はてなキーワード: 癒着とは
偶然だが最近、銀英伝のアニメ見たんだよ。まあ全編じゃなくてyoutubeに上げられてる細切れのエピソードを数十個って感じで。
この増田みたいに銀英伝への憎悪を顕わにする高齢オタクが憤懣ぶちまけてるのをたまに見るので気になってたんだな。特にヤン提督っていうのがリベラル代表として憎悪されてるのが多い。
https://anond.hatelabo.jp/20230407234853
結構面白かった。民主政の意思決定のダメさとか現場の意見が無視されて甘い見立てが人気を得ちゃうのとか色々テーゼが山盛りなのな。
でもTwitterやヤフコメで暴れてるオタクがヤン提督にイキってるのってヤン提督の態度や思想でしょう?特に有名なところだと
それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。
宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。」
ってやつ。
何でかと言えば、最近というかここ数年「軍師」批判がポピュラーになってる。特に叩かれやすいのがネトウヨで軍師は居るが兵隊は居ないっていう界隈になっていて、己の能力の客観視と自意識のすり合わせが出来ていない集団を外から見たらそりゃ軽蔑されますわな。
はてブのコメでもよく見るが、自我の防御として言ってるケースが目立つ。言われたら痛い事を自分から言うってやつね。
特に2/5chでなんJとアフィまとめブログが衝突を繰り返すようになった5年くらい前から叩きの言葉として流行しており、ストレスが溜まっているのではないか?
先に引用したセリフはまさに軍師批判エッセンスみたいなもんで良く貼られてるのを見るしその度にイライラした反論チックな事がされている。
また元増田の
というのを見た事が無いのだが、どういうのなのか?ポリコレなどに過剰適応?
それに
とナチュラルに常識へのルサンチマンが出てるのってどういう事なのかね?
「元増田が新しい社会常識」についていけない老害なのではないかとの疑念がわく。
1970年に「増産より公害対策を」と言っているのは共産党などの左翼が中心だった。だが20年後の1990年には公害対策は規制に組み込まれあらかたの公害は解決に向かっていた。既に工業規格と共に公害規制を熟知していないと倒産する時代になっていたわけだ。
1975年にはどこにでも痰ツバ吐き放題、だが1995年に道端に痰ツバ吐いたら顰蹙だし客先の敷地でやったら出入禁止の懲戒解雇だ。
もしかしてその痛い第二世代ってはてな村の旧村長みたいな人の事を言っているのか?
この度のコラボ攻撃やその前の温泉娘擁護で批判者を炎上みたいなムーブメントに冷淡な人らの事を言っているのか?
温泉娘では吹き上がったオタクはオタクイラストへの攻撃だとの扇動にまんまと乗ったが、その実はイラスト拒絶じゃなくて昭和脳な運営の黒岩知事流出メールみたいなオヤジの小汚い性意識開陳でそれへの炎上だった、っていう所まで見ていて覚えているところとかが一体感に水を差して不愉快なのか?
その前の中野まんだらけ騒動では対面の商店主の批判は「お気持ちだ!」とフェミへの批判と同じ道理で炎上させて潰せるとオタクたちは思っていたが、その一体感に背を向けてこれは風営法案件である事、風営法の管轄官庁は警察署である事、行政権と司法権が近く更に裁量権が大きい分野である事、などを説明する人を見つけ出して読み、オタクの一体感には冷淡だった事が不愉快なの?
コラボ騒動ではそれらの経験を踏まえてオタクらの一体感に水を差し、「また同じ理路と実存操作で扇動されてる」と冷淡だったところが気に入らない?
最初から「共産党との癒着で」「NPOのスキームを乱用して公金ガバガバゲット」「保護した少女を管理売春」「汚部屋宿舎に超高額請求」というところから始まっているので今までの経験から絶対にまともな批判にならないと見抜いていた事がポリコレ的?
それらがデマである可能性が高い上にそのデマがネットでは既存の形式なのでセットになるデマがあり、駅前の放置自転車のカゴの様にデマがデマを呼ぶ展開となって、社会的な物事を知らないオタクへの軽蔑を深める展開となる事を最初から見抜いていた事が「新しい社会常識」への恭順的で気に入らない?
