はてなキーワード: 習い事とは
子どもも五体満足で一姫二太郎、若干癇癪持ちではあるものの普通学級
何甘えてんだよって言われるかもしれないけど
自分の時間が 労力が 気力が 全てが 子どものためだけに吸われていくことに
ある日突然とてつもない恐怖に襲われる
でも多分独身や子無しならそれはそれで悩んでると思うので、
今の生活に後悔はないんだけど、それでももう少し「私」を返して欲しいと叫びそうになる
学校に行ってる&在宅の仕事なので、昼間は時間結構あるはずなのに、使い方が分からなくてフリーズしてるみたいになる
それで毎日焦って夕ご飯の準備して、お迎え行って宿題見て習い事の練習させてるうちに口論になってイライラして
毎日これ
早く独り立ちして欲しい
なんかわいのような微妙に金のない人間は、子供できると不幸だろうな。
いっそなければ、全部金ないですむんだけど、そこまでないってことはないんだよ。
ある程度は、お金はかけれるけど、ある程度なんだよ。
うちは金ないから、ゲームも買ってあげれないし、習い事も無理ってことではないんだよ。進学は絶対ないみたいなこともないんだよ。
そこまで貧乏だと、逆に割り切れていいんかなと思う。
まぁ、わいの子供の頃の友達にもそうゆう子おったし。あいつはあいつで楽しそうやったし。
年収1000万ぐらいだとこうなっちゃうんだよ。年収3000万ほしい。もしくは、年収1500万ぐらいの女がわいと下方婚してほしい。
はじめに、これは母親と娘(私)の話です。ブログを書くことが本当に久しぶりなので、元々文才の無い自分が書くとさらに読みづらいと思います。すみません。
母親との関係に悩みが尽きないと感じるようになったのは、ここ最近のような気がしていた。
ずっと、"それ"は繰り返されていた。
諦めのような、虚無感を含んだったこの感情は、幼い時から繰り返し感じていた。
私は"それ"を知っていた。
いつも走っていて、時々転んでは汚れた服のまま、また駆け出しているような子だった。
あまり記憶が鮮明ではないが、おそらく仲の良い友人に彼が気になると話していたのだろう。
母は、私が彼を好きなことをいつの間にか知っているようだった。
ある日、お迎えに来た母に「〇〇くんはどの子?」と聞かれたのだ。
私は無邪気に指をさして母に教えた。
その時、左斜め下から見た母の顔を覚えている。
眉をしかめて、口を少し開けたまま、「そう。」とだけ呟いた母は、明らかに嫌悪を私に示していた。
悟った。ああ、母の機嫌を損ねてしまったと。
母の機嫌を損ねることは私にとって何よりの恐怖だった。
おそろしいことに、それは今でも。
小学生の頃、着て行く服は母が全部選んでいた。
天気、気温、行事、学校帰りの習い事。あらゆる条件をクリアする服装を毎日ぴったりと揃えて準備してくれる。
私は母の選ぶ服が好きだったし、母曰く「上品で程よくキュート」な洋服を友人に「似合っているね」と優しく声をかけられた日はとても嬉しかった。
きっと忙しい日もあったのに、毎日毎日準備をしてくれたことに感謝している。
ただ、一度私が着たいと思った服を「似合わない」と言われた時に、私はとても怖くなった。
可愛いな、と思って店内で無邪気に手にしたそのワンピースを「変よ」と一言、それだけで怖くなった。
「いいね」と言って、母もこちらに寄ってきて一緒にその服を手にしてくれると思っていた。
でも違った。
文章にしてみると、ただそれだけのことなのに、私は自分の感覚すべてが間違っている、と強く思った。
中学、高校は制服があったので母が毎日服を選んでくれる習慣は無くなったが、例えば友人と出かける時に服を選ぶと必ず私は母に「どうかな、この組み合わせ」とつとめて明るく聞いた。
「似合わない」「違うと思う」と言われたらどうしよう。
「いいと思う」と言われる日もあったし、「スカートの丈がおかしい(母は膝が見えるスカートのことをおかしいと言う)」とそっぽを向かれる日もあった。
たいていの場合、バツをつけられたアイテムはすぐに他のものに変更していたが、どうしてもそれを着たかった時、別の組み合わせでプレゼンする。
初めて言われた時、殴られた方がマシだと思った。
10代の私にとって、大きな壁を作られたような、それはそれはとても恐ろしい体験だった。
すぐにすがった。「やっぱそうだよね。どこかで見た感じをまねしたかったんだけど、違うよね」「やっぱり私センスないから、これやめるね」と。
ただ、ここで母の機嫌は元に戻らない。
もう、こちらの声は聞こえていないのだ。
ツーン、と。こちらの顔を全く見ない母の"それ"は大人になればなる程長くなる。
大人になると「もうその服は年齢的にきついと思う」とよく言われる。
気に入った服、お金を貯めてえいっと気合を入れて買った服、家族には話せていない思い出がつまった服。
みんな色がなくなったみたいにして、ゴミ袋に入っている。
私が些細と思っているだけで、母には大きな出来事かもしれないが、私にとってそれは静電気くらい、突発的にパチッと起きる。
