はてなキーワード: 隊長とは
ヨッピーさん自身というより、ヨッピーさんを過剰に持ち上げようとする考えなしのフォロワーどもに言っている。
豊田ヨピ夫さんの人格まで立派であることを期待するとどっかで破綻するゾ。
やまもといちろうについては、有能であると同時にゲスなところがあるのはわかってたはずだ。文章に独特の味があって面白いが憶測まがいの信憑性が疑われる記事を書いているのも前からだった。
なのにそういうところから目をそらし、全面的に持ち上げて勢い付けさせ、落ち目になったら手のひらを返したように何でもかんでも否定するという考えなしのはてブ民には本当に失望したものだ。
それでもやまもといちろうはバランス感覚が優れているので、ネットでの勢いこそ衰えたものの、しっかり自分の立ち位置はキープしている。
彼が落ち目になったと思っているのは、自分たちの評価が全てだと思ってるアホのはてな民だけである。
だが、ヨッピーはやまもといちろうほどは立ち回りがうまくない。自分を制御するのも上手くない。
いまのままだと、おだてにのって簡単に木の上に登ってそのまま落ちてどっかで死ぬ。今回の件もかなり危うかった。
記事にPRをつけるかどうかってのはかなり危うい話題なのだが、その話題に触れる割には立ち回りが下手くそすぎる。
わざわざ地雷原に触りに行った挙句、それを晒して「僕も性格が悪いな」などといい出しているあたり、もうかなり万能感に毒されている。
自分が意識して作り上げてきた好かれるキャラを維持する努力を忘れて、そんなことしないでも自分が愛されると思い始めている。
その周りの人間の反応を含めて、マックスむらいとキッズたちの関係に近づいてきていると言える。
もう半年くらい放っておいて、彼がキッズ化した自分の支持者の方だけ向いて仕事をするようになったら、事故死はもう避けられなくなってしまう。
自意識ってのは厄介なもんで、一度駄目な方向に膨れ上がったら、そうそうもとには治らないなんてことはそれこそ広告業界の人が一番良くわかってるだろう。
笑いの旬が過ぎて、我が出すぎた芸人ほど使いにくいものはない。芸人にとって傲慢さは最大の天敵。
しかしサイバーエージェント批判のときだって、調子に乗ってシャドウバースをよく調べずに叩いた挙句にクソみたいな言い訳して、それをよくわからず擁護するアホがたくさん湧いていた。
彼をあと半年もおだて続ければ、アレのもっと笑えないようなことをやって、対応を誤ってしまったら、こいつは扱いにくいやっちゃな、なんてことになりかねない。
だからフォロワーどもは、時々しょうもないことをやってたら冷水をかけてやるくらいでちょうどいいんじゃないっすかねー(適当)
最近はてぶ見てても就職氷河期を扱ったネタをほとんど見なくなった。たまに見かけるとしたら俺らより若い世代の就職関連の記事のブコメに就職氷河期世代の恨み節とか、切り込み隊長とかが書いてる高齢者介護ネタで「あと10年、20年もしたら非正規の就職氷河期も加わるぞー!!もう日本は終わりだー!!」なんてネタだけ。もう就職氷河期世代をどうやって安定させた仕事につかせるかみたいな話はめっきり見なくなった。
さじ投げられちゃったんだろうね、俺たち。政府のおエラさんにも学者さんにもブロガーさんにも。いろいろ議論して考えたけど、こいつらを救済する妙案も資金もないわって。この前若い頃に見た「トレインスポッティング」って映画の続編がやってたから見たんだけど、若い頃にまともな職につかずドラッグばっかやってた連中が40代になっても相変わらずまともな職つけずにプラプラダラダラしてるって話だった。なんだドラッグしてないだけ俺らのほうがマシだけど、日本以外にも俺らみたいな救いようのない連中っているんだ。世界ってこういうもんなんだな。
たまにブコメで就職氷河期世代っぽい人らが「俺らが就職氷河期で非正規しか仕事できなかったのは政府と財界が原因。だからあいつらは俺らの生活の世話するのは当然の義務だ!みたいに盛り上がっている人いるじゃん?気持ちはすげーわかるんだけど、少なくても俺がほしいのはそういうんじゃないんだよ。俺は「誇り」が欲しいんだよ。今更同世代でうまく正社員になって高給もらってる連中並の収入やキャリアが欲しいとはいわないよ。でもパートや派遣みたくすぐに代用が聞くような仕事じゃなくて、ちゃんと周りから頼られてこれからも頑張れば次があるんだって思える仕事がしたい。まっとうな自己肯定感がほしい。それだけなんだよ。たぶんそれが難しいんだろうけどさ。
努力が必要なのはわかってる。でも何をどう努力したらいいのかわからない。今思えば学生時代は楽だったよな。ちゃんとテストの範囲が決めれれて、範囲内の勉強さえしてれば結果が出せたんだから。中途半端な資格をいくつ取ったって正社員になれないのはわかってるよ。でも他にどうしろっていうんだ?正社員の仕事の条件が「関連業界の正社員勤務経験3年」とかが必衰になっている。正社員経験のない奴はどうやってこれパスすんだよ?