新聞が産経を除いて記事にしない、更にそれに対して「マスゴミが報道しないフンダダラ」「報道しない自由」という反応があるのを観察して「ああいつもの」と冷淡だったのが気に入らない?
まず2002年頃まで。ここでは2chはネオ麦茶を生み出した悪意垂れ流しのバカの集まりで近づいてはならぬもの。
2002~2007年くらい。2chの影響力が増す。特に後を押したのが小泉改革で、既存の道徳を破壊してもいいし我らはその抑圧されていた主体だ。僕らが目指すのは常に上。
2007年~10年代前半。Mixiが流行。そもそもMixiがあれだけ成功したのは「2chではない」からに尽きる。顔出しや所属明記してのネット活動は2chのエサになるので出来なかった。その普通の人らの欲求に合致した為に大流行。
一方、コアな2chユーザーは2chで炎上して炎上側に居たらネットでの正義、という一体感と全能感の前提が崩れてしまいMixiに異常な悪意を抱いていた。病的なやつは「2chは自由、Mixiは北朝鮮」と数千ものコピペを貼りまくっていた。
10年代前頃~後半。ネット広告の伸長によりまとめブログが大隆盛。不愉快な反対意見を削除してまとめてくれるので閲覧者は全能感全開で気持ちがいい。だが広告単価が高くなるとヘイトスピーチの様に反社会的で程度の低いコンテンツは掲出拒否や契約解除されるようになり低調に。
オタク第二世代というのはこのオタクを中心としたネット民が共同性を持ち、強い隣組的行動則で異論をパージし「若者の異議申立」の文脈で企業脅迫や誤情報流布での評判操作をもしていくという中で人格を形成していった世代だ。
そんな不遜な態度に異を唱える者もいた。例えば大塚英志などだ。
大塚の主張は大人ならオタク産業は給与や報酬の交渉権すらない(労働組合や職業組合)のに目を向けろというものだが、単に一体感や全能感を棄損するオタクバッシャーとして異端追放されるだけだった。
『さらば青春の光』っていう英国映画があるんだが、モッズという暴走族の物語だ。イタリアのベスパスクーターにミラーやライトなど過剰な飾りつけをして陸軍の野戦コートを着て集団で走り回り大人が目をひそめる事や喧嘩してばかりいる。
警察に捕まった主人公はカリスマモッズのエースに出会って心酔する。エースのベスパはGSという高級車種だ。
裁判では仰々しい説教の後の判決が罰金刑だったので「そんなもん今この金で払ってやるよ」とコケにして仲間で大ウケ。
だがエースたちもやがて「大人になる」時が来るのな。エースはホテルのベルボーイになってヘイコラする労働者になった。
主人公はこの姿を見るや、世間に迎合した憧れのエースに憤懣やるかたない。日経新聞と朝日新聞を併読する大人になんかなりやがって!いや間違えた、こっちは反ポリコレしか知らないのに法規制や過去の慣行やその上での現在の業界事情を知りやがって!これも間違えた、とにかくお前はあのエースじゃない、俺の心の裏切り者だ!
エースの愛車だったベスパGSを盗んで走り出した主人公は速度をつけて崖からGSでダイブ。エースのGSがグチャグチャになったところでフィルムはストップ。
だがその後主人公は生きていてトボトボと歩いて行く…っていうのがあらすじだ。
元増田らあんたらは結局世間的なものに迎合して己を変化させて行くオタク第二世代のいくらかがインフルエンサとして目立つの気に入らないんだろう?
今まで自分の立ち位置を自分で確認した事があるのか?みんなで炎上させれば正義になる、だけど隣組がキツくて「これは違う」という事は許されない、そんな村落共同体みたいなところにずっと居ていいのか?因みに暴走族とかアウトローの世界はみんな同じ行動規範だ。そうやって「世界を閉じる」事で共同性や象徴性が堅固なものになるのだ。
暴走族も学生運動もいつか卒業するんだよ。18や22でな。あんたらはいくつだ?40代だろ?
