代、そのあとのカフェ代全部でもお釣りくるじゃん。

ハプバーだって新規で入っても15,000で最後までできるのに。

 

先輩がほとんど出してくれるからその文句を口に出して言うことはないけど、自腹は絶対無理。

単純にプロ(?)と飲むのが好きじゃないのかね。

キャストと連絡先交換とかしたこといから、それができたらまた見えるものが違うのかな。

 

バカちげぇよ、俺がほんとの楽しみ方教えてやる」っていう増田がいらっしゃったら教えてください。

もしくはキャスト経験ある人、ガールズバーいろは教えてください。

 

好きな先輩だから誘い断りたくないんだけど、毎回楽しめなくて鬱。

将来キャバクラかいっても同じ理由で楽しめなさそうで鬱

2024-02-01

anond:20240131200952

増田想像する「批判してる人や擁護してる人が漠然と抱いている事の顛末」に色々違和感

「4.脚本はそのまま使われて」と勘違いしている人はあまりいないと思うし、

「5.腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。」は

そもそもラスト原作者が用意したプロットを使う」が契約条件に入っていたので、「その理由スケジュール上の都合」ではない。

「6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。」も増田の誤解が混ざっているけど、

原作者の力量不足」は原作者がそう感じているだけで、実際は「漫画制作ドラマ制作スケジュールパンパン時間をかけて執筆できる状況じゃなかった」の方が大きいのでは。

あと「7.原作者は後悔している。」のではなく原作者は「後悔ではなく感謝している。」と増田は書いているけど、

感謝しているのは「キャスト撮影スタッフ、読者、視聴者」に対してであって、「日テレドラマプロデューサー脚本家」に対してではないよ。

増田日テレは「客観的にみれば実際には守られている。」というのかもしれないけど、

実際は「日テレが作った脚本約束通りじゃないことが多すぎて、原作者尊厳が損なわれた上でブラック労働を無理強いされた挙句脚本家のモラハラ投稿メンタル崩壊した」

という事態になったわけで、この契約自体が「悪魔契約」だったんだと思う。

約束通りの脚本を提出できない日テレが悪いのに、なんで原作者日テレ放送スケジュールに間に合わせられるよう頑張らなければならなかったのか?

「結果をみれば原作者は最大限尊重されていた」というのは何を見て言っているんだろう?

2024-01-31

日テレ約束を守らなかったのか?

セクシー田中さんの件、SNS議論著名人の発信、スターを稼いでるブコメなどを読んでると、日テレ脚本家批判する人たちも擁護する人たちもどうも事実を正しく認識できていないように思えて仕方ない。

そこで今一度芦原さんのブログに立ち返って冷静に事実確認をしたい。

まず今現在批判してる人や擁護してる人が漠然と抱いている事の顛末は以下のようなかんじじゃなかろうか。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

では事実はどうだったのか、芦原さんのブログを元に順を追って確認したい。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

→これは事実だ。

ドラマ化のお話いただき、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただきながら、

最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。

セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない

作品であることと、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただいた結果として、

僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマ制作スタッフの皆様に対して

大変失礼な条件だということは理解していましたので、

「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに

何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

→これも事実だ。

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

→これはわからない。芦原さんのブログには書いていない

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

→これは事実と異なる。芦原さんは上がってきた脚本をできる限りすべて加筆修正し、原作に沿った脚本に仕上げてそれを元に実際のドラマは作られている。

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

→ここも一部事実と異なる。脚本化を降ろし、9話、10話の脚本原作者執筆したのは事実だが、その理由スケジュール上の都合だ。

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本執筆された方は

9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、

9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき

脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、

という解決策となりました。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

→これも一部事実と異なる。9、10話を納得できるものに仕上げられなかったのは事実だが、それは8話までの出来とは関係なく単に原作者の力量不足ゆえだ。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

→ここは判断が難しい。原作者最初に出した条件が守られていなかったと思っているが客観的にみると条件は守られている。それについては後述する。

そして全体の評価で言えば後悔ではなく感謝している。

最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、

ドラマ制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画ドラマを愛してくださった

読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

論点日テレ約束を守らなかったのか?