金曜日、帰りにこれを買ってきてほしいと頼まれて、無事購入し帰宅してみると頼まれたものが冷蔵庫に入っていた。
「これ買ってきたよ?」と購入品を見せると、「たまたま出かけることになったから私が買っておいたの」と言う。
ここで、「そうなんだ。ごめん、私も買っちゃったから冷蔵庫いっぱいになっちゃうね」と謝るべきだった。
だけどその日ひどく疲れていた。
「連絡してくれたら買ってこなかったのに」と言ってしまった。
アウトだった。
この会話で、私は週末ずっと脅えながら過ごすことが決定した。
普段はテーブルにランチョンマットかお盆を置いて食べる夕飯時、私がそれらを準備する前に母はドン、と音を立てて食器を置く。
高校生の頃突然のことに驚いて何も言えず、立ち尽くす私に目もくれず、母は不機嫌をアピールするように食べ始めた。
時々、はあと大きなため息や、小さな舌打ちが聞こえる夕飯は心臓が苦しいだけだ。
「いただきます」と合掌しなさいと叱っていた子どもの前で、何も言わずに食べ始めた母は5分も立たずに完食し、「ごちそうさま」も無く、大きな音を立てて席を立ち、自分の使った食器を洗い始める。
私は一人静かに、なるべく音をたてないようにして夕飯を食べる。
こういう流れになったとき、自分で食事をつくると悪化するので、静かに皿の真ん中をみつめて、吐き気におそわれながら食べ進める。
リモコンを触ってチャンネルを変えると負けなのか、誰も見ていない番組が延々と流れる。
父の仕事の関係で、夕飯はいつも母と二人だったので夕飯時は好きなドラマや映画を見ることも多かったのに、あまり馴染みのない番組をBGMに冷たい時間が流れる。
そして、食後に甘いものを食べたり、一緒に片づけをする時間はもちろん無く、
食後に片づけを終えた後、私はすぐに歯を磨き、眠る準備を整え、頭を深く下げて「おやすみなさい」と伝えてから自室へ向かう。
しかし、いつもこう言われるのだ。
「何が?」と。
喧嘩ができない。
投げても返ってこない。
この冷戦期間、母がいるかもしれないリビングにはなかなか行くことができないので、薬が必要な時に飲めるように常備薬は自分の部屋に常に置いている。
自室へ行く前にコップかマイボトルに水を入れていくことも忘れないようにしている。
慣れてしまった気もしている。
気持ちが落ち着く香りがするものや好きな飴を自室にこっそり置いて、少しでもこの小さな部屋で快適に暮らせるように試行錯誤してきた。
でも、何度経験しても突然こちらを向いてくれない、口をへの字にした母の表情には慣れない。
おそろしいことに、アラサーになった今でもこわくてこわくて仕方がない。
こわがっていることが情けない。
でも、こわいのだ。
ずっとこわいなら、すぐに家を出ていたかもしれない。
でも気づいたら、大学も就職も県内で、はじめからそれ以外の選択肢は無かった。
母に「A大学へ行け」と言われたわけでも、「B社に就職しろ」と言われたわけではない。
それは多分、ずっとこわいわけではないからだと思う。
母はほんとうに優しい。
優しく、ときどきユーモアがあって、音楽が好きで、海外の映画が好きだ。
ごはんもとても美味しい。
私が作るごはんもすごく褒めてくれる。
働き始めて家にお金を入れる度に「自分の好きなものを買っていいのよ」と言った後、ありがとうと優しく受け取ってくれる。
優しい母が好きだ。
愛してもらった自覚がある。
あらゆるものから守ろうと、常に私のことを気にかけてくれたことに感謝している。
話は変わるが、通帳をしばらく紛失したことがあった。
仕事が忙しく、それどころではなかった時期なので、「家の中でなくしたのだからいつか出てくるだろう」としばらく放っておいた。
ある日、通帳がどうしても必要になり、家中を探した。どこにも無かった。
そんなはずはないと連日通帳を探す私を家族は心配そうに見ていた。
仕事に関して抱えている不安と、見つからないものへの不安がごちゃまぜになって、まるで狂ったかのように家中を探していた。
仕方ない、半休を取って通帳の再発行に行こうと思い、心配してくれた母にも報告した。
銀行に行き、「〇週間ほど、通帳を探したが見つからないので再発行したい」と伝えた。
対応して下さった行員の方の言葉に、私は鈍器で頭を殴られたかと思った。
おととい、つうちょうをつかっておかねをひきだされていますよ。
頭が真っ白になった。
何行かにわたって記された数字を見る。残高はほとんど無かった。
あまり覚えていないが、「勘違いかもしれない、すみません」と怪しまれる前にとにかく銀行を早く出たかった私は多分適当な言葉を並べて足早に去った。
私はまっさきに思った。
話してくれたら、いくらでも使っていいのに。
当時、あることでお金が必要だということはうっすら雰囲気で感じていた。
でも「私出すよ」と娘である私が言うと偉そうなのかもしれないと思っていたし、両親がそういうタイプの人間だと知っていたので、必要ではあるけど足りないという話はしていなかったこともあり、能天気に流してしまっていた。