オタクのくせにオタクの共同性に埋もれないやつらは元増田にとってのエースだ。レゾンデートルを否定するやつらだ。
だがそいつらはオタクの実存の外の社会でやっていくことでオタクコンテンツが価値を産むことを判っているからベルボーイをやっている。共同体の失敗を見ないという隣組規則は焼畑であり行き詰まり誰かが尻ぬぐいをする事になる事を知っているからやっている。
温泉娘は老若男女の旅行客に訴えてアピールする為にある。年喰ったオタクの性欲を開陳したいから掲出してくださいというんじゃ温泉宿もお断りだ。
「桜を見る会」みたいな名前のが全国各地の自衛隊でやられていて、その中に「地元住民を読んで豚汁を振る舞う」みたいなのから「OBまみれの癒着先企業と幹部自衛官達が税金で買ったお酒を下っ端の軍曹や二等兵にお酌させてお互いに褒め合う会」みたいなのまで幅広くやっているらしい。
この構図に対して一斉に絨毯爆撃をすると、地域住民との交流を深める方を隠れ蓑にして逃げ切られる可能性がある。
だが下手に具体的な指摘をすると、俺の知り合いに迷惑がかかるかも知れない。
知り合いは「俺は国防にかかわる人間としてこんな金の使い方、時間の使い方、隊員の使い方がされているのが本当に許せない」と嘆いているのでなんとかしてやりたい。
俺自身も自分の払った税金が時代錯誤な感覚を持っている連中の飲み代に消えるというのは許しがたい。
どうしたらいいんだろうか。
はてなーってこういうの得意そうだからなんか知ってたら教えて欲しい
追記:
言い忘れた。
知り合いも既に朝日と赤旗には軽く紙飛行機を飛ばしているし、他にも飛ばしたと言ってる人は何人かいるらしい。
これをなんとか大きな炎にしていい加減辞めさせたい。
大事な所言い忘れてたわごめん。
インフルエンサーの脱税のニュース見て書きたくなったがインフルエンサーに今一番すり寄ってきてるのがマルチ商法な。MLMで~すって言う信者は今後も騙されて一文無しになれ。
結構大きなマルチ商法の会社もインフルエンサーに商品宣伝させて不特定多数の会員に商品買わせて宣伝費と報酬払ってる。そもそもインフルエンサーの親がマルチ商法の上位で裕福だったりするからまさに親子二代で鬼畜の所業。
マルチ商法なら法律があってクーリングオフもあるけどインフルエンサーの紹介の場合はこの範囲から外れてクーリングオフも効かない。インフルエンサーもその辺のちゃんと説明しない。割高な商品を自分の意志で買ったていで買わせてクーリングオフもさせず、肩を落としているところをマルチ商法に勧誘という隙を生じぬ二段構え。まさに現代の地獄
ここに書いても仕方ないけどインフルエンサーが勧めたものを盲目的に買う前に一度ググってみたりしたら良いぞ。化粧品や健康食品だったらだいたいマルチ商法の商品のパッケージ換えとかだから。服は中華のゴミが99%。
騒動初期、暇空茜はめちゃくちゃかっこよかった。あんなに深い闇に切り込んでいく発端がオタクコンテンツ批判へのしっぺ返しなのが本当に痺れた。しかもMMOで伝説を残したプレイヤーとかゲーム業界では知る人ぞ知る影の偉人とかいろいろラノベみたいな設定が出てきて、マジで尊敬していた。どんどん大きくなっていく問題がニュースにならないのもラノベみたいでワクワクした。
ああいう社会的な問題と戦う人はなんか意識が高い弁護士とかばっかりで、「敵の敵は味方」だから応援するだけだった。でも暇空茜はただの味方じゃなくて「俺たちの先頭に立っているリーダー」だと思えた。俺たちみたいにハンタが好きで、俺たちみたいにネトゲが好きで、俺たちみたいに過激なフェミが嫌いで、でもただのオタクじゃなくて、賢くて強くてかっこいい。いつか夢見たラノベの主人公がリアルで陰謀と戦っているようだった。
そのピークは暇空茜がキリトやノゲノラの「 」のモデルだという話が出たときだった。そうだよな、この人ってまさに主人公だよな! あと一歩でなかなかな金額を寄付するところだった。だがピークは降下の始まりでしかない。時期的におかしい。作者が自ら否定。冷や水を浴びせられたように一気に目が覚めた。情熱が冷めた。輝きが褪めた。
あんなにかっこよかったはずの武勇伝ツイートたちが全部酔ったおっさんの書き込みになった。高IQアピールは一気にダサく見えた。くっさ!wというやつだ。ミュートした。
それだけならまだよかった。かっこよさを失っただけであって、暇空茜の活動の正当性にはなんら影響がない。憎い不正受給フェミやそれよりもっと深い闇をやっつけてくれよ暇空さん! 俺はキツくてずっと見てれはしないけど頑張れよ! という気持ちだった。
だが今日のメス化青識騒動は何だ? 相手が暇空茜に噛み付いた訳でもない、暇空茜が戦っている相手と何ら関係のない、明らかにヤバい論を展開してる訳でもない、アンフェやフェミ界隈のやべーやつでさえないちゃんとしている人物に、いきなりメス化青識呼ばわりかよ? まだ「こういう論には賛成できない。青識もこういう風なことを言っていたからな」みたいに、あくまで青識との類似性を指摘する、という風な感じだったらまあTwitterだしいいんじゃないかと思う。でもいきなり「メスになった青識」はねーだろ!