7の項で書いたように原作者認識では守られていないように感じていたようだ。だが客観的にみれば実際には守られている。

まずおさらいだが、原作者が出した条件は以下の2点だ。

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

要約すると、

1.漫画に忠実にドラマ化すること、そうでなければ加筆修正する。

2.終盤部はこちらで用意したあらすじからセリフまでをそのまま脚本にすること、できなければこちらが執筆する可能性もある。

そして問題はこの条件が守られたか否か?

ブログには以下の事実が書かれている。

原作者は7話までの脚本を加筆修正してほぼ原作通りに仕上げた。

・8話も改変前の内容に修正できた。

・9、10話は脚本家を降ろし、原作者が自ら仕上げた。

これは当初提示した条件通りではないだろうか?

原作者視点では「思っていたように仕事がすすまなかった」のは事実だろう。

しかしそれはあくまプロセスでの問題であって、結果をみれば原作者は最大限尊重されていた。

まり日テレ約束を守った。

しろ途中で降板させられた脚本家のほうが日テレから軽くみられていたといえるんじゃないか

 

というわけで、今回の件で明らかになっている事実は以上の通りだ。

どんな意見を述べるにせよまずは事実を正確に把握してから発信して欲しい。

ふだん実写映像作品洋画くらいしか見ないんだが、昨年見たブラッシュアップライフが面白かった。

ふだん実写映像作品洋画くらいしか見ないんだが、昨年見たブラッシュアップライフが面白かった。

奇しくも今回の件の日テレ

SFループ物が好きなので、当時2~3話目あたり放送時点でアンテナにひっかかり、TVerで追っかけ最終話までリアタイした。

脚本お笑い芸人オリジナル脚本と知って驚き、最終話近辺でTwitterか何かで顔を知ってドラマ内に本人が出演してると気づいて二度びっくりした。

調べたらもとの芸風もコントのようで納得。

すでに完パケしている漫画/小説原作より、既にテレビ業界にいる創作者がチーム制作するって意味でもハマるのかなあ…。

っていうかブラッシュアップライフ本編の中でもオリジナル企画ドラマを作るくだりがあったけど、キャストの集め方とか原作モノであんなのやられちゃきついよな。

令和になっても未だに原作改変がありかなしかと議論してんのかよ

小説しか漫画しかゲームしかアニメしかドラマしか媒体を変えた時点で原作通りになんてぜっっっっっっっっっっっっっっったいにならないんだよ。

たとえば漫画からドラマになったんなら歌がついてBGMがついてキャストがつくだろう。

コマコマの間の動きや背景等省略されてる表現を補完しなければならない。

尺もCM込みで30分or60分に収めなければいけない都合上尺稼ぎやカットなんかも必要になる。

監督プロデューサースポンサー意向であーしてほしいという要望もあるだろう。

から原作通りなんて絶対ならない。

るろうに剣心最近アニメ化されて、旧アニメも新アニメストーリーは基本原作に沿っているが全然違う印象を受ける。

いいんだよそれで。

どうしても原作通りっていうんなら漫画スキャンしてBGMなしでそのまま流せとでもいうのか。

じゃあ漫画読め。

そもそも件の件は当初の約束が違えられてしまたこと、当該者間のコミュニケーションがうまくいっていなかったこと。

これに尽きる。

原作改変がありかなしかなんてのはユーザー議論することじゃねぇんだっつーの。

anond:20240130203341

全然別口だけど、矢口史靖監督作の映画ウォーターボーイズフジテレビドラマ化され、その後スウィングガールズが公開され再度フジからドラマオファーあったけど断ったと映画プロデューサーが話していた。