きっと仕事できる奴からしたら「努力の方向が間違ってる」とか「一から十まで道筋示さないと何もできないやつなんて使えない」なんて思われているんだろうな。でも本当に何をしたらいいかわからないんだ。甘えだって笑ってもいいからせめて「○○と○○と○○の資格があったら3ヶ月契約社員。無事にパスしたら正社員」みたいな道筋をくれよ。
まぁ企業からしたらそんな面倒な手順を用意して覚えの悪い中年を雇うより若い新卒雇ったほうが効率的なんだろうな。
海外だったら俺らみたいな中年失業者でも団結してデモ行進して堂々と政府に文句いっているぞとか聞くけど、俺はそんなのしたくないんだ。チャンスがほしいんだ。ちゃんと何年か努力したら親や周りにも堂々と説明できる仕事につけるチャンスがほしいんだよ。
何もしないで生活保護で生きながらえるだけの人生なんて嫌だ。ちゃんと自分を誇りに思える仕事がしたいんだよ。
追記:どうせ「甘え」だの「自己責任」だと叩かれるだろうと思ってたからブコメの内容も予想範囲内だったわ。「なんで連帯してデモないの?」っていうけど、デモしたらしたで今度は「デモやってる暇あればスキル磨いて仕事探せよ」「そんな甘えだからまともな仕事に就けないんだよ」って手のひら返して叩かれるの確実なのに何言ってんだ感。それにちょっと前に安保改正反対でそれこそ国会前に10万人単位のデモが行われても(デモの内容に賛成かどうかは別として)デモ主催者の連中が散々叩かれただけで結局何も変わらなかった。あの惨状を見たあとで俺ら就職氷河期世代が集まってデモして何が変わるんだよ。
あと看護の仕事すすめてくれた人。ごめん、もう経験済みなんだ。30代前半に資格とって何年かがんばってみたけど、じいさんばあさんの体を支えてたりして腰をヘルニアで傷めちゃってね。今もだましだまし生活してるけどもう腰に負担のかかる仕事はできないんだ。
俺の過去の経歴を馬鹿正直に書く気もおきない。俺だって「あの時こうしていれば」って思う経験はいくらでもある。それに毎回「それが原因だろ」だの「やっぱ自己責任じゃん」とか言われて対応するのにも疲れたし、そもそもこういう捻くれたニヒリズムっぽい対応で「だからまともな仕事に就けないんだよ」ってなるし、叩く奴は何言っても叩くからもう面倒くさすぎるんだよ。
それでもこうやって声をあげたのは、誰かが定期的に就職氷河期のことを書いていかないと本当に忘れられるんじゃないかって思ったからだよ。介護やら保育所やらベビーカー問題やら共謀罪やら他の問題がクローズアップされて、むしろどんどんひどくなる一方なのに俺らの問題がどんどん優先度が低くなっているのが日に日に伝わってくる。
同世代で他の連中はちゃんと活躍してるのに俺だけこんな境遇だったら「自己責任」って言われてもぐうの音もでないけど、俺と同じように泥水すすって苦しんでいる連中が数十万人単位でいるのにそれ全部「甘え」「自己責任」で片付けるとか安易すぎだろ。
俺と同じ世代で必死に生きてる連中のコメ本当にうれしかったよ。ありがとう。俺もこんな愚痴ばっかだけど、それでも安楽死したいとかは思ってない。なんとかささやかな幸せ見つけて、それを糧にこれからもがんばろうぜ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170405-00000131-mai-soci
ニュースで「大阪市で同性カップルが里親認定」という話をみた。
子供や同性愛者の受け入れという意味で、可能性が広がるという意味で、好ましい話である一方、これがニュースになる世の中であることに不思議さを感じる。