①メス
メスという言葉は一般的に、何の非もない女性に使っていい言葉ではない。放送禁止レベルなんですか?wとか言って煽っているが、普通にそうじゃないか?
青識はTwitterで有名なだけであって、Twitter廃人以外が急に「メスになった青識」と言われても誰? となるだけだ。それが何を指しているのか具体的に説明することを暇空茜は(頭の悪いやつに教えてやるよという感じで)「わかりやすく説明する」と言っているが、明らかに暇空茜が共通認識ではない名前を出しているのが悪い。
この騒動は議論がいる/いらないの話だから、暇空茜は議論がいらないという立場から議論をする気がないのかもしれない。しかしいきなり「メスになった青識」とだけ言って、求められてから不服そうに補足説明として意味するところを付け足すのはただのクソリプであり、暇空茜の品格を落とすことにしかならない。
とにかく、ヤバい。今日暇空茜はただのTwitterのやべーやつらの仲間入りを果たした。俺は気づくのが遅い方かもしれない。だが今まではインターネット住民(Twitterではたまにヤバい奴が湧くとわかっていて、それを楽しみにしている節がある)に対してのヤバ言動だったのに対して、今日の騒動でターゲットになってしまったのはTwitterは情報発信のためにやっている、アイコンがアニメではない、明らかに「俺たち」ではない人だという点がヤバすぎる。向こうに何の非もない。そういう人に噛み付くようなやつは「俺たちのラノベ主人公」でもなく「キモいけどすごい人。頑張ってほしい」ですらない。コラボ騒動は俺にとって「ヤバいやつとヤバいやつが戦っている。勝手に戦え!」に成り下がった。ブロックした。もう政界の癒着や公金がどうなろうと俺の知ったことではないわ。勝手にやってろ。別に暇空茜は俺にどう思われているかなんか気にもしてないだろうが、アホな俺にさえヤバさを指摘されているということは大体の人にヤバいと思われているということだ。頭がいいなら俺みたいなバカぐらい騙してみせろよ。
フェミニズムフェミニズムいうけど別に男を責めて女を免責してるつもりはないんだよな
ただ権力者が男性だったり、権力勾配が男性に偏ってたり、差別的もしくは問題のある行動をおこしてるのが男性だったりするからたまたま男性に言ってるタイミングが多くなりがちだったりするだけ
政治無関心で政治参加しないし意見主張しない無責任な主権者が男女問わず悪政の原因で社会的害悪だって言ってる
そしてフェミニズムの普及の遅れの一番の原因は、宗教と癒着して腐った政治のせいであり、教育も司法整備も全て遅らせてきている、すべて政治だと言ってる
電通の中抜きやメディアや老人医療など真の公金チューチューシステムを放置してコラボみたいな結局予算以上の出費があって実費でまかなってるからチューチューといえる実態のないような話題をスケープゴートにしてやり玉にあげる情弱オンラインカルトもそれの一環かなって思ってるわ
結局のところ政治無関心でリテラシーの低い国民であれば水素水買ってしまうのも仕方ないのかな
民衆って愚かだなという所感
女にも女性差別とか差別に詳しくない奴がたくさんいるが、ただマイノリティだから社会構造における女の有害性は例えば息子を娘より優遇するとか、息子に家事をさせずに虎児のようにかいがいしく尽くして育てるとか、結局男を通して現れがちなだけ
どんなにカスで無能でゴミで無教養でも何故か普通に就職できてスイスイ出世できてそれなりの地位と給料がもらえて男尊女卑で社会からも女からも経済的にも精神的にも尽くされる経験を経て実態に見合わないプライドの高さと自己評価を得てしまったバケモノ中高年男性がとにかく一番ヤバい行動を起こすので目立ちはするよな。