いくらでも、あげる。
今までたくさんもらってきた。
私も参加させてほしい。
銀行の近くの本屋でなるべく人の少ない階の隅の椅子でこっそり泣いた。
立っていられなくなった。
あと少しで仕事に行かなければならないことと、家に帰ってどんな顔をすればいいのかわからないことで頭がぐちゃぐちゃだった。
話したらお金を出してくれない娘だと思われていたのか。
だから隠し続けたのか。
必死に探している時、不安でいっぱいな私をどういう気持ちで見ていたのか。
学生の時、同級生とのあるやりとりについて注意されてから、携帯のメールや通話履歴は見られるものだと思って使っていた。
話せないまま、外出が急に増えたことを不自然だと問い詰められる前に別れてしまう。
気になる人ができても、母に紹介する時のことをイメージしては〇か×を考えてしまう。
もう、こわい。
母ではない。
こわがっている自分がこわい。
今日も、"それ"は起きました。
来週、とても緊張することがあるから今週はとてもおだやかにすごすつもりでした。
そうしないと乗り越えられない気がしていたからです。
そのことを思うと怖くて眠れない毎日だったから、なんとか心のバランスをとって生きた今月でした。
でもだめでした。
私は家に帰り「言ってくれたらよかったのに」と言ってしまいました。
でも疲れていたのです。
言い訳かもしれませんが、ほんとうに心も体もふらふらだったのです。
ゴミ袋に入った気に入った自分の服を見て涙があふれてきたので、取り繕うこともできませんでした。
帰宅する旨の連絡をした時に返信で教えてくれたら助かりました。
もしくは「ごめんごめん」と笑って流してくれたら、もっと助かりました。
流れず、返されず、そっぽを向いて投げられたボールをずっと追いかけて走っています。
走る私の背中を監視するような目でずっと見ていますね、わかります、感じています。
だんだんと体が冷えてきました。
窓の外は本当に真っ暗で、でも部屋も真っ暗なので、まるで境がありません。
どちらが暗いのか、もうわかりません。
すでに息子が一人いるが、以前から二人目が欲しいと言われていてかなり辛い。
妻のことは当時も今も愛していて、妻は子供が好きなのもあって、"子供は作らない" と簡単に告げることはできなかった。自分は自身の時間も大事にしたいとも強く思っていて、それが削られるのも嫌だなぁという気持ちがあった。ただ、妻に一生我慢させるのもそれは違うので、最終的には、「一人なら子供が好きじゃない自分でもなんとかなるかな..気持ちも変わるかもしれないな..」と思い、長男を授かった。
実際のところ自分に子供が生まれてみると親としての感情なのか、可愛いと思う気持ちはあるし、人生が幸せになってほしいと考えられるようになった。それでも、同時に「愛するように努力しなければ」と意識している自分もいて、本気で無償で子供を可愛いと思っている人とは根本から考えが違うなぁと感じる機会も多かった。保育園で自分の子供以外の子供を見ても特に可愛いとは思えない。ただ、生まれてきた子供には何の罪も無いので、自分のこの気持ちは息子は一生知らなくてもいいかなと思ってる。
今現在は時間的や精神的な余裕があり、子供が一人であることによる恩恵が多い。本人が興味をもった習い事もさせてあげられているし、ある程度欲しいものも買ってあげられている。息子が今後どういった道を志すかもわからなく、一人のほうがその時に自由な道を選ぶことができるようにしてあげられるかもしれない。今は小学生になりある程度落ち着き、子供が生まれる前と比べるともちろん減ったが、自分の時間もある程度確保できており精神衛生を保てている。
でも、子供が生まれてから数年間はめちゃくちゃ辛かった。子供が好きじゃないことを自覚しながら、周りは誰もが「子供が生まれてよかったね」「可愛いでしょ」という感じで、「実は子供好きじゃないけど頑張って可愛いと思おうとしてるんですよね」とはまったく言えなかったし、言える空気になかった。そういう気持ちにならなければと「可愛いですね〜」と無理矢理ヘラヘラ言ってる自分がすごい気持ち悪かった。
ただ、相方は以前から子供が二人欲しかったようで、息子の友達も兄弟がいる人が多いのもあり、定期的に二人目が欲しい旨を伝えられてきて精神的にツラくなっている。
上記の一人っ子による利点を話しても「兄弟がいるのが普通」「一人っ子だとワガママになる」という話になってしまう。自分の実際の気持ちは「子供が好きじゃないし、息子のことは頑張って好きになった。二人目はその気持ちになれるかわからない。」という話になるのだが、万が一息子に伝わってしまうことを考えると、これを実際に口に出すことはできないし、人として今更これを言ってはいけないのではという気持ちもあり、言語化することができていない。
自分は妻のことは愛しているが、二人目の子供がいないと一生妻は幸せになれないのだろうか?
