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2024-06-09

[]2011.7

https://anond.hatelabo.jp/20240609080631

https://web.archive.org/web/20120129085815/http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=28

夏帆ちゃん写真集

2011.07.08 Friday20:28

もう発売されてるみたいなので、紹介しちゃって大丈夫かな。

映画版「砂時計」で十代の杏を演じてくれた夏帆ちゃん

写真集です。もう、二十歳なのかー。相変わらず可愛いなあ。

2011070800020000.jpg

この中の「思い出の品」のページに、当時私が夏帆ちゃん差し上げた

サイン色紙を、なんと載せてくださっているのですよ。

数ある思い出の品の一つとして、小さく載るもんだと微塵もわず

ページを開いてみたら、半ページ大にどどーーんと大きく載っていて、

うわーびっくりした!

大事に取っておいてくれてありがとう。嬉しいです。ほんとに。

「思い出の地」として、島根でのロケ写真が沢山ですヨ。

「砂時計」の「仁摩サンドミュージアム」「出雲大社

そして、同じく夏帆ちゃん主演&島根舞台映画天然コケッコー」のロケ地、、、

この映画も、すっごい良いんですよ!

くらもちふさこ先生原作漫画も大好きだけど、映画もとってもとっても。

私、何度も観ちゃった。

島根はい意味で、なんていうかこう、、湿度を感じるんです。

山の深い深い緑、静かに凛と張る空気

そこに夏帆ちゃんが、元々そこに居たかの様に、自然と馴染む。

女優さんてすごいなあ。。

幼くも見えるのに、ふとした表情に妙に色気も感じる

個人的に大好きな、魅力的な女優さんです。

私、夏帆ちゃんスナップ写真いっぱい持ってるんですよ。

隠し撮りしたんじゃないですよ。撮影後、スタッフさんにごっそり頂いたのです。

あげませんよー。多分、偉い人にいっぱい怒られるはずなので、

ここにアップも出来ません。自慢してみただけです。スミマセンm(__)m

夏帆ちゃんについて、熱く語る。

ではでは。

2024-01-30

芦原先生に思いを寄せすぎてしにそう

どうしてだろうという思いをずっとしている。

私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。


一番最初出会ったのは「砂時計」という作品だった。

本屋さんでなんの気なしに手に取ったこから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。

読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。

でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。

多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム

幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。

主人公記憶追随たかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。

幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。

砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。

帰りに主人公母親に買ってもらった同じサイズ砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。

大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。

そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。


それから以降の作品pieceBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。

正直めちゃくちゃ泣いた。

自分感情ドンピシャだった。

これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしま漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事作品だった。

女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。

それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。

正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングイメージが違ったからだ。

キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)

それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。

知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。

から本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。

芦原先生アカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。

知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。

でもその時もこうなるとは思わなかった。

思うわけないじゃないか

そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。

私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。

それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。


火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。

そして私が芦原先生自死を知ったのもSNSだった。

本当にやるせない。やるせないでしかない。

もちろん誰かを責めるつもりはない。

SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。

先生最後ツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。

本当にたらればを考えてしまう。

ドラマ化の話がなかったら。

テレビ局最初約束を守ってくれたら。

作者ではなく出版社が戦っていれば。

最後に選ぶのが自死でなければ。

どうしてどうして。

どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。

同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、

SNSを開いていてもそれがどんどんレコメンドされてくる。

同じ気持ち(と言っていいかからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。

特定の誰かを責めたり正義を振りかざすのはよくないと思う。

よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。

特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。

人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。

放つ言葉責任を持って仕事をするのはメディア仕事範囲に含まれないのだろうか。

(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。

問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)


どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。

何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。

ああこれから先、芦原先生作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、

セクシー田中さんが未完で終わってしまたこと」「先生が死んでしまたこと」を思い出してしまうんだなぁ。

島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。

先生どうして死んでしまったのですか。

残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ち必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。

先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。

天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。

私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたか世界であることを願います

そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます

一読者の私でしたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます

どうか、上から見るこの世界がもう少しやさしくなりますように。

 
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