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はてなキーワード: 習い事とは

2022-01-27

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大学の同期から神楽に興味あるか、と聞かれたが興味ないと答えた

興味があると言うと神楽を習わされるというルートに行くのが目に見えていたのでそう答えた

そもそも神楽に興味ある人間なんてそもそもいるのか?

鬼滅で神楽出てきたがそんなんで神楽に興味持たないしそもそも鬼滅が欠損大好き漫画という印象なのであまり好きではないんだよな

いうて仕事は繁忙期で今更習い事をするような時間的余裕が無いし体育会系的、日本弟子制度、旧社会的構造の最下層に自分から飛び込もうというマゾはいねぇだろ

てか興味あると答えたら神楽師匠的なやつに増田神楽に興味あるらしくて連れてきていいっすかみたいな導入してきてまるで俺が神楽を学びたくて学びたくて震えている人みたいになるから辞めろ

とか直接言えたら楽なんだけどなぁ

とそんなことを10秒ほど考えて「興味ないね」と答えたのが今日ハイライト

2022-01-24

親がとある政党の支持者だ。

さいころからよく事務所に連れていかれた。

週末になるとみんなでビラを折るんだ。そこでビラをただ折りを手伝っていた。

小さかったので、折り紙の容量でどんどん折っていった。

他の友達子ども会とか習い事をしている中で、自分は親に連れられて政治関連の大会に出ることもあった。

ちょっとした境界線があるんだよ。

小さかったので、何かぼーっとお茶お菓子を食べる場所として過ごしていた。

高学年くらいになると、段々自分の家と周りの家の違いが分かるようになってきた。

選挙時期になると親は土日は会議、平日も仕事終わりに会議に出かけていくし、電話かけとか選挙カーとかにのって、街頭ではチラシを配る。

そんな親たちと鉢合わせしたくなくて、逃げるようにその場を去ったこともある。

選挙ポスターも貼ってあるし、友人らにその意味理解されたくなくて家に呼びたくなくなった。

高校生の時は、そうした親の姿に反抗期を迎えていた。

大量の政治関連の新聞記事スクラップ政党支持のチラシを広げて、テレビ番組ゴールデンタイムはBSのニュース番組がずっと流れてる。

社会問題に対する認識をずっと植え続けられることに拒否反応を起こしていた。何で自分は家に帰ってきてもずっと、社会に目を向けなきゃいけないのと感じていた。

それで親は家事は任せ、夜は再び会議に行く。政治家じゃないよ、一般政党支持者の話だよ。家庭の事を省みない態度に思春期辟易したが、もう諦めた。

大学卒業し、社会人になって結婚とか色々考える時に、ますます親の事が気にかかった。

相手の家にどう思われるんだろう。家には絶対呼べないと思った。自分と親は違うけど、明確にある政党を支持してるって思想をもった家は繋がりをもてるのか?

から政治のことを半端に分かってる人じゃなくて、なんかよく分からいくらいの人が相手にいいなと思ったし、気にしない人がいいという願いもある。

何だろうな。政治大事だと思うし、親の事は否定できない。けど明確に、指示政党立場示す行為を続けることって何かタブーなんだよ。自分的にだけど。

すげー卑屈になってくんだ。親が必死になってる様を見てかっこいいなと思うより前に、狂信的な態度におびえちまったというか。それが与党だったらまだ許せたのかな?

とにかくすごい閉塞的な気分になってくんだ。親が政治活動やってるってことが。周りからどう思われてるのかすげー怖い。早く家を出ろって話なのかもしれないけど。

自分もその親の子どもだから、若手として期待されるような声をかけられることがある。ジェンダーSDGs貧困・・・社会問題を一緒に解決しようという眼差し自分にはすごく、辛い。

疲れた。もう何でもいいそんなの。

政治に関心を持った親からまれてきたけど、政治なんてクソくらえと思ってしまうようになった。

2022-01-17

30後半お独り様の独り言

30後半に入った…

代わり映えしない20代後半から代わり映えしない生活を送っている気がする

仕事の内容は変わったし、やらなきゃいけない事も多くなった

転職もした

独立経験した

仕事海外にも行った

学び直しもした



でも、根本は何も変わらない

新しい趣味習い事を始めるわけでもなく、本を読むでもなく

考える事は仕事のことが中心で、仕事の事を考えたくない為に学生の頃から変わらない趣味を続ける

ゲームアニメエロ…それ以外の事を新しく覚えたり、考えたりするのが億劫


自分LINE仕事検証用で誰とも連絡先交換をしていない

友達も居ないし、恋人もいた事がない

かといって、独り慣れてしまたから今更どうと言うことは無い

慣れてしまったと言うのは感覚麻痺してる異常自体だってのはわかる

他人に何かを求める想像力がないんだ…


お金に関しては気分の浮き沈みの対象だけど、かといって人生を賭けてまで欲しいものがあるわけでもない

マイホームを持つと言うことが羨ましいと思うが、2LDKより大きい間取りで何ができるのか想像できない

車もファッション旅行も興味が湧かない

コレクション断捨離できてしまう程、熱しやすく冷めやす

大切なものは両親位かな

両親が幸せそうならそれで良い

両親が居なくなれば、生きる理由もなくなる気さえする

普段から「生きる意味あるのかな」って思ってる位生きる事に難儀してるんだから、それが折れたら新しい目的を導ける自信がない

2022-01-10

つの間にかフォー

 今年で40歳になる。心の中では、年が明けたら一つ歳を取るような気分でいる。だが私は早生まれではないので、口に出して「40です」と言うと、誕生日の頃に混乱が生じるので、言わないけど。

 四年くらいで坂を転げるように老け込んで、顔の造形自体はあまり変わっていないのにヨボヨボな印象になった。人って、こんなに簡単に老化するんだ……。

 最近は、首が痛くてラジオ体操で空を仰ぐようなポーズをするのが辛い。『きのう、何食べた』でシロさんが「死なないために健康に気を配らなくてはならない年齢」を嘆くところが刺さり過ぎてつらい。

