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はてなキーワード: 校歌とは

2018-02-21

校歌じゃない。効果だ。

一発変換どんぴしゃ機能はいつ出来るのか。

変換失敗が続くといらつく。

2018-02-16

anond:20180216104705

おいおい、音(=旋律)を記憶することができないと、歌を歌うことすらできないじゃないか。で、たいていの人はそれができるので、校歌とか国歌を歌えるわけだよ。カラオケとかもね。

楽器をやってる人たちは、暗譜してそらで演奏するのも普通でしょ。

2018-01-07

https://anond.hatelabo.jp/20180107121020

大学は大嫌いだったが何度も校歌を歌う学校だったので覚えた。

大学院は大好きだったが校歌を歌う機会が1度もなかったので覚えなかった。

ほぼ頻度の問題だと思う。

校歌を覚えてる人は学校好きだったのかな?

自分は覚えてる。もちろん覚えとない人もいる。

 

これは繰り返し覚えたからの問題なのだろうか。

2018-01-06

浜田黒塗りに寄せて「土人踊りは今、どうなっているのか」

 岩手県一の進学校盛岡第一高校では、男子生徒が黒塗りした裸に腰ミノをつけ、棒を持って踊る

土人踊り」という伝統行事があった。

 昭和63年女子生徒が生徒総会で、黒塗りで土人というのは差別ではないか、と問題提起し、校内

での議論投票メディアでの取り上げの結果、数年後に「猛者(もさ)踊り」と名称変更して赤や

青などカラフルに塗る形になり現在も続いている。

モヒカンネタ髪型強要など焦点のずれる問題は今回触れない。)

 旧制中学から伝統校で校歌軍艦マーチ。「土人踊りの歌」(現「猛者踊りの歌」)も、インド

ネシア民謡学徒出陣から帰ってきた生徒が伝えたもので、ある意味歴史遺産であろう。

 3年経てば生徒が全部入れ替わる高校という場で、変更の結論が出るまでに5年かかったことを考え

れば、20年30年も現役張っているダウンタウンとんねるず保毛尾田保毛男)が時代感覚に即応で

きないのは仕方ないことかもしれない。が、漫才コントではないああいバラエティは本人だけでは

なくP・D始めとしたスタッフも当然企画から関与しているわけで、公共電波を使っている第四権力

メディア企業としての意識が問われるところだろう。

 日本人黒人差別意識はない、などという話は土人踊りの時にも散見された意見である。旧態の

まま存続、完全廃止、変更して存続、選択肢は3つあり、高校生最後を選んだ。

 昭和の終わりから平成初めにかけて高校生が既に出していた結論を、平成も終わろうとする時に、

大人テレビマン達がどう結論を出すのか注目していきたい。


土人踊りは今,どうなっているのか

http://excelact.com/Mori1/dojinnow.html


猛者踊りの歌

原曲「ノナ・マニサ」(インドネシア民謡),選曲 田村喜八(昭和22年卒)・竹原由雄(昭和25年卒)

http://www2.iwate-ed.jp/mo1-h/seitokai/song.html


踊りの動画検索すれば出てきます

2017-09-07

anond:20170907201344

そもそも校歌自体保守的全体主義的なウヨ的発想なものだしなぁ。

心ある人物ならあんもの日本国旗掲揚かいうのと同様踏みつけて燃やし尽くして然るべきの時代錯誤ものだよ。

こんなのがまかり通ってるから日本は遅れている。

校歌が”右翼的”な学校を教えてください

先日の高校生クイズホッテントリガセネタである可能性が高い(からリンクは貼らない)けど、

開成とか灘とか水戸第一校歌が「将来の我が国を担う人材を育てます」系の歌詞なのはどうやら本当のようだ。

というか伝統校ならそういう歌詞学校は他にもありそうだと興味が湧いたので、『この学校校歌もそういう歌詞です』というのを知っている人は教えてください。

2017-09-02

高校生クイズ方針変更は一部の学校排除のため

大学時代TV局でADバイトをしていたことがある。1年から3年までほとんどずっとやっていたからその分、芸能人は別として局や制作会社の人とある程度親しくなる機会もあった。

その時に高校生クイズ制作している人とも会ったことがあって、ふと「昔みたいに知識を競っていた内容に戻すべきって意見ネットでは見ますけどね」的な話を振ったら、意外な答えが返って来た。曰く