自分の些末な感情は殺して社会通念的に必要な二人目を作ればいいのだろうか。
でもそれで今後の人生上手くやっていけるのだろうか。
友人はあまり多くない上に近場に住んでる人がいないので、ご飯でも映画でも水族館でも観光スポットでも旅行でもホテルでもディズニーでも、基本どこへ行くにも一人。
どこかに出かけるたびに毎回誰かを誘うのは大変だろうし、誘えるくらいの関係性の人間が周りにたくさんいるのが凄いなと思う。
特別仲が良い人間が1人だけ居たとしてもおそらく毎週その人を誘い続けるわけではないんだろうし。
一人は楽だけどたまに人とそういうところに行きたくなる。引っ越してきた知らない土地で友人を作る良い方法ってあるのかな。
10代であれば学校があるし、30代以上であれば習い事があるけど、会社員の20代が知らない土地で知り合いを作るのが実は一番難しいのかもしれない。
https://togetter.com/li/1791171
なので書く。
まず「当たり屋対策」で必須なのは、それを想定しておくことだ。
想定しておけば、その時自分が取るべき行動もわかる。
もちろん、これは俺1人の経験に過ぎない。
あれは3年ほど前。
朝の出勤時間帯。
俺は車を走らせていた。
俺は一時停止線で車を止めた。
左右を見て、車を何台かやりすごし、進もうとしたときだ。
左側面に中年男が立っているのに気が付いた。
そいつは車のすげー近くに立っていて、運転席をガン見していた。
俺は「何事!?」と思い、ウインドを下げて「どうした?」と聞いた。
するとそいつは、「ぶつけられた」と言いやがった。
「はぁ!?動いてねーよ」と俺は言った。
そいつは「ぶつけられた」と繰り返した。
俺は「頭のおかしな奴だ」と思った。
でもこのまま去っては、ひき逃げになる可能性もあるとも思った。
俺は路肩に車を止めた。
俺はその時「こいつは当たり屋だ」と思った。
状況も、痛がり方も不自然すぎた。
俺は「金が欲しいのか?」と言いそうになったが、その言葉を飲み込み、110番した。
お互い無言だった。
俺の頭は、「どうしようか?」とフル回転していた。
しかし、こんな状況想定していなかったため、なんも思いつかない。
警察は数分でやってきた。
警察官は「一応、傷を見せてください」と聞いた。
そんなやり取りの後、現場検証が進められた。
俺は当たってない。
一時停止線で止まっている時に、横から現れた。
と、主張した。
俺の車が停止線で止まり、他の車を何台かやり過ごした後、俺の「どうした?」という音声が入っていた。
全く写っていなかった。
完全に死角だった。
そこで俺は「車を見てほしい。傷なんてまったくない」と主張した。
俺の車はまだピカピカの新車かつ、洗車したばかりだったから、傷一つない。
俺は「あれほど痛がるのだから、それなりに衝撃があったはず。傷が無いのはおかしい」とも主張した。
警察官は困った顔をしながらも「確かに傷はないが、ぶつかってないのを証明できるわけではない。相手がぶつかったと言う以上、一応事故扱いになる」と言ってきた。
続けて「ただおっしゃる通り、当たり屋の可能性もある。だから必ず保険会社を通して交渉してください」と。
保険会社に全て任せようと思った。
そんな不穏な空気を感じたのか。
警察官は「本当に呼ぶのか?」と聞いた。
中年男は「呼んでくれ」といった。
警察官は「どこの病院に行くかは、我々が関知できないし、交通事故でそんな指定はできない」と答えた。
今思えば、ここが大きな間違いだったと思う。
俺はすきを見て、保険会社に連絡した。
担当さんは状況をすぐに察してくれ、「全てこちらで対応します。なのでお客様は一切対応しないでください。お金の請求があっても応じないでください。お詫びのあいさつに行くのも不要です」といった。
俺は「全てお任せします」と伝えた。
連絡先を交換した。
ホームページには「交通事故に強い弁護士なら、○○にお任せ!!!」と書かれていた。
俺の警戒心はマックスになった。
俺は「保険会社に全て任せた。そっちに請求してくれ」と答えた。
中年男は「保険会社は信用できない。もし保険会社が払わない時は、お前が払え」と言ってきた。
俺は「「保険会社に全て任せた」と答えた。
そんなやり取りが10分ほど続いた。
俺は面倒になり「もう帰る」と言った。
ぶん殴りたかった。
その後、保険会社の担当さんから電話があり、「こちらですべて対応します。相手と連絡を取らないでください。電話がかかってきても出ないでください」と念押しされた。
免許は4点減点だった。
ただしゴールド免許は失われ、タイミング的に青色6年が確定した。
音沙汰はさっぱりなく、俺は事故をすっかり忘れていた。
そんな時に、1本の電話がかかってきた。
中年男は「保険会社が金を払わない。お前が払え。約束しただろ」と言ってきた。
俺は「全て保険会社に任せている」と答えた。
そんなやり取りが10分ほど続き。
保険会社としては、それを払うわけにはいかず、難航していると。
「もし中年男から電話がかかってきても、出ないでください」と念押しされた。
もちろん俺は出なかった。
中年男が夜中に自宅まで来た。
家族は大変怖がっていた。
そりゃそうだ。