 うつぶせ寝で本を読みながら脚をバタバタさせると、不意に膝があらぬ方へ曲がって「あ゛ーーーっ!!」って本気の悲鳴出る。奥歯をせっせとフロスしても歯間はドブのような臭い

 はぁー、これが40歳か。これからもっと老いる。

 この間、子供習い事保護者会があった。上級の子の親達は年齢がかなりバラけていて、下はピチピチの30代、上は余裕の五十路。下級生の保護者の一人が、ある上級生保護者コンビに面と向かって、

「ずっと二人は親子なのかと思ってました」

 と言った。そしたら二人のうちの年上の方の人がすかさず、

「それって私が娘ってこと?」

 と言った。その切り返しの速さたるや。年長者の人達はそういうのが上手い。そんな風にさらっと受け流すスキルが身に付くなら歳を取るのも悪くはないなとおもうけど、誰もがそんな風に歳を取るごとにコミュ強になったりはしないんだろうな。

 いい加減もう女を降りたいと切実に思う今日この頃だったりする。接客業なので仕事ときだけはがんばって身綺麗にはしているけれど、若い女の子と張り合っているように見られるのが嫌だ。

 同僚で、唯一の私と同年代の人がいて、その人は私より一つ年下なのだけど、ある日イメチェンして前髪を眉の上で切り揃えたところ、男の客からいきなり

女子大生のつもりかバアサン

 と暴言を吐かれた。たかがそんなことで言われなきゃならんのか。

 私はこれはこれで見苦しいとか苦情をつけて来る奴はいるだろうなと思いつつ、白髪をあえて放置している。まだ目立たないからではなく、むしろかなり目立つ量だが真っ白になるには程遠いくらいの量の白髪だ。この通りばばあだからかまってくれるなと思いつつ、存在感が透明な空気になってほしいと思いながら働いている。

 こんなんだが、楽しみのない人生を送っているのかといえば、そうでもない。漫画小説を読むのが若い頃以上の楽しみとなっていて、新刊の発売日を心待ちにしている。が、心待ちにする時の思いがいまだかつてなく悲愴だ。

 発売日まであと何日。無事購入して読みきるまで私はがんばって生きるし、家族世界も健やかに平安無事に生きていてくれと、切実にねがってやまない。

2022-01-05

http://seidoku.shueisha.co.jp/2201/read08.html

女性貧困元年」が1985年すなわち男女雇用機会均等法施行された年か。

全面的肯定は出来ないけれどちょっと納得出来る。

昔の女性は男と結婚しなければならなかった、一人では生きられなかった、ってよく言われるけれど

自分体感としては必ずしもそうではないんだよな。

自分の親戚や恩師なんかも学校教師研究者習い事先生なんかをしてて独身を通した人が珍しくないし、

割と優雅に見えたし経済的にそこまで困窮していたイメージはない。

それって男女雇用機会均等法のなかった時代の働く独身女性が「職業婦人」で、一握りのプロフェッショナルだったからっていうのもあるんだろうな。

それが女性労働力供給の増加によって一人あたりの単価が下がり、女性低賃金貧困化が進み、男に扶養されず独身で生きる女性にとってはより厳しい社会になったとも言える。

まあ、だからといって男女雇用機会均等法施行されるべきでなかったとは全く思わないけれど。

2021-12-29

職場の同僚は友達じゃない、仕事やめたら大抵の男性は話し相手がいなくなる…の記事

から趣味の交友関係を今から大事に、みたいな流れになるけど

そもそも大人になったら友達なんてなくなるもんだと思ってた

職場人間関係、親戚付き合い、近所付き合い、子供を通しての付き合いと、必要から付き合うというだけ

親もそんな感じだったし

母親は定年後に始めた地域習い事活動で、その時々の友人を作ってた、決して若いから趣味友達とかではない

若い頃、仕事してて子育てしている間は趣味活動なんかも出来なかっただろうし

友達なんてその程度のもんだと思う

話し相手家族しかいないなら家族に話せばいい

逆に趣味程度の関わりの相手趣味以外の何を話すつもりなんだとも思う

2021-12-21

anond:20211221211440

どう言う意味??筋肉隆々なマッチョ男性優位主義マッチョイズムの意味混同してる?

ピアノみたいな文化的習い事ではなくスポーツさせるのが矛盾ってこと?

母のことをやっと許すことができた

とあることをきっかけに、母とは事務的な会話しかしなくなった。

理由は、わたしは母に嫌われていたからだ。

そのことを自覚した最初に思い出せる記憶幼稚園ときだ。

お迎えの時間、他のお友達は皆が母親に抱き上げられたり手をつないで楽しそうに帰っていく中で、わたしはいつも黙って母の後をついていくだけだった。

幼稚園であった沢山のことを母に聞いてほしくてずっと母の後頭部を見つめていたが、母が振り返ることはなかった。

食事洋服も、洗顔も入浴も困ったことはない。

何も会話がないままに、母は黙々とわたしの世話を繰り返した。

はじめの頃は、わたし自分が悪い子なのだと思っていた。

から身の回りのことは言われるよりも先にやったし、怒らせないように何でも完璧にやろうとした。

ある日、母が起こしに来る前に自分で目覚めて身支度を始めてみた。

絶対に褒められる自信があったが、母はわたし存在確認すると何も言わずに振り返って自分の身支度を始めた。

次の日から母がわたしを起こしに来ることはなくなった。

父はわたしのことをこれでもかとかわいがったが、忙しいせいか家にいることはほとんどなかった。

母のことを相談しようとしたことがなかったわけではないが、わたしが眠っているとき普段の父から想像ができないような剣幕で母に怒鳴りつけている姿を見てしまたことがあり、それを思い出すと躊躇してしまった。