・実のところ、いくつかの高校が勝ち上がれないような内容にしろと指示が出ている。

・少なくとも名前が上がっているのは、開成、灘、水戸第一

・絵面が悪いとかい理由じゃない。そんな理由ならそこまでやらない。

・上で名前が上がったいくつかの高校校歌を流したくない。流したら炎上するから

・「ペンと剣の旗の下剛健の意気いや高く(開成)」とか「四海に輝く我が日の国を担わん前途の希望燃えて(灘)」とか「忠孝仁義大道を貫く至誠あるならば天地も為に動きなん(水戸第一)」

 みたいな右翼的校歌を流すと抗議電話殺到する。以前そういう学校が勝っていた頃は実際に山ほど抗議の電話ファックスが来ていた。

 抗議するならテレビ局じゃなくて学校にすればいいのに。

・だからそういう学校が勝ち上がれないような内容にした結果、今みたいな内容にしている

そんなことを言われたことがある。

…という釣りでした(2018/06/25)

2017-06-27

校歌ダンスと初めてのバズ

我が母校たる小学校校歌には振りがついていて、校歌ダンスと呼ばれていた。

毎年夏頃から練習が始まり、秋の運動会では最終種目として全校児童が踊る。小1でも踊れる必要があるので激しい動きはなく、「ラジオ体操から体操要素を抜いたもの」といった様相である

中学に上がるとほかの小学校には校歌ダンスがないことを知る。しかしこの時点ではサンプル数は二、三校であり、どっちが「普通」なのかは不明だった。

この純粋な疑問「あなた学校には校歌ダンスがありましたか?」を質問サイトにぶつけたところ多数の回答(九割がたNO)が付き、「注目の質問」となるに至った。

当時そんな言葉は無いが、齢13にして初めてのバズりであった。

若いうちにネット制御不能っぷりを(安全範囲で)味わえたのは良い経験だったと思う。

2017-05-25

充実した学生時代を送った

学生時代東京六大学野球応援にかなりの頻度で行っていた。当時サークルなどには属しておらず、友達もあまりいなかったので、いわば野球場自分がひとりでやっているサークル活動みたいなものだった。野球応援目的としたサークル存在していたようで、そういうノリの人たちも野球場応援席いたが、引っ込み思案である僕は彼等に声をかけることはしなかった。それは必要ないことであった。試合が始まってしまえば、彼等も一緒に応援している同志なのだからだ。

応援部の人に倣って校歌や何種類もある応援歌を覚えた。応援の仕方も覚えた。大きな声を出していると気持ちがよかった。点が入ると、周りの人と肩を組んで応援歌を歌い、盛り上った。

そして、試合が終るとひとり帰路につく。これだけでも充実した学生生活だった。

2017-04-26

mstdn.jpアカウントを取ったらブロックリスト作れ

イラスト眺めて交流するメイン目的があるpawooと違い、mstdn.jpは(friends.nicoと同様)「なにをしていいかからない人たちの集合体」となっている
マストドン本来的には好ましい状態ではないが、まあ人がたくさんいてたのしーというネットにありがちの集まりなので現状致し方もない
ローカルタイムラインチャットする.jpnicoアカウントを取ったらすべきことは一つ、ブロックリストを作ることである

ローカルタイムラインを眺め、

これをするとWebマストドンの「ブロックしたユーザー」の数(mstdn.jpの場合)が50くらいになってると思う
そして、ローカルタイムラインがかなり静かになったこともわかると思う
そうなったらおもむろに投稿を開始すればいい

今日はすっごい疲れたので膣酒して射精管理してもらいたいぱお」

2016-09-08

宗教2世虐待サバイバーの元デリ嬢が格差社会を考える

ご飯はもらえた。身体的には過保護なほどだった。

でも、小さいこから、好きなこと何にもさせてもらえなかった。

お尻のあざが消えないうちにコードで叩かれた。中学まで続いた。

学校でも部活禁止校歌斉唱禁止お祭り由来の学校行事禁止。輸血禁止。週末は布教

高校生になるころには終わりが来ているから進路なんて考えなくていいって言われてた。

真面目に独自聖書使った洗脳教育受けてた。

でも、10歳のころに、教義が変わって、来るはずの終わりが来なくていいことになった。

結婚も推奨されてなかったから、結婚先延ばししたお姉ちゃんたち全滅。仕事も推奨されてなかったから、フリーターで鬱やニート乱発。

家庭的な人ばっかりだったのにもったいなーい!