保険会社に連絡をした。
弁護士を立てることになった。
弁護士先生は「私が代理人になった。今後の連絡は私にせよ。当人、保険会社には連絡するな」という旨の書類を中年男に郵送した。
そのたびに弁護士から「代理人弁護士に連絡せよ」と、中年男に警告してもらったがまるで効果が無かった。
しかも中年男は、次第にエスカレートしていき、俺ではなく、家族に接触するようになってきた。
さらには夜中にハガキを直接郵便受けに入れたり、家や車の写真を撮っていったり、ストーカーのようになっていった。
家族はおびえていた。
しかし俺が「交通事故の相手が・・・・」と言った瞬間、警察官は「それはねー、うちらでは対処できないですわー!」と畳み込んできた。
俺の話なんて聞こうともしない。
裁判をすることになった。
すぐに裁判できないのは、裁判になるとまっとうな事故被害者が泣きを見るため、まずは調停で話し合え、という裁判所の見解があるようだ。
調停に先立ち、弁護士は、中年男の保険履歴を、自賠責団体に問い合わせた。
するとやはりと言っていいのか、中年男は何度も事故を繰り返し、総額1000万近い保険料が支払われていた。
これによりこちらの主張は「中年男は事故を故意に起こした可能性が高い。だから一切の金は払わない」となった。
中年男は出てこないと思われていた。
中年男の主張は「こっちは被害者。迷惑している。早く金を払え」の一点張りだった。
調停委員から、過去の保険履歴を問われても、「今回とは何の関係もない」の一点張りだった。
話し合いには平行線だった。
さらに中年男は、裁判官から「代理人がいる以上、直接の連絡はするな」と言われても、「それには従えない、これからも直接請求する」の一点張りだった。
こうして調停は不調となった。
民事裁判になった。
これは判決までに通常1年以上かかるらしい。
家凸のたびに110番したが、何の解決にもならなかった。
というのも被害請求の家凸は、法的に認められており、警察が介入できないから。
また、この時に来た警察官に、保険金詐欺の被害届を出せるか聞いてみたが、難しいとの回答だった。
詐欺は立証するのが難しく、おそらく今回のケースではダメだろうと。
これは運よく、こちらの訴えが認められた。
一応、「仮処分」という名前だったが、時効は無く、半永久的に続くらしい。
ちなみに今回は「運よく」こちらの訴えが認められた。
これは「ふつうの民事問題で、接見禁止が出るのはレアケース」という意味である。
被害の請求は、法的に認められており、その権利を害する可能性があるため、ふつうは認められない。
ただ今回は中年男の異質さが際立ち、接見禁止もやむえなしとなったようだ。
だがこれから違う。
次に来たら、大いに罵倒して怒りをぶちまけてやろうと思っている。
ただ残念ながら、この命令が出て以降、中年男の嫌がらせはぴたりとやんだ。
さて肝心の裁判は今まだ争い中だ。
進展があったと言えば、中年男の手口が分った点だ。
裁判中、いくつかの保険会社に中年男の資料を開示してもらった。
そこには過去の悪行が色々と書かれていた。
手口はどれも一緒。
すべて停止中の車に横からぶつかっていた。
俺と同じく、何人かは「ぶつかってない」と主張していたが、保険金が出ている以上、事故処理されたのだろう。
そして中年男は、保険会社から支払いを拒まれた後、家凸、会社凸、習い事先凸を繰り返していた。
そして被害者が恐れをなし、保険会社が渋々支払うという手口だった。
保険会社の資料は、客対応のやり取りが細かく書かれており、「○○様は悔しいとおっしゃられていたが、もう関わりたくないともおっしゃられており、解決金の支払いに動くことにした」という記載もあった。
他にも似たような記載がいくつもあった。
こうしたことから、保険会社としては、客(車側)が「払ってほしい」と言えば、払わざるを得ない感じのようだ。
つまり当たり屋から見れば、車側に「払ってほしい」と言わせればいいのである。
あと不自然に思ったのは、中年男が「半年ごと」に事故を繰り返していた点である。
これは半年以上の通院は、保険会社の審査が厳しくなり、慰謝料を取るのが難しいからだそうだ。
あと気が付いたのは「出勤時間帯」ばかりだった点。
中年男は、勤め人である(健康保険証に勤務先が書かれていた)。
おそらく労災やら、病休などがかかわっているのだろうか?
通院に関しては、まずはクリニックを数回受診。
診断は「異常はまったくないが、本人が痛がっている」と。
その後なじみの接骨院へ。
という流れがばかりだった。
それなのに、なぜか会社を休んで通院したことになっている(慰謝料の請求書)
あと気が付いたのは被害者が「高齢者または、女性ばかり」という点だ。
「弱そうな人」を狙っていたのだろう。
ちょっと脅せば、すぐに金を払うような。
ちなみに俺は30代かつ、男であり、見た目も仕事も車もガテン系であり、対象にはならなさそうである。
何故俺を狙ったのかはわからないが、その後のゴタゴタを見る限り、おそらく誤算であっただろう。
これはどうも、世間体を気にしているようだ。
「裁判をしている=悪」「詐欺師に金を払った=頼りない」といったイメージがあるからだろうか。