泣きながら謝る母を前に怒りが収まらない様子で手当たりしだいにものを投げつける父の姿は、鬼にでも乗り移られてしまたかのように恐ろしく、心の深いところに爪痕になって残った。

小学校に上がっても、やはり母に褒められるようにと学校のことは何でも頑張った。

最初テストですべての科目で満点をとった。

幼稚園では人と比べられることは少なかったが、これならわたしは誰よりも優れていることが証明できる。

いくらだって認めざるを得ないだろう。今までで一番ワクワクした気持ちで家に帰った。

そして溢れんばかりの笑顔でこれまでにないテンションで両手に持った満点の答案用紙を母の前に広げて見せた。

その瞬間母は、まるで道端に轢かれた小動物を見るような目でわたしを見て、声を上げてえづき出した。

何が起こったのか理解できずわたし呆然としていた。

しばらくして呼吸が落ち着いてきた母が、喉のそこから絞り出すような声で一言「あてつけか?」と言った。

何のことかさっぱりわからないわたしは、黙って立っていることしかできなかった。

すると母は、急に怒り出したかのように叫び始めた。

「あてつけなのか!私が母親としてあんたに接せられないことに対するあてつけなのか!」

呆然と立ち尽くすわたしに母は近づいてきて言った。

わたしあんたが嫌いだ。でも、死なれたら困るから世話を続けてきた。頼むから余計なことはしないでくれ。あんたが嬉しそうに近づいてくる度に、わたしは胸が苦しくなって死にそうになる。」

それだけいうと、母は玄関から出ていってしまった。

現実にまったくついていけていない自分を、視界のずっと奥から見つめているような不思議感覚だった。

わたしというかわいそうな子を別のわたしになって頭の中から覗いているような感覚で、わたしというかわいそうな子が表情も変えずに立ちすくんだままただひたすらに涙を流している様子を、別のわたしとして頭の中からずっと眺め続けていた。