でもね、そんな環境でも、環境自力で変えていった人いたのよね。大学進学も自力でしたり、資格取ったり、どんどんうまく逃げていった、軽やかに羽の生えている人いるわけですよ。

世界は終わるんだよ、学校一般人友達作ったところでその友達終わりが来たら全滅だよって教えて、生き残らなくていいやって罪悪感万歳になる宗教で、足ぬけしても廃人がいっぱいいるんだと思う。

もうね、宗教内の長老に半レイプされちゃって妊娠しちゃって、親から半殺しの目にあって親がむせび泣いて親が世間に顔向けできないって自殺未遂した環境で、相手かば必要ないのに言えなくて、日曜日ごとにあうのに言えなくって、黙って下ろしちゃって無力感高校中退した私、ほんと馬鹿なんですよ。

私なんてカスですよカス家出風俗やってお金稼いでニートして高認取って風俗やって専門学校行って定職について、結婚して子供に恵まれてやっとワーキングマザー! 人並!!

ビバ神! 人なみ!!(感涙)

税金払えてうれしい!! 社会保険カードが作れる身分うれしい!!

と思ってたら、もう今度パワハラ上司タゲられてドロップアウトですよ。2か所連続ってことは、なんかオーラでてるんでしょうね。あは、人なみって無理なのかな! そろそろ私も死のうかな!

でも、圧倒的なハンデあろうが、乙武さんのようになさることなせる人はなせるし、世間がうらやむ高学歴でも一歩も外に出れなくて女に目を合わせられない人いる。

その差はどこから来るんでしょうか。ほんと知りたい。。

平気で努力できる人がいる。

やっとわかってきたのね、人生責任が本人にしか取れないっていうの、時間容赦なく残酷に過ぎていくよってことなのね。

その時できることを淡々とできちゃう人、一番強いよね。、

腐ってちゃダメなんだけど、腐っちゃう。。。

だってさ、高校中退してブランクがある人間と、ちゃんと進学して新卒カード切れた人と、毎日毎日睡眠時間削って何かを積み上げて努力した人と、環境がどうだろうと積み上げられなかった人、差があるにきまってる。

モチベーションなくてもモチベーションを持てたら、もっと中学の時勉強してたら。高校を辞めなかったら。ずっと継続できるものを積み上げられたら‥‥‥。

30過ぎて何を積み上げられるんだろう‥‥

どうやって積み上げていけばいいかからない。ほんとうは勉強の仕方もわからない。無理やり暗記して資格取っただけ。

格差はたくさんあると思う。才能、容姿メンタル、体力、若さストレス耐性、継続して積み上げていく人生‥‥‥。

子育てして分かったけど、勉強習慣って2歳の本読みから始まるし、毎日ちゃんと習慣づければ子供自分から目をキラキラさせてやりたがる。

もう格差は始まってるんだと思う。

の子たちにこの社会の中で幸せに生きてほしいけど、お母さん今泥沼になっちゃった。。どうすればいいんだろう。お母さん、ちょっと疲れた

2016-03-18

都下から目白まで

ひと月ほど前のことである

中央線快速の車内で女物の手帳を拾った。

白いカバーの表紙中央にはピンク色のハートが描かれている、ひと目で女物とわかるものであった。ただ、背表紙の上のほうが少し汚れていたり、全体的に水で濡れたような雰囲気もあって使用感もある。めくってみると2015年3月まり。きちんと使えばそろそろ1年。使用感が出るのも当然のことかもしれない。

しかし、こんな手帳を使うのは誰だろうと不思議に思った。今どき小学生でもスマホを持つ時代であるスケジュール電話番号メアド管理などそっちでやってしまうほうが楽だろう。わざわざ紙の手帳必要なのはガラケー世代の年配者ではなかろうか。そう思いつつページをめくって4月の頭を見た時、4月2日の欄に書かれた「入学式 13:30~」という文字が目に入った。おそらくこの手帳の持ち主は大学生だ。確たる証拠はないが、1年生なのだろう。3月かば手帳を買って、来るべき大学生活に備えたと。

4月スケジュールにはカタカナサークル名がたくさん書かれている。そうだとしてもサークル名が多い。プリズミーやコーラル、ifは慶応の有名テニスサークルだし、ラネージュアトムFSS早稲田テニスサークル。TEIYUは東大テニスサークルか。全てテニサーなのはテニスが好きなのか、他に選択肢がなかったのかはわからないが、いずれ慶応早稲田と両方からサークル勧誘が来る大学はそうはない。初めて創設されたがゆえに校歌に校名の入っていないあの女子大学なのだろう。