フジ側は断られると思ってなくてキャストスタッフ陣ある程度押さえてたらしいとも言っていて、時期的にそれが恐らくのだめドラマ化にスライドしたんだろうなと。

世の中どう転ぶかわからん

原作に忠実な実写化放送開始4ヶ月前から作るなんて無理な話だった

原作者ブログを読む限り、日テレ作品タイトルと設定だけ借りてドラマを作ろうとしてたのが見え見えなんだよなぁ

「もう脚本家キャストも抑えてますから書類にハンコだけください」って話だったんでしょ

脚本家のインスタだって自分が全話脚本担当するはずだったのに」みたいな前提の文章で、原作者が後から口出ししてきたような書き方だったし、

原作者と一緒にドラマを作っていこう」という気持ち最初からなかったんだろうな

民放局のドラマってこうやって粗製濫造されているのだなぁと思った

セクシー田中さんについて、先生脚本を書かなければ…

芦原先生にとって一番クリティカルだったことは、9話と10話の脚本執筆して、その評価が芳しくなかったことなんじゃないかなと思っています

原作通り・結末は自身指定する」という当初のオーダーを果たすために、脚本家を降板させるという(現場的には)強行にでて、

自身作家性を込めたオリジナルストーリーを描いたにもかかわらず、その評価が芳しくなかった(と本人が認識した)のなら、

作家としてのアイデンティティに大ダメージですよ。私は自分作品を守る為に必死にやったはずなのに、それは求められていなかったと。

このあたりの心情は当のブログ文章から何となく読み取れます

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/

この先生テキストについて、自分最初内部告発カウンターかと思ってしまったのですが、

本当は経緯の説明執筆脚本に対する釈明だったのではないかと今では思います


脚本を書いて責任を負ってしまった結果、これは自分作品ではないと分断処理も被害者側に立つこともできなくなり、余計に苦しみを背負うことになったのではないでしょうか。


そのうえで、ブログ公表によって意図せずに脚本家を原作レイパーとして全責任を負わせてしまったわけです。

作品を駄目にしたのは自分自身ではないか、そんな感情が渦巻いてる時にこれは、より惨めに思えたことでしょう…。


先生に届けられた脚本家による9話、10話のシナリオは初稿ではないはずです。現場ではOKとされたものが、原作者監修と回されて全ボツになったわけですから現場士気には少なからず悪影響があったはずです。

また脚本家の方は現場に出向いてる様子で、キャストスタッフとも信頼関係にあったことも忘れてはいけません。先生にはブログ記事にあるように、そもそも交流もなかった。

原作権限として、あるいは契約として先生がやったことは正しいのですが、現場感情としては正しくなくて、これが出来栄えにも影響与えたかもしれません。

なのでドラマ打ち上げにも呼ばれなかったとかもありそうで、そういうのもダメージの蓄積になってそうです。


ちなみにドラマの9話、10話の評価に関してはネット漁ればネガティブコメントはまぁあります。ただそれら全体の1割くらいで、最終回まで見た人は概ねポジティブ感想を残している印象です。

視聴率も9話→10から1%低下してますが、これも面白さと直結している指標とは言えません。

ただ脚本家のインスタと併せて、先生責任を感じるには十分過ぎた、という感じだったのではないでしょうか。


まぁ個人的感想で、このテキストには特に意味はありません。

ブログ発表後に「最終回が変だったのはこういう事情があったからなんですね!」なんて無邪気に投稿してる人もいて、自分先生立場だったら本当に死にたくなるなぁっと思った次第です。



ブコメ返答追記

原作設定を大幅に改変しまくった脚本だったから仕方なく書いたという流れなのに、原作者が望んで書いたのに、みたいな前提になってないか

芦原先生脚本を書かなれけば放送できない状況ではなく、誰かに書けと圧力をかけられたわけでもないようです。

消極的選択だったのでしょうが作品の為に自分が書くと決断したんじゃないでしょうか。

から余計にシンドくなってしまったんじゃないとか、そういう感触です。


・本件は原作者が要望をだし、その了承の下で行われるはずの実写ドラマ化だったはずなのが全く守られなかったのが問題

脚本降板して原作者が出るまでいかないと駄目な程の制作体制がまず問題なんだけども

問題点については異論ありませんし批判必要でしょう。

ただ制作中の作品において、その問題が表出している場合貴方先生立場だった場合どういう行動を取りますか?