それとも、こうした悪質な当たり屋がいるからこそ、成り立つ商売でもあるのだろうか。
俺は保険会社の担当さんに「被害届を出したい」と何度も言ったが、「社内で相談する→今回は見送ることに・・・」のコンボばかりだった。
担当さん曰く「警察は、被害届を受け取ってくれるかもしれないが、たぶん捜査はしてくれない。詐欺事件を立証するのが難しいと知っているから」と。
==========当たり屋対策のまとめ==========
俺にとっては、事故処理という孤独な戦いの中、数少ない仲間(味方)でもあった。
あと、「怪しい」と思ったら、事故調書にサインしてはいけない。
保険会社は事故に強い弁護士を知っているから、スマホで選ぶより確実だし、ぼったくられる心配もない。
俺はこれを心底悔やんでいる。
あとしゃべるな。
こうした輩は必ず録音している。
何か約束すると、あとで面倒なことになる。
俺は「全て保険会社に任せている」「弁護士に任せている」の一点張りだった。
謝ってすらいない。
それでも中年男は、俺が「すべて責任を取ります」「保険会社が払わなくても全額払います」と言ったと、口頭弁論で主張しやがった。
当然そんな証拠はないため、こちらが反論するでもなく、スルーされていたが。
しゃべるほどに、都合よく切り取られる恐れがあるから。
「全て保険会社に任せている」という魔法の言葉を使っておけばいい。
裁判で使うことになる。
家凸した証拠を必ず残せ。
こういうのが積み重なって、相手の異常性を客観的に示すことができる。
ちなみに防犯カメラで夜撮影した映像は、怪しさが倍増するので、「こいつはやばいやつだ!」という印象を高めることができ有効である。
あと、専門家を雇え。
金はかかるが確実である。
提出する口頭弁論用の資料も、こちらの主張に反論するだけで、中身はまったくない。
心証も悪いようで、中立のはずの裁判官もなぜかこちら寄りに話を進めてくれる。
最後に。
誠意をもって対応すること。
関わってくれる保険会社、弁護士、警察官、裁判所の人達、家族、近所の人達に対しての誠意だ。
この誠意を守っていれば、悪い方向に行くことは決してない。
「俺は間違ったことを絶対にしていない!」「それをみんなが認めてくれている!」という自信が、心の支えにもなる。
この支えこそが、ぶれない心となり、当たり屋への毅然とした態度になる。
裁判中に他の被害者の方の連絡先が分かったので、連名の被害届を段取り中。
警察には嫌な思いもさせられたが、その後も何度か相談している。
でもこんなクズに食い物にされ、バカにされ、なめられたままじゃ気が済まない。
徹底的にやる予定。
そこで優しく色々話してくれる、大学生の男の人がいた。
大学生の男の人はすごくその界隈で人気があって、いっぱい女の子からリプが来ていた
当時発売開始された、彼が好きな清涼飲料を飲んではTwitterに報告して、リプ待ちをしていた。
いつしか好きが高まりすぎて、DMで告白した。彼女にしてくれることになった。
ただその人は関西に住んでいて、中学生の私にはとても会いに行ける距離ではなく
会いたい会いたいと繰り返すものの、会いに来てくれるわけでもなく
しかも顔も知らないままだった
彼は相変わらず界隈の女の子に人気があったので、それに私は嫉妬しまくって駄々をこねたが
めんどくさがられて、しんどくなった。
そんな時に、別の2つ上の男の子が優しくしてくれたので、そっちを好きになっていった。
進級があるタイプの子供の習い事についていくと、学年が上の子供が比較的早く進級していくのを見る。
その辺は理解力の差なんだなぁと傍から見ていて思う。とある教育本で言うところの、脳のOSの違いみたいなものを感じる。
テストの時に先生がちょっとアドバイスすると、それで即座に修正して合格レベルまで持っていける子たちが居る。
そして、先生の話を即座に理解し、それを体で表現できる子たちは一発目のテストで先生の思い描く基準を満たし、合格して進級していく。
年齢が上の子供のほうがそういう子供の割合が多いし、兄弟で来ている子も上の子の勘がいいと下の子に家で教えているのか一緒に上がっていく。
それができず、先生の求める動きができない子たちは合格に時間がかかる。...と、親がしびれを切らしてやめていったりする。
まさに元増田の話はそういう話なのかなと思った。
それとは別の習い事で親子で参加できる奴に行って思うに、全く同じ指摘を先生に受ける人は理解力が低いと感じるかな。
大人は先生の動きをよく観察していているし、二度と同じ指摘を受けないように注意するものだけれど、子供にそれは難しそうだなと思う。
子供のころ、習い事で大人ばかり早く進級することに「大人だからって下駄を履かせやがって」と思っていたけれど、いざ大人になってみると、理解力の差を明らかに感じる。
私は国立の付属幼稚園の受験に合格してこのかた17年とても良い環境で育ってきた。高校まで俗に言うエスカレーター式(もちろん内部進学試験はある)で上がってきたのだが、校内でいじめを見たことは一度もない。
もちろん問題を起こす生徒はいたものの「超えてはいけない一線」を越えるようなことをする人は一人もいなかった。陰口さえ殆ど聞いたことがなかった。