新歓では美人でもそうでなくても新入生は基本的にはチヤホヤされるのが常だし、そうは言ってもテニスのものにどれだけ力を注いでいるかもなかなかわからない。多くに顔を出しておくのが定石だ。ただ、テニスサークルには真面目なサークルとそうでないサークルがある。真面目なサークルと言ってもメンバーが真面目とは限らないのだが、真面目なサークルは他サークルとの協定を結んで、ある一定期間以降のサークル兼部を認めていない。これだけ出ていてもたぶん5月には籍を置くサークルが決まるのだろうな、と思った。どのみちGW新歓合宿の季節だ。これに出たサークル本命になるとも言える。

4月スケジュールには履修登録の期間と正期間が矢印で書かれていた。それなりに真面目に勉強したいと思っていたんだろうな、すくなくともこの頃は。

2016-02-03

東京まれ田舎育ち

小2まで東京高校まで北海道の片隅→卒業してまた東京→数年後また北海道へ戻る

大雑把に言うとこんな人生

40年のうち東京に居たのは計10年ちょいぐらいしかないと思うが、生まれ故郷は生まれ故郷

Googleストリートビューで生まれ場所を見てみようかな、と思うぐらいの気持ちはある。

市町村統合で無くなってしまった東京郊外とある市。

小学校名前も変わり、特徴的だった一風変わった校歌ももう無いようだ。

そしてストビューカーの高い視点からは、子どもの時見た大きな世界は感じられなかった。

一度直接見に行ってみようか、とも思ったけど、なんとなく黄昏れた気分になりそうだからやめたほうがいいような気がしてきた。

2015-04-08

ある日本Web風景

つんくさんが声帯摘出して、ギター校歌を奏で、入学式を祝った。

というから、そういえばつんくさんのギターって聞いたことないな、と思って、「つんく ギター」と入力して日付指定の上検索した。

そうしたら、なんていうんだろう、サムネイル騙しみたいな、「動かない動画」がたくさん出てきて辟易してしまったのと同時に、

入学式居合わせた新入生が誰も動画を撮って投稿していないという事実も知ることになって、なんだかなあ、と思ってしまった。

さらには、つんくさんがギターを弾いている動画アップロードされていて当たり前みたいに感じている自分にも少し驚いてしまった。

2015-02-24

なんで無自覚オク下になるかについて答える

カラオケにおけるオク下の説明はここではしないが「オク下はなんで起こるんだろう?原因は不明」とか言ってるのを見ると不思議に思う。「中学入ってから男子君が代校歌をオク下で歌い出す」からしかないだろうと。だがそう言うと「それとはまた違うと思う」と言ってくる。どう違うんだよw「男パートと女パートの違い」と「カラオケ無自覚オク下になるのはまったく別だ」と言ってくる。いやだからこの「同じ楽譜を男パートと女パートで歌い分けるからくりがオク下」だということを子供のうちからうるさく周知させてはいないからカラオケでも「男パート」で歌おうとするんだろう?

どうやら、こんなことで混乱するはずがないし12キーが違って気づかないわけがないと決めてかかってるので「なんで無自覚オク下が発生するかわからない」という言いがかりになるようだ。主にネットでだけど。

これも喫煙への不満に代表されるような、面と向かって言いづらいのでネットで声が増幅されている類の話題の一つだと思う。

2014-11-23

自分は面倒くさがりの怠け者なので

中学生の頃、月一で行われる全校集会の最後校歌斉唱が非常にかったるかったし

各種行事の事前段取り練習(運動会の行進の練習とか卒業式の全員参加のリハーサルミュージカルのようにストーリー仕立て?で歌うやつの通し稽古)も非常にかったるかった。

からこそ最初から真面目にやればすんなり終わる可能性があるにもかかわらず、

グダグダと聞こえよがしに文句をつけて指導の教師の神経を逆なでする同級生たちが理解できなかった。

別にいい子という評価を貰いたいわけではなく、単純に説教時間もったいないと思ってた。

なんで進んで長引かせるんだろうっていつも思ってた。

うっかりミス忘れ物が非常に多かったせいで普通に色々と説教受けてしまっていたけど。

(なぜかそこだけはちゃんとして怒られないようにしようという思考が働かなかった…)

ネット上の炎上案件にしても同様で、なんで素直に謝ってしまわないんだろうと常々疑問に思ってしまう。

さっさと謝れるところは謝ってしまって、それ以上追求したり人格否定を始める人のほうが客観的に見るとどうよ…みたいな空気に持ち込んだほうがよくない?

