はてなキーワード: 経済格差とは
『フルタイムで働いてるのに老後の不安がある状況っていかんよなぁ』って言うと、
ChatGPTちゃんは、平然とスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業にMBAをはじめとした専門教育を受けろと言うし、
『どんな傲慢な人でも、どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋をするのに、料理に対する情熱や美味しいレシピよりも、MBAが大切とは答えません。
と伝えると、
職業やビジネスの成功において、経営やマーケティングの専門知識は重要な要素となることは確かですが、それがすべてではありません。料理の情熱や技術、お客様に対するサービス精神なども同様に重要です。 個々の人には異なる夢や目標があり、異なる道を選ぶことができます。どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋を営むことがその人にとって意義のある選択であり、社会的に貢献することも十分にありえます。
・・・って答える
『ChatGPTが考える、スーパーの店員の100倍以上の年収を受け取るべき能力や責任とは何ですか?』と尋ねると、
高給取りの人々が受け取る報酬の差は、さまざまな要素によって影響を受けます。以下に挙げるいくつかの要素は、高給取りとされる人々の能力や責任、および市場価値に関係している可能性があります。 ・専門知識やスキルの獲得: 高給取りの人々は、高度な専門知識やスキルを持っていることが多いです。例えば、医師や弁護士は長期間の教育やトレーニングを受け、高度な専門知識を持っています。 ・責任の大きさ: 高給取りのポジションには、通常、高い責任が伴います。経営者や高位の役員などは、企業や組織の意思決定や戦略の責任を持ち、重要な意思決定を行います。 ・結果に対する影響力: 高給取りの人々は、自身の仕事や意思決定が組織や社会全体に与える影響が大きいことがあります。例えば、成功した起業家は新しいビジネスを生み出し、雇用を創出することで経済に貢献します。 ・市場価値: 報酬は市場における需要と供給のバランスによって決まります。需要の高い職種や業界では、人材の供給が限られているため、報酬水準が高くなることがあります。
・・・って答える
『一般的にアメリカにおいてアメリカ大統領領よりも責任が重大な職はないがスーパーの店員の数千倍の報酬はもらってない。アメリカ大統領の年収は年間40万ドル。
数百倍から数千倍の報酬が正当化されるべき責任など存在しないと思うけど?』って伝えると、
報酬の上限をどこに引くべきかは、社会的な議論や倫理的な観点によって異なる結論が導かれる可能性があります。報酬の適正さや公正さについては、さまざまな要素が考慮されるべきです。
・・・って答える
『アメリカンドリームが生きているとしているのは、民主党寄りのメディアや経済誌が多いようです。
既に社員の数百倍から数千倍の大企業のCEOの報酬を2.5倍にするとか言ってるシンクタンクの人はコメント欄でめちゃくちゃ叩かれていました。
私も何言ってんだこいつ?と思いました。』って伝えると、
ご指摘のように、アメリカンドリームや経済の不平等に関する議論は様々な視点や意見が存在します。メディアやシンクタンクの立場や政治的な傾向によっても、報道や記事の内容が異なることはあります。 経済誌や民主党寄りのメディアは、一般的に経済的な不平等や格差是正に関心を持ち、アメリカンドリームを実現するための政策や社会の変革を提唱することがあります。
まぁこれはもっともらしいAIの嘘の範疇だとしても、とにかく何を聞いても教育と努力で解決出来るってChatGPTは答えるんだ
なので、
『教育は社会的な格差を縮小するために重要な役割を果たすことができないどころか、格差を縮小することにおいてはまったく役に立ちません。
これは事実です。
OpenAIなど米国の企業は2ドルまたはそれ以下の賃金で途上国や新興国に依頼を投げます。
スーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業で働いている人は別に教育が足りなかったわけではありません。
ChatGPTはスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業の従事者に専門教育を受けろと言いますが、受けたところで2倍3倍の給与になったり、
ましてやどこぞのCEOのように1000倍にはなりません。彼らの給与が抑えられているのは社会的な構造です。
資本主義社会の現実では、お金に換えやすい能力と知識があるので、教育(愛と情熱)ではどうにもできません。』
・・・って伝えると、
社会的な格差の問題は非常に複雑であり、教育だけが解決策とは言い切れません。教育は確かに個人の能力や知識を向上させる上で重要な役割を果たしますが、社会の構造や経済の仕組みによって格差が生じることも事実です。 経済格差の問題は、教育だけでなく、社会的な構造や政策、労働条件、所得分配の不均衡など複数の要素が関与しています。給与の抑制や低賃金労働の問題は、資本主義社会の現実や経済の競争原理によるものと言えます。 私が以前の回答で教育の重要性を強調したことにより、社会的な格差を解決するための他の要素や問題の重要性を軽視してしまったことをお詫び申し上げます。