母が原因で涙を流したのは、今まで生きてきた中ではこれが最初最後だった。

この日を堺に、わたしは母が嫌いになった。

わたしを嫌いだという母を、どうしたって好きになることはできなかった。

世話になりたくないから、自分のことは何でも自分でやった。

母が理由で道を踏み外すことも違うと思ったわたしは、思春期に湧き上がる特有の苛立ちも、母に見下されたくないという理由自力ねじ伏せた。

母を見返したいという気持ちはなかった。

ただ、趣味習い事時間を使うことで、母よりも劣っていると思われることだけは嫌だった。

その結果、自分に残されていたのは誰のためでもなく黙々と勉強を続けることだけだった。

母はわたしに無関心な代わりに、わたしが持っていくお願いについては基本的に何でも聞き入れてくれた。

そうはいっても父の金であるが、予備校受験費用私立学費も、渋られたことは一度もなかったおかげで、割と良い大学まで進むことができた。

大学に入ったら家を出る。

そう決めていたわたしは、地元を捨て都内大学に進学した。

距離は母の存在を忘れさせてくれた。

忘れることが許すことなのかも知れない。母の顔にモヤがかかるように記憶から薄れていくのと同時に母から呪縛から解き放たれるような気がした。

年に数回、父からの連絡があるついでに思い出す以外、母のことは考えなくなった。

そんなわたしも、人並みに恋をして結婚してもいいと思える人に出会った。

しかし、そう思えたと同時に、突然心の底の方から恐怖が湧き上がってきた。

「もし娘が生まれときに、わたしは母と違って娘を愛することができるのだろうか。」

その瞬間わたしは、あのとき頭の奥に押し込んだわたしに、再び覗き込まれているような感覚に陥った。

そんな目で見ないでくれ。

わたしだって嫌われたくて嫌われたわけではないのだから、嫌いたくて嫌うのではないかも知れないなじゃないか

そのことを彼には相談できないでいた。それが理由で手に入れた幸せを手放さなくてはならなくなることが怖くて仕方なかったからだ。

その日からというものわたしはいつも頭の奥からわたしに覗かれているような感覚が消えなくなった。

不安を抱えながらも、話は順調に進んでいった。

実家への挨拶をどうしようかと父に連絡をしてみると、わたしが聞くより先に父が一人で東京に出てくると言い出してくれた。

母は今どうしているのか聞こうとも思ったが、父からも何も母の話がでない中で切り出せないままに会話は終わった。

もともと友達の少ないことを理由に親を呼ばずに数人の友達と二人だけでの挙式をしたいと彼に願い出た。

普段からこだわりのない彼は特に抵抗もなく、わたしにすべてを任せてくれた。

妊娠がわかったのは挙式の少し前だった。

検査薬に反応が出た瞬間、わたしは素直に嬉しかった。

その嬉しさが、今までの人生の苦しみから、ほんの少しだけ開放してくれた気がした。

相変わらず不安は大きく残っている。でも、少しでも嬉しさを実感できたことは自分にとって大きな救いになった。

式も滞り無く終わり、写真を持って彼の両親に報告に行ったときに、あわせて妊娠を報告した。

お義父さんは無神経に「絶対に男で頼む!」などと要らぬプレッシャーをかけて来たが、わたしも内心男の子を生みたいと思っていた。

娘だとわかったときに、妊娠した嬉しさごと消えてしまう恐怖が、まだ心の底の方にあったからだ。

言葉にはしなかったが、彼は早く性別を知りたがっていた。

産婦人科医も最近では聞かれるまで性別を答えないらしく、知るための選択権はわたし一人に委ねられていた。

いよいよお腹も大きくなって、もう準備を始めないと間に合わないという段階になって、意を決して聞くことにした。

断定はできないと前置きされた上で、「おそらく女の子ですね」と言われた。

心臓が大きく一度どくんと脈を打った。

喉の乾きを感じたが、うまくつばを飲み込めずに喉の入り口に痛みが走った。

頭の奥から視線を感じる。冷や汗が出た。

遠のきそうになる意識の中で、必死の思いでお腹に手を当ててみる。

でも、そのぬくもりはかけがえのないほどに愛おしかった。

涙が溢れた。

大丈夫わたしはこの子を愛することができる。心からそう思えた。

突然の涙に驚いたのか、何かを言おうとして喉をつまらせている夫がいた。

やがて涙目になって抱きしめてきた。わたし気持ちも知らないで声を上げて泣き始めた夫を見て、少し冷静さを取り戻した。

後で聞いたところ、夫は娘が欲しくてたまらなかったらしい。

それが言い出せないままここまできて、わたしが嬉しそうに泣いているのをみて堪えられなくなってしまったそうだ。

彼も彼で抱えているものがあったのだ。そう思うとおかしくなってきて、バツの悪そうな彼を前に大きな声で笑ってしまった。

「そんな大きな声で笑うことがあったんだね」

驚きと喜びが混じったような不思議そうな彼の顔がおかしくて、さらに大きな声で笑いだしてしまった。

その瞬間、まさに雷に打たれたかのように、わたし自分が母を許せたかのように思えた。

母は、何も自分から好き好んでわたしを嫌っていたのではないのかも知れない。

母がわたしを好きになる努力をしたかどうかはわからないけど、好きになれなかった自分を誰よりも責めていたのは母本人かも知れない。そう思えたのだ。

好きも嫌いも、自分意思でありながら、自分ではどうすることもできないときがある。

わたしたまたま自分の娘に愛情を感じることができただけで、それが当たり前かどうかなんて誰にも決めることはできないはずだ。

それならば、わたしわたしが嫌いだという理由だけで、母を嫌う必要はなかったのではないか

わたしを嫌いだという母を、そのままの姿で受け入れることだってできたはずではないか

これは決して同情ではなく、そして、娘を愛することができた自分から優越感でもない。

これこそがわたしを苦しめ続けてきた呪いの正体なのだ

あのとき自分がそれに気がつけなかったことを責めるつもりはない。

今、わたしはそれに気づくことができて、許すことができた。ただそれだけの話だ。

わたしは、わたしを嫌いだと言った母を嫌いと思った日から、母を嫌ってしまったわたしを許せていなかったのだ。

娘を嫌う母以上に、母を嫌う娘が許せなかった。嫌われていることを言い訳に、嫌うことを正当化する自分が、誰よりも許せていなかったのだ。

もちろん嫌わないに越したことはない。

でも、何かの手違いや神のいたずらで嫌ってしま可能性がゼロではない以上、それが許されない世の中ではあまりにも窮屈だ。

それと同時に、母から嫌われてしまった子供が不幸だなんて、誰一人として決めつけることはできないはずだ。

この日を堺に、わたしわたしを嫌いである母とも、普通に接することができるようになった。

久々に見た母はただただ老けていた。でも、命あるうちに気がつくことができてよかった。

孫娘を抱く母の顔は、わたしが一度も見ることのなかった嬉しそうな顔をしていた。

その顔を見たとき、頭の奥から覗き込んでいるわたしと、今ここに立っているわたしが一緒になれたような気がした。

母を許せたことで母が許されたことを実感できたと同時に、自分自信も許されたような気がしたのだ。

何かを許さないということは、その何かから許されないことと同じなのだろう。

から、たとえわたしがこの娘から嫌われようとも、わたしはその”嫌い”という気持ち尊重し許し続けようと思った。

こんな大切なことに気づかせてくれて、ありがとうおかあさん。

2021-12-12

生きていくだけで精一杯

周りからすれば習い事とかしてるじゃんって思われるだろうけど、なんとか生活仕事を続けるための手段で、これがなかったら起き上がることすらできない

沈んでは引き上げて沈んでは引き上げてを何回も繰り返してるけど、どこまで行けるかなと思う

精神的な寿命が近い感じがする

もう何やっても上手くできないので

親戚や上司や先輩や友達からポジティブ評価でなんとか命を繋いでるけど、それ以上に直接は言われないようなネガティブ評価自分で感じては落ち込む

自信がないとき友達家族とすら上手く話せてない感じがする

自分欠点をどう直したらいいかからない

もう周りと感覚が違いすぎて、寄せようがない

身体的なハンデがある人がマジョリティーに合わせて作られた社会に感じるような不便さを、自分精神的な面で感じる

小さい頃はこんな悩みなかった

歳を重ねるにつれてずれていってる気がする

自分特性について、どこまで自分責任を持つものなんだろう

なんでこんな思いをしなきゃいけないのか、被害者的な気持ちになるときもある

今は趣味習い事けが楽しい

課題も成長もわかりやすいし、

これまで続けただけあって指摘されたことを体感として納得しやす

音楽への過剰なシンパシー特性なのかな〜と思う

落ち込んでるときのほうがデフォルトで、働いたり人と会うために気持ちを引き上げるのが辛いと感じるときが多い

頑張って人と会えるテンションに向かおうとしてるのに、何かが落ち込む方に引っ張ろうとしてる感じもする 鬱病で言うところの黒い犬というか

ずっと鬱病の30〜40%くらいの状態

から落ち込んでるときのほうが楽

いつまでも落ち込んでいられないことが辛い

会社に行くために引き上げなきゃいけないのが辛い

それで良いわけないのに

おかしくなりそう

2021-12-11

ぎりぎり定型発達な俺の成長記録

子供のころから習い事などは続かなかった。そもそもタスクがあること自体ストレスで、いざ始めてしまえばそれほど嫌ではないことも、「習い事に行く」ことが嫌で続かなかった。