なぜか炎上する人ってこの謝罪をしない事が多くて不思議でならない。

どうしても譲れない点ならともかく

感情的になってすみませんでした」「先走りすぎました」「勉強不足でした」「調子に乗りました」

これくらい言ったってそんなに評価下がらないと思うのにな。

しろちゃんと非を認められてすごいじゃん!ってならないものだろうか。

不良が更正の効果的なあれ。

そんでそれ以上ネチネチ追求するほうが陰湿っぽ~い的な印象操作ができたら勝ったも同然だと思うのに。

まあちゃんとゴメンナサイする前にその印象操作をしようとして火に油注ぐ結果になってたりするけど。

というかそのどうしても譲れない点が『謝罪する事』なのか。

もしもそうなら生き辛そう。

2014-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20140628161346

お前全然わかってねーよ。

増田文章を読めよ。

誕生日クリスマスを祝うことが禁じられた子供時代ってどんなもんかわかるか?

友達誕生日会やクリスマスパーティにも行けないんだぞ?

終業式や始業式で歌う校歌も歌っちゃいけないしし、起立もしちゃいけないんだぞ。

そのたびに周囲から向けられる奇異な目に、どんな思いをすると思う。

あと、今子供がいる年齢ならセーラームーン絶頂期に小学校時代だったはずだ。

そういう、誰もが手に触れるガジェットを「サタン仕業」とか言われて禁じられて生きるんだぞ?

この車に轢かれても輸血してもらえないから死ぬしかないんだなと思いながら

毎日、車の行き交う通学路を歩く人間の気持ちがわかるか?

そういう暗黒時代を、同じ日本にいながら北朝鮮みたいな人生を送ってきた人間

『ボクも男子校から』とか言われたらキレルわ。

お前が選んだ学校だろうが、お前が自由を行使した末の選択肢だろうが!

この宗教を親に持って生まれた人間、親がこれにハマってしまった人間には

その選択の自由がないんだよ最初から

そういう育ちの人間から見れば、目の前の普通の、自由で満ち足りた自分の子供が

幸福を見せつけてくるように思えてしまうのは当然のことだ。

からツリー元の増田は落ち込む必要がない。しょうがないことだ。

だが、そこで同じことをしたら、あのクズカルト宗教どもと同じ狢の穴ってやつになる。

ぶっちゃけ彼らには、神の名を借りて子供虐待して憂さ晴らししたいという一面がありはしなかったか

だって普通の、大した欠落もない家庭には、カルト宗教なんて入り込めないはずなんだ)

ツリー元の増田にできることがあるとしたら、今の幸福一生懸命噛みしめることだと思う。

誕生日ケーキを誰にはばかることなく買える自由、クリスマスツリーを飾れる自由。

とりあえず手近なとこで、七夕短冊を書ける自由だな。

あと、過去自分を責めるのは無意味というより間違ってる。

未だに足抜けできず、親子そろって伝道して回る独身二世なんて珍しくもない。

そして、我々だけに許された楽しみがある。

映画にあの宗教が出てきた時、誰よりも腹を抱えて笑えることだ。

最近だと「キックアス2」だな(かなり暴力的な映画なので見る時には気を付けよう)

虐待幸福経験の空白と

まり煮詰まっている。自分の子どもたちを優先順位の一番に出来なくなりそうでヤバいから精神安定剤的にカキコしようと思う。長文申し訳ない。

私は某宗教で育った。アメリカの再臨派から分かれてるのに唯一無二のキリスト教ってうたってるやつだ。

小さい頃から鞭でぶち回されるのは当たり前だったし幼稚園も行っていない。伝道活動に連れ回される中、幼稚園の前を通った。垣根越しに園内を覗いたことがある。にぎやかで楽しそうな世界だった。子どもながらに心臓がぎゅっとつかまれる気がした。

その時代信者は週三日の集会、週五日の午前午後の伝道活動が当たり前だった。子どもは親と一緒に連れ回された。終わりが来る、とずっと言われ続けていた。高校なんて考えなくていいし、仕事伝道活動を最優先にしてと言われていた。

小学校に上がってから学校はとても楽しかったが、出来ない行事も多かった。日本の伝統行事誕生日クリスマス……。御神輿クラス作成する中、先生に言い、私は一人椅子で本を読んでいた。先生への証言は気の重い作業で、でも仕方なかった。校庭で校歌ダンスがあった時は、一人で膝を抱えて木陰にいた。