芦原先生は正面から必死に戦った結果、「正解が分からなかった」と吐露しています

とても難しい状況だったと感じます


追記

もう触れないほうがいいかなと思っていたのですが、最後に少しだけこっそりと。


本件に関しては今なお延焼していますが、原作映像化の構造、あるいは原作者と脚本家と対立に関する議論に完全にシフトした印象です。

ですが、これは心を痛めた人間が死んでしまった事件であり、自死に至るまでの心の機微に焦点が向けられていないことは素直に悲しく思います


芦原先生がどんな気持ちを抱いていたのか、それが明かされる日はこないと思います

からといって先生の心情や作品を透明化してしまうのは、なんともな感情が抱いてしまます

ですが、このエントリブコメトラバなかには、先生に対する心情や心労に対しての洞察も多数あり、

自分とは異なる観点で書かれたそれらは、大変価値のあるものだと思っていますコメント残してくださった方々、本当にありがとうございます


先生がなぜ「攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」というメッセージ最後に書いたのか。

そのことに各々が思いを馳せることこそが、一番の再発防止に繋がるのではないかと信じたいです。

2024-01-30

いち福本信行作品ファンによる実写化感想

基本全部好きというのは前提で

・天

話が結構端折られてるし主人公キャラが変わってるのに一番好き。ぶっちゃけキャストが発表された時はなんだこれと思ってしまった。特に赤木しげる(吉田栄作)のビジュアルは酷いと思った。でも実際見てみたらめちゃくちゃよかった。色気やべえ。

でんでん曽我すぎる。ほっしゃん無駄に似てて爆笑した。話は色々端折りすぎだけどまあ仕方ない。

カイジ

普通に好き。カイジ実写化映画というより藤原カイジ映画という認識ではあるけど。1作目以外は特にそんな感じ。

キャストみんな良い。なぜ登場人物が一部女性化するのかはわからないが天海祐希世界観に馴染みすぎていて逆に違和感すらあって好き。

アカギ(1995)

雰囲気めちゃくちゃ良い。アカギ棒読み感が逆にアカギらしいし目の演技が良すぎた。世代じゃないから分からなかったけどキャスト豪華なんだな。みんなかっこいい。

アカギ(2015)

コスプレとしてのクオリティが高すぎて逆に不自然である本郷奏多。鷲巣は賛否両論あったっぽいけど自分にはハマった。

素人意見なんだけどカメラワークやら演出やら音楽やら全体的に微妙な気がして少し残念だった。

銀と金(1993)

ちょこちょこクオリティが酷いからこそ好き。銀さんカツラすぎるカツラとか絶妙滑舌の悪さとかVシネマ特有女性が出てくる原作殺しのシーンとか謎BGMとか。

じんわりダサいのにかっこいいところがめちゃくちゃかっこいいの福本作品ぽくて良い。

銀と金(2017)

嫌いではないけどなんかもどかしかった。一番チープ。

リリーフランキー銀さん銀さんぽくないけど好き。池松壮亮自体は好きだし福本作品には雰囲気合ってるんだけど森田としてはヒョロすぎるしちょっと合ってなくて可哀想な気がした。