・・・・と、これはとりあえず謝っておくパターンかって回答するけど、
やっぱ、とにかく教育・努力でどうにかなるという強い学習がなされているようで、
『お金にならない分野を勉強するのは愛と情熱以外にありません』って伝えると、
教育には多様な側面があり、個人の興味や適性に応じて異なる道が存在します。確かに、お金に直結しない分野や職業を選択することもあります。これは、人々が自身の情熱や関心に基づいて進む道を選ぶことを意味します。 教育は、自己成長や喜び、人生の充実感を追求するためにも重要な役割を果たします。お金に直結しない分野での学びや専門知識の習得は、個人の人生において深い意味や充実感をもたらすことがあります。 ただし、現実的な観点から見ると、一部の分野や職業は他よりも収入や経済的な安定性が低い場合もあります。そのような場合、自身の情熱に基づく道を選ぶことが重要ですが、同時に生計を立てる手段や経済的な安定を確保する方法にも考慮が必要です。 教育における情熱や愛は重要な要素であり、それが個人の自己成長や喜びにつながることは間違いありません。ただし、人々が自身の情熱に従い、生計を立てる手段や経済的な安定性も確保することは現実的な視点から考慮すべきです。
・・・って答える
もうここまでで、そらトランプ大統領も生まれるわって思ったが、
『2ドル以下で働いている人たちは、個人の能力や選択、努力が足りず、経済状況や市場の変化に対応し、自己成長や挑戦を続ければそうならなかったということですか?
どこの国・地域に生まれ、お金に換えやすい分野に対する能力と情熱があったか?ただそれだけです。
個人の選択、努力、変化に対応とかは、影響どころか何の意味も持ちません。』って伝えると、
私の前回の回答が誤解を招いたようでしたら、申し訳ありません。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、2ドル以下で働く人々を非難するつもりはありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。
・・・って回答してくるし、そういう言い方だめだよって伝えると、
おっしゃる通りです。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、低賃金で働く人々を非難することは適切ではありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。経済的な安定や成功は、個人だけの問題ではなく、社会や経済の構造、制度的な要素なども含めて考慮する必要があります。
いやーどういう文章を学習してる&調整されてるんですかね。。。。。
下記の回答を出力するのにかなり試行錯誤したぞ。最初っから下記の通りの回答ができればいいのにな
経済状況や市場の変化、個人の能力や選択、努力は、給与水準や社会的な格差に影響を与える要素の一部ですが、それだけがすべてではありません。2ドル以下で働いている人々の状況は、さまざまな要素の結果であり、単純に個人の能力や努力だけで解決できるものではありません。 人々が生まれ育った国や地域、社会的な背景、教育の質や機会の格差、経済の仕組みなどは、個人の能力や選択だけでは変えることができない要素です。給与の低さや格差が問題とされる場合には、社会的な構造や政策の見直しも必要とされます。 また、お金に換えやすい分野に対する能力や情熱があるかどうかも、個人の選択や環境によって異なります。社会にはさまざまな分野や職業があり、それぞれに異なる価値や意義が存在します。人々が自身の情熱や能力に基づいて進む道を選ぶことは重要ですが、その選択が給与水準の差や社会的な格差を正当化するものではありません。 最終的には、社会的な格差や給与の不均衡を解決するためには、個人の能力や努力だけでなく、社会的な構造や政策の改革、教育の普及や質の向上、労働条件の改善など、総合的な取り組みが必要です。
『フルタイムで働いてるのに老後の不安がある状況ってあかんよなぁ』って言うと、
ChatGPTちゃんは、平然とスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業にMBAをはじめとした専門教育を受けろと言うし、
『どんな傲慢な人でも、どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋をするのに、料理に対する情熱や美味しいレシピよりも、MBAが大切とは答えません。
と伝えると、
職業やビジネスの成功において、経営やマーケティングの専門知識は重要な要素となることは確かですが、それがすべてではありません。料理の情熱や技術、お客様に対するサービス精神なども同様に重要です。 個々の人には異なる夢や目標があり、異なる道を選ぶことができます。どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋を営むことがその人にとって意義のある選択であり、社会的に貢献することも十分にありえます。
・・・って答える
『ChatGPTが考える、スーパーの店員の100倍以上の年収を受け取るべき能力や責任とは何ですか?』と尋ねると、