私は音楽が好きだった。高学年になってマーチングバンドに入りたかったし、少年団のソフトボールに入りたかった。

だが、諦めざるを得なかった。世との交わりになるし、優先すべきは放課後伝道活動と集会だったからだ。

中学校になり、私は部活に入りたかった。本当にどうしても入りたかった。この時は多少抵抗したが、会衆の長老を含めて親の説得に負け、仮入部した部活自分から取り下げた。応援してくれた先生同級生に、本気ではないと思われ、信用をなくした。このとき多分全力で抵抗していれば順調に年齢通りに社会生活を送れたのだろうが、洗脳も強かったし、親を愛しすぎていた。組織を出るなら殺すと言われ、それに負け、無力感とともに青春を送り始めた。

その後10年思い出したくもないような宗教漬けの日々の後、その宗教を辞めた。

幸いな事に結婚も出来た。子どもにも恵まれた。やりたい場所でやりたい仕事をし、そのためにやりたい勉強をし、好きな家を買って暮らしている。

子どもはまだ小さい。4歳と1歳だ。平日は、保育園に預けている。とてもいい保育園で、子どもたちに毎月の行事をしてくれているし、園も季節感のある飾り付けになっている。リトミック英語、図工に体育など年齢に合わせた遊びながらの教育もしてくれている。給食もおいしい。ほんと楽しい場所だ。

ふっと気を抜くと、最近子どもイライラしている。子どもを応援する母親になりたい本心がある一方で、私は人生を取り返したくてたまらないし、たくさんわがままを言える子どもが羨ましくて仕方がない。子ども嫉妬するのは馬鹿げていると理性が思う一方で、私の中の子どもが、楽しそうな上の子を虐めたがっている。

の子の2歳後半から3歳にかけてのイヤイヤ期には本当に手を焼いた。自分は大人しい子だったし、常に人目を気にしていた。公園で泣きわめかれたりお店で転がれる気持ちがわからなかった。あまりにもひどいとき、とうとう手をあげてしまった。小さい頃の自分を叩いたようで、夜中吐いて泣けて反省した。だが、その後も元気がよく、私も我慢しすぎて階段から付き落としそうになるよりは、躾の範囲で言い聞かせてその場で服の上からお尻なりひっぱたいた方がよっぽどカラリとお互いのためにいいのではないかと、何度かはしているうちにイヤイヤ期が収まってくれた。

まずいのは、夫はこういう葛藤理解できるはずもないという事だ。夫は育ちがよく、彼の母親は始終笑っている人だ。子どもも夫も動物も可愛がって楽しむ人だ。

の子どもが赤ちゃんだった頃、何のためらいもなく行えた誕生日会。幼児期になってから辛くてたまらない憂鬱な会になった。

子どものイヤな面が私に似ている。それがまた私を責め立てる。自分性格のせいで親からの自立が遅れ、上手くいかなかったのは単に自分のせいだったことに気がつかされてしまった。

気分が沈んだ日は、疲れているから、と言い訳にして、子ども放置した時間けが過ぎていく。子どもとの今日一日はかけがえのない日だと分かっているのに。エネルギーのあまっている子ども休みの日に一日外に出さないで、たまった家事の解消にあてたりすると、もうへこむ。

さて、今朝のことだ。仕事で昇進し、今度はチームを動かすほうになった。チームワークについて、常日頃年下から学ぶ事が多すぎて、自分としては自信がない。学生時代部活が出来たら経験になったに違いないと思ってしまう。だからつい、夫に学生時代部活が出来なかった事がいつまでも経験の少なさとして尾を引いていると愚痴ってしまった。すると