これについては、小学生に上がってから習い事を始めさせ、すぐに続けさせることを諦めた両親に感謝しかない。当然塾にもいかなかった。

なお、長じては飲み会嫌い、付き合い嫌いとなって開花し、無事、友人づきあい交際消失した。

継続ができないので、低学年の連絡帳などは、ほぼ真っ白だった。人生のやり残した感の端緒は連絡帳に違いない。

根気が無いので暗記もできなかった。例外は百マス計算で、多分自分の(興味ないことへの)集中力限界がここらへんだったと思う。ミスは多かったが計算ができたことで何とか自我が保たれた。

テストはとにかく第一感で解いて見直ししない事で折り合いをつけた。空いた時間は、問題用紙にひたすら迷路を書いていた。

当然、ケアレスミスで点数は落とすし、漢字の書き取りなどは壊滅しているので満点にはならないが、8割くらいはとれていたので、ほおっておかれた。これも助かった。

すでにある程度分かっていることを繰り返すと激しく集中力が落ちたので、予習も復習もしなかった。小学生の頃はそれでも授業の進行が遅かったので、まだ終わらないのかと時計凝視している嫌な生徒だったと思う。

待合室で漫画にかじりついていたので、近所のお医者さんに、この子は将来大物になるといわれたが、そんなことはなかった。

真面目に頑張ればなんにでもなれると、無責任に言う親だったが、中学生ぐらいには、医者とかパイロットとか100点をとれる人向けの職業には就けないと確信した。

なお、中学から始まった英語も暗記科目なので死んだ。たまたま近所に、例文の単語を隠してその単語を問う5W1H文章作成するという特訓をしてくれる人がいて、英語の構文に慣れたので、全く筆記ができないにもかかわらずセンター試験でそこそこ点数が取れた。

理科は、とにかく根気が無いので、難しくて(解けなくても恥ずかしくない)薄いということでZ会問題集にお世話になった。

なお、社会地図帳にもかじりつくタイプ(鉄)の人間なので地理一択だった。

さいころから人前が苦手で学習発表会とかは仮病を使ってよく休んだ。実際問題風邪もよく引くし中耳炎なども一通りやられたが。

布団の中で横になって、NHKラジオ株価とか気象通報を聞きながら窓から雲を見ている時間が、今思えば一番幸せだったかもしれない。

そんなことだから大学に入る前から卒論発表に怯えていた。後に、卒論発表よりゼミの方がつらいし、終わらない恐怖より恐怖の結末のほうがましだ、と知った。

基本、話ながら考えることができないので、人前に出る前には準備が必要、トラブったら諦める、と自分に言い聞かせているが、社会人になってもいまだにストレスである

また、字の汚さもなかなかのもので、自分の書いたノート自分でも読めないので残っていない。

高校の恩師が、教科書という立派なノートがあるからそれを見ればいいと言ってくれたのは、一生の宝物である

あとは、両親があまりうるさいことを言わない人たちで、17帰宅21時就寝という簡潔なルールだけを課してくれたので、生活が整いやすかったというのはあるかもしれない。(大学入学まで変わらなかった)

以上

2021-12-08

anond:20211208165125

娘に押し付けんなよ・・・

自分が昔できなかった習い事子供に無理やりやらせるようなもんだろ

好きにさせろよ

2021-11-28

年収600万円稼げていてもこの人生歩むのが不可能だと知って衝撃受けた

・25年ローンで3000万そこらの住宅を購入し、ちゃんと完済する

自家用車所有

・嫁さんが専業主婦

子供2人、どっちも小さい頃からダンスとかの習い事に通わせて、高校大学私立

・年2回以上の家族旅行

子供が全員大学卒業して就職して巣立って行った時点で老後のための貯金2000万以上確保出来ている




これ年収600万円でも全部満たすの実家の援助がない限りは物理的に絶対不可能なんだってな。

これが全部満たす家族計画が贅沢ならもう子供いらないわ。

2021-11-25

いまカレンダーを見ていて本当に唐突高校卒業前に働いていたバイト先を思い出した。

22年前の12月OPENした某チェーン店でオープニングスタッフとして11月の半ばから働いていた。

習い事の都合で週2日,平日の夜6時から10時までたった4時間

社会人になって何十年、雇う側の都合も見えてきた今としては当時よくもまあ採用してくれたな、ありがたかったなと店長あらためて感謝を覚える。

11月初め、系列の別の店で面接した時のことを今でも覚えている。

母校の全国出場がかかったスポーツ試合に負けて(自分はただ応援してただけなのに)悔しくて大泣きして、そのまま面接に行って、なんで泣いてたのか訊かれて答えたら店長がそのスポーツの大ファンで、母校負けた記念に採用!っていう意味の分かんない感じでその場で採用されたんだよね。

OPEN前は商品陳列したり寒空の下事前入会受付したり本部から教育スタッフが来て接客マニュアル叩きこまれたりしたっけ。

社会人大学生フリーター主婦,色々な人たちがそこには居て私と同じ卒業を控えた高三も数人いた。

名前名字だけだけど)も覚えてるよ。20年以上前の話なのにびびるねw

私にとってほぼ初めての学校以外の”社会”だった。

大学生フリーターキラキラして見えて、仕事が楽しくて、高校生は10時までと法で決まってたけど本当はそれ以上働きたくて、タイムカードを切った後も休憩室で溜まってた。

それまで真面目に学校習い事だけの人生を送ってきた私にとってとても新鮮な世界で、居るだけで楽しかった。

好きな人ができて、その人を友人に取られて、別の人と付き合い始めて、っていう甘酸っぱいキラキラ青春体験をした場所でもあったっけなあ。

あの頃の自分メンヘラすぎたせいであの頃に戻りたいとはカケラも思わないけど、思い出すと懐かしさで泣けてくる位濃い思い出の場所だった。

店長が本当に最高の人で、その店長採用したスタッフ達も最高に面白くて、あの頃の経験があったから今の自分がある、って確実に言える程私の人生に影響を与えたバイト先だった。