なかなか偏差値の高いところなので中学校、高校で入ってくる人はみんな厳しい受験を勝ち抜いた頭のいい人達、幼稚園、小学校で入ってくる人は親の意識が高い人達。だから、いじめという低レベルなことは起きないのだろう、高校生の時まで私はそう思っていた。それまで、習い事のスイミングやそろばん教室で公立の学校の子達の酷いいじめを見てきていたから尚更そう思っていた。
しかし、大学に入って違うと知った。大学は一般受験で頑張り偏差値の高いところに入ったのだが、サークル内でも学部内でもいじめを見た。いじめは馬鹿でリスクも高いことなのになんで所謂「頭の良い人達」がいじめをしてしまうのか意味がわからないと思った。
どんな環境でもいじめが起こり得ると知った今、これまで「子供をいじめにあわせたくないのなら良い学校に入れればいいのに」と考えていたのがいかに傲慢であったかを知った。良い学校に入れれば確かにいじめにあいにくいかもしれないが、絶対にあわないわけではないのだ。
ラーメンのために自分の家から遠く離れた所に行く人の気持ちが。
今日、初めて分かった。
みんな、目的が欲しいんだな。
目的がないと休日ずっと引きこもることになるけど、習い事みたいな金のかかることはしたくない。
交通費+1000円程度のコストで、知り合いに多少ドヤれるような知識がつく趣味。
確かにちょうどいいな。
8
節目や変わったなと思う日が8なことが多い
遠くへいってみたり、なかなか買えないものを買ったり。動いてないと、お稽古とかをしてないと時間を使えないタイプ。5日間休んだらあとの5日は何していいんだろうって困ってると思う。
宝塚受験3ヶ月前にバレエや声楽を習い始めた。時間がないから毎日深夜まで、必死だった。
覚えてないけど、とても緊張する。ちょっと違うことを考えると手が遅れたり、みなさん一緒に早替わりしているとみなさんに迷惑をかける。この間の新人公演は冒頭に早替わりがあって、毎日壮さんの早替わり見てはいたが、本番は手が震えた。
雪組の上級生、同期、下級生。あたたかく仲が良い。しあわせ。これからも雪組でいっそうがんばりたい。
8秒62。これは、どうなんでしょう。ど、どうなんだろう。ちょっと、早まってしまいました。
ファンのときDVDなどでは90周年だった。今在籍できていて幸せだし責任を感じて、これからも宝塚がどんどんどんどん先に続いていけるように、微力ながら努力を重ねて精一杯つとめていきたい。
自分語りです。
うちの親、愛情を持って私を育ててくれたのは確かなんだけど、少々極端に教育熱心で過干渉だった。
一人っ子だし何をしても先回りしてあれこれ言われるので、将来を思って親が決めてやらせてくれた習い事も「親が言うからやる」もの以上でも以下でもなくて何のためにやっているのか全く理解していなかった。
長くECCに通ってたけど、英語を覚える!という目的すら全く見えていなかったので(先生の言うことを反唱した後その日出てきた文章から何となく察してドリルをやるルーティンとしか思ってなかった)中学入って教科に英語が入ってもさっぱりダメだった、というかようやく「あ、英語ってこんなふうに覚えて使えるようにならなきゃいけないんだ、」と気づいた。
幸い私自身は勉強自体は嫌いではなかったので、親に強制された事以外の勉強は自発的にやっていて(親に見られて口出しされたくないので朝4時とかに起きてやっていた)結果まあぼちぼち程度の学歴はある。そこはたまたま運が良かった。
そろそろ子供を持つ友達も多い年齢になってきて、教育知育を頑張ってる子の様子をSNSから見守ったりしてるけど、私の時みたいに「ただやらされてる」にならないように気をつけてね、と心の中でひっそりと思う近頃なのでした。
そこは奥さんと旦那さんがお互いの我慢の比べあいになってるんだと思うのよね
子供3人抱えて兼業主婦でご飯作ってる奥さんに対して、メシマズだから料理教室通えとかミールキットとか惣菜外食等提案してるのはわかるんだけど
(子供3人いる兼業主婦の家庭で料理教室通えばって提案はクソすぎるが)
一番の問題は「習い事もふやしたから今月もぎりぎりだな」って家計の状態で、旦那さんが提示するのがお金がかかる解決方法で
それに対して「だから文句言わずに黙って自分の小遣いで食ってるだろう」って言うのは思いやりが足らなすぎるのでは?と思うかな
まあ創作物でそこまで細かく言うのも野暮なのかもだけど
夫が。
抗原検査陰性、からのPCR検査も陰性でとりあえず安心してたんだけど、熱下がらない。
もう6日目。
明日また病院行くんだけど、発熱だけこんなに長引くのってコロナでなければなんか悪い病気かな…
一応味覚はあって、嗅覚も大丈夫、喉の痛み無し、咳も無し、下痢も無し。
熱だけ、熱出てるから体は痛い。解熱剤飲んでれば動けるし食欲もあってご飯も食べれてる。
そしてこんなご時世なので家族が発熱してると子供が学校出席停止でありまして、私も仕事行けずで来月の給料…という遠い目。
何も対応されないにならなくてよかったけど子供は早く学校行きたいなーと。
子供と私はまあ元気なのが救いです。
他にも陰性だったのに熱下がらんみたいな人いるかな?