過去の国政選挙はだいたい「選挙区は民主党系、比例区は共産党」。吉良よし子議員にも入れたことがある。ただ、立憲民主党が立ち上がったときは御祝儀で両方立憲民主党に入れたし、れいわ新選組が立ち上がったときは一票入れた。「俺の一票が国会議事堂のスロープになった」と思うと誇らしい。ロシア非難決議に対する対応とかで「どうしようもねえなこいつら」と思ってはいるけど、国会に何人も重度障害者を送り込んだ実績があるので完全に嫌いにはなれないんだよな……
政治的スタンスとしては、象徴天皇制支持、日の丸君が代に愛着あり、日米安保支持だが、どうせ今すぐに共産党が政権獲ることはないだろうし、と思って少しでも生活をマシにしてくれそうな党に入れていた。共産党が恒常的に第二党になり天皇制や自衛隊への攻撃を強めてくるようになったら流石に別の党に入れるだろうけど、現状の勢力ならまあ天皇や自衛隊の脅威にはならんだろうな、という判断。
過去の地方選挙はだいたい共産党一択。地方選挙なら共産党がいくら勝とうが天皇制や自衛隊に直ちに影響があるわけではないので、安心して共産党に入れられていた。
で、前置きが長くなったけど、昨今の共産党について。正直、かなり失望している。
失望のその1は表現規制問題だ。かつて共産党が表現の自由のために戦ってくれた経緯があるのは知っているし、そこは感謝しているが、最近の共産党は表現規制派のフェミニストに乗っ取られてしまったかのようだ。『温泉むすめ』へのバッシングには何人もの共産党の地方議員が参加していた。地方とはいえ仮にも公職にある者が、たかだか地域おこし用のご当地萌えキャラ程度のものに「ゾーニングすべき」などと堂々と言ってきたのだ。『月曜日のたわわ』だってそうだ。他にもいくらでも事例は挙げられる。そしてとどめが、一昨年の衆院選だ。
不安定な雇用に振り回される萌えオタクの俺は、安定した雇用や充実した福祉と天秤にかけて、俺の嫁たちを選ぶことにした。まっとうな仕事がないのは俺が人文系などというカネにならないことでは定評のある学問を専攻したからであり、自己責任であると諦めもつく。一念発起して資格を取るなり起業するなりすれば一発逆転ができるかもしれないのにしていないのも、最終的には俺が怠惰なのが悪いのだ。しかし、彼女たちがいったい何をしたというのか。たかだかスカートに皺が寄っていただのといったくだらない理由で、彼女たちがあそこまで攻撃され、貶められてよいはずがない。金がないのは耐えられる。でも俺たちの文化が貶められ、排除されようとしているのは耐えがたい。
失望のその2は、まあその1とも絡んでくる話だが、Colaboの件だ。モリカケサクラであれだけ特定の民間人との癒着や公的リソースの私的流用や公文書の黒塗りを批判してきた共産党が、Colaboをあそこまで庇うとは思っていなかった。まだ知らんふりしてColaboを詰めてくれた方が全然よかった。暇なんちゃらが「共産党と強いつながりのある~」って枕詞を使ってたときは「まあそりゃ事実っちゃ事実だけど下品な攻撃だなぁ」と思っていたんだけど、あそこまで全力で都の不明朗な会計を庇い始めるのは予想外すぎた。本当にあったのかよ強いつながり。俺はお前らが行政の透明性をうるさく追及する党だと思って、そういう政党が議会制民主主義には必要だと思って、だからずっと貴重な一票を入れてきたんだぞ……
そして失望のその3。今回の党首公選問題だ。たかだか党首公選すべきだと本を出し記者会見をした程度の党員をあそこまで攻撃するのはドン引きするほかない。「気持ちはわかるけどすぐには難しいっすね~。貴重なご意見あざーっす」で済ませていればすぐに鎮火しただろう問題をここまで燃え広がらせているのは、すべて共産党自身が招いたことだ。