まあ薄情すぎる私は今連絡を取ってる仲間もほとんどいないんだけどさ。

店長に至っては携帯持ってないかSNSしか繋がってないし。

なんで思い出したかと言うとOPENした日付と曜日が今年と同じだったから。

時が経ってお店も数年前に閉じてしまって、思い出の場所にはすっかり別の建物が建ってしまっているけど、きっと死ぬまで忘れないんだろうな。

2021-11-17

良い親に産まれた全ての人が憎い

子供の頃から私はお金をかからない子だったと思う。小中高と習い事ひとつもしなかったし、部活動は部費のかからない部活しかしてないし、誕生日プレゼント予算も全部親に預けてた。それはウチは裕福ではないけど私も大学に行きたいと思ってたからで、その事は小学生の頃からずっと言っていた。浮いた分のお金は私の学費として貯めておいてねって。高校の頃はバイトもしたし、幸い地頭は悪くなかったので行きたかった大学には合格した。

大学には行けなかった。親は私が浮かせたお金を1円も貯めてくれてなかった。全部弟がサッカーするための、靴とかボールかに充てられていた。

合格たからずっと貯めてた学費入学金払ってね」って報告した私に母はちょっとつまみ食いした事がバレた時の様に、なんでもない顔で「本気にしてたの?」と言った。そんな貯金は無いと。自分バイト代で払えと。

かに入学金を払えるぐらいのバイト代はあった。でも学費貯金が無いなら入学出来たところでどうすればいい?月々の学費教科書代も払えない。そんなの払ったって意味無い。貯金してないならどうしてもっと早く教えてくれなかったの?もっと早ければやりようはあったのに。

借金してでもなんとかしてよと母に詰め寄った。私は父にぶたれ、母に罵られ、弟に軽蔑の目を向けられた。「たかだか大学がなんだ」だと。大学進学、それが彼らには「たかだか」の事らしい。無知というのは恐ろしい。

結局私は今年浪人し、学費を貯める為にバイトに明け暮れている。バイト面接だとかで「今は学生さん?」と聞かれて「浪人生なんです」というと「あぁこいつは浪人するようなバカなんだ」って顔をされる事がある。高校時代友達と話している時、授業の話で盛り上がる皆に1人だけ置いていかれる。そういう時、「どうして私はこんな親に生まれたんだろう」と思う。もっと裕福な家に産まれたらよかったのに。惜しみなく可愛がられる末っ子に産まれられたらよかったのに。いや、せめて、子供の願いや頼みをちゃんと守ってくれる親の元に産まれられたらよかったのに。そしたら私はちょっと貧乏な生まれでも、自分の行きたい大学に行って普通大学生になれたのに。

普通のレールから外れてしまった私は、もう友達と同じ楽しさを分かち合えない。入学も、卒業も、就職も、全部一人だけ置いてけぼりにされる。もう決まりきっているそんな事が私は辛くてたまらない。だから私は、金銭的でも人柄的でも良い親に恵まれた全ての人が憎い。

2021-11-15

副業でなんか面白そうな仕事したいなあ

週1くらいのバイトみたいな感じで…

色んな人と出会えるバイトがしたいんだよなー

習い事する金もないし

なんかないかなあ

2021-11-14

うちの母親はいい親だった。

とても過保護だし大人になって社会人になっても親が貯金管理するところは悪いことだけど、それ以外はいい親だった。

うちの家は親父が働いて無くて借金ばかり作ってくるので母親はいつも「金!金!」と言いながらも俺たちに色々な習い事へ行かせてくれた。

小さい頃オヤツを買ってもらった記憶はないものの、仕事先(役所で働いてる公務員)でもらったお菓子は必ず俺たち子供に届けてくれた。

同僚も少なからず俺らの境遇を知っているのか、何かあれば必ずお菓子玩具をくれた。

そして、ある程度の年齢になったら一緒に旅行へ行った。ディズニーランドやユニバにも行ったしスペースワールドも行ったことがある。珍しく玩具お菓子も買ってくれた。

あの時何故買ってくれたのかわからなかったが…実は大学へ進学した兄が「俺に使ってくれ」と言ってお金を振り込んでいたらしい。

母は常に「金は残さないが思い出は残す」と言ってくれた。

兄は俺が転んだだけですっ飛んでくる優しい兄だ。

父は…、うん。いなくていいな。

親の期待って全部無駄だよね

全然仕事続かなくて

なんならバツイチ結婚生活も続かないんだけど

でも母親から子供の頃から継続は力なり」って言われ続けてきた

小学生の頃は一言でも「やりたい」って言ったらどんな習い事でもさせてくれて

その結果毎日予定ぎっしりで目が回るくらいだった

色んな習い事をやってみたらやっぱり向き不向きあって

苦手なものだんだん行かなくなったりして

母親に辞めたいって言ってもなかなか辞めさせてくれなくて

無駄に忙しい子供時代だった


今も唯一続いてる事が一つだけあって

それだけで食べてはいけないけどたまに仕事の依頼がきたりして嬉しい気持ちになる

でもその唯一続いてる事を母親はよく思ってなくて「あんたにはそんな事より〇〇の方が向いてる」ってよく言ってくる

小学生の頃算数が得意だったから私は理数系で研究職とか工学系とかが向いてるとずっとずーっと思ってるみたい

親は子供にこんな風に育ってほしい

とか少しでも思わない方がいいんだろうな

なんで子供に期待するんだろ

2021-11-12

ちょっと足りない

私の人生重要なところでちょっと足りない。

まず身長。私は159.9センチ中学3年生で159.9になった時、私は当然160センチになるものだと思っていた。

だが1年経ち、2年経ち、あと1ミリが伸びなかった。

160センチ希望は儚く消えうせ、

まりにも遠い1ミリ絶望した。

私は神の残酷さを呪った。ここまできたんだからあと1ミリくらいくれたっていいじゃないかクソ野郎。私が何をしたってんだ。

白状するが、大学七夕に4年間こっそりとどうか身長を160センチにしてくださいと書いていたのは私だ。結局伸びなかったが。何が七夕だ。滅べリア充

続いてはその大学。私は10年間恋焦がれた大学わずか0.1点差で落ちた。(補欠だったが回ってこなかった。)得点開示をして分かったことだが、こんなことなら開示しなければよかったと激しく後悔した。