高給取りの人々が受け取る報酬の差は、さまざまな要素によって影響を受けます。以下に挙げるいくつかの要素は、高給取りとされる人々の能力や責任、および市場価値に関係している可能性があります。 ・専門知識やスキルの獲得: 高給取りの人々は、高度な専門知識やスキルを持っていることが多いです。例えば、医師や弁護士は長期間の教育やトレーニングを受け、高度な専門知識を持っています。 ・責任の大きさ: 高給取りのポジションには、通常、高い責任が伴います。経営者や高位の役員などは、企業や組織の意思決定や戦略の責任を持ち、重要な意思決定を行います。 ・結果に対する影響力: 高給取りの人々は、自身の仕事や意思決定が組織や社会全体に与える影響が大きいことがあります。例えば、成功した起業家は新しいビジネスを生み出し、雇用を創出することで経済に貢献します。 ・市場価値: 報酬は市場における需要と供給のバランスによって決まります。需要の高い職種や業界では、人材の供給が限られているため、報酬水準が高くなることがあります。
・・・って答える
『一般的にアメリカにおいてアメリカ大統領領よりも責任が重大な職はないがスーパーの店員の数千倍の報酬はもらってない。アメリカ大統領の年収は年間40万ドル。
数百倍から数千倍の報酬が正当化されるべき責任など存在しないと思うけど?』って伝えると、
報酬の上限をどこに引くべきかは、社会的な議論や倫理的な観点によって異なる結論が導かれる可能性があります。報酬の適正さや公正さについては、さまざまな要素が考慮されるべきです。
・・・って答える
『アメリカンドリームが生きているとしているのは、民主党寄りのメディアや経済誌が多いようです。
既に社員の数百倍から数千倍の大企業のCEOの報酬を2.5倍にするとか言ってるシンクタンクの人はコメント欄でめちゃくちゃ叩かれていました。
私も何言ってんだこいつ?と思いました。』って伝えると、
ご指摘のように、アメリカンドリームや経済の不平等に関する議論は様々な視点や意見が存在します。メディアやシンクタンクの立場や政治的な傾向によっても、報道や記事の内容が異なることはあります。 経済誌や民主党寄りのメディアは、一般的に経済的な不平等や格差是正に関心を持ち、アメリカンドリームを実現するための政策や社会の変革を提唱することがあります。
まぁこれはもっともらしいAIの嘘の範疇だとしても、とにかく何を聞いても教育と努力で解決出来るってChatGPTは答えるんだ
なので、
『教育は社会的な格差を縮小するために重要な役割を果たすことができないどころか、格差を縮小することにおいてはまったく役に立ちません。
これは事実です。
OpenAIなど米国の企業は2ドルまたはそれ以下の賃金で途上国や新興国に依頼を投げます。
スーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業で働いている人は別に教育が足りなかったわけではありません。
ChatGPTはスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業の従事者に専門教育を受けろと言いますが、受けたところで2倍3倍の給与になったり、
ましてやどこぞのCEOのように1000倍にはなりません。彼らの給与が抑えられているのは社会的な構造です。
資本主義社会の現実では、お金に換えやすい能力と知識があるので、教育(愛と情熱)ではどうにもできません。』
・・・って伝えると、
社会的な格差の問題は非常に複雑であり、教育だけが解決策とは言い切れません。教育は確かに個人の能力や知識を向上させる上で重要な役割を果たしますが、社会の構造や経済の仕組みによって格差が生じることも事実です。 経済格差の問題は、教育だけでなく、社会的な構造や政策、労働条件、所得分配の不均衡など複数の要素が関与しています。給与の抑制や低賃金労働の問題は、資本主義社会の現実や経済の競争原理によるものと言えます。 私が以前の回答で教育の重要性を強調したことにより、社会的な格差を解決するための他の要素や問題の重要性を軽視してしまったことをお詫び申し上げます。
・・・・と、これはとりあえず謝っておくパターンかって回答するけど、
やっぱ、とにかく教育・努力でどうにかなるという強い学習がなされているようで、
『お金にならない分野を勉強するのは愛と情熱以外にありません』って伝えると、
教育には多様な側面があり、個人の興味や適性に応じて異なる道が存在します。確かに、お金に直結しない分野や職業を選択することもあります。これは、人々が自身の情熱や関心に基づいて進む道を選ぶことを意味します。 教育は、自己成長や喜び、人生の充実感を追求するためにも重要な役割を果たします。お金に直結しない分野での学びや専門知識の習得は、個人の人生において深い意味や充実感をもたらすことがあります。 ただし、現実的な観点から見ると、一部の分野や職業は他よりも収入や経済的な安定性が低い場合もあります。そのような場合、自身の情熱に基づく道を選ぶことが重要ですが、同時に生計を立てる手段や経済的な安定を確保する方法にも考慮が必要です。 教育における情熱や愛は重要な要素であり、それが個人の自己成長や喜びにつながることは間違いありません。ただし、人々が自身の情熱に従い、生計を立てる手段や経済的な安定性も確保することは現実的な視点から考慮すべきです。
・・・って答える
もうここまでで、そらトランプ大統領も生まれるわって思ったが、
『2ドル以下で働いている人たちは、個人の能力や選択、努力が足りず、経済状況や市場の変化に対応し、自己成長や挑戦を続ければそうならなかったということですか?