俺は党首公選が絶対に必要だとは思わない。それは2つの理由からだ。理由のその1は、紙屋研究所の人が書いていたように、公選のみが民主主義だということになったら、じゃあ国会はどうなんだ、という話になってしまうからだ。当たり前だが首相は国民による直接選挙ではなく、国民に選ばれた議員の互選である。それでも、安倍晋三や菅義偉や岸田文雄は競争的な選挙で選ばれた政府の長であるということになっている。ならば、別に政党内部でも間接民主制であって悪いわけではない。すべてを直接選挙に還元するのは議会制民主主義の否定だ。
けれど、問題は、それで20年以上も同じ人物が党首の椅子に座り続けていることだ。いやもちろん、指導者の在任期間が長いことそれ自体が直ちに問題になるわけではない。たとえばドイツの首相は非常に長期にわたって在任することで知られており、アンゲラ・メルケルは16年にわたって首相府に君臨してきたが、ドイツが民主国家ではないと言う人はいない。しかし、ここは日本だ。たいていのアメリカ大統領が経験する8年間の任期を勤め上げたら憲政史上最長の長期政権になってしまう国だ。かつては1年単位でコロコロ首相が代わり、選挙に負けたら与野党の党首が腹を切らされ、ポスト○○は誰だという話でワイドショーがもちきりになる国だ。麻生太郎も野田佳彦も、そして最初の組閣時の安倍晋三も、選挙に負けて党首を辞めさせられてきた。選挙にはめっぽう強かった再登板以降の安倍晋三は、コロナで失政をやらかした(と国民から思われた)ために首相を辞めた。じゃあ、志位和夫は? 共産党の党勢を爆発的に伸ばしたわけでもなく、有能な首長を何人も輩出したわけでもなく、山本太郎や福島瑞穂のように事実上の個人政党を統べているわけでもない彼は、なんでずっと党首の椅子に座っていられるんだ? ヘルムート・コールが25年にわたってCDU党首を努めたドイツであればいざ知らず、安倍晋三ですら10年も自民党総裁の椅子を温めることができなかった日本において、それはあまりにも異様で非民主的に「見える」光景だ。
もちろん、党内で綿密な議論を重ねた結果、たまたま有為な人材が連続して選出されているのだ、という主張をすることは可能である。自民党の世襲政治家の皆様も、有能な人材がたまたま息子だった、と言いたいことだろう。我が国には職業選択の自由があるので、それは一概に否定できることではない。そこで、党首公選が絶対に必要だとは思わない理由のその2になる。共産党の人びとがここ最近力説されているように、憲法には結社の自由が定められており、なおかつ、政党は党員による直接選挙で党首を選べ、と規定している法など存在しないのだから(政党内部の民主主義に関する法がないにもかかわらず多くの政党が党首選挙を採用しているのは、日本が成熟した自由民主主義社会であることの証左だと思う)、そんなもんは共産党の自由なのである。究極的な話になるが、神のお告げで党首を選ぶ政党があってもよいし、レスラーが立ち上げた政党であればリングで党首を決めたっていいのだ。嘘をつかずに「我が党は格闘や神託で党首を決めています」と言ってくれさえすれば、あとは国民の方で判断すればいい話なのだから(現に、「○○の息子でございます」と名乗った上で自由選挙で選ばれている世襲政治家は大勢いるわけで。そして世襲政治家であっても当選が保証されているわけではないことは、偉大なる田中角栄のドラ娘が見事に証明してくれた)。
レスリングやイタコで党首が決まる政党であっても、俺たちの利害を適切に代弁し、国民の自由を保障してくれるのなら一票を投じてもよい。非民主的な発想かもしれないが、少なくとも俺はそう思う。だから共産党にとっての真の問題とは、そのようにして擁護してくれる人の数を年々減らしていったことにあるのではないか。俺は、あんたらがフェミニストと手を組んでゾーニングだの何だのと喚き散らしたりしなけりゃまだ共産党に票を入れてただろうし、松竹伸幸を強引に追い出したりしなけりゃ、結社の自由戦士になって共産党を庇ってもよかったんだけどね。