私はこの話を行為的に受け止められるニュースと受け取ったのだが、2ちゃんとかコメントとかを見てみると、変態が子供を育てるのってどうなの?とか、性行為を行っている姿を子供が見てしまったらどうするの?とか、いろいろ意見はあるようだった。
私は、里親としての責任を果たせるかと、同性愛者であることは特に関係ない気がしている。
今日は3月26日にあった、メキシコの女の子の屍体遺棄の犯人が見つかったというニュースがあっていた。
真っ当そうな人でも、殺人を犯す人がいる。
なんの職をしているのかとか、同性愛者か異性愛者かということは、その人自身の性質とは全く関わりないことだと思っている。上流階級が、人の尊厳を損なう行為はしないのかといわれればそうではないだろうし、同性愛者だから性的虐待を犯すに違いないという考えも、偏見だろう。
普通、子供は親を選べないものだ。だからせめて、里子に出されるような、経済的に不安定だったり、いろいろな問題を抱えていた子供には、子供を一人の人間として接してくれる親のところに行って欲しい。でもそれは、多分同性愛者であることとか、下手するとカップルであることとも関係なくて、月並みな話だけれど、ある程度人を人として接してくれる、気があい、経済的に安定な大人であることが重要なんじゃないかと感じる。
むしろ、周りの人たちが、子供やそのカップルに対してどう接するのかの方が問題なのではないだろうか。
子供は10代だそうだから、思春期になる頃だ。そうしたら、自分の里親が普通でないことももうわかる年齢だろう。そんな中でちょっと疑問に感じた子供が、周りから親である人の中傷を聞いたら、どう思うだろうか?
このニュースを見た人は、様々な考えを持つだろう。だが、このことを批判することで、傷つくのは子供なのだということは、わすれないようにしなければならない。そして、里親となる人物が変態か疑問を持つことも重要だが、それはすべての親に注がれる問題であり、同性愛者であることとは別問題であるはずだ。
同性愛者というマイノリティーが、マイノリティーではあっても決して差別の対象とならない社会のために、むしろこの記事を読んだ私たちが、子供のために偏見や差別をしないように意識しなければならないんじゃないのだろうか。そう思っている。
満を持してゼノブレ3DS始めたけど開始15分でもううんざりしてきたわ・・
今主人公が街に戻って直角隊長?のところに行く、ってところだけど、
・たびたび入るチュートリアルでプレイさせられてる感を感じさせられてうんざり(~しましょう!とかプレイヤーなめすぎだろ
・画面がごちゃごちゃして戦闘シーンがすげーみづらくてドット荒くてげんなり
・クエストとか絆だとかがめんどくさくてうんざり(家の鍵探しとかもういかにもダルすぎだろ・・・)
・戦闘で攻撃がオートでうんざり(ボタンでプレイヤー任意にざくざくやらせろよ・・・こんな中途半端にしか攻撃できねーとかストレスマッハだわ
とりあえずクエスト無視してメイン一本でいきたいけど、なんかどっかでそれだとレベルが足りずにボス倒せないことがでてくるみたいなのも見た気がしてめんどくせーって思ってる
vitaのイース8やった後だからだと思うけどやっぱりグラが荒すぎてすげーしんどいわ
なにもかもぼやけてる感じでもうドットとかFF7並のポリゴンのほうがまだマシって思うレベル
あああああああああああああああもおおおおおおおおおおおおおおおせっかく買ったのにいいいいいいいいいいいいいいいいい
ネトランの津田大介は今に至る「ネットに落ちてる物は全部タダ!コピー上等違法DL上等」という価値観を作り出した男。雑誌時代のゴミクズの集大成。
やまもといちろうは言わずと知れた2ちゃんねるのゴミクズの純粋培養。経歴詐称の総会屋2.0。今はもうシークレットシューズは履いてないんですか?
