中学生の頃、月一で行われる全校集会の最後の校歌斉唱が非常にかったるかったし
各種行事の事前段取り練習(運動会の行進の練習とか卒業式の全員参加のリハーサル…ミュージカルのようにストーリー仕立て?で歌うやつの通し稽古)も非常にかったるかった。
だからこそ最初から真面目にやればすんなり終わる可能性があるにもかかわらず、
グダグダと聞こえよがしに文句をつけて指導の教師の神経を逆なでする同級生たちが理解できなかった。
別にいい子という評価を貰いたいわけではなく、単純に説教の時間がもったいないと思ってた。
なんで進んで長引かせるんだろうっていつも思ってた。
うっかりミスや忘れ物が非常に多かったせいで普通に色々と説教受けてしまっていたけど。
(なぜかそこだけはちゃんとして怒られないようにしようという思考が働かなかった…)
ネット上の炎上案件にしても同様で、なんで素直に謝ってしまわないんだろうと常々疑問に思ってしまう。
さっさと謝れるところは謝ってしまって、それ以上追求したり人格否定を始める人のほうが客観的に見るとどうよ…みたいな空気に持ち込んだほうがよくない?
なぜか炎上する人ってこの謝罪をしない事が多くて不思議でならない。
どうしても譲れない点ならともかく
「感情的になってすみませんでした」「先走りすぎました」「勉強不足でした」「調子に乗りました」
これくらい言ったってそんなに評価下がらないと思うのにな。
むしろちゃんと非を認められてすごいじゃん!ってならないものだろうか。
不良が更正の効果的なあれ。
そんでそれ以上ネチネチ追求するほうが陰湿っぽ~い的な印象操作ができたら勝ったも同然だと思うのに。
まあちゃんとゴメンナサイする前にその印象操作をしようとして火に油注ぐ結果になってたりするけど。
というかそのどうしても譲れない点が『謝罪する事』なのか。
もしもそうなら生き辛そう。
負けたくないから意地でも謝らないんじゃなくて 炎上するのは何が悪いのかわかってない天然系のほうが多いっしょ
自分も増田と同じタイプかもしれないので、ちょっと分析。 増田タイプの人間は、判断基準が自分の中にあるから、行動に迷いがないし、常に行動の基準が自分の中から生まれているか...