2016-12-06

切込隊長凋落は「個人メディア」だったネットの終りを象徴している

ここ最近隊長調子が悪い。都知事選でも能年玲奈に関しても、ポジショントークに終始しているし、今回のほぼ日に関しても切れ味が悪い。勢いがあって笑えた文章も、ただの罵倒しか見えなくなってきた(個人の感想です)。

この変化は、メディア環境の変化と関係があるだろう。元々、隊長の持ち味はどこから集めたのかわからないリー情報ベースにして、それをネット文体で書きたてるものだった。ちょっと前まで、ネットには独自取材をする人がいなかったので、それはとても貴重なものだった。しかし、バズフィード代表されるように、既存メディアから人材移動がいよいよ本格的に始まり取材力を持ったライターが現れ始めたことによって、その価値は薄れてしまったのだ。

既存メディアライターは強い。なぜなら、電話取材ができるから。何か起こったらすぐに取材をしてその日のうちに記事にしてしまう。正規ルートで一気に突破する。隊長は片手間にやっているから、この点で出遅れしまうし、本業ではないか正規ルートが通れず、取材力も弱い。

雑誌凋落人材週刊文春に集中し、彼らがネット展開のやり方も覚えてしまったので、出処が不確かな噂話も価値がなくなってしまった。

この変化はすべての個人書き手に当てはまる。あなたはこの数ヶ月、個人ブロガーが「炎上」以外で注目を集めているのを見たことがあるだろうか? かつて「面白い」と言われていたネットメディアも、ぜんぜん見ていないのではないか? おそらく「YES」と言うだろう。既存メディア教育を受けてきた人がいよいよネット進出してきたので、個人ブロガー存在感はどんどんなくなってきている。素人の与太話や感想を読むくらいなら、きちんと取材されたものを読みたいと思うだろう。

Kindle Unlimited、DマガジンNetflixTVer……書籍雑誌映画テレビも、すべてプロが作ったクオリティ保証されたものが、インターネットで手軽に見られるようになってきている。この変化は、インターネットにいっぱいいる個人書き手を、どんどん駆逐していくだろう。切込隊長例外じゃない。いよいよ「古き良き」インターネットは終わろうとしているのだ。

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