『おれも男子校だったからずいぶん経験が欠落したと思う』

と言われ、ついお互いムキになってキレてしまった。だが、こうして文章として起こしてみると、そんなに重いものを裏にして話す方が悪い気もしてきた。

午前中、悲しすぎて棒に振ってしまたから、せめてこれから子どもたちにも夫にもいい一日になるよう頑張ってみようと思う。

だが問題の本質は、分かってほしい人に分かってもらえないと、子どもだんだんしづらくなっているという事だ。だがそれも他力本願な甘えでしかない。

こうやって読んでくださった皆様、ほんとうに貴重な時間ありがとう。なんとか、うまいこと頑張ってみるよ。

2014-06-01

春の珪藻戦

早慶戦といえば、早稲田大学慶應大学がおこなう野球の対抗戦であり、六大学野球クライマックスとしてよく知られている。

だが、その裏側でもう一つの戦い、「珪藻戦」がおこなわれていることを知る人は少ない。

私がその存在を知ったのは、大学に入った年の五月、教授の下のごとき発言によってである

「今週末は早慶戦ですね……いや、珪藻戦でしたか

小学校理科で習ったように、珪藻は植物プランクトンの一種だ。

珪藻戦というからにはプランクトン関係しているのだろうか……興味をひかれて調べてみると、この存在の極めて奇妙であることが、徐々にわかってきた。

慶應大学において、珪藻戦はまことに由緒正しきイベントということになっている。

実際、毎年五月の半ばになると、観戦チケット中庭で売られるようになり、各種サークル人間行列を作る。

しかし、メディア報道するのは早慶戦のことばかりで、珪藻戦についての記事はさっぱり見当たらない。

まるで早慶戦しか行なわれていないかのようである

対戦相手である早稲田大学では、さすがに珪藻戦の名を知るものは多い。

それでも珪藻戦の話題に触れるものはバカにされるようだ。

早稲田大学学生に、珪藻戦について知っているか、と聞いたことがある。

彼は失笑しながら、

ケイソウ戦? それ早慶戦のことじゃなくて?」

と答えた。

早慶戦と珪藻戦の決定的な違いは、その応援の仕方にある。

早慶戦の応援は、全学をあげての大行事である早慶それぞれの学生が肩をがっしりと組み、校歌を若々しく歌い上げる姿をテレビで見たことのある人は多いと思う。

それに対して珪藻戦の応援は気まぐれだ。慶應学生自分大学を応援したりしなかったりする。

これには理由がある。

慶應大学では珪藻戦の日が休校になる。そして珪藻戦は土・日・月と行なわれ、二勝先取であるから、両者一勝ずつで三戦目にもつれこめば、学生は思わぬハッピーマンデーを手にし、自宅で珪藻のごとく光合成にはげむことができる。

から慶應生の多くはそれが早慶どちらであるかに関係なく、初日に負けた方を二日目には応援するようだ。

「天は人の上に人をつくらず」という一万円札の教えに従った結果かもしれない。

また、珪藻戦は異性との交友を深める場としても大きな期待を背負っている。

ある卒業生によると、肩を組んだ拍子に指先がおっぱいをかすめてしまう、というのはごく普通にあることで、おっぱいを鷲掴みにしてそのままホテルまで引き摺っていってしまうことすらあるのだという。

人間は珪藻とちがって有性生殖をする生物から仕方ないのかもしれない。

早稲田には、近ごろ独自に万能細胞を開発している卒業生がいるということである

これが珪藻戦における勝利を目指したものだ、というのは考えすぎだろうか。

慶應は昨年度限りで竹田某というやんごとなき人物を失ったこともあり、厳しい戦いを強いられるだろう。

2014-05-19

違法薬物に対する厳罰主義と実害最小化主義について

リベラル理性的コメントが優勢な「はてな」ですら、違法薬物については俗っぽい厳罰論が優勢なことに私は驚いている。

ヨーロッパオーストラリアでは、違法薬物に対して厳罰主義ではなく実害最小化主義(Harm Minimization、適切な訳語が見つからないので私の感性に基づいて直訳した)の姿勢をとっている。発展途上国シンガポール韓国などの開発独裁国、ならびに日本は厳罰主義であるアメリカ合衆国中間ぐらいだ。実害最小化主義は即ち危険害悪の元を絶つことは不可能であるから、それらが存在しうる前提で実害を最小限に使用という試みであって、性風俗産業コンドームを配布するとか、薬物使用されうる繁華街などで使い捨て注射器を配ったりするとかがそれにあたる。なお実害最小化主義においても、違法売春の元締めや違法薬物の流通に関しては極めて厳しい罰則が定められている。したがって違法薬物の使用者弱者であり守られるべきであるが、それらを食い物にして金を儲ける奴はけしからん、というある種の優しさからくる社会正義に基づいているといえる。賛否両論はあるだろうし偏見に基づく価値基準であることは否めないが、ヨーロッパ諸国発展途上国のどちらが人類最適化された社会システムを持っているかは、少なくとも私にとっては疑いの余地がない。日本先進国として実害最小化主義に軸足を移すべきである。「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なんて全くナンセンスであって、人間価値覚醒剤の使用で毀損されるほど不安定なものではない。「間接的に反社会勢力の資金源に・・・」とかいう話は置いておくならば、他人に何ら実害を与えていない違法薬物使用者極悪人のように仕立て上げて報道するのは間違っている。

モルヒネ前後不覚になって職務遂行不能であったならともかく、社会生活に支障の無いリラクゼーション・ユースの覚醒剤使用で逮捕された校長先生作曲した校歌を変える、チャゲアス楽曲が使われているテレビ番組現場が騒然、とか全く的外れもいいところである。それならば全員ヤク中、それもMDMAなんていうヤワもんじゃない、皿に山盛りのヘロインとかコカインパーティーやりながらレコーディングしていたMiles DavisJohn Coltraneが作ったアルバムなんて完全に発禁だし、現代音楽も基になるバークリー音楽理論なんてそいつらが発展させたようなもんなんだから違法薬物抜きには語れない現代商業音楽作品は全て発禁だ。