とりあえず今週の仕事の調整しなきゃ…
NHK「それでも子どもをもちたい 広がるSNS精子提供」を見ててぼんやり考えてたらちょうど親ガチャがトレンド入りしてたので消化させてくれ。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4582/index.html
わたしは平成生まれ この国の景気は下がったニュースしかほぼ聞いたことがなく、
豊かさは一部のものでしかないハリボテで、その実ずっと昏く見える。
エンタメですらわかりやすくかみ砕いたもので満足して、他人の感想や解釈を読むことですべてわかったような顔をして、
政治家でも芸能人でも失言をしようものならヤフコメで重箱の隅をつつき回し、追い込み打ちのめしたことで正義面をしている。
親ガチャなんて言葉が生まれるくらい目に見える格差があること自体、あるべき国の体制として破綻していると思うけれど
島国特有とも言われる排他的な体質・価値観は、多様性を認める今の時代にフィットするまで多分まだまだ時間がかかるのだろう。
わたしのうちは生まれてからずっと貧乏で、何かにつけうちは貧乏なんだから、と言われて育ってきたし実際そうだったんだと思う。
それでも今思うとネグレクトもされず貧乏なりにお金をかけてもらったと思うが
(この国に於いての子育て、本当にお金がかかるよね 世の親の立場の人たち、本当にすげーという気持ちしかない)
いわゆる“普通”レベルのくらしをしてきた家庭とは常に一本、うっすらと線が引かれているように感じていた。
友達からそれを態度で示されたこともなかったので実際にその線を引いていたのは自分なのだろうけど
普段の会話の端ばし、おさがりでない服や持ち物の買い替え頻度などから生活水準の違いを子供ながらに感じてしまっていた。
幼いころの母親の影響力は大きかった。
母は若くから働いていたらしく、本人曰く学がなかった。
(そこで困ったことも多かった経験からか習い事はいろいろさせてもらった、というかさせられた)
母が自分を卑下して言うので母には学がないのだと染みついていて見くびっていたのだと思う、
母はわたしを褒めたけど、母自身を貶めて褒められる自分に対して自己肯定感を育てることはできなかった。
なぜならその人間から生まれた自分の程度なんてたかが知れているとわかっていたからだ。
進路で悩んだときに、進学するという考えは生まれもしなかった。
頭の出来はまあ普通だったので進学をしようと思えばできたのだろうし
進路指導の先生には進学を進められたりもしたけれど おおよそそんな余裕があるとは思えなかったし、
奨学金をもらってまで進学したところで程度の知れている自分に何ができるとも思わなかったので、そのうち諦めることばかりが上手になった。
結局、それはずっとコンプレックスとして残り続けている。
いまだに学歴でふるいにかけられることは少なくないし、給与体系やキャリアの選択肢が異なるのもざらだ。
学歴でふるいにかけ続けた職を転々とし、取り繕った生活をしては逃げて、を繰り返してきた。
(と言いつつ、バックレる胆力はないのでこちとらいつでも円満退職よ)
一番薄っぺらなのはわたしの方で、自分を変える努力なしに何者かになれるわけでもないのだから何をか言わんやだが
一緒に仕事をしていてどんなに頭の回転が遅く要領の悪い人間も、実はみなそれなりの暮らしをしていたりする。
この身で思い至る前にそれを知りたかったが、知る努力を諦めたのは自分の方だ。
人生を変えるのは努力次第、努力は決して裏切らないというのは耳ざわりのよい言葉で
これらは100%の嘘ではないけれど、この場合の努力とは、何かを犠牲にする程のたゆまぬ努力が結実された場合を指すことが多いと思う。
しかし低賃金に明け暮れる人間には血のにじむような努力をする余裕はない。
(あとは運要素もあるだろうが、諦めスキルレベルがカンストすると運に対するスルースキルも高確率で発動してしまう)
運で親ガチャの話に戻るが、思い返してもわたしは「この親じゃなかったら」と思うこともあるし
親が云々よりそもそも生まれてきてしまったことを恨めしく思う。
人生の先輩に出会うと、結婚しても子供を産まない選択肢もあると言ってもらえたり、
子供を産み育ててからの方が人生が楽になった話を聞かせてもらったりもして、
人生の主役から一度自分を解放してやりたいと思うことはあった。
多分これも親ガチャから報われる乱数調整の方法のひとつなのだろう。
でもわたしは誰かと生きることも考えていないし、子供を産む気もない。
この経験を共有したところで所詮わたしだけのものだし、もし子供を産んでも自分のような人間を増やすだけで幸福にしてやれるとは思えない。
結局傷つくくらいなら最初から誰にも何にも期待しない方が楽だからだ。
ネグレクトの末にわが子に手を・・というニュースを見るたび、自分はそっち側になる可能性が存分にあるぞと己を戒めている。
親にかけてもらったお金を返せるわけでも、孫の顔を見せてあげられるわけでもなく
貧乏なのに子供を産んだのだからしょうがないと思ってもらうしかない。
ここまでの無思考他責的で浅慮な言葉が出てきてしまうほど、わたしには生れ落ちてしまったことが恨めしい。
だってやっぱり土壌が整っていないのに生みたい・育てたいはエゴだと思うもの。
その土壌を少しでも肥沃にするのは国の務めだとは思うんだけどね
中身が古いままなのにラベルだけ張り替えて先進国のような顔をするな
サスティナブルとか言ってないで先ず自国を持続可能な形に整えてくれ
できれば産み育てる環境が整っていて子供を持つことを望む方たちには母子ともに健康に、
難事なく産み育んでいただきたくお祈り申し上げたいところですが
今はひとりでも楽しいことを見つけて生きているけど、人間はみないつかは死ぬ。
死ぬまでずっとお金の苦労には付きまとわれる、しかも老いるにつれてランニングコストはどんどん膨らむばかりだ。
息が止まるということは単純に苦しいのでわたしは積極的に迎えたくないけれど
せめて安楽死できる国に行く旅費と費用くらいは賄えるようになりたい
なんてあかるい未来なんだ。