それだけなら良い。同じ大学を2学部とも0.1点差で落ちていた。本当に得点開示なんかしなきゃよかった。

まだまだある。

私は教育熱心な家で育ったので小学校からずっと塾に通っていたのだが、いつでもどこでもつねに上から二番目のクラスだった。

どんなに死ぬ気で頑張ってもすんでのところで上のクラス基準に届かず上がれないのだ。また小学校の頃は別の某習い事もやっていたのだが最後試験永遠に合格できず親に金の無駄だと言われ辞めた。

かいところでも2番手ちょっと足りないところを挙げれば枚挙にいとまがない。

私はわりと兄弟が多い方なのだが、幼少期の習い事での成績、部活の成績、容姿(親戚談)、学歴社会的地位(親談)、ものの見事に全部2番だ。

私は自分で言うのもなんだが、かなり真面目で努力家な人間だと思う。やるべきことはきっちりやる。ハメを外すことはめったにない、というより外し方がわからないまま大人になった。だが、いつだって自分よりちょっと上にいる人は真面目で努力家だけじゃない何かを持っているのだ。

うそれは致し方ないのかもしれないが、身長だけはやっぱりやるせない。

ちなみに今は某一級の試験に3回連続5点ほど足りずに落ちている。二級までは一発で受かってきているのでもういい加減受かりたい。

2021-11-11

大阪に来て唯一嫌というか謎なこと

東京から転勤で大阪に越してきて半年くらい

豊中市っていう郊外に住んでるんだけどかなり満足してる

街も人も良くてかなり昔から住んでいたような気がするし ちょっと電車乗れば都会に行けるしまた都会も最高だし

週末はだいたい心斎橋あたりでぶらぶらしてタクシー乗って家に帰るんだけど

タクシー運転手に「キタ人間ミナミ人間を見下してるけどミナミ人間キタ人間を見下してる」という話をされる

それも何回も下品な感じで

結構不快

俺にはわからないけど東京と違い大阪では都会よりも郊外(というか主に北のほう)の方が年収が高かったりするらしい

で都会の人間郊外をなんもないwとバカにしてるし郊外人間は都会を下品治安が悪いと思ってるみたいな話をされる

タクシー運転手だけでなく何回もそういうことがある

最近始めた習い事で住所書いた時も年配の人に「ええとこ住んでるね、おぼっちゃん?」みたいななんか嫌な感じで言われた

なんなんだろうな

なんか気持ち悪いしどうでもよすぎる

2021-11-09

ガンダムSEED DESTINYの思い出

初めてリアルタイムで見たガンダムSEEDシリーズだったけどまだ子供で当時習い事もあって飛び飛びだったし記憶曖昧になってたので最近改めて見た。

くそ評判悪いのは知ってるし見た上でう~~んってなったとこもあったけどどこかシンが好きだなあと思うしデスティニーってかっこいいよね、機体。

リアタイ当時はネットまり使ってなかったからわからないんだけど良ければその当時を思い出して思い出を語ってください。

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ラクス側の陣営綺麗事詭弁ばかりというか、そのくせ結局財力に物言わせた最強のMSキラ・ヤマトで力でねじ伏せてんじゃんみたいに思ってしまってあまり良い印象を抱かないので自分は少しシンに肩入れしてしまうのかもしれない。

もちろんシンが良い子とは言わないけどちょっと悪く描かれすぎてない?て思って同情してしまう。

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Zガンダムも今年見たんだけど今見るとシンってカミーユのようなジェリドのような感じでもしかしてZをオマージュしていたのかなって思った。

最初アスランとシンの関係クワトロカミーユみたいになるかなって思ったし、そうなったら面白かったのになあと思う。

でも結局シンはアスランや誰かにうまく導いてもらえることもなくうまく利用されてなんだかジェリドに近い感じ。

当時はシンはすぐアスランに突っかかるなあと思ってたけど大人になって見るとアスランに突っかかってるのは甘えてるんだろうなあと思った。

信頼してるし実力も理解してるからアスラン腑抜けるとシンの中で許せないんだなぁと感じた。どうなんだろ。

甘ったれたやつだなぁと思いつつもシンのそういうとこが少年らしくて可愛いなぁと思う自分結構大人になったのかもしれない。

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ラクスカガリ演説全然響かないというか…綺麗事だなぁとしか感じなくて、ギレンの演説とかダカール演説のような清濁併せ呑んだような、政治を感じなくてなんだかなぁ

にしても「カガリは今泣いてるんだぞ」にさすがに意味わかんなくてびっくりしちゃったんだけど当時もネットでさんざん言われたんだろうか。

なんか検索欄入れただけでこのセリフネタにされていたんだなと感じるサジェストがされたけど。

個人的感情文句言いすぎではと思ってびっくりした。

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そんなこんなですぐ調子乗るしょうもないとこはあるけどなんだかほっとけなさのあるシンが見てて楽しくてキラを撃つとこなんかスゲー!て興奮したのにその話数が収録されてる円盤が一番売れ行きが悪いと聞いて悲しくなった…そうなの?なんで…

最強のコーディネーターにつくられたわけでもなく、インパルスフリーダムにパワーで劣るとか言ってたのにキラをあそこまで追い詰めてんのすごいなって思ったんだけど…

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レイとシンの友情的な部分とかルナマリア含めたパイロット達の関係性とかもっとたかった…と思って、漫画のThe EDGEが良いと聞いて読んだ。良かった。

アニメ作画もあれだけど諸々行間が広すぎない?