菅野完はSNS時代のネットの恥部。「公安に追われている」と逃げ込んだ女の家でセックスを迫り、新聞広告を出すからと集めた金の詳細を明らかにしていない。
noiehoieから菅野完になって最近注目されているが、これはネトランから出た津田、切り込み隊長からやまもといちろうになった総会屋2.0と同じコースをたどっている。
3,4年後にnoiehoieの過去がほじくり返され、評価は地に落ちることになるかもしれない。
大物になろうとして結局小銭をつかんだだけで終わった総会屋となるか、
いつの間にかネットで一目置かれる立場に収まったぶっこ抜き津田となるか。
楽しみだな。
dアニメストアでたまたまこの2作を続けて見たんだけども、両方めちゃ面白かったていうかこの2作は全然違うのに構図が似ていてビックリした
クラウズではギャラックスがみんなの善意とスキルを効率的に結集・運用して無秩序な欲望に打ち勝ったけど、その人類大勝利シーンは先にサイコパスを見ていたせいで結構不気味に感じた
ギャラックスで世界をより良くアップデートしていったら最終的にシビュラシステム完成するよねこれ
無秩序な欲望を人類の英知(システム)で抑え込んでより良い世界にしていきたいけど、世界が良くなったらなったでまた槙島みたいなのが出てきて「そんなのは家畜だ、野生に帰るんだ」とか言い出してぶっ壊しにかかるわけだ
どっちなんだよと
序盤に出てきたあかねの家みたいな生活あこがれまくるんだけど、ああいう総合生活支援ロボットみたいのいいよね
今後VRの発展で作られたりするんかな?
ほかにも現実と攻殻機動隊の中間くらいの微妙なラインの近未来社会感は本当によかった(服の転送とかはオーバーテクノロジー感あったけど)
作中は猟奇犯罪者ばかり出てきてなかなかグロかったが、とにかく格闘シーンがかっこよかった。どみねーたは起動遅いし判定も遅いし無駄に威力強いしで使いにくそう
あと影薄いけどドローン君たちは毎度大活躍だったな。ただの箱が喋りもせず走ってるだけなのにかわいいという不思議。タチコマによる先入観か
終盤、あかねがシビュラに呼ばれたところであっこれまどマギ展開くると思ったよね
「私、すべての潜在犯を消し去りたい! 過去と未来すべての潜在犯を! 叶えてよインキュベーター!」って言ってシビュラの一部とかになってシステム変革すると思ったよね?
そんなことはなく結構泥臭い終わり方になったけど現実はあんなもんか
あとイケメン先輩(名前忘れた)がとっつあんと同じになっていくところはベタだけどグッとくる。手も潰れてたし義手にしたんだろうな
調べたら劇場版もあるんだな。見なきゃ
1話のスーツのギミックがかっこよくて戦闘で魅せていくのかと思ったけどそんなことはなかった
戦闘はあんまりしないが序盤からルイ君とギャラックスとか謎だらけの展開でどんどん引き込まれた
はじめちゃんがちょーかわいいんだけど底知れなさが不気味で(もし仲間が死んでもへらへらしてそう感があった)、どこかで一度へこんだり落ち込んだりするとこ見せてくれないかな~とか思ってたけど、カッツェをデートに誘ったところでああこのキャラはこれでいいんだなと、このまま突き進んでくださいと
他のキャラもみんな個性的出ててよかった。隊長かわいい。ODの強さだけは言ってるのと違くない?って感じのしょぼさだったけど(カッツェの力と相殺されたんだろうか)
あと食べ物描写もいろいろよかった お弁当とか隊長のおつまみとか
でもカッツェは絶対に許さないよ。好き放題煽ってたら巨乳女子高生がかまってくれてキスされて最後はおっぱいの中に保護されるなんてあるわけないだろ。調子に乗ってたらブクマカに正論で煽られて憤死するとかの落ちでよかったんだよあんなの
まあ面白かったしいいや。さーて2期もみるっすよ~
山本一郎(切り込み隊長)や宇野常寛(善良な市民)がいつの間にやら平然と「知識人」として昼日中のお茶の間に顔を出せるようになってるのって本当に日本的な現象だなと思う
2ちゃんねらーを煽動してネットゴロとして有名になっただけですよと言われたら顔をしかめるだろう
しかし実際それしか功績がない連中がテレビに出る、有識者面をする
隠してもいない、隠せようもない、知ってる人は誰でも知ってる経歴は何故かなかったことにされる
有名になった経歴が曖昧にされたまま、とりあえずテレビに出てるから「有名で偉い人」ということで落ち着く
あまつさえネットゴロですよとこのように教えてすら、テレビに出てるんだからそれだけじゃないでしょうとか何とか言って多くの日本人は事実より印象を固持し続ける
プロのラジオDJとして長い経歴を持ちながら、いつの間にか整形してミドルネームがついて経営コンサルタントとして有名になっていたショーン川上を見ていた、事情をよく知るラジオ業界人の気分はどんなものだったであろう
ショーンKは最終的に化けの皮をはがされた
ショーンKは化けの皮がはがれた
「外人さま」を僭称した罪では裁かれたものの、「いやいやそれでも良いことを言っていた」などと言う馬鹿信者は未だに途絶えない
ただただどっち付かずで100%無難なことを言い続けた「ザ・日本のコメンテーター」にすぎなかったのに、あの声と格好で印象づけられた「この人は凄い人」という思い込みは、経歴詐称でもその「凄さ」の根拠が灰燼に帰してももう永遠に変わることはないのだ
愚かなりしやわが同胞
それは騒ぎすぎだったろうなぁと思う。
ラジオやネットとかでは映画評論家の話や見に行った人の口コミが
上がって来てた。(テレビで最初に取り上げたのはユアタイムか?)
うーんこれは流石になぁー、とは思った。
(NHKが営利目的で番組作れたら映画紹介評論番組作りそうなもんだが、金が入った時点で評論は無理だな)
まぁそれが結果的に、映画好きはテレビなんか見て映画を選ばないって話なんだろう。
でも、やっぱり能年玲奈がのんになったことが影響してるのだろうなぁ、と。
普段、朝ドラ含め、実写を全く見ない人間だけど、のんちゃん騒動は流石に知ってた。
のんが何かのアニメ映画で声優をするとは小耳に挟んではいたけれど、
NHKの公開前の特集(今は平和記念公園になってしまっている中島本町という商店街の理髪店の話)見るまで
のんが色々言われてはいるが、アニメ映画好きなので誰が声優だろうと、見に行こうと思った。
のんがやってよかったとは思うが、のんじゃなくてもこの映画は評価高かったと思う。
ただ、やっぱりのんが原因だかテレビに映画を見る目がないんだかしらないけど、
この映画が取り上げられないのが残念で残念で。
やっぱりこの映画多くの人に見てほしいな、とは思った(つまんねーって意見あってもいいと思う)。
映画の宣伝のために裏事情出して炎上させているのか、圧力かけての火消しなのかわからないけど、
ファンに叩き続けるメリットはないけど、叩くのやめるメリットもないもん。現時点では。
叩いた方が騒ぎになるし、見てくれる人いるだろうし。
映画の内容が素晴らしくて売れ始めた。
火消ししようとしても、もう映画の評価は多分変わらないし、今後も売れ続ける可能性が高い。
どっちの方向からおせっかい焼かれても、今ガッキーがすごいんでしょ。
だから、事務所は気にしないっしょ。っていうか気にしたって骨折り損じゃん。
よけいなことに関わらないで、素直に映画を楽しもうじゃないか。
いい作品とそれを愛する映画のファンの前には、全く無力なんだ。
あー、ローグワン見に行くか迷うわー。
やまもと隊長の介護ニュースの記事のバックナンバー読んでたら、