他の役者たちのいい意味での胡散臭さが福本作品ぽくて好きだった。

福本実写化あるあるの謎女性化の中でも一番酷かった気がする。臼田あさ美自体は好きなのに。

加害者が一番守られるのはどうなのか

犯人を決めつけて誹謗中傷するのは良くない、わかる。

でも原作を改変され約束反故にされ、当人に訴えても聞き入れられなかった被害者世間に「約束反故にされた。原作者であり自分作品ではあるが本意の形ではない」と声を上げ

ファン視聴者TVを見る潜在顧客番組を成り立たせるテレビCMを打つスポンサーの潜在顧客)が「それはおかしい」「いじめを見ているようで不快である」「弱いものが守られる社会であるべき」と意思表明することは自由ではないか

大きな騒ぎにしたのは外野、騒ぎすぎ、というが、TVが成り立っているのはスポンサーがあるからであり、スポンサーCMを打ってテレビの前の顧客商品を買わせることで益を得ているわけだ。

ならば出資者問題視するように「弱いものが守られる作品でなければCM番組も見ない」「弱いものいじめするキャスト作家を使わないで欲しい」と表明するのは正しい抗議ではないか

原作者さんは誰にも守られなかったからもう声すら上げられないのに、追い詰めた発端を作った人々は守られて「環境から変えるべき、誰かを非難すべきではない」と言われるのか?

環境ってなんだ?個々の認識集合体こそが環境ではないのか?

その集合体の中で強い権力を持つ個体認識が偏って、誤っていればこのような事態が起きるのは必然ではないか

誹謗中傷(「殺人鬼」と呼んでみたり「お前が殺した」と責めること)は良くないが、過ちを過ちだと問題にすること(本人に向けてではなく本件の問題点をつぶやくことやSNSトレンドにして社会問題にすること、スポンサー業界に伝わるように抗議すること)は過ちではないのではないか

誰をも責めてはならないと言う話になってしまえば、力の弱いものは抗議する力を持てない。

ストだって誰かの不便を強いたり、誰かを傷つける。交通のストのせいで死に目に会えず人生が変わる人もいるかもしれない。でも誰かを傷つけるならやらないべきだと言うのか?そうじゃないと思う。

難しい境界線だが過ちに口をつぐんで、定義もできてない「環境」のせいだ「業界」のせいだと、対象をふんわり濁してしまうのは良くないのではないか

anond:20240130090539

木村花は「プロレスPRのため」に本人が志望したわけでもなくテラスハウスに出演させられ

そしてテラスハウスはわりとキャストの入れ替わりが激しい番組なのに「PRのために」撮れ高となるエピソードを大して作れないまま長期滞在させられ

また「SNSなんて死んでもやりたくない」と言ってたのにコロナ禍で露出が減るからと「PRのために」SNS宣伝部長という役割をさせられ

神輿強制的に乗せられたんよな

芦原先生に思いを寄せすぎてしにそう

どうしてだろうという思いをずっとしている。

私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。


一番最初出会ったのは「砂時計」という作品だった。

本屋さんでなんの気なしに手に取ったこから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。

読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。

でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。

多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム

幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。

主人公記憶追随たかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。

幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。

砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。

帰りに主人公母親に買ってもらった同じサイズ砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。

大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。

そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。


それから以降の作品pieceBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。

正直めちゃくちゃ泣いた。

自分感情ドンピシャだった。

これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしま漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事作品だった。

女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。

それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。

正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングイメージが違ったからだ。

キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)

それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。

知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。

から本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。

芦原先生アカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。

知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。

でもその時もこうなるとは思わなかった。

思うわけないじゃないか

そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。

私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。

それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。


火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。

そして私が芦原先生自死を知ったのもSNSだった。

本当にやるせない。やるせないでしかない。

もちろん誰かを責めるつもりはない。

SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。

先生最後ツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。

本当にたらればを考えてしまう。

ドラマ化の話がなかったら。

テレビ局最初約束を守ってくれたら。

作者ではなく出版社が戦っていれば。

最後に選ぶのが自死でなければ。

どうしてどうして。

どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。

同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、

SNSを開いていてもそれがどんどんレコメンドされてくる。

同じ気持ち(と言っていいかからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。

特定の誰かを責めたり正義を振りかざすのはよくないと思う。

よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。

特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。

人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。

放つ言葉責任を持って仕事をするのはメディア仕事範囲に含まれないのだろうか。

(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。

問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)


どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。

何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。

ああこれから先、芦原先生作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、

セクシー田中さんが未完で終わってしまたこと」「先生が死んでしまたこと」を思い出してしまうんだなぁ。

島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。

先生どうして死んでしまったのですか。

残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ち必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。

先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。

天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。

私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたか世界であることを願います

そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます

一読者の私でしたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます

どうか、上から見るこの世界がもう少しやさしくなりますように。

2024-01-29

セクシー田中さん事件反省

ネットユーザー反省しなきゃならんだろ

 

人気ドラマセクシー田中さん原作者日テレの“改変”に苦言…視聴者衝撃「なぜこんな行き違いが」「気の毒すぎる」

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2287558/

  

ドラマセクシー田中さん』について | 芦原妃名子 ブログ のはてブページ

https://b.hatena.ne.jp/entry/ashihara-hina.jugem.jp/?eid=244

 

セクシー田中さん原作者ドラマに関する投稿を削除 キャストスタッフ感謝つづっていたが…

https://www.oricon.co.jp/news/2312314/full/

 

セクシー田中さん漫画家投稿削除「攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい」ブログも閉鎖

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/01/28/kiji/20240128s00041000287000c.html

 

1.原作改変で揉める(よくあること)

2.Twitterブログで経緯をファンに向け説明(たまにあること)

3.「原作改変」の部分が記事バズる

4.投稿削除、「攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい」

5.自殺

 

なお原作は未完、これでドラマスタッフ叩いてるやつらほんま

2024-01-27

anond:20240127032134

業界内で評判悪けりゃこんなに使われるわけないので、キャストタレント事務所テレビ局意向あたりを上手いとこ組んで、そういう内部事情的には合理的な改変をできる、ある意味職人的な人なんじゃねえの。

結果として作品の出来が原作に対して悪くなろうとも、そこは責任範疇の外ということなんだろう。

2024-01-25

Liella!5thの炎上における現Liella!5人原理主義から見た見解

Liella!5th福岡ライブにおいて、Starlight Prologを始めとしたアニメ1期曲の11披露で再び1期生5人原理主義者と現行Liella!推しラブライバー(以下リエラバーと称す)が議論する炎上が起こった。

筆者はラブライブ!スーパースター!!を視聴し、その感動に浸り、1stライブまで見に行き2期生が来ると知ってLiella!を去った5人原理主義の1人だ。アニメは一応2期も視聴済だが、到底話したくない内容だ。もちろん今回のセトリはいろいろ思うところがある。ただ、今回の炎上で5人原理主義者を叩くリエラバーの内容を見るとあまりにも屁理屈が多くて頭を抱えてしまったところではある。なので代表面をする訳では無いが、5人原理主義者は何も考え無しに批判している訳ではないと伝えるため、今回はてな匿名ダイアリーを利用し1人の原理主義者としての考え、主観をここに記すことにした。匿名にした理由は筆者個人の都合及び(筆者の仲良い人との)トラブル防止としていることをご理解いただきたい。