シンやレイの周りの心情とか結構放置されて雑な扱いになってるなって…総集編多いし…

レイ自分のことをシンにだけ話したの、シンを議長のために唆しつつも友情や信頼も重ねていたんだろうなあと思ったしだからこそレイ最後をシンがよく知らないのなんだか…うーん…。

シンまじでアニメだけ見てるとすぐ増長するバカな子じゃん、いや実際そうだけど…

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公開が予定されてる劇場版DESTINYの続きというけどもう心配になってきた色々。

デスティニーって主人公機(一応)なのに黒とか使ってて残像?みたいになって動くのとかかっこいいか劇場版でもそのバージョンアップしたようなかっこいいの出てほしいなあって思う。

2021-11-06

anond:20211106134543

俺が考えるあるべきプリキュアを再掲しよう。

これこそが多様性だ。

各地でそれぞれ不遇な生い立ちの少女たちがそれぞれの地獄抗う

いつしか5人は出合いけがえのない仲間となり共に強大な敵に立ち向かうのである人間関係の亀裂から最終的には散り散りになる。

真の敵はなんだったのか。

何が彼女たちを不幸にしたのか。

 

ピンク茨城の小都市シングル家庭に育つ。母は弁当工場勤務。保育園児の妹の世話をしている。夢はガストで好きなものを食べること。

オレンジ大阪育ち。父母貧しく、夫婦仲悪い。怒鳴り声と接しながら育つ。クラブ活動サッカーが好きだがシューズは買ってもらえない。後にこれが理由試合への出場を取り消される。

ブルー横浜で裕福な家庭に育つ。父母は不条理なまでに厳格で塾と習い事生活のすべてを過ごしている。衣食住は世間の平均以上だがおもちゃは買ってもらえない。お友だちにもらったプリキュア玩具を目の前で父母にへし折られている。

グリーン鹿児島育ちの中学2年生。サザエさんそっくりな家父長制の強い昭和的家庭で育つ。5人の中で最も年長で、知性、性格容貌、すべて優れている。なお容貌歴代プリキュアの○○そのもの。都会の有名大学にあこがれており担任も協力的。しかし父母も祖父母女子の進学に批判的で、同級生もその父母も彼女を妬んでいる。ついには担任彼女のあらぬ噂が流れ、担任土地を追われる。

パープル:あなた

2021-11-05

anond:20211105081103

そりゃガキのためって言ながら、数千万の家のローン組んで、ガキを塾や習い事で毎月数万使って、教育だって言って数万かけて旅行行ったりするんだろ

そういうやつらに金を渡すのがそもそもアホらしいし

金渡してもガキのためって言って貯金に回る。

マジで無意味なんだよな。

2021-11-04

追記) 今の時代専業主婦やりたい女って、主婦業の何をしたいんだ? ブコメまとめ

https://anond.hatelabo.jp/20211103073410

へのブックマークコメントまとめ

パターン別に分類


育児で休んだら同じキャリアに戻れないのでそのまま専業主婦

一番多そう、なんか恨みがましい

ブランク労働時間の制約あれば違いが出るのは当然だと思うが、安い給料だったら働きたくないという訴えが多い。

仕事復帰しなくていいことへの体のいい言い訳にしている人もいる様子。

そもそも専業主婦をやりたい人間に対しての質問に、やりたくない人間がズレたコメントをしている。


・働きたくないなんて当然の欲求でしょ派

専業主婦労働からの逃避として価値があると捉えている。

二番目に多そう。

でもその理屈だと家事もロクにやらないんじゃないか

日本国憲法勤労の義務をどのように考えているのか。


家事労働両方なんてやりたくないよ派

からといって労働を完全放棄すると、子供学校に行きだすと大分暇じゃないのか?

30、40台とかでそれは怠惰すぎない?


家事育児はやること沢山あって大変だよ派

未就学の子供が沢山いて大変・・・わかる

障害を持つ子供がいて大変・・・わかる

そういった家庭があるのは理解できるが、この少子化現代、子沢山の家庭は多くはない。

また、自動化できない家事は残っているにせよ、以前と比べ家事労働時間が著名に減少していることも確か。

多くの家庭では家事労働時間子供の数に伴う育児時間昭和より減少していると思うんだが、それでも専業が望ましい状況なの?


子供に全てを注ぎ込みたいよ派

小学校中学年にもなれば夕方まで子供家にいなくないか

習い事とか学習塾とか行くなら尚更。

送り迎え?自転車タクシーでよくない?


子供と一緒にいたいよ派

これは分かりやす理由ではあるけど

高校生ぐらいになったらフルタイムで働いていても一緒にいる時間そんなに変わらなくないか予備校行ってたら子供の方が遅いまである

子供大学生になって家を出たりしたら働くの?


・夫の転勤、親の介護のせい、なりたくてなったんじゃない派

大変だとは思うが、夫婦で話し合って自分選択したのであれば、その言い訳はどうかと思う部分も。旦那単身赴任、親を介護施設に入れるなどの選択肢もあったはず、取捨選択の結果ではないのか。

納得できていないなら自分旦那さんともう一度よく話し合ってみたら?

これもそもそも専業主婦をやりたい人間に対しての質問に、やりたくない人間がズレたコメントをしている。


機械じゃできない家事がある派

階段の上とか棚の上とか洗濯物の畳みとかそこまでの作業量か?

選択乾燥機一般化した中、干す手間は無くなっているし。

育児以外の家事一人暮らしでも仕事しながらやっていると思うが。


・だったらお前がやってみろ、お前は家事のことを何も分かってない派

自分経験していない職種に対する疑問は全部やってみろで終わってしまうだろ。

単なる暴言。後輩教育とかできないタイプか底意地が悪いか


・急に被害者なっちゃう派

主婦業で何をしたいのか?暇ではないのか?と質問しているのに

押し付けるなとか、指図するなとか怒りだしちゃう

別にやれともやめろとも言ってないですよ。

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