続きものじゃなかったかなー、と思って検索してみたんだけど、勘違いみたいだった。
ここ最近、隊長の調子が悪い。都知事選でも能年玲奈に関しても、ポジショントークに終始しているし、今回のほぼ日に関しても切れ味が悪い。勢いがあって笑えた文章も、ただの罵倒にしか見えなくなってきた(個人の感想です)。
この変化は、メディア環境の変化と関係があるだろう。元々、隊長の持ち味はどこから集めたのかわからないリーク情報をベースにして、それをネット文体で書きたてるものだった。ちょっと前まで、ネットには独自取材をする人がいなかったので、それはとても貴重なものだった。しかし、バズフィードに代表されるように、既存メディアからの人材移動がいよいよ本格的に始まり、取材力を持ったライターが現れ始めたことによって、その価値は薄れてしまったのだ。
既存メディアのライターは強い。なぜなら、電話取材ができるから。何か起こったらすぐに取材をしてその日のうちに記事にしてしまう。正規のルートで一気に突破する。隊長は片手間にやっているから、この点で出遅れてしまうし、本業ではないから正規のルートが通れず、取材力も弱い。
雑誌の凋落で人材が週刊文春に集中し、彼らがネット展開のやり方も覚えてしまったので、出処が不確かな噂話も価値がなくなってしまった。
この変化はすべての個人の書き手に当てはまる。あなたはこの数ヶ月、個人ブロガーが「炎上」以外で注目を集めているのを見たことがあるだろうか? かつて「面白い」と言われていたネットメディアも、ぜんぜん見ていないのではないか? おそらく「YES」と言うだろう。既存メディアで教育を受けてきた人がいよいよネットに進出してきたので、個人ブロガーの存在感はどんどんなくなってきている。素人の与太話や感想を読むくらいなら、きちんと取材されたものを読みたいと思うだろう。
Kindle Unlimited、Dマガジン、Netflix、TVer……書籍も雑誌も映画もテレビも、すべてプロが作ったクオリティの保証されたものが、インターネットで手軽に見られるようになってきている。この変化は、インターネットにいっぱいいる個人の書き手を、どんどん駆逐していくだろう。切込隊長も例外じゃない。いよいよ「古き良き」インターネットは終わろうとしているのだ。
ドイツ軍のソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組織的殺戮作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人の絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。
「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパのドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決』遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段の計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」
この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議を召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民局ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。
「ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。
1941年12月11日、日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツはアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦の様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツを戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界の世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。
ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録はニュルンベルク国際軍事法廷に証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分がゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。
「総統の意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方に追放し、その跡地に対して行われることになった…
ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」
ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域のユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツの占領国や同盟国とは別にイギリス、ソ連のヨーロッパ地域、また中立国のポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、アイルランド、トルコといった、ドイツが占領する予定だった国も含まれていた。
ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーはアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後の証言で「ヒトラーがユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実、東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害—特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務に対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所を対応させる必要があった」。
この会談の直後、アイヒマンはアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。
ガスを使った殺害はナチ・ドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画は1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式な組織として医師を擁する医療関係の諸機関(大学・研究所・病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。
かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体は特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会側から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。
しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである。
絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍の戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間で捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車か冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊なパイプが排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。
「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連のドイツ占領地域では1941年の12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。
1941年12月8日。占領下ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初の絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれた区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」
「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれた場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年春から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティ(ヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。
1941年11月。ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議でハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人である。ハイドリヒは1942年5月にチェコのレジスタンスに暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファースト・ネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官兼警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツの東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者のウクライナ兵部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近の住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。
ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室へ直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人が 処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。
ルブリン近郊のマイダネク収容所はユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。
強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国領ポーランド南部、シレジア地方に建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランド名オシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎の敷地に強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校と政治犯を収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍需工業に囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所、アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所の建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所(アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体はガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム=火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体はガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所は絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所へ移送された。他に子ども、双生児、脊髄に障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。
生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。
厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓にさらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道な所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人用バラックからは毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツ・ビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。
去年ごろ互助会という言葉ができて散々もめたもんだが、山本一郎こそ互助会だろうという話をする
いいですね^ ^参考になりますみたいな最近のくだらない互助とは違う、昔から居ついてる互助だ
「なるほど隊長はあの出来事をそうみますか」みたいな「その視点その踏み込みさすがですね」的なコメントが並ぶ
あと特徴的なのが小池百合子関連だろう
なにが気に入らないんだからんが小池百合子が都知事になると山本一郎は急に彼女への批判を始めた
ふーやれやれ、まいっちゃうよこの女史(山本一郎はなぜか女性を女史といいたがる)
みたいな一歩引いた俺の立場からみた冷静な小池百合子批評なんてものを好んで載せるようになった