まず始めに筆者は全てのラブライブ!シリーズアニメ主体として評価、或いは批判している。それはアニメ自体もそうだがライブでも同様に鑑賞している。今回話すことの大半はアニメ主題としていることを理解いただきたい。また原理主義であると記したが、11人でLiella!という現状は概ね理解している。なので5人でLiella!という絶対的主観までは持ち合わせていないことを伝えておく。しかし筆者の中での最高傑作はもちろんアニメ1期であり、5人のLiella!を原点として考えている。逆に現行の9人、11体制発表には酷く幻滅した。結局私が見たアニメ1期は何だったのかと。5人でもラブライブ!という証明アニメをもって発表されたにも関わらず結局人を増やしますと言われて「そうなんですね!続きも期待してます!」にはならない。筆者は「5人で物語が続く」と思っていたから。ただ決まってしまったものは仕方ないので、せめてアニメ2期や次回ライブで1期の曲は5人でこそ...と思った結果があのザマである。雑なシナリオ不憫キャラの描かれ方、アニメ1期で得た感動を全て雑にして返されたようなものだ。そして挙句の果てにはその都度行われた9人ライブでかつて披露された5人の曲を歌い始めたのだ。ここら辺については語ると物凄く長くなってしまうので省略するが。

せめて、1期公開前に最終的にLiella!は11人になりますという示唆があればそれを受け入れて1期を見れただろう。もちろん1期最終話ラブライブ!敗北の味が薄くなってはしまうが、次が来るということの心の準備はできていた。その示唆さえなくあの神作品ができてしまえば、5人でLiella!という価値観として結ばれるしあとから人増やしますねと言われても納得が行くわけが無い。最初から言ってほしかった。要するに、私が見たアニメ1期を返してほしい、続けていくのであればアニメ1期のストーリーや曲の思い出を大切にしてほしいというのが筆者なりの原理主義に基づく考えだ。


さて、筆者個人の考えはここまでとし本題の炎上の方に入る。単刀直入に言えば、現リエラバー擁護があまりにも屁理屈すぎて説得力に欠けていた。様々な意見を見たが、特に「虹ヶ咲は12人で歌ってるじゃん」「異次元フェスでスノハレアイマスが歌ったじゃん」「キャストが傷つく、キャストMCでこう言っていたじゃないか」という主張を多く見受けた。それぞれの意見について筆者の見解は下記の通りだ。


・虹ヶ咲は12人で歌ってるじゃん→アニメ1期の曲は12人で歌ってないけど?

虹ヶ咲1期で披露されたアニメ曲はソロを除きOP虹色Passions!、EDNEO SKY NEO MAP、13話披露曲の夢がここからはじまるよの3曲になるがどれも9人でないし当時のメンバー及び9人で歌っている(後述するが異次元フェス例外とする)。R3BIRTHの3人は上記3曲を1度も歌っていないしまして初披露となる4th大阪1日目で虹パが披露された時はちゃんと9人(楠木ともりは病のため不登壇だったが)で歌った。アニメ主体として批判しているので前期曲を歌っていないR3BIRTH3人組を含めた12人の虹ヶ咲と、前期曲を歌った11人のLiella!では引き合いに出せない。まあそもそも虹ヶ咲がラブライブ!とは似て非なる番外編ということを割り切っているからというのもあるが。

異次元フェスでスノハレアイマス歌ったじゃん→スパスタ!!のアニメ主体にした批判で他コンテンツを引き合いに出す脳みそを持つ人間ラブライブ!コンテンツにいることに戦慄している。異次元フェスアイドルマスターとの「コンテンツ間におけるコラボレーション」としてのライブなのでアニメを主軸として鑑賞はしなかった。それこそアイマスキャラ含めた虹色Passions!、私のsymphonyをやったが原理主義感情が出てくるほど嫌とは感じなかった。

キャストが悲しむ、キャストMCを聞かなかったのか→筆者が1番この意見に苛立ちを覚えた。そもそも声優のことについて批判していないしどちらかというと対運営を中心とした意見なのになぜ声優が悲しむことになるのか意味が分からない。むしろお前らが批判ツイートをみて中傷した感情声優に置き換えているだけでは?