どこの国・地域に生まれ、お金に換えやすい分野に対する能力と情熱があったか?ただそれだけです。
個人の選択、努力、変化に対応とかは、影響どころか何の意味も持ちません。』って伝えると、
私の前回の回答が誤解を招いたようでしたら、申し訳ありません。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、2ドル以下で働く人々を非難するつもりはありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。
・・・って回答してくるし、そういう言い方だめだよって伝えると、
おっしゃる通りです。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、低賃金で働く人々を非難することは適切ではありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。経済的な安定や成功は、個人だけの問題ではなく、社会や経済の構造、制度的な要素なども含めて考慮する必要があります。
一般的な傾向(10の事例のうち8まではあてはまるが2の例外はある、位のニュアンス)で言えば、マイノリティって経済的にもマジョリティより劣勢なことが多いのよね。経済的に優位な存在がいるとそれはそれでバックラッシュか起きるって問題はあるけど一旦置いとく。
で、現代社会において、なんらかの文化が喧伝されるときって経済活動が絡む機会が圧倒的に多い(慈善事業として手弁当でやる人たちも当然いるけど)。
経済的強者のマジョリティが自分たちの文化使って金儲けしようとしてるの見たら、まあキレる人が出てくるのも出てくるわなと思う。
グウェン・ステファニーが日本文化ブランド打ち出して燃えたのも結局それで、日本人からしたらアメリカで誰が何でどう儲けようとか正直海の向こうの話でピンと来ないじゃん。でもアメリカだと経済格差が人種問題の絡みって根深いわけよ。
グウェン・ステファニーは商売にしてるわけ。そういうのを認めてしまうと自分たちに跳ね返ってきてしまう。だから「そもそもそんなん認めたらあかんやろがい!」で押し切ろうとしてるのが今の流れかと思う。
文化への愛があれば別にいいんじゃないのって思う向きもあろうが、この辺イラストレーターの絵柄を模倣したりAIで似たようなものを生成したりする話題と似てるところがあるかもしれない。愛があればなんでもやっていいの?って話と、それはそれとしてイラストレーターは飯の種が減るのでマジでやめろって話は並存してるって点で。
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html
欧米の少子化対策は、(1)一人暮らしが多く、結婚・同棲に経済的メリットがある(2)女性は差別されず、仕事で自己実現を求める(3)恋愛が盛んである(4)子育ては成人まで――の4点を前提としている。そのため、子どもを育てながら働き続ける条件を整えればよく、収入が不安定な男性でも結婚できる。
一方、日本では親と同居の独身者が多く、特に地方で女性差別的な慣習が残る。また、恋愛感情は重視されず、将来にわたり親に子育ての責任がかかる。このため、欧米のような両立支援だけでは効果的な少子化対策にならない。
若年男性の経済格差が拡大し、女性が十分な収入を得ることや働き続けることが難しいなか、「男性が家計を支える」という意識が続けば結婚は増えない。今後の少子化対策は、「収入が不安定な男性をどのように結婚までもっていくか、そのような男性と結婚しても大丈夫という女性をどう増やすか」にかかっている。
欧米流の少子化対策が有効でなかったのは、日本に合っていなかったのだというのが山田の見立て。
経団連なのでお前ら経営者しっかり環境整えろや、と言うことで結論づけているが、著書の方では、日本の欧米化を前提にエリート共が意識改革を待っていたから手遅れになったんであって、日本にあった方法をやれと、おれは、ずっと、言ってきただろう!??(意訳) みたいな話になってる。
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
これは分かるわ
美人で気遣いができる優しい女が、イケメン金持ちに「こんな素敵な女性に払わせる訳ないじゃん。経済格差だってあるし、フェアじゃないよね?それに綺麗になるためにはお金もかかるんだし僕に払わせてよ」って女性をエスコートして、女性に感謝されまくってお返しに色んなプレゼントを貰って、みたいな上流階級強者の世界と戦ってんだよな
ここにいきなりキモイオジが出てきて「無料で○○チャンとお話ししたいナ!ワリカンがいいな!オジサンって若い子の間で結構モテちゃうんでショ?オジサンにもチャンスあるカモナンチャッテ!女はキレイでエロくなきゃダメだヨ!」の乞食が集りまくり、これに苦言を呈する美女たちに、金なしキモオタが「女は金目当て!男性差別!」などと噴き上がる構図だと思ってる(貧乏オタク女はワリカンされてるがキモブスなのでオタクの目に入らない)