そもそも私はモルヒネヘロインなど「狭義の麻薬」を使用するのはやめた方がよいと思う。しかMDMAのような穏やかで感染リスクのない覚醒剤や、身体依存の全くない大麻と、合法である酒やタバコを仕切る境目に合理性を見いだせない。後者薬理作用の他に食品嗜好品としての味わいがあるが、大半の使用者はこれらを薬物として摂取している。なぜか問題にされないが、特に飲酒害悪は恐ろしい。加害者がそれなりの社会的立場を有している場合喧嘩セクハラなどは大半が飲酒による酩酊のせいといっても過言ではない。覚醒剤使用で懲戒免職なら、飲酒して他人に絡んだら懲役実刑ぐらいじゃないと釣り合わないと思うぐらいだ。

からASKAとか槇原敬之とかミュージシャンが薬やってたって騒ぐことじゃないし、「やまとなでしこ」も「ホテル」も再放送で観たいし、大麻くんは大野やってないよ。

勢いで描いたので多分に偏見引用が不十分な部分があることは自覚しています。「アスカ覚醒剤を教えたのはチャゲであって、チャゲは「残念です」とかコメントしてる場合じゃない、自分黒幕のくせして。見た目的に。」ぐらいの偏見で書いてる。ごめん。

2014-04-20

入学式を欠席する担任教師に呆れてしまう理由を考えてみた

担任が「息子の入学式」で欠席、どう思う?

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/11262/result

まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。

そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。

 

よく、国民教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラム教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。

公務員から職業人だから

今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。

私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。

 

日本人一般にある仕事優先論というのも、ちょっと違いそうだ。

批判している人は「担任なのだから」と言っている人が多い。

担任教師への高いハードル

呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。

なのに担任教師に呆れるとはどういうことなのか。

それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。

 

そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。

学校が親に課すハードルも高いのである

 

私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。

 

学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。

(この高いハードルを「親は学校/先生子供人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)

 

家族のために計画的休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。

からさまに生徒を二の次にすることへの反感

たとえば医師患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。

気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい大丈夫です」と言わなければならない。

実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。

 

でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。

たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」

「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」

 

このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。

 

担任教師の家族危篤場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの

でも、自分の子供の入学式に出るために計画的学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。

「誠意がない」と感じるのではないか。

 

「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。

 

蕎麦屋の出前」という言葉がある。

最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。

でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。

なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。

 

そう、ウソをつくのだ。ウソ方便

ウソ方便ではなく、ただのウソに。

これまではウソ方便で良かったのだ。医者患者優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。

 

だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。

 

そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。

ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。

 

今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。

今はもちろんそれはできない。

ウソはもはやただのウソ、悪なのである

 

後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。

 

「知らぬが仏」という言葉もある。

自分自身はどうなのか。

さて、では自分自身はどうなのか。

通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。

 

自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。

 

担任教師が休むことそのものが、子供教育にとって良いことだ、という意見もあった。

行動を通じて労働者権利ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。

 

とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。

でもこの話ではなぜか感情が先に立つのだ。

 

友人とも対話した。

 

友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法現場無視してよいのか」

自分担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」

 

友人「副担任や教務主任での代行ではだめなのか?」

自分体調不良家族の不幸以外は、認めがたい」

 

友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」

自分計画的休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」

 

友人「妊娠はどうか?」

自分妊娠計画的ものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」

 

友人「教師のなり手が減るぞ」

自分「有能でも信念がないのはだめだ」

 

このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。

そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。

 

昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分出身校に誇りを持っている。

(誇りがあるメンバーけが集まったのかもしれない)

同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。

(このサイトを見つけてメンバー同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県福岡県高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682

 

受験できる範囲内の県立高校としては一応トップ学校入学して3日目から、まぁ右翼ヤクザのような指導を受けるわけです。

高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。

「○せ」みたいな内容の。

希望者が入る部活でもなんでもなく、全員が。

 

親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。

その後の学校から親への態度も、基本的には一方通行だった。

課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。

夏休み冬休みも補習授業がある。

一方で体育祭ともなれば、放課後強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。

 

それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから学校先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。

その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。

公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。

 

こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。

そう、最初に書いたように「自分の個人的な体験に置き換えて語ってしまいました」ということなのだ。

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