MCに関しても正直何も言われたところで考えを改めるつもりはない。今回の福岡ライブで「11人でLiella!です」と伊達氏は話したそうだが11である事実を再認識するとしても5人原理主義の考えを改めるきっかけにはならない。擁護や反対の主張をするにあたって声優を盾にする行為はそれこそ声優方に対して失礼ではないだろうか。万一声優から似たような声明があったとしても、声優に対しての批判ではないのでそれで発言を控えようとは思わないが。


繰り返すが、筆者は作品の在り方を問われるようなセールスを行っている運営らを対象批判しているので声優個人個人批判一言も発していない。むしろ筆者の中で声優方の評価は高い方なので尚更批判する箇所が皆無に等しい。故に、運営批判する=声優が悲しむという流れは全く理解ができないので擁護派が言うキャストが悲しむからやめろという問いかけには一切応じない。もし仮に本当だとしてもそれは大変申し訳ないが声優方の解釈や考え方に問題があるとしか言い様がない。つまり自分自身問題なので筆者を含め上記のような批判発言をしている方々に責任はない。むしろ勝手自分のことを言っていると解釈違いされた人達不憫だ。ハッキリ言ってしまえば、悲しむなら勝手に悲しんでくれ。


こんなことをいうとそれでもファンか?と思い始める人が出てくると思うので予め言っておくが筆者はもうLiella!から離れている。1stライブ以降9人での姿を見たのは2023年のブシロックが初であり11人は異次元フェスが初。もう単独に行こうとする気力すら起こらない。ただ応援しているコンテンツ提供する会社運営営業方針肯定するイエスマンになることがファンであるという考えを持っているリエラバーは今すぐその考えを捨てるべきだ。だから肯定だの脳死オタクだの散々バカにされる。バカにされてムカつくというツイートも見たがそういうイエスマンたちは反対派の意見をしっかり読み理解しているのだろうか。筆者からすれば全くそうは見えないのでめちゃくちゃバカにしている。

ではLiella!から離れたのになぜLiella!を批判するのか?それはたまたま目に入ったからにすぎない。テレビをつけたら酷いプレーをするテニス選手をボロクソに叩くことに近い。荷物を頼んでいて時間通りに来なかった時に「なんで遅いんだ、もっと早く来れるだろ」と吐くことに近い。金を払っていようがいまいが批判する権利というのは誰にでも存在する。だからこそ「在宅お気持ちはありえない」という主張に筆者は賛同しない。自分が行った現場で似たような在宅お気持ちを見ても筆者はそれに対して金を払ってないくせに文句を言うなという気持ちにもならない。

今回の炎上で筆者を始めとした5人主義批判している現リエラバーキャストとして応援している傾向があると感じた。だからこそキャストが悲しむようなことを言うなとかって出てくるんだろうけど。

また上記の主張を含め、5人で歌うことの意味を自問自答している人はいなく9人或いは11人として評価しているリエラバーが大半であった。筆者のような5人原理主義者を「過去に捕われている人」として嘲笑しているリエラバーもいた。要するに筆者ら5人原理主義の主張に同意ないし尊重するリエラバーは極小数であった。もちろん筆者は過去に捕われている。このLiella!に関してはずっと過去に拘っている。ただ過去に囚われている事が間違いだと主張するのであればそれは違う。

他のアニメ作品でいうと、イナズマイレブンがそれにあたる。前者アレスの天秤オリオン刻印過去イナイレ凌駕できず散々の言われようであった(ここら辺はアニメ2期を批評するブログにも記載していたので詳細は省略)。その2作品に対しての感想の大半は「前の方が良かった」と。

今のLiella!もといスーパースター!!はイナイレと近い道を辿っている。余程のことがない限り"今"が前より酷ければ人は"前"を好む。イナイレもそうだしスパスタ!!もそうだし。それは見た当時に受けた"良かったという感情"を同じ作品の続きて壊されたからだ。筆者はその余程という部分に捕われて過去にしがみついている。だからあの頃の自分の好きだった5人は9人、11人となり5人で歌う姿はもう見られないという現実を受け入れても筆者の中では5人のLiella!が1番最高だ。

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