「理系の人が研究室や実験、といいますが、そこらの学生がやる意味があるんですか?二流三流大学の研究とは、すでに発表されていることの単なる確認やトレースではないのですか?」
という知恵袋を見た。
理系は卒論というものがあるかぎり、ほとんどの場合においてどんな3流大学でも、少なくとも修士課程以降は、いや結構な頻度で学士でも、「人類の科学の領域の境界線を親指でぐっと押したぐらいは広げてる」んです。
修士論文発表した瞬間はその論文の内容に関しては指導教官と同等以上になってるよ、僕の知ってる人はみんな。その一瞬だけは人類の最前線だよ。
なので、文系には卒論がない大学もある、と聞いてびっくら仰天するわけです。ひとによっちゃあ盛大に馬鹿にするわけです。
えっ君たち大学出たのに人類の叡智とか文化とかをほんのちょっとでも大きくしなかったの????何しに大学に行ったの????って。
押し上げるって単語はほんとに事実を表しているんですかねえ。 指導教官相当であるのであれば、何故ハーバード卒早稲田卒の小保方さんは論文撤回したんですかねえ。 指導